「オババ様ー!オババ様ー!」
少し甲高い声が聞こえた。
子供みたいな声だ。
「どうした?」
「武士が来るー!」
―― え?え?どこから声がするの?
私はわけがわからず、部屋の回りをキョロキョロ見渡す。
オババ様は水晶を片付けつつ手元を見ながら応対しているのでわからない。
「那美ちゃん、声の主はあの鳩です。」
夕凪ちゃんが私の肩をツンツンとつついて、窓の所を指さした。
開いた窓に丸々太った白い鳩がちょこんと停まっている。
「武士が馬に乗ってくるー!亜の国主の使者だー!」
―― うわぁー鳩がしゃべってる!
「そうか。面倒じゃなぁ。」
ビックリしている私をよそにオババ様はサッサと水晶をしまい、鳩と会話している。
「あの鳩もオババ様の眷属で、名を吉太郎と言います。屋敷の周りを監視しているのです。」
と、夕凪ちゃんが教えてくれた。
「那美、オヌシが異界から来たという事は他言無用じゃ。わかったな?」
「はい。」
―― やっぱり秘密にした方がいいのか。
「じゃ、私は消えてますねー。」
「え?」
夕凪ちゃんの体からボンと煙が立って、次の瞬間には消えてしまった。
―― そんなことが出来るんだ。便利だな。
馬に乗ってやってきた武士は亜国の国主の伝令だった。
私は、武士とオババ様にお茶を出した。
袴をはいて、二本差しをしている本格的な武士をリアルで見たのはもちろん初めてだったので思わずマジマジと見てしまった。
時代劇で見る侍と違うのは、着物がとてもカラフルだということと、月代をしていないということだ。
パッと見は私と同じくらいか少し上くらいの年齢に見えた。
その人は私の方をチラリと見た。
目が合ってしまったので、慌ててお辞儀をした。
「こちらの方は?」
「新しい巫女じゃ。暫くここに住むことになった。」
「よろしくおねがいします。」
「ご出身はどちらかな?」
「え、えっと…」
「江の国の出身の者じゃ。先日の魔獣の襲撃で身寄りを失ったので引き取った。」
と、オババ様がすかさず助け舟を出してくれた。
「あの、私はこれで。どうぞ、ごゆっくり。」
これ以上いるとボロが出そうだったので、台所に引っ込んで待機することにした。
台所の横にある円卓に座ったら、ボンと目の前に煙が出て、夕凪ちゃんが現れた。
「ビックリした―!」
「私は、那美ちゃんの存在の方がビックリです。」
「え? どうして?」
「異世界から来たというし。竃の使い方も火打ち石の使い方もわからないし、それもビックリです。」
「す、すみません。」
「それより、オババ様の恋の話、もう少し聞きたかった。」
夕凪ちゃんは目を輝かせて完全に恋を夢見る乙女の顔だ。
「夕凪ちゃんは どんな人がタイプなの?」
「タイプって?」
「好みの人はどんな人かなって。」
「源次郎さんのような声をしている人かなぁ。」
「源次郎さんって誰?しかも顔とかじゃなくて声なんだ。」
「源次郎さんは、那美ちゃんを助けた、伊月さんの家来だよ。声の質がとてもいいの。」
―― イケボ好きか!
「見た目はどうなの?」
「んーあんまり好みの見た目ではないかなぁ。源次郎さん、たぬき顔っていうよりも狐顔だし。私はたぬき顔の方が好き。」
話していてだんだんわかったことは、どうやら夕凪ちゃんは顔が濃いめのイケボが好きらしい。
「でも、私、まだ95歳だから、御伽草子の中でしか恋愛のことは知らない。」
「そっか、まだ95だもんね…」
色々つっこみどころがある発言だったけど、どうやら夕凪ちゃんは初恋もまだっぽいな。
そんなこんなで、夕凪ちゃんととりとめもない話をしているうちに、国主の使者とやらは帰って行ったらしい。
馬の足音が遠のいていく。
「おーい、夕凪、那美。」
オババ様が台所に入ってくる。
「明日、城に行くことになった。那美も一緒に行くぞ。」
「私もですか?」
「オヌシ、この屋敷の敷地からまだ一歩も出ておらんだろ。外を見る良い機会じゃ。」
「那美ちゃん、良かったね。いってらっしゃい・・・って、なに、それ?」
「へ?」
夕凪ちゃんが急に私の胸元を指さす。
「わぁ。」
私の着物の襟元から光が出ている。
懐に手を入れて、しまっておいた数珠を取り出すと、数珠の黄色の石が光っている。
「ほう、オヌシ、雷石を持っておるのか?」
「これは、小さい時に人からもらった数珠です。これが雷石とは知りませんでした。」
私は数珠をオババ様に手渡して見せた。
ふむふむとあちらこちら見ていたオババ様が私に数珠を返して言った。
「よき願いが込められたものじゃ。だがそんなに光っては悪目立ちするな。当分、オヌシの修行はその光を弱めたり強めたり制御できるようになることじゃな。」
「そんなことできるんですか。」
「できなければいかぬ。カムナリキを駄々洩れにしながら生きていたら消耗も激しいからな。」
「あー、だから那美ちゃんよく食べるのかもですね。」
異世界に来て三日で食いしん坊というレッテルを貼られてしまった。
「でも昨日までは光ってなかったのに。」
「オヌシの弱っておったカムナリキがいよいよ回復した証拠じゃ。」
「そういうことか。」
こうして私の修行メニューが決まり、この日は一日、光の加減=カムナリキの流出加減を調節する修行を行った。
伊月さんは、あやかしの私(夕凪)から見ても、相当に怖い顔をしている。
体が大きくて威圧感あるし、いつも眉根が寄っていて、口をしっかり結んで、機嫌が悪そうな雰囲気だ。
正直、話しかけにくい。
話しかけても、返ってくる言葉が短くて会話が続かない。
だから、めったに話しかけない。
でも、この前、意識がなかった那美ちゃんを運んで来た時には少し様子が違った。
伊月さんのことは、元服前の子供だった頃から知っているけど、あの時みたいに、困ったような顔をして、あたふたしている様子は珍しかった。
「この人、誰ですか?」
伊月さんに聞くと、戦場で拾った女だ、としか言わない。
「もしかして、敵地で気に入った女を 無理矢理 連れ帰ったんじゃ…?」
「断じて違う! 気を失っておるので、放っておけなかっただけだ。」
「ふうん。」
伊月さんは、いかにも無理矢理 女を連れ去りそうな見た目をしているけど、そういうのは、けっこう真面目だ。
でも、女を連れて凱旋した伊月さんを見た町人たちは、鬼武者が女人を手籠めにして攫ってきたと噂している。
だから、一応、確かめてみた。
「オババ様、この女人の身柄を預かってもらえまいか?」
と、困惑気味だ。
眉毛が下がって困り顔をしている伊月さんを初めて見たかもしれない。
「なぜ自分のところで引き取らん?」
「我が家のようなむさくるしい男所帯に引き取られては気の毒だ。それに、目覚めた時に私がいては怖がるだろう。」
「まあ、それもそうだが、オヌシ、この娘が気に入ったのではないのか?」
「な、何を!? 気に入ったも何も、得体のしれぬ者ですよ!」
「ふうん…」
オババ様が不敵な笑みを伊月さんに向けた。
「と、とにかく、お願いします!」
伊月さんは頭を下げる。
「ワシは構わぬよ。この娘、面白きカムナリキを持っておる。この世の者とは思えぬ気を感じるな。」
「そうなのですか?」
伊月さんは何か思い当たりがあるような顔をした。
意識がなかった時でも、那美ちゃんからは形容しがたい不思議な気が感じられた。
あやかし好きする、強い霊力だ。
―― 八咫烏さんがこの人と会ったら絶対に猛烈に口説きそう。
知り合いの神使の八咫烏さん(女好き)を思い浮かべる。
「立て続けに不思議な出来事があり、まだ処理しきれません。」
伊月さんはオババ様に江国軍討伐の様子を語った。
まず、これまでに人間には操ることができないと言われていた魔獣を操って、戦に利用した人物がいる。
利用された魔獣は火系の魔獣で、空を飛ぶ翼竜だった。
このあたりではめったに見ない珍しい魔獣だ。
さらに、晴天だった戦場がいきなり土砂降りになり、雷が敵方を狙ったように次々に落ちた。
「もしかしたら、この娘のカムナリキのせいかもしれぬぞ。」
「この女人があの天候の変化の原因と?」
「おそらくな。」
オババ様は面白い物を見つけた子供のように好奇心の目を那美ちゃんに向けていた。
伊月さんが去っていくと、オババ様がニヤっと笑った。
「夕凪、伊月とこの娘は、いずれくっつくぞ。」
「え? 恋するってことですか?」
「多分な。前にも会っておるようだ。」
「え?え?運命の再会ってことですか?」
私は恋の話が大好きなお年頃なので、少しワクワクする。
「でも、伊月さんは得体の知れない女って言ってましたよ?」
「そのうち思い出すだろう。」
前に会ってるけど、忘れているってことらしい。
思い出した時に、恋に落ちるのかな。
なんか、素敵すぎる話じゃない?
