異世界戦国で侍と恋に落ちたら、巫女になって、一緒に国盗りしちゃいました♪

伊月(いつき)平八郎(へいはちろう)を連れて城に出掛けている間、留守番をしていた源次郎(げんじろう)のところに、(ほり)八咫烏(やたがらす)が連れだってやって来た。

(あるじ)平八郎(へいはちろう)と一緒に城に行っていますよ。」

源次郎(げんじろう)が二人につげると、(ほり)八咫烏(やたがらす)は顔をみあわせ、うなずきあった。

「好都合だ。」

そういって、二人とも客間に陣取ったので、源次郎(げんじろう)はお茶を入れる。
武術大会が落ち着いてから、この三人は隙があれば集まって、那美(なみ)伊月(いつき)について話し合っている。
(ほり)源次郎(げんじろう)は、二人の関係を円滑に勧め、なんとか縁談にまで持っていきたいと思っている。
二人はこれまで浮いた話の一つもなかった主人の世継ぎ問題を気にしていたのだが、運命的な出会いから、相思相愛になった那美(なみ)と結婚してくれれば将来の懸念も減る。
一方、八咫烏(やたがらす)はそういったことには全く興味がないけれども、伊月(いつき)をからかうネタが欲しいのと暇を持て余しているので、よく、この二人の「那美(なみ)伊月(いつき)を応援する会」に参加している。

「近頃、平八郎(へいはちろう)の様子はどうだ?」

(ほり)が心配そうな顔をして切り出した。
今日の議題は那美(なみ)伊月(いつき)ではなく、平八郎(へいはちろう)だった。

平八郎(へいはちろう)は、あの、翼竜退治の時に、殿(との)の愛の告白を一部始終聞いておったそうだな?」

「そうなのですよ。あの間も、あの後も、平八郎(へいはちろう)はしばらく抜け殻のようにしておりました。」

八咫烏(やたがらす)は茶をすすりながらニヤニヤしている。

「まさか、あの伊月(いつき)がそんなことをするとはなぁ。」

殿(との)はやる時にはやる男だ! 今まで気になる女子がいなかっただけで…。とにかく殿(との)(おとこ)だ!」

八咫烏(やたがらす)(ほり)の主張を鼻で一笑した。

「いやいや、あいつの堅物ぶりはこれからも続くと思うがな。これから平八郎(へいはちろう)とひと悶着などあると、なお面白いのだがなぁ。」

「それは、ありえませんね。平八郎(へいはちろう)は横恋慕などするやつではないですよ。」

源次郎(げんじろう)が即座に応える。

「そうなのか?」

八咫烏(やたがらす)はどこかつまらなさそうに言った。

「あいつは、どこか間抜けたやつだとは思っていたが…。自分の恋心に気付きもせずに、初恋が終わったようだな。」

(ほり)が苦笑いをしながら言ったが、それを聞いて八咫烏(やたがらす)はガハハハッと笑った。

平八郎(へいはちろう)の天然自然にボケたお人好しなところは、どことなく那美(なみ)と似ているな!」

「あ、確かにそうかもしれませんね。」

源次郎(げんじろう)はそう言いながらも、少し心配そうに言った。

平八郎(へいはちろう)那美(なみ)様のことも慕っておりますが、(あるじ)のことも慕い、敬愛しておるので、まあ、納得せざるを得なかったのかと。」

(ほり)も大きく頷いて言った。

「それに、あのお二人の幸せそうなご様子を見れば、誰も間に入る隙はないだろうな。」

八咫烏(やたがらす)は面白くなさそうに舌打ちをした。

「俺も本気で那美(なみ)を狙っていたのだがなぁ。」

八咫烏(やたがらす)は畳の上にゴロンと寝転がった。

「何というか、那美(なみ)の、俺を見る目が白々しいというか、『無』なんだよなぁ。抜け殻のような目で俺を見るのだ。伊月(いつき)には熱烈な視線を送るのに!あのような悪鬼顔、どこがいいのだ!」

「何だ、お前も嫉妬か?」

「まぁ、普通、女人は八咫烏(やたがらす)(あるじ)が並んでいたら、八咫烏(やたがらす)に行きますからね。」

源次郎(げんじろう)が暗に那美(なみ)の不思議な趣味を指摘する。

(ほり)様、平八郎(へいはちろう)に女子を紹介して下さいませんか? 私も何人かに会わせてみます。」

「ああ、そうしよう。 八咫烏(やたがらす)、お前も女を平八郎(へいはちろう)に会わせろ。」

「馬鹿を言え。俺に寄ってくる女は俺を目当てに来ているのに、そういう女を他の男に紹介すれば、俺が恨まれるぞ。女の恨みは怖いからなー。」

何か過去の事を思い出したのか、ブルブルと八咫烏(やたがらす)は身震いをした。

「まぁ那美(なみ)様も雷を落としましたからね…。」

ポツリと源次郎(げんじろう)が言って、(ほり)もやはり女は怖いなとつぶやいた。

「ところで、都行(みやこい)きの件はどうなった?」

(ほり)が話を変えて質問すると、源次郎(げんじろう)は嬉しそうな顔をした。

(あるじ)は浮かれていますよ。」

八咫烏(やたがらす)がガバっと畳から起き上がった。

「浮かれている伊月(いつき)という物が全然想像できん!」

「ずっと口元が緩んでおります。護衛隊の編成も、(みやこ)までの道筋や、宿の手配も、ニタニタしながら計画しております。」

「うわー、俺はそれは見たくねぇな。」

そう言って、また八咫烏(やたがらす)がバタリと畳の上に大の字に倒れこんだ。

「都行きの道中では那美(なみ)様とずっとご一緒できるのだから、浮かれるのも仕方ないだろう。」

(ほり)がうんうんとうなずきながら言った。

(あるじ)は今、内藤(ないとう)の件でお忙しいし、生田(いくた)からの尾行の件もあり、那美(なみ)様とは最低限しかお会いになりません。この、都行(みやこい)きを機会に、もっと進展して欲しいものです。」

「尾行されているのか。面倒だな。生田(いくた)殿(との)那美(なみ)様の関係を探っているのだな?」

「そうです。先日、(あるじ)那美(なみ)様と三人で城下に飯を食いに行きましたが、その時もつけられていました。」

「まぁ、どうせ、その尾行していたやつらは今ごろ清十郎(せいじゅうろう)が…」

「その通りです。」

八咫烏(やたがらす)はゴロンと寝返りを打って、源次郎(げんじろう)の方を向く。

「それにしても、伊月(いつき)那美(なみ)の逢瀬にお前が一緒だったのか? 野暮な奴だなー。」

「し、仕方ないではありませんか! (あるじ)の護衛なのですから!」

那美(なみ)様にも尾行がいるのか?」

(ほり)が声をひそめて言った。

「おりましたが、誰かさんがおっぱらったようですよ。」

そう言って、源次郎(げんじろう)は寝転がっている八咫烏(やたがらす)を見た。
八咫烏(やたがらす)はきまり悪そうにゴロンと寝返りを打ち、源次郎(げんじろう)に背を向けた。

伊月(いつき)が酒をおごるというので仕方なく協力しただけだ。」

そこに家の戸が開き、伊月(いつき)平八郎(へいはちろう)が帰って来た。

「何だ、そなたら、また来ていたのか。最近やけによく来るな。」

伊月(いつき)は訝し気に眉をひそめた。

「あ、殿(との)、お願いがあります。今夜、平八郎(へいはちろう)をお貸し願いませんか?」

「それは構わぬが、何をする?」

平八郎(へいはちろう)に会わせたい者がおりまして。」

伊月(いつき)はより一層眉をひそめ、「良からぬ遊びを教えるなよ。」と、だけ言って自室に入って行った。
この日から、(ほり)源次郎(げんじろう)平八郎(へいはちろう)にやたらと女を会わせるようになった。
いよいよ都へ出発する前日になった。

―― そろそろ準備しないと!

都に行くのには結構時間がかかる。
基本、徒歩で行くので、順調にいくと、片道で3、4日くらいだそうだ。

―― 行って帰るだけで8日くらいかかっちゃうな。それに加えて、都での滞在は3日間くらいだって言っていたから、多く見積もっても2週間はみておかないと。

2週間分の教材やら、レッスンプランやらは、もう作ったから、あとは荷造りだけだな。

―― とは言っても、あんまり荷物がないや。

私は持って行こうと思っていた服を畳の上に並べた。

―― 皇帝に会う時は向こうが礼服を用意してくれるらしいし、あとは動きやすい普段着と寝巻くらいかな。

旅行は正直言って楽しみだ。
私はタカオ山と亜国(あこく)の城下町くらいしか行ったことがないから、ここを出た世界がどうなっているのか知りたい。
でも危険も多いと聞いた。
盗賊も出るし、魔獣も出るし、あやかしも出る。
タカオ山周辺で見るあやかしたちは、皆オババ様を恐れているから、人に悪さはしないけど、一歩この当たりを出れば、悪いあやかしもいると聞いた。

「しかし、人間もそうだが、あやかしも、見た目では、判断してはいかぬぞ。」

と、オババ様が、旅行が決まった時に私に言った。

「見た目が凶悪そうだからといって悪いあやかしとは限らん。ただ、あやかしは本能のままに生きておるから、人間の常識とは違った行動をすることが多い。それでも悪意がないものが多いのじゃ。」

「本能のままに生きているっていうのは、夕凪(ゆうなぎ)ちゃんや八咫烏(やたがらす)さんを見ててわかります。」

私がクスクス笑って言うと、オババ様もうなずいた。

―― でも一番本能のままに生きているのはオババ様のような気もするけどな。

「でも、悪意があるかどうか、見分けるコツみたいなのはありますか?」

「オヌシのことだ。悪気(あっき)を感じれば、すぐにわかるさ。」

私は、内藤のまとっている、黒く渦巻くような気を思い出した。

―― きっと、ああいうのだろう。

私はオババ様を見て、大きくうなずいた。

治安の悪いタマチ帝国での旅は少しの不安がある。

―― でも、

伊月(いつき)さんが、「那美(なみ)どのは私が守るから心配するな」って言ってくれた。
本当にカッコよくて、頼もしい、私のスーパーヒーローだ。
思い出して、思わずニヤついてしまう。

那美(なみ)ちゃん、何、ニヤニヤしてるの?キモイよ。」

「ぎゃー!夕凪(ゆうなぎ)ちゃん、いつからいたの!びっくりした。」

荷造りと伊月(いつき)さんのことを考えるのに夢中になってたら、急に夕凪(ゆうなぎ)ちゃんに声をかけられてびっくりした。

「さっきから声かけてたのに、一人でニヤニヤしてて妄想の世界に入ってたから…」

「うっ...ごめん。」

「どうせまた伊月(いつき)さんのこと考えてたんでしょ?」

「そ、それは・・・」

「それよりも、これ、あげる。」

「これは何?」

夕凪(ゆうなぎ)ちゃんは私に小さなお守り袋をくれた。

「道中、狸に化かされても、すぐに暴くことができるお守りだよ。」

「そんなのあるの!? すごい! ありがとう! 都のお土産買ってくるね!」

「うん! 期待してる!」


_______


そして、いよいよ出発当日、早朝。
まだやっと日が昇り始めたころ、タカオ山に伊月(いつき)さん率いる護衛隊が迎えに来てくれた。

―― す、すごい数!

