―― 今日こそは、避けずにちゃんと伊月さんと向き合おう。
私は気持ちを切り替えることにした。
伊月さんに彼女がいてもいなくても、例えこの気持ちをあきらめなければならなくなっても、一緒にいる間は楽しく過ごして、いい思い出を作りたい。
そう心に決めながら伊月さんの屋敷で今日も雑用をこなす。
―― と、言っても、今日も空振りかな。
伊月さんは今日もまた、源次郎さんと出かけているらしかった。
平八郎さんに部屋の掃除を頼んで、私は台所で作り置きする物を準備していた。
もうそろそろ、家事も終わって、切り上げようと思っていた時だった。
台所の扉がスパンと開いた。
びっくりして扉の方を見ると、伊月さんが立っていた。
「い、伊月さん。びっくりしました。こんにちは。」
伊月さんは今帰ってきたばかりみたいで、荷物の入った風呂敷を背中に背負っている。
荷ほどきもせずに無言で台所にずんずん入って来たかと思うと、私の腕をつかんだ。
「え?」
「話がある。こちらに。」
私は伊月さんに腕を引かれるままについて行く。
廊下に出ると、パタパタと足音が聞こえた。
「那美さま!少々お待ち下さい。」
―― ん?
振り返ると、小走りに平八郎さんがこちらへ寄ってくる。
伊月さんはパッと掴んでいた腕を離した。
「平八郎さん、どうしたんですか、慌てて?」
「…。」
伊月さんは立ち止まり無言で様子を見ている。
「はい、お帰りになる前に、これをお渡ししたくて。」
「え?」
平八郎さんは懐から小さな巻物を取り出し、私に手渡す。
「これ、何ですか?」
「市で見つけた短歌集です。女性の好まれるような情緒溢れる短歌が沢山収めてあります。先日は袴のほつれを直して頂いたのに、しっかりお礼もできていませんでした。」
「そんなに気を使わなくてもよかったんですよ。でも、ありがとうございます。大切に読みます。」
平八郎さんの優しさが嬉しかった。
「あ、でも、私、短歌読んでも意味がわかるかなぁ。」
ふと不安をもらすと、平八郎さんはにっこりエンジェルスマイルを浮かべて言った。
「では良かったら私が那美様の時間がある時に解説いたします。」
「それは嬉しいけど、平八郎さん忙しいんじゃ?」
すると、さっきまで様子を見ていた伊月さんがスタスタと歩み寄ってきた。
「平八郎、お前も那美どのも当分忙しいだろう。短歌は武術大会が終わってからにしろ。」
「そうですね。主のおっしゃるとおりですね。」
平八郎さんは少し残念そうに見えた。
「じゃあ、私たちはこれから話すことがあるので。」
そう言うと、伊月さんは私の手をぐいっとひっぱり、また歩きだした。
「え、あ、い、伊月さん?」
伊月さんは振り返らずスタスタと歩く。
「あ、へ、平八郎さん、ありがとうございました! また落ち着いたら、お願いしますね!」
理由もわからず伊月さんに連れていかれながら、平八郎さんにお礼を告げる。
やがて伊月さんは厩に私を連れて行き、すっと手を離した。
そのまま有無を言わさず私の体を持ち上げ、黒毛の背中に乗せた。
「きゃっ、あ、あの、どこに?」
伊月さんはいつかしたように、私の後ろに乗ると、黒毛を歩かせた。
―― どうしよう。
伊月さんのことが好きだと自覚してしまい、改めて伊月さんに会うと、胸が張り裂けそうだ。
ただでさえドキドキするのに馬上ですごく密着していて、意識してしまう。
伊月さんの筋肉質な体を、着物から香るヒノキの香りを、どうしようもなく意識してしまう。
―― 私、今、きっと顔が真っ赤だ。
「無理矢理連れて来てしまってすまない。」
「あ、いえ…。」
「話したいことがあって。」
伊月さんは小高い丘の上で馬を止めた。
「わぁ。」
そこには紫陽花が咲き乱れる花園があった。
「綺麗!」
「降りてみるか?」
「はい!」
伊月さんは黒毛を木の幹に繋ぎ、私を馬から降ろす。
「こちらに…。」
そして、そっと私の手を取って歩き出した。
―― もしかして、伊月さん、私の事を喜ばせようとしてくれてる? だからこんな綺麗な所に?