「でも…恋愛する伊月さんとか、ぜんっぜん想像つかない…。逢瀬とかできるんですか?口説いたりできるんですか?」
「…できんだろうな。童貞だしな。」
―― 即答したな。しかも童貞か。
せっかく恋愛御伽草子のような恋愛物語の本物が近くで見られると思ったんだけど、簡単には行かなそうだな。
オババ様の住んでいる神社、兼、屋敷は小高い山の上にある。
昨日、亜国の国主の遣いがやってきて、オババ様にお城に来るように、との要請があった。
お城までは2つのルートがある。
一旦タカオ山から城下町に降りて、お城のある山へまた登るというルートと、城下町には降りずに森を抜けてお城に続く道へ行くルートがあるらしい。
「城下は混雑していて好かぬ。」
オババ様は人混みが嫌いらしく、森をぬけるルートで行く事になった。
「山道だから足腰を鍛えるのに丁度よい。」
オババ様がそう言ったのが納得できるほど、なかなかの獣道だ。
「はぁ、はぁ、オババ様って本当に年寄りなんですか?」
私よりもスタスタ前を歩くオババ様に声をかける。
春のうららかな気候の中、山の景色はとてもきれいだけど、
オババ様の歩きについていくので必死で景色を堪能している心の余裕はない。
「急がぬとイノシシかクマに襲われるかもしれぬぞ。」
「え? く、熊出るんですか???」
恐怖に煽られて早足でオババ様に追いつく。
「お、まだ体力が残っておるな。」
オババ様はニッと人の悪い笑みを浮かべた。
「もしかして、からかったんですか。」
「こんな人里に近い場所に熊やイノシシは出らぬよ。」
ハハハと高笑いしているオババ様。
「悔しいけど、熊が出ないのは安心です。」
「お前の足腰を鍛えるのに私も色々と工夫してやっておるのだぞ。」
「あ、ありがとうございます?」
「なぜ疑問形なのじゃ?」
オババ様のありがたい(?)ご指導の元、無事に森を抜け、民家の見える場所へと出てきた。
「そういえば、忘れる所だった。」
オババ様は、袖から何か長い数珠っぽいものをジャラっと出した。
「これを首にかけておれ。」
そう言って私の首にかけてくれた。
首飾りの先にはオババ様の神社の龍が彫られている丸い石がぶら下がっている。
「身元を証明するものだ。身元のわからぬ女子供は人さらいに合うことがあるので、外に出るときには必ず身につけるのじゃぞ。」
「わっわかりました。」
なんとなくテクノロジーレベルが日本の時代劇っぽいと思っていたが、治安の悪さも似たような物なのかもしれない。
私は龍の彫り物の入った石をキュッと握った。
「さて、このへんは武家屋敷が集まっておる地区じゃ。城に近づくほど位の高い侍が住んでおる。」
おばば様の説明通り、お城に近づくほど屋敷が大きくなっていく。
―― でも、あれ?
「あの、おばば様、あの武家屋敷だけかなり小さくないですか?」
私は少し先に見える小さめのお屋敷を指さした。
「そうだな。今からあの屋敷に行くぞ。」
「え?」
オババ様がその屋敷の門を叩く。
小さいけれど掃除が行き届いていて、とても綺麗だ。
中から出てきた若い男性がオババ様を見ると丁重に挨拶をした。
―― 随分イケメンだ。アイドルグループにいそう。
という感想を持った。
私達は客間に案内され、しばらく待つように言われる。
「あの、オババ様、ここはどこですか?お城に行かなくてもいいんですか?」
ずっと抱えていた疑問を投げかけると襖の外から声がした。
「失礼する。」
スッと襖が開き、大柄な男性が部屋に入ってくる。
さっきの案内してくれた人とは対照的に、背がすごく高くて、肩幅が大きくて、どこか殺気立った目、不機嫌そうに寄せたまゆ、髭、額から左の頬にかけて、斜めに走る切り傷の跡が威圧感を放っている。
なんか、すごく強そうで、ちょっと怖い。。。
少し怖気づいていると、その人はとドカッと腰をおろした。
「オババ様、お久しぶりです。」
その人は見た目に反してとても丁寧に、そして綺麗な所作で一礼した。
それから私を見て、少し驚いたような表情を浮かべた。
「は、初めまして。那美と言います。」
私は慌ててお辞儀をする。
「いや、初めてではないのだが…。」
「え?」
困惑する私のためにオババ様が説明を付け加える。
「この男が共舘伊月だ。意識のないお前を我が家に運んできた男だ。」
「え? この方があの伊月さん?」
「お元気になられたようで何よりだ。」
イメージとは全然違う私の命の恩人にビックリする。
「あの、そ、その節は助けて下さって本当にありがとうございました。まさかこんな形でお会いするって思っていなくて、きちんとご挨拶もお礼もできずにすみません。」
いきなりの伊月さんとの対面でテンパってしまう。
―― もう、オババ様、事前に言って下さいよ。
「ところで伊月、暫く那美を預かってもらいたい。ワシは城から呼び出されておるのでその用事が済むまでじゃ。」
「え?」
このオババ様の発言には私も伊月さんもびっくりして同時に声を発した。
「何だ、オヌシら、もう息がピッタリ合っとるな。良きかな、良きかな。」
アッハッハと高笑いすると、そのままオババ様はスタスタと出口へあるき出す。
「あの、オババ様?」
私の発言を遮るように
「あ、そうだ。」
とオババ様が言って振り返る。
「伊月、あの薬の作り方を那美に教えてやれ。よう効いておったからの。」
「はぁ。承知。」
伊月さんは全ての反論を諦めたかのような顔をしている。
じゃあな、と、言い残すとオババ様はサッサと行ってしまった。
いきなり取り残されてボーゼンとする。
気まずさを吹き飛ばそうと伊月さんに向き直り、声をかける。
「あの、急に押しかけて、こんな事になってしまって、すみません。」
「そなたが謝ることではない。おばば様の暴挙奇行には慣れているので構わぬ。」
慌てふためいている私とは対照的に落ち着いた様子の伊月さんを見てスッと心が落ち着く。
それにしても...
「暴挙奇行って。クスッ。」
少し笑ってしまった私を伊月さんがまじまじと見た。
「言い得て妙ですね。うふふ。」
笑いを止められないでいると、やがてさっきまで一文字に固く結ばれていた伊月さんの口元がフッと緩んだ。
―― ん? それって笑顔なの?
最初の威圧的な雰囲気が少しだけ柔らかくなった気がして嬉しくなった私は、伊月さんにニコっと微笑みかける。
―― あれ?
でもその瞬間、伊月さんはまた表情を硬くしてフイっと、庭の方を見た。
「あの、ご迷惑おかけしますが、オババ様が戻るまで、ここで待っててもいいですか?伊月さんは私に構わず、どうぞご自分のことをしていてください。私は部屋の隅にでも・・・。」
伊月さんは私の言葉には答えず、庭の方を見たままスッと立ち上がった。
「天気がいいので、縁側に行かぬか。」
「え? あ、はい。」
そのままスタスタ歩き出す伊月さんの後を追って私も歩き出す。
さっき門の所で出迎えてくれたアイドル顔の人と廊下ですれ違い、その人に伊月さんはお茶をと言いつける。
縁側を少し歩いた所で伊月さんは立ち止まり、中庭を指さした。
「ここの景色が我が家では一番いいと皆が言うので。」
そういうと、また、ドカッと座る。
体の大きい伊月さんが座ると、視界を遮っていた大きな背中が見えなくなり、代わりに春花の咲き乱れる庭の景色が見えた。
「わぁ。」
小さい池には鯉が泳いでいて、石造りのアーチ型の橋がかかっている。
その周りにはピンクの花をたたえた小ぶりの桜の木がそよ風に揺れている。
「本当に良い景色ですねぇ。すごく綺麗。」
春の、少し肌寒い風を強い日差しが暖めて、縁側は心地いいぬくもりで満ちている。
私も伊月さんの横に腰を下ろす。
かなりぶっきらぼうな話し方だけど、伊月さんが私のことをもてなそうとしてくれてるのが伝わってくる。
―― パッと見怖かったけど、すごく優しい人だな
私は伊月さんの不器用な優しさと、春の庭の景色にホッコリした。
「失礼します。」
そこにさっきのアイドル顔の人がお茶を持ってきくれた。
「ありがとうございます。頂きます。」
ゴクリ。
お茶を一口飲むと、緑茶の味とともに、優しいハーブの香りがした。
「はぁーこのお茶、美味しいですねぇ。」
暖かい春の陽気とおいしいお茶に、一気に緊張感もほどけてしまった。
―― ん…?
