桜のつぼみが、まん丸に膨れ、ちらほらと花を咲かせ始めたころ、私と伊月(いつき)さんはタカオ神殿で神前結婚式を挙げた。
滞りなく式は進み、そのままオババ様の屋敷で小さな宴を開いた。
伊月(いつき)さんは私を太元法師(たいげんほうし)に会わせてくれた。

「幼き頃に教えを(たまわ)った師だ。」

「やっと那美(なみ)様に会えました。」

太元法師(たいげんほうし)は私を自分の子供のようだと言ってくれて、伊月(いつき)さんの子供の頃の話を聞かせてくれた。
意外にも、伊月(いつき)さんは小さい時、やんちゃだったらしい。
今の物静かな感じの伊月(いつき)さんからは想像ができなかった。

「あれは伊月(いつき)が13の時だったかな。とても大切な儀式があり、このタカオ神殿に(みかど)がいらっしゃった時だ。ご挨拶のために城の皆が集まった。伊月(いつき)も大仰な着物を着せられ儀式に参加しておってな。でも、儀式の途中で急にいなくなったのだ。」

「え? な、何していたんですか?」

「そこの境内の横で立ちションしておった。」

オババ様が呆れたように言って、境内の外を指さした。

「えー! (みかど)が来ている時に、しかも儀式の最中に? しかも境内で!?」

「も、もう、昔のことではないか! 我慢できなかったのだ!」

「他にも・・・」

「も、もう良いでないか。」

伊月(いつき)さんがあたふたしているので、太元法師(たいげんほうし)も、今日はこの辺にしておくと言った。

正次(まさつぐ)さんも()から駆けつけてくれた。

「はぁ、やっと主が結婚なさったので、私どももこれから結婚できますな。」

「何だ、そなた、意中の者がおったのか?」

「いや、まだおりませんが、私どもは、主のように奥手ではありませんから。なぁ、源次郎(げんじろう)どの。」

「まあ、そうですね。私も肩の荷が下りました。」

「あの、正次(まさつぐ)さんが、伊月(いつき)さんに、景色の良い所につれていけって言ってくれたって聞きました。お陰でとても素敵な所にたくさん連れて行ってもらえました。」

「ああ、そんな事もありましたね。紫陽花の花園を勧めたのも私ですぞ。あの時、殿(との)那美(なみ)様を泣かせてしまったと言って、まるで地震と台風が合わせて来たかのような慌てふためきようでして…」

「そ、そんなには慌てておらんではないか!」

「女の機嫌の取り方がわからん!仲直りの仕方を教えろと・・・」

「う、うるさい! お前はあっちで飲んでいろ!」

伊月(いつき)さんは正次(まさつぐ)さんを追いやってしまった。

小雪(こゆき)ちゃんやお(せん)さんを始めとする、手習い所(てなら じょ)の子達も来てくれた。

「これ、那美(なみ)先生に。」

小雪(こゆき)ちゃんが小さな冊子をくれる。
開けてみると、火事で燃える建物の中から、雷巫女(かみなりみこ)鬼武者(おにむしゃ)に横抱きにされて出てきている絵だった。

「これは…」

豊藤(とよふじ)軍が生田(いくた)を捕縛した直後に燃える曲輪(くるわ)の中から鬼武者(おにむしゃ)那美(なみ)様を抱いて出て来られたと皆が言っておりました。それを絵にしてみたら、沢山売れています。」

さらにページをめくると、雷巫女(かみなりみこ)鬼武者(おにむしゃ)のイチャラブシーンが沢山収めてあった。
なんだか恥ずかしいけど、絵の中の幸せそうな二人が私の幸せな気持ちをよく表している。

