天気予報では降水確率90%で、せっかくもらった仕事が消えてしまうかもしれないとヒヤヒヤしたけれど、その日は雲ひとつないすっきりとした空だった。

「すっごい! 晴れの確率10%だったのに無茶苦茶晴れてる!」

 元気に跳ねている柿沼は、ヒーロー衣装に模した白いつなぎに赤いマフラーを締めていた。
 私と林場でどうしようと話し合った結果、せっかくヒーローショーなんだから、ヒーローショー用の曲を観客のお子さんたちと歌ったほうがいいんじゃないかということで話が進み、皆でさんざんヒーローショーの歌の練習をしていたのだ。
 ちなみに衣装は琴葉に「ヒーローショーの前座で、ヒーローのファンクラブって設定で服を用意して」と、遊園地のヒーロー設定資料のコピーを渡してつくってもらったものだ。琴葉はものすごく渋い顔で「まさかヒーローファンクラブの衣装をつくることになるなんて、思ってもみなかった」と言いながら、それぞれヒーローショーにふさわしい衣装をつくってくれたのだ。
 あんまりヒーローショーだからと照れが入ってはいけないと、ヒーローショーの設定資料を全部読んでもらってから、園長さんからデモテープをもらって何度も何度も流しながらレッスンをはじめたけれど。そこから林場のテンションは異様だった。

「柿沼、ポーズの形がずれてる。ポーズはこう!」
「え、こう? みっちゃんどうしたの?」
「こら話を聞け。こう!」
「こう?」
「そうだ!」

 林場の動きには照れが微塵もなく、お前のほうが目立ってどうするというくらいに、ヒーローポーズが様になっていた。
 ……いつものクールキャラがどこに消えたというくらい、熱が篭もっていた。脚本を読んだら飲まれてしまうとは聞いていたし、これは単なるヒーローショーの前座の歌だから、飲まれる要素はどこにもないって思ったんだけど。
 まさかコンセプトのヒーローファンクラブって設定がまずかったのか。私は冷や汗をかきながら、柿沼に熱血指導をしている林場を眺めていたら、桜木がおずおずとした様子で寄ってきた。

「あ、あの……もしかして北川さんは、林場くんが俳優を諦めた話って、聞いてなかったの?」
「ええっと。一応聞いてたんだけれど……私は単純に、馴れ合いみたいになったら困ると思ってコンセプトを用意しただけだったんだけれど……それがまずかったのかな?」

 柿沼も一応ポーズはきちんと取っているものの、やけに熱が入ってしまっている林場と比べると、どうしてもへにゃっとして見えてしまう。そのたびに腕から足の広げ具合からを指示されているので、端から見ているとちょっと面白い。
 それを眺めていたら、桜木は「うーんと」と間延びした声を上げた。

「林場くんは、別に。俳優を諦めた訳じゃないよ? ただ、今の彼だったら、脚本に飲まれてしまうから、日常生活ができないだけで」
「ええっと?」
「……アイドルって、英語では【Idle】で、直訳したら【偶像】じゃない。林場くんは、アイドルの【林場充】の偶像を固めることで、自分のぶれない核をつくってから、もう一度俳優に挑戦しようって思ってるんだよ」

 そういえば。林場も子役時代に、どうにか脚本に飲まれることがないよう、客観的に演技をしようとしていたけれど、その方法は向いてなかったから劇団を辞めてしまった。
 でも、諦めてないのか。柿沼が林場をアイドルに誘ったみたいだし、桜木みたいになにかしら言ったんだろうね。
 ようやくポーズ問題に決着がついたらしく、レッスンの先生に「すみません、もう一度お願いします!」と頭を下げてレッスンが再会された。
 私はそれを見ながら、なんとも言えない顔になった。
 しゃべればしゃべるほど、アイドルっていうのは型をはめればピタリと嵌まるものじゃないって思い知らされる。事務所にはそういう規格があるのかもしれないし、育て方のプログラムが存在しているのかもしれないけれど、いくらマネージメントを勉強していても、私じゃ全然あいつらに追いつかない。
 この学校にも、たしかに芸能人に少しお近付きになりたいってよこしまな考えで入学する子は少なくないし、実際に柿沼たちもそういうマネージメントコースの生徒と出会って辟易している。でも。
 私だったら、こいつらをきちんと認めさせるには、力が全然足りないなあ……。
 こいつらが再びレッスンに励んでいる間、私は手帳に挟んでいたプリントに視線を落としていた。