あのアイドル顔の人の視線に気付く。
その人は、ほのぼのとお茶を堪能する私を、不思議そうな表情を浮かべながら見ていた。
とりあえず目があったのでニコリと微笑みかけるも、その人は慌てたようにお辞儀をして
「ごゆっくりどうぞ」と言って去っていった。
ほのぼの気分の私とは対照的に、伊月さんは気を引き締めたような表情をした。
「ところで、那美どの…」
そして人がいなくなったのを見計らったように声をひそめた。
「単刀直入に聞くが、そなたは、やはり、異界から来たのか?」
「え?え?え??」
おばば様から私が異界から来たということは誰にも言わないようにと言われていたけれど、不意打ちで聞かれてしまって、挙動不審になってしまう。
「それと、そなた、人間か?」
「えっ?...ん?」
この質問は不意打ちというか予想外すぎて私は一瞬思考停止した。
そのまま伊月さんの顔を数秒見つめていたが、至極真剣に質問しているだと理解した。
「に、人間に決まってるじゃないですか!」
オババ様がこの世界には人間以外にも妖怪やら魔物やらがいると言っていた。
もしかしたらこの世界の人には私がとてつもなく異様に見えるのかもしれない。
それとも私も妖怪や魔物に見えるのかな。
「も、もしかして、私、化け物に見えます?」
「いや...」
伊月さんは私を見据えると真顔で、「化け物には見えぬ。」 と言った。
心の中でホッと胸を撫で下ろした。
「失礼した。ただ、そなたを異界人と思ったのにも、人間かと聞いたのにも理由がある。」
「理由は何ですか?見た目が変だとかいう理由なら、ちょっと、傷つくかもです。」
「フッ。見た目は、変ではない。」
また伊月さんが少しだけだけど笑みをこぼした。
元が強面の伊月さんが笑った時ってギャップがすごくてびっくりする。
―― 伊月さんの笑顔ってけっこう好きだな。って、何考えてるんだ、私。
「理由は、そなたが空から落ちてきたからだ。」
「え?空から?え?」
一瞬何かの比喩表現なのかと疑ったけれど、どうやら言葉通りの意味らしい。
「私、てっきり道端に倒れていたものとばかり思ってました。」
うむ、と、伊月さんは顎に手を当ててその時の状況を少しずつ話してくれた。
その日、伊月さんは江国との戦の指揮をとっていて、戦況は芳しくなかった。
ところが、それまで雲ひとつない晴天からいきなり豪雨が降り始め、雷が鳴り響き、そして雷が落ちた。
それが戦況を変え伊月さんの軍を勝利に導いた。
「不思議なことはそれだけではない。」
次に、空から何かが降ってきたので思わず伊月さんがそれを受け止めた。
「それが、那美どのだった。」
到底信じられない話しだけど、かといって伊月さんが嘘を言ってるようには思えなかった。
空から落ちてきた私を受け止めた人に異界人じゃないと嘘をつき通す自信はないな。
―― この人には本当のことを言ってもいいよね?
「伊月さんのいう通り、私は異界からきました。地球という惑星です。」
「ちきゅう・・・ワクセイ?」
「私、その日、木の幹にあるうろから落ちて、下に下に落ちていく感覚の中、気を失ったんです。」
「その異界の木のうろと、この世界の空がつながっているということか?」
「…たぶん。」
伊月さんはしばらく考え事をしているかのような顔つきになって口をつぐんだ。
「そなたが異界人だということは伏せておいた方がいい。」
「オババ様にも言われました。でも、言ってもどうせ誰も信じてくれないでしょう?」
「多くの者は信じるさ。異界人がこの帝国の基礎を作ったという伝説が残っている。」
―― あ、それはオババ様の想い人の…
「この帝国だけではない。異界人がこの世界に何らかの影響を与えるという伝説は色々な地域に存在する話だ。海の向こうの大陸でも。」
「そ、そうなんですか?」
―― 私と、重治さんだけだと思ってたけど、結構よくあることなのかな?じゃあ…
「じゃあ、他にも異界からきた人に会えるでしょうか。」
「それは無理だろうな。何百年かに一回起こるとも、起こらないとも言われている。そなたはその何百年かに一人の存在であろう。」
「そう、なんですか・・・。」
「だからこそ、何かに利用しようとする輩がいるものだ。カムナリキがあるとすれば尚更だ。」
「伊月さんにも私がカムナリキがあるってわかるんですか?」
「いや私には分からぬ。そなたをオババ様の屋敷に運んだ時に、オババ様が言っておった。」
「正直私にはカムナリキが何なのかよく分からないし、私に利用価値なんてないと思います。」
「しかし、そなたの存在は何らかの意味があると思う。」
「い・・・み?」
伊月さんは真剣な眼差しで大きく頷いた。
「皇帝専属の予言者が、数ヵ月前に、異界の者が降り立つという神託を得たと聞いた。」
「え?私がここに来ること、予言されてたんですか?」
「そうだ。この世界にやってくる異界の者はこの世界の神に祝福された者だと聞いた事がある。」
「祝福されてる? 私が?」
元いた世界では早くに家族を失って、これといった友だちもいない孤独な私が、この世界では神様に祝福されているなんて。
でも、心の奥底でそれが本当だったらいいなとも思う。
仕事は好きだったけれど、仕事以外にこれといった趣味もなかった。
誰とも深く関わらず、仕事と家の往復だった人生。
こんな私がもっと私らしく生きられる場所がここだったら。
あの木のうろから落ちていく中で私の短い人生が走馬灯のように見えた。
後悔した事はたくさんあるけどもっと積極的に友達を作らなかった事も後悔した事の一つだ。
あの時、もう一度人生をやり直せたら、今度こそ仲間を作りたい、人に心を開くことができる自分でありたいと願った。
「那美どの?」
考えこんでいた私を伊月さんが心配そうに覗き込んだ。
「いきなり知らない所に来て不安であろう。」
そう言った伊月さんを見て、この人も孤独を抱えて生きているんじゃないか、と、ふと感じた。
ちょっとシンミリした雰囲気になったので、話題を変えてみる。
「あの伊月さん、ちょっと気になっていたんですけれど…」
私はさっきお茶を持ってきてくれたアイドル顔の人の訝しげな表情がずっと気になっていたので伊月さんに尋ねることにした。
「もしかしてさっきお茶を持ってきてくれた人も、私が人間じゃないと思ったんですかね?」
「は?源次郎が?なぜそう思う?」
―― あ! あの人がイケボの源次郎さん!
「源次郎さんっていうんですね。」
「あ、いや、不思議なものに遭遇したみたいな顔で私を見ていらしたんで。」
「源次郎が不思議そうに那美どのを見ていたのは、そなたが私を怖がらないからだろう。」
「え? それってどういう…?」
「たいていの女子供は私を見て怖がるからな。」
伊月さんは額の中頃から左の頬にかけてななめに走っている傷をトントンと指で叩いた。
確かに伊月さんは体も大きいし、顔に切り傷があるし、ひげもあるし、
真顔はなかなか威圧感があるけど、少し話せばわかる。
とても紳士的で優しい人だ。
「そこまで怖がらなくても…」
「とにかく、そなたのような年頃の女がいきなり来て、怖がりもせず一緒に茶をすすっているので、今頃、源次郎は別の部屋で驚いてひっくり返っているだろうな。」
そういうと、伊月さんは悪巧みをしている子供のようにニッと笑った。
―― おぉー。本日一番の大きな笑顔だ!
―― ますます少年っぽい!
やっぱり伊月さんの笑顔、好きだな。
「そういえば…」
しばらく縁側で雑談していたら、伊月さんは何か思い出したように私に顔を向ける。
「オババ様からそなたに薬の作り方を教えるように言われておったな。」
「どんな薬ですか?」
「元々、血を回復する、滋養強壮の薬を作ったのだが、オババ様が言うにはカムナリキを回復させる力があるそうだ。」
「そうなんですね。と、いうか伊月さんが考えた薬なんですか?」
「そうだ。」
「すごい!お医者様みたいですね!」
「少しばかり、薬学の心得があるだけだ。」
伊月さんは謙遜しているけど、私にしたら尊敬に値する。
この世界のテクノロジーを考えると、きっと医療もそこまで発展していないかもしれない。
自分で自分の健康をしっかり管理しないとな。
そんな事を考えるうちにふと、意識がもうろうとしていた時の事を思い出した。
「そういえば、あの木のうろから落ちて、この世界に来た時なんですけど…。」
誰かの手のぬくもりを感じた気がする。そして…
「何かとても苦い物を飲んだような気がするんですが、もしかして、伊月さんが薬を飲ませてくれたんですか?」
「ブッ。ゴホッ、ゴホゴホ!」
それまでお茶を飲んでいた伊月さんが急に咳込み始めた。
「だ、大丈夫ですか?」
私は慌てて伊月さんの背中をさすった。
よく見ると伊月さんの顔がみるみる赤くなっていく。
「顔が赤いですよ。熱があるんじゃ?」
伊月さんを覗き込むけど、顔をそらされてしまう。
「だ、大丈夫だ。」
―― 咳は収まったようだけど、心配だな。
「ゴホン」
伊月さんは咳払いを一つして居住まいを正した。
「確かにあの時、薬を飲ませたのは私だ。すまないことをしたと思っている。」
そうして私を真っ直ぐに見た。
「ただ、あの時のそなたは血の気がひいていて、体を温めるものと、滋養をつけるものが必要だと判断したのだ。」
そこまで一気に言うとガバッと頭を下げた。
「この通りだ、許せ。」
―― え? なんで謝ってるの?
