小雪ちゃんが、少しモジモジしたように差し出した紙の束をそっと受け取る。
「この短期間でこれだけ書いたの? すごい!」
それは漫画部が完成させた最初のエピソードだ。
「試作を色々作ったんですが、やっぱり、那美先生が言ってた鬼武者の話が一番人気だったんです。夕凪ちゃんのご指導もあり、鬼武者の恋愛話にしてみました。」
―― ああ、夕凪ちゃんが指導したら絶対ラブストーリーになるよね。
「じゃあ、読んでみるね。」
「はい!」
漫画部の子たちが見守る中、私はできたてほやほやのマンガを読んだ。
鬼武者が魔獣討伐に行った村で、ある女の子と出会う。
大きな魔獣を次々に倒し、すごく強い鬼武者だけど、時々は怪我もする。
その日も、魔獣の鈎爪がかすり、小さな傷を作った。
魔獣の返り血をあびて、血まみれになって戦う鬼武者を恐れずに、その女の子は彼に近づき、傷の手当をしようとする。
鬼武者は初めての出来事に戸惑い、邪険に扱ってしまうが、その女の子に恋心を抱いてしまう。
二人は少しずつだけど会話をするようになる。
ある日その女の子が魔獣に襲われそうになり、危機一髪ということろで鬼武者が現れて女の子をかばう!
と、いうところでこの回は終わっている。
「えーーーー! 続きが気になる! この恋が実るのか、鬼武者が面具を取って素顔を見せるのか色々と気になる!!!」
「どうでしょうか?」
「いいよ! すごくいい! 何より、絵が綺麗で物語の世界にどっぷり浸かれる!」
私の反応を見て、漫画部の子たちが一斉に歓声を上げた。
「売れると思うんだけど、一旦売り始めたら、続きを書き続けなくちゃだよ。できそう?」
漫画部の子たちは一人残らず、出来ます! と声を張り上げた。
「もう版元には話しがついてるんですよ。 あとは那美様の了承を頂くだけです。」
と、お仙さんが言う。
手際が良すぎる。
「さっすが、お仙さん! じゃあ、さっそくこれを版元に持って行きましょう!」
「わーい!」
「あ、でも! ちょっと待って下さい。もう一人だけ、了承を得たい人がいます。」
「どなたですか?」
「鬼武者さん本人です。」
「え?」
私のこの発言には皆も驚いたらしく、鬼武者を知ってるんですか?と騒然となった。
―――
私はさっそく、伊月さんのお屋敷に行ってみた。
いつものように源次郎さんが客間に通してくれる。
「主は今、平八郎に稽古をつけております。呼んで参ります。」
「あ、いいえ。邪魔したくないので、終わるまで待ってます!」
私は源次郎さんを止めた。
「稽古の様子を御覧になりますか?」
「見たいです!」
源次郎さんに促されて縁側に出ると、庭の奥で対峙している平八郎さんと伊月さんを見つけた。
平八郎さんが先竹制の薙刀を持ち、伊月さんは竹刀を持っている。
平八郎さんが薙刀で伊月さんに打ちかかるけど、その長い薙刀が全然伊月さんに届かない。
すぐに間合いを詰められ、伊月さんが竹刀で胴を打つ。
「脇があまいぞ。重心を低くしろ。」
平八郎さんの体がよろつくも、ザっと地面を踏みしめて持ち直す。
「まだまだ!」
平八郎さんはまた負けじと向かっていくけど、何度やっても結果は同じだった。
―― 伊月さんって、本当に強いんだな。
「主は雨の日も風の日も嵐の日も、訓練を欠かしません。体は熊のようにでかいですが、速さは兎のごとしです。」
源次郎さんが自慢げに言う。
他の家臣同様、源次郎さんも伊月さんの強さに心酔しているようだった。
「あ!」
平八郎さんが思い切り、伊月さんの竹刀を打ち付けると、伊月さんが竹刀を落とした。
「あれはわざとでございますよ。油断をさせているのです。」
と、源次郎さんが小声で解説してくれる。
「主、今日こそ一本取ります! やあああ!」
伊月さんめがけて平八郎さんが切り込んでいく。
「わぁ!」
「え?」
一瞬何の出来事だったけど、伊月さんは腰に指していた扇子をさっと取り出し、それで平八郎さんの後頭部を打ったらしい。
その瞬間あっけに取られた平八郎さんに隙が出来て、伊月に足を取られた平八郎さんが盛大に地面に転がってしまう。
―― うっ…痛そう!