(かご)を持つ人達、馬を引く人たち、 荷物を持つ人たち、全部で20人くらいいる。
その中に平八郎(へいはちろう)さんと清十郎(せいじゅうろう)さんもいた。
そして、伊月(いつき)さんも今日はいつもと違う旅姿で笠をかぶっている。

「お、おはようございます! よろしくお願いします。」

皆に頭を下げると、護衛集団も頭を下げてくれる。
平八郎(へいはちろう)さんが私の荷物を預かってくれて、荷物を全部、馬の背に乗せてくれた。

「あの、こんな人数で行かなければ危ないんですか?」

私はお見送りのために頑張ってボサボサ髪のまま早起きして来てくれたオババ様に耳打ちした。

「まぁ、こんなもんだ。これでも少ない方じゃ。」

伊月(いつき)さんが馬から降りて、(かご)に乗るように促す。

「オババ様、夕凪(ゆうなぎ)ちゃん、しばらく会えなくなるので寂しくなります。」

那美(なみ)ちゃん、無事でね! 都に着いたら、(ふみ)をちょうだい!」

「うん! ありがとう、夕凪(ゆうなぎ)ちゃん!」

那美(なみ)、その護衛隊が危ない目に合ったら、ちゃんと助けてやれよ。」

「ええと、それって立場が逆じゃ・・・。」

「おっと、忘れておった、こいつを持っていけ。」

オババ様が私に渡したのは短刀だった。

「自分の身は自分で守らねばならない、ということもあるが、それは御神刀じゃよ。悪いあやかしが来たらこれを振りかざすと一目散じゃ。」

「おぉー。すごい! ありがとうございます!」

「それから、こいつを連れていけ。」

そういってオババ様が木の上を指さすと、木の枝に止まっていたカラスが一羽舞い降りてきて、私の肩に止まった。

「オ、オババ様、なぜ八咫烏(やたがらす)まで!」

伊月(いつき)さんが抗議の声を上げる。

―― あ、やっぱり八咫烏(やたがらす)さんなんだ。

なんだか、カラス姿の八咫烏(やたがらす)さんが可愛くて、思わず頭を撫でた。

「飛べるやつがおったら何かと便利だろうが。」

伊月(いつき)さんは渋々「確かに…。よし、こき使ってやる。」と言った。

私は八咫烏(やたがらす)さんを肩に乗せたまま、(かご)に乗り込む。

「オババ様、夕凪(ゆうなぎ)ちゃん、行ってきます!」

「無事で行ってこい!」

「いってらっしゃい!」

伊月(いつき)さんが出発の号令をかけ、護衛隊は動き出した。
(かご)(すだれ)はあけ放たれている。
あけ放たれた(すだれ)から、夕凪(ゆうなぎ)ちゃんとオババ様が見えなくなるまで、手を振った。
もう少しでタカオ山を出るという所までくると、羽音をならせて、一匹の鳩が(かご)にとまった。

吉太郎(よしたろう)! お見送りに来てくれたの?」

「そんなんじゃない。土産の催促に来た。帰りに伊国(いこく)の鳩まんじゅうを買って来いよ。伊国(いこく)にはうまい物がたくさんあるからな。」

「わかったよ。お見送り、ありがとう。」

「見送りではない! とくにかく、気を付けて行ってこい! 無事に、早く帰って来い。」

それだけ言って、吉太郎(よしたろう)はさっさと飛び立ってすぐに見えなくなった。

「全く、素直じゃないやつだな。吉太郎(よしたろう)は。」

カラス姿の八咫烏(やたがらす)さんが言った。

夕凪(ゆうなぎ)ちゃんと話してたけど、吉太郎(よしたろう)はツンデレなんです。」

「ツンデレ? それは何だ?」

「表面的な態度はツンツンしてて冷たいけど、本当は優しくてデレデレな部分もあるんです。」

「ほう…。」

夕凪(ゆうなぎ)ちゃんが言ってたけど、吉太郎(よしたろう)は、とあるメス鳩と一緒にいる時にはすごくデレデレしているそうなんです。可愛いですよね。ふふふ。」

「そうか…ツンデレか。面白い言葉だな。」

八咫烏(やたがらす)さんはカラス姿で表情がよくわからないのに、何か人の悪い笑いを浮かべたような気がした。

「何か企んでます?」

「…別に」

八咫烏(やたがらす)さんは、それから、俺は寝ると短く言って、(かご)の隅の方で目をつむった。
カラス姿で寝ている八咫烏(やたがらす)さんはますます可愛い。

―――

タカオ山を出てしばらく経った。
私は先頭を黒毛を引きながら歩く伊月(いつき)さんの後ろ姿をこっそり見た。

―― 旅装束の伊月(いつき)さんも颯爽としててカッコいいな。

私の視線に気づいたのか、伊月(いつき)さんは振り返り、目が合った。
そのまま歩みを緩めて、(かご)の横に来てくれる。

那美(なみ)どの、旅路は長い。歩きたい時は歩いていいし、疲れたら(かご)に乗ってもいい。馬に乗りたい時はそう言うといい。ただ、()の国は治安が悪いので、()の国では(かご)の中にいてほしい。」

「はい、ありがとうございます。あの、伊月(いつき)さん…。」

「何だ?」

「大きい声で言えないんですが…。」

私がそう言うと、伊月(いつき)さんは少し近づいて、耳を寄せてきた。

「旅装の伊月(いつき)さんも、すごくカッコいいです。」

「なっ…」

伊月(いつき)さんは一瞬かたまった。

「何を言うかと思えば、そのような能天気なことを!」

「すみません。でも抑えきれなくて。」

その時、「はぁぁぁああああ。」と、盛大なため息が聞こえた。

「お前ら俺の前でイチャイチャするな!」

カラス姿の八咫烏(やたがらす)さんだった。

―― あ、忘れてた。

「す、すみません。」

伊月(いつき)さんもバツが悪そうに、「八咫烏(やたがらす)まで(かご)に乗らんでもいいぞ。」と言い捨てて、隊の前に戻って行った。

「あ、行っちゃった。」

「あいつも、たいがいツンデレだな。」

八咫烏(やたがらす)さんがボソっと言った。

「そ、そうですか? 伊月(いつき)さんはずっと優しいですよ?」

「はぁ?」

八咫烏(やたがらす)さんは私に白い目を向けて、「お前の頭の中はお花畑だな。」と言った。
やがて、伊月(いつき)さんの護衛隊は市街地を抜けた。
人が見えなくなり、畑すらもなくなり、ただただ野山が広がっている。
夏の盛りで鮮やかに萌える緑の山野の上には青く澄み渡る空が広がっている。

―― 綺麗だな。

しばらく夏の景色を堪能して、手持ち無沙汰になったので体を動かしたくなった。

「あの、歩いてもいいですか?」

(かご)を運んでいる人達に聞くと、私を(かご)から下ろしてくれた。
私が(かご)から降りると、八咫烏(やたがらす)さんは、こんなチンタラ行く行列は飽きた、と言って、どこかに飛んでいってしまった。
私が歩き出したのを見て伊月(いつき)さんが自分の近くに来るように手招きをした。
嬉しくて思わず伊月(いつき)さんに駆け寄る。

(かご)の中は飽きたか?」

「少し。体を動かしたくなりました。この辺は、のどかな所ですね。」

「ああ。この辺は()の領地との境目だ。しばらくはこの景色が続く。」

「綺麗な景色です。」

「今日は()の国を横断して、()()の国境あたりで宿をとる予定だ。」

尽世(つくよ)での旅行は初めてなので、ワクワクします。でもちょっと気になることがあって。」

「どうした?」

八咫烏(やたがらす)さんです。やけに大人しいっていうか。ずっとカラス姿だし。」

「私の予想ではオババ様に何かの任務を言い渡されたのだ。」

「任務?」

伊月(いつき)さんは眉根を寄せて、ふいっと前を向いて行った。

「気にするな。好きにさせておけばよい。それよりも、向日葵(ひまわり)は好きか?」

向日葵(ひまわり)ですか? 好きですよ!」

「もう少し行くと、向日葵(ひまわり)畑がある。その辺で休憩を取ろう。」

伊月(いつき)さんの言った通り、しばらく歩くと、休憩にちょうどよさそうな広場があった。
大きな(けやき)の木が立ち並び、並木道っぽくなっている。
小川も流れ、向日葵(ひまわり)の畑もある。
観光スポットなのか、旅行者たちがちらほらいて、大きな(けやき)の下で休憩している。

「わぁー綺麗ですね!」

私は青空の下で満開に花を咲かせている向日葵(ひまわり)を見渡した。

「行ってみたいか?」

「いいんですか?」

「構わぬ。」

伊月(いつき)さんはそういって、護衛隊には、小川の近くで休憩をするように言いつけた。
皆が小川で水を汲んだり、おにぎりを食べはじめるのを見届けてから、二人で向日葵(ひまわり)畑の方へと歩き始めた。

「わぁ、近くで見ると、すっごく大きいですね!」

向日葵(ひまわり)畑に入ると、私よりも背が高い花たちに囲まれる。
花は私の顔よりも大きい。
鮮やかな黄色が青空に映えてとても綺麗だ。

伊月(いつき)さんって、向日葵(ひまわり)よりも背が高いんですね!」

「私は六尺二寸あるからな。」

後ろを歩く伊月(いつき)さんを振り返って見て、改めて伊月さんの背の高さに驚く。
六尺二寸って、多分190cmくらいだ。すっごい高い。かっこいい。

伊月(いつき)さん、ちょっと、待って下さい。そこで止まって下さい!」

向日葵(ひまわり)の花に伊月(いつき)さんの顔が隠れて、着物を着て歩いている向日葵(ひまわり)のお化けみたいに見えた。

「あはは!」

「こら、笑うな。」

伊月(いつき)さんはあきれたように言って、不意に私を抱き上げた。

「きゃ。」

子供が大人に抱えられるように、だっこされて、伊月(いつき)さんと目線が一緒の高さになる。
向日葵(ひまわり)の花より少し上の目線だ。

「ここから見る眺めもなかなかだぞ。」

「わぁ。」

今度は、私がさっきまで見上げていた花を見下ろす形になる。
どこまで見ても黄色の花弁が揺れていて、それ以外に見えるのは青い空だけだった。

「背が高いと、世界が違って見えるんですね。」

私は感動して花畑を見渡した。
次の瞬間、伊月(いつき)さんは、そっと私を地におろして、私を自分の背中に隠した。
そして、すっと刀の鞘に手を置いた。

―― な、何?

「何か気配がする。」

伊月(いつき)さんがそう言って目線をやった方向を見ると、向日葵(ひまわり)がガサガサと動いている。
しばらく見守っていると、花の間から、人が現れた。
綺麗な着物を着て黒くて艶々の垂髪の女性だった。

―― すごい綺麗な人だな。

「すみません、お侍様、この辺に川か井戸はありませぬか? 飲み水を探しております。」

「小川ならあちらにまっすぐ行くと良い。」

伊月(いつき)さんが指をさすと、その人はお礼を言ってそちらの方向に歩き始めた。
こんな豪華な着物の女性が一人でこんな所で何しているんだろうと思った瞬間、その女の人は、きゃぁと小さく悲鳴を上げ、地にしゃがみこんだ。

「だ、大丈夫ですか?」

私が慌てて声をかけると、その人は私のことをガン無視して、今にも泣きそうなウルウル目で伊月(いつき)さんを見上げた。

―― え?

「足をひねってしまったようです。 もう歩けませぬわ。」

「…仕方ない。おぶって行こう。」

伊月(いつき)さんはため息をついて、地面に足をつき、女性に背中を見せた。
私はその時、その女の人がニヤっと笑ったのを見逃さなかった。

―― 絶対わざとだ!

女性はいかにも弱々しそうに伊月(いつき)さんの背中に体を預けた。

―― うわーなんか、演技がむかつく!

那美(なみ)どの、すまぬ。このまま皆の所まで戻ろう。」

「…はい。」

―― この人、伊月(いつき)さんの優しさを利用して、何するつもり?

