簿記の試験が終わり、私はぐんにゃりとする。
 帰りしなにマネージメント契約をしてから渡された、それぞれのプロフィールを見る。
 三人がつくったユニット名は【GOO!!】と書いてあった。【ぐー】と読むのか【ごー】と読むのかは、あとで柿沼にでも確認しないといけないらしい。
 サラブレッドの柿沼は、アイドルとしての技術もだけれど、意外なことに学業のほうも優秀だ。今のところはまだ授業を休んでレッスンさせるようなことはしてないけれど。これは人としゃべる際のフリートークでネタになるから、彼に授業に出ることはもうしばらくの間は勧めたほうがいいかもしれない。
 意外なことに、ユニットのリーダーに登録されているのは林場のほうだった。林場もまた学業優秀だけれど。趣味が読書、舞台鑑賞と書いてあるし、特筆事項を確認して私は「おっ……?」となった。
 この辺りは芸能コースの教師が書き加えた事項だけれど、そこに書いてあるのは【舞台俳優向き】と書いてある。たしかに趣味の項目を見てもそうだったけれど……。最近はアイドルが舞台俳優に転向することもそこまで珍しくはないとはいえど、なんでアイドル……? と私はついつい首を傾げてしまった。
 そしてもっと驚いたのは桜木だった。プロフィールの写真を見て、私はぎょっとする。

「なんで売り物隠してるのよ……」

 マスクの下は、綺麗な顔立ちをしていた。ちょうど女の子受けするようなベビーフェイスで、はにかんで笑っているのは母性本能を刺激するには充分だ。そういえば、髪もさらさらだったし、芸能コースなのもあって、見た目を綺麗にすることが習慣付いているんだなと頷けた。
 学業は可もなく不可もなくなんだけれど、音楽の成績だけが異様にいい。芸能コースでは楽譜の読み書きはミュージカルや歌唱、作詞などに必要になるから、ミュージカル俳優やアイドル、歌手を目指すなら当然学ばないといけないけれど、なんでこんなに上なんだろう。
 芸能界のサラブレッドに、役者志望に、音楽の才能二重丸の三人組のユニット【GOO!!】かあ。

「なあんか……薄々わかってたとはいえど、すっごいヤな予感……」

 そうは言っても一度は乗りかかってしまった船だ。もうクーリングオフはできないし、できるときは、こいつら三人を事務所に放り込んだときだけだ。
 私はこいつらをどうにかして、芸能事務所に放り込まないといけないんだから。
 そのためにも、一年以内に成果を上げないと。成果。この成果っつうのが厄介なんだよね。成果ってなんだよ。ものすっごく抽象的だよ。
 マネージメントコースも上に上がっていくごとに、マネージメント契約している芸能コースの生徒の仕事が増えていく関係で、学校に来ないことが多くなってくる。ついこの間の私みたいに誰とも契約していない生徒は、資格試験に加えて就職試験のほうにかかりっきりになってしまって、接触できない。
 先輩からアドバイスももらえない以上は、本当に手探りでやっていかないといけないんだから、厄介なんだよねえ……。
 私はプロフィールをファイルにしまい込んでから鞄に突っ込むと、頬をはたく。
 とりあえず、それぞれの実力を見るところからはじめよう。まずはそれからだ。
 自分に気合いを入れてから、スマホアプリでそれぞれに連絡を飛ばす。マネージメント契約したら、学校からスマホを借りれるんだから、本当に特待生様々だ。

【今度のミーティングで、課題曲の訓練をしましょう】

 それぞれの実力を見ないことには、こちらだってどんな仕事を取ってくればいいのか、どんなマネージメントをすればいいのかわからないんだから、頑張らないと、そう思いながら家路に急いだのだ。

****

「北川さん。所属ユニット宛に仕事依頼が来ています」

 ……私は、芸能マネージメントの難しさに、いきなりぶつかっていた。
 マネージメント契約をしたことを学校に報告した途端に、事務所に呼び出しを受けて、こんもりとした依頼内容をさばかないといけなくなってしまったのだから。
 学校用のパソコンのメーラーにもびっしり。紙のファックスのものまでこんもり。いったいどういうことなのと、愕然とする。
 事務員さんは困ったように笑った。

