「おぃ、那美の作った飯を食わせろ。」
今日も今日とて八咫烏が、ずかずかと伊月の屋敷に入って来た。
「ど、どうした?」
いつも嫌味の一つや二つ言い返す伊月が食卓におらず、平八郎と源次郎が辛気臭い顔で夕餉を食べている。
「伊月はどこだ?」
「あるじなら縁側で酒を飲まれております。」
「こんな雨の夜にか?」
「那美様と何かあったようで不貞腐れております。」
源次郎がいつものごとく白けたように言った。
平八郎が言うには、那美が泣きながら出て行ったのだそうだ。
―― あの不器用男め。
八咫烏が縁側に行くと、何ともしょぼくれた図体のでかい男が一人酒を飲んでいる。
「おい。俺にも飲ませろ。」
八咫烏はドカッと伊月の隣に腰を降ろして、持ってきた湯のみを差し出した。
伊月はちらっと八咫烏を見ると、渋々八咫烏の湯のみに酒を注ぐ。
「何があった?」
「那美どのに避けられている。」
「そんなことは知っている。」
「は?」
「それより俺が聞きたいのは、今日、何故、那美が泣いていたかだ。」
「おい、ちょっと待て、何故、私が避けられていると知っているのだ? 言ったことはないぞ。」
「いやいや、一緒にオババ様のところに酒を運んだだろうが。」
伊月は訳が分からずに八咫烏を複雑な面持ちで見ている。
―― 気づいておらんのか、こいつは。
「お前、阿呆だな。」
「な、何だいきなり。」
「いつから那美がお前を避けているか考えろ。そしてその日に何があったか思い出してみれば明々白々だろうが。」
伊月は顎を撫でながら考え込んでいる。
一生懸命思い出そうとしているのだろうが、思い当たる節がないらしい。
「おい、それよりも、なぜ那美が泣いたのか教えろ。お前が泣かせたのか?」
「...おそらく。」
伊月がいうには、あまりにも避けられて苛立ちが募り、
那美が去ろうとする退路を断ち、何があったのか問いただしたということだ。
「多分、おそれられたのだろう。」
―― 源次郎が白けた顔を向けるのも無理はない。
「八咫烏、なぜ私は避けられている?」
「教えてやるか。自分で考えろ、阿呆が。」
「考えても分からぬから聞いておるのではないか。」
「お前がその調子だと、遅かれ早かれ平八郎に負けるぞ。」
「は? 平八郎に?」
「あの二人は気が合いそうだからな。」
「な、何?」
―― 何も気づいておらんのか、こいつは。
八咫烏は呆れたというように、ため息を付き、湯のみの酒を飲み干した。
「お前、あれだけ俺を牽制したんだ。平八郎に負けるなよ。じゃあな。」
「お、おい!」
八咫烏はカラスの姿になって、雨の夜空に飛んで行った。
―――
次の日、どんな顔をして伊月さんに会えばいいだろうと思いつつも屋敷にお邪魔すると、平八郎さんしかいなかった。
伊月さんはお城に行ってお仕事することも多い。
この日も、伊月さんは源次郎さんを連れてお城に行ったそうだ。
平八郎さんと私はいつものように家事をして、一段落した。
することもなくなったので、そろそろ、タカオ山に帰ろうと思った時、ふと平八郎さんの袴の裾に目が行った。
「あの、平八郎さん、袴の裾がほつれていますよ。」
「あ、本当だ。お恥ずかしい。」
「良かったら、ほつれを直しましょうか?」
「いいんですか? では、別の着物に着替えてきます。」
平八郎さんが部屋に戻っていき、私は裁縫箱を取り出した。
―― 今日はすごく天気がいいなぁ。
さみだれの季節には似合わず、珍しく青空が広がっていた。
私は縁側まで行き、空を見上げた。
「今日はすごく天気が良くて気持ちいいから、ここで袴の修繕してもいいですか?」
私は日当たりの良い縁側に陣取って袴を持ってきた平八郎さんに聞いた。
「もちろんです。では、お礼に、お茶とお菓子をお持ちしますね!」
「気を使わなくてもいいですよ。」
「いえ、ぜひさせて下さい。とは言え、お菓子は那美様がさっき作られた物ですが。」
平八郎さんはどこか嬉しそうにお茶の準備をしに部屋に戻った。
私は縁側に座ったままで袴の修繕を始める。
―― ここの方が部屋の中より明るくて作業がはかどるな
しばらくして、平八郎さんがお茶とお菓子を持ってきた。