私は警戒しつつも、女性をおぶって歩き始めた伊月(いつき)さんの後を歩く。

「このような所で、女人(にょにん)一人で何をなされている?」

伊月(いつき)さんが女性に声をかけると、仲間と別れてしまって、探しているのだと、言う。
さらに、「一人になってしまって、どうしていいのかわからなくて…」などと、いかにも泣きそうな声を出して、伊月(いつき)さんの背中に頬をすり寄せた。

―― な、な、何なの!!

イラつきながら後ろを歩く私のことは、ここにいないも同然のように眼中にないらしい。
やがて皆の姿が見えると、平八郎(へいはちろう)さんが私達に気付いて、手を振ったので、私も手を振り返した。
この嫌な感じの女性の近くにいたくなくて、私は思わずそのまま平八郎(へいはちろう)さんの方に走って行った。

「な、那美(なみ)どの?」

伊月(いつき)さんが私の名前を呼んだけど、知らない。
私のイライラは結構ピークに達している。
ようやく、伊月(いつき)さんが小川の近くで女性をおろすも、その人は伊月さんの袖をつかんで引き留めた。
そのまま何やら話をしている。

―― もう、知らない!

「な、那美(なみ)様、大丈夫ですか?」

むくれている私の顔を平八郎(へいはちろう)さんが覗き込んだ。

「大丈夫です!水を飲んできます!」

そう言って、私は小川の下流の方にかけて行った。
竹の水筒に水を補給して皆の所に戻っていくと、護衛団の皆と談笑しているさっきの美女が見えた。
護衛団の皆はその美女にずいぶん見惚れているみたいで、へらへらしている。

―― 確かにきれいだけど、あの人は同性から嫌われるタイプの女性だよね!

私は、フン、と鼻をならした。
そして、その美女を囲むようにできた護衛隊の輪の中に伊月(いつき)さんや清十郎(せいじゅうろう)さんがいないことに気付く。

―― あれ? 伊月(いつき)さんはどこに行ったのかな?

そう思った時、目線の先の美女の体に重なって、うっすらと何かが見えた。

―― ん?

もう一度よく目を凝らして見ると、その美女と重なってタヌキが見える。

「あ、あの人、化けダヌキだ!!」

「やはり、そうか。」

「ぎゃー! んんん!」

いきなり後ろから声をかけられて、びっくりして叫びそうになった私の口を、押さえられた。

「しー。私だ。」

伊月(いつき)さんだった。
そのまま伊月(いつき)さんは私を皆から見えない岩陰に連れて行き、ようやく手を離した。

「び、びっくりしたじゃないですか!どこにいたんですか?」

「そなたを探していた。」

ふう、と私は一息ついた。

「おどろかせてすまなかった。」

伊月(いつき)さんはポンポンと私の頭をなでながら、岩陰から化けダヌキが(ふん)した美女と、その人を取り囲む護衛隊を覗き見た。

「しかし、よく化けダヌキと気づいたな。どう見ても人間にしか見えぬ。」

「これのおかげかな。」

私は夕凪ちゃんからもらったお守り袋を、帯の隙間から取り出して、伊月(いつき)さんに持たせた。

「おぉ、これを持っておると、タヌキが見えるぞ!」

「やっぱり、これのお陰だったんですね。」

―― 夕凪(ゆうなぎ)ちゃんに感謝だな。

「なんと!男のタヌキだったのか!どでかい二つのアレまで下げているな!」

「そ、そんな所まで見なくていいじゃないですか!」

伊月(いつき)さんは私にお守り袋を返すと、はぁと、大きなため息をついた。

「あれが私の背に乗っていたのか…」

と、言って、顔を青ざめさせて、身震いした。

「タヌキでも女だったらよかったんですか?」

「いや、そういう意味ではない!」

伊月(いつき)さんは慌てて私の手を取った。

「そ、それより、今はあのタヌキを何とかせねば。」

「そ、そうですね。」

大方(おおかた)、我らをだまして、荷物でも盗む気だろう。殺気は感じられぬ。」

「ど、どうしましょう?」

「荷を確認しに行こう。」

そう言って、私たちは馬をつないでいる所に行ってみる。
荷物の見張りをしている護衛隊の人に、さっきの女性と似たような着物の美女が話しかけている。

「やはり仲間がいたな。見張りと他の奴らを女で引き付けて、別の仲間が荷を盗む魂胆だな。」

伊月(いつき)さんは小声で私に(ささや)きつつ、向日葵(ひまわり)畑の方を指さした。

「あ!」

花畑の陰にタヌキが3匹隠れているのが見えた。
全部で5匹だ。

「それにしても、男の人って美女に弱いんですねぇー、皆あんなにニマニマして。」

「ん…。鍛えなおさなければいかんな。」

伊月(いつき)さんは舌打ちをした。

那美(なみ)どの、平八郎(へいはちろう)に、さっきの女を取り押さえるように言ってもらえぬか? 私はこっちの4匹を相手する。」

「わかりました。」

頼む、と言って、伊月(いつき)さんが岩陰から出て行き、荷物の見張りと話している女性に向かって歩いて行った。
私も、他の護衛隊の人たちが集まっているところへ行き、平八郎(へいはちろう)さんを探した。

「あ、那美(なみ)様!」

平八郎(へいはちろう)さんが私を見つけて、小走りにかけてきた。

「探しましたよ。(あるじ)のお姿も見えないし。」

平八郎(へいはちろう)さん、あの女性、化けダヌキなんです。」

「え?」

「皆の気をひいて、他の仲間のタヌキが荷物を盗もうとしていて、伊月(いつき)さんはそっちを懲らしめています。あの女性を取り押さえるようにと言ってました。」

私が早口で事情を説明すると、平八郎(へいはちろう)さんは急いでさっきの女性に化けたタヌキの所に行き、皆に向かって叫んだ。

「その女をとらえよ! 盗賊の一味だ!」

「な、何?」

護衛隊の皆は抜刀して構える。
女は険しい顔をして、「よくも!」と叫んだ。
その瞬間、女の頭から角が出て、口から牙が出た。

「お、鬼だ! 般若(はんにゃ)だ!」

護衛隊の皆が少しひるんだ。

「違います!化けダヌキです!鬼じゃありません!」

私が叫ぶと、皆は、ハッとしたように、平静を取り戻し、般若(はんにゃ)顔の元美女にかかっていった。
平八郎(へいはちろう)さんはすぐさま「お前たちは荷物の確認と、(あるじ)の援護を!」と言って数人を伊月(いつき)さんの方へ送る。
そこに、さっきまで全然姿が見えなかった清十郎(せいじゅうろう)さんがどこからともなく現れた。

那美(なみ)様は私がお守りいたします。」

清十郎(せいじゅうろう)さんが言った。

伊月(いつき)さんの方に化けダヌキが4匹いました。」

「じゃあ、そちらに行きましょう。こちらはもう、かたがつきそうです。」

般若(はんにゃ)顔の元美女はとらえられて、ついに本当のタヌキの姿を現したみたいだった。
「うげー、こんな爺ダヌキだったのかー」と、皆が叫ぶのを聞きながら、私たちは伊月(いつき)さんの方へと向かった。

「うわっ!」

護衛隊の人たちが女性に化けたタヌキと、他のタヌキ2匹を取り押さえていたけど、残りの一匹が、巨大な小入道(しょうにゅうどう)に化けて暴れまわっている。
周りにいた旅行者たちも大慌てで逃げ惑って、パニック状態だ。

―― あれ、伊月(いつき)さんはどこ?

そう思った瞬間、急に、そこにあった、(けやき)の大木がガサガサと揺れた。

「うぉおぉおぉ!」

と、叫び声が聞こえ、声の方を見上げると、その(けやき)の高い位置にあった木の枝から、伊月(いつき)さんが飛び出てきた。
伊月(いつき)さんの体はそのまま宙を舞いあがり、小入道(しょうにゅうどう)の頭めがけて刀を振り下ろした。

―― い、伊月(いつき)さんが飛んでる!!!

ゴン!!!!!
と、すごい音がして、伊月(いつき)さんの刀は小入道(しょうにゅうどう)の額に命中した。
その瞬間、小入道(しょうにゅうどう)の体から煙が出て、小入道(しょうにゅうどう)が小さなタヌキの姿になった。
伊月(いつき)さんはしっかりきれいにシュタッと着地して、優雅に刀を収めている。

逆刃(さかば)で打っただけなので死んでいませんよ。」と、ハラハラしている私に清十郎(せいじゅうろう)さんが教えてくれた。

さっきの般若(はんにゃ)顔の元美女のタヌキを捕まえた他の護衛達の人たちも皆こちらに駆けつけてきた。
伊月(いつき)さんが気絶して伸びている小入道(しょうにゅうどう)のタヌキの首根っこを掴んで持ち上げると、まわりにいた旅行者も護衛隊の人たちも、皆が歓声をあげ、伊月(いつき)さんに拍手を送った。

「おい、起きろ!」

伊月(いつき)さんがタヌキの頬をペチペチと打つと、タヌキは目覚めた。

「ぎゃー助けて下さい!私たちが悪かったですーーー!」

と、涙目で手足をばたつかせた。

「それでは盗んだ物を全て返すように、そなたの仲間に言うのだ。さもなくばそなたをタヌキ鍋にして食ってやるぞ!」

「か、勘弁して下さい! お、お前ら―全部返せ!」

護衛隊の人たちに捕らえられていたタヌキたちが、それを聞いて、一斉に体をブルブルと震わせはじめた。

―― な、なに?

すると、タヌキたちの立派な二つのアレの間から、じゃらじゃらと色んなものが落ちてきた。

「ど、どこに隠していたんだ...」

伊月(いつき)さんがゲッソリとした表情をした。

「あ、これは私の財布です!」

タヌキのあそこから落ちてきた物を見て、平八郎(へいはちろう)さんが叫んだ。

「あ、私の財布も! 印籠も! いつの間に!」

護衛隊の人たちや旅行者の人たちの物がずいぶんとスラれていたようだった。
皆はウゲーと言いながらも渋々自分の持ち物を拾った。

「ど、どうか、御勘弁をー。もう二度としません。」

タヌキは涙目で訴える。

「神に誓えるか?」

尽世(つくよ)では神に誓うというのは一大事だ。
この世では神がわりと身近にいて、神の怒りを買うと、本気で天罰が下る。
自分から神にした約束、神への誓いは絶対守らないと、何が起こるか分からない。

「ち、誓います!」

「よし、では、ここにいる、雷神の巫女、に宣告せよ。」

伊月(いつき)さんはタヌキの首根っこを持ったまま、私の方に向けた。

「ら、雷神に誓います。もう二度と人の物を盗みませぬ!」

タヌキは震えながら言った。

―― ちょ、ちょっとかわいそう。

可愛いタヌキたちを見ると胸が痛むけど、盗みはやっぱり、ダメだよね。
伊月(いつき)さんはタヌキを下すと、皆に捕らえていた他のタヌキたちも離すように言う。

「行け。」

そういうと、タヌキたちは一目散に逃げて行った。
旅行者たちはまた歓声を上げてパチパチと伊月(いつき)さんに拍手喝采を送った。

―― やっぱり、伊月さん、カッコいい!

旅行者たちは伊月(いつき)さん率いる護衛隊にお礼を言って、ひとしきり頭を下げて去って行った。
旅行者たちが去って行ってから、護衛隊の人たちは、全員、こっぴどく伊月(いつき)さんに叱られた。
特に荷物の見張りをしていた人はひどかった。

「あの時、那美(なみ)どのが化けダヌキだと気づいていなければ、大切な荷を全部持って行かれていたかもしれぬ。皆そろって鼻の下をのばしよって!」

皆は本当にすまなそうな顔をして、シュンとしている。

「そなたら、自分の顔を鏡で見たことあるか?」

―― へ?