【サンシャインプロ主催:第10回響学院オーディション】

 アイドル事務所の最大手のオーディションが、マネージメントコースに配られたのだ。最低限のレッスン量、外部との仕事経験、アイドルとしての素質を吟味されるために、マネージメント契約を受けていないアイドルではこの学内オーディションを受けることもできない。マネージメントコースの生徒はマネージメントコースの生徒で、自分の契約している芸能コースの生徒のオーディションの取捨選択をしなければいけない。手当たり次第に受けても、向いている方向に努力をしなければそれは徒労に終わってしまうし、オーディションに合格できるだけの力量があると判断することもまた、マネージャーの力量だからだ。
 ……一定の成果を上げるという上では一番手っ取り早い方法なんだけれど、同時に成果を上げられていないと判断されるのも早いために、一年の内にオーディションを受けさせられる数も限られてくる。一年を全て大手事務所の入所オーディションだけに力を注いだがために退学になったという話も存在しているため、迂闊なことはできないんだ。
 ここはうちの在校生も現役アイドルとして所属しているし、ネットで調べた限り、ブラックな使い潰しの噂も聞かないし、少なくともアイドル事務所としてはきっちりとしているところらしい。
 ここのオーディションに【GOO!!】を送り出せば。私も晴れてお役目御免のはずだ。
 私だとこいつらの実力を最大限発揮させることはできない。なら、きちんとしたマネージメントのプロに任せたほうが、こいつらのためだと思う。
 ……こいつらは、私なんかがマネージメントをしなくっても、充分力が備わっている。私はこいつらの背中を押すだけで、充分だ。
 そう考えている間に、レッスンが終わったので、慌てて私は手帳を閉じた。
 今は仕事のほうに集中して欲しいし、オーディションのことで浮き足だって欲しくない。私はバタバタとドリンクボトルとタオルの準備にとりかかったのだ。

****

 話を戻すと、最後にヒーローショーの打ち合わせをする。
 ヒーローショーの開始十分前に【GOO!!】の前座がはじまり、最初はヒーローショーの諸注意に、かけ声のかけ方のレクチャー、そしてヒーローを呼んだら、晴れて前座は引っ込んでお役目御免、という形になる。
 なるほど。ヒーローのファンクラブ会員って設定はあながち間違ってはなかったんだなと納得していたら、ヒーローショーのスーツアクターさんたちが出てきた。
 ヒーローショーのスーツアクターさんなんて、ほとんど見たことはないけれど。てっきりスーツを着て強そうに見えるのかと思っていたのに、近くで見ても意外と筋肉がスーツから盛り上がっているのが見える。

「君たちか、ヒーローショーの前座を務めてくれるアイドルは……おお、充くんか」

 しゃべり方まで、いちいちヒーローっぽいな。弟が見ているヒーローの出てくる特撮を横で見ていたことを思いながら、私はちらっとスーツアクターさんを見た。
 どうも林場の知り合いらしい。

「もしかして……赤澤《あかざわ》さん、まだスーツアクターをされてたんですか?」
「こんにちはー! 今日はよろしくお願いします! みっちゃん、この人は知り合い?」

 残念ながら既にスーツを着てしまって、顔のマスクは外せないみたいだけれど。その赤澤さんはマスクで隠れていてもわかるくらいに上機嫌で言う。

「ああ、昔劇団にいた頃から、充くんのことは知っているぞ! 充くんは脚本を読んだらなんでもかんでも吸収してしまうからなあ。明るい役だったらいいが、役者をやっていたら暗い役や悲しい役だっていくらでもあるからなあ。だから、充くんが楽しくなるような話をということでヒーローショーを立案したんだが、それでもとうとう劇団を辞めてしまってなあ……まさか、形は違えども、また同じステージに立てるとは思わなかったぞ!」
「……同じステージなんて。俺はまだまだ前座です。でも、俺もお世話になっていた方に、またお会いできて光栄です。今回は、どうぞよろしくお願いします」

 林場がふんわりと笑う。普段、ふんわりと笑うのは桜木の担当であり、こいつがこんな風に笑うなんて思いもしなかった。
 最後にスーツアクターの皆さんにご挨拶をしてから、いよいよステージへと向かう。
 てっきりファミリー層中心なのかと思いきや、ヒーロー好きの人たちがあちこちからやって来ていて、結構年齢層はバラバラだ。スーパー銭湯のときは元々アイドルを見に来ていた人たちが固まっていたから、男アイドルと女アイドルの違いはあれどもアウェイって感じではなかったけれど、今回はかすりもしてないから、なかなか厳しい展開だ。
 でも、林場は比較的元気だ。