一緒に並んで縁側に座り、二人で同時にお茶をすする。
久しぶりにゆったりと時間が流れている気がしてほっと息をついた。
「何だか心がほっこりします。」
「私も同じ事を考えていました。」
「奇遇ですね。きっとこの天気のせいですね。」
平八郎さんに微笑みかけると、平八郎さんが真剣な表情で見つめてきた。
「那美様の笑顔、久しぶりに見ました。」
「え?」
「このところ、ふさぎ込んでおられたので心配していたんです。」
―― そ、そうかな…。
「私ってもしかしたら思ってることがすごく顔にでやすいのかもしれないです。」
「そうですね、那美様は表情がコロコロ変わられます。私でよろしければ相談に乗りますよ?」
平八郎さんの気持ちは嬉しいけど、最近自覚してしまった私の伊月さんに対する恋心の相談なんてできるわけもない。
―― でも…
「えっと、何かを知りたいのに知ってしまったら、心が傷つきそうで怖いことってありますか?」
「うーん。知ってしまったら傷つくかもしれない真実というのはどういうことでしょう…」
「例えば、好きになった人がもうすでに別の人と恋仲かもしれないだとか…」
「え?」
「例えば、ですよ、例えば。あと例えば、今まで親友と思ってた人が本当は自分をだまそうとしているかもしれないとか…。あと例えば、今まで親だと思ってた人が実の親じゃないかもとか…。」
ごまかすために適当なたとえ話を付け足す。
「…そうですね。私はやはり傷ついても真実を知りたいと思います。真実を知らなければ前に進めませんし、対策もこうじることができませんから。」
「…やっぱり、そうですよね。」
私は手の平をきゅっと握りしめた。
―― やっぱり真実を確かめよう。
―― キヨさんとの関係を聞こう。
聞いたところで何かが変わるとも思えないけど、せめて伊月さんを避けないようにしないと。
―― でも、何て聞いたら…
―― はっ、本人に直接聞かなくても…
私は袴の修繕を終えて、平八郎さんに袴を返しつつ、それとなく話を振ってみた。
「あの、平八郎さん、皆さんは忙しくて彼女とかいても逢瀬の時間もなさそうですよね?」
「かのじょ、とはどういう意味でしょう?」
「えぇっと、恋仲の女性のことです。」
「あぁ、堀様も源次郎さんも女性に人気ですのでそういう方がいらっしゃるかもしれませんね。」
―― 伊月さんのことには触れなかったな!
平八郎さんから聞き出す作戦は失敗してしまった。
「ところで那美様はどうなのですか?」
「え?」
「あっ、女性に対して不躾な質問でしたか?」
「ううん、別に大丈夫ですよ。私は結婚もしてないし、恋仲の男性もずっといないです。仕事と、自分の好きなことばっかりしてたから。」
「そうですか。ここのところ、恋仲の男性の事でお悩みかと思っていました。」
「そ、そんなんじゃないですよ。平八郎さんは?」
「私も那美様と同じです。」
「そっか。お互い、いつか素敵な人が見つかるといいですね。」
平八郎さんに微笑みかけると平八郎さんも微笑み返してくれる。
やっぱり癒されるな、このエンジェルスマイル。
「私、そろそろ、オババ様の所へ戻りますね。」
「はい、あの、袴、ありがとうございました。またお世話になってしまいました。」
「いえ、こちらこそお茶ありがとうございました。話も聞いてもらって嬉しかったです。」
私はお礼を言ってタカオ山に戻った。
____
平八郎が那美の後ろ姿を見送っていると
「こんなところで何をしている、平八郎?」
後ろから声がして、振り向くと眉根を寄せた伊月が立っていた。
「あ、主、裏口からお帰りでしたか。先ほどまで、那美様とお話をしていたのです。お茶と団子、いかがですか。お茶は私が入れましたが、お団子は那美様特製ですよ。」
伊月は平八郎の横に腰かけ団子をほおばる。
「さっき、恋仲がどうのって話が聞こえたんだが。」
「はい。那美様に恋仲の男性がいらっしゃるかお聞きしたのです。ここのところ塞ぎこんでおいででしたので、もしかしたら恋仲の男性についてお悩みではないかと思ったのです。」
「・・・・。」
しばらくの沈黙の後、伊月がいつになく難しい顔をして平八郎に迫った。