「ありがとう。大切にするよ。」

「今までのように頻繁にお会いできなくなるのは寂しいです。でもお幸せになって下さいね。」

(せん)さんが泣き出した。
小雪(こゆき)ちゃんも泣き出した。
それにつられて私も泣いてしまった。

「私、お(せん)さんや、小雪(こゆき)ちゃんに沢山色んなことを教わりました。そして、沢山勇気をもらいました。ありがとうございます。」

(うたげ)が終わると、私と伊月(いつき)さんは用意されて輿(こし)のある所まで行く。
これから()の主城、伊城(いじょう)に行くことになっている。

(ほり)、これからは()城主(じょうしゅ)として良き(まつりごと)に勤めよ。」

「承知。一介の野武士であった私を御見立下さり、さらには一国一城の主にして頂いたご恩、一生忘れません。」

正次(まさつぐ)さんは伊月(いつき)さんに頭を長い時間下げていた。

「オババ様、夕凪(ゆうなぎ)ちゃん。私のこと、いつも助けてくれて、本当の家族のようにして下さって、ありがとうございました。私、日本では家族がいなかったから、こっちに来て、オババ様と夕凪(ゆうなぎ)ちゃんに会えて・・・うううぅぅぅ。」

私は泣いてしまって言葉が出なくなった。
オババ様はそっと私を抱きしめて、頭を撫でた。

「いつでも戻って来い。そして、飯を作れ。わかったな?」

オババ様はいつもの調子で言ったけど、少し泣いていた。
夕凪(ゆうなぎ)ちゃんも泣いていた。

那美(なみ)ちゃんなら大丈夫だと思うけど、()のお城でも沢山ご飯食べて頑張ってね。」

「ありがとう。ありがとう。」

私は皆に見送られながら輿(こし)に乗り込んだ。
皆の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
皆も私たちが見えなくなるまで見送ってくれた。
手を振るのをやめて輿(こし)に座りなおすと、伊月(いつき)さんが手拭いで涙を拭いてくれた。

「またすぐに会える。そんなに遠くはない。」

「はい。」

別々の領地だった亜国(あこく)伊国(いこく)は、今は、亜伊(あい)の国と名前を改め、朝廷に一つの国と認められた。
そして私の旦那様、豊藤伊月(とよふじいつき)は、その亜伊(あい)の国の初代国主となった。
それに伴って、階位が従四位下(じゅしいげ)になり、右近衛少将(うこんえのしょうしょう)と任命された。

那美(なみ)どの、そなたには侍女を幾人か付ける。 侍女長は、そなたがかどわかし事件で救い出した女人の一人だ。」

「え?」

「そなたに深く感謝しており、身の回りの世話をしたいと言ってきた。(こと)という。」

「ああ、あの(こと)ちゃん。」

「覚えておるか?」

「はい。足を怪我してて、正次(まさつぐ)さんに介抱してもらっていた子です。」

「ああ。だから(ほり)が勧めてきたのか。」

「あれ以来、正次(まさつぐ)さんと交流があったんですね。」

「そのようだな。(ほり)が勧めたので信頼できると思った。」

「また会えるの、嬉しいです。」

伊月(いつき)さんの軍師だった、堀正次(ほりまさつぐ)さんは、亜伊(あい)の国の東の要所、亜城(あじょう)の城主になった。
源次郎(げんじろう)さんこと、松永源次郎(まつながげんじろう)は、亜伊(あい)の国の南の要塞、竹日津(たけびつ)城の城主となった。
伊月(いつき)さんはタカオ山一帯の護衛のために新たに小さい城を建てることにして、普請(ふしん)の準備を進めている。
その城が完成した暁には、平八郎(へいはちろう)さんこと、富田平八郎(とみたへいはちろう)が城主になる。
伊月(いつき)さんの新しい馬廻りには、武術大会で見つけた人材と、これまで亜伊(あい)で手足となって働いていた人、
()の国で代々豊藤(とよふじ)に仕えていた人たちの中から10人が抜擢された。
兵五郎(ひょうごろう)さんと兵五郎(ひょうごろう)さんの手下たちは、亜伊(あい)の国に呼ばれ、伊月(いつき)さん直属の将軍となった。

皆、大出世だ。

「それから、もう少し落ち着いたら、母上を城に呼びたい。」

「あ!お母様と一緒に暮らせるのですね!」

「ああ。9つの時に生き別れて以来だから、もう随分年を取っている。」

「良かったです!」

()の前の国主、生田良和(いくたよしかず)は、内藤(ないとう)が記した手記によって、人質だった伊月(いつき)さんを暗殺しようとしていたことが証明され、市中を引き回しにされたあと、斬首刑となった。
その首は罪人のそれと変わらぬさらし首になった。