「今日はここまでだ。」
伊月さんがそういうと、源次郎さんも私も思わずパチパチと拍手した。
「主、さすがです。」
―― ふふふ。源次郎さんって伊月さんが大好きだよね。
「那美どの、来ておったのか。」
「あ、那美様!」
私はペコリと頭を下げると、二人はこちらに歩み寄った。
「那美様にお恥ずかしい所をお見せしました。」
平八郎さんが頭をかきながら言う。
「怪我はありませんか?」
「大丈夫です。」
「盛大にやられておったな。」
源次郎さんは笑っている。
「那美どの、ちょうど良かった。少し話がある。私の部屋へ。」
私は源次郎さんと平八郎さんにお辞儀をして、伊月さんの後に続いた。
―― 伊月さんの部屋はいつ来てもシンプルで綺麗だな。
何気なく伊月さんの部屋を見渡して、そこで、棚にあるものを見つけた。
―― あ!
それは、伊月さんの部屋にはまるで似合わないコン吉人形だった。
全体的に渋い感じの部屋に異様な可愛さを漂わせてコン吉人形が目立っている。
何だかちぐはぐな感じが面白いけど、大切に持っていてくれている事がとても嬉しい。
「何をニヤニヤしている?」
「あ、つい、嬉しくて。」
「嬉しい?」
「はい。コン吉人形、ちゃんと持っててくれたんですね。私も部屋に飾ってるから、本当にお揃いだなって思って。」
「そんな事で嬉しいのか…。」
それならば、と、伊月さんが、引き出しから小さな布に包まれている何かを取り出した。
「これも見てみるか?」
「何ですか?」
伊月さんが包みを開けると同時に覗き込む。
「え? これって!」
私は目を丸くした。
それは私が子供の時に大好きだったチョコレートのプラスチック包装だった。
「幼いそなたが私にくれた物だ。」
「こんな物、そんな布に包んで大切に取っていたんですか?」
「こんな物とは何だ。このような材質の物は尽世のどこを探しても見つからんかった。」
―― 探したんだ。
「あの菓子が旨すぎて、家臣に頼んで色々と探してもらったのだ。だが誰にも見つけられんかった。今思えば無理もないな。異界の物だったとはな。」
「私も、今でもチョコレートを無性に食べたくなる時があります。カカオさえ手に入ればなぁ。」
「かかお?」
「はい。チョコレートはカカオとお砂糖で出来てるんです。あとは、牛乳も入れたりします。」
ふむ…と伊月さんは何か考え込んでいるようだった。
「そういえば、何か話があるって言っていましたよね?」
「ああ。内藤の事だ。どのようにこの世界に来たかを詳細に聞いた。」
「話したんですか?」
「ああ。同じ異界から来たそなたがこちらで優遇されていること話した。今までは、自分が異界人だと言っても誰も信じなかったそうだ。だが、私が異界人の存在を信じ、優遇していることを伝えると、ペラペラと話しおった。」
伊月さんによると、やはりオババ様の見立て通り、内藤は私の異世界への移動に巻き込まれて、あの桜の木のうろに落ちたらしい。
でも、内藤がたどり着いたのは今よりも3年も前で、場所も江の国の北の果てで、山賊がウロウロしているような物騒な所だった。
こちらに来た時の持ち物は人を殺すための包丁とポケットに突っ込んだアメコミ一冊、財布、バタフライナイフ、という私には到底理解できない持ち物だったそうだ。
