牛車を出て、私はびっくりした。
もう少しで迎賓宮に着く、という所で、酒呑童子と八咫烏さんが道をふさいでいる。
迎賓宮からも騒ぎを聞きつけた伊月さんの護衛隊が出てきた。
おろおろする東三条さんや武官たちの前に出て、伊月さんが抜刀した。
そのまま、刃を酒呑童子に向ける。
「伊月、待て、刀をしまえ。」
八咫烏さんが、伊月さんを手で制する。
「八咫烏、その者は昨夜、那美どのの寝所に入り込み、那美どのを攫おうとしたのだぞ! なぜ庇いだてする?」
「俺は那美に話があって来たのだ。お前に用はない。」
酒呑童子がふてぶてしい態度で伊月さんに言う。
「私はお前に用がある。昨夜の那美どのへの非礼な行為、とうてい許されぬ。男として片をつけたい。一対一、決闘を願い出る。」
私が慌てて止めようとするその前に、八咫烏さんが言った。
「伊月、落ち着け。都では私闘は禁じられている。それに、酒呑童子は那美と話がしたいだけだ。ひと時、時間をやれ。もう勝手に迎賓宮に忍び込んだり、那美が一人の時に近づかぬと、起請文を書かせた。」
八咫烏さんが鬼の花押つきの起請文を見せた。
「伊月さん、ひとまず私と話があるそうなので、話しをさせてください。」
私は、伊月さんの刀を持つ手をきゅっとにぎった。
伊月さんはため息をついて、刀を下した。
「今日は八咫烏と那美どのに免じて時をやる。話をするなら、ここでしろ。」
酒呑童子は素直にうなずいた。
「それで、話ってなんですか?」
私は酒呑童子をまっすぐに見た。
「俺の嫁になれ。」
「お断りします。」
「そ、即答すぎるだろ! しかも冷静か!もうちっと考えるか、びっくりするとか、何か、もっと反応しろ!」
あたふたとする酒呑童子に、伊月さんを始め、護衛隊の皆がしらけた目を向けている。
「俺が鬼だからか? 醜いからか?」
「いやいやいや、鬼とか醜いとか以前に、そもそもそんなプロポーズで女の人が落ちると思うのがおかしいでしょう?」
「ぷ、ぷろ? 何だ?」
「求婚という意味です。」
これには、八咫烏さんも、護衛隊の皆も、うんうん、とうなずいている。
「お前、その前に那美を口説いたのか?」
八咫烏さんが、酒呑童子に聞くと、「酒を一緒に飲もうと誘った」と、答える。
それを聞いて、八咫烏さんが、はぁぁぁと大きくため息をついた。
酒呑童子はまた私を見て、「俺の口説き方が悪かったのか?」と、聞いた。
「いや…口説かれてるって全然知りませんでした…。」
「か、金ならあるぞ。屋敷もでかい。いい暮らしをさせてやる。」
「いや、別にそういうの良いです。」
「じゃあ、断る理由は何だ? 俺のことがそんなに嫌な理由を教えろ。」
私は少し、苛立っていた。
せっかく牛車の中で伊月さんといい感じだったのに…。
しかも酒呑童子のせいで、昨夜も今も大騒ぎだし、護衛の人たちも休まらない。
それに、しっかり断ったのに、結構しつこい。
―― ああ、もう、いい加減にして!
私は酒呑童子の前に仁王立ちになった。
「酒呑童子は女が自分の思い通りにならないと無理矢理さらって酒の相手をさせると言いましたね。」
「そうだ。」
「そして自分が醜いから女にモテないと思い込んでいます。」
「そうだ。」
「だから女は無理矢理さらわなければ仕方ないと思ってるんですか。」
「そうだ。」
「それは間違いです。酒呑童子が女にモテない理由は生まれ持った見た目じゃありません。」
「だが、見た瞬間に誰もが泣き叫び、話もできんぞ。」
「そりゃ、そんな金棒持ってるからでしょうがぁ!」
「か、金棒のせいか?」
「そんな物騒な物もって歩いているガタイのいい人がいたら、どんなイケメンでも警戒するでしょ!」
「イケメン?」
「見目麗しい男という意味です。」
「そ、そうなのか…。」
「まず、その、俺は強いぞっていうアピール…主張するような身なりをやめて下さい。ガラ悪すぎです!それだけでいきなり泣かれる確率は1割減ります。」
「お、おう。でも、1割か...」
「自分では醜い醜いって言ってるけど、顔はそんな言うほど醜くないですよ。ただ、もっと身綺麗にすればいいんです。」
「何?」
「髪も整えず、ボサボサですし、だいたい、上半身裸で腰巻一つとか、ワイルドすぎて、それも怖がられる理由の一つです。しかも、その虎柄の腰巻はダサすぎて本当にありえないから。大阪のおばちゃんじゃないんだし!」
「わいるど? おおさか? よく分からんが、虎柄かっこいいと思ってた。」
「きちんと着物を着て、身なりを整えて、筋肉をみせるならチラ見せくらいがいいです。そうすれば、いきなり泣かれる確率があと2割くらい減ると思います。」
「お、おう。そ、そうなのか?」
酒呑童子は八咫烏さんの方を向いて、意見を仰ぐように見た。
「正論だ。」
八咫烏さんが私の言葉にお墨付きを与えた。
「とにかく、酒呑童子の一番の問題は、生まれつきの見た目のせいと決めつけ、自分の身辺を整える努力をしないことです。
努力をしないで、酒ばかり飲んで、女の人の気持ちを考えず、安易に人をさらうから、余計に悪い噂が立ってこわがられるんです。身なりを整え、少しずつでも、周りの人に優しくしてください。そうしたら、怖がられることも少なくなります。」
「分かった。俺が酒をやめて、努力して、身ぎれいになって、人さらいをやめたら那美は俺の嫁に来るのか。」
「来ません。」
「ま、また即答か! なぜだ?」
「私には心に決めた人がいます。それに、酒呑童子は私の事を好きだと勘違いしてるだけだと思うからです。」
「勘違い? どういうことだ。」
「私が酒呑童子を恐れずに普通に話すからそれが珍しいだけで、私の事を本当に好きじゃないと思うんです。もし私より若くてかわいいピチピチの女の子が、怖がらずに寄ってきて、酒呑童子さま素敵♡とか言ったら、絶対そっちになびきます。」
「う...。」
「とにかく、私には好きな人がいて、その人以外は眼中にありません。分かったら、もう私につきまとうのはやめて下さい。」
私は、踵を返して、伊月さんの方に向かって歩き始めた。
「ま、待て、那美。もう一つだけ。」
「何ですか?」
「た、確かに若い女がそんな風に寄ってきたら拒む自信はないが、今この時点で那美に心底惚れているのは事実だ。それは否定するな…。」
酒呑童子はそういうと、涙をにじませた。
「そ、そんな泣かなくても…」
酒呑童子は、こらえられなくなったのか、うめき声を上げて本格的に泣き始めた。
「じゃ、じゃあ、お気持ちだけ受け取ります。でも、本当にもう、付きまとわないで下さい。」
「那美、待ってくれ…。」
その瞬間、酒呑童子は私の手を取ろうとしたが、伊月さんが私を引き寄せ、背中に隠した。
「酒呑童子、しつこいぞ。お前も男ならメソメソ泣くな。」
伊月さんが諭すように言った。
八咫烏さんが見かねたように、酒呑童子の肩に腕を回した。
「酒呑童子、もう気が済んだだろ? 今夜は俺が付き合うから、飲むぞ。」
八咫烏さんは、私達に、騒がせてすまなかったなと言って、酒呑童子を連れたまま飛んで行った。
二人の姿が見えなくなると、護衛隊の人がわっと歓声を上げた。
「いやー鬼の頭領と悪名高い酒呑童子が泣いておりましたなー!」
「鬼も那美様には敵いませんでしたね。」
「しかしあの酒呑童子が切実に恋心を告白していましたな。」
「鬼といえども失恋の痛みには耐えれなかったようですな。」
と、わいわい言っている。
伊月さんは一人、複雑そうな顔をしていた。
私もちょっと複雑な気持ちだった。
酒呑童子はあの見た目のせいで今まで沢山の拒絶を味わったんだろう。
「那美様」
東三条さんとトヨさんが歩み寄って来た。
「とんだ者に好かれてしまいましたね。でも、酒呑童子があのように辛抱強く人と話ができるとは知りませんでした。那美様のお陰で新たな発見がありました。」
東三条さんが言う。
「あの、お騒がせしてすみませんでした。それから、今日はとても楽しかったです。本当にありがとうございます。」
「那美様も、共舘様も、今夜は鬼の襲来も御座いませんので、どうぞ、ごゆっくりお休みください。明日は帝への謁見ですので、またお忙しくなります。」
トヨさんが言った。
「お気遣い、ありがとうございます。」
伊月さんもお礼を言った。
私達は東三条さんとトヨさんに何度もお礼を言って迎賓宮に帰った。
迎賓宮ではお風呂の準備がしてあり、相変わらず、女官が手際よく寝る準備を手伝ってくれる。
手際が良すぎて、護衛の人たちと話したり、伊月さんと話したりする時間もなく、お風呂場から寝所へと連れて行かれる。
今夜は隣の部屋に伊月さんが泊まっているということもあり、私の寝所の扉を閉めていい、という事になったらしいことを女官が教えてくれた。
―― 良かった。伊月さんも今夜はお布団でしっかり寝れそうだな。
それにしても、酒呑童子にちょっときつく言い過ぎたかな。
あんなに泣いちゃうなんて思いもよらなかった。
これを機に人さらいをやめてくれたらいいんだけど。
私はそんなことを考えながら、眠りについた。
今日は帝に拝謁する日ということで、それはもう、たくさんの着物を着させられた。
何枚重ねるんですか?っていうほどに、女官たちは着物を私の体に重ねに重ねまくった。
「お美しいですよ。」
女官たちはどこか嬉しそうだ。
―― う、動きにくい!
私はゆっくりと伊月さんたちの待っている迎賓宮の門まで歩く。
一応オババ様から帝拝謁の作法は習ったけど、それでも心配だなぁ。
「お待たせいたしました。」
外に出ると、正装をした伊月さんが見えた。
―― 何それ、ヤバい。カッコいい。
伊月さんは直垂に侍烏帽子姿で、初めて見る装束だった。
何を着ててもかっこいいとか、どういうこと?