「あ、頭を上げてください!」
それでも伊月さんは頭を下げ続けている。
私は意味がわからず、慌てて伊月さんの肩のあたりを押して頭を上げる。
―― じゅ、重量が!
「謝らないでください。頭を上げて下さい。むしろ感謝しているんです。」
大きな上半身を一生懸命押し上げて伊月さんが頭を上げたのを確認する。
「確かに薬はすごく苦かったのを覚えてますけど、苦いのは嫌いじゃないです。コーヒーも濃いブラックが好きだし。」
「こおひ???」
「とにかく、その薬を飲んだあと、体が温まって、心地よくなった記憶があります。それに…」
私は膝の上で両手をキュッと握りしめた。
「運良く伊月さんに助けられたけど、ともすれば売り飛ばされていたかもしれないと、オババ様に言われました。」
この世界には人身売買が存在するらしく、身元の分からない者は誘拐されることもあるそうだ。
特に身元の分からない女の人は女郎小屋に売られてしまうこともあるらしい。
その可能性もあったと思うと、こうやって心ある人に助けられたのが奇跡みたいだ。
「とにかく、伊月さんは私の命の恩人です。どうやって恩返しできるか、まだわかりませんけど、いつかお礼をしたいです。」
「礼には及ばぬ。」
「でも...」
とにかく、伊月さんは礼には及ばぬの一点張りだった。
「さて、オババ様が戻る前に、そなたに薬の作り方を見せよう。」
伊月さんは、この話は終わりとばかりに薬を作る部屋へと案内した。
―― あ、本がたくさんある。
伊月さんが案内してくれた部屋には沢山の本があった。
「あの、見てみてもいいですか?」
「ああ、かまわぬ。」
一冊取って、パラパラとめくると、
―― あ、普通に読める。
時代劇によく出てくるような達筆すぎる文字だったらどうしようと思ったけど、この世界の文字は不思議に読めた。
時々わからない言葉もあるけど、書き方は現代日本の書き方にすごく近い。
重治さんの広めた日ノ本の字が、5,600年で現代日本と同じような進化を遂げたのかな?
「字がわかるのか?」
その本は医薬の本だった。
「あ、はい。読めます。時々、分からない言葉はありますが。」
私は本をそっと棚に戻した。
伊月さんの反応を見るに、尽世の人全員が字が読めるわけではなさそうだった。
その後オババ様が戻ってきたのは薬を作り終えてしばらくたった後だった。
その間、伊月さんは私に薬のことや、この世界のことを色々と教えてくれた。
「オヌシら、もう仲良くなっておるようだな。良い事じゃ。」
オババ様は帰ってくるなりそう言った。
「はい。伊月さんとお友達になりました。」
「と…ともだち?!」
勝手にお友達宣言をしてしまった私に、伊月さんは戸惑った様子だった。
―― あ、図々しかったかな。
少し自分の発言を後悔している私をよそに、オババ様は嬉しそうに破顔した。
「ほうー友達になったのか。良き事じゃ!」
「ところで」
と、伊月さんが話題を変える。
「城からの呼び出しの用件は一体何だったのです?」
「ああ、まあ、予想はしていたが、国主は那美を探しておる。」
「へ?私を?」
「やはりそうでしたか。」
私以外の人には予想済みだったらしい。
二人がどういう関係かはよくわからないけど、阿吽の呼吸で会話しているようだった。
たったのその短いやりとりで、伊月さんが私が異界人だということをもう知っていると、オババ様は見抜いたようだった。
「もう那美がどこから来たかは知っておるな?」
「はい。最初に那美どのを見出した時に気付いておりました。」
「まあ、そうだろうな。」
オババ様は言ってしまった私を責めずに何事もないかのように話を続ける。
「異界人がこの世に降り立つという予言が出たのは三カ月ほど前だったかな。その異界人がすでにこの地に降り立っておるという新たな神託があったそうな。皇帝の預言者はなかなか優秀じゃな。」
オババ様はうんうんと感心している。
「あのう、私を探し出しても何の得にもならない気が…。」
「さぁ、どうだろうな。オヌシはなかなかのカムナ巫女になると私は見込んでおる。」
「えっと、私、お城に出頭した方がいいのですか?」
「伊月、どう思う?」
オババ様は意外にも伊月さんに話をふる。
「それは…那美どの次第です。ここの国主や皇帝と協力して政に関わりたいのであれば行っても良し。しかし…」
伊月さんがそこで口をつぐんでしまった。
「あのう、私は政治に関わりたいとは、これっぽっちも思わないです。」
「政に関わるのは私も勧めんな。特に今の愚鈍な国主とはあいさつするのも面倒だ。」
オババ様ははっきりと言い切る。
―― 愚鈍なんだ。亜の国の国主。
「国主は那美どのを見つけ出したら、さっさと都に送るでしょう。皇帝に差し出して褒美をもらうことしか考えておらぬ気がします。」
さっき伊月さんがこの世界の事を話してくれた時、都の話もしてくれた。
都へはここから馬で2日、歩いて3,4日かかる場所にあるらしい。
「あのう、都…行きたくないです。もし、ご迷惑でなければ、もうしばらくオババ様の所にいたいです。」
私は少し泣きそうになった。
せっかく夕凪ちゃんやオババ様と慣れてきたのに、また知らない所に行くのは結構つらい。
「案ずるな。人間の小娘の一人や二人、迷惑ではないぞ。」
オババ様がペットにするように私の頭をワシャワシャとなでた。
「それではオヌシが異界人ということは伏せておけば良い。私も伊月も他言せぬ。」
伊月さんがは大きくうなずいた。
「あ、ありがとうございます!」
伊月は内心大いに焦っていた。
まず自分の屋敷に女が入ったことは一度もなかった。
実際はオババ様は入ったことが何度もあるが、伊月の中では女にはカウントされていない。
家人も伊月の家に出入りする者はみな男ばかりだ。
そんなむさ苦しい所に突如、花顔柳腰の女が現れ、鬼武者と言われる悪鬼顔の伊月とも怖がらずに談笑している。
源次郎も焦った。
この家で女人をどうもてなしていいか分からず、せっかく茶を淹れても、何やら女人と良い雰囲気の主の邪魔をしてしまったような気がする。
オババ様がその女人を連れ帰ると、源次郎はすぐに伊月に詰め寄った。
「あ、主! あのような方がお越しになると知っていれば、もっと前もって準備しましたものを!」
「な、何をムキになっておる? 私も知らなかったのだ。」
「し、しかし、あのような可憐な女人が来て、あ、主と、そのっ」
「あー、うるさいな。私が女人と話したのがそんなに珍しいか?」
「珍しいどころか、初めて見ました!」
「そ、それはそうだが...。とにかく、源次郎、落ち着け。ただの来訪者だ。」
「ただの来訪者などと、嘯かれましても。あのように睦み合っておいでではありませんでしたか。」
「睦み合っ!? ただ話していただけではないか! 」
「いいえ、私は見ました! せき込む主を気遣い、優しく背をなでるあの方を!主の事を怖がらず、かと言って野獣を見るような目でさげすみもせず、ニコニコと微笑みかけ、最後には『お友達になりました!』と嬉しそうに言っておいででした!!」
源次郎はまったく女っ気のない主の恋愛フラグを感じ取っていた。
「それに、主が那美様に口移しで薬を飲ませたことをお謝りになられた時も、まるでそれが嬉しかったことのように言われておいでで!!」
「いや、それは、私がきちんと説明せず、たぶん、口移ししたことは…。 そ、それに、そなた、どれだけ人の話を盗み聞いておる!」
「あぁ、こんなことなら洒落た茶菓子の一つも用意して、花の一輪も飾りとうございました。」
―― 聞いておらぬな。
「もう良い。さっさと仕事をしろ。」
伊月はむりやり源次郎を黙らせて下がらせた。
―― まったく、女人ごときで焦ってどうするのだ。
そしてそう自分に言い聞かせ、仕事に戻った。
次の日、また源次郎が騒ぎ出した。
「あ、あるじ、ふ、ふ、文が来ております。」
「何を焦っておる? 文など毎日来るではないか。」
「こ、これにございます。」
源次郎から渡された文は薄桃色の封筒に入っていて、可愛らしい丸文字で「伊月様へ」と書かれていた。
明らかに仕事の手紙ではないようだ。
裏をみると、「那美」と書かれている。
伊月の顔が少し赤くなった。
―― このような女子らしい趣の文をもらうのは何か、むぞがゆいな。
できるだけ平静を装って封を切り、中身を読んだ。
手紙の中には昨日の礼が書いてあり、伊月の教えた薬を作って今朝飲んだという報告だった。
カムナリキの修行はまだまだはかどらず、力を消耗するが、あの煎じ薬を飲むと力が回復すると書いてある。
―― そうか、それは良かった。
他にもとりとめもない事が色々と書き連ねてあった。
オババ様の暴挙奇行の様子や、神社にお参りにやって来る氏子たちとも会えたこと。
オババ様も、夕凪も、氏子たちも皆、優しくしてくれること。
氏子たちには、那美は江の国の田町という農村の出であるということになっていること。
―― 農村の出? あのような土一つ触ったこともないような手をしておいて、すぐにバレるぞ。
そう手紙にツッコミを入れたことで、那美のほっそりとして柔らかい手を思い出した。
―― わ、私は何を考えておる!