山賊に自分は魔術を使えるとうそぶいて、詐欺まがいの事をしつつ、何とか生き伸びた。
ある日、山賊がさらって来た女が欲しくなって色々と理由をつけ、儀式をするために女をくれと言った。
山賊が儀式を見守るというので、アメコミで読んだ方法をそのまま実行してみた。
すると、女の体から赤い気が出て、近くの石に宿った。
それがカムナリキだったことを内藤は後で知ったそうだ。
「そんな!あんな物語のやり方で出来ちゃったんですか?」
「ああ。」
「でも、あのアメコミで読んだ方法って、結構、いや、かなり、残酷でした。あんな事を女の人にしたんですか?」
「ああ。」
「ひどいです…」
「あの者はオババ様の言った通り、人殺しを愉しむ気の狂った者だ。女をいたぶり、何人も殺している。」
私はあまりの理不尽さに怒りで震えた。
伊月さんが私の背中をさすった。
「私はただ…那美どのが無事で、本当に良かったと思う。」
「伊月さん…」
「とにかく、内藤の件は、すぐに、かたがつくだろう。」
伊月さんは私が持ってきたマンガを見つける。
「ん…?それは?」
「あ、私、この事を聞きに来たんです。 伊月さんの了承が欲しくて。」
私は事の次第を話して、伊月さんに小雪ちゃんの絵を見せた。
怒られるかな、とも思ったけど、怒られはしなかった。
ただ、呆れられた。
「まったく女人が好きな事はわからぬ。これのどこが楽しいのやら。」
「鬼武者って、本物だけど架空の人物っていうか、そういう曖昧さ加減が物語にピッタリっていうか…」
「まったく…女人のことはわからぬ。」
伊月さんは眉をひそめながら絵を見ている。
「だが、架空の人物というのは言い得て妙だな。」
「え?どういう事ですか?」
「できれば私の軍が共舘の軍だと市中の者に知られたくないのだ。だからいつも面具をつけていたら、いつの間にか鬼武者という架空の人物ができていたのかもしれぬ。」
「知られたくないってどうして? 伊月さんほど戦果を上げていれば普通はもっと名前を広めたいって思いますよね。」
「共舘は亜国の将だ。」
―― そういうことか。
それはきっと伊月さんの本当のアイデンティティーと一致しないのだろう。
本当の伊月さん、伊国の王子、豊藤伊月と、亜国の将、共舘伊月は全然違う人物なんだ。
だからと言って、自分の本当の名前を言えない。
―― だから旗指物も真っ黒なんだな。
「亜国の将に戦果を取られるのが嫌なんですか?」
「ああ。癪に障るな。これから名を上げるのは伊国の豊藤だ。だからそれまでは鬼武者ってことでいい。」
伊月さんはニッと悪だくみをする少年のような笑みを見せた。
「とにかく、漫画のことは好きにしろ。 どうせ作り話と言うのは誰が見ても明らかだからな。」
「やったぁ。ありがとうございます。小雪ちゃんたちもきっと喜びます。」
「ところで、那美どの、旅が終わったら出かけるという約束を覚えているか?」
「はい。もちろんです。
「私は…」
伊月さんは、私の肩を抱いて、そっと自分の方に引き寄せた。
体が密着して鼓動が高鳴りだす。
「そたなを…」
伊月さんの大きな手が私の頬を包んで、上向かせる。
―― キス、される?