ゆっくりしか動けない私の手を取って、伊月さんは輿までエスコートしてくれた。
「那美どのは何を着ても可愛いな...」
輿に乗る瞬間、とても小さな声で伊月さんがボソっとつぶやいた。
私も伊月さんにかっこいいって言いたかったのに、もう、隊を率いて、出発の号令をかけている。
―― ずるいなぁ。
―――
護衛隊と一緒に宮殿に着くと、東三条さんとトヨさんが出迎えてくれて、すぐに帝にも拝謁できた。
帝は30代後半くらいに見える、上品さを具現化したような人だ。
「汝が異界から来た巫女、那美か?」
「はい。帝に拝謁でき、光栄です。」
「日ノ本から来たと聞いた。さらにタカオ山でオババ様の巫女として働いておるとも聞いた。」
「その通りです。」
「始皇帝の来られた世から来て、始皇帝の愛されたオババ様の元におるとは何とも縁を感じるな。」
タマチ帝国の始皇帝はオババ様の恋仲だったイケメンの元武将、重治さんだ。
「さて、これよりしばらく、そなたのいた日ノ本について色々と聞きたい。人払いをせよ。」
帝の言葉に従い、部屋には私だけ残された。
帝は、始皇帝がここに来て以来、日本がどういう風に変わったのか聞いた。
始皇帝がこの尽世に来たのが500年前くらいだから、私は戦国時代から江戸時代までの日本の歴史を大まかに説明した。
「戦がなくなったとは驚きだ。戦がなくなると国はどのようになるのか。」
帝と私は、丸一日をこういう話しをするのに費やして、日暮れが近くなってから人を呼び戻した。
そして、帝は庭先に控えていた伊月さんを呼んだ。
「迎賓宮に酒呑童子が出たと聞いた。迎賓宮の武官の長、大内の働きはいかに。」
「強力な妖術を使う酒呑童子の侵入を防ぐことは誰にとっても難しいことで御座います。多少の改善の余地があったとしても、大内様の非では御座いません。さらには大内様は私のような下々の武士にも意見を求め、迎賓宮の警護の改善に勤めておられます。大変ご立派にお勤めをされております。」
伊月さんは迎賓宮の武官長を庇ったようだった。
帝は頷いて、大内に咎め無しと言った。
「那美、よき時間を過ごした。礼を言う。また明日も同じ時刻に参内せよ。」
帝が去っていった。
―― つ、疲れたぁ。
私は重い着物を脱ぎ捨てて、大の字に寝転びたい衝動にかられた。
でもそうはいかなかった。
夜は夜で、迎賓宮でもてなしの宴を受けた。
宴が終わり、皆が湯あみを済ませたころ、八咫烏さんがフラっと戻って来たらしく、隣の部屋で伊月さんたちと何やらワイワイ話していたようだった。
私も会話に加わりたいけど、私の周りには女官がたくさんいて、いつも伊月さんたちとのグループからは少し距離を離されている。
宮廷のしきたりで、割と厳重に男女の区域が分けられている。
―――
次の日、私はまた同じように沢山の着物を重ね着して、参内した。
帝は私が都にいる間にできるだけ沢山の事を聞きたかったらしく、また丸一日かけての問答会だった。
とはいえ、これが都最後の日、明日は朝から出発するから、我慢だ。
と、思った瞬間、帝から、
「もう一日滞在を延長しろ。」
と言われてしまった。
「また明日も同じ時刻に参内せよ。」
―― き、きついよぉぉぉ。
そして夜はいつも宴だった。
みんな優しくて、美味しいものも食べさせてくれるけど、なかなか疲れがとれず、少しホームシックになっていた。
そして何より、深刻な伊月さん不足に陥っていた。
すぐ近くにいるのに、常に誰かが回りにいて、伊月さんとゆっくり話せていない。
伊月さんが格好良すぎて、胸キュンが止まらないのに、かっこいいですって伝えられなくて苦しい。
―― そうだ!
私は、都滞在の初日に鬼に邪魔されて書けなかった伊月さんへの文を書くことにした。
『伊月さんへ、
都では毎日美味しいものが食べれて、着飾って、とっても雅な生活ができるけど、あまり自由がない事が苦しいです。
特に、自由に伊月さんに話しかけたり、触れたりできないのが一番辛いです。
伊月さんの直垂と侍烏帽子の正装がとっても格好よくって、毎日ドキドキしているのに、それを伝えられないのも辛いです。
那美』
そして次の日、この文を、輿までエスコートしてくれる伊月さんにこっそり渡した。
また宮廷での丸一日かけての問答会がはじまった。
帝は私に定期的に文を寄こし、タカオ山周辺の情報を提供するように言い含めた。
そして、この日の謁見の最後に、私に位階と役職をくれる、という。
「皆の者、よく聞け。」
帝は皆の前で宣言した。
「那美を従四位上に叙し、参与に任ずる。」
参与は相談役といった感じの役職だ。
私は、『従四位上に叙する』と、でかでかと書かれた紙を受け取った。
―― 良かった。終わった。
これ以上滞在を延長するように言われなくて、少しほっとする。
帝はとてもいい人だけど、さすがに毎日これでは疲れる。
贈位の礼が終わって迎賓宮にもどり、最後の宴が催された。
―― いよいよ明日は出発か。
また都には参内のためにではなく、観光に来たいなと思った。
今回の旅行はお仕事のために来たから、少ししか観光できなかったけど、見どころはまだまだ沢山ありそうだよね。
東三条さんに連れて行ってもらった商店街で買った観光案内の本を見た。
写真がなくて全部文字だけの説明だけど、行ってみたい所が満載だ。
―― いつかお仕事じゃなくて、完全に休暇で旅行とかしてみたいな
そんなことを考えながら、私は眠りについた。
―――
いよいよ都を出発する朝、朝餉を終えて、出発の準備を始めた私のもとに、女官がやってきて、文をくれた。
―― あ、夕凪ちゃんとオババ様とお仙さんからのお返事だ!
堅苦しい都の雰囲気から解放される喜びと、お返事が来たことで、一気に気分があがった。
―― 道中、ゆっくり読もう。
私も旅装に着替えて、護衛隊の元に行く。
「皆さん、おはようございます。また帰りの道中も宜しくお願いします。」
私が挨拶すると、皆も挨拶してくれて、平八郎さんが私の荷物を馬に乗せてくれる。
そこに武官長の大内さんが来て、伊月さんに深々と頭を下げた。
「帝へお口添え頂いたと聞きました。酒呑童子が入ったというのに、何のお咎めもありませんでした。何とお礼を言っていいか。」
―― ふふふ。ここでも仲間を増やしてるな。
東三条さんも、トヨさんも見送りに来てくれた。
私達は迎賓宮の官人たちにお礼を言って出発した。
私は皆が見えなくなるまで手を振った。
都の最南の朱雀門を出ればもう都の外だ。
門を出る前に伊月さんが
「那美どの、いつか自分で馬に乗りたいと言っていたな。」
と、聞いた。
コクリと頷くと、私が教えてやるといって、平八郎さんに馬をもってくるように言いつけた。
平八郎さんが隊の後ろで引かれながら歩いていた馬を黒毛の横に並べた。
栗色の毛並みが綺麗な少し小ぶりの馬だ。
「馬の名前は栗毛という。」
―― やっぱりネーミングセンスがそのまま...。
―― 〇〇栗毛みたいにもうちょい特徴を付けてもいいのに。
伊月さんが基本的な馬への乗り降りの仕方を教えてくれた。
指導に従ってゆっくり馬に乗ると、私の姿勢を正し、手綱の持ち方、基本的な扱い方を教えてくれる。
そして、栗毛の馬銜にもう一本紐を付けて、伊月さんはその紐を持ったまま、自分は黒毛に乗った。
「何かあれば私が引いてやるので安心しろ。」
「ありがとうございます。」
そして、その瞬間、伊月さんが、「那美どの、受け取れ」と言ってさっと文をくれた。
―― 返事を書いてくれたんだ!
嬉しくなって伊月さんを見ると、「あとで読め」と短く言った。
黒毛に乗った伊月さんと栗毛に乗った私が並んで歩き出すと隊の皆もそれに続いた。
また伊月さんの近くにいれる。
私は隣で颯爽と黒毛を操る伊月さんを見ながらうっとりする。
「そろそろタカオ山が恋しくなったか?」
「はい。オババ様や夕凪ちゃんに会いたいです。でも、この旅が終わるのも少し寂しいですね。」
「そうだな。護衛隊の者たちも楽しんでいたようだ。」
「そうなら良かったです。伊月さんは楽しかったですか?」
「ああ、楽しかった。このように物見遊山で旅したのは初めてだ。いつもは戦でしか亜の国を出ないからな。」
この旅でも戦う場面が結構あったのに、伊月さんにしてみれば物見遊山のレベルなんだな。
遠征ではずっと野宿だし、ずっとずっと危険な目に合うんだよな。
そろそろ宇の国境に差し掛かるという頃、バサバサと、大きな羽音が聞こえた。
「あ、八咫烏さんが...と、あれ?」
伊月さんが馬をとめると、護衛隊の皆も歩みを止める。
「しゅ、酒呑童子?」
八咫烏さんと一緒に現れたのは、すっかり様変わりした酒呑童子らしき鬼だった。
伊月さんが刀の鞘に手をかけるのを、八咫烏さんが制する。
「別れを言いに来ただけだ。」
「那美…。」
「しゅ、酒呑童子? 見違えましたね!」
酒呑童子は髪をさっぱり切り、眉を整え、恐ろしく伸びていた鈎爪も綺麗に切りそろえている。
虎柄の腰巻の代わりに質のいい着流し姿で、襟元をすこし緩めて筋肉をチラ見せしている。
そして、金棒の代わりに腰に刀をさしている。
今まで裸足だったけど、今日は足袋も草履もはいていて、フォーマルな場所に行っても十分通用しそうだ。
肌も心なしかツヤツヤになったような気がする。
―― もしや八咫烏さんのコーディネート?