ちらっと伊月さんの顔を見上げると、バチっと目が合った。
大好きな人の顔をこんなにしっかり目を合わせて見たのは、久しぶりだ。
「伊月さん…。」
愛おしさがこみ上げて来て、言いたいこともわからないまま、名前を呼んだ。
伊月さんはふっと笑うと、急に私の体を持ち上げ、横抱きにした。
「あのっ…足怪我してませんよ?」
「この辺は連日の雨でぬかるんでいる。」
伊月さんは私を抱いたまま、花園の中頃にある東屋まで歩いて、私をそっと降ろす。
離れていく伊月さんの体を引き寄せて抱きしめたくなる衝動にかられた。
伊月さんは東屋に置かれている石の長椅子が乾いているのを確かめて私を座らせた。
伊月さんはおもむろに背負っていた包みを背から降ろし、私に差し出した。
「これをやる。」
「え? これ、何ですか?」
伊月さんはぶっきらぼうにいいながら包みを差し出す。
「ほら、受け取れ。」
「は、はい。」
言われるままに包みを両手で受け取ると、ちょっと重たい。
伊月さんがするっと包んであった風呂敷をとくと中から綺麗な長方形の桐の箱が出てきた。
桐の箱には見た事のある紋が入っている。
―― あ、この紋って...
前に伊月さんが城下町に連れて行ってくれた時に立ち寄ったお店の紋だ。
そして、あの時、キヨさんと買い物してた時のお店でもある。
不思議に思いながら伊月さんの顔をうかがうと、
「かどわかし事件の捜査に協力してくれた礼だ。」
「これ、私にですか?」
「そなた以外に他に誰がいる?」
すっかり、あの店で、キヨさんのために何か買っていたのだと思っていたからびっくりした。
―― キヨさんにじゃなく、私に?
どうしよう、何か、ばかみたいに嬉しい。
「あ、ありがとうございます!」
あまりにも嬉しくて大きな声を出してしまう。
「そ、そんなに力まないで良いではないか。それより開けてみたらどうだ。」
私は伊月さんに言われるまま箱を開けた。
「わあ、可愛い!」
中にはきれいな淡い色の上質な絹でできた織物の反物が入っていた。
「それから、これも…。」
伊月さんは、もう一つの大きめの桐の箱を手渡してくれる。
そっと開けてみると、反物にぴったり合うデザインの帯、帯揚げ、帯紐だった。
帯には織糸に少し金糸が入っていて、繊細な刺繍が施してあり、とても上質なのがわかる。
「すごい! 可愛いーーーー!!!」
思わずため息が出るほど、上品で、でも可愛くて、思わずウットリする。
「こんなにたくさん、もらってもいいんですか?」
「…気に入らぬか?」
「まさか! とても綺麗です! こんな綺麗な正絹も、刺繍も、初めて見ました!」
「気に入ったなら、良かった。しかし、まさか平八郎に先手を取られるとは思わなかったが…」
伊月さんがボソッと何かいう。
「え? 何か言いましたか?」
「…別に。気にするな。」
「はい? それにしても、すごく上質な生地ですねぇ。ずっと触っていたいです。」
細かい匠の技が散りばめられた刺繍に感動して思わず細部に目を凝らす。
「それで着物でも作るといい。」
―― そっか、この世界では皆、基本的に自分の着物を自分で縫うんだ。
私は夕凪ちゃんに、着物の縫い方を教えてもらおうと決めた。
「本当に嬉しくて、何とお礼をいっていいかわかりません。」
私は貰ったものが汚れないようにそっと包み直し、箱に入れて、両腕で抱きしめた。
嬉しくて目頭が熱くなる。
私が馬鹿みたいなことに嫉妬して、伊月さんに失礼な態度とっていたのに、伊月さんは私のことを考えてくれてたんだ。
「い、つき、さん…。」
喉の奥が熱くなって、言葉が上手くでてこない。
「嬉しいです。」
思わず伊月さんを見上げると、ふっと伊月さんが笑って私の頬をむにっとつかんだ。
「うっ..。」
「ようやく笑ったな。」
伊月さんがいつになく優しく微笑みかける。
―― 伊月さんのいたずらっぽい笑顔、久しぶりに見た。
日に当たって伊月さんの漆黒の目がキラキラ光っている。
「あの、ひ、ひひゃいです・・・」
はははと笑いながら、伊月さんが手を離した。
―― もっと、こういう時間を伊月さんと過ごせたらいいのに。
そんな事を考えていると伊月さんはふと、恨みがましく眉根を寄せて私を見つめた。
「那美どの・・・いろいろと悩み事があったんだそうだな?」
「え?」
「ここ数日、那美どのの様子が変だったから、平八郎に探りを入れたら、親が実の親じゃないかもしれぬ、とか、何か、そういうことで悩んでるみたいだったと聞いた。」
「え?」
―― 私がごまかしで入れたたとえ話がメインの内容になってる?
