都からの帰りは行きとは違った道を通った。
宇の湯治場には行かずに、南に歩いて、海辺に出た。
―― ビーチだ!
尽世では、環境破壊という言葉がないのかというくらい自然がきれいだ。
今回、尽世で初めて見た砂浜も、ゴミ一つ落ちていない、サラサラの真っ白い砂浜だ。
伊月さんがこれからの予定を話してくれる。
「今日は船の上で一泊する。寝ながら移動できるので、上手く行けば、護衛隊の者たちには小休止になるかもしれない。」
「上手く行けばって?」
「波が荒れたり、海の魔獣が出る可能性もないわけではないからな。」
「そういう事ですね。」
空を見上げると、雲一つない青空だ。
波が荒れることはなさそうだな。
そこに砂浜を駆ける馬の蹄の音が聞こえた。
5人くらいの小集団が馬に乗ってこちらに駆けてくる。
「兄貴!」
その小集団の先頭を馬で駆けていた若い男の人が叫んだ。
日焼けした肌の精悍な感じのその人が伊月さんに手を振った。
「おぉ、阿枳、久しいな!」
伊月さんも手を振り返す。
阿枳と呼ばれたその人は下馬して伊月さんと肩を組んだ。
―― 兄貴って呼んでるけど、もしかして、兄弟? でも全然似てはないな。
本当の兄弟ではないにしても、伊月さんの家臣ではなさそうだ。
この二人がどんな関係なのか少し気になる。
そんな私を見て、阿枳さんが二っと笑った。
「もしかして、あんたが噂の那美さんか?」
「あ、はい。那美です。どうぞ宜しくお願いします。」
私はペコリと頭を下げた。
―― 噂のって、どんな噂なんだろ?
「兄貴もなかなかやるじゃねえか。ただの堅物だと思ってたが見直したぜ。」
阿枳さんが伊月さんの腕を肘でぐいぐいつついている。
伊月さんは、うるさいぞ、とだけ言った。
―― 仲がよさそうだな。
「兄貴、船の準備はできてるぜ。」
「助かる。こっちは予定通り、21人と馬が3頭だ。」
「了解!」
そういうと、阿枳さんたちは、私たちを船へと案内する。
「わぁー、結構大きいんですね!」
船は鉄製で、地下に厩や倉庫があり、上階に人が寝泊りできる小部屋があり、ちょっとしたフェリーだ。
時代劇で見るような人力で櫂をこぐタイプの船ではなさそうだ。
ふと、オババ様のカムナリキの気配がして、ピンと来た。
水石とオババ様のカムナリキで、自動で動く船だ。
こういうカムナリキの使い方もあるんだなぁと感動してしまう。
阿枳さんの案内で、私は船にある簡易的な部屋に通された。
小さいけど、布団を二組くらいは敷けるくらいのスペースはある。
「すぐに船出だ。甲板に出ても良いぜ。今日は風も穏やかで最高の航海日和だ。」
私は阿枳さんのオススメに従って甲板に出て歩いてみることにする。
カモメたちが海原を飛びかっていて、風に潮の匂いが混じっている。
―― 綺麗だなぁ。船に乗るのすごく久しぶり。
阿枳さんの言った通り、すぐに船が動き出した。
伊月さんの護衛隊の中には船に乗るのが初めての人もいるのか、おぉ、動いた、と歓声を上げている人もいる。
護衛隊の皆は何日も歩き続けていたし、都では夜も交代で私の周りの警護をしてくれていた。
船の上では特にすることもないし、歩かなくてもいいから、少しでも体を休めてくれたらいいな。
荷ほどきも少し落ち着いて、私は皆からもらった文をそっと紐解いた。
まずは夕凪ちゃんからの文。
『那美ちゃんへ
まず、私とオババ様は相変わらずの生活をしているよ。全然変わりない。でもいつもバタバタうるさくしてる那美ちゃんがいなくて家の中が静か過ぎる。吉太郎が那美ちゃんの焼く鳩せんべいを食べられなくてむくれているよ。帰ったら作ってあげてね。伊の国ではミノワ稲荷の所に行ったって言ってたね。あのミノワ稲荷ね、昔、私の大叔父にあたる刑部タヌキと恋仲だったんだって。』
―― 夕凪ちゃん、相変わらず恋バナ好きだなぁ
『それから、小雪ちゃんと漫画部の子たちが描いた漫画を見たよ。色々試作品を作ってたけど、やっぱり鬼武者の話が一番面白かった。』
―― え?小雪ちゃん、もう、そんなに色んな試作品を作っているの!?すごい!