この言葉には、私も含め、皆がきょとんとしていた。

「そもそも、あの女が本当にそなたらと仲良くなりたくて純粋な気持ちで近づいたと思ったのか?そなたらがよほどの美男子でない限り、そなたらのような男に進んで寄って来る女は何かたくらみがあると思え。」

―― そ、そんなぁ。それはあまりにも自虐的じゃ?

普通に仲良くなろうとして近寄ってくる女性もいるはずだよ、とは思ったけど、皆は「確かに…」と納得している。

「まぁ、そのくらい警戒を怠るなということだ。任務中は特に、だ!」

「は!」

皆は気を引き締めなおして、奪われかけていた荷物の点検などを始め、改めて出発の準備を始めた。

伊月(いつき)さんは、「私は水を汲みに行く。」と、言って小川の方に歩き始めたので、私もついていく。
私は歩きながら、ずっと気になったことを伊月(いつき)さんに聞いてみる。

「あのう、さっき、私が、あの人は化けダヌキだって言った時に、やっぱりなって言ってましたけど、伊月(いつき)さんはいつ気が付いたんですか?」

「化けダヌキだと気づいたわけではなかったが、私に恐れを抱かず近づいてくる女人は十割あやかしと決まっている。だから、絶対人間ではないと思った。」

「え?」

十割って100パーセント人間の女性が近づいて来ないって自信があるの?

「若い時から幾度となく騙され...いや、今はそれはいいのだが。」

「ええぇ? 伊月さんが美女に騙された過去があるなんて!」

―― さっき皆に言ったことは自分の教訓でもあるってこと?

「だ、だから最初に那美(なみ)どのにも人間かと聞いたのだ…」

「そ、そんな理由もあったんですか?」

といっても、私は美女じゃないけど。
びっくりしている私を他所に、伊月(いつき)さんは小川で水を汲みながら、周りを見回した。
誰も見ていないことを確認すると、私の手を引いて、そっと、大きな岩の陰に入る。
そして、心配そうに私の顔を覗き込んだ。

「タヌキとはいえ、女子をおぶったので、怒っていたのだろう?」

「別に怒っていません。」

「怒っていると顔に書いてあった。」

「…」

私はそのまま無言で伊月(いつき)さんをにらんだ。
伊月(いつき)さんは、すまん、と言って、私をギュと抱きしめた。
そのまま私の後ろ頭をなでなでして、もう一度、すまん、と言う。
伊月(いつき)さんがこんなに抱きしめてくれたのは、武術大会の後に月の峠に行った時以来だった。
さっきまで怒っていたのに、ぎゅーってされて、なでなでされて、嬉しさの方が勝ってしまう。

「も、もう、いいです。謝らないで下さい。…しょうがないです。」

化けダヌキだったとはいえ、女性があんなこと言って、むしろ助けない方が非情だって思うし。
それに私が怒っていたのは伊月(いつき)さんに、というより、むしろあのタヌキに怒っていたのだ。

「許してくれるか?」

それなのに、伊月(いつき)さんはシュンとした顔をして私の目を覗き込む。

―― どうしよう。かわいい。

「ゆ、許します。」

「良かった。」

「でも、自分が背負ったタヌキが男だったってわかって、ちょっとがっかりしていませんでした?」

「そ、それは、誰でもあのような物を背にからっておったと思えばぞっとするだろう!」

そう焦ったように言って、私の両手を取った。

「そういう那美(なみ)どのも、今日は八咫烏(やたがらす)とずっと一緒だったではないか。」

「へ?」

「何も考えずそなたの側でへらへらとしているあいつがどれだけ腹立たしいか…。那美(なみ)どのもそんな八咫烏(やたがらす)の頭をなでたり、やたらとあいつのことを気にかけたり…」

「い、伊月(いつき)さん、もしかして、焼きもちですか?」

伊月(いつき)さんは、私の手をキュッと握ったまま、顔を赤くして、目をそらした。

―― どうしよう。すごくかわいい。

「焼きもちやくのって私ばっかりだと思ってましたけど…。伊月(いつき)さんも焼きもち焼くことってあるんですか?」

「…ある。」

少しすねたようにそう言った伊月(いつき)さんが愛おしすぎて、私はたまらず自分から伊月(いつき)さんに抱きついた。

「な、那美(なみ)どの?」

「ヤバい。心臓爆発します。キュン死します。」

「だ、大丈夫か? 胸が痛いのか?」

伊月(いつき)さんが好きすぎて胸が痛いってことです!」

「な…!!」

伊月(いつき)さんは意味がわからないと言いながらも、私を抱きしめ返してくれた。

「わ、私も謝ります。カラス姿だったので、思わず頭をなでてしまいました。」

「ゆ、許さぬ。」

「え?」

―― どうしよう、相当怒らせたのかな?

私は心配になって伊月(いつき)さんの顔をのぞきこむと、

「この(つぐな)いは後でたっぷりもらう。」

と言って、ニヤリと笑った。

―― あ、本気で怒ってるわけではなさそうだけど、何か、嫌な予感。

(つぐな)いって...何をすればいいですか?」

「今夜、私と一緒に祭りに行ってほしい。」

「え?祭り?」

「まあ、宿に着いた時に、疲れていなければ、だが。」

いきなりの提案にビックリする。

「今夜泊まる予定の宿場町で祭りがあるのだ。」

「そういうことなんですね! それは行きたいです!」

「オババ様とも関係の深い神社での祭りだから、安心して良いだろう。」

「わあい! 楽しみです!」

久しぶりに伊月(いつき)さんと一緒にゆっくり時を過ごせると思うと胸が弾んだ。
「良し」と言って、伊月(いつき)さんは笑みを浮かべると、皆のもとへ歩き出した。

「でも、それって全然(つぐな)いになってないですよ? 私も行きたいですから。」

「そうか、では別の方法で(つぐな)ってもらわねばな。」

伊月(いつき)さんはまた、ニヤっと悪だくみをするような笑いを浮かべた。

―― 余計なこと、言っちゃったかも…。

護衛隊は出発した。
休憩するはずだったのに、余計に体力を使ってしまう事態になってしまった。
それなのに、歩みのスピードは全然落ちない。
さすがに皆、鍛えられているって感じがする。

「あの、伊月(いつき)さんって、この国で幼少期を過ごしたんですよね?」

ふと、今歩いているところが()の国だということに思い至る。

「ああ。この辺は私の庭のようなものだ。」

とても懐かしいと言った声色で伊月(いつき)さんが言った。

「幼いころはやんちゃでよく城を抜け出して色んな場所に行ったものだ。」

「ふふふ。やんちゃな伊月(いつき)さんも可愛いでしょうね。」

私は思い切り、澄んだ空気を吸い込んだ。

()の国は綺麗ですね。」

「そうだな。災害が比較的少なく、自然豊かで、農業も、漁業も栄えている。」

伊月(いつき)さんが言ったことは納得がいく。
どこを見ても自然が豊かだし、飢えている人などは、今の所いなかった。
だから、余計に他の国からも狙われちゃうんだよね。

()には海もあるんですね。」

「ああ。ここから随分南に行くが、ある。帰りはそちらを通って帰ろうと思っている。」

「わぁ。海、見たいな。」

「海も好きなのか?」

「はい。海も山も好きです!」

伊月(いつき)さんは、ふっと笑った。
伊月(いつき)さんが早くこの国に帰ってこれますように。
私はそっと、雷神にお願いをした。
しばらく歩いていたけど、さすがに足が痛くなってきて、(かご)に戻った。

―― 私のせいで行進が遅くなったら嫌だし。

もう何時間も歩きっぱなしなのに、皆、すごいよ。
私ももっと足腰が強かったら、ずっと伊月(いつき)さんの横で歩けるのになぁ。
ふと見ると、私の乗っている(かご)のすぐ横にいる護衛の人が、少しシュンとした顔をしている。

「あのう、大丈夫ですか?」

「あ、はい。すみません。色々と反省していました。」

さっき、皆、伊月(いつき)さんに怒られちゃったもんね。

「あんなに綺麗な女性が来たら気を取られるのも仕方ないですよ。」

私はクスクス笑いながら言った。

(あるじ)清十郎(せいじゅうろう)様は、全然気にも留めずに、すぐにあの場を去られました。」

―― それは伊月(いつき)さんには美女に騙された過去が...

「け、経験値の差ですよ、きっと…。皆さんはまだ若いし。」

私はよくわからないフォローをする。

「それに(あるじ)はあの女人(にょにん)を背にからっている時にも仕切りに那美(なみ)様を気にしておられましたよ。」

「そ、そうですか?」

その護衛の人は大きく頷く。

(あるじ)には色々とかないません。」

「あの…」

私はさっきから誰かと語りたくて仕方なかった話題を振ってみる。

「あの伊月(いつき)さんの小入道(しょうにゅうどう)との立ち回りもすごかったですよね?」

その人はさっきまでシュンとしていたのに、伊月(いつき)さんの戦いぶりを思い出したのか、急に目を輝かせ始めた。

「はい、いつの間にか木の上におられて…!」

「あれはすごかったですよね!すっごい飛んでましたよね!」

「そうなんですよ! 自分の目を疑いました!」

「やっぱり、伊月(いつき)さん、カッコいいですよね! あんなに大きいのにあんなに身軽だし!」

そこに、近くを歩いていた別の人も会話に入って来た。

(あるじ)は男でも惚れます! あんなに大きいのに、動きが速いですし! 大体あの木からどうやって飛び降りてきたのか...」

「そう! 動きが見えないんですよ。 速すぎて!」

「私には清十郎(せいじゅうろう)さんが解説してくれました!」

「ははは。那美(なみ)様は主のことが本当にお好きなのですね。」

「あ、はい…。」

はしゃぎすぎていたことに恥ずかしくなって俯く。

「でも、そういう皆さんも、伊月(いつき)さんのこと尊敬しているんですね。」

「はい。ここにいる皆は(あるじ)の強さに憧れてついて来ております。」

「あのう、伊月(いつき)さんの武勇伝とかありますか?」

「ありますとも!」

いつしか(かご)の近くを歩いていた人たち数人が集まってきて、伊月(いつき)さんの武勇伝をいくつも教えてくれた。
私は伊月(いつき)さんの武勇伝を聞く度に、キャーとかワーとか言って、一人で萌えていた。
この日はそのまま宿に着くまで、ワイワイとみんなで、伊月(いつき)さんの強さが尊すぎるという話で盛り上がり続けた。
予定の宿場町には時間通りに着いた。
泊まる宿もきちんと手配されていて、着いてすぐに、部屋に案内される。

「疲れたか?」

伊月(いつき)さんがそっと気遣ってくれる。

「疲れていません。お祭り行きたいです!」

「一刻後に迎えに行くからしばらくは休め。」

「はい!」

「私の部屋は隣なので何かあればすぐに呼ぶといい。」

「わかりました!」

沢山歩いたけど、タヌキの襲撃以外は拍子抜けするくらいに平和な旅路だった。
景色もきれいだったし、天気も良くて良かったな。
私は荷ほどきを済ませ、お茶を飲んでほっと一息する。
窓から外を眺めるとこの伊国(いこく)の宿場町の様子が目に飛び込んで来る。
そこには食事処も酒屋もあって結構賑わっている。
()の国の城下町とはまたちょっと違った雰囲気で、一人で出歩いている女性も多く見かける。

