私は行商人と言い争った一件で、突き飛ばされ、擦りむき傷や、左足首の捻挫やら、マイナーな怪我をしていて、伊月さんとオババ様から療養を命じられていた。
「もうー、那美ちゃんが伊月さんにおんぶされて帰ってきたのにはびっくりだったよー。」
夕凪ちゃんが、朝ごはんを頬張りながら言う。
「皆に迷惑をかけちゃったね。今朝の朝ごはんのお手伝いもあんまりできなかったし。」
「え? 那美ちゃんがそんなにしおらしいの変だよ。」
「そ、そこまで言う?」
「そんなことよりも、やっぱり伊月さんといい感じだったじゃないー!」
「そんなんじゃないってば!」
「今朝も飛脚便が来て、伊月さんから何か届いてたよ。」
「え?」
夕凪ちゃんが、包みを指さす。
「私に?」
「そうだよ。朝一で届いてたよ。ねえ、開けてみなよー。」
「うん。」
包みの中には伊月さん特製の薬草ミックスが入っていて、文も添えられている。
薬草を煮て、布にしみこませ、湿布として、ねん挫した所に使うように書いてあった。
最後に『早く治ることを願う』と書いてある。
ふと、昨日の伊月さんの逞しくて、温かくて、大きな背中を思い出した。
―― 優しいな。伊月さん。
「なんだ、恋文じゃないの?」
夕凪ちゃんが私の顔を覗き込む。
「だから、そんなんじゃないって!」
そうやってわいわい言いながら夕凪ちゃんと朝ごはんを食べていると、壮大に寝癖のついた髪のままオババ様が起きてきた。
「飯をくれー」
「はーい。」
こうやってまた、一日が始まった。
「足はどうじゃ?」
オババ様が私の怪我を心配してくれる。
「伊月さんの見立て通り、昨日の夜は腫れて、歩くのも辛かったです。でも寝て起きたら、だいぶ腫れも痛みもひいていました。」
「そうか、そうか。まぁオヌシのカムナリキの流れを見るに、回復は早そうだな。いつものようによく食べてよく寝れば問題ないはずじゃ。とにかく、今日、明日は安静にしておくことだ。」
昨日、無茶をした私のことをオババ様は叱らなかった。
むしろ、商人に雷を落として殺さなかったことを喜んだ。
―― 私ってばどんなキャラだと思われてるの!?
「那美ちゃんって安静にしてろって言って、本当に安静にしてると思います?」
夕凪ちゃんがオババ様に突っ込みを入れる。
「が、頑張るよ。」
「うむ、よし、那美を大人しくさせるため、良いものをやろう。」
オババ様は何か思い立ったように部屋を出て、また戻ってきた。
「ほれ、これでも読んでいろ。」
「わぁー。」
オババ様が私に渡してくれたのは御伽草子だった。
「嬉しいー! 読みます!」
―― これがあれば安静も苦痛じゃないかも。
私はこの日、ずっと社務所に籠もって、御伽草子《おとぎぞうし》を読みつつ、時々氏子さんが来たら対応していた。
御伽草子はこの尽世に伝わる色んな伝説を集めたものだった。
特に面白かったのは「月落ち」という伝説だった。
数百年に一度くらい、尽世にある2つの月が満月のまま完全に重なり合って一つになるらしく、
御伽草子の中ではその現象を月落ちと呼んでいる。
―― 月食みたいなものだよね。
そして、この月落ちの時に、何かしらの奇跡が起こるという伝説がある。
例えば、尽世の北の果てに大穴が空いたのもこの月落ちの夜だったそうだ。
―― これって、オババ様が怒りであけたっていう穴...