「お前の言ったとおりだった。この姿にしてから、人々があまり恐れなくなった。」
「それは良かったです。」
「女をさらうのもやめた。そのかわり、八咫烏が女の口説き方を教えてくれると言った。」
「ふふふ。頑張って下さいね。」
「那美、タカオ山まで気を付けて行け。」
「ありがとうございます。酒呑童子も幸せになってね。」
酒呑童子はまるで別人みたいに、素直にコクリとうなずいた。
「気が変わったら、俺の所に嫁に来い。いつでも、いい暮らしをさせてやる。」
「気持ちだけ、ありがたく受け取ります。」
「じゃあ、気をつけてな。」
「酒呑童子もね。」
「そろそろ、行くぞ。」
八咫烏さんが、また、酒呑童子を連れて飛び立とうとする。
その瞬間、酒呑童子が伊月さんをまっすぐに見て言った。
「お前だけは気に入らない。お前の申し込んだ決闘を、いつか、必ず受けてやるから、その日まで腕を磨いておけ。」
「望むところだ。」
「余計なことを言わずに、ほら、さっさと行くぞ。」
八咫烏さんは、さっと飛び立った。
酒呑童子が私に手を振ったので、私も手を振った。
酒呑童子は姿が見えなくなるまで、ずっとずっと手を振っていた。
あやかしは基本、自由気まま、本能のまま生きている。
だけど、あまり自由にふるまいすぎて、人や他のあやかしに迷惑をかけすぎると、痛い目にあうこともある。
時々痛い目に合いながら、自分の欲望との折り合いをつけ、他のあやかしや人間と共存していく術を身に着けていく。
だけど、酒呑童子は力が強すぎて、あまり、痛い目に合ったことがなかった。
だから思い通りにならない事があると、暴れれば解決した。
欲しい物があると、奪えば済んだ。女もそうだった。
貴族の娘をさらった時にはさすがに大事になって武将たちに殺されかけたが、それ以外には、身寄りのない女をさらう分にはこれと言った問題が起きなかった。
だから、このところ、やりたい放題だった。
―― 俺が少しお灸を据えてやらねばな
そう八咫烏が思っていたところ、その必要がなくなった。
代わりに酒呑童子にお灸を据えたのは那美だった。
失恋して見苦しく泣きわめく鬼をなだめ、八咫烏が酒呑童子の屋敷に連れ帰ると、そこには酒呑童子が今までに攫ってきた16人の妻がいた。
「お前、さすがに、やりすぎだろ…。」と、八咫烏はドン引きする。
気になる女を攫ってきて、部屋を与え、飽きたらその女からは足が遠のいてしまう。
そして、また次の女を攫ってくる。
そういう生活を何百年も続けているみたいだった。
飽きられてしまった妻たちにも、新しくさらわれてきた妻たちにも、それなりに良い暮らしをさせているみたいだったし、妻たちも、身寄りがなく乞食同然に生きてきた者たちがほとんどで、逃げ出そうとは思わないみたいだった。
そこに愛情があるかどうかは謎だが、むしろ酒呑童子の経済支援には感謝しているという感じだった。
酒呑童子は八咫烏のことも、他の妻たちのことも眼中にないというように、グスグス泣いている。
「いい加減、泣き止め。」
「うぅぅぅ。」
これまで、女はただの欲望のはけ口とだけ思っていたのだろう。
その代わり、住むところと、飯と、金品を与えれば大人しく自分に従う、それが女だと思っていたようだ。
話しを聞けば、自分が飽きて女の寝所に行かなくなっても、特に文句も言わない。
寿命の短い人間の女はやがて年老いて死んでしまう。
だから、また若いのを攫ってくる。
女はいればいるだけ、身辺の世話をする者が増えるので、財力が許す限り攫って来て養っておく。
そういう生活だったらしい。
―― それなのに、那美には本気で惚れてしまったのか。
きっと力づくでやれば、那美のことも攫ってこられただろう。
でもそうしなかった。
無理強いをして、那美に嫌われることを恐れたからだ。
「俺は、那美の心が欲しいんだ…。うぅぅぅぅ。」
今では惚れた女にふられた、ただの情けない男になっている。
「那美はいい匂いがするだろ?」
「…ああ、する。」
「あれは、あいつの強いカムナリキのせいだと思う。」
「そ、そうか…。俺も、雷を当てられた。あれは、衝撃だった。」
酒呑童子は、雷の気を当てられたらしい自分の手をさすって、切なそうな顔をした。
―― き、気色悪いぞ!
八咫烏はまた、ドン引きしながらも、今回オババ様に言いつけられたことを思い出す。
各地を回って、暴れまわるあやかしや野獣の話を聞き、鎮めてくること。
手が付けられぬ者にはお灸を据えることも、改心の見込みがある者には教え導くことも神使の仕事だ。
手ひどく那美にお灸を据えられた鬼には、まさしく改心するチャンスが来ている。
「お前、那美に認められるような男になりたくないか?」
「なりたい。」
「よし、では、那美が言っていたことを実行するぞ。」
「ど、どうするのだ?」
「身なりを整える。妻たちを全員、呼べ。」
「お、おう?」
酒呑童子は16人の妻を全員集めた。
若いのから年寄りまで勢ぞろいだ。
―― 一応年を取った妻を捨てないのは褒めてやるが…
八咫烏は少し複雑な気持ちを押し込めて、女たちに言った。
「酒呑童子の身なりを変えるので、手伝ってほしい。お前たちも自分の亭主がかっこよくなると嬉しいだろ?」
女たちに手伝わせて、酒呑童子の体を洗い、髪の毛を切った。
爪も切りそろえて、女好きのするような着物を着せ、金棒を没収した。
「そもそも武器なぞなくても強いのに、なぜわざわざこのヘンテコな金棒を持っている?」
「かっこいいと思っていた。」
「趣味が悪すぎる。虎柄も今後禁止だ!」
妻たちの勧めで、眉も整え、香も焚き込めた。
16人の妻のうちの若い女たちの中には、酒呑童子の見違えた姿に頬を赤らめている者もいた。
「なかなかだな。よし、街に繰り出すか。」
試しに、酒呑童子を連れて、花街に繰り出してみる。
「俺がいると女が寄ってくるから、お前ひとりで歩いてみろ。」
「本当のことだが、自分で言ってるから、無性に腹が立つ。」
酒呑童子は恨みがましく八咫烏をにらみつつ、でも、言われるがままに、一人で花街を歩いてみる。
通りすがる時に、びくっとして、警戒する者はいたが、以前のように、酒呑童子の姿を一目見て、叫びながら逃げ出す者は誰もいなかった。
「よし、大いなる進歩だな。」
八咫烏は満足した。
酒呑童子もびっくりした。
「や、八咫烏! に、人間に、泣き叫ばれなかった!」
酒呑童子は嬉しそうに、 大はしゃぎで八咫烏に言った。
何かを努力することで、結果が出る、ということが初めての経験だった。
「よし、ではこれから、お前に女の口説き方を教える。」
「な、何故だ?」
「そうすれば、無理矢理に女を攫わなくても、向こうの方から女が寄って来るからだ。」
「そ、そんなことができるのか?」
「当たり前だ。お前も嫌々一緒にいられるより、いかにもお前に惚れているといったような惚けた目で近寄ってこられた方が嬉しいだろう?」
「そ、そんなことは経験がないから、わからんが、たぶん、嬉しい。」
「よし。まずは、自分の妻を口説き落とせ。一番見込みのある、何と言ったか、お静という女からだ。それができないなら新しい女を口説くのは無理だからな。自分から妻の寝所に行くのではなく、今夜は自分の寝所に来てほしいと妻に言わせてみろ。」
「で、できるのか? そんなことが?」
「時間がかかるが、できる。やってみたいか?」
「やってみたい!」
こうして、長期戦になるであろう、八咫烏の指導が始まった。
「伊月にも教えたことのない手練手管だぞ。ありがたく思えよ。」
「伊月というのは、あの、那美にべったりくっついている侍のことか?」
「ああ。」
「あいつは那美の男なのか?」
「ああ。」
「あ、あいつだって相当な悪鬼顔だぞ!」
「そうだ。だから、お前のことを醜くないと言った那美の言葉はうそじゃないだろう。」
「お前も俺が醜くないと思うか?」
「俺には正直、男の美醜などわからん。単刀直入に言うが、俺以外の男は皆、醜く見える。」
「お前な…。何か、イラっとするな…。」
「とにかく、それでも、那美は俺にはなびかなかった。俺ような美しい顔が好みじゃないらしい。珍しい女だ。」
「そ、そうか…。」
「それに、那美は伊月に…」
なぜか八咫烏は言い淀み、青ざめた顔をして、ブルっと身震いをした。
「何だ、言えよ。」
「那美は伊月に、伊月のことが可愛いと言ったそうだ…。」
「何だと???」
「この前、伊月が自慢げに言ってきた。」
「あの男が可愛いだと!?」
酒呑童子も赤鬼なのに、青ざめた顔をして身震いをした。
「とにかく、伊月のような男を可愛いと思って惚れる女もいる、ということだ。」
酒呑童子は複雑そうな顔をした。
「そういう女が、この世にいるのか。」
「いるぞ。時々、ものすごーーく、稀だが、俺のような眉目秀麗な男には目もくれなず、逆に伊月やお前のような男になびく女がいるのだ。お前も希望を持っていい。」
「お、おう。」
何とか落ち着きを取り戻した酒呑童子を屋敷に戻し、妻に対する接し方のいろはを再指導して、八咫烏は、伊月たちのいる迎賓宮へと戻った。
伊月たちに酒呑童子の現状を話す。
「あの、悪鬼め!16人も妻がいるのに、そのうちの一人に那美どのを加えようとは!無礼千万!万死に値する!」
伊月は予想通りの反応だった。
面倒くさいので放っておいて、八咫烏は大鬼の恋模様を面白がっている護衛隊の隊員たちに、酒呑童子の豹変ぶりを話して聞かせる。
隊員たちは八咫烏が酒呑童子に伝授したという女の口説き方を聞きたがったので、少しだけ教えてやる。
伊月はいかにも興味なさげに、部屋の隅の文机で仕事をしていたが、きっと聞き耳は立てているだろう。
―― 全く、素直じゃないやつだな。
伊月は酒呑童子に苛立ってはいるものの、ものの見事に那美にフラれた鬼に多少の同情をしていたようだった。
同じ男として、惚れた女にフラれるであろう痛みは容易に想像できるだろうから。
―― しかし、伊月の恋敵はあの大鬼と、この無邪気な小鬼か。
八咫烏は楽しそうに笑いながら清十郎と話をしている平八郎をちらりと見た。
源次郎が言ったように、最近は那美のことを吹っ切れているみたいではあった。
今回の旅に出る前に、源次郎と堀が、新しい出会いをと思い、色々女を紹介していたのだが、那美を超える存在にはまだ出会えていないようだ。
―― 伊月も苦労が絶えんなぁ。まあ、俺にとっては面白いし、からかい甲斐があるからいいが。
八咫烏は部屋の隅で黙々と仕事をする伊月の後ろ姿を哀れみをたたえた目で見た。
都からの帰りは行きとは違った道を通った。
宇の湯治場には行かずに、南に歩いて、海辺に出た。
―― ビーチだ!