「平八郎、その話、詳しく聞かせろ。」
今日も今日とて八咫烏が、ずかずかと伊月の屋敷に入って来た。
「ど、どうした?」
いつも嫌味の一つや二つ言い返す伊月が食卓におらず、平八郎と源次郎が辛気臭い顔で夕餉を食べている。
「伊月はどこだ?」
「あるじなら縁側で酒を飲まれております。」
「こんな雨の夜にか?」
「那美様と何かあったようで不貞腐れております。」
源次郎がいつものごとく白けたように言った。
平八郎が言うには、那美が泣きながら出て行ったのだそうだ。
―― あの不器用男め。
八咫烏が縁側に行くと、何ともしょぼくれた図体のでかい男が一人酒を飲んでいる。
「おい。俺にも飲ませろ。」
八咫烏はドカッと伊月の隣に腰を降ろして、持ってきた湯のみを差し出した。
伊月はちらっと八咫烏を見ると、渋々八咫烏の湯のみに酒を注ぐ。
「何があった?」
「那美どのに避けられている。」
「そんなことは知っている。」
「は?」
「それより俺が聞きたいのは、今日、何故、那美が泣いていたかだ。」
「おい、ちょっと待て、何故、私が避けられていると知っているのだ? 言ったことはないぞ。」
「いやいや、一緒にオババ様のところに酒を運んだだろうが。」
伊月は訳が分からずに八咫烏を複雑な面持ちで見ている。
―― 気づいておらんのか、こいつは。
「お前、阿呆だな。」
「な、何だいきなり。」
「いつから那美がお前を避けているか考えろ。そしてその日に何があったか思い出してみれば明々白々だろうが。」
伊月は顎を撫でながら考え込んでいる。
一生懸命思い出そうとしているのだろうが、思い当たる節がないらしい。
「おい、それよりも、なぜ那美が泣いたのか教えろ。お前が泣かせたのか?」
「...おそらく。」
伊月がいうには、あまりにも避けられて苛立ちが募り、
那美が去ろうとする退路を断ち、何があったのか問いただしたということだ。
「多分、おそれられたのだろう。」
―― 源次郎が白けた顔を向けるのも無理はない。
「八咫烏、なぜ私は避けられている?」
「教えてやるか。自分で考えろ、阿呆が。」
「考えても分からぬから聞いておるのではないか。」
「お前がその調子だと、遅かれ早かれ平八郎に負けるぞ。」
「は? 平八郎に?」
「あの二人は気が合いそうだからな。」
「な、何?」
―― 何も気づいておらんのか、こいつは。
八咫烏は呆れたというように、ため息を付き、湯のみの酒を飲み干した。
「お前、あれだけ俺を牽制したんだ。平八郎に負けるなよ。じゃあな。」
「お、おい!」
八咫烏はカラスの姿になって、雨の夜空に飛んで行った。
―――
次の日、どんな顔をして伊月さんに会えばいいだろうと思いつつも屋敷にお邪魔すると、平八郎さんしかいなかった。
伊月さんはお城に行ってお仕事することも多い。
この日も、伊月さんは源次郎さんを連れてお城に行ったそうだ。
平八郎さんと私はいつものように家事をして、一段落した。
することもなくなったので、そろそろ、タカオ山に帰ろうと思った時、ふと平八郎さんの袴の裾に目が行った。
「あの、平八郎さん、袴の裾がほつれていますよ。」
「あ、本当だ。お恥ずかしい。」
「良かったら、ほつれを直しましょうか?」
「いいんですか? では、別の着物に着替えてきます。」
平八郎さんが部屋に戻っていき、私は裁縫箱を取り出した。
―― 今日はすごく天気がいいなぁ。
さみだれの季節には似合わず、珍しく青空が広がっていた。
私は縁側まで行き、空を見上げた。
「今日はすごく天気が良くて気持ちいいから、ここで袴の修繕してもいいですか?」
私は日当たりの良い縁側に陣取って袴を持ってきた平八郎さんに聞いた。
「もちろんです。では、お礼に、お茶とお菓子をお持ちしますね!」
「気を使わなくてもいいですよ。」
「いえ、ぜひさせて下さい。とは言え、お菓子は那美様がさっき作られた物ですが。」
平八郎さんはどこか嬉しそうにお茶の準備をしに部屋に戻った。
私は縁側に座ったままで袴の修繕を始める。
―― ここの方が部屋の中より明るくて作業がはかどるな
しばらくして、平八郎さんがお茶とお菓子を持ってきた。
一緒に並んで縁側に座り、二人で同時にお茶をすする。