現在はその場所には巨大な滝と滝つぼがあり、観光地になっているみたいだ。
―― 行ってみたいな。
夢中になって物語を読んでいると、「すみません。」と声をかけられた。
「あ、あなたは!」
それは、昨日、行商人にお釣りをごまかされていた子連れの女性だった。
「やっと見つけました。色々と人に聞きまわって、ようやく。まさかここの巫女様とは思いませんでした。」
「わざわざ訪ねてきて下さったんですか?」
「はい。改めて、お礼を言いたくて。」
女性はお仙さんと名乗った。
「てっきりあのお侍様の奥様かと思っていました。すみません。」
「いえ、それは全然いいですよ。」
「あのうお口に合うかわかりませんが。」
お仙さんは私に手作りのお煎餅をくれた。
「良かったら、向こうでお茶でも飲みませんか。」
私はお仙さんと一緒に神殿横にある長椅子に座り、お茶をすすった。
お仙さんの旦那さんは、伊の国で農業をしていたのだけど、下級武士に取り立てられ、家族で亜の国に引っ越してきたそうだ。
「旦那は読み書きが少しばかりできるのと、腕っぷしを買われて、何とか足軽の下っ端に加えて貰えたんです。でも、私の方は読み書きもさっぱりでして。」
―― だから、看板に『果物3つで2富』って書いてあったのがわからなかったのか。
城下町に行けば、貨幣経済も少しは浸透しているけど、未だに物々交換をしている人たちも沢山見かける。
まして今まで農村で生きてきた人なのだから、読み書きも計算も特に必要なかったのだろう。
「女は商人の子でもない限り、算術なんて必要ないと思っていました。そして、武士の子でもない限り、読み書きも必要ないと思っていました。」
―― 多分この人の感覚が、この亜の国や、伊の国では当たり前なのだろう。
まだ二カ月弱しかここにいないけど、すぐにわかる。
ここは、すごい男尊女卑社会で、女性の自立なんて夢のまた夢だ。
「でも、亜の国に来て、旦那の収入が米から扶持になり、やりくりが大変でした。旦那は私の金遣いが荒いって、いつも責めるんです。でも、私は贅沢なんてこれっぽっちもしていないんです。それで、昨日あなたがお釣りのことを言ってくれて、気づいたんです。今までもぼったくられていたんじゃないかって。」
お仙さんはとても悔しそうに言った。
きっと今までも頑張ってやりくりしてきたのだろう。
それなのに、旦那さんにも責められて。
「あなたが男相手にもひるまずに言い返したのを見て、私は胸がスカっとしたんですよ。」
「そ、それは・・・」
―― 私もこの世界の男尊女卑がこんなにもひどいとは思ってなかったから。
「あんなにも簡単に暴力を振るわれるって思ってなくって。」
「しかも、商人の男も顔負けの算術でした。」
―― 普通に足し算と引き算だけなのだけど…。
「最初はあなたの言ってることを疑ったんです。女が計算できるわけないって。」
「ああ、だから、あの商人も私が間違ってるって言い張って、それで押し通せると思ったんですね。」
「きっとそうです。誰も女の言ってることなんて信じません。」
―― 改めてとんでもない世界に飛ばされちゃったな。
「だから、今日はあなたにどうしてもお願いしたくて。」
「へ? お願い?」
「はい。」
お仙さんはスッと立ち上がり、私の目の前で、いきなり土下座をした。
「え? な、何ですか? お仙さん、やめて下さい。」
「お願いします。私と、私の知り合いの奥さん方に、読み書きと算術を教えて下さい。お金は払います。」
「え?」
お仙さんは土下座したまま、つづけた。
「昨日あったことを近所の奥さん連中にも話したんです。皆、同じような悩みを抱えていて。だからといって、誰も女に読み書きを教えようなんて人いません。どうか、お願いです。」
そして、また、地に頭をすりつけるように必死に土下座している。
「あの、わかりました。教えますから、どうか頭を上げて下さい。」