伊月が文を読みながら顔を赤らめ、焦っているように見えた。
―― 一体どんなことが書いてあるのか。
源次郎は伊月の様子を観察している。
―― 大体、主は女に耐性があるのか?
と伊月のことを心配もしている。
他にも、昨晩、野良猫が迷い込んできて、オババ様の眷属の鳩を追いかけ回したことなどが書いてある。
―― 何と他愛もない
フフっと伊月は無意識に笑っていた。
その様子を隣で見ていた源次郎は、おどろいた。
―― 女からもらった文を嬉しそうに読んでいる。
そんなデレっとした主の顔は今までに見たことがなかった。
主に届いたのは恋文であると確信した。
―― 主がお返事を書かれるのに使う紙も女人受けするものを用意せねば。紙に炊き込める香も花のような香りを...。
源次郎はひそかに心に決める。
文の最後には、『今朝、夕凪ちゃんと一緒に草餅を作ったので、皆さんでどうぞ。』と書かれていた。
「草餅?」
伊月がつぶやくと、源次郎が重箱を持ってきた。
「これも一緒に届きました。」
重箱を開けるとなるほど草餅だ。
さっそく一つ頬張る。
「うむ、これは旨いな。お前も食うか?」
「では、頂きます。うーん、これは美味しいですね。那美様は料理もお出来になるのか。」
そこに、庭に通じる裏門がガタガタと鳴り、誰かが入ってきた。
「殿、聞きましたぞ!」
慌ただしくやって来た男は、軍師の堀正次だった。
「なぜ、いつも裏門から入ってくる?」
「殿がお救いになられた女人が回復されたそうですな。」
―― 聞いておらぬな。
「ああ。昨日オババ様とここに来た。名は那美という。」
「那美様ですか。いやぁ、何やら大変に可愛らしい方だとか。」
―― 源次郎のやつめ何を言ったのだ。
源次郎を睨みつけるも、いっこうに意に介さず草餅を頬張っている。
堀の言葉には答えずに「ところで、」と話題を変えた。
「持ち帰った魔獣の屍はどうなった?」
「検死は進んでおります。しかし、魔獣使いの方の情報がつかめませぬ。」
「手がかりが少なすぎるな。厄介だな。引き続き情報収集を頼む。」
「は。では、私はこれで。」
堀は立ち去ろうとしたが、立ち止まり、振り返った。
「那美様は何かと要り用でしょうな。」
「は?」
「いや、新しい土地で新しい生活を始められるところです。色々と要り用でしょうな。いやいや、ふと、思っただけです。では、殿、失礼します。」
―― あいつめ。言外に何か言っておるな。
伊月は立ち上がった。
「源次郎、港町に行く。」
「あ、はい。お供します。」
私は玄関の前で掃き掃除をしながら山の下を見下ろした。
オババ様の屋敷は小高い山の中腹にあって、山の傾斜に咲いている桜や亜国の城下町を見下ろせる。
少し先にお城も見える。
よく日本で見たお城にそっくりだけど違うところもある。
―― きれいだなぁ。
電線もない、飛行機も飛んでいない少し霞がかかった春の空を見つめる。
綺麗な鳥の鳴き声だけが風に乗って聞こえてくる。
―― なんか、落ち着く。
怖い事や、急な環境の変化があったのに、
ここでの暮らし、のんびりした時間の流れ、澄んだ空気と水が癒しとなっていた。
美しい景色を堪能しながら掃き掃除を続けていると、そこへ、誰かが訪ねてきた。
「失礼する。」
聞き覚えのある低音の落ち着いた声がする。
「あ、伊月さん、こんにちは。」
「ああ。」
「お久しぶりです!先日はお世話になりました。」
「ああ、草餅を頂いた。うまかった。」
「お口に合って良かったです!」
「文も読んだ。源次郎に返事を書けとせがまれたが、どうも性に合わず、ここにやってきた。」
「え?オババ様に用じゃないんですか?」
「いや、オババ様じゃなく。これを那美どのに渡しに来ただけだ。」
いつきさんは背中にからっていた風呂敷包みを解き、ぐいっと私に押し付けるように差し出した。
私はもっていた箒を門の塀に立て掛け、両手で受け取る。
「草餅の礼だ。貰ってばかりは性に合わぬ。」
―― そのセリフ、聞き覚えがあるような。
「このために、わざわざここまで来て下さったんですか?」
「ああ。」
風呂敷包みは結構な重みがある。
「嫌いな物があれば、オババ様にあげればよい。」
「こ、これ全部、私に?」
「他に誰がいる?」
私のためにわざわざ何か持ってきてくれるなんてあまりにも意外だった。
「あ、ありがとうございます! 開けてもいいですか?」
「そなたのものだ。好きにしたらいい。」
私は片手で風呂敷にを抱えたままもう片方の手で結び目を解いた。
全部は見えないけれど、チラッと見ただけでもマフラーみたいな長いモコモコの布、ジャムみたいなのが入った瓶、お茶っ葉のようなもの、紙袋、裁縫箱、色々な物がゴロゴロ入っている。
「先日、港町に行く用事があったので色々と買ってきた。」
「そ、そうなんですか?嬉しいです!こんなに色々頂いていいんですか。」
「いいから持ってきた。いきなり知らぬ土地に来て色々要り用かと思ったのだが、女人がどんなものが要るのかさっぱりわからぬ。」
「あの、これは何ですか? すごく、きれい。」
風呂敷包みから綺麗な色の瓶詰めを取り出す。
太陽の光に透けて見える、薄い赤色のものだ。
「果物の砂糖煮だ。イチジクやら何やらが入っている。」
「わあやっぱりジャムだ! キレイな色ですねー。美味しそう!」
「じゃ…む?」
「これは何ですか?」
さっきから気になっていたモコモコの布を指差す。肌触りが罪深いほど気持ちいい。
「襟巻きだ。寒い季節になったらいるだろう。」
「あ、やっぱりマフラーだ! わぁ、モコモコですねー! あったかそう!」
「まふら??? もこもこ???」
伊月さんは女の子が何が好きかわからないと言いながら色んな物を考えて持って来てくれたんだ。
その気持ちが無性に嬉しくて、思わず風呂敷包みごとギュッと抱きしめた。
おばあちゃんもこうやって風呂敷みに色々包んでくれてたっけ。
卒業式の前に着物に合わせる髪飾りや小物を風呂敷みに包んで準備してくれていたな。
懐かしさと寂しさと伊月さんの優しさが嬉しいのと色々と胸に込み上げてくるものがあった。
「伊月さん…」
思わず涙が出そうになって言葉が詰まる。
「な、なんだ...」
泣きそうになった私を見て伊月さんが少し慌てているようだった。
堪えようとしていたけど、我慢できずに涙が一筋落ちた。
「な、な、な、何を、泣いている?? は、腹でも痛いのか??」
「すみません、すごく、嬉しくて。ありがとうございます。」
慌てて涙を拭いて、笑顔を作った。
そんな私を伊月さんは不可解そうな顔をして見ていた。
「それにしても女性に対して、腹が痛いのかって...」
伊月さんのコメントがおもしろくてクスクス笑っていると、
「泣いたり笑ったり忙しいな。」
伊月さんがボソッとつぶやいていた。
「でも、本当にありがとうございます。すごく嬉しくて涙が出ちゃいました。」
「そ、う、なのか…?」
心底理解できないという表情を浮かべる伊月さんの後ろから足音がした。
「なんだ騒がしいと思ったら伊月がきておったのか。」
研究室からオババ様が出てきたみたいだ。
「差し入れを持ってきただけなので、私はこれで失礼する。」
伊月さんはそそくさと門を出ようとしたけど、オババ様がが引き止めた。
「待て、ちょうど良かった。伊月、今から那美を城下町へ連れて行け。」
「え? な、なぜ私が?」
「那美はまだ城下に行ったことがないのだ。城下の事は知っておいたほうが良い。時々お遣いにやるかもしれぬでな。那美に城下を見せてやれ。」
「だ、だから、なぜ私が?」
オババ様はいつものように話を一方的に進めているけど、伊月さんは嫌そうだ。
「あの、オババ様、お遣いなら一人で行きますよ。道を教えてもらえば…。」
「オヌシ、方向感覚がすこぶる悪いではないか。この前もこの屋敷の中で迷子に..」
「で、でも!」
それ以上言われるのが恥ずかしくてオババ様をさえぎる。
「でも、伊月さんにこれ以上迷惑をおかけするわけには・・・」
「迷惑ではないぞ。」
断言したのは、伊月さんではなくオババ様だ。
「どうせコヤツは今から城下に行くのだ。」
「それはそうだが…。」
「ついでに買い物も頼むぞ。買ってきてもらいたい物をここに書いておく。」
言い淀む伊月さんをよそにオババ様は紙と筆を取り出して何やら書き始めた。
「あの、伊月さん?無理しなくても・・・」
「無理をしているわけではないが・・・ 仕方がない、ともに城下へ行こう。」
「でも、嫌なんじゃ?」
「この屋敷内で迷うような娘を一人で遣いになど行かせられぬ。どうせ迷子になったそなたを探しに行くのも私になる。」
「わかっておるではないか。」
オババ様は紙に書く手を休めて大きくうなずいた。
「な、なんかすみません。」
「那美、良いから早く準備をして来い。」
オババ様がせかす。
「は、はい、じゃあこの頂き物を部屋に置いてきますね。」
私はおじぎをして屋敷の方に駆け出した。
自分の部屋に行き風呂敷包みを机の上にそっと置く。
―― 素っ気ない態度の伊月さんだけど、なんだかんだ優しいよね、こんなに色んなものを持ってきてくれるなんて。
―― 城下に連れて行ってくれるのも了承してくれて、なんだかんだ、面倒見がいいよね。
―― 伊月さんにはちょっと申し訳ないけど、城下へ行くのは少し楽しみだな。
私は、オババ様の龍の文様の入った首かけをかけて、いそいそと門のところへ戻った。
門の所に行くと、オババ様の書いた買い物リストに目を通している伊月さんがいた。
「お待たせしました。」
「お、おう」
伊月さんは私に気づくと慌てて紙を丸めて懐の中にしまった。
―― ん? 何か焦ってる?