尽世では、環境破壊という言葉がないのかというくらい自然がきれいだ。
今回、尽世で初めて見た砂浜も、ゴミ一つ落ちていない、サラサラの真っ白い砂浜だ。
伊月さんがこれからの予定を話してくれる。
「今日は船の上で一泊する。寝ながら移動できるので、上手く行けば、護衛隊の者たちには小休止になるかもしれない。」
「上手く行けばって?」
「波が荒れたり、海の魔獣が出る可能性もないわけではないからな。」
「そういう事ですね。」
空を見上げると、雲一つない青空だ。
波が荒れることはなさそうだな。
そこに砂浜を駆ける馬の蹄の音が聞こえた。
5人くらいの小集団が馬に乗ってこちらに駆けてくる。
「兄貴!」
その小集団の先頭を馬で駆けていた若い男の人が叫んだ。
日焼けした肌の精悍な感じのその人が伊月さんに手を振った。
「おぉ、阿枳、久しいな!」
伊月さんも手を振り返す。
阿枳と呼ばれたその人は下馬して伊月さんと肩を組んだ。
―― 兄貴って呼んでるけど、もしかして、兄弟? でも全然似てはないな。
本当の兄弟ではないにしても、伊月さんの家臣ではなさそうだ。
この二人がどんな関係なのか少し気になる。
そんな私を見て、阿枳さんが二っと笑った。
「もしかして、あんたが噂の那美さんか?」
「あ、はい。那美です。どうぞ宜しくお願いします。」
私はペコリと頭を下げた。
―― 噂のって、どんな噂なんだろ?
「兄貴もなかなかやるじゃねえか。ただの堅物だと思ってたが見直したぜ。」
阿枳さんが伊月さんの腕を肘でぐいぐいつついている。
伊月さんは、うるさいぞ、とだけ言った。
―― 仲がよさそうだな。
「兄貴、船の準備はできてるぜ。」
「助かる。こっちは予定通り、21人と馬が3頭だ。」
「了解!」
そういうと、阿枳さんたちは、私たちを船へと案内する。
「わぁー、結構大きいんですね!」
船は鉄製で、地下に厩や倉庫があり、上階に人が寝泊りできる小部屋があり、ちょっとしたフェリーだ。
時代劇で見るような人力で櫂をこぐタイプの船ではなさそうだ。
ふと、オババ様のカムナリキの気配がして、ピンと来た。
水石とオババ様のカムナリキで、自動で動く船だ。
こういうカムナリキの使い方もあるんだなぁと感動してしまう。
阿枳さんの案内で、私は船にある簡易的な部屋に通された。
小さいけど、布団を二組くらいは敷けるくらいのスペースはある。
「すぐに船出だ。甲板に出ても良いぜ。今日は風も穏やかで最高の航海日和だ。」
私は阿枳さんのオススメに従って甲板に出て歩いてみることにする。
カモメたちが海原を飛びかっていて、風に潮の匂いが混じっている。
―― 綺麗だなぁ。船に乗るのすごく久しぶり。
阿枳さんの言った通り、すぐに船が動き出した。
伊月さんの護衛隊の中には船に乗るのが初めての人もいるのか、おぉ、動いた、と歓声を上げている人もいる。
護衛隊の皆は何日も歩き続けていたし、都では夜も交代で私の周りの警護をしてくれていた。
船の上では特にすることもないし、歩かなくてもいいから、少しでも体を休めてくれたらいいな。
荷ほどきも少し落ち着いて、私は皆からもらった文をそっと紐解いた。
まずは夕凪ちゃんからの文。
『那美ちゃんへ
まず、私とオババ様は相変わらずの生活をしているよ。全然変わりない。でもいつもバタバタうるさくしてる那美ちゃんがいなくて家の中が静か過ぎる。吉太郎が那美ちゃんの焼く鳩せんべいを食べられなくてむくれているよ。帰ったら作ってあげてね。伊の国ではミノワ稲荷の所に行ったって言ってたね。あのミノワ稲荷ね、昔、私の大叔父にあたる刑部タヌキと恋仲だったんだって。』
―― 夕凪ちゃん、相変わらず恋バナ好きだなぁ
『それから、小雪ちゃんと漫画部の子たちが描いた漫画を見たよ。色々試作品を作ってたけど、やっぱり鬼武者の話が一番面白かった。』
―― え?小雪ちゃん、もう、そんなに色んな試作品を作っているの!?すごい!
『化けダヌキは、お守りが役に立って良かった。男って、本当に美女に弱いよね!』
次はオババ様からの文を開ける。
『那美、伊月とはもう一線を超えたか?』
―― な、何言ってるの? いきなり変態か!
『なかなか二人でゆっくり過ごすこともないだろうから、この機を逃すなよ。』
―― だから何の話!? オババ様!
次にお仙さんの文を開けた。
『那美様、
手習い所は滞りなくやっております。特に変わりがありませんが、漫画部は大いに盛り上がっております。皆で物語の案をだして、小雪ちゃんがそれを絵にします。他にも絵が得意な子が小雪ちゃんの指導の下、背景を描いたりしています。』
―― すごい、もうチームができてる!
『この事を城下町の版元に話してみたら、仕上がったらぜひ見たいと乗り気になっていました。』
―― お仙さん、版元に営業もしてるの? すごい!
―― ふふふ。楽しそうで何よりだな。
そして、最後に伊月さんからの文を開けた。
『那美どの
私もそなたと同じ気持ちでいる。すぐ近くにいるのに手を握ることもできずもどかしい。旅が終わったら、少し二人の時間を作りたい。良い所を知っているので一緒に行こう。』
相変わらず短い文だけど、それが伊月さんらしくて愛おしい。
―― 旅が終わったら伊月さんとデートできるんだ。嬉しい。
海の上はびっくりするほど静かで平和だった。
阿枳さんが言ったように今日は本当に絶好の航海日和だ。
船の上では、海原を眺めるか、食べるか、雑談するかくらいしかすることがない。
だから久しぶりにゆっくり流れる時間を楽しんだ。
阿枳さん率いる船員さんたちが、釣った魚をさばいてくれて、皆でご馳走になった。
皆で魚を食べていると、阿枳さんが私の隣に座った。
「魚は美味いか?」
「はい、とっても! ありがとうございます。」
「あんた、赤鬼を泣かせたんだってな?」
「え?」
「都でもっぱらの噂らしいぜ。」
「えええええ?」
「確かに酒呑童子、泣いてましたたけど、私が泣かせたって言うと語弊があるような…」
「いえ、あれは那美様が泣かせましたよ。」
すかさず横から清十郎さんが言って、護衛隊の皆がうん、うん、とうなずいた。
「でも、那美様は、意地悪で泣かせたのではありませんよ!」
平八郎さんがちょっとフォローしてくれるも、
「まぁ、鬼が泣いたのは本当ですが…。」
と、最後まではフォローしきれずにお茶をにごした。
「ははは! 面白え女だな、あんた!」
阿枳さんが豪快に笑う。
そこに、伊月さんが、魚を持ってやって来た。
「お、ナギの兄貴、釣れたか?」
「やっと一匹だ。そなたには敵わん。」
伊月さんが釣った魚を阿枳さんに見せた。
「あの、ナギって何ですか?」
「私の元服前の名だ。」
「へぇ。」
私、伊月さんのことで、沢山知らないことがあるな。
じゃあ、私が最初に出会った小さいころの伊月さんは豊藤ナギって名前だったのか。
今とはまるで別人みたいだな。
ということは、阿枳さんは伊月さんとは元服前から知ってるってことかな。
私が色々考えていると、自分で釣った魚を、伊月さんがきれいにさばき始める。
「伊月さんってお魚もさばけるんですか?」
「主は料理も得意ですよ。」
私は清十郎さんの言葉にびっくりする。
「えー? それ、知りませんでした。」
伊月さんってなんでも器用にできるよね。
「伊月さんって、できないことないんじゃ...」
運動神経抜群だし、勉強家だし、私の知る限り、お裁縫以外、家事も一通りこなせる。
「兄貴にも色々とできないこともあるぜ?」
阿枳さんが言った。
「主にも不得意なことはありますね。」
清十郎さんも言う。
「例えば、どんな事ですか?」
「詩を詠めませんね。都では東三条様が手ほどきをしていましたが散々でした。」
「えー私が知らない所で、そんなことしてたんですか?」
清十郎さんがうなずいた。
「茶の湯も苦手だな。」
阿枳さんが言った。
「兄貴の点てた茶は苦くて飲めたもんじゃない。茶器にも興味なくて目利きもできないしな。」
「歌も踊りもさっぱりです。芸事に関する才が、ほぼありませんね。」
清十郎さんがため息をもらした。
「そうなんですね。ふふふ。」
「そなたら、言わせておけば好き勝手言いおって。」
伊月さんがあきれたように言ってさばいた魚を持って来た。
そうやって皆でワイワイ言いながら船の上での時間はゆるやかに過ぎた。
すっかり日が暮れたころ、阿枳さんが、船の中に簡易風呂があるというので、湯浴みもさせてもらえた。
夜になったら2つの月が海の上に反射して、4つに見える。
―― 何て、幻想的な風景なんだろう。
護衛隊の皆が少し離れた所でお酒を飲んでいる。
明るい月の下で、皆の楽しそうな様子に心が和む。
―― そろそろ寝ようかな。
「那美どの、海は好きか?」
海に浮かぶ月を眺めていると、後ろから大好きな人の声がした。
嬉しくて、サッと振り向く。
「大好きです! 伊月さんは?」
「あぁ。子供の頃はよく泳いでいた。」
伊月さんはそっと私の手を取った。
「ここからなら、誰にも見えない。」
そういって目くばせすると、指をそっと絡めた。
久しぶりに伊月さんに触れられて、いつも以上に鼓動が速くなるのを感じた。
「伊月さんにずっと触れられなくて、寂しかったです。」
「な、那美どのは、その思ったことをそのまま言う癖をどうにかした方がいい。」
「す、すみません。」
私は自分が言ったことが急に恥ずかしくなってうつむいた。
「いや、やはり、どうにかしなくていい。」
「え?」
「やはり、那美どのの思ったことをそのまま聞きたい。いや、だが、耐えられるかどうか…」
「どっちですか? ふふふ。」
「船の上では久しぶりに楽しそうに笑っているな。」
伊月さんはそういって、海風に吹かれて顔にかかった私の髪を、そっと耳にかけてくれる。
「都では疲れているようだった。」
「少し疲れていました。毎日、帝に沢山質問されて、毎日重い着物を着て、沢山お化粧して、おしとやかにしてなくちゃいけなくて、結構つらかったです。」
「ははは。那美どのらしいな。」
「私が帝と問答会をしていた時、皆さんは何をしていたんですか?」
「貴族の余興に呼ばれていた。蹴鞠をしたり、歌会に参加させられたり、色々だ。」
「そっかぁ。だから詩の手ほどきを受けていたんですね。」
「ああ。それに貴族たちから舞を所望されたが、私ができぬので、代わりに清十郎が舞った。」
