まだ降り止まぬ土砂降りの中、兵たちが慌ただしくしている。
「今夜はあの丘に幕を張り、一晩過ごし、明日出発する。」
移動して幕を張る者、敵兵と魔獣の死体の検知をする者、埋葬をする者などに、伊月は次々と指示を与える。
その時だった。
―― ん？
裏手にある木々の深い茂みの奥から何やら芳しい風が吹いた気がした。
なぜか気になって伊月は茂みの中へと向かう。
「殿、どこへ行きなさる?」
「すぐに戻る。お前たちは後処理をしておれ」
「は。」
何かにひきつけられるように歩き出した主を堀は一瞬心配したが、
―― 小便でもなさるのだろう。
などと思ってその懸念を拭い去った。
伊月が茂みを進んでいくと、少し開けた場所がある。
そこに一筋光が差し込み明るくなっている。
―― 土砂降りなのに陽だまりとは？
不思議に思った伊月は光の筋を辿って空を見上げる。
すると何やらゆっくりと天から降りてくるではないか。
雨のせいでよく見えないが人のような形をしている。
―― もしかして魔獣か、それとも妖怪か。
伊月は刀に手をかけたが、それが近づいてくるにつれて自分の目を疑った。
―― 人間の女？
少なくとも人間の形をしている。女に見える。
伊月は思わず刀から手を離し両手を空に掲げ、その女を受け止める体制をとった。
女の体はゆっくりと伊月の両手の中に落ちてきた。
ずしりと人間の体の重みを感じる。
「なんと…！」
女の顔を覗き込むと蒼白な顔をして意識を失っている。
「おい、しっかりせい。大丈夫か?」
息はしているようだった。
伊月は大木の下にその女を連れて行き、少しでも雨風がしのげるところにその体を横たえた。
脈を計ると脈はしっかりしている。
血の気が引いているようだが一時、気を失っているだけで命には別状はなさそうであった。
奇怪なことが続いていて、伊月は半ば頭がおかしくなったのかと思った。
妖怪でも異形のものでもないその女は苦しそうに、でもしっかりと息をしている。
「くそ。放ってはおけぬ。」
鬱蒼と茂った木々の間から伊月が戻ってきた。
堀をはじめとする家臣団は伊月の姿を見てびっくりした。
ぐったりとした女を横抱きにして歩いてくる。
「と、殿、これは一体何事で。」
「気を失っている女を見つけた。放ってはおけぬ。」
「さ、さようですか。担架を用意し、天幕へ運ばせましょうか。」
「ああ、頼む。それから商人を探させろ。乾いた着物が必要だ。村人から買い取っても良い。」
「承知しました。」
――――
天幕の外では兵たちがまだ慌ただしく働いている。
雨も弱まり、兵たちは勝ち戦を祝う準備を進めていた。
商人たちが酒を運び込んでいるのを兵たちも喜々として手伝っていた。
我が大将は雷神の加護により今回の戦に大勝した、と兵たちは得意げに語り合った。
ついでに大将が女を拾ったという噂も広まった。
天幕の中で伊月は立ち往生していた。
「殿、早く着替えさせてやりませぬと、どんどん体温が奪われ、ますます血の気が引きますぞ。」
みるみる伊月の顔に焦りがにじみ出た。
戦場でどんな難しい状況に陥ろうとも冷静沈着な主が今は女を前にアタフタとしている。
堀はそんな主を少しからかいたくなっていた。
「ではそなたが着替えさせろ。」
「何をおっしゃいますか。その女は殿のお拾いもの。あの村の巫女が言った通りになりましたな。」
「こ、この女があの巫女の言った、鳥のようなものを拾うということか。」
伊月はこの女が空から降ってきたとは誰にも言ってない。
だが堀は鳥のような拾い物はこの女だと確信している。
「そうとしか考えられません。この女の着物を見ればわかります。」
伊月は堀に促され、女の着物を見た。
白地に紺の模様の入った珍しい袖の長い着物に袴姿だ。
「千鳥柄でございましょう。さらにこのような珍しき二尺袖は鳥の羽根のような意匠ではありませんか。」
堀は確信した口調で伊月に説いた。
伊月は着物の意匠になど興味がなくそれが千鳥柄だというのにも言われて気づいた。
「とにかく、拾い物をなさった張本人が世話をするべきです。私は幕の外に控えております。」
「しかし…」
「人命に関わることにございます。」
「ちょ、待て...。」
主を無視してさっさと堀は外に出て行った。
「堀の奴め。」