甘い期待に目を瞑ったその時、
「主! 失礼します!」
源次郎さんの大きな声が聞こえて、障子が開く。
私も伊月さんも同時にバッと体を離した。
「城門の東に魔獣が出たようで討伐に出向くように城の使者が伝令を寄越しました。」
「わかった。すぐに準備しろ。」
「は。」
すぐに伊月さんは甲冑を取り出し、着替え始めたので、私もそれを手伝う。
「堀を呼べ。いつもの編成で行く。 平八郎は留守を頼む。」
「承知!」
伊月さんと源次郎さんはあっという間に闘争準備を整えた。
正次さんをはじめ、武装した家臣たちも庭先に集まった。
「那美どの、明日までには戻ってくる。」
「気を付けて行って下さい。待ってます。」
伊月さんは鬼の面具を付けた。
完全武装した鬼武者姿の伊月さんは、正直、酒呑童子よりも怖い。
「皆の者、行くぞ!」
「おー!」
私は伊月さんの後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
「この短期間でこれだけ書いたの? すごい!」
それは漫画部が完成させた最初のエピソードだ。
「試作を色々作ったんですが、やっぱり、那美先生が言ってた鬼武者の話が一番人気だったんです。夕凪ちゃんのご指導もあり、鬼武者の恋愛話にしてみました。」
―― ああ、夕凪ちゃんが指導したら絶対ラブストーリーになるよね。
「じゃあ、読んでみるね。」
「はい!」
漫画部の子たちが見守る中、私はできたてほやほやのマンガを読んだ。
鬼武者が魔獣討伐に行った村で、ある女の子と出会う。
大きな魔獣を次々に倒し、すごく強い鬼武者だけど、時々は怪我もする。
その日も、魔獣の鈎爪がかすり、小さな傷を作った。
魔獣の返り血をあびて、血まみれになって戦う鬼武者を恐れずに、その女の子は彼に近づき、傷の手当をしようとする。
鬼武者は初めての出来事に戸惑い、邪険に扱ってしまうが、その女の子に恋心を抱いてしまう。
二人は少しずつだけど会話をするようになる。
ある日その女の子が魔獣に襲われそうになり、危機一髪ということろで鬼武者が現れて女の子をかばう!
と、いうところでこの回は終わっている。
「えーーーー! 続きが気になる! この恋が実るのか、鬼武者が面具を取って素顔を見せるのか色々と気になる!!!」
「どうでしょうか?」
「いいよ! すごくいい! 何より、絵が綺麗で物語の世界にどっぷり浸かれる!」
私の反応を見て、漫画部の子たちが一斉に歓声を上げた。
「売れると思うんだけど、一旦売り始めたら、続きを書き続けなくちゃだよ。できそう?」
漫画部の子たちは一人残らず、出来ます! と声を張り上げた。
「もう版元には話しがついてるんですよ。 あとは那美様の了承を頂くだけです。」
と、お仙さんが言う。
手際が良すぎる。
「さっすが、お仙さん! じゃあ、さっそくこれを版元に持って行きましょう!」
「わーい!」
「あ、でも! ちょっと待って下さい。もう一人だけ、了承を得たい人がいます。」
「どなたですか?」
「鬼武者さん本人です。」
「え?」
私のこの発言には皆も驚いたらしく、鬼武者を知ってるんですか?と騒然となった。
―――
私はさっそく、伊月さんのお屋敷に行ってみた。
いつものように源次郎さんが客間に通してくれる。
「主は今、平八郎に稽古をつけております。呼んで参ります。」
「あ、いいえ。邪魔したくないので、終わるまで待ってます!」
私は源次郎さんを止めた。
「稽古の様子を御覧になりますか?」
「見たいです!」
源次郎さんに促されて縁側に出ると、庭の奥で対峙している平八郎さんと伊月さんを見つけた。
平八郎さんが先竹制の薙刀を持ち、伊月さんは竹刀を持っている。
平八郎さんが薙刀で伊月さんに打ちかかるけど、その長い薙刀が全然伊月さんに届かない。
すぐに間合いを詰められ、伊月さんが竹刀で胴を打つ。
「脇があまいぞ。重心を低くしろ。」
平八郎さんの体がよろつくも、ザっと地面を踏みしめて持ち直す。
「まだまだ!」
平八郎さんはまた負けじと向かっていくけど、何度やっても結果は同じだった。
―― 伊月さんって、本当に強いんだな。
「主は雨の日も風の日も嵐の日も、訓練を欠かしません。体は熊のようにでかいですが、速さは兎のごとしです。」
源次郎さんが自慢げに言う。
他の家臣同様、源次郎さんも伊月さんの強さに心酔しているようだった。
「あ!」
平八郎さんが思い切り、伊月さんの竹刀を打ち付けると、伊月さんが竹刀を落とした。
「あれはわざとでございますよ。油断をさせているのです。」
と、源次郎さんが小声で解説してくれる。
「主、今日こそ一本取ります! やあああ!」
伊月さんめがけて平八郎さんが切り込んでいく。
「わぁ!」
「え?」
一瞬何の出来事だったけど、伊月さんは腰に指していた扇子をさっと取り出し、それで平八郎さんの後頭部を打ったらしい。
その瞬間あっけに取られた平八郎さんに隙が出来て、伊月に足を取られた平八郎さんが盛大に地面に転がってしまう。
―― うっ…痛そう!