―― この辺の治安は亜国(あこく)よりいいのかな

亜国(あこく)の女性たちよりも警戒心が低い気がした。

―― ここに帰りたいんだな、伊月(いつき)さんは。

少しゆっくりしていると、宿の人が湯浴みができることを教えに来てくれた。

―― せっかくだからお祭りに行く前に少し汗を流そうかな。

私は軽く湯浴みを済ませて、持ってきた浴衣に着替えた。

―― 夏祭りと言えば浴衣だよね。

準備が終わると丁度そこに伊月(いつき)さんが迎えに来てくれた。

那美(なみ)どの、そろそろ準備は良いか? 祭囃子(まつりばやし)が聞こえてきたようだ。」

「はい。準備はできてます。」

私は待ちきれないというように慌てて部屋の外に出た。

―― あ、ヤバい。

伊月(いつき)さんはいつも(はかま)を履いてキッチリしているけど、今は着流しを着ている。
いつもよりずっとカジュアルな姿で新鮮な感じだ。

―― それもそれで、すごくかっこいい。好き。

伊月(いつき)さんは着流し姿もカッコいいんですね。」

思ったことがそのまま口をついて出てしまう。

「な、那美(なみ)どのの浴衣姿も…」

伊月(いつき)さんはその後を言い淀み、顔を赤くしてクルっときびすを返して私に背を向けた。

「い、行くぞ。」

そう言って歩き始めた伊月(いつき)さんの背中を追う。

―― ふふふ。 伊月(いつき)さん、照れてるっぽい。

町に繰り出すと、お祭りのせいか、さっきよりも人が増えている。
狐っぽい尻尾が着物から出ている人、というかあやかしも多い。
きっとお稲荷様の神社のお祭りだからだろう。

「あちらがその神社だ。鳥居が見える。」

私には人混みでよく見えないけれど、人よりも頭一つ背が高い伊月(いつき)さんには神社の鳥居が見えてるらしい。

「私には人の頭しか見えません。」

「ははは。そうか。那美(なみ)どのは小さいからな。」

そう言って、伊月(いつき)さんは私の頭をポンポンと撫でた。

―― うっ

それだけで、自分の鼓動が速くなるのを感じる。
仲見世の通りに差し掛かると、さすがに人の混雑具合が尋常じゃないレベルになった。
伊月(いつき)さんはそっと私の手を取って、指を絡めた。

―― こ、これはもしかして、恋人つなぎというやつ?

思えば、手を握ったり、キスしたりしたことはあるのに、手をつないで歩くのは初めてだ。
伊月(いつき)さんの横顔を見ると、「何か食べようか」と、立ち並ぶお店を物色している。
私ばっかりドキドキしている気がしてなんだか、ずるい。

―― キュルルルルー

その時、何やら美味しそうな匂いがして、私のお腹が盛大に鳴った。

「す、すみません。」

恥ずかしさにうつむくと、伊月(いつき)さんが笑って、あれを食べようかという。
伊月(いつき)さんが指さしたものは、天ぷらみたいな物だった。

「あれは何ですか?」

「しらすを使った揚げ物だ。しらすじゃが揚げという。伊国(いこく)の名物だ。」

「そうなんですか? 食べてみたいです。」

伊月(いつき)さんは揚げたてのしらすじゃが揚げを買って、私に一つ手渡してくれる。
アツアツのそれは、パン粉っぽいもので揚げてあるからコロッケにしか見えない。
そっと両手でしらすじゃが揚げを半分に割ってみて、びっくりする。

「く、黒い!」

中には黒いフィリングが入っている。

「ジャガイモをすりつぶしたものと、しらすと、竹炭が入っているのだ。」

「竹炭が? 珍しいですね。」

一口かじってみると、ほくほくのポテトとしらすの味がマッチしていて優しい風味が口の中に広がる。

「んー美味しいです!」

()の国にはうまい物が沢山ある。まだまだ食べるぞ。」

「はい!」

伊月(いつき)さんは故郷の味を久しぶりに食べたいのか、堪能する気満々だ。
私も伊月(いつき)さんの好きな物や、伊月(いつき)さんが子供の時に慣れ親しんだ物をしれるのは嬉しい。
伊月(いつき)さんと私は、仲見世通りを隈なく歩き、伊国(いこく)名物を色々と食べた。

中でも美味しさがダントツだったのは、焼きそばだった。
この焼きそばは宮焼きそばと呼ばれているらしい。
普通の麺よりもコシがあって、独特の歯ごたえだ。
絡めたソースの上から、イワシの削り粉をかけているらしい。

お店の横においてある小さな椅子に二人で腰かけて、宮焼きそばを食べた。

「何ですか、この歯ごたえ!プルプル、もちもちしてて美味しいです!」

伊月(いつき)さんも、そうだろう、と満足気に食べている。

「たれもジューシーで程よい甘みが美味しすぎます!」

「じゅーし?? おい、あまり慌てて、食べるな。」

伊月(いつき)さんはそう私を(いさ)めると、私の後ろ頭を手でおさえて、グイっと自分の方に引き寄せた。

―― な、何?

困惑する私をよそに、伊月(いつき)さんは一瞬顔を寄せて、そのまま、私の口の端をペロっと舐めた。

「な、何するんですか!?」

耳が熱くなったから、きっと顔が赤くなったのだろう。

「たれがついていた。」

「な、だ、だからって、そんな風に取らなくても!」

伊月(いつき)さんはドギマギする私とは対照的に、何事もなかったかのように普通に焼きそばを食べている。

「もぅ… 普通、人前でこんなことしないのに。」

「こんな人混みでは誰も見ておらん。」

「でも、でも、恥ずかしいし、ドキドキするじゃないですか。」

「そんなに怒るな。私も浮かれているのだ。」

「え?」

伊月(いつき)さんは、バツが悪そうに目をそらして、焼きそばを無言で食べている。

伊月(いつき)さん、いつも冷静で落ち着いているから浮かれてるって全然わかりませんでした。」

「わからぬならその方がいい。」

「でも、ドキドキしたり、浮かれたりしてるの、私だけかなって思ってたので嬉しいです。」

「そ、そうか…」

焼きそばを堪能してお腹いっぱいになった私達は神社にお参りに行くことにする。
人込みではぐれないように、ずっと手を繋いでいてくれた伊月(いつき)さんが、繋いだ手をサッと隠すように、後ろに回す。

―― 何?

そこに、タコ焼きを頬張る平八郎(へいはちろう)さんと伊月(いつき)さんの家臣がやって来た。

「あ、(あるじ)那美(なみ)様もお祭りにおいででしたか!」

平八郎(へいはちろう)さんはいつものエンジェルスマイルを向けながら近くに来た。

「はい。平八郎(へいはちろう)さんも、楽しんでいるみたいですね。」

「はい、那美(なみ)様の都行(みやこ)きのお仕事を頂いたお陰で旅行が出来て楽しんでおります。」

そういうと、平八郎(へいはちろう)さんは、しまったと言う顔をして、伊月(いつき)さんを見た。

「も、もちろん、護衛の仕事は命を賭してやりぬくつもりです。」

「日頃の仕事をきちんとすれば、時に楽しみに興じるのに、後ろめたい気持ちなどいらぬ。」

「は、はい。ありがとうございます。(あるじ)も、お楽しみ下さい!」

そういうと、平八郎(へいはちろう)さんたちはもっと色んな物を食べ歩きするのだと言って去って行った。
私たちもまた歩き始め、神社の境内に入る。
赤い提灯(ちょうちん)がまばゆいほどに並べられていて、境内の建物を美しく照らし出している。

「わぁ綺麗。」

「稲荷は商売の神だ。那美(なみ)どのも、開発した商品のことを願うといいだろう。」

「そうですね。もっと新しい物を開発してヒット商品を出したいです。」

「ひっと?」

「当たりってことです。」

私たちは手水舎(ちょうずや)で手と口を洗って、参拝客の行列に並んだ。

「あの火つけ具はヒットだったようだな。」

「おかげで追加注文が来ました。でもまだまだ高価なので、高貴な方や大店(おおだな)のお家にしか行き渡ってないみたいです。もう少し原価を安く抑えられれば庶子でも買えるようになるのに。」

「そうか。那美(なみ)どのはそんな風に考えているのだな。誠に面白き人だ。」

「そうですか?」

「ほら、私たちの番だ。」

前の参拝客がお参りを済ませた。
私もお賽銭を投げ入れて、鈴を鳴らして、手を合わせる。

―― いつか伊月(いつき)さんがこの国に帰って来られますように。

一生懸命お祈りをしていると、

「オババ様の所の巫女じゃな。」

女の人の声が聞こえた気がした。

「え?」

何かと思って周りを見回すも、それらしき声の主はいない。

「どうかしたか?」

「いえ、何も。」

―― 気のせいだったかな。

私たちはそのままお参りを済ませて、元来た方向に歩き始めた。
不意に伊月(いつき)さんが私の手をきつく握った。

「何か来る。」

伊月(いつき)さんが私の耳元でささやいた。
少し身構えた瞬間、私たちの目の前に狐の面をかぶっている女の人が立ちふさがった。

伊国(いこく)の王子と雷神の巫女よ…」

その人はそういうと、パチリと、指を鳴らした。
そのとたん、周りの喧騒が消え、祭りばやしの音も消えた。
視界から全ての人も消え、境内には私たちだけが立ってた。
私はわけがわからずにキョロキョロしている。

「私はここに(まつ)られているミノワ稲荷だよ。」

そういうと、女の人の姿が消え、一匹の白い狐が現れた。

「こっちにおいで。本物の稲荷のお祭りに連れていってあげる。」

私たちの目の前にある境内の石段に、急に千本鳥居が現れた。
ミノワ稲荷を名乗る狐はその鳥居のトンネルに入り、走っていき、その姿が見えなくなった。

「え? な、なに?」

「どうやら、狐に化かされているみたいだな。」

伊月(いつき)さんは楽しそうに言って、私の手をひいて鳥居の前に行く。

「行ってみるか?」

嫌な感じはしない。
むしろワクワクする。

「はい!行きましょう!」
最初の鳥居をくぐると、鳥居の間に今までなかった夜店が狐火とともに浮かび上がった。
それはとても幻想的で美しかった。
さっきまで静寂に包まれていた空間に、人間のそれとは違った音色のおはやしが聞こえ始めた。

「わぁ。」

そして、足元には沢山の狐たちが祭りを楽しむように歩いている。
狐たちが私の足元を通り過ぎるたびに尻尾が当たってくすぐったい。

―― すごいモフモフしている!

ゆっくり歩く私たちの元に、狐の面を付けた男の人がやって来て、りんご飴を一本ずつくれた。

「ありがとうございます。」

お礼を言うとその男の人の体がスッと消える。

「あの、これ、食べてもいいんですか?って、もう食べてる。」

伊月(いつき)さんの様子を伺うと、もうすでにりんご飴をしゃりしゃり頬張っている。

「普通にうまいぞ。」

「ふふふ。じゃあ私も頂きます。」

―― ん?