誰もこの状況に手を貸さないと理解して、伊月は覚悟を決め、女と対峙する。
「女、許せ。」
伊月は意識のない女に申し訳なさそうに言うと、頭を下げた。
そして女の着ていた着物を脱がせ、豪雨で濡れ、冷え切った体を拭き、部下に調達させた男物の単衣に着替えさせた。
「堀、いるか？」
天幕の外へ声をかけると、「はい、控えております」と声が聞こえた。
「私の気つけ薬を煎じてここへ。」
「はい。」
堀は遠慮がちに天幕の中へ入ってくる。
「殿、気付け薬にございます。」
女の着物は綺麗に着替えさせられている。
―― 殿、よくお出来になりましたな
と、堀は心のなかでエールを送る。
伊月は女の上半身を片手で支え、もう片方の手で蒼白になった頬をペチペチと叩いた。
「おい、薬を飲め。血を回復させる薬だ。」
女の意識は一向に回復しない。
無理矢理煎じ薬の入った茶碗を女の口に押し付けてみるが、薬は唇からこぼれ落ちただけだった。
ここで堀のからかい心がまたムクムクと湧いてきた。
「殿、口移ししか手はありますまい。」
「な、何?」
さっきにも増して伊月は焦りの色を見せた。
「む、む、無理だ。そなたがやれ!」
「先程も申し上げましたが、これは殿のお拾いものです。」
堀は伊月にしらけた目を向けた。
「一国の将軍がこれしきのことでうろたえてどうなさいます。」
「う、うろたえてなどおらぬ!」
「相当に血の気が引いております。このままでは体温が失われ他の病気に罹患するやもしれませぬ。」
「私もそう思ったのだ。」
「はい、ですから、薬を飲ませるのは必定。私は幕の外に控えております。」
「しかし…」
「人命に関わることにございます。」
「ちょ、待て...。」
同じような問答を繰り返し、またもや堀は主を無視してさっさと外に出て行った。
「堀の奴め。」
伊月は改めて女の顔を覗き込む。
「女、許せ。そなたのためだ。」
そう言うと、自分の口に薬湯を含ませ、女の口に押し付けた。
舌で女の唇を広げ薬湯を流し込む。
そして女がゴクリと飲み込むまで唇を塞いだ。
伊月は薬湯がなくなるまで何度かそれを繰り返した。
女の唇はとろけるように柔らかかった。
「今夜はあの丘に幕を張り、一晩過ごし、明日出発する。」
移動して幕を張る者、敵兵と魔獣の死体の検知をする者、埋葬をする者などに、伊月は次々と指示を与える。
その時だった。
―― ん？
裏手にある木々の深い茂みの奥から何やら芳しい風が吹いた気がした。
なぜか気になって伊月は茂みの中へと向かう。
「殿、どこへ行きなさる?」
「すぐに戻る。お前たちは後処理をしておれ」
「は。」
何かにひきつけられるように歩き出した主を堀は一瞬心配したが、
―― 小便でもなさるのだろう。
などと思ってその懸念を拭い去った。
伊月が茂みを進んでいくと、少し開けた場所がある。
そこに一筋光が差し込み明るくなっている。
―― 土砂降りなのに陽だまりとは？
不思議に思った伊月は光の筋を辿って空を見上げる。
すると何やらゆっくりと天から降りてくるではないか。
雨のせいでよく見えないが人のような形をしている。
―― もしかして魔獣か、それとも妖怪か。
伊月は刀に手をかけたが、それが近づいてくるにつれて自分の目を疑った。
―― 人間の女？
少なくとも人間の形をしている。女に見える。
伊月は思わず刀から手を離し両手を空に掲げ、その女を受け止める体制をとった。
女の体はゆっくりと伊月の両手の中に落ちてきた。
ずしりと人間の体の重みを感じる。
「なんと…！」
女の顔を覗き込むと蒼白な顔をして意識を失っている。
「おい、しっかりせい。大丈夫か?」
息はしているようだった。
伊月は大木の下にその女を連れて行き、少しでも雨風がしのげるところにその体を横たえた。
脈を計ると脈はしっかりしている。
血の気が引いているようだが一時、気を失っているだけで命には別状はなさそうであった。
奇怪なことが続いていて、伊月は半ば頭がおかしくなったのかと思った。
妖怪でも異形のものでもないその女は苦しそうに、でもしっかりと息をしている。
「くそ。放ってはおけぬ。」
鬱蒼と茂った木々の間から伊月が戻ってきた。
堀をはじめとする家臣団は伊月の姿を見てびっくりした。
ぐったりとした女を横抱きにして歩いてくる。