「今日はここまでだ。」
伊月さんがそういうと、源次郎さんも私も思わずパチパチと拍手した。
「主、さすがです。」
―― ふふふ。源次郎さんって伊月さんが大好きだよね。
「那美どの、来ておったのか。」
「あ、那美様!」
私はペコリと頭を下げると、二人はこちらに歩み寄った。
「那美様にお恥ずかしい所をお見せしました。」
平八郎さんが頭をかきながら言う。
「怪我はありませんか?」
「大丈夫です。」
「盛大にやられておったな。」
源次郎さんは笑っている。
「那美どの、ちょうど良かった。少し話がある。私の部屋へ。」
私は源次郎さんと平八郎さんにお辞儀をして、伊月さんの後に続いた。
―― 伊月さんの部屋はいつ来てもシンプルで綺麗だな。
何気なく伊月さんの部屋を見渡して、そこで、棚にあるものを見つけた。
―― あ!
それは、伊月さんの部屋にはまるで似合わないコン吉人形だった。
全体的に渋い感じの部屋に異様な可愛さを漂わせてコン吉人形が目立っている。
何だかちぐはぐな感じが面白いけど、大切に持っていてくれている事がとても嬉しい。
「何をニヤニヤしている?」
「あ、つい、嬉しくて。」
「嬉しい?」
「はい。コン吉人形、ちゃんと持っててくれたんですね。私も部屋に飾ってるから、本当にお揃いだなって思って。」
「そんな事で嬉しいのか…。」
それならば、と、伊月さんが、引き出しから小さな布に包まれている何かを取り出した。
「これも見てみるか?」
「何ですか?」
伊月さんが包みを開けると同時に覗き込む。
「え? これって!」
私は目を丸くした。
それは私が子供の時に大好きだったチョコレートのプラスチック包装だった。
「幼いそなたが私にくれた物だ。」
「こんな物、そんな布に包んで大切に取っていたんですか?」
「こんな物とは何だ。このような材質の物は尽世のどこを探しても見つからんかった。」
―― 探したんだ。
「あの菓子が旨すぎて、家臣に頼んで色々と探してもらったのだ。だが誰にも見つけられんかった。今思えば無理もないな。異界の物だったとはな。」
「私も、今でもチョコレートを無性に食べたくなる時があります。カカオさえ手に入ればなぁ。」
「かかお?」
「はい。チョコレートはカカオとお砂糖で出来てるんです。あとは、牛乳も入れたりします。」
ふむ…と伊月さんは何か考え込んでいるようだった。
「そういえば、何か話があるって言っていましたよね?」
「ああ。内藤の事だ。どのようにこの世界に来たかを詳細に聞いた。」
「話したんですか?」
「ああ。同じ異界から来たそなたがこちらで優遇されていること話した。今までは、自分が異界人だと言っても誰も信じなかったそうだ。だが、私が異界人の存在を信じ、優遇していることを伝えると、ペラペラと話しおった。」
伊月さんによると、やはりオババ様の見立て通り、内藤は私の異世界への移動に巻き込まれて、あの桜の木のうろに落ちたらしい。
でも、内藤がたどり着いたのは今よりも3年も前で、場所も江の国の北の果てで、山賊がウロウロしているような物騒な所だった。
こちらに来た時の持ち物は人を殺すための包丁とポケットに突っ込んだアメコミ一冊、財布、バタフライナイフ、という私には到底理解できない持ち物だったそうだ。
山賊に自分は魔術を使えるとうそぶいて、詐欺まがいの事をしつつ、何とか生き伸びた。
ある日、山賊がさらって来た女が欲しくなって色々と理由をつけ、儀式をするために女をくれと言った。
山賊が儀式を見守るというので、アメコミで読んだ方法をそのまま実行してみた。
すると、女の体から赤い気が出て、近くの石に宿った。
それがカムナリキだったことを内藤は後で知ったそうだ。