「いいんですか?」
お仙さんはパアっと笑顔を浮かべて、頭を上げた。
「はい。私で良ければ教えます。あの、でも、一応オババ様に許可を得たいんですがいいですか?」
「もちろんです。オババ様に私たちからもお願いします。」
オババ様は二つ返事で了承してくれて、タカオ山のふもと近くに、使ってない小屋があるのでそこを学校にすることを提案してくれた。
「これからは女も知識を蓄えた方が生きやすいであろう。ただし、カムナリキの修行は欠かさぬこと。」
「オババ様、ありがとうございます!」
「でもまずは足を完治させることじゃ。」
「はい!」
こうして、私は、足が完治したら、学校を開設する準備を始めることになった。
「もうー、那美ちゃんが伊月さんにおんぶされて帰ってきたのにはびっくりだったよー。」
夕凪ちゃんが、朝ごはんを頬張りながら言う。
「皆に迷惑をかけちゃったね。今朝の朝ごはんのお手伝いもあんまりできなかったし。」
「え? 那美ちゃんがそんなにしおらしいの変だよ。」
「そ、そこまで言う?」
「そんなことよりも、やっぱり伊月さんといい感じだったじゃないー!」
「そんなんじゃないってば!」
「今朝も飛脚便が来て、伊月さんから何か届いてたよ。」
「え?」
夕凪ちゃんが、包みを指さす。
「私に?」
「そうだよ。朝一で届いてたよ。ねえ、開けてみなよー。」
「うん。」
包みの中には伊月さん特製の薬草ミックスが入っていて、文も添えられている。
薬草を煮て、布にしみこませ、湿布として、ねん挫した所に使うように書いてあった。
最後に『早く治ることを願う』と書いてある。
ふと、昨日の伊月さんの逞しくて、温かくて、大きな背中を思い出した。
―― 優しいな。伊月さん。
「なんだ、恋文じゃないの?」
夕凪ちゃんが私の顔を覗き込む。
「だから、そんなんじゃないって!」
そうやってわいわい言いながら夕凪ちゃんと朝ごはんを食べていると、壮大に寝癖のついた髪のままオババ様が起きてきた。
「飯をくれー」
「はーい。」
こうやってまた、一日が始まった。
「足はどうじゃ?」
オババ様が私の怪我を心配してくれる。
「伊月さんの見立て通り、昨日の夜は腫れて、歩くのも辛かったです。でも寝て起きたら、だいぶ腫れも痛みもひいていました。」
「そうか、そうか。まぁオヌシのカムナリキの流れを見るに、回復は早そうだな。いつものようによく食べてよく寝れば問題ないはずじゃ。とにかく、今日、明日は安静にしておくことだ。」
昨日、無茶をした私のことをオババ様は叱らなかった。
むしろ、商人に雷を落として殺さなかったことを喜んだ。
―― 私ってばどんなキャラだと思われてるの!?
「那美ちゃんって安静にしてろって言って、本当に安静にしてると思います?」
夕凪ちゃんがオババ様に突っ込みを入れる。
「が、頑張るよ。」
「うむ、よし、那美を大人しくさせるため、良いものをやろう。」
オババ様は何か思い立ったように部屋を出て、また戻ってきた。
「ほれ、これでも読んでいろ。」
「わぁー。」
オババ様が私に渡してくれたのは御伽草子だった。
「嬉しいー! 読みます!」
―― これがあれば安静も苦痛じゃないかも。
私はこの日、ずっと社務所に籠もって、御伽草子《おとぎぞうし》を読みつつ、時々氏子さんが来たら対応していた。
御伽草子はこの尽世に伝わる色んな伝説を集めたものだった。
特に面白かったのは「月落ち」という伝説だった。
数百年に一度くらい、尽世にある2つの月が満月のまま完全に重なり合って一つになるらしく、
御伽草子の中ではその現象を月落ちと呼んでいる。
―― 月食みたいなものだよね。
そして、この月落ちの時に、何かしらの奇跡が起こるという伝説がある。
例えば、尽世の北の果てに大穴が空いたのもこの月落ちの夜だったそうだ。
―― これって、オババ様が怒りであけたっていう穴...