オババ様は横でそれを見ながら不敵な笑みを浮かべている。
不思議な雰囲気に小首をかしげていると、伊月さんが踵をかえし、門の外へと歩き始めた。
「さぁ、行こうか。」
「あ、は、はい。オババ様、行ってきます。」
「ああ、行っておいで。」
オババ様はまだ不敵な笑みを浮かべつつ手をふって見送ってくれた。
前を歩く伊月さんに小走りで追いついた。
「あの、オババ様、何かニヤニヤしてませんでした? 何か企んでいるような。」
「さあな。」
それ以上何も言わずに伊月さんは黙々と歩く。
「あの、すみません、また急に私のお守り役を負わせてしまって。」
「いちいち謝る必要はない。」
「でも...。」
「別に嫌じゃない。オババ様も言ったが、時間はある。」
「じゃあ、ありがとうございます。実は結構楽しみなんです。城下を見るの。あの屋敷の敷地から出るのは、あの伊月さんのお家に行った日以来なので。」
「...そうなのか。」
「伊月さんはいつも城下町に行くんですか。」
「時々めしを食いに行く。」
「ご飯を食べに?」
「そうだ。」
「今日も何か食べるのですか?」
「まだ決めておらぬ。行ってから決める。」
「ということは城下に行ったら色々なお店があって選べるってことですね。」
「まあな。」
「わー楽しそう!」
私は城下町がどんなところなのか想像して胸をふくらませた。
「そんなに腹が減っているのか。」
「あ、いえ、そういうわけでは。」
どうやら食い意地がはってると思われたらしくて恥ずかしくなるってうつむく。
まぁ実際食べるのは大好きだけれども。
「何が好きなのだ。」
「え?」
「食べ物だ。好きな食べ物があるのか。」
「そうですねー。結構何でも好きですよ。好き嫌いはない方です。ただ、あんまり辛いのは得意じゃないかも。ピリ辛くらいはいけますけど。」
「そうか…甘いものは好きか。」
「はい、大好きです。」
「そうか…魚は好きか。」
「はい、大好きです。」
「なら、蒲焼きはどうだ。」
「大好きです!」
伊月さんは私とほとんど目を合わせず前を見てスタスタ歩いている。
私にはまったく興味なさそうな話し方だけど一応私の好みを気にしてくれているんだな。
「伊月さんは何が好きなんですか?」
「私は何でも食べる。」
「そうなんですね。」
伊月さんは沢山食べるイメージあるな。体も大きいし。
私は伊月さんの横顔を見ながら食いっぷりがいいところを想像した。
「それはそうと、あそこが商人町の入り口だ。」
伊月さんの指さした先には色とりどりのアーチ型の門があり、門の中をくぐると沢山のお店が並んでいた。
「わぁー。ジオラマみたいで可愛い街並み。結構人もたくさんいるのですね。」
人混みの中に入り自然と伊月さんとの距離が近くなる。
伊月さんの着物からヒノキのようなウッディなお香の香りを感じた。
街を歩く人々は、人間ぽくない人もいる。
お面を被っていたり、髪の色が赤や、黄色や、紫だったり、しっぽがあったり。
現代日本よりもずいぶん多様性がありそう。
少し歩いた所で伊月さんが一軒の店を指さした。
「ここで食べるが、いいか?」
お店の中から蒲焼の甘くて香ばしい匂いがする。
「はぁ、おいしそうな匂いですねぇ。」
匂いにうっとりした瞬間、
キュルキュルルルルー
私のお腹がいきおいよく音を発した。
「あ、す、すみません...。」
あまりの恥ずかしさにうつむくと
「ここで決まりだな。」
伊月さんがフッと笑った。
あ、久しぶりの伊月さんの微笑だ。
暖簾をくぐる伊月さんの横顔を思わず見つめてしまう。
―― この人が微笑むと、強面とのギャップがすごいからか、なんだかすごく嬉しい。
なんて思いながら私も伊月さんに続いて店内に入る。
店内はけっこう忙しくて空いている席も少なく活気に満ち溢れている。
「いらっしゃいませ。」
前掛けをかけたお店の人がやって来て、伊月さんと私を交互に見た。
「あのう、お二人でゆっくりおできになりますように、個室を用意いたしましょうか?」
「あ、いや、別に個室でなくてもいい。」
「まあまあそう照れずにぃ。」
「照れてなどは…」
「さあさあ、こちらへどうぞ、お嬢さんもどうぞ。」
お店の人は私たちがデートしていると思ったのか、半ば強引に個室を推してきた。
「あ、ありがとうございます。」
通された個室は小さい窓があって日当たりがよく、可愛らしい花が飾ってある。
「わぁ、素敵な部屋ですね。」
「お嬢さんに喜んでいただいて何よりです。」
お店の人は終始ニコニコしている。
「さぁさ、お茶をどうぞ。こちらがお品書きです。何かわからないことがあれば遠慮なくお聞き下さいね。」
お店の人がそそくさと出ていき、急に静かになった。
「何か、お店の方に誤解されちゃったみたいですね。」
「…そうだな。」
「なんか、伊月さんに申し訳ないです。」
「別に那美どのが申し訳がることはない。それよりも、そなたの方が嫌であろう。」
「え? 私ですか?」
「嫁入り前の娘がこのような男と噂をたてられては嫌であろうに。」
意外な事を言われてビックリする。
―― このような男ってどういう意味だろう。
「私は別に全然嫌じゃないですよ?」
「そ…そうか。」
「私は街の人に知っている人いないし。」
「…そうか。」
「あの、伊月さんって恋人とかいるんですか?」
「は?」
伊月さんは心底驚いたような表情を浮かべた。
「いる訳がないであろう。」
そんな全否定しなくても…と、一瞬思ったけど、そういえば伊月さんって武将だよね。
ということは、結婚とかも政略結婚とかなのかな?
自由恋愛とか無理という意味で?
「そ、そなたはどうなのだ?」
「え? 何がです?」
「だ、だから、そなたには伴侶がいたのか聞いたのだ。ここに来る前に。」
「ああ、いえ、そんなの人生でたった一度もいたことないですよ。残念ながら。」
「そうか…」
伊月さんはフイっと顔をそむけ窓の外を見つめた。
私もそうだけど、伊月さんもこういう話題は苦手そうだった。
私はずっと陰キャで、がり勉タイプだったから、恋愛経験がほぼゼロだ。
「そろそろ何を食べるか決めたか?」
「あ、はい。」
私はお店のイチオシと書いてある特製せいろ蒸しを注文する事にした。
―――
せいろ蒸しのお重を開けた瞬間、香ばしい匂いを孕んだ湯気が立ち上った。
「はぁぁぁ なんて美味しそう!!」
程よく蒸し上がったふかふかのご飯の上に、艶々の鰻と錦糸卵が乗っている。
「い、頂きます。 んーーーーーーー!!!!!!」
玄米のほどよい歯ごたえと、ふわふわの鰻の身が、甘く香ばしいたれで上手くまとめられている。
「お、おいしいー。んーほっぺが落ちそうーー!!」
―― あ。
食べることに夢中になっていたが、伊月さんからの視線に気づき、目の前にいる人を見上げる。
―― え?