「あの、このりんご飴、食べたらすぐにカムナリキが回復しているのがわかります!」

「そうか?あの稲荷のはからいだろう。どうやら歓迎されているらしいな。」

そのまま夜店を冷やかしながら歩いていくと、一匹の狐が歩みよってきた。

「そこのお侍さん、弓を射てみないかい?」

狐が指さす方向を見ると、何匹か人間の姿をしているけど尻尾を出した狐たちが(まと)めがけて弓を射ている。
(まと)が遠いのか、なかなか(まと)に当てられないでいる。
当てたとしても、真ん中にはほど遠い。

「あのかすみ(まと)中白(なかじろ)に当てれば景品をやるぞ。」

その隣にある景品の山を見ると、可愛い狐のぬいぐるみや、お(めん)がおいてあった。

「わぁ、可愛い。」

「何だ、欲しいのか? ならば弓を射よう。」

「その調子だぜ、お侍さん!」

狐に促されて、代金を払い、伊月(いつき)さんが弓を取る。
それまで全然(まと)に当てられなかった狐たちが弓を射るのを辞めて伊月(いつき)さんに注目した。

「あれに当てればいいのか?」

「へい。」

「この距離でか?」

「へい。そうです。」

本当にいいのか…とつぶやきつつ伊月(いつき)さんは(まと)を見据えて、体制を整え、弓を引いた。
伊月(いつき)さんの弓を引く姿が凛々しくて思わず見とれてしまう。

―― カッコいい…

ヒュンと、伊月(いつき)さんの放った矢は風を切って、(まと)の真ん中を射た。

うおお!と、周りの狐たちも私も歓声を上げ、拍手がなった。
何事かと野次馬ならぬ野次狐たちが集まって来る。
でも、何故か一人伊月(いつき)さんは納得の行かない顔をしている。

「おい、店主、もう一本矢をくれ。全然威力が足りなかった。」

「何を言いますか。大当たりではありませんか。」

「いいから、もう一本、寄越せ。」

伊月(いつき)さんは無理矢理代金を払い、もう一本矢を貰って弓を引いた。
今度も矢は風を切り、(まと)の真ん中に当たった。
でも、今度はズドンッ!というすごい音がして、矢は(まと)の後ろの分厚い巻き(わら)の向こう側にまで突き抜けていた。

「す、すごい!」

野次狐たちがわっと歓声を上げ、皆で拍手喝采を送る。
私も思わず狐たちときゃあきゃあ騒ぐ。

伊月(いつき)さんカッコいいです!」

「い、いいから、景品を選べ。」

伊月(いつき)さんは私の背中を押して景品の山に連れて行った。

「私が選んでいいんですか? 伊月(いつき)さんが弓を射たのに。」

「そなたのために射たのだ。」

「きゃー!嬉しい。じゃあ、これ。」

私は鍵を(くわ)えている狐のぬいぐるみを選んだ。

―― うぅ。可愛い~。

嬉しくてぬいぐるみをきゅっと抱きしめた。

「そんな面妖(めんよう)な人形が好きなのか・・・」

「め、面妖(めんよう)って、可愛いじゃないですか。」

そこに狐の店主も反論してきた。

面妖(めんよう)とは何だ!この人形は、この界隈で有名な俳優のコン(きち)様を模したものだぞ。コン(きち)様は一世一代の伊達(だて)役者で…」

「そ、そうか…。悪かった。」

店主の熱弁に伊月(いつき)さんも押され気味だ。

「ところで、娘っ子。」

狐の店主が私に言う。

「もう一つ景品を選べ。このお侍さんは二本とも真ん中に当てやがったからな…」

「いいんですか?」

「いいも何も、そういう決まりだ。」

「わぁい!」

私はコン(きち)人形をもう一つ取った。
今度は口に玉を(くわ)えているやつだ。

「そ、そんなにこれが好きなのか…?」

少し困惑気味の伊月(いつき)さんに、ぬいぐるみをグイっと差し出す。

「一つは伊月(いつき)さんのです。」

「は?」

「お願いです、もらって下さい。」

私は少し強引にコン(きち)人形を伊月(いつき)さんの手に持たせた。

「な、なぜ…?」

伊月(いつき)さんは困惑した顔をした。

―― う、強面の伊月(いつき)さんがぬいぐるみ持ってるのって、なんだか…

ギャップ萌えして心臓が破壊されそうになったのを抑えて説明する。

「この旅の思い出に、伊月(いつき)さんとお(そろ)いのお土産が欲しいんです。だめですか? 」

「そ、そうか…。なら、貰っておこう。」

伊月(いつき)さんはそれ以上反論せずにコン(きち)人形を貰ってくれた。

―― 良かった。

私たちは狐の店主にお礼を言って歩き始めた。
それからも狐たちは行く先々で昆布茶をくれたり、お団子をくれたり、踊りを見せたりしてくれた。
狐たちの踊りを見ていると、だんだんと千本鳥居の形が薄れていく。

「あ...」

次の瞬間、狐のお祭りのおはやしも聞こえなくなり、狐たちの姿も消えた。
気がつくと元の神社の敷地内にいた。

「どうやら、人間の方の祭りに戻ってきたらしいな。」

私たちは境内の裏にいるらしく、遠くから人の声やおはやしが聞こえるけど、
この周りには提灯(ちょうちん)もともってなかった。

「わぁ。すごい体験をしちゃいましたね。すごく楽しかったです。狐もみんなモフモフでかわいか・・・きゃ!」

急に伊月(いつき)さんの手が私の腰に周って、体をグイっと引き寄せられた。
そのまま伊月(いつき)さんは私の体をぎゅっと抱きしめた。

「い、伊月(いつき)さん…」

伊月(いつき)さんは私の肩に顔を埋めて深いため息をついた。

「今日一日、そなたが愛らしすぎて心臓がもたぬかと思った。」

「え?」

「ずっとこうしたかった。」

伊月(いつき)さんはいつもの低く落ち着いた声で、でもどこか切なそうにそうささやいた。
そしてきつく抱きしめたまま私の髪の毛をそっと撫でた。
胸がきゅんとして私も伊月(いつき)さんの背中にそっと手を回した。

「私も伊月(いつき)さんがかっこよくて、ずっとドキドキしていました。」

「まったく、そういうことを言うから…」

伊月(いつき)さんは呆れたようにいうと、私の顔を覗き込んだ。

「な、何ですか。」

「顔が赤いぞ。」

「だって、伊月(いつき)さんが近いから・・・」

「これから何をすると思う?」

「な、何って何ですか?」

伊月(いつき)さんがもっと顔を近づけた。
唇がくっつきそうでつかない距離だ。

「何をしてほしい?」

「そ、そんなの、わかってるくせに...」

伊月(いつき)さんはフッと微笑んだ。

「わからん。言え。」

時々伊月(いつき)さんは意地悪だ。
意地悪モードのスイッチがあるみたいに。

でもそんな伊月(いつき)さんが嫌じゃなくて、その甘い命令に従ってしまう。

「口づけて・・・欲しいです。」

私がそういうと伊月(いつき)さんはゆっくりとキスをしてくれる。
強引な口調とは裏腹の甘くて優しいキスだった。
ゆっくりと口の中を蹂躙されて、胸の奥が苦しくなる。
だけど嫌じゃない。
それどころかもっとって思ってしまう。
私はしばらく伊月(いつき)さんの熱い唇を受け止め続けた。
()の国ではのんびりと物見遊山で移動して、お祭りに行ったりもしたけど、
二日目からは()の国境を超え、()の国境に入るので、伊月(いつき)さん率いる護衛隊は軽く武装をしていた。

()の国と()の国の国交は今断絶していて情報が入りにくい。八咫烏(やたがらす)に先を見てもらっているが、万一のために備えているのだ。」

伊月(いつき)さんの説明通り、隊は必要以上に休憩を取らず、できるだけ山野を避け、次の宿場へと急いだ。
()の国は、()()の国に比べて明らかに貧しいようだ。
田畑は枯れて、人々が痩せている。
私たちの行列を見て、物乞いをしてくる人もいた。

「あの山はどうしても超えなければいかぬ。」

ずっと山や森を避けていたけど、どうしてもそこを通らないと都には行けないらしい。
伊月(いつき)さんは先に八咫烏(やたがらす)さんに飛んでもらって、状況を確認した。
しばらく山道を進むと、八咫烏(やたがらす)さんが戻ってきた。

丑寅(うしとら)の方角から山賊が来るぞ。27人。馬はない。」

と、言った。

「地の利は向こうにある。逃げるには間に合わん。迎え撃つぞ。」

伊月(いつき)さんが指示を出して、私を(かご)に隠し、山肌を背に(かご)を置いた。
伊月(いつき)さんが黒毛にまたがり、刀を抜き、先頭に立った。
その左右に弓を持った平八郎(へいはちろう)さんと清十郎(せいじゅうろう)さんが陣取った。
他の人たちも荷物をおいて刀を抜き、私の(かご)の周りを囲んだ。

私は下げられた(かご)御簾(みす)の隙間から外をのぞく。
やがて「うぉおおおお」と、怒号が聞こえ、武器を持った集団が走って向かってきた。

―― こ、怖い!

まず平八郎(へいはちろう)さんと清十郎(せいじゅうろう)さんが弓を放ち、次に槍を持った人達が前に出て応戦するも、山賊との距離はすぐに縮まった。

平八郎(へいはちろう)さんも、清十郎(せいじゅうろう)さんも、ついに刀を抜き、前に走って出て行く。
ガキン、ガキンと金属のぶつかる音がして、二人とも接近戦になった。
平八郎(へいはちろう)さんは、ぶつかった刀身で相手を押し倒し、相手の刀が地に落ちた。
平八郎(へいはちろう)さんは刀を失った相手にとどめを刺さずに、そこで躊躇(ちゅうちょ)した様子を見せた。
その瞬間、相手が(ふところ)から匕首(ひしゅ)を取り出し、平八郎(へいはちろう)さんに切り付けた。

―― あ、あぶない!

平八郎(へいはちろう)さんはとっさに後ろによけたが、匕首(ひしゅ)は腕に掠ったらしく、着物が割けた。
平八郎(へいはちろう)さんは、体のバランスを崩し、後ろに倒れこんで、尻もちをついた。
開いての男はそれを見逃さず、平八郎(へいはちろう)さんに襲い掛かる。

―― どうしよう! へ、平八郎(へいはちろう)さんが刺される!

その瞬間、伊月(いつき)さんが馬上から降りて、平八郎(へいはちろう)さんの前に走り出た。
そして、匕首(ひしゅ)を振り回す男の胴を切った。
鮮血が飛び散り、男は絶命して、平八郎さんの前に倒れた。

―― うっ

こんなに大量の血を見たのは、日本で通り魔に襲われそうになった時以来だ。
気持ち悪くなって吐きそうになるのを一生懸命に抑える。

「あ、(あるじ)・・・」

「ためらうな!そなたのためではない、ここにおる全員のためだ!」

伊月(いつき)さんが大きな声で平八郎(へいはちろう)さんを叱咤(しった)する。

「立て、平八郎(へいはちろう)清十郎(せいじゅうろう)、左右に付け。駆けるぞ!」

「は!」

伊月(いつき)さんがサッと黒毛にまたがり、横原を蹴った。
そのまま一直線に盗賊集団の中に突っ込んでいく。

―― 伊月(いつき)さん... 盗賊の頭領(とうりょう)を直接狙ってるの?