「二世タレントだったら、早速親御さんとタイアップしたいって依頼がそこらじゅうから来ます。ただ、柿沼くんの性格だったら、なかなかお受けできないかと思いますので、きっちり断ってくださいね」
「あー……はい」

 メールの文面もファックスの紙面も全部チェックするけれど、これだけ依頼が届いていて、どうして九割九部九輪が、親御さんとのタイアップなのか……そんなもん、決まっているか。
 抱き合わせで売ったほうが、売れるからだ。もし柿沼隼人単品だけだったら、既にベテラン俳優なんだ。出演料だけで莫大な金額を動かさないといけないけれど、まだ駆け出しのアイドルの柿沼の場合は学院が請け負った仕事というのもあり、まだギャラだってそこまで高くはない。依頼側は平均で比較的安い値段で、親子タイアップの絵が取れる上に、柿沼隼人のファンが必ずチェックしてくれるんだから、こんなにお買い得なことはない。
 でも……柿沼はそれを嫌がっているんだったら、私はそれを受け入れる訳にはいかない。
 既に授業で習っていたビジネスメールの講座が早速訳に立つなんて、思いもしなかった。私は大量にお断りメールを送り付け、ファックスで依頼してきたところには、全てメールで送りつけた文面を印刷して、それをファックスで送り返したのだ。
 げんなりした顔になったところで、事務員さんにやんわりと言われる。

「笑顔笑顔。芸能人を守るためにマネージャーはいますから。もし早速泥を被ったなんて知られたら、担当している子たちが心配してしまいますから」

 そう口元をこんこんと叩きながら教えられ、私はどうにか顔をポーカーフェイスに戻した。今日は学校から借りた課題曲と課題ダンスで、それぞれの実力を見るのだ。借りたレッスン場に向かっていった。

****

「あっ、さっちゃん! おはようー!」

 こちらにブンブンと手を振ってきたのは、Tシャツにジャージ姿の柿沼だった。なるほど、ダンスレッスンのときは動きやすい格好でとは伝えたけど、こんな格好になるのねと納得する。
 しかし。

「……さっちゃんって?」
「えっ、だって特待生って、北川咲子でしょう? だから、さっちゃん」
「マネージャーとアイドルでしょ。いくらなんでも馴れ馴れしすぎない?」
「えー、だって、他人行儀過ぎない? これから一蓮托生なんだし」

 そりゃそうかもしれないけど。ひとまず柿沼は置いておいて、ふたりを見てみると、意外なことに、林場と桜木はノートパソコンを広げていた。
 パソコンから流れてくるのは課題曲だし、少しだけモニターを覗いてみれば、3Dの女の子が課題の振り付けを踊っていた。

「なに、その動画」
「ああ。来たか、北川。これは桜木がつくってくれた動画だ。振り付けを一発で覚えられる柿沼と違い、俺たちは何度も反復練習しないと覚えられないから、確認していた」
「……うん、歌はすぐ覚えられたんだけれど、ダンスのほうは、苦手だから……」

 んー? 私は少しだけ眉を潜めた。
 使った課題曲は、はっきり言って少し難しめなものを選んでいた。有名アイドルプロダクションでも使われている課題曲と振り付けだし、これが全部踊れたらすぐに仕事を取ってきても差し支えないだろうけれど、それが無理なら、課題を潰していく練習やフォーメーションを考えていかないといけないんだから。
 私が課題を与えたのは三日前だ。どちらも三日前ならそこまで完成してないと思ってたのに。そもそも、三日前に与えた課題で動画作成って、いったいどうなってんだ。さすがに動画のことに関しては、私もあまり知識がない。
 とりあえず、私は課題曲をパソコンで流しはじめる。