「ああ、だから、清十郎さん、あんなにため息をもらしていたのですね!」
伊月さんが笑って、あいつには悪いことをしたなと言った。
「私、伊月さんの事、まだまだ知らないことが沢山あるんだなぁって思いました。」
「私とて、那美どののことは知らないことの方が多い。」
伊月さんが繋いだ手を持ち上げて、私の指先にキスを落とした。
「これから少しずつお互いを知っていけばいい。」
「そうですね。でも、私、また、伊月さんの秘密を知っちゃった気がします。」
「何か、ばれたか?」
伊月さんは驚いたように、でも、嬉しそうに言った。
「それで、今回、分かったことは何だ?」
「伊月さんのビジネス...商売です。」
「おぉ、さすが那美どのだな。私が商売をしていると、どうしてバレたのかな。」
「荷物です。伊月さんが皆に運ばせていた荷が宇の湯治場で、けっこう減ってました。そして、都でも減りました。それで、宇と都で何か商売をしていたのかなって思ったんです。そこでお金が入る見込みがあったから兵五郎さんにもあんな大金をあげたのかなって。」
「だいたい合っている。宇の湯治場周辺で稼げる見込みがあったから、兵五郎に金子と食料を渡した。」
「都では違うんですか?」
「都の貴族たちには物を献上しただけだ。貴族とは名ばかりで、財を持っていないものが多い。しかし貴族には人脈があるからな。」
「なるほど、だから貴族たちの歌会なんかに参加していたんですね。」
「貴族に賂を渡している私を蔑むか?」
伊月さんは、すこし苦しそうな顔をした。
そういう事をする自分を一番嫌だと思っているのは伊月さんなのかもしれない。
「賂と言わずにロビー活動って言うといいと思います。」
「ろびー??」
「とにかく、それもこれも、伊月さんの大きな志のためでしょう? 清十郎さんが言ったように、その志が達成できれば、皆が飢えなくても生きていける世が来るかもしれないじゃないですか?」
伊月さんは、小さくため息をついて海を見た。
しばらく何か考えていたみたいだったが、やがて私の顔を覗き込む。
「それで、私のやっている商売がどんな商売か分かったのか?」
「貿易ですか?」
「おお。そうだ。その通りだが、何故わかったか聞いてもいいか?」
「貿易だと思った理由はいくつかあります。一つは、前に伊月さんが私にくれた差し入れです。」
「差し入れ?」
「私がまだ尽世に来てすぐのころ、伊月さんが私に色々差し入れをくれましたよね?着物とか、お菓子とか、お裁縫箱とか。」
「ああ、そういう事もあったな。」
「あの中に、ジャム・・・果物の砂糖煮や、モフモフの襟巻があったんですが、ああいった物って、亜国の城下町でも、伊の宿場町でも、宇の湯治場でも見かけませんでした。かなり手に入りにくい物ですよね? 外国から買わないと手に入らないんじゃないですか? だから外国と貿易をしていると思いました。」
「参ったな。その通りだ。」
伊月さんが頭の後ろをポリポリとかいた。
「それで、もう一つの理由は?」
「この船です。タマチ帝国を移動するだけにしては、この船は大きすぎる気がします。だから海外に行くために作られた船かなって思いました。それに、阿枳さんは家臣でも、ただの舟渡しでも、本物の兄弟でもなさそうだし、きっと一緒に商売をする仲間じゃないかなと思ったんです。それで、この船で新たな荷物を積んで亜に持ち帰るんじゃないかと。」
「そうだ。」
伊月さんがうん、とうなずく。
「阿枳は昔、海賊をしていたんだが、色々あって、今は一緒に商売をする仲間だ。」
於の国で山賊をしていた兵五郎さんたちを仲間にしてしまった伊月さんを思い出す。
きっと似たようないきさつなのかもしれない。
「この海のずっとずっと向こうに、李という大陸がある。タマチ帝国とはくらべものにならんくらい大きな陸だ。」
「貿易相手は大陸の国々ですか?」
「ああ。亜と伊の国主の目を盗んでコソコソとせねばいかんから、まだ規模は小さいが、それでも、なかなかに利を生んでいる。資金源が多いに越したことはない。人材を得るには金がいるからな。」
遠くの海原で魚がはねて、月の光が魚の背に当たり、キラキラ光った。
「やっぱり伊月さんってすごい人ですね。武人としてもすごい才があるのに、商売の才もあるなんて。」
伊月さんは私の頬をそっと撫でた。
「だが、歌はできんし、舞も、茶の湯もさっぱりだ。これは貴族たちと渡り合うにはいささか難儀だ。」
私の頬を撫でる伊月さんの手の上に自分の手を重ねた。
「その代わり、貴族たちが、見たこともない珍品奇貨を外国から買い付けて、それを献上できる人は、なかなかいないんじゃないですか?」
伊月さんはニッと笑った。
「その通りだ。あと、蹴鞠も得意だったぞ。」
「ふふふ。それは容易に想像できますね。」
「私にとっては那美どのの方がすごい人だと思う。」
「私が?」
伊月さんはしばらく何も言わず、ただ私の頬を撫で続けた。
「すごいと感心することが多々ある。私がやっていることも易々と見抜いたし。あの鬼のこともそうだ。大悪党として名を馳せる酒呑童子を恐れず、力にも頼らず、言葉で制してしまった。」
「あ、いや、あれは…。」
「那美どのは、誠、面白き人だ。」
そういって、私の頬を撫でていた指を顎にすべらせて、今度は私の顎を少し上向けた。
―― な、何?
「だが、正直に言うと、妬けた。」
「え?」
次に伊月さんの親指が私の唇をそっと撫でた。
その瞬間、言い知れない感覚が体中を走った。
「那美どのが酒呑童子の告白を馬鹿にせず、奴をきちんと一人の男として扱っていたからだ。」
そう言いながら、伊月さんは、キョロキョロと辺りを見回した。
そして、身をかがめて、一瞬だけ、私の唇を奪った。
チュっと音を立てて、唇が離れると、伊月さんの顔を引き寄せて、もう一度口づけをしたくなる衝動にかられる。
「い、伊月さん、いつも、急にそういうことして、困ります。」
「嫌か?」
「嫌じゃなくて、嬉しいから、困るんです。」
「はぁ。」
伊月さんはため息をつきながら、私の両手をこっそり取ってキュッと握った。
「そ、そういう可愛いことを言う那美どのがいけないのだ。」
そういうと、伊月さんは、また、周りを確認して、口づけた。
今度はもっと長くて、もっと深くて、甘い口づけだった。
日の出とともに、船が於の国の港に着いた。
港に着くとすぐに、兵五郎さんたちの率いる一隊が浜辺に待機しているのが見えた。
6日前に、宇の国境付近で別れた時よりも、随分と顔色が良くなっている。
「共舘様と巫女様のお陰で、村を立て直せております。雨ごいのおかげで、畑の土も回復しているようです。ご指示の通り、新しい井戸を掘りました。」
「私が腕を切り落とした者はどうしておる?」
「お見立ての通り、まだ熱がひきません。」
「完全に安定するのに3ヶ月から半年はかかる。辛抱強く傷口の手当をし続けるんだ。定期的に薬を送る。」
「はい。ありがとうございます。」
―― この短期間に村は随分と変わったみたいだな。
「さっそくだが、荷駄を伊の国境まで運ぶのを手伝ってもらう。そこで伊にいる私の手の者にも会わせる。」
「はい。」
私たちは兵五郎さんの連れてきた人たちを合わせ、50人以上の大きな集団になった。
荷物の量も随分と増えていた。
阿枳さんが、「兄貴、またな。」と、伊月さんに別れを告げている。
私も、お礼を言った。
「阿枳さん、お魚美味しかったです。ありがとうございました。」
「ああ。那美さん、また会おうな。」
阿枳さんは少し顔を寄せて、耳打ちする。
「ナギの兄貴はあの通り、堅物だが、宜しく頼むぜ。」
私は阿枳さんに笑ってうなずいた。
随分大きくなった私たちの一隊は、元山賊を仲間に加えたからか、山賊に襲われることもなく、昼前には無事に伊の国境付近に来た。
とある山の中にある、大きなお寺で、伊月さんは護衛隊に休憩を言い渡した。
そのお寺には伊月さんの「手の者」と言われる人たちが待っていて、兵五郎さんたちと面会をしたようだった。
兵五郎さんたちが手伝って、阿枳さんの船から運んだほとんどの荷物は、伊月さんの「手の者」に引き継がれ、私たちの隊はまた身軽になる。
兵五郎さんたちは、また伊月さんから金子を受け取り、何度も何度も感謝を伝えながら帰って行った。
私たちはまた元の21人の護衛隊になった。
阿枳さんといい、兵五郎さんといい、お寺で待っていた『手の者』といい、亜の国主の目の届かないところで、伊月さんに協力する人たちがこんなにも沢山いるのには驚く。
こういう人材ネットワークも、きっと長い長い時間をかけて築かれたものなんだろう。
―― 私、とんでもない人のこと好きになっちゃったんだな。
―― やっぱり、好き。
まだ夕日が見える時刻には伊と亜の国境付近に来た。
少し先にタカオ山が見えてきた。
「船を使うと、あっという間に着きましたね。」
「そうだな。ちょうど阿枳が李からタマチ帝国に帰ってきたところだったから運が良かった。」
私は習いたての乗馬を練習するために、伊の国に入ってから、ここまでずっと栗毛に乗って来た。
馬に乗る恐怖心が薄らいで、伊月さんとお話ししながら黒毛と並んで進めるのがとても楽しくなってきたところだった。
「もうこの旅が終わりだって思ったら少し寂しいです。」
「旅装を解いて、少し落ち着いたら、改めて二人で会おう。」
「良いところがあるって言ってましたね。」
私は伊月さんの書いてくれた文を思い出して期待に胸が踊った。
「ああ。まだ秘密だ。」
「楽しみです。」
「今夜は少し遅くなるが、タカオ山を通り過ぎて、まずは亜の国主に帰還の報告をしようと思う。」
「はい、わかりました。」
「それで、城で皆を解散させる。それでその後だが…」
「はい。」
「私の屋敷に泊まっていけ。」
「え?」
「そのままタカオ山に帰ると夜中になるだろうから、オババ様を起こすととんでもないことになる。」
「あ...。そうですね。」
オババ様は寝起きがものすごく悪い。
夜中に途中で起こしてしまったら、どんな災害が亜の城下町に及ぶか分からない。
それに、伊月さんの屋敷は亜のお城から近い所にある。
せっかくお家にすぐに帰れる所まで来て、また私をタカオ山まで送らせるわけにはいかないな。
「で、では、今夜、お世話になります。」
とは言ったものの、
―― も、もしかして、これって、初めてのお泊りってやつ?