久しぶりにゆったりと時間が流れている気がしてほっと息をついた。
「何だか心がほっこりします。」
「私も同じ事を考えていました。」
「奇遇ですね。きっとこの天気のせいですね。」
平八郎さんに微笑みかけると、平八郎さんが真剣な表情で見つめてきた。
「那美様の笑顔、久しぶりに見ました。」
「え?」
「このところ、ふさぎ込んでおられたので心配していたんです。」
―― そ、そうかな…。
「私ってもしかしたら思ってることがすごく顔にでやすいのかもしれないです。」
「そうですね、那美様は表情がコロコロ変わられます。私でよろしければ相談に乗りますよ?」
平八郎さんの気持ちは嬉しいけど、最近自覚してしまった私の伊月さんに対する恋心の相談なんてできるわけもない。
―― でも…
「えっと、何かを知りたいのに知ってしまったら、心が傷つきそうで怖いことってありますか?」
「うーん。知ってしまったら傷つくかもしれない真実というのはどういうことでしょう…」
「例えば、好きになった人がもうすでに別の人と恋仲かもしれないだとか…」
「え?」
「例えば、ですよ、例えば。あと例えば、今まで親友と思ってた人が本当は自分をだまそうとしているかもしれないとか…。あと例えば、今まで親だと思ってた人が実の親じゃないかもとか…。」
ごまかすために適当なたとえ話を付け足す。
「…そうですね。私はやはり傷ついても真実を知りたいと思います。真実を知らなければ前に進めませんし、対策もこうじることができませんから。」
「…やっぱり、そうですよね。」
私は手の平をきゅっと握りしめた。
―― やっぱり真実を確かめよう。
―― キヨさんとの関係を聞こう。
聞いたところで何かが変わるとも思えないけど、せめて伊月さんを避けないようにしないと。
―― でも、何て聞いたら…
―― はっ、本人に直接聞かなくても…
私は袴の修繕を終えて、平八郎さんに袴を返しつつ、それとなく話を振ってみた。
「あの、平八郎さん、皆さんは忙しくて彼女とかいても逢瀬の時間もなさそうですよね?」
「かのじょ、とはどういう意味でしょう?」
「えぇっと、恋仲の女性のことです。」
「あぁ、堀様も源次郎さんも女性に人気ですのでそういう方がいらっしゃるかもしれませんね。」
―― 伊月さんのことには触れなかったな!
平八郎さんから聞き出す作戦は失敗してしまった。
「ところで那美様はどうなのですか?」
「え?」
「あっ、女性に対して不躾な質問でしたか?」
「ううん、別に大丈夫ですよ。私は結婚もしてないし、恋仲の男性もずっといないです。仕事と、自分の好きなことばっかりしてたから。」
「そうですか。ここのところ、恋仲の男性の事でお悩みかと思っていました。」
「そ、そんなんじゃないですよ。平八郎さんは?」
「私も那美様と同じです。」
「そっか。お互い、いつか素敵な人が見つかるといいですね。」
平八郎さんに微笑みかけると平八郎さんも微笑み返してくれる。
やっぱり癒されるな、このエンジェルスマイル。
「私、そろそろ、オババ様の所へ戻りますね。」
「はい、あの、袴、ありがとうございました。またお世話になってしまいました。」
「いえ、こちらこそお茶ありがとうございました。話も聞いてもらって嬉しかったです。」
私はお礼を言ってタカオ山に戻った。
____
平八郎が那美の後ろ姿を見送っていると
「こんなところで何をしている、平八郎?」
後ろから声がして、振り向くと眉根を寄せた伊月が立っていた。
「あ、主、裏口からお帰りでしたか。先ほどまで、那美様とお話をしていたのです。お茶と団子、いかがですか。お茶は私が入れましたが、お団子は那美様特製ですよ。」
伊月は平八郎の横に腰かけ団子をほおばる。
「さっき、恋仲がどうのって話が聞こえたんだが。」
「はい。那美様に恋仲の男性がいらっしゃるかお聞きしたのです。ここのところ塞ぎこんでおいででしたので、もしかしたら恋仲の男性についてお悩みではないかと思ったのです。」
「・・・・。」
しばらくの沈黙の後、伊月がいつになく難しい顔をして平八郎に迫った。
「平八郎、その話、詳しく聞かせろ。」