「そんな!あんな物語のやり方で出来ちゃったんですか?」
「ああ。」
「でも、あのアメコミで読んだ方法って、結構、いや、かなり、残酷でした。あんな事を女の人にしたんですか?」
「ああ。」
「ひどいです…」
「あの者はオババ様の言った通り、人殺しを愉しむ気の狂った者だ。女をいたぶり、何人も殺している。」
私はあまりの理不尽さに怒りで震えた。
伊月さんが私の背中をさすった。
「私はただ…那美どのが無事で、本当に良かったと思う。」
「伊月さん…」
「とにかく、内藤の件は、すぐに、かたがつくだろう。」
伊月さんは私が持ってきたマンガを見つける。
「ん…?それは?」
「あ、私、この事を聞きに来たんです。 伊月さんの了承が欲しくて。」
私は事の次第を話して、伊月さんに小雪ちゃんの絵を見せた。
怒られるかな、とも思ったけど、怒られはしなかった。
ただ、呆れられた。
「まったく女人が好きな事はわからぬ。これのどこが楽しいのやら。」
「鬼武者って、本物だけど架空の人物っていうか、そういう曖昧さ加減が物語にピッタリっていうか…」
「まったく…女人のことはわからぬ。」
伊月さんは眉をひそめながら絵を見ている。
「だが、架空の人物というのは言い得て妙だな。」
「え?どういう事ですか?」
「できれば私の軍が共舘の軍だと市中の者に知られたくないのだ。だからいつも面具をつけていたら、いつの間にか鬼武者という架空の人物ができていたのかもしれぬ。」
「知られたくないってどうして? 伊月さんほど戦果を上げていれば普通はもっと名前を広めたいって思いますよね。」
「共舘は亜国の将だ。」
―― そういうことか。
それはきっと伊月さんの本当のアイデンティティーと一致しないのだろう。
本当の伊月さん、伊国の王子、豊藤伊月と、亜国の将、共舘伊月は全然違う人物なんだ。
だからと言って、自分の本当の名前を言えない。
―― だから旗指物も真っ黒なんだな。
「亜国の将に戦果を取られるのが嫌なんですか?」
「ああ。癪に障るな。これから名を上げるのは伊国の豊藤だ。だからそれまでは鬼武者ってことでいい。」
伊月さんはニッと悪だくみをする少年のような笑みを見せた。
「とにかく、漫画のことは好きにしろ。 どうせ作り話と言うのは誰が見ても明らかだからな。」
「やったぁ。ありがとうございます。小雪ちゃんたちもきっと喜びます。」
「ところで、那美どの、旅が終わったら出かけるという約束を覚えているか?」
「はい。もちろんです。
「私は…」
伊月さんは、私の肩を抱いて、そっと自分の方に引き寄せた。
体が密着して鼓動が高鳴りだす。
「そたなを…」
伊月さんの大きな手が私の頬を包んで、上向かせる。
―― キス、される?
甘い期待に目を瞑ったその時、
「主! 失礼します!」
源次郎さんの大きな声が聞こえて、障子が開く。
私も伊月さんも同時にバッと体を離した。
「城門の東に魔獣が出たようで討伐に出向くように城の使者が伝令を寄越しました。」
「わかった。すぐに準備しろ。」
「は。」
すぐに伊月さんは甲冑を取り出し、着替え始めたので、私もそれを手伝う。
「堀を呼べ。いつもの編成で行く。 平八郎は留守を頼む。」
「承知!」
伊月さんと源次郎さんはあっという間に闘争準備を整えた。
正次さんをはじめ、武装した家臣たちも庭先に集まった。
「那美どの、明日までには戻ってくる。」
「気を付けて行って下さい。待ってます。」
伊月さんは鬼の面具を付けた。
完全武装した鬼武者姿の伊月さんは、正直、酒呑童子よりも怖い。
「皆の者、行くぞ!」
「おー!」
私は伊月さんの後ろ姿が見えなくなるまで見送った。