そこには、今までにないくらい優しい目をして微笑んでいる伊月さんがいる。
「あ、えっと、つい、美味しくって、夢中で食べちゃってました。」
少し照れ隠しでいうと、伊月さんも、ハッとした顔をして、
「好みの味で何よりだ。」
と言って、自分の蒲焼を食べ始めた。
―― 前も思ったけど…
伊月さんの所作はとても綺麗だ。
背筋がピンと伸びてて、食器の持ち方も箸の使い方もとても丁寧な印象だ。
―― 体が大きいから、ガツガツ食べるイメージだったけど、意外。
ガツガツ食べていたのは私の方だ。恥ずかしすぎる。
私も少し所作を気にしながら食べてみた。
―― 悪寒がする。
「那美どの? どうかしたか?」
鰻を堪能しおわり、食後のお茶を飲んでいたころ、私は不思議な感覚に襲われていた。
「このお店に変な雰囲気の人が座っている気配がするんです。」
伊月さんが少しだけ個室の障子を開けると、「ここから見えるか?」と聞いた。
私は恐る恐る隙間を覗き込む。
―― あ、あの人だ。
私ははっきりと感じた。黒い気が渦巻いている。
「あそこに座ってて、今、注文した人です。」
伊月さんも障子の隙間からその男の人を確認する。
店内なのに笠をかぶったまま取らずに注文している。
「あの者は…」
伊月さんは私に席に戻るように促して、個室の障子を閉める。
「大丈夫だ。心配はない。きっと妖術使いか何かだ。」
私は知らないうちに震えてしまっていたらしい。
伊月さんの大きな手がトントンと背中を叩いてくれて、私は落ち着きを取り戻した。
「すみません。取り乱してしまって。こんな感覚、初めてで。」
「邪悪な気の流れを感知できるのも、多分そなたのカムナリキのなせる技であろう。」
「これが、カムナリキの?」
「ああ。きっと経験を積めばその感覚にも慣れていくだろう。とにかく悪い感じのするものには近づかぬことだ。」
「…はい。」
今までオババ様の屋敷内にいたから分からなかったけど、オババ様の土地は相当に安全地帯だったんだな。
「勘定を済ませて来る。」
「あの、私、自分で払います!」
オババ様からもらったお小遣いの入った財布を取り出そうとする。
でもそんな私を無視して、伊月さんはサッサと個室を出て行った。
―――
伊月は勘定を払いながら、那美が不思議な雰囲気の男と言った者を遠目に観察した。
その男の二本差しの鞘には不思議な彫り物がある。
―― やはりな。軒猿のあつめた情報と一致する。
「店主、厠はどこだ?」
「離れのあの小屋に。」
「ちょっと厠を借りるぞ。」
「へい。」
伊月は厠に行くふりをして店を出て、角を曲がり細い路地に入る。
薄暗いところに、ある男がいるのを見つける。
「清十郎。」
「は。」
「先日魔獣を操っていた者と思われる男がいる。特徴は覚えてるな? 今はそこの鰻屋にいる。追え。」
「御意。」
清十郎と呼ばれた小柄な男はサッとその場を立ち去った。
―――
個室の障子が開いて、伊月さんが顔をのぞかせた。
「あ、伊月さん!私もお勘定を・・・」
「そんなことは良い。さぁ、行こう。オババ様から頼まれた買い物をせねば。」
サッサと踵を返して歩き出した伊月さんの背中を慌てて追う。
「ま、待って下さい。」
―― あ。
あの笠の男の人の席に近づくにつれて、嫌な感じの気が濃く感じられる。
―― どうしよう、また体が震えだしちゃった。
こんなにも脆弱な自分が嫌になる。
治安が悪いこの世界では私のような世間知らずの女では色々と危険もありそうだ。
治安が良かった現代日本ですら殺されそうになった。
オババ様の優しさで守ってもらっているから日頃は感じなかったけど、自分がこんなにも弱い存在だなんて。
自立するなんていつの話だろう。
一人で街を歩くことすらもままならないのに。
―― ん?
ふと、伊月さんが歩みを止め、私の横に立った。
そして、その瞬間、伊月さんが私の体に手を回し、肩を抱いた。
―― え? え?
「何も案ずることはない。」
伊月さんがいつもの低音ボイスで私の耳元でささやく。
不意に心臓がドキドキし始め、頭の中が真っ白になり、恐怖が飛んで行った。
自然に早歩きになり、そのまま一緒に歩いて店を出た。
店から少し離れたところで、伊月さんはパッと私から手を離した。
「すまぬ。あまりに怯えていたようだったので、あの場から早く去らねばと思ったのだ。」
「い、いえ。あ、ありがとうございます。」
―― ドキドキしてる場合じゃなくて!
―― 私、伊月さんに気を使わせてしまったんだ。
「あのっ。」
「ん?」
「私、こんな弱い自分に嫌気がさしてたんです。この世のこと何も知らなくて、皆に助けられないと生きていけないし、自立するって言ったのにどうしたら良いのかわからないし、お金も何も持ってなくて…。」
「那美どののような状況に陥れば、誰もが不安に思うはずだ。」
「そうやって、伊月さんやオババ様たちが優しくしてくれるから、私、すごく甘えてるなって...。ご飯もすぐ遠慮せずに食べちゃうし。」
「ハハハ!」
―― ん? 今、声を上げて笑った? 初めてだ。
「甘えていて良いではないか。」
「え?」
「誰しも何かしらの辛い思いをした事がある。そして辛いことは甘えられる人がいるから乗り越えられる。その経験を乗り越えた時に他の人に優しさを返せばよい。今のオババ様がそなたにしているように。」
「伊月さん…。」
「那美どのは、まだここへ来て7日も経たぬではないか。きっといつか自立の道は見えてくるさ。」
伊月さんがそう言ってくれると、本当に頑張れる気がした。
命を助けてもらっただけじゃなく、心も救われてる。
「伊月さんには、何てお礼を言っていいかわかりません。」
「礼などされる覚えがないな。」
伊月さんは、こんなひ弱な私にも勇気をくれる強くてかっこいい人だ。
一歩前を歩く伊月さんの大きな背中が眩しく見えて思わず目を細めた。
―――
鰻屋を出た私は那美どのをいざなって、街へと繰り出した。
オババ様に頼まれたものがたくさんあるので幾つかの店に立ち寄った。
その度に那美どのは、目をキラキラ輝かせて、童子のようにはしゃいでいる。
―― 何というか…調子が狂うな。
今日は一日中、調子が狂いっ放しだった。
差し入れを持って行けば、思いもかけず涙を見せられ、那美どののしおらしい一面が見えたかと思えば、うなぎ屋の前では盛大に腹の虫を鳴らすし。
―― そもそも、何事にも警戒心がなく、何を考えておるかがそのまま顔に出ておる。
那美どののコロコロ変わる表情には驚かされる。
美味しい美味しいと、飯をシマリスのように頬張っていたかと思えば、獣魔使いの放つ気に当てられ震えだすし。
―― まったく、目が離せぬ..…。
小間物屋から反物屋へと、オババ様の指定の店に寄る途中で、那美どのが気になるような店があったらそこにも寄った。
「この町には可愛いものがたくさんありますね。」
「この城下の職人は手先が器用なことで有名だ。特に貝や漆を使った物が特産だ。ほら、そこにも立ち寄ったらどうだ。」
那美どのの目線の先にあった店に促してみる。
その店先にはいかにも女人の好きそうな可愛らしい髪飾りが並べられている。
那美どのは店先に並べられた髪飾りを手に取っている。
「わぁ。なんかこの石、すごくキラキラしていますね。」
―― こういう色が好きなのか。
頬を桃色に染め嬉々としている那美どのを見ていると落ち着かない気分になってくる。
―― 那美どのは可愛いな。
と、思ってしまった。
―― わ、私は何を考えている!