―― 確かにそういう話したけど、いろいろ間違ってるよ、平八郎さん!
「あ、いや、ちょっと違うんですけど…。」
「違うのか?」
「まあ、それは例え話なんですけど、悩んでたのは違わないです。」
―― うそは言ってないよ、ね?
「そういうことなら平八郎なんぞにわざわざ言わずとも、私に言えばいいだろう。」
―― え?
意外な伊月さんの言葉に目を瞬かせていると、
―― あ…
伊月さんがさらに眉間のしわを深めながら、そっと私の頭をなでた。
優しくて、大きな伊月さんの手が少しくすぐったい。
「那美どの、挙動不審すぎだったぞ…。そんなに悩むくらいならさっさと言えばいいではないか。」
―― もしかして、すごく心配してくれてたのかな・・・?
優しく髪をなでる手が温かくて、そして照れくさくて、胸が高鳴る。
でも、本当の事を言ってないから、なんだか、伊月さんの優しさを素直に受け取れない。
きっと、本当の事を言ったら、迷惑がられるかもしれない。
―― でも…
もうこれ以上モヤモヤしたくない。
ごまかして逃げたり、避けたりしたくない。
私は意を決して、伊月さんに話すことにする。
どうせ隠したって、また挙動不審になる自分を抑えきれずに、伊月さんに失礼な態度を取ってしまうかもしれない。
「あの、親が実の親じゃないかもしれないとか、それは本当に例え話しで、私が悩んでいたことは全然違うんです。」
「そうなのか?」
「はい。そんな感じで、知りたいけど知りたくない事がある時に、気持ちをどう整理したらいいんだろう?って話をしてて…。」
伊月さんは私から手を離して心配そうに顔を覗き込んだ。
「そなたの親御さんの事ではなかったのか?」
「いいえ。そもそも親は私の小さい時に亡くなってるし。」
「そうなのか? では、その知りたいけど知りたくないこととは?」
「しょ、正直に言いますから、ひかないで下さい。」
「大丈夫だ。言ってみろ。」
私は一つ大きく深呼吸をした。
キヨさんの事を言えば、伊月さんに私の気持ちが知られてしまう。
でも…。
私は気持ちを切り替えることにした。
伊月さんに彼女がいてもいなくても、例えこの気持ちをあきらめなければならなくなっても、一緒にいる間は楽しく過ごして、いい思い出を作りたい。
そう心に決めながら伊月さんの屋敷で今日も雑用をこなす。
―― と、言っても、今日も空振りかな。
伊月さんは今日もまた、源次郎さんと出かけているらしかった。
平八郎さんに部屋の掃除を頼んで、私は台所で作り置きする物を準備していた。
もうそろそろ、家事も終わって、切り上げようと思っていた時だった。
台所の扉がスパンと開いた。
びっくりして扉の方を見ると、伊月さんが立っていた。
「い、伊月さん。びっくりしました。こんにちは。」
伊月さんは今帰ってきたばかりみたいで、荷物の入った風呂敷を背中に背負っている。
荷ほどきもせずに無言で台所にずんずん入って来たかと思うと、私の腕をつかんだ。
「え?」
「話がある。こちらに。」
私は伊月さんに腕を引かれるままについて行く。
廊下に出ると、パタパタと足音が聞こえた。
「那美さま!少々お待ち下さい。」
―― ん?