「それじゃ、早速見せてもらうから。見るのは歌唱力、ダンスに、それぞれのフォーメーション。はい、はじめ」

 手をパチンと叩いたところで、それぞれがフォーメーションに立つ。
 てっきりセンターに入るのは柿沼だと思っていたのに、入ったのは桜木だった。マスクを外して、ジャージのポケットに捻り込む。
 それぞれがマイクの電源を入れて、歌いはじめた途端。私は三人を凝視した。
 ……はっきり言って、一番侮っていたのは桜木だった。プロフィールから見ても、一般家系の子だし、あまりにもおどおどしていたものだから、アイドルとしては大丈夫なのかと。だけれど、この流れてくる甘い歌声はなんだ。
 桜木の甘い声、柿沼のハスキーな声、林場の低いテノールの声が重なり、溶け合い、弾け合う。
 ダンスのリズム。左に立った柿沼のダンスには迫力があり、林場のダンスは流すかのようだった。桜木のダンスはセンターで歌を歌っている関係でそこまで激しくはないものの、それが目立たない。
 やがて位置が変わり、センターに入ったのは林場だ。
 声の重なりも変わる。ダンスもここからがだんだん難しくなる場面だ。
 本当だったら、もっと駄目な部分にチェックを入れて、課題点を探らないといけないのに。わかっているのに、私は手元のボードになにも書き込めないまま、三人を凝視していた。
 ダンスが一番難しい部分は、さすがに柿沼がカバーを入れているものの、目立ち過ぎないように林場のカバーが入る。そして桜木のダンス。振り付けは合っているものの、どことなくぎこちなくって洗練されてない。でもそれが初々しくも見えるし、彼の歌の上手さを損なうようなことはない。
 やがて。曲は終盤。最後の最後でようやくダンスが決まった。
 私はしばらく放心していた。ボードにはまだなにも書き込まれてない。

「ねえねえ、さっちゃん。どうだったどうだった!?」

 そう言われて、ようやく我に返る。

「……すごかった。たった三日よね。私が課題曲と課題ダンス上げたのは」
「そりゃできるよー。これ、ダンスの授業でさんざんやったやつだし!」
「柿沼、お前の基準で語るな。俺たちは結構いっぱいいっぱいだ」
「え……林場くん、すごかった……僕は本当に、くたくたで……」

 そのままぺたんと桜木は座り込んでしまった。三人とも汗がすごく、私は慌ててタオルを持ってきて、三人に投げつける。体を冷やしてはいけない。それぞれにペットボトルも配りながら、私は三人の前に座る。
 正直、まだ五月だ。できてから三週間くらいしか経ってないユニットが、ここまでできるとは思ってなかった。
 たしかに柿沼はあまりに動き回るから、少し落ち着かせないとお客様が疲れてしまう。桜木はダンスがぎこちないし体力もないから一曲だけですぐへばってしまうから、スタミナを付けないとライブの依頼が入ったら体がもたない。対照的なふたりのフォローばかりを続けて、林場は自分の仕事に専念しきれていない。
 でも、それ以上にこの三人は互いを引き立たせている。
 世の中ってマイナスを埋めればプラスになるって言うけれど、それは返って個性を失わせてしまうから、ただ凡庸なだけになりかねない。それを三人はしっかり相乗効果で互いの魅力を引き上げているのだからすごいんだ。
 ……はっきり言って、柿沼の二世封印は特技の封印だと思っていた。もしかしたら、柿沼もそれはわかっていたのかもしれない。だから、自分を磨いたんだろう。例え両親のことが公表されたとしても、それに負けないだけの実力を。
 ふいに、柿沼と目が合った。
 こちらを探るような、計算高い目だ。……こいつ、多分実力とかそんなの抜きにして、二世タレントで売る方針をさんざんぶつけられたことあるな。きっと。ふたりもそのことは知ってるみたいだったし。
 私は、喉を鳴らした。

「……あなたたちに、依頼が来ていました。あなたたちがマネージメント契約したのと同時に、あなたたち目当てで」

 九割九分九厘は、柿沼の意見やふたりのことを考えて断った。
 たしかに、柿沼「だけ」を売るのなら、親子タイアップの依頼は受けたらたちまちヒットだっただろうけれど、それだと林場と桜木を売ることができない。
 私は大量のメールとファックスをさばき続けている中、一厘はそれ以外の仕事が来ていることに気付いた。町起こし系の依頼はそもそも響学院の芸能コースに向けて届いているものだから、ぶっちゃけてしまえば誰でもいい依頼だ。
 でも、誰でもいい依頼だったら、【GOO!!】が取ってもいいはずだ。
 その中から、アイドルらしい依頼、三人で問題ない依頼を選別したところ、一件よさそうなものが見つかった。
 私はファックスを三人に見せた。

「スーパー銭湯の宣伝ライブ。三人にはそこでライブを行ってもらいます」