『化けダヌキは、お守りが役に立って良かった。男って、本当に美女に弱いよね!』
次はオババ様からの文を開ける。
『那美、伊月とはもう一線を超えたか?』
―― な、何言ってるの? いきなり変態か!
『なかなか二人でゆっくり過ごすこともないだろうから、この機を逃すなよ。』
―― だから何の話!? オババ様!
次にお仙さんの文を開けた。
『那美様、
手習い所は滞りなくやっております。特に変わりがありませんが、漫画部は大いに盛り上がっております。皆で物語の案をだして、小雪ちゃんがそれを絵にします。他にも絵が得意な子が小雪ちゃんの指導の下、背景を描いたりしています。』
―― すごい、もうチームができてる!
『この事を城下町の版元に話してみたら、仕上がったらぜひ見たいと乗り気になっていました。』
―― お仙さん、版元に営業もしてるの? すごい!
―― ふふふ。楽しそうで何よりだな。
そして、最後に伊月さんからの文を開けた。
『那美どの
私もそなたと同じ気持ちでいる。すぐ近くにいるのに手を握ることもできずもどかしい。旅が終わったら、少し二人の時間を作りたい。良い所を知っているので一緒に行こう。』
相変わらず短い文だけど、それが伊月さんらしくて愛おしい。
―― 旅が終わったら伊月さんとデートできるんだ。嬉しい。
海の上はびっくりするほど静かで平和だった。
阿枳さんが言ったように今日は本当に絶好の航海日和だ。
船の上では、海原を眺めるか、食べるか、雑談するかくらいしかすることがない。
だから久しぶりにゆっくり流れる時間を楽しんだ。
阿枳さん率いる船員さんたちが、釣った魚をさばいてくれて、皆でご馳走になった。
皆で魚を食べていると、阿枳さんが私の隣に座った。
「魚は美味いか?」
「はい、とっても! ありがとうございます。」
「あんた、赤鬼を泣かせたんだってな?」
「え?」
「都でもっぱらの噂らしいぜ。」
「えええええ?」
「確かに酒呑童子、泣いてましたたけど、私が泣かせたって言うと語弊があるような…」
「いえ、あれは那美様が泣かせましたよ。」
すかさず横から清十郎さんが言って、護衛隊の皆がうん、うん、とうなずいた。
「でも、那美様は、意地悪で泣かせたのではありませんよ!」
平八郎さんがちょっとフォローしてくれるも、
「まぁ、鬼が泣いたのは本当ですが…。」
と、最後まではフォローしきれずにお茶をにごした。
「ははは! 面白え女だな、あんた!」
阿枳さんが豪快に笑う。
そこに、伊月さんが、魚を持ってやって来た。
「お、ナギの兄貴、釣れたか?」
「やっと一匹だ。そなたには敵わん。」
伊月さんが釣った魚を阿枳さんに見せた。
「あの、ナギって何ですか?」
「私の元服前の名だ。」
「へぇ。」
私、伊月さんのことで、沢山知らないことがあるな。
じゃあ、私が最初に出会った小さいころの伊月さんは豊藤ナギって名前だったのか。
今とはまるで別人みたいだな。
ということは、阿枳さんは伊月さんとは元服前から知ってるってことかな。
私が色々考えていると、自分で釣った魚を、伊月さんがきれいにさばき始める。
「伊月さんってお魚もさばけるんですか?」
「主は料理も得意ですよ。」
私は清十郎さんの言葉にびっくりする。
「えー? それ、知りませんでした。」
伊月さんってなんでも器用にできるよね。
「伊月さんって、できないことないんじゃ...」
運動神経抜群だし、勉強家だし、私の知る限り、お裁縫以外、家事も一通りこなせる。
「兄貴にも色々とできないこともあるぜ?」
阿枳さんが言った。
「主にも不得意なことはありますね。」
清十郎さんも言う。
「例えば、どんな事ですか?」
「詩を詠めませんね。都では東三条様が手ほどきをしていましたが散々でした。」
「えー私が知らない所で、そんなことしてたんですか?」
清十郎さんがうなずいた。
「茶の湯も苦手だな。」
阿枳さんが言った。
「兄貴の点てた茶は苦くて飲めたもんじゃない。茶器にも興味なくて目利きもできないしな。」
「歌も踊りもさっぱりです。芸事に関する才が、ほぼありませんね。」
清十郎さんがため息をもらした。
「そうなんですね。ふふふ。」
「そなたら、言わせておけば好き勝手言いおって。」
伊月さんがあきれたように言ってさばいた魚を持って来た。
そうやって皆でワイワイ言いながら船の上での時間はゆるやかに過ぎた。
宇の湯治場には行かずに、南に歩いて、海辺に出た。
―― ビーチだ!