現在はその場所には巨大な滝と滝つぼがあり、観光地になっているみたいだ。
―― 行ってみたいな。
夢中になって物語を読んでいると、「すみません。」と声をかけられた。
「あ、あなたは!」
それは、昨日、行商人にお釣りをごまかされていた子連れの女性だった。
「やっと見つけました。色々と人に聞きまわって、ようやく。まさかここの巫女様とは思いませんでした。」
「わざわざ訪ねてきて下さったんですか?」
「はい。改めて、お礼を言いたくて。」
女性はお仙さんと名乗った。
「てっきりあのお侍様の奥様かと思っていました。すみません。」
「いえ、それは全然いいですよ。」
「あのうお口に合うかわかりませんが。」
お仙さんは私に手作りのお煎餅をくれた。
「良かったら、向こうでお茶でも飲みませんか。」
私はお仙さんと一緒に神殿横にある長椅子に座り、お茶をすすった。
お仙さんの旦那さんは、伊の国で農業をしていたのだけど、下級武士に取り立てられ、家族で亜の国に引っ越してきたそうだ。
「旦那は読み書きが少しばかりできるのと、腕っぷしを買われて、何とか足軽の下っ端に加えて貰えたんです。でも、私の方は読み書きもさっぱりでして。」
―― だから、看板に『果物3つで2富』って書いてあったのがわからなかったのか。
城下町に行けば、貨幣経済も少しは浸透しているけど、未だに物々交換をしている人たちも沢山見かける。
まして今まで農村で生きてきた人なのだから、読み書きも計算も特に必要なかったのだろう。
「女は商人の子でもない限り、算術なんて必要ないと思っていました。そして、武士の子でもない限り、読み書きも必要ないと思っていました。」
―― 多分この人の感覚が、この亜の国や、伊の国では当たり前なのだろう。
まだ二カ月弱しかここにいないけど、すぐにわかる。
ここは、すごい男尊女卑社会で、女性の自立なんて夢のまた夢だ。
「でも、亜の国に来て、旦那の収入が米から扶持になり、やりくりが大変でした。旦那は私の金遣いが荒いって、いつも責めるんです。でも、私は贅沢なんてこれっぽっちもしていないんです。それで、昨日あなたがお釣りのことを言ってくれて、気づいたんです。今までもぼったくられていたんじゃないかって。」
お仙さんはとても悔しそうに言った。
きっと今までも頑張ってやりくりしてきたのだろう。
それなのに、旦那さんにも責められて。
「あなたが男相手にもひるまずに言い返したのを見て、私は胸がスカっとしたんですよ。」
「そ、それは・・・」
―― 私もこの世界の男尊女卑がこんなにもひどいとは思ってなかったから。
「あんなにも簡単に暴力を振るわれるって思ってなくって。」
「しかも、商人の男も顔負けの算術でした。」
―― 普通に足し算と引き算だけなのだけど…。
「最初はあなたの言ってることを疑ったんです。女が計算できるわけないって。」
「ああ、だから、あの商人も私が間違ってるって言い張って、それで押し通せると思ったんですね。」
「きっとそうです。誰も女の言ってることなんて信じません。」
―― 改めてとんでもない世界に飛ばされちゃったな。
「だから、今日はあなたにどうしてもお願いしたくて。」
「へ? お願い?」
「はい。」
お仙さんはスッと立ち上がり、私の目の前で、いきなり土下座をした。
「え? な、何ですか? お仙さん、やめて下さい。」
「お願いします。私と、私の知り合いの奥さん方に、読み書きと算術を教えて下さい。お金は払います。」
「え?」
お仙さんは土下座したまま、つづけた。
「昨日あったことを近所の奥さん連中にも話したんです。皆、同じような悩みを抱えていて。だからといって、誰も女に読み書きを教えようなんて人いません。どうか、お願いです。」
そして、また、地に頭をすりつけるように必死に土下座している。
「あの、わかりました。教えますから、どうか頭を上げて下さい。」
「いいんですか?」
お仙さんはパアっと笑顔を浮かべて、頭を上げた。
「はい。私で良ければ教えます。あの、でも、一応オババ様に許可を得たいんですがいいですか?」
「もちろんです。オババ様に私たちからもお願いします。」
オババ様は二つ返事で了承してくれて、タカオ山のふもと近くに、使ってない小屋があるのでそこを学校にすることを提案してくれた。
「これからは女も知識を蓄えた方が生きやすいであろう。ただし、カムナリキの修行は欠かさぬこと。」
「オババ様、ありがとうございます!」
「でもまずは足を完治させることじゃ。」
「はい!」
こうして、私は、足が完治したら、学校を開設する準備を始めることになった。