「と、殿、これは一体何事で。」
「気を失っている女を見つけた。放ってはおけぬ。」
「さ、さようですか。担架を用意し、天幕へ運ばせましょうか。」
「ああ、頼む。それから商人を探させろ。乾いた着物が必要だ。村人から買い取っても良い。」
「承知しました。」
――――
天幕の外では兵たちがまだ慌ただしく働いている。
雨も弱まり、兵たちは勝ち戦を祝う準備を進めていた。
商人たちが酒を運び込んでいるのを兵たちも喜々として手伝っていた。
我が大将は雷神の加護により今回の戦に大勝した、と兵たちは得意げに語り合った。
ついでに大将が女を拾ったという噂も広まった。
天幕の中で伊月は立ち往生していた。
「殿、早く着替えさせてやりませぬと、どんどん体温が奪われ、ますます血の気が引きますぞ。」
みるみる伊月の顔に焦りがにじみ出た。
戦場でどんな難しい状況に陥ろうとも冷静沈着な主が今は女を前にアタフタとしている。
堀はそんな主を少しからかいたくなっていた。
「ではそなたが着替えさせろ。」
「何をおっしゃいますか。その女は殿のお拾いもの。あの村の巫女が言った通りになりましたな。」
「こ、この女があの巫女の言った、鳥のようなものを拾うということか。」
伊月はこの女が空から降ってきたとは誰にも言ってない。
だが堀は鳥のような拾い物はこの女だと確信している。
「そうとしか考えられません。この女の着物を見ればわかります。」
伊月は堀に促され、女の着物を見た。
白地に紺の模様の入った珍しい袖の長い着物に袴姿だ。
「千鳥柄でございましょう。さらにこのような珍しき二尺袖は鳥の羽根のような意匠ではありませんか。」
堀は確信した口調で伊月に説いた。
伊月は着物の意匠になど興味がなくそれが千鳥柄だというのにも言われて気づいた。
「とにかく、拾い物をなさった張本人が世話をするべきです。私は幕の外に控えております。」
「しかし…」
「人命に関わることにございます。」
「ちょ、待て...。」
主を無視してさっさと堀は外に出て行った。
「堀の奴め。」
誰もこの状況に手を貸さないと理解して、伊月は覚悟を決め、女と対峙する。
「女、許せ。」
伊月は意識のない女に申し訳なさそうに言うと、頭を下げた。
そして女の着ていた着物を脱がせ、豪雨で濡れ、冷え切った体を拭き、部下に調達させた男物の単衣に着替えさせた。
「堀、いるか？」
天幕の外へ声をかけると、「はい、控えております」と声が聞こえた。
「私の気つけ薬を煎じてここへ。」
「はい。」
堀は遠慮がちに天幕の中へ入ってくる。
「殿、気付け薬にございます。」
女の着物は綺麗に着替えさせられている。
―― 殿、よくお出来になりましたな
と、堀は心のなかでエールを送る。
伊月は女の上半身を片手で支え、もう片方の手で蒼白になった頬をペチペチと叩いた。
「おい、薬を飲め。血を回復させる薬だ。」
女の意識は一向に回復しない。
無理矢理煎じ薬の入った茶碗を女の口に押し付けてみるが、薬は唇からこぼれ落ちただけだった。
ここで堀のからかい心がまたムクムクと湧いてきた。
「殿、口移ししか手はありますまい。」
「な、何?」
さっきにも増して伊月は焦りの色を見せた。
「む、む、無理だ。そなたがやれ!」
「先程も申し上げましたが、これは殿のお拾いものです。」
堀は伊月にしらけた目を向けた。
「一国の将軍がこれしきのことでうろたえてどうなさいます。」
「う、うろたえてなどおらぬ!」
「相当に血の気が引いております。このままでは体温が失われ他の病気に罹患するやもしれませぬ。」
「私もそう思ったのだ。」
「はい、ですから、薬を飲ませるのは必定。私は幕の外に控えております。」
「しかし…」
「人命に関わることにございます。」
「ちょ、待て...。」
同じような問答を繰り返し、またもや堀は主を無視してさっさと外に出て行った。
「堀の奴め。」
伊月は改めて女の顔を覗き込む。
「女、許せ。そなたのためだ。」
そう言うと、自分の口に薬湯を含ませ、女の口に押し付けた。
舌で女の唇を広げ薬湯を流し込む。
そして女がゴクリと飲み込むまで唇を塞いだ。
伊月は薬湯がなくなるまで何度かそれを繰り返した。
女の唇はとろけるように柔らかかった。