黒毛の左右を平八郎(へいはちろう)さんと清十郎(せいじゅうろう)さんが守り、伊月(いつき)さんは集団の最奥まで達する。
盗賊の頭領(とうりょう)伊月(いつき)さんがそのまま切りかかり、その男も応戦するけど、戦いぶりにあまりの差があった。
伊月(いつき)さんは向かってきた男の刀をよけながら、その腕をスパリと切り落とした。

「ぎゃぁぁぁあああああ!」

すごい悲鳴をあげ、その男は失った腕を見てパニック状態になっている。
伊月(いつき)さんはすぐさま下馬してもう片方の男の腕をねじり上げた。
他の盗賊たちはその悲鳴を聞いて、動きを止めた。

「皆の者、得物を捨てろ。さもなくば、この者の首を取る!」

伊月(いつき)さんは男の首に刀を当てた。

「降参すれば命は取らぬ!」

盗賊は皆、持っていた武器を地面に置いた。

「縄をかけろ!」

伊月(いつき)さんの号令で皆がうなだれる盗賊たちに縄をかけ縛り上げた。
盗賊の頭領(とうりょう)は、もうすでに意識がもうろうとしている。

「この者は止血をし、延命措置をしろ。」

「は。」

清十郎(せいじゅうろう)さんが腕を切り落とされた盗賊の頭領(とうりょう)に応急措置を施す。
伊月(いつき)さんはまた黒毛に乗って、私の所に駆けてきた。
御簾(みず)を開けて私の顔を見る。

「怪我はないか?」

「はい。誰もここまでたどり着きませんでした。」

「良し。もう少し待ってろ。」

伊月(いつき)さんはまた御簾(みす)を下し、集団の元に戻った。
生き残った盗賊たちは後ろ手に縄でしばられ、伊月(いつき)さんの前に座らさせられた。

「そなたらの頭領(とうりょう)はあのざまで話しができぬ。代わりは誰か。」

「俺だ。」

さっきまで盗賊の長の近くにいた男が言った。

「我が名は共館伊月(ともだていつき)。皇帝の客人として(みやこ)に参る途中だ。そなたらの仲間はここにいるだけか?」

男は不貞腐れたように何も答えない。
伊月(いつき)さんの家臣がその男の喉元に短刀を当てた。

「答えねば切る。」

「わかった。俺らの負けだ。」

男は観念したらしく、話し始めた。

「仲間はここにいるだけだ。」

「妻子はおらんのか?」

「それを聞いてどうする。」

「いれば保護する。」

「な、何?」

「そなたらも妻子を養うためにこんな事をしておるのだろう。」

伊月(いつき)さんの言葉を聞いて盗賊たちがざわめき始めた。

「名は何という?」

兵五郎(ひょうごろう)という。」

兵五郎(ひょうごろう)、そなたが私のために働くなら、飯を与え、妻子を養っても余りあるだけの扶持(ふち)を与える。どうか?」

私は話の流れが思わぬ方向に行っているので、びっくりしてそのまま聞き耳を立てた。

「そ、そんな虫のいい話、信じると思うのか? どうせ何かに利用しようとするのだろう。」

兵五郎(ひょうごろう)と名乗った男の疑いは当然の反応だった。

「利用するのはお互い様だ。互いの利害が一致すればいいではないか。そなたらは私のために働き、私は扶持(ふち)を与える。どうか?」

「お、お前のための働きと言うのはどういうものだ?」

「身を改め、侍となり、()の国において、ここにいる巫女と荷物の護衛をすること。」

伊月(いつき)さんは私の乗っている(かご)を指さす。

「それから()の国情を伊国(いこく)の私の手の者に定期的に伝えることだ。」

「お、俺らを侍にするっていうのか?」

「ああ。そなたらは()の国の者だが、私の配下とし、いずれ亜国(あこく)伊国(いこく)で働きに応じて家をもたせてやってもいい。全てはそなたらの働き次第だ。」

また盗賊団がざわつく。

「そう言って、お、俺らの妻子を売り飛ばす気ではないのか?」

「口約束で不安であれば起請文(きしょうもん)を書こう。」

起請文(きしょうもん)は神に誓いを立てる文章だ。

「ただし、一旦私の臣となれば、このような狼藉(ろうぜき)は一切許されんぞ。」

兵五郎(ひょうごろう)と言った男の人は少し考えたように言った。

「しばし、仲間と話す時間が欲しい。」

「あいわかった。」

伊月(いつき)さんはそういって、盗賊の集団から少し距離を取った。
盗賊たちは伊月(いつき)さんが信頼に値するかどうか話し合いたかったらしいが、結果が出るのがはやかったらしく、話し合いはとても短かった。

「話し合いは終わりもうした。」

兵五郎(ひょうごろう)さんが声を張り上げ、伊月(いつき)さんたちがまた距離を詰めた。
すると、盗賊たちはいっせいに座り方を改め、皆が伊月(いつき)さんに向かって頭を下げた。

「降参申し上げる。共舘(ともだて)様に下ります。どうぞ我らを臣下として頂きたく存じます。」

兵五郎(ひょうごろう)さんが皆を代弁する。

―― す、すごい! 味方にしちゃった。

「よし、縄を解け。紙と筆をここに。」

伊月(いつき)さんは兵五郎(ひょうごろう)さんたちの縄を解かせ、自分は起請文を書いた。
伊月(いつき)さんと兵五郎(ひょうごろう)さんは、二人とも親指を噛み、その起請文に血判を押した。

兵五郎(ひょうごろう)、そなたらの居住区に案内せよ。今夜はそなたらの一族郎党に飯をふるまう。」

「あ、ありがとうございます!!」

兵五郎(ひょうごろう)さんたちは涙を流しながら喜びの声を上げた。
伊月(いつき)さんの率いる護衛隊は、死んでしまった盗賊と、腕を失った頭領(とうりょう)のために、木を切って担架(たんか)を作り、兵五郎(ひょうごろう)さんたちの住んでいる所に運ぶ準備をした。

その間、私の所に伊月(いつき)さんがもう一度やって来て、もう少し(かご)の中にいて欲しいと言った。

「私が手伝えることは、何もないですか?」

「あのような荒くれ者たちにそなたを見せたくないのだ。頼む。」

「わ、わかりました。でも、安全だって思ったら、何かお手伝いさせてくださいね。」

「ああ。その時は那美(なみ)どのの手を借りる。」

護衛隊は、兵五郎(ひょうごろう)さんの後に続いて移動を始める。
すると、「那美(なみ)様、失礼します。」と言って、御簾(みす)が一瞬開き、清十郎(せいじゅうろう)さんが転がるように入ってきた。

(あるじ)(めい)にて、那美(なみ)様をこの先護衛致します。」

「あ、ありがとうございます。」

すると、清十郎(せいじゅうろう)さんは、いきなり着物を脱ぎ始めた。。

―― な、何?

慌てて着物の(そで)で顔を隠してうつむくと、清十郎(せいじゅうろう)さんがクスっと笑った。

那美(なみ)様は初心(うぶ)で御座いますね。」

「い、いきなり、なんですか…」

「着替え終わりました。失礼しました。お顔をお上げ下さい。」

私は(そで)を下げて清十郎(せいじゅうろう)さんを見ると、清十郎(せいじゅうろう)さんは女の姿になっていた。

「あっ。」

―― そっか、女でいた方が、私の護衛をしやすいのか。

「この先は、キヨとお呼び下さい。今からは那美(なみ)様の侍女に御座います。」

「は、はい。宜しくお願いします、キヨさん。」

「今回は悋気はなしでお願いしますね。」

「も、もうっ、キヨさん、今、それを言わなくてもいいじゃないですか。」

キヨさんは女性らしく、(そで)で口元を隠して、クスクス笑った。

兵五郎(ひょうごろう)さんが案内した所には寂れた村があった。
畑があるが、荒れ果てて、草木一本生えていない。
餓死して死んだのか、やせ細った死体がゴロゴロ転がって、鳥や虫がその体をついばみ、異臭が漂っている。

兵五郎(ひょうごろう)さんが声をかけると、壊れかけた小屋のような建物から、
女の人たち、子供たち、それから年よりたちがわらわらと出てきた。
兵五郎(ひょうごろう)さんが皆に事情を説明し、伊月(いつき)さんを紹介した。
腕を失った長と殺された人の家族は伊月(いつき)さんたちが運んだ担架に群がり、泣き悲しんだ。

「仇討ちをしたい者がいれば、私が受けて立つ。」

伊月(いつき)さんが呼びかけるが仇討ちをしようとする人は名乗り出なかった。

「皆、飢えで疲弊しております。」

兵五郎(ひょうごろう)さんが言う。

「では、さっそく炊き出しを致そう。皆、椀を持ってこい。」

伊月(いつき)さんが護衛隊に命じて炊き出しを始めると、お腹を空かせた人がお椀を片手にわらわらと集まる。

そこに、バサバサと羽音がして、人間姿で羽の生えた八咫烏(やたがらす)さんが降りてきた。
なにか小脇に抱えている。

「おぉ、八咫烏(やたがらす)、狩りはどうだ。」

「まずまずだ。」

そういうと、八咫烏(やたがらす)さんは小脇に抱えていたものを、ゴロンと地に転がした。
(いのしし)だった。
皆は肉が食えると歓喜の声を上げた。

兵五郎(ひょうごろう)、さばけるか?」

「もちろんです。しかしこの辺りにはもう獣も寄り付かないのに、どこで仕留めて来られたんです?」

兵五郎(ひょうごろう)さんが驚いたように言う。

「俺は一日に何十里も飛べる。」

八咫烏(やたがらす)さんがどや顔で言うのをよそに、兵五郎(ひょうごろう)さんは嬉しそうに猪をさばき始めた。
皆がむさぼるように食事をし始めると、伊月(いつき)さんが、(かご)まで来て、御簾(みす)を開けた。

「思ったより、悲惨な状態だ。見たくないものを見るかもしれぬが、そなたが良ければ、外に出てもいい。」

「出ます。」

伊月(いつき)さんに手を引かれて、きよさんと一緒に外に出ると、皆が不思議な物を見るような目で視線を送ってくる。

「タカオ山の巫女様だ。」

と、伊月(いつき)さんが私を紹介すると、村の人が頭を下げた。

「え、えっと、頭を上げて下さい。」

私を拝んでいるおじいさんもいる。

「あ、あの、拝まないでください。」

私は伊月(いつき)さんに促されて、一緒に床几に腰をかけた。

那美(なみ)どのも何か食べるか?」

「いいえ。私はいいです。」

食欲なんてなかった。
ただただ、村の人たちを見ると悲しさと、虚しさが胸を打った。

兵五郎(ひょうごろう)、ここへ。」

皆がお腹を満たし、落ち着きを取り戻したころ、伊月さんが兵五郎(ひょうごろう)さんを呼び、金子の入った袋を授けた。
兵五郎(ひょうごろう)さんが驚いて固まり、村の皆がざわめき始める。

「私たちはこれから都に行き、帰りは()の港町を通って()に入る。私たちが()の領土にいる間、この隊とともに巫女と荷駄(にだ)の護衛をすることを命ずる。それはその前金だ。」

「こ、こんなに…」

乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)を一切やめ、無事に勤めを果たせば、定期的に報酬を与える。」

「おぉぉぉぉ。」

女性たちもお年寄りもシクシク泣き始め、伊月(いつき)さんの前にひれ伏した。

「悪い事をしなくても食べていけるのなら、そんなに良いことはありません。」

私も泣きたくなった。
こんなひどい状態になるまで、どうして誰も助けてくれなかったんだろう。

「このように田畑が育っておらんのは何故だ。」

「日照りでございます。干ばつが長く続いております。」

「雨ごいをする巫女はおらんのか。」

「こんな所まで誰も来てくれません。 ()の国主からも見放されております。」

「あ、あの…」

私は立ち上がった。

「私、雨ごいしてみてもいいですか?」

那美(なみ)どの...」

「雷も一緒に来ちゃうかもしれないですけど、何度かオババ様と練習したことあるんです。成功するか分からないですけど。」

伊月(いつき)さんが大きく頷いて、村の皆も期待の目で私を見た。
私はオババ様に言われたことを思い出し、心の中で反芻した。
(ふところ)に持った、伊月(いつき)さんがくれた数珠(じゅず)を手に持つ。
深呼吸をしてカムナリキを雷石(らいせき)に流し込む。
()の国のミノワ稲荷がくれたりんご飴のお陰でカムナリキはいつになくみなぎっている。
皆の飢えている様子を、餓死して死んでいった者たちを思って、どうしようもない悲しみをカムナリキに混ぜ込む。