振り返ると、小走りに平八郎さんがこちらへ寄ってくる。
伊月さんはパッと掴んでいた腕を離した。
「平八郎さん、どうしたんですか、慌てて?」
「…。」
伊月さんは立ち止まり無言で様子を見ている。
「はい、お帰りになる前に、これをお渡ししたくて。」
「え?」
平八郎さんは懐から小さな巻物を取り出し、私に手渡す。
「これ、何ですか?」
「市で見つけた短歌集です。女性の好まれるような情緒溢れる短歌が沢山収めてあります。先日は袴のほつれを直して頂いたのに、しっかりお礼もできていませんでした。」
「そんなに気を使わなくてもよかったんですよ。でも、ありがとうございます。大切に読みます。」
平八郎さんの優しさが嬉しかった。
「あ、でも、私、短歌読んでも意味がわかるかなぁ。」
ふと不安をもらすと、平八郎さんはにっこりエンジェルスマイルを浮かべて言った。
「では良かったら私が那美様の時間がある時に解説いたします。」
「それは嬉しいけど、平八郎さん忙しいんじゃ?」
すると、さっきまで様子を見ていた伊月さんがスタスタと歩み寄ってきた。
「平八郎、お前も那美どのも当分忙しいだろう。短歌は武術大会が終わってからにしろ。」
「そうですね。主のおっしゃるとおりですね。」
平八郎さんは少し残念そうに見えた。
「じゃあ、私たちはこれから話すことがあるので。」
そう言うと、伊月さんは私の手をぐいっとひっぱり、また歩きだした。
「え、あ、い、伊月さん?」
伊月さんは振り返らずスタスタと歩く。
「あ、へ、平八郎さん、ありがとうございました! また落ち着いたら、お願いしますね!」
理由もわからず伊月さんに連れていかれながら、平八郎さんにお礼を告げる。
やがて伊月さんは厩に私を連れて行き、すっと手を離した。
そのまま有無を言わさず私の体を持ち上げ、黒毛の背中に乗せた。
「きゃっ、あ、あの、どこに?」
伊月さんはいつかしたように、私の後ろに乗ると、黒毛を歩かせた。
―― どうしよう。
伊月さんのことが好きだと自覚してしまい、改めて伊月さんに会うと、胸が張り裂けそうだ。
ただでさえドキドキするのに馬上ですごく密着していて、意識してしまう。
伊月さんの筋肉質な体を、着物から香るヒノキの香りを、どうしようもなく意識してしまう。
―― 私、今、きっと顔が真っ赤だ。
「無理矢理連れて来てしまってすまない。」
「あ、いえ…。」
「話したいことがあって。」
伊月さんは小高い丘の上で馬を止めた。
「わぁ。」
そこには紫陽花が咲き乱れる花園があった。
「綺麗!」
「降りてみるか?」
「はい!」
伊月さんは黒毛を木の幹に繋ぎ、私を馬から降ろす。
「こちらに…。」
そして、そっと私の手を取って歩き出した。
―― もしかして、伊月さん、私の事を喜ばせようとしてくれてる? だからこんな綺麗な所に?
ちらっと伊月さんの顔を見上げると、バチっと目が合った。
大好きな人の顔をこんなにしっかり目を合わせて見たのは、久しぶりだ。
「伊月さん…。」
愛おしさがこみ上げて来て、言いたいこともわからないまま、名前を呼んだ。
伊月さんはふっと笑うと、急に私の体を持ち上げ、横抱きにした。
「あのっ…足怪我してませんよ?」
「この辺は連日の雨でぬかるんでいる。」
伊月さんは私を抱いたまま、花園の中頃にある東屋まで歩いて、私をそっと降ろす。
離れていく伊月さんの体を引き寄せて抱きしめたくなる衝動にかられた。
伊月さんは東屋に置かれている石の長椅子が乾いているのを確かめて私を座らせた。
伊月さんはおもむろに背負っていた包みを背から降ろし、私に差し出した。
「これをやる。」
「え? これ、何ですか?」
伊月さんはぶっきらぼうにいいながら包みを差し出す。
「ほら、受け取れ。」
「は、はい。」
言われるままに包みを両手で受け取ると、ちょっと重たい。
伊月さんがするっと包んであった風呂敷をとくと中から綺麗な長方形の桐の箱が出てきた。
桐の箱には見た事のある紋が入っている。
―― あ、この紋って...
前に伊月さんが城下町に連れて行ってくれた時に立ち寄ったお店の紋だ。
そして、あの時、キヨさんと買い物してた時のお店でもある。
不思議に思いながら伊月さんの顔をうかがうと、
「かどわかし事件の捜査に協力してくれた礼だ。」
「これ、私にですか?」
「そなた以外に他に誰がいる?」
すっかり、あの店で、キヨさんのために何か買っていたのだと思っていたからびっくりした。
―― キヨさんにじゃなく、私に?