尽世では、環境破壊という言葉がないのかというくらい自然がきれいだ。
今回、尽世で初めて見た砂浜も、ゴミ一つ落ちていない、サラサラの真っ白い砂浜だ。
伊月さんがこれからの予定を話してくれる。
「今日は船の上で一泊する。寝ながら移動できるので、上手く行けば、護衛隊の者たちには小休止になるかもしれない。」
「上手く行けばって?」
「波が荒れたり、海の魔獣が出る可能性もないわけではないからな。」
「そういう事ですね。」
空を見上げると、雲一つない青空だ。
波が荒れることはなさそうだな。
そこに砂浜を駆ける馬の蹄の音が聞こえた。
5人くらいの小集団が馬に乗ってこちらに駆けてくる。
「兄貴!」
その小集団の先頭を馬で駆けていた若い男の人が叫んだ。
日焼けした肌の精悍な感じのその人が伊月さんに手を振った。
「おぉ、阿枳、久しいな!」
伊月さんも手を振り返す。
阿枳と呼ばれたその人は下馬して伊月さんと肩を組んだ。
―― 兄貴って呼んでるけど、もしかして、兄弟? でも全然似てはないな。
本当の兄弟ではないにしても、伊月さんの家臣ではなさそうだ。
この二人がどんな関係なのか少し気になる。
そんな私を見て、阿枳さんが二っと笑った。
「もしかして、あんたが噂の那美さんか?」
「あ、はい。那美です。どうぞ宜しくお願いします。」
私はペコリと頭を下げた。
―― 噂のって、どんな噂なんだろ?
「兄貴もなかなかやるじゃねえか。ただの堅物だと思ってたが見直したぜ。」
阿枳さんが伊月さんの腕を肘でぐいぐいつついている。
伊月さんは、うるさいぞ、とだけ言った。
―― 仲がよさそうだな。
「兄貴、船の準備はできてるぜ。」
「助かる。こっちは予定通り、21人と馬が3頭だ。」
「了解!」
そういうと、阿枳さんたちは、私たちを船へと案内する。
「わぁー、結構大きいんですね!」
船は鉄製で、地下に厩や倉庫があり、上階に人が寝泊りできる小部屋があり、ちょっとしたフェリーだ。
時代劇で見るような人力で櫂をこぐタイプの船ではなさそうだ。
ふと、オババ様のカムナリキの気配がして、ピンと来た。
水石とオババ様のカムナリキで、自動で動く船だ。
こういうカムナリキの使い方もあるんだなぁと感動してしまう。
阿枳さんの案内で、私は船にある簡易的な部屋に通された。
小さいけど、布団を二組くらいは敷けるくらいのスペースはある。
「すぐに船出だ。甲板に出ても良いぜ。今日は風も穏やかで最高の航海日和だ。」
私は阿枳さんのオススメに従って甲板に出て歩いてみることにする。
カモメたちが海原を飛びかっていて、風に潮の匂いが混じっている。
―― 綺麗だなぁ。船に乗るのすごく久しぶり。
阿枳さんの言った通り、すぐに船が動き出した。
伊月さんの護衛隊の中には船に乗るのが初めての人もいるのか、おぉ、動いた、と歓声を上げている人もいる。
護衛隊の皆は何日も歩き続けていたし、都では夜も交代で私の周りの警護をしてくれていた。
船の上では特にすることもないし、歩かなくてもいいから、少しでも体を休めてくれたらいいな。
荷ほどきも少し落ち着いて、私は皆からもらった文をそっと紐解いた。
まずは夕凪ちゃんからの文。
『那美ちゃんへ
まず、私とオババ様は相変わらずの生活をしているよ。全然変わりない。でもいつもバタバタうるさくしてる那美ちゃんがいなくて家の中が静か過ぎる。吉太郎が那美ちゃんの焼く鳩せんべいを食べられなくてむくれているよ。帰ったら作ってあげてね。伊の国ではミノワ稲荷の所に行ったって言ってたね。あのミノワ稲荷ね、昔、私の大叔父にあたる刑部タヌキと恋仲だったんだって。』
―― 夕凪ちゃん、相変わらず恋バナ好きだなぁ
『それから、小雪ちゃんと漫画部の子たちが描いた漫画を見たよ。色々試作品を作ってたけど、やっぱり鬼武者の話が一番面白かった。』
―― え?小雪ちゃん、もう、そんなに色んな試作品を作っているの!?すごい!