とはいえ、伊月さんのうちには源次郎さんも平八郎さんもいるから、たぶん、そういうことにはならないと思うけど。
でも、でも、一体どこで寝るのかな?
客間?客間だよね?
私の考えを読んだかのように、伊月さんが言う。
「その…、別に、やましい気持ちはない。寝所も別に用意する。」
「あ、…はい。」
―― 確かに一瞬焦ったけど、いきなり、そういうことはないって全否定しなくても良くない?
何故か心のどこかで少しがっかりしている自分がいた。
―― 別に期待しているわけじゃないんだけど!
「タカオ山へは、明日、私が送っていく。」
「はい。ありがとうございます。」
とは言え、もう一晩、伊月さんと一緒に過ごせると思うと嬉しかった。
――――
亜のお城に着いたのはすっかり夜更けだった。
「時間も時間だし、どうせ、生田は私たちの帰還に興味もないから、出てこないだろう。」
という伊月さんの言葉通り、役人によって、事務的に帰還報告書にサインさせられた。
「那美どのの署名はここに。あと、叙位されたことも、新しい役職も報告してほしい。」
「あ、はい。」
私が従四位上に叙せられたこと、帝の参与になったことを書き込むと、それまでダルそうに対応していた役人が、態度を改めたのが分かった。
―― うわぁ。あからさまの権威主義で引くわぁ。
報告を終えて、お城を出ると、伊月さんが、護衛隊に解散を命じた。
「皆さん、本当にお世話になりました。今日はご家族と久しぶりにごゆっくりお過ごし下さい。」
私が頭を下げると、皆も、一人ずつお別れの挨拶に来てくれた。
「那美様、本当に楽しい旅でございました。」
「機会があれば、また武勇話をいたしましょうね。」
隊員たちは、伊月さんにも挨拶をして一人ずつ帰路についていった。
清十郎さんも、「それでは、私もこれで。」と、言ったので、お礼を言って見送った。
「さて、私たちも帰るか。」
伊月さんと平八郎さんと一緒に、伊月さんの屋敷に戻ると、懐かしい顔が出迎えてくれた。
「主、那美様、お帰りなさいませ。」
「源次郎さん、お久しぶりです!」
「留守はどうだったか?」
「何事も滞りなく、ご心配されるようなことはありません。」
「よし。」
「湯の準備も食事の準備もございますが、どうしますか。」
「先に飯にしよう。さっきから那美どのの腹がなっている。」
「す、すみません…。」
隊員さんたちが解散したあたりで、私のお腹の虫が盛大に鳴いた。
「ははは。只今食事をお持ちします。」
恥ずかしくてうつむいていると、平八郎さんが私の顔を覗き込んだ。
「恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ。那美様のお腹の音は可愛らしいです。」
「そ、そんな頑張ってフォローしなくてもいいですよ。」
「ふぉろ?」
私のお腹の虫のせいで、旅装を解く前に、夕食となった。
「んー、このお煮しめ、味が染みてて美味しいです。」
「那美様の料理にはかないませんが、褒めて頂いて良かったです。」
久しぶりに見る源次郎さんは、この家を一人で任されていたからか、少しだけ貫禄がついたように思えた。
「それにしても、那美様は従四位上に叙せられたそうですね。」
「でも、それがどういうことなのか、私にはさっぱりです。今までと何も変わらないですよ?」
「亜の国主も従四位上ですよ。生田様と同じお立場です。」
「そ、そうなんですか?」
伊月さんを見ると、伊月さんが大きく頷いた。
「ああ。これで、国主も那美どのにやすやすと手を出せまい。」
源次郎さんが付け足す。
「暗殺はできなくなりましたね。帝の参与であるというなら、なおさらです。」
従四位上に叙すって、でかでかと書いてある紙を受け取っただけなのに、生田から命を狙われにくくなるという効果があるなんてびっくりだ。
もしかして、それを見越してオババ様も伊月さんも、この旅に行くように進言したのかな。
そういう事とは知らずに帝との問答会が辛いって文句言ってた自分が浅はかで恥ずかしいな。
「因みに主は無位ですから、那美様にはますます頭が上がりませんね。」
「え?」
源次郎さんが笑って言った。
「私が那美どのに頭が上がらないのは元々だ」
伊月さんが言う。
「そ、そんな、まるで私が伊月さんのこと尻に敷いているような…」
「そうではないのですか?」
源次郎さんが、ニヤっと、口の端を釣り上げて笑った。
「まさしくその通りだ。」
「い、伊月さんまで!」
私たちが軽口を言い合っていると、はぁぁぁ、と、平八郎さんの大きなため息が聞こえた。
「へ、平八郎、どうした?」
源次郎さんが心配そうに言った。
「私は主と那美様がとてもうらやましく思います。いつも仲睦まじく、相思相愛です。主も那美様のような方から尻に敷いてもらえるのは幸せですねぇ。」
「え?」
私は平八郎さんの意外な反応にどう答えていいか分からなかった。
いつになく真剣な表情で言うから、冗談を言っているようにも見えなかった。
「へ、平八郎、お前も長旅で疲れただろう。そろそろ、部屋で休め!」
源次郎さんが平八郎さんが食事を終えているのを確認して、部屋に促す。
「あ、でも片付けを…」
「いや、いい。片付けは私がやるから、ほら、旅装を解いてゆっくりしろ。」
「で、では、お先に失礼します…。」
「あ、平八郎さん、お休みなさい。旅の間、本当にありがとうございました。」
「いえ、那美様のお供が出来て、幸せでした。お休みなさい。主、先に失礼します。」
「ああ、ゆっくり休め。」
半ば強引に源次郎さんが平八郎さんを引っ張って連れて行ってまた戻って来た。
「片付けは私がします。主も那美様も湯殿にどうぞ。」
「那美どの、後は源次郎に任せて私たちも旅装を解こう。」
伊月さんは私の手を取って廊下に促がした。
「湯殿には湯帷子を二組置いております。」
「お、気が利くな、源次郎。」
伊月さんが嬉しそうに言った。
「げ、源次郎さん、ありがとうございます。御馳走様でした!」
伊月さんに引っ張られながら、私は湯殿に連れて行かれた。
「なんか、ずるいです!」
源次郎さんが作ってくれたご飯を食べた後、伊月さんは私の手をひいて、湯殿に連れて行った。
湯殿には湯帷子が二つ用意してあった。
伊月さんのと、もう一つ、女性用の湯帷子だ。
「源次郎の好意をむげにはできぬからな。一緒に入ろう。」
と、伊月さんは言った。
「なぁに、湯帷子を着ていれば何も見えん。心配するな。」
とも言った。
「お互いが湯を浴び終わるのを待たずともよいから、時間の短縮にもなるだろう。」
などと言った。
「もう夜も更けているから、さっさと二人で入って寝る準備を始めた方がいい。」
「うぅぅぅ。わ、わかりました!」
私は観念して、一緒にお風呂に入ることを了承した。
「でも、着替える時と、体を洗う時はこっちを見ないで下さいよ?」
「わ、わかった…。」
伊月さんはシュンとした顔をした。
「そ、そんな可愛い顔をしても騙されませんから!」
「か、可愛い?」
「あ、つい。心の声が...。」
「そ、そうか... 私が那美どのの体を洗ってやっても良いのに。」
「け、結構です。」
「私の体は…」
「背中だけで良ければ流しますよ。」
「それはいいのか?」
「...はい、まあ、それくらいはいいです。」
「そうか。」
伊月さんはやけに嬉しそうな顔をした。
―― どうしよう。伊月さんが可愛い…。
伊月さんは約束通り、私が体を洗って湯帷子を着るまで、こちらを見なかった。
だから、私も約束通り、伊月さんの背中を流す。
伊月さんは筋肉隆々の背中を私に向けて、座っている。
「し、失礼します。」
泡のついたヘチマたわしで伊月さんの背中を洗い始める。
「あぁ。心地よいな。」
―― そっちはリラックスしているみたいだけど、私はドキドキだよ!
大きな背中、引き締まった腰回り、どこをどう見てもカッコいい。
私の目の前で裸になってるっていうのに、堂々としていて、目のやり場に困る。
―― 背中には傷がないんだな。
伊月さんは胸元や二の腕に切り傷みたいのがいくつかある。
背中はツルツルだ。
―― 肌もすごくきれい。って、私、何考えてるの!
ドキドキしながらも、背中を洗い、お湯をかけて、泡を流す。
「那美どのの背中も流さなくていいか?」
「い、いえ、それは遠慮しておきます。」
「そうか…。気持ちいいのに。」
「お、終わりましたから、湯帷子を着て下さい!」
―― お願い、目のやり場に困るから、早く着て。
伊月さんは言われるがままに湯帷子を着て湯舟に浸かった。
「ほら、ここに座れ。」
そして、伊月さんが自分の膝をポンポンと叩いた。
「え?」
フリーズしている私に伊月さんがたたみかけた。
「我が家の湯舟はそんなに広くないからな。他に座るところはないぞ。」
「な、何か、ず、ずるいです。」
お湯の中で、伊月さんのひざに乗れって?
