亜の国主、生田は蒼白な顔をしていた。
しばらく、亜の軍勢がどんどん城を奪われ、討ち死にしていくという知らせが続いた後に、共舘と伊国の軍が、その奪われた城をどんどん取り返すという知らせが続く。
さすがにこれはおかしい。
―― 一体どうしてだ。
生田は側近中の側近、島田、大谷、中山をあっけなく失って、途方に暮れていた。
―― 今、亜の国内で頼りになるのは黒田だけだ。
生田は黒田を呼びつけた。
「今までいの一番に戦果を上げて、戦線を前に出すような戦い方をしていた鬼武者こと共舘が、前半は何の戦果も上げず、主要な将軍たちが死んでから初めて動きを見せた。どういうことか。」
黒田はすぐに「共舘に謀反の兆し有り。」と言った。
「謀反だと!」
「おそらく。」
「あの者め!十分な扶持に加えて、と世里奈を与えてやるだけでは事足りず、私に歯向かうというのか!」
「できるだけ速く、亜の守りを固めた方がいいかと。」
「ここまで攻め込んで来るつもりか?」
「おそらくは。」
「くそ!」
生田は持っていた盃を床に投げつけた。
「もしかして、共舘を暗殺しようとしたことがバレたのか?」
「それはないでしょう。内藤は吐かなかったはずです。すぐに斬首になりましたし。」
「では、なぜだ? あんなに従順な犬だったのに。 もしや、世里奈が傷物だったことが知れたか?」
黒田はそれには何も答えなかった。
世里奈姫によからぬ噂があるのは城の皆が知っていることだった。
「とにかく亜の城の門を閉めろ。絶対に共舘をここに来させるな。」
「まだ、島田どのや、中山どのの軍の、かろうじて生き残った者たちが敗走して帰還しておりますが…。」
「知るか。閉め出せ。負傷して帰ってくる兵など厄介でしかないわ。門を開けるな。絶対にだ。」
「は。」
「それから、触れを出して、鬼武者の謀反を伝えろ。亜の国の民衆全員に、一人残らず城を守らせるのだ。女子供も百姓もだ。国主を守るのが民の役目だからな。」
「承知しました。」
―――
市中にも鬼武者の謀反の知らせが、お城からの公式な御触れとして発表された。
『鬼武者謀反の兆し有り。市中の者はみな武装し、城門、城壁を守り、国主をお守りすべし。』
今まで、恐れられながらも、亜の国のために戦っていたヒーロー鬼武者が今度はその刃を自分たちに向けて襲ってくる、となると、みんなの恐ろしさが倍増し、市中は半ばパニック状態で騒然となった。
だが、これを皮切りに、同時に私版の瓦版が出まわった。
しかも無料で大量に出回った。
小雪の絵がついているものだ。
『鬼武者、主に裏切られ、その仇を打つ。狙うは主の首のみ。民衆には危害を加えず。』
瓦版の鬼武者は弱い民や女子供をかばいながら国主と思われる人物に立ち向かっている絵だった。
「鬼武者が狙っているのは国主のみだそうだ。」
「我らに危害を加える気はないのか?」
「もちろん、ありません!」
瓦版を無料で配布しながら、那美が言う。
「鬼武者は皆さんの味方ですよ。前々から、鬼武者はずっと魔獣討伐をして皆さんの暮らしを守ってきたじゃありませんか。悪いのは最初に裏切った方じゃないですか?」
那美が瓦版を配布している所に役人がやって来た。
「何をしている!このような嘘の瓦版を出すとは何事だ!」
「え?瓦版ではありませんよ。次のお芝居の広告です。ぜひ、お役人様も見に来て下さい。もちろん、実際の公演はこの戦が終わったころになりますが。」
那美は役人に歩み寄った。
「あの、名女優、化粧坂の祥子も出演します。お役人さん、見たことあります?」
「あの化粧坂の祥子も出るのか?」
「はい。お姫様役です。もしよろしければ、お役人さんを特等席にご招待しますよ。」
那美は言いながら、役人の袖に金子を入れた。
「でも、宣伝をさせて下さい。良い役者を使うのはお金がかかるんです。」
「わかった。私は羽山基頼という。公演の際には招待状を送るように。」
「ありがとうございます。」
―――
那美が市中で瓦版の配布を終えてタカオ山に帰ると、八咫烏かから報告を聞いたオババ様が待っていた。
「那美、いよいよ伊月たちが正式に反乱軍と名乗った。共舘の名を捨て、豊藤の旗指物をしておるそうだ。於と敵対するはずだった伊と亜の連合軍の総大将も伊月に与することにしたようだ。」
「すごい!じゃあ、あの亜から出陣して行った兵も、伊の兵も、全部伊月さんの兵になったのですね!」
「ああ。伊では、昔から豊藤の家臣で、生き延びておる者達が集まり、伊月に協力しておるようだ。それだけじゃないぞ、於も伊月の反乱軍に参加した。」
「すごい! 於までを懐柔していたんですね。」
「今、伊の国主、生田宗次郎を撃つために伊城に攻め込んでいる。いよいよ伊を豊藤が奪還するぞ。」
「はい!」
―――
その後、生田にも鬼武者が伊の南部の守りを固めた後、北上して、伊城を攻めに向かったと報告が届いた。
「おい、黒田! 伊の国に残っている豊藤の残党は壊滅させたのではなかったか?」
「はい。宗次郎様がそう言っておいででした。」
生田宗次郎は生田の甥で、今の伊の国主だ。
「宗次郎め!詰めが甘かったのだな!宗次郎に伝令を向け、命を賭して伊の城を守り、共舘を殺せと伝えろ!」
「援軍を出しますか?」
「もう、これ以上援軍を出せば、ここを守る者がおらんではないか!宗次郎に敗走は許さんと言え!」