『化けダヌキは、お守りが役に立って良かった。男って、本当に美女に弱いよね!』
次はオババ様からの文を開ける。
『那美、伊月とはもう一線を超えたか?』
―― な、何言ってるの? いきなり変態か!
『なかなか二人でゆっくり過ごすこともないだろうから、この機を逃すなよ。』
―― だから何の話!? オババ様!
次にお仙さんの文を開けた。
『那美様、
手習い所は滞りなくやっております。特に変わりがありませんが、漫画部は大いに盛り上がっております。皆で物語の案をだして、小雪ちゃんがそれを絵にします。他にも絵が得意な子が小雪ちゃんの指導の下、背景を描いたりしています。』
―― すごい、もうチームができてる!
『この事を城下町の版元に話してみたら、仕上がったらぜひ見たいと乗り気になっていました。』
―― お仙さん、版元に営業もしてるの? すごい!
―― ふふふ。楽しそうで何よりだな。
そして、最後に伊月さんからの文を開けた。
『那美どの
私もそなたと同じ気持ちでいる。すぐ近くにいるのに手を握ることもできずもどかしい。旅が終わったら、少し二人の時間を作りたい。良い所を知っているので一緒に行こう。』
相変わらず短い文だけど、それが伊月さんらしくて愛おしい。
―― 旅が終わったら伊月さんとデートできるんだ。嬉しい。
海の上はびっくりするほど静かで平和だった。
阿枳さんが言ったように今日は本当に絶好の航海日和だ。
船の上では、海原を眺めるか、食べるか、雑談するかくらいしかすることがない。
だから久しぶりにゆっくり流れる時間を楽しんだ。
阿枳さん率いる船員さんたちが、釣った魚をさばいてくれて、皆でご馳走になった。
皆で魚を食べていると、阿枳さんが私の隣に座った。
「魚は美味いか?」
「はい、とっても! ありがとうございます。」
「あんた、赤鬼を泣かせたんだってな?」
「え?」
「都でもっぱらの噂らしいぜ。」
「えええええ?」
「確かに酒呑童子、泣いてましたたけど、私が泣かせたって言うと語弊があるような…」
「いえ、あれは那美様が泣かせましたよ。」
すかさず横から清十郎さんが言って、護衛隊の皆がうん、うん、とうなずいた。
「でも、那美様は、意地悪で泣かせたのではありませんよ!」
平八郎さんがちょっとフォローしてくれるも、
「まぁ、鬼が泣いたのは本当ですが…。」
と、最後まではフォローしきれずにお茶をにごした。
「ははは! 面白え女だな、あんた!」
阿枳さんが豪快に笑う。
そこに、伊月さんが、魚を持ってやって来た。
「お、ナギの兄貴、釣れたか?」
「やっと一匹だ。そなたには敵わん。」
伊月さんが釣った魚を阿枳さんに見せた。
「あの、ナギって何ですか?」
「私の元服前の名だ。」
「へぇ。」
私、伊月さんのことで、沢山知らないことがあるな。
じゃあ、私が最初に出会った小さいころの伊月さんは豊藤ナギって名前だったのか。
今とはまるで別人みたいだな。
ということは、阿枳さんは伊月さんとは元服前から知ってるってことかな。
私が色々考えていると、自分で釣った魚を、伊月さんがきれいにさばき始める。
「伊月さんってお魚もさばけるんですか?」
「主は料理も得意ですよ。」
私は清十郎さんの言葉にびっくりする。
「えー? それ、知りませんでした。」
伊月さんってなんでも器用にできるよね。
「伊月さんって、できないことないんじゃ...」
運動神経抜群だし、勉強家だし、私の知る限り、お裁縫以外、家事も一通りこなせる。
「兄貴にも色々とできないこともあるぜ?」
阿枳さんが言った。
「主にも不得意なことはありますね。」
清十郎さんも言う。
「例えば、どんな事ですか?」
「詩を詠めませんね。都では東三条様が手ほどきをしていましたが散々でした。」
「えー私が知らない所で、そんなことしてたんですか?」
清十郎さんがうなずいた。
「茶の湯も苦手だな。」
阿枳さんが言った。
「兄貴の点てた茶は苦くて飲めたもんじゃない。茶器にも興味なくて目利きもできないしな。」
「歌も踊りもさっぱりです。芸事に関する才が、ほぼありませんね。」
清十郎さんがため息をもらした。
「そうなんですね。ふふふ。」
「そなたら、言わせておけば好き勝手言いおって。」
伊月さんがあきれたように言ってさばいた魚を持って来た。
そうやって皆でワイワイ言いながら船の上での時間はゆるやかに過ぎた。