私にはハードルが高すぎる。
「ほら、湯冷めするまえに、もう観念して、座れ。」
ええい。もう、なるようになれ。
「じゃ、じゃあ、失礼します。」
私はおずおずと湯舟に浸かって伊月さんの膝の上に座る。
伊月さんの腕が私のお腹に周って、顎が肩についた。
「お、重くないですか?」
「重くない」
伊月さんの低い声が私の耳元を震わせた。
「なぜ震えている。」
「それは…」
「それは?」
「伊月さんが私の耳の近くで話すから…です」
「ここがくすぐったいのか?」
チュっと水音を立てて、伊月さんは私の耳にキスをした。
「ひゃっ」
「ここはどうだ?」
次に耳たぶを優しく噛んだ。
「あっ、だ、だめです…」
「なぜだ」
そして耳の輪郭を舌先でそっと舐めた。
「あっ…やっ」
身をよじると、伊月さんは私の耳にキスをするのを止めた。
その代わりに両手で抱きすくめられ、伊月さんは私の肩に顔を埋めた。
「はぁ、那美どののその声は耳に毒だな。」
「い、伊月さんのせいじゃないですか。」
「そうか、私のせいでそのような声が出るのか。」
伊月さんがニヤリと笑った。
―― あ、伊月さんに意地悪モードのスイッチが入ってる。
「も、もしかして、こんな事をするために、一緒にお風呂に…」
「そういう下心がなかったと言えば嘘になるが、時間短縮になるのは事実だろう。」
「そ、そうですけど…。」
「それに、二人で景色を楽しみたかったのも、ある。」
「景色?」
伊月さんは一旦湯舟から出た。
それまで壁だと思っていたところは、実は大きな扉だったみたいで、伊月さんはその扉をあけ放った。
湯舟の先に、小さな、でも、手入れの行き届いた中庭が続いていて、一気に湯殿が露天風呂と化す。
「すごい! こんな造りになっていたんですか?」
「ああ。まあ、完全な露天風呂とは言えないが、半、露天だな。」
伊月さんはまた湯舟に戻ってきて、私を膝にのっけた。
「寒くない季節はこうやって庭の景色を見ながら風呂に入るんだ。なかなかいいだろう?」
「はい。すごく素敵です! あ、星が綺麗!」
月が見える位置にはなかったが、夜空に星がびっしり光っている。
「星以外の物も、もうすぐ見れる。」
伊月さんがそう言うと、庭の地面がフワっと、一瞬だけ明るく光った。
「あ、何か光ってます…」
やがて、うすい緑の光がフワリ、フワリと光って、どんどん数を増していく。
「な、なんですか?」
やがて、中庭の地面に敷き詰められた、宝石のようにキラキラ輝く光の群れは、飛んで空に舞っていく。
「わぁ。あれって、蛍ですか?」
「ああ。」
蛍はフワッと一斉に空一面に広がり、それまで、ただの何もない夜空だったところを淡く照らし出した。
「わぁ、すごい!綺麗!」
ゆらゆらと周りの景色を、照らしながら飛びまわる光の粒を目で追いながら息を飲んだ。
「蛍がこんなにきれいだなんて。」
こんなに大量の蛍を見たのは初めてだった。
テレビでしか見た事がなかった蛍を異世界で見るなんて思いもしなかった。
沢山の星が敷き詰められた空を、蛍の光が覆った。
薄っすらと青白い星の光と淡い緑の蛍の光が重なり合って視界がゆらゆらと揺れた。
私はしばらくその幻想的な光景に言葉を失って見とれていた。
「気に入ったみたいだな。」
伊月さんがフッと笑ったのが分かった。
「あ、見て下さい。あの松の木の周りにも蛍がいっぱい!」
さっきまで暗くて見えなかった中庭の松の形、空の雲の様子、全てがはっきりと光に映し出された。
「あ!」
すぐ側まで蛍の光が飛んできた。
「こっちにも来ました!」
思わず手を伸ばすと、光は私の手を避けてどこかに飛び去って行く。
「あぁ、止まってはくれませんでした。」
伊月さんが笑いながら言った。
「蛍ごときでそこまで喜ぶとは思わなかった。」
「蛍を見たの、初めてだったんです。 写真やテレビでは見たことがあったけど。」
「写真? てれび?」
「絵みたいなものです。」
「そうか。こんな小さな中庭と蛍ごときと呆れられると思ったが、良かった。」
不意に伊月さんが指先で私の首筋をツっと撫でた。
「ひゃぁ。きゅ、急に何するんですか?」
「言っただろ、下心がなかったわけではないと。」
伊月さんは、耳元でささやいて、私の首筋にチュっとキスをした。
「んっ。」
思わず肩が震えてしまう。
そして、また、伊月さんは、私を後ろからぎゅっと抱きしめた。
「酒呑童子に那美どのの寝巻姿を見られたのも、この肩を触られたというのも、腸が煮えくり返りそうだったのだ。」
伊月さんは、苦しそうに言った。
「それなのに、常に女官とか武官とか家臣とかウロウロしおって、うかつに那美どのに触れられず、都では誠、苦しかった…」
私の耳元でささやきながら、伊月さんの手が私の湯帷子の襟元にもぐりこんだ。
「きゃ、あの…」
大きな手が着物の中に滑るように入ってきて、そのまま肩を撫でられた。
肩を触られただけなのに、気持ちよくて鳥肌が立った。
「あ、い、伊月さん…」
「あの悪鬼め、この肩を触っておった。絶対に許さん。」
そして、伊月さんは私のうなじにキスを落とした。
背筋までぞくぞくして、自分でもはしたないと思うように息が上がった。
伊月さんに与えられる感覚に、涙がにじんだ。
「待って…」
「蛍を見ていろ…。」
そういって、伊月さんは私を後ろから抱きしめたまま耳や首筋に舌を這わせた。
「む、無理です…。あ、あ...」
「なら、こちらを向け。」
顔を振り向かされて、さっきまで私の首筋を這っていた、伊月さんの熱い舌が口の中に入ってきた。
「うっ…ん…」
「ん...那美どの…」
伊月さんが荒い息遣いで私の名前を呼んだ。
それだけで、耳から溶けそうだった。
水音を立てながらそっと唇を離すと、さっきまで肩を撫でていた大きな手で、私の鎖骨に触れた。
「もう、ここの跡は消えたか?」
「え?」
宇の湯治場で伊月さんが付けたキスマークのことだと分かり顔が赤くなった。
「もう、ほとんど見えません。」
「また、つけたい。」
「で、でも…」
「ダメか?」
伊月さんの指先が鎖骨を撫でた。
「ダ、ダメじゃ…ないです。 でも…」
声が震えているのが自分でも分かった。
伊月さんはその後の言葉を待たずに私の体を少し自分の方に向けると、首筋にキスを落とした。
何度もチュチュと音を立てて、優しくキスをした。
そして、もう乱れている襟元をさらに押し開けて、鎖骨の少し下を吸った。
「きゃぁ、あっ。」
言い知れない感覚に私の背中がビクンとはねた。
いくつか赤い跡がつくと、伊月さんは満足したように、また私を後ろから抱きすくめた。
荒く肩で息をしている私をなだめるように、頭を撫でて、頬にキスをした。
「消えたら、またつけたい。」
「い、伊月さんは、意地悪です…」
「嫌なのか?」
「そういうの、聞くのも意地悪です。」
「那美どのが嫌なことはしたくないからだ。」
「嫌じゃないって知ってるくせに。」
「だが、何度でも嫌じゃないと聞きたい。」
「やっぱり、意地悪です…。」
蛍の景色は涙でかすんで、その後よく見えなくなった。
今回は那美どのが湯にのぼせる前に上手く風呂を済ませた。
自分の欲望も上手く制御出来たのが、誇らしかった。
―― やはり、慣れが大切なのかな。
湯の中でイチャイチャするというのは前にやって、色々と反省もあったから、今回は余裕なくがっつくというのはなかった。
もちろん、自制するのには大変な精神力を要するが、それでも、あのように愛らしい那美どのを見るのは、いい。
―― 私も成長したな。
背中を流してもらえたのも、良し。
那美どのの体を洗ってみたい衝動もあったが、それを許されていたら、あのように制御できなかったかもしれない。
―― あれでよかった。
二人で風呂から出たあとは、一緒に縁側で酒を飲みながら、またしばらく庭の蛍を見た。
蛍の光に必死に手を伸ばして、「止まってはくれませんねぇ」という那美どのは、誠、可愛かったな。
そんな那美どののため、私は、源次郎に、懐紙とはちみつを持って来させた。
「何をするんですか?」
「まあ、見ていろ。」
私は、紙を筒状にして、床に置き、紙の中にはちみつを少し塗った。
それを、那美どのの目の前に置くと紙の筒の中に蛍が集まってきた。
「わぁ素敵! 蛍のランタン、雪洞みたい。幻想的ですねぇ。」
と、那美どのが目を輝かせてはしゃいでいるのを見て、心底、癒された。
源次郎に、那美どのの布団は客間に準備するように言うと、信じられないと言った表情をしていた。
―― まあ、大人の男の余裕というのは演出できたのではないか。
私は、都で八咫烏が語っていた、酒呑童子に教えてやったという手練手管を思い出した。
八咫烏は酒呑童子の16人の妻について色々と護衛隊の者たちに語っていた。
人が仕事をしているのにも関わらず、ペラペラと話しおって。
―― だが、役に立ったかもしれぬ。
その時に、八咫烏が、酒呑童子が自ら妻の寝所に行かずとも、妻の方から寝所に来てくれと言わせる方法を教えたと言った。
護衛隊の者は皆、その方法を知りたいとせがんだ。
勿体ぶりながらも八咫烏が話して聞かせていたのが、私の耳にも否応なく聞こえてきた。
「これは男と女の攻防だ。女は城だと思え。これは城攻めの戦と思え。」
八咫烏が大げさに言っていたが、戦略の話となれば興味が湧くものだ。
戦の中でも攻城戦はかなり難しい。
将は相手方に籠城されるのを嫌い、できるだけ城の外に兵をおびき出したいものだ。
何しろ、城というのは元より、敵を寄せ付けないように、様々な創意工夫をして作られている。
中に攻め込んでも、罠が幾重にも張り巡らされ、うかつに侵入すれば、相手の思うつぼだ。
「城攻めに大切なことは何か?」
八咫烏が皆に問うている。
―― 城攻めは忍耐比べだ。先に資源が枯渇した方が負けるか、先に精神力が切れた方が負ける。
「城攻めに一番大切なのは忍耐だ。どれだけ耐えられるか、耐えぬいた方の勝ちだ。分かるか?」
八咫烏が続ける。
「戦ではそうです。でも女人はどうなのですか?」
「さて、籠城している者に城を開けさせるにはどうしたらいいと思う?」
「煽って城から誘い出すか、資源の補給路を断って、飢えるのを待つか、ですか?」
―― それから、情報網を利用しての心理戦もあるな。
相手が籠城するには様々な理由がある。
敵が援軍を待つ間に時間稼ぎをしているのであれば、援軍が来ないなどの情報を流し、士気を弱め、和議に持ち込める。
「そうだ。女も飢えさせればよい。補給路を断つ、つまり、自分以外の男が寄り付かないようにすればいい。酒呑童子は自分の屋敷に妻を囲っているので、その点は合格だ。」
―― そうか、女の話だった。
「では、敵が飢えているかどうか確かめるためにはどうする?」
八咫烏の問いに、護衛隊の家臣は考えている。
―― 敵の資源がどれだけあるか確かめるには、時に城を攻め立てて、どれだけ抗戦してくるかを見極める必要があるな。
「時々つついてみて、どれだけ飢えているか確認せねばいかんだろう? 時には攻めることも大切だ。」
家臣たちはうんうん、と真剣に聞いているようだ。
八咫烏は女の話をすると思わせ、家臣たちに大切な戦術を教えているのかもしれん。
なかなかやるな。
「つまり、定期的に女を攻めなければいかん。だが、最後までは攻めてはいかん。どれだけ飢えているか様子をさぐるだけだ。」
―― やはり、女の話か。
「それではこちらが生殺しです。」
「だから忍耐戦と言ったのだ。自分の忍耐が勝つか、女の忍耐が勝つか、先に飢えた方が負けだ。」
「私の方が先に飢えてしまう自信があります。」
一人の隊員が言って、皆がどっと笑った。
「しかし、男はこの忍耐戦略に有利だ。」
「どうしてですか?」
「女にだって欲望はあるのだ。時々攻めたてられて、最後まで与えられなければ、女の方の欲望はどんどん膨れ上がっていくだけだ。だが、男には、はけ口があるだろう?女にはそれがなく、ただただ溜まっていくだけだ。」
「おぉ。なるほど!」
「時々攻めたて、でも最後までは攻めないかぁ。面白い作戦ですね!」
「欲望を植え付け、焦らして、焦らして、向こうから開城させるまで忍耐だ。」
「忍耐のコツはありますか?」
隊員が聞く。
「余裕だ。いいか、男には余裕が必要なのだ。余裕を持って、いつでも、あと何回でも攻めればいいんだと思えば、相手が飢えるのを待つ忍耐力になる。」
「余裕ですか。」
「余裕を持って、攻めてみるのを、何回か繰り返してやってみろ。慣れれは自分から誘わずとも女の方から誘ってくるコツを掴めるぞ。」
「そういうことでしたかー!だが、やってみる相手がおりませんな。」
また皆がどっと笑った。
―― 女との情の通わせ方を戦のように考えたことはなかったな。八咫烏は、やはり変わったやつだ。
いつか、那美どのから誘ってくれることがあるのだろうか?