生田(いくた)の一族郎党はことごとく捕縛され、島流しか斬首などの刑に処せられた。
島流しになったうちの一人に世里奈姫(せりなひめ)もいる。
後で聞いた話だけど、世里奈姫(せりなひめ)は寺の僧侶と姦通していて、その僧侶は死罪になったそうだ。

現代日本人の私からすると随分厳しい処分だけど、()の民は誰も意義を唱えなかった。
それに、伊月(いつき)さんが国主になって、皆の暮らし向きがずっと良くなった。

小雪(こゆき)どのと、お(せん)どのの懇願書をもう一度、読み直した。まるで朝廷の文官のような文章で驚いた。那美(なみ)どのの指導の賜物だな。」

「懇願書なんて書いていたんですか?」

「ああ。女人(にょにん)の人身売買を全面的に禁止することなどが書いてある。」

「それで、どうするんですか?」

「もちろん、禁止にする。女人(にょにん)の意にそぐわない形で女郎小屋などに売り飛ばされることはもうなくなる。」

「良かった!小雪(こゆき)ちゃんも、お(せん)さんも、皆、喜びます!」

「それから、これからは警備員を地区ごとに置いて、治安維持に勤め、女人が一人でも安心して出歩けるような町作りをしたいと思っている。」

私は嬉しくて、伊月(いつき)さんの手をきゅっと握った。

「私は新妻を喜ばせられているかな?」

「はい! 嬉しいです!」

「では、褒美を所望する。」

「褒美って?」

伊月(いつき)さんは私の唇をフニっと指先で押した。
キスのことだとわかり、顔が赤くなる。

「じゃ、じゃあ目を瞑って下さい。」

伊月(いつき)さんは素直に目を瞑った。
私のキスを待っているその無防備な顔が無性に愛おしい。
そっと、伊月(いつき)さんの唇にキスをすると、そのまま体をぎゅっと抱きしめられた。

「捕まえた。」

そういうと、伊月(いつき)さんは私の肩に顔を埋めた。

「そなたと共に、私の故郷に住めることが、どうしようもなく嬉しい。」

伊月(いつき)さん…。私も同じ気持ちです。」

私は伊月(いつき)さんの頭をそっと撫でた。
輿(こし)は伊城に着いた。
伊月(いつき)さんは私の手を取り、輿(こし)の外に出るのを手伝ってくれる。

「そなたに一番に見せたいものがある。」

建物の中に入る前に伊月(いつき)さんは本丸の裏手にある庭に私を連れて行った。

「あ! これは!」

そこには大きな古い桜の木があって、しめ縄がされている。
私たちを待っていたかのように花を咲かせて、ゆらゆらと揺れている。

「母上が離縁された日、私はこの桜の木の下で泣いていたのだ。そして、そなたと出会った。」

私はそっと桜の木を触って、ぐるっと一周した。

「近所の神社にあった木とそっくりです。同じ場所に、同じうろまで!」

「幼き頃はよくこのうろに隠れていたものだ。」

「私もです。」

「運命としか思えぬ。」

伊月(いつき)さんは私を後ろからそっと抱きしめた。
太くて(たくま)しい伊月さんの腕をそっと抱きしめ返した。

「きっと二人一緒でなければ出来ないことがあるんですよ。きっとそのために尽世(つくよ)の神様に呼ばれて来たんじゃないかって思います。」

那美(なみ)どの。これからも私と、この尽世(つくよ)で生きてくれるか。」

「当たり前です。ずっと側にいますから。」

伊月(いつき)さんの手が私の顎を取って上向かされた。

那美(なみ)どの、愛している。」

「私もです。」

私たちは桜の木の下で愛を誓いあうように口づけた。
これからも伊月(いつき)さんの戦いは終わらない。
厳しい(いくさ)のある世の中を、飢えのある世界を、生きていかなければいけない。
でも、私は幸せだった。誰よりも幸せだった。
私たちをめぐり合わせてくれた桜の木に、この運命に、尽世(つくよ)の神々に、私はずっと伊月(いつき)さんと一緒に生きていくと誓った。

――おわり―――