「は。」
―――
この知らせは亜城からは市中に出回らなかった。
その代わり、那美たちの私版の瓦版が出回った。
『鬼武者、実は隣国の王子、人質としてとらえられていたが、今、自国を奪還し、長年の恨みを晴らさんとす!』
これにも小雪の美しい絵がついている。
自分の本当の身分を明かし、鬼の面具を取った超イケメンの鬼武者の絵だ。
悲しみを隠し、耐え抜いて、ようやく自分の生まれ育った国を奪還しに立ち上がる様子が描かれている。
この瓦版には市中の者が大騒ぎになる。
「何と、鬼武者は伊の王子だったか!」
瓦版には伊の王子とは書いていない。
隣国の王子と書いてある。
でも、今の戦況では伊の王子とみるのがとても自然だ。
那美は小声で言う。
「大きい声では言えないんですが、そうなんです。鬼武者はずっと生田に虐げられてきました。」
「謀反するのも納得だ。」
この辺を見回っている役人がまた来た。
「おい、何をしている。これは先日の内容と違うではないか。芝居の宣伝ではなさそうだな。」
「あ、羽山様、これは次の漫画の宣伝ですよ。お芝居にご招待とはいきませんが、これでどうぞお見逃しを。」
那美が分厚い包みを見せると、羽山はサッとそれを取った。
「漫画の宣伝ならば、仕方ないな。」
「ありがとうございます。」
―――
やがて伊の国主、生田宗次郎が城を捨てて逃げ出した。
女の姿になって、闇夜にまぎれて、亜に亡命しようとしたらしい。
でも、途中で鬼武者の軍に捕縛され、討ち死にした。
『豊藤が伊を取り戻した。伊と於が協力して亜に攻めて来る。』
その知らせは亜の市中を駆け巡った。
生田は地団太を踏んだ。
「宗次郎が死んだだと! 自分なら伊を治められると豪語しておったから伊の国主に据えてやったものを!!」
しばらく、家具をなぎ倒したりして暴れていた生田はふと立ち止まった。
「このまま共舘は俺を殺しに来るのか?」
側にいる黒田は頭を垂れて何も言わない。
「おい、答えろ!」
「勢いを緩めずに来るでしょう。もう伊の国内には共舘と戦おうとするものはいません。民も歓迎しておるようです。」
生田は爪を噛んだ。
「それに、もう、共舘という名を捨てて、豊藤と名乗っております。実質、現在の伊の国主となりました。」
「飼い犬に手を噛まれるとはこのことだ!今までどれだけの扶持をやって生かせてやったと思っておる!!!」
生田は怒りにまかせて、燭台をなぎ倒した。
「亡命先を探せ。」
「城をお捨てになりますか?」
「捨てる。だが同時に共舘、いや、豊藤と和睦交渉もしろ。少なからず生田家には恩があるはずだ。子供の時から面倒みてやっているからな。同時に亡命先を探せ。同時に城の守りも固めろ。」
「は。」
しかし、生田の使者が和睦交渉をしに伊に出立するのを待たずに、亜城の西に、鬼武者の大軍が現れた。
「西の城門の茅原に、大軍が現れました!その数六万!」
「ろ、六万だと!? 一体どこからそんな数を…」
「どうやら、地方の地侍たちも加わっておるようです。」
「す、す、すぐに茅原の陣内に使者を派遣して和睦交渉をはじめろ!」
「は。」
「亡命先はどうした?」
「…なかなか、受け入れ先が見つかりません。」
―――
亜の市中の者たちは皆、城門の西に現れた鬼武者の大軍を見て騒然となった。
整然と並んで亜の城門を見据えている兵たちの様子は圧巻だった。
亜の城門を守る者は皆、恐怖におののき、亜の民衆も、家を壊され、女子供を奪われ、夫を殺されるのではないかと思った。
皆が荷物をまとめて逃げようとするも、そこに瓦版を無料配布する手習い所の女子たちがいる。
『伊を奪還した新国主、鬼武者こと豊藤伊月、5万の大軍を率いて、狙うは亜国の国主のみ。豊藤に与し、道を開ければ市中の者には害を与えず。』
小雪の漫画が差し入れられている。
鬼武者はか弱い民衆をかばって生田の悪政から皆を守っている。
これを見て、市中の者は逃亡を辞め、多少パニック状態から抜け出した。
そこにさらに瓦版が出る。
『これまで魔獣から民をまもりし鬼武者こと豊藤伊月の正体は、実はかどわかし事件から民を守った共舘将軍。』
「何と!鬼武者は、国主が見捨てていた私たちの暮らしをずっと守っていたのではないか!」
「本当に鬼武者は私たちを害する気がないのだ!」
民が鬼武者を指示する声が高まる。
「皆さん、聞いて下さい!」
大衆の真ん中で、那美が大声を出した。
「鬼武者は皆さんを害しません!狙っているのは亜の国主のみです。どうか、協力してください。道を開けて、亜の国主のところまで、鬼武者の軍を邪魔しないようにして下さい!」
「和睦交渉をしていると聞いたがどうなるのか?」
「鬼武者はきっと亜の国主を許さないでしょう。」
「やはりそうか!」
「こうなったら、こっちから城門を開けて、生田のいる城まで案内してやったらどうだ!」
「そうだ!生田より鬼武者が国主になった方が暮らし向きが良くなるんじゃねえか?」
「確かにな!」
――上手く行ってる!
那美は心の中でガッツポーズをした。
そして、手習い所の皆に、すぐにタカオ山に避難するように言う。
「私たちの役目はここまでです。遅かれ早かれ、生田が私たちを捕まえに来るでしょう。一刻も早く、タカオ山に避難して下さい。」
市中から那美たちの姿が消えた。