そんなことがあれば男冥利に尽きるというものだ。
しかし、私の忍耐がもつかな。
戦においては忍耐戦は得意だが、那美どのが相手となると、自信がない。
―― 余裕か。いつでも攻められるという余裕。よし。心に留めておこう。
あの時八咫烏が語っていたことと、宇の湯治場での失態で学んだことを考慮して、今回は上手くやれたのではないか。
那美どのはなかなか手ごわそうだが、これからもちょくちょく時をかけて攻めてみるか。
あの反応を見るのも好きだしな。
「主、お茶をどうぞ。」
そこに源次郎が茶を持って来た。
「主、那美様のことですが…。」
「何だ?」
「本当に客間にお布団を敷いて良かったのですか? 主と那美様はもう公認の仲ですよ。私どもにご遠慮されているのなら...」
「別にそなたらに遠慮をしているわけではない。」
「そうですか?…それならよろしいのですが。」
源次郎はいぶかし気にしてはいたが、那美どのをタカオ山に送り届けた後に、「主が辛抱強い方だと知ってはおりましたが、主ほど自制心の強い男は知りません。」と言っていた。
やはり、忍耐戦は得意だな。
都への旅を終えて一週間、私はタカオ山での平穏な日常を取り戻しつつあった。
手習い所での仕事も、研究室での商品開発も再開した。
タカオ山ではすっかり、真夏の暑さが薄らいできて、コスモスが咲き始め、夜には鈴虫の音が聞こえ始めた。
あの蛍を見た次の日、伊月さんは荷物と一緒に私をタカオ山まで送り届けてくれた。
その日は夕凪ちゃんとオババ様が出迎えてくれて色々と近況を報告し合った。
「オヌシが位階をもらったり、鬼を泣かせたりしたのを、色々と八咫烏から聞いたぞ。」
オババ様が楽しそうに言った。
「その、鬼を泣かせたっていうのはどうかと...。」
「誠のことだろう。それで、旅は楽しんだか?」
「旅はすごく楽しかったです。伊月さんの秘密を色々と知りました。」
オババ様はニッコリ笑った。
「そうか、そうか。あやつと組むとなかなか儲かるぞ。」
「伊月さんって色んな才能があるんですね。あ、それから、オババ様の作った、あの、阿枳さんの船もすごかったです。」
「ああ、あれか。ワシはカムナリキを提供しただけだ。船の設計は阿枳がした。」
「すごいですね!」
「伊月はどこからともなく、才のある者を見つけて来るのだよ。」
私は伊月さんが領地よりも扶持よりも人材を得たいと言っていたのを思い出す。
「こっちでは、オヌシらが留守の間、内藤の調査がすすんでおるようじゃよ。」
留守にしていた間、気がかりだった内藤のこともオババ様が説明してくれた。
「内藤自身は、女の持つカムナリキが強いのか弱いのかが感じられず、オヌシがおとり捜査で捕まえた盗賊団を使って、手当たり次第に女を誘拐して、カムナリキの抽出の儀式を行っておったらしい。」
誘拐事件を捜査していた正次さんと、内藤の調査をしていた清十郎さんが、二つの事件が繋がっていることを突き止めた。
あの武術大会の日に伊月さんを狙って内藤がやって来る事も清十郎さんが知らせていた。
「誘拐した女から抽出したカムナリキを、カグツチの祠に持って行き、どのカムナリキが火の性質を持っておるのか調べておったようだ。」
「カムナリキの種類もわからずに、人を誘拐してそんなことをしていたんですか?」
「ああ。全く信じられぬ。」
「でも、どうしてわざわざカグツチの祠に? 火のカムナの玉をかざしたら、火のカムナリキかどうか分かるでしょう?」
「普通の女のカムナリキは微々たる物だ。我らのような巫女とは違うからな。ワシやオヌシが触った時のようにカムナの玉も反応せんよ。」
「なるほど。」
「カグツチの祠に行けば、巨大な火のカムナの玉が奉納してあり、わずかなカムナリキでも、それが微かに光るのだ。」
「それで、火のカムナリキを持っているってわかったら、どうするんです?」
「その女のカムナリキを抽出し続ける。監禁されて、カムナリキが翼竜を動かせるくらいになるほどに、ずっと抽出されるのだ。」
オババ様は嫌悪の表情を浮かべた。
「でも、どうやってカムナリキを抽出するんですか?」
「そのようなことはきっと誰かが考えた秘術に違いない。ワシとて聞いたことがなかった。」
オババ様も知らない秘術を知っているなんて、内藤ってどんな男なんだろう。
ただただ、黒い渦巻く気の流れを持っていることしかわからない。
ひとしきり、オババ様と内藤の事を話し合って、私は皆にお土産を渡した。
夕凪ちゃんには都で買った巻物をあげた。
恋の話が沢山載っている絵巻物だ。
その日の夜から夕凪ちゃんは夜な夜なその絵巻物を食い入るように読んでいるらしい。
オババ様には椿油と櫛だ。
髪の毛につけるとツルツルになって次の日の寝癖が押さえられると聞いた。
次の日から、心なしか、朝のオババ様の寝癖がおさまったように見えた。
それから、吉太郎、お仙さんや手習い所に来る生徒さんたちと一緒に食べたくて、
大量のまんじゅうやおせんべいやお菓子も買って来た。
手習い所では授業の合間に生徒さんたちが私の旅の話を聞きたがった。
この尽世には自動車もないし、治安も良くないし、旅費もかかるので、
普通の人にとって、旅に行くのは夢のまた夢だ。
私が話した旅の出来事は漫画部の皆が色々と脚色してアドベンチャーストーリー仕立ての漫画になっているらしい。
小雪ちゃんに、私にも漫画の試作を見せてほしいと言ったけど、一冊出来上がるまで待つように言われた。
どうやらサプライズのつもりらしい。
―― 楽しみだな。
色んなことが順調に行っているように思えたけど、やはり内藤丈之助のことは気がかりだった。
今日は、オババ様と一緒に伊月さんの屋敷に行って内藤のことを話し合うことになっている。
於の国の情勢についても話したいことがあると言っていた。
―― 於の国といえば、兵五郎さんたちは今ごろどうしてるかな。
旅行から帰ってから、伊月さんとは文を何度かやり取りしているけど、会えていない。
伊月さんは旅の間に溜まっていた仕事をこなすので忙しそうだった。
―――
オババ様と一緒に伊月さんの屋敷に行くと、源次郎さんと平八郎さんが迎えてくれた。
「那美様が都に行っていた間、内藤が吐きました。カムナリキを抽出する目的のために盗賊団を使って、女人をかどわかしていたのです。ただ、どのように抽出するのかは、なかなか吐きません。」
源次郎さんと話していると、伊月さんが部屋に入ってきた。
「オババ様、那美どの、お待たせしました。 今日は見せたいものがあります。」
そういうと、伊月さんは包みに入ったものを畳の上に置いた。
「内藤が拠点としていた所をいくつか見つけ、そこで不思議な書物を見つけました。どうやら、女人からカムナリキを抽出する方法を記した書物らしいが、読めぬ。」
オババ様が包みを開けようとすると、伊月さんが言う。
「那美どの、これを見て嫌な思いをするかもしれぬ。」
「大丈夫です。見ます。」
オババ様が私の言葉を待って、包みを開けたると、オババ様が目を見張った。
「何とも不思議な材質の紙、光沢のある不思議な色じゃな。」
私も自分の目を疑った。
「これは、アメコミ!」
「あめこみ?」
私はビックリした。
それはスーパーヒーロー物のアメリカンコミックだった。
出版年と出版社を見ると、20XX年ニューヨークのマルベール社出版と英語で書かれている。
「きっと、私の来た世から持ち込まれた物です。」
「何と!」
二人は私を見て目を見張った。
「英語という言葉で書かれています。」
「読めるか?」
「全部はわからないですけど、少しわかります。 ちょっと読んでみますね。」
それはコウモリマンというスーパーヒーローのエピソードだった。
悪の組織のリーダーがエクソシスト(悪魔祓い)に変装して、悪魔に憑りつかれた女性から悪魔を追い払うとみせかけ、その悪魔を自分の中に取り入れ、増幅させて、サタンを召喚しようとする。
それをコウモリマンガ阻止するという単純明快なストーリーだった。
ただ、そこに書かれている悪魔を取り出す儀式が詳細に描かれている。
そして、その描写が結構、暴力的でグロテスクだ。
―― 嫌な物を見るかもしれないってこのことだったんだ。
「この書物は私が来た地球で手に入る物です。アメリカという国の漫画です。しかも結構最近出版されたものです。」
「となると、内藤丈之助は異界人かもしれぬ。 それとも異界人と接触を持ってその書物を手に入れたか。」
「でも、本当にこの書物を読んでカムナリキを抽出したのでしょうか。ただの物語ですよ。」
「どうだろうか。今の所、奴の持ち物の中でそれが一番不審な物だ。女から何か取り出している絵が描いてあるのでそう思ったのだが。」
「私が内藤に会ってみてはダメでしょうか?」
これには伊月さんが難色を示して、那美どのに見せられるようなものではないが、と言った。
でも、そのまま少し考え込んだ。
オババ様が、
「那美が会う事で解決の糸口が見えてくるかもしれぬぞ。」
と、伊月さんに言った。
「嫌な物を見るかもしれぬが、いいか?」
私は大きく頷いた。
オババ様もついてきてくれると言った。