「あ、すみません。退屈でしょう? 次のお店へ行きましょうか?」
「いや構わぬ。店の中を見て回ったらどうだ?」
店の中を覗くと、所狭しと彩り鮮やかな、装飾品と反物が並んでいる。
「でも、ここ、伊月さんが興味がありそうなお店ではないですよね?」
「私はそなたに城下を見せるために来たのだから構わぬ。」
「でも...」
「私はここで次に買わなければいけない頼まれ物を確認しているので、ゆっくり見て回るといい。」
私はそう言うとさっさと店の軒下に陣取って、懐からオババ様が渡した紙を取り出し、読み始めた。
那美どのは私が引く気がないと悟ったらしく、「では、遠慮なく見させてもらってもいいですか」と言い、礼を言うと、店の中へと入っていった。
―― はぁ、どうすればいいのだ。
正直、買い物もあまりしたことなければ、ましてや女と街をブラついたことなど一度もない。
二つの慣れないことを同時にやってのけるのはなかなかに大変だった。
オババ様が買ってきて欲しい物を書くと言って書き連ねた長い紙には、実は買うものだけではないことが色々と書いてある。
例えば、
『一つ.女は買い物が好きなのだ。何も買わずとも色々見て回るだけで楽しいのだからオヌシは邪魔をせず十分に見させてあげること。』
『一つ.女は歩くのが遅い。歩幅を小さくし、ゆっくり歩いてやれ。』
『一つ. 那美は強いカムナリキの持ち主ゆえ、悪気に当てられやすいかもしれぬ。そのような時は肩をさすり、落ち着かせること。』
さっき悪気に当てられて怯える那美どのを見て動揺してしまい、「肩をさする」のではなく、思いきり「肩を抱いて」しまった。
―― しくじった。
後悔の念とともに、あの時の那美どのの反応を思い出す。
一瞬、肩をビクッと震わせ、固まっていた。
きっと嫌だったに違いない。
オババ様の忠告はまだ続く。
『一つ.女は甘味が好きだ。歩き回って疲れたら甘味処に寄って休憩しろ。』
『一つ.荷物は全部オヌシが持つこと。』
―― なんなんだこれは。
紙をガシガシと丸め、また懐に入れる。
―― まるで女を喜ばせるための指南書のようなものではないか!
憤慨しつつも、この後は甘味処に行こうと決めた。
今日は、なぜだか、霞んだ春の空も眩しく見えた。
―――
―― 城下をブラブラするのすごく楽しかったな。
私は商人街のはずれにある茶屋で、柏餅を頬張りながら今日一日を振り返った。
隣では、伊月さんが、相変わらず綺麗な所作でお茶を飲んでいる。
伊月さんは、きっと女性と出歩くことが多いのだろう。
私に合わせて歩みを遅くしてくれたり、疲れた頃にこうやって甘味処に連れて行って休憩させてくれたり。
文句も言わずに私の見たいものは全部見せてくれて、荷物も全部持ってくれて、完璧なエスコートだったな。
―― 女性慣れしてるっていうか...。
私はお団子を頬張り始めた伊月さんの横顔を思わずじっと見る。
ぱっと見は大きいし、強面だけど、よく見るとイケメンなんだよね。
―― やっぱ女の人はほっとかないよねぇ
と、なぜか残念にな気持ちになる。
「な、那美どの、そのように見られては少し食べづらい。」
「あ、すみません。つい見ちゃって。」
「この団子が欲しいのか?」
「あ、いえ、そういうわけでは…」
「ほら、分けてやる。」
伊月さんは有無を言わさずお団子一本を私のお皿においてくれた。
やっぱり、伊月さんって私のこと食いしん坊だと思ってるよね。
「ありがとうございます。」
でも実際に食いしん坊だから素直にもらっちゃう。
「いただきます。うわぁ。もちもちだ。美味しいー。」
現代日本のスイーツに比べたら亜国の甘味は随分と甘さ控えめだ。
でも、優しいほんのりとした自然の甘みが心を癒す感じがする。
「那美どのは何でも美味そうに食うな。」
そう言うと、伊月さんはまたふっと笑った。
―― うん、笑うとなおさらイケメンだ。
「オババ様にも、夕凪ちゃんにも、伊月さんにも食いしん坊だって思われてますね、私。」
「食うことは生きることだ。」
「あ、それ、オババ様も言ってました。」
「そうか。オババ様の口癖が移ったのかもしれぬ。」
「あの、前から気になってたんですが、伊月さんとオババ様ってどういう関係なんですか?」
―― この二人の接点がサッパリわからない。
「私とオババ様か? まあ、私はあの人に幼き頃、育てられたようなものだ。」
「え? そうなんですか。意外です。」
伊月さんはもともと伊の国の出身なのだそうだ。
オババ様の占めるタカオ山も伊の国と亜の国の国境にある。
「元服まで5年ほどあの屋敷に住んでいて、飯炊から、武術の稽古まで、それは鍛えられた。」
「うふふ。それは何か想像できます。」
―― 幼い頃の伊月さんってどんな感じだったのかな。
―― オババ様の水晶で見せてもらったりできないかな。
その時、何処からともなくゴーン、ゴーン、と鐘の音が聞こえた。
「この音は何ですか?」
「暮鐘だ。この鐘が鳴ったら日の入りが近い印だ。そろそろ帰ろうか。」
「はい。あのう、伊月さん、今日は本当に楽しかったです。城下町のいろんなところを見られて、勉強にもなりました。次は一人でも来れそうです。」
「そうか、それは良かったな。」
じゃあ行くぞ、と伊月さんが歩き出して、私もそれに続いた。
―― このまま日が暮れなければいいのに。
何故かこの一日が終わるのが口惜しい。
まだ日が沈んでいないのに、うっすらと月が二つ見える。
「月が綺麗。」
思わずつぶやくと、伊月さんが、歩みを止め、月を見上げた。
「ああ、綺麗だな。」
綺麗だけど、どこか切なかった。
普通、主くらいの上位武士ともなれば、一人でふらっと町に行かれたりはしない。
必ず自分の居場所は留守のものに知らせておき、いつ城からの徴集があってもいいようにしておく。
そして外出する時は、大抵、従者が護衛している。
荷物持ちもこの従者がする。
主の場合、いつもはこの役目を、源次郎か、私、清十郎にお任せになるのだが、今日は、一人で行くと仰せになられたそうだ。
荷物も自分で持つと背中にからわれたらしい。
「主、流石に一人ではいけません。」
源次郎が反駁して、
「では清十郎を呼べ。」
ということになったらしい。
「お呼びですか?」
「オババ様の所へ出かけ、その後、城下で飯を食うだけだが、今日は、そなたは雲隠れしていろ。」
「は。」
主が雲隠れという時は、誰にも姿を見せずに、付かず、離れずの距離で護衛をしろという意味だ。
敵に一人でいると見せかけ、油断を誘い、囮になったりする時にそうなさる。
こういう時には源次郎ではなく必ず私にお呼びがかかる。
私が忍だからだ。
―― しかし、オババ様の所へ行く道のりにも、城下にも、そうそう敵などおるまいに?
私は小首を傾げた。
「主は最近、春が来ておられる。」
不意に源次郎がコソコソと囁いた。
「は?」
「オババ様の所へ身を寄せている娘で、那美様という。」
「その娘に会いに行かれるというのか?」
ウンウン、と源次郎がうなずく。
「この前、薄桃色の文が届き、その返事を書くように申し立てたのだが、文は性に合わぬので直接会いに行くと。」
「う、薄桃色だと? 直接会いに?!」
主が薄桃色の文を読む姿がどうしても思い浮かばない。
「そなたに雲隠れしろと仰るのも、きっとあのデレデレ顔を見られぬように、だ。」
「あ、主がデレデレだと? あり得ぬ。」
「いーや、俺は見た。あんな顔をする主は初めて見た。」
そこに主の声がした。
「おい、清十郎。行くぞ。」
「は、只今、参ります。」
「源次郎は留守を頼んだぞ。」
「は、承知。」
「行って参る。」
「お気をつけて。」
オババ様の所でも、遠巻きから見守ってはいたが、なるほどデレデレだ。
普段は口を一文字かへの字にして、微笑むことなどないのに、フッと力が抜けるように笑みを漏らすことが何度もあった。
さらにコロコロ変わる女の表情に、主はタジタジである。
どんな戦の時もあんなアタフタとなさることはないのに。
―― しかし、那美様といったか? 不思議な方だ。
別に主は全く女と話さないというわけでもない。
城に行けば、自然と武家の娘や、国主の親戚の姫君たちとも会われる。
だが、たいていの城の女は主をさげすんでおられる。
鬼武者と呼ばれ、敵や魔獣を殺すこと夜叉のごとし、と噂を立てられているので(まあ、その噂もまんざら嘘ではないが)、身分のある女たちはたいてい野蛮な獣をみるような目で主を見る。
身分が高くない女たちはたいてい主を見て怖がって、震えて、会話もせずにどこかに行ってしまう。
―― しかし那美様は違うな。
身分や家柄や素性や見た目など一切気にせずに、主の人柄だけを見ておられる気がする。
そのうち、城下に行くと、主は、先日の戦場で見かけたある男を、追跡するようにと命じられた。
―― やはり、源次郎の思い違いではないのか? 主は何か大切な仕事をされている。
―― きっと那美様と一緒に行動しているのも敵を欺くためか...
しかしその直後に、頬を赤らめながら那美様の肩を抱いて、少しぎこちない様子で鰻屋を出てきた主を見て
―― いや、仕事もあるが、やはりそれなりにお楽しみなのでは…
という考えに変わった。
兎にも角にも、雲のように隠れて、主の命令通りに、この男の尾行に専念しよう。