「林場くん、機嫌いいね?」
「ああ……もう忘れられていてもしょうがないと思っていたのに、覚えてくれている人がいるって、嬉しいもんだな」

 そうしみじみしている。
 家族のことじゃなくって、自分だけを見て欲しい柿沼みたいなのもいれば。そもそも歌だけに専念したくって、それ以外のことに集中できない桜木みたいなのもいる。何故か結果的に【GOO!!】のリーダーを務めていて、普段は全然わからなかったけれど、いろいろ勝手に悩んで勝手に解決している林場みたいなのもいる。
 本当に、一面だけじゃないっていうのは考えなきゃいけないことが多過ぎる。どの面を切り取って売り出すのかって話だもの。残念ながら全てを愛してくれるのは母親だけで、アイドルに望んでいるのは夢を見させてくれること。現実を見せて打ちひしがれさせるというのは、アイドルを売るときの一番の禁じ手なんだから。
 全員に「頑張って」と声をかけたら、それぞれがハイタッチしてステージへと上がっていった。今日はスポットライトはない。あるのは太陽と、お客様の視線だけだ。

『皆さん、今回は【轟戦隊ユーエンジャー】のショーに集まってくれてありがとう! 注意事項を教えに来た、【ユーエンジャー】のファンの【GOO!!】です』

 普段だったら、ノリノリで柿沼からMCがはじまるのに、今日はテンション高く林場のトークと諸注意がはじまった。
 元々ヒーローショーらしい格好をしているのと、そのリーダー格が熱血しゃべりをするものだから、ただの諸注意でも笑いは絶えない。
 彼のテンションの高さと、本当に珍しくツッコミに回っている柿沼、ふたりにオロオロしている桜木というトーク回しで、周りはドッカンドッカンと笑っている。
 笑いが取れるっていうのは、コメディアンを目指しているなら構わないんだけど、アイドルとして大丈夫なんだろうかと思わなくはない。でも。
 ヒーローソングが流れてきた途端、『さあ、皆も歌ってくれ!』という声と一緒に、子供たちを巻き込んで合唱する様は、はっきり言って見事だ。ヒーローショーの前座の【GOO!!】と子供たちの合唱で、ヒーローショーのことを知らずに遊びに来た親子連れや、カップルまで足を止めて覗き込みはじめたのだ。

「ヒーローショーって……ここ、遊園地限定のヒーローなんていたの?」
「わざわざ主題歌までつくってるって本格的だなあ」

「ユーエンジャーみるー!」
「こらっ!」

 特設ステージの前に敷かれたブルーシートには、既に親子連れがいっぱい体育座りしているけれど、その向こうに次から次へと立ち止まって見物をはじめたので、確かに前座の役割は果たしている。

『それでは、最後に皆でヒーローの名前を呼んでみよう! 轟戦隊!』
「ユーエンジャー!!!!」

 子供たちの大きな呼び声と一緒に、流れているBGMが変わる。勇ましいBGMを背に、【GOO!!】がステージから退散したのと同時に、スーツアクターさんたちが勇ましくステージへと入場していった。
 私は全員に「お疲れ」と言いながらドリンクボトルとタオルを取り出すと、林場は「ありがとう」と言ってから、ずっとステージのほうを眺めていた。さっきまでの謎の熱血キャラはすっかりとなりを潜めて、いつもの林場に戻っていた。

「なんというか、あんたも大変だね」
「なにがだ?」
「多分、脚本に飲まれるって言うとものすっごく感じが悪いけど、脚本を一回読んだだけで登場人物像をすぐに浮かび上がらせられるのは才能だと思う……あんたの謎の熱血キャラ、悪くはなかったし」

 私がそう言うと、林場は困ったように眉を下げた。

「俺もあんまりよくないとは思ってるんだけどな。自分が浸食されるみたいで」
「えっとイメージだけで、キャラクターをその中につくってしまい、さもそのキャラクターが生きている俳優をこう言うよね。『イタコ俳優』って」

 フォローしようと思ったのか、桜木が口を挟んできた。

「イタコって?」

 柿沼はドリンクボトルから口を離して聞くと、桜木が答える。

「元々は青森にいる巫女さんの一種で、口寄せっていう方法で死んだ人に自分の体を貸し与えて、その人の意見を教えてくれる人なんだよ……だから、林場くんの演技は、悪いことじゃないと思うよ。ただ、制御できなかったら困るよねってだけで」
「イタコか……たしかに、引きずり回されるのはごめんだが、見えないものを見えるようにするのは、必要だからな。やっぱり、俺はもうしばらくアイドルを頑張らないといけないかもしれないなあ……」

 そうしみじみと林場が言った。

「俺はもっと【林場充】になる必要があると思う」

 そう言いながら、林場はステージのほうを眺めていた。ちょうど観客席にいた子供を、ユーエンジャーが華麗に救出して、拍手喝采になっているところだった。
 自分を切り売りする仕事だからこそ、自分を大きく育てないと、自分が無くなってしまう。だから芸能界は大変なんだろうと、林場の苦労をしみじみと考える一日だった。