どうしよう、何か、ばかみたいに嬉しい。
「あ、ありがとうございます!」
あまりにも嬉しくて大きな声を出してしまう。
「そ、そんなに力まないで良いではないか。それより開けてみたらどうだ。」
私は伊月さんに言われるまま箱を開けた。
「わあ、可愛い!」
中にはきれいな淡い色の上質な絹でできた織物の反物が入っていた。
「それから、これも…。」
伊月さんは、もう一つの大きめの桐の箱を手渡してくれる。
そっと開けてみると、反物にぴったり合うデザインの帯、帯揚げ、帯紐だった。
帯には織糸に少し金糸が入っていて、繊細な刺繍が施してあり、とても上質なのがわかる。
「すごい! 可愛いーーーー!!!」
思わずため息が出るほど、上品で、でも可愛くて、思わずウットリする。
「こんなにたくさん、もらってもいいんですか?」
「…気に入らぬか?」
「まさか! とても綺麗です! こんな綺麗な正絹も、刺繍も、初めて見ました!」
「気に入ったなら、良かった。しかし、まさか平八郎に先手を取られるとは思わなかったが…」
伊月さんがボソッと何かいう。
「え? 何か言いましたか?」
「…別に。気にするな。」
「はい? それにしても、すごく上質な生地ですねぇ。ずっと触っていたいです。」
細かい匠の技が散りばめられた刺繍に感動して思わず細部に目を凝らす。
「それで着物でも作るといい。」
―― そっか、この世界では皆、基本的に自分の着物を自分で縫うんだ。
私は夕凪ちゃんに、着物の縫い方を教えてもらおうと決めた。
「本当に嬉しくて、何とお礼をいっていいかわかりません。」
私は貰ったものが汚れないようにそっと包み直し、箱に入れて、両腕で抱きしめた。
嬉しくて目頭が熱くなる。
私が馬鹿みたいなことに嫉妬して、伊月さんに失礼な態度とっていたのに、伊月さんは私のことを考えてくれてたんだ。
「い、つき、さん…。」
喉の奥が熱くなって、言葉が上手くでてこない。
「嬉しいです。」
思わず伊月さんを見上げると、ふっと伊月さんが笑って私の頬をむにっとつかんだ。
「うっ..。」
「ようやく笑ったな。」
伊月さんがいつになく優しく微笑みかける。
―― 伊月さんのいたずらっぽい笑顔、久しぶりに見た。
日に当たって伊月さんの漆黒の目がキラキラ光っている。
「あの、ひ、ひひゃいです・・・」
はははと笑いながら、伊月さんが手を離した。
―― もっと、こういう時間を伊月さんと過ごせたらいいのに。
そんな事を考えていると伊月さんはふと、恨みがましく眉根を寄せて私を見つめた。
「那美どの・・・いろいろと悩み事があったんだそうだな?」
「え?」
「ここ数日、那美どのの様子が変だったから、平八郎に探りを入れたら、親が実の親じゃないかもしれぬ、とか、何か、そういうことで悩んでるみたいだったと聞いた。」
「え?」
―― 私がごまかしで入れたたとえ話がメインの内容になってる?
―― 確かにそういう話したけど、いろいろ間違ってるよ、平八郎さん!
「あ、いや、ちょっと違うんですけど…。」
「違うのか?」
「まあ、それは例え話なんですけど、悩んでたのは違わないです。」
―― うそは言ってないよ、ね?
「そういうことなら平八郎なんぞにわざわざ言わずとも、私に言えばいいだろう。」
―― え?
意外な伊月さんの言葉に目を瞬かせていると、
―― あ…
伊月さんがさらに眉間のしわを深めながら、そっと私の頭をなでた。
優しくて、大きな伊月さんの手が少しくすぐったい。
「那美どの、挙動不審すぎだったぞ…。そんなに悩むくらいならさっさと言えばいいではないか。」
―― もしかして、すごく心配してくれてたのかな・・・?
優しく髪をなでる手が温かくて、そして照れくさくて、胸が高鳴る。
でも、本当の事を言ってないから、なんだか、伊月さんの優しさを素直に受け取れない。
きっと、本当の事を言ったら、迷惑がられるかもしれない。
―― でも…
もうこれ以上モヤモヤしたくない。
ごまかして逃げたり、避けたりしたくない。
私は意を決して、伊月さんに話すことにする。
どうせ隠したって、また挙動不審になる自分を抑えきれずに、伊月さんに失礼な態度を取ってしまうかもしれない。
「あの、親が実の親じゃないかもしれないとか、それは本当に例え話しで、私が悩んでいたことは全然違うんです。」
「そうなのか?」
「はい。そんな感じで、知りたいけど知りたくない事がある時に、気持ちをどう整理したらいいんだろう?って話をしてて…。」
伊月さんは私から手を離して心配そうに顔を覗き込んだ。
「そなたの親御さんの事ではなかったのか?」
「いいえ。そもそも親は私の小さい時に亡くなってるし。」
「そうなのか? では、その知りたいけど知りたくないこととは?」
「しょ、正直に言いますから、ひかないで下さい。」
「大丈夫だ。言ってみろ。」
私は一つ大きく深呼吸をした。
キヨさんの事を言えば、伊月さんに私の気持ちが知られてしまう。
でも…。