「おぉぉぉぉ、雨雲が現れたぞ!」

そして、雷神に祈りを込めて雨を起こすようにお願いする。
やがて辺りが真っ暗になり、雨雲が村全体に広がったのが分かった。

「雷神よ、この村にご加護を!」

私は天に向けて両手を広げた。
すると、ザ――と音がして、雨が降り始めた。
ゴロゴロっと音がして、雷も鳴った。
村人が喜び、天を仰ぎながら踊り始める。

「良かった。」

私はホッと一息ついた。
この夜、「このままでは疫病が蔓延(まんえん)する」と言って、伊月(いつき)さんは、皆に命じ、村に転がる死体の処理を先導した。
伊月(いつき)さんたちとの戦いで亡くなった人たちの(とむら)いも兼ねた総合葬儀みたいになった。
兵五郎(ひょうごろう)さんたちは伊月(いつき)さんたちがそこまでしてくれたことにいたく感動していた。
夜もすっかり更けて、この日の移動は無理になってしまったけれど、この村には伊月(いつき)さんたち一隊が泊まれるような家はなく、私以外は皆、野宿になった。
私は村の女性たちと、それから女性に(ふん)したキヨさんと一緒に小さな小屋の中で寝ることになった。

「今日泊まる予定だった宿場には、明日早くに行って、もう一度そこで休めるよう算段を立てる。予定が少し狂ったが、許せ。」

伊月(いつき)さんが私に言う。

「許せ、なんて言わないで下さい。私、伊月(いつき)さんたちの今日の働き、素晴らしかったです。」

伊月(いつき)さんはそれには応えず、ただ私の頭にポンと手を置いた。

「そなたにも辛い一日であったな。キヨがついているので、安心して休め。」

「はい。ありがとうございます。」

次の日の早朝、護衛隊は持っていた非常食を全部村人のために置いて、出発した。
兵五郎(ひょうろごう)さんと他の男衆たちも護衛隊に加わり私たちを送ってくれる。
道中、伊月(いつき)さんはずっと兵五郎(ひょうろごう)さんと話しをしていた。
これからどうやって村を建て直せばいいのかを教えているようだった。
やがて、()の国と()の国境に差し掛かり、伊月(いつき)さんが 「次は港まで護衛の隊を組んで来るように。」と、いい含め、兵五郎(ひょうごろう)さんたちと別れることになった。
兵五郎(ひょうごろう)さんたちは私たちが見えなくなるまでずっと頭を下げて見送ってくれた。

―― やっと、()を抜けて、()に入ったんだ。

とは言え、まだまだ郊外なので、山道が続き、集落は見えない。
日が頭上に上ったころ、土地が開け、宿場町が見えてきた。
今日はここで宿を取る、と、伊月(いつき)さんが皆に言うと、皆も安堵の色を示した。
護衛隊は昨日の戦闘のあと、村の人たちを助け、炊き出しをし、けが人の看病をしたり、死体の埋葬をしたり、野宿したり、休みなく働いて、随分と疲れている。
この辺りは治安も悪くないのか、私も(かご)を出ることを許されて歩き始めた。
近くにいる清十郎(せいじゅうろう)さんに話しかける。

「ここの人たちは飢えてないですね。」

「ええ。ここは貴族がよく来る湯治場ですからね。」

「湯治場ってことは温泉ですか?」

「はい。皆も楽しみにしていますよ。那美(なみ)様も湯に浸かって体をお休め下さい。」

「さっきの山からそんなに離れていないのに、随分と雰囲気が違いますね。」

「国を収める者次第で民の暮らしは随分変わります。我が(あるじ)()の国主ならもっと国を富ませられますのに。」

「私も改めて伊月(いつき)さんすごいなって思いました。」

(あるじ)が人を切るのを見たのに、那美(なみ)様は肝が座っておられましたね。」

「見てて気分がいい物じゃないです。正直吐きそうでした。でも生きるために必要なことだったんだって思います。不謹慎かもしれないですけど、殺されたあの人の代わりに、平八郎(へいはちろう)さんが助かって良かったって思いました。」

誰の命も平等だって言いたいけれど、あんな状況になって生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたら、そんなこと言ってられなくなるんだ。
誰しも自分の仲間を救いたい。

「誰も飢えずに人から物を盗らなくても生きていける世の中になったらいいなって思うのは甘いですか。」

「いいえ、そんなことはありません。そのようにお考えになる那美(なみ)様だからこそ、(あるじ)も心をお許しになっているのでしょう。」

「え? どういうことですか?」

清十郎(せいじゅうろう)さんはそのままの意味ですよ、と、言って、それ以上は話さなかった。

宿場町に着いたはいいけど、伊月(いつき)さんは充分な部屋を確保するのに苦心していた。
予定が狂って一日到着が遅れたことと、貴族たちの夏の休暇の時期が今日から始まったみたいで、どこを見ても宿泊客でいっぱいだった。
どの宿も満室か、空いていても一つの宿につき、一部屋だけだった。
伊月(いつき)さんは一番高そうな宿の唯一空いているひと部屋を私のために押さえてくれた。
その時、 「那美(なみ)どのを一人だけ宿においてはおけぬ。こうなれば今夜は私が那美(なみ)どのの部屋の前の廊下で寝ながら護衛する。」 と、伊月(いつき)さんが平八郎(へいはちろう)さんに言っているのを聞いた。

私も一人で宿に泊まる勇気はない。
個室といっても、現代日本のホテルのようにしっかりした鍵があるわけでもないし、しっかりしたプライバシーがあるわけでもない。
宿は夜になると酔っ払いだらけになる。
ある程度カムナリキで自衛ができると言っても、寝てる時に何かあったら対応できない。
かといって、伊月(いつき)さんが廊下で寝るのは絶対嫌だ。

―― ただでさえ昨日も野宿であんまり休めてないのに。

色んな宿と交渉をして、ようやく、全員の泊まる所が決まり、皆、散り散りに自分たちの宿へと行った。
皆が行ったのを見届けて、宿の仲居さんが私と伊月(いつき)さんを部屋へと案内してくれた。
伊月(いつき)さんが、では、私は予定通りここで、と廊下に居座ろうとしたので、
私は仲居さんに、すかさず、「この人と一緒に泊まります。」 と言って、伊月(いつき)さんの腕に自分の腕を絡めた。

「な、那美(なみ)どの…?」

伊月(いつき)さんに何も言われないように言葉を遮った。

「さっきまでこの人と夫婦喧嘩してて、売り言葉に買い言葉で、あなたは廊下に寝てって言っちゃったんです。」

「まあまあ、そんなことだと思いましたよ。時々する夫婦喧嘩も円満の秘訣ですよ。」

仲居さんは、ニコニコしながら言う。
私の下手な芝居も信じてくれているらしい。

「でも、それはかまいませんが、追加料金になりますよ。」

「お金は私が払います。」

「な、那美(なみ)どの!」

「もう、あなたは黙って部屋に入ってて! 私の荷物持って行ってよね。」

私は伊月(いつき)さんをぐいぐい押して部屋に入れる。

「奥様の言う事はお聞きになった方がいいですよ。旦那さんは女房の尻に敷かれているくらいが丁度いいって言うんです。うふふ。」

仲居さんも乗ってきてくれる。
私は伊月(いつき)さんを部屋に入れて、ふすまをピシっと閉めた。
(ふところ)から財布を出して、追加料金を払うと、「今夜は仲直り頑張って下さいね」と言って、仲居さんは嬉々として去っていった。

部屋に入ると、激おこ顔の伊月さんが座っていた。

―― いつになく、顔がこわい!

伊月(いつき)さん、すみません。でも、ああでもしないと、伊月(いつき)さん廊下に寝るって言い張ると思って。」

「元よりそのつもりだ。那美(なみ)どのはどういったつもりでこんな事を?」

伊月(いつき)さんにちゃんと、お布団で休んで欲しくて。」

「布団に寝ないことなど慣れている。こんな勝手をされては困る!」

伊月(いつき)さんの声が大きくなって、私は一瞬ひるんだ。

「こ、困るって…。そ、そんなに私と一緒の部屋が嫌なら、私が廊下に寝ます!」

「な、何と?」

私は泣きたくなってうつむいた。

「どうして、そんなに拒むんですか。そんなに私が嫌なんですか?」

私の声が震えてしまい、泣きそうになっているのが分かったのか、伊月さんが焦り始めた。

「な、泣くな。拒んでいるわけではない。嫌ではない。ただ…。」

「ただ、何ですか?」

「一旦、ここに座ろうか…」

伊月(いつき)さんが私を座らせ、私と膝を突き合わせる形で正座する。

那美(なみ)どのは、私が男だということを忘れているのではないか?」

「え? 忘れるわけないじゃないですか…。」

「では、那美(なみ)どのは覚悟があってこうしたのか?」

「覚悟って何の覚悟ですか?」

「だ…だから…その…私と…その…そういうことをする…。」

急に、伊月(いつき)さんは言い淀みながら、顔を赤くした。
その瞬間、私は伊月さんの言いたいことが分かった気がした。

―― そういうことって、男女のそういうことってこと?

そういわれると、私にその覚悟は全然できてない。
恥ずかしいけど、この年まで、私はそういう経験がない。

―― え? もしかしてそのために伊月(いつき)さんを部屋に連れ込んだとか思われたの?

今度は私が焦り始めた。

「あ、いや、そういうんじゃなくて、そういうつもりじゃ全然なくて…!私はただ、伊月(いつき)さんに休んでほしくて。わ、私はこっちの端っこに布団を敷いて寝ますから!伊月さんはあっちの端っこに布団を敷いて寝ればいいじゃないですか?」

那美(なみ)どの…」

「はい・・・。」

那美(なみ)どのは男がどういうものかわかっていない!」

「そ、そんなの、男になったことないから分かるわけないじゃないですか。」

伊月(いつき)さんは盛大にため息をついて、どう説明すればいいんだ、と、ブツブツ言っている。

「つまりだな、私にとっては、那美(なみ)どのと一緒の部屋で寝ながら手を出さないよう我慢するのと、廊下に寝るのとでは、前者の方がよほど苦しい修行になるということだ。」

「いやいや、そんな事、いい説明が出来たみたいなドヤ顔で言われても!」

「ドヤ顔とは何か?いや、そんな事は今はどうでもいい、とにかく那美(なみ)どのは私にそういう苦行を強いろうとしているのだ。」

「う…」

私は言葉を失うと同時に伊月(いつき)さんの言いたかったことがはらおちして、自分の顔がブワっと赤くなったことが分かった。

―― でも…

「だったら、やっぱり、私が廊下で寝ます。伊月(いつき)さんがあんなに戦って、人を助けて、野宿して、皆のために宿の手配をして、すごく疲れている日に、廊下に寝かせるなんて、私にとって、とても苦しい修行です。」

那美(なみ)どの・・・。」

私が譲る気がないと分かったのか、伊月(いつき)さんがため息をついた。

「わかった。今夜はこの部屋で寝る。で、できるだけ…我慢する。」

「良かった!」

私はホッと一息ついた。

「あ、でも、本当に私、そういうつもりで伊月(いつき)さんを部屋に連れ込んだわけじゃないんです。そこはわかって下さい。」

「そ、そんなに念を押されると結構傷つく…。」

「え? 何て言ったんですか?」

伊月(いつき)さんが何かボソボソと言っていたけど、「何でもない」と言われた。
もう一度言ってくれる気はなさそうだ。

「じゃあ、伊月さん、その旅装を解いて、少し楽にしてください。 私、お茶を淹れますから。」

「…わかった。ありがたく頂く。」

軽装に着替えた伊月(いつき)さんにお茶を出していると、さっきの仲居さんが戻ってきた。

「お客様、湯殿(ゆどの)の準備ができましたよ。温泉、いかがですか?」

「わぁ、温泉入りたいです!」

「ご案内しますよ。」

「先に行ってきたらどうだ。私はこの茶を飲んでから行く。」

「じゃあ、行ってきます!」

「それでは旦那様の方はまた後でご案内に上がりますね。」

「ああ、頼む。」

夫婦のお芝居を始めたのは自分だけど、普通に旦那様とか言われるとすごく恥ずかしい!
伊月(いつき)さんは平然としているのに!
私は一人ドキドキしながら、湯殿(ゆどの)に向かった。