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「僕は悠花と新しい思い出を作っていくよ。そのほうが新鮮だもんね」
 ひょいと立ちあがる大雅の表情が、逆光で見えなくなる。
 ズキンと胸が痛くなった。
 自分を責めながら、なぜか大雅から目が離せない。
 ――あるわけない。
 ――こんなの恋じゃない。
 何度自分に言いきかせても、どんどん頬が赤くなるのを感じる。
 もっと大雅の顔を見ていたい、そう思った。
(つづく)
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 いつものように学校のトイレでスマホを確認すると、『パラドックスな恋』は更新されていた。
 昨夜までは更新されていなかったのに、第一章の終わりに当たる夕日を見たシーンまでが記されていた。

 けれど、内容はこれまで読んできた展開そのまま。
 優太に当たる伸佳は夕焼け公園には来ていないことになっているし、主人公は大雅への淡い恋心を抱きはじめている。
 現実世界で起きたことは、小説に反映されないということなのかもしれない。
 これからの展開はどうなるのだろう。
 第二章を思い出そうと目を閉じる。

「……あれ?」

 なぜだろう、夕焼け公園のシーンのあとどうなったかが浮かんでこない。
 こんなこと、はじめてのことだ。
 体を小さくして意識を集中させると、ようやくぼんやり展開が浮かんだ。

「そっか……。大雅が風邪を引くんだ」

 今日起きることなのかはわからないけれど、大雅が学校を休んだ日に私はお見舞いに行く。そして、妹である知登世ちゃんに会うんだ。

 最後はふたりきりで夕焼け公園に行き、私は大雅への恋心を確信する、という流れ。

 憧れてやまなかった展開なのに、不思議と冷静な自分がいる。
 大雅とちゃんと話ができていないからかもしれない。
 夕日を見たのも、結局はふたりきりじゃなかったし……。
 しばらくぼんやりと画面を眺めてから、スマホをスカートのポケットにしまった。

 そろそろ始業のチャイムが鳴るころだ。トイレから出ると、ちょうど木村さんが登校してきたところだった。

「おはよう」
 と、相好を崩す木村さん。久しぶりに近くで顔を見た気がした。

「あ、おはよう」

 ふたりで並ぶ形で教室へ向かう。

「柏木さん、次の委員会って何日だったか覚えてる?」
「えっと、今度の金曜日じゃないかな」
「金曜日かぁ。どうせ草むしりの続きだよね。腰が痛くなるし汚れるし、ほんと苦手。そんなんだったら映画観に行きたいよ」

 ぶすっとする木村さんがなんだかかわいい。
 私と木村さんが入っている環境整備委員会は、名前はかっこいいけれど、やっていることは草むしりや備品チェックなど地味なものばかりだ。

「金曜日は……」

 あまりにも小さな声なことに気づき、言い直すことにした。

「金曜日は雨の予報。中止が期待できるかも」

 そう言う私に、木村さんはなぜかうれしそうに笑った。
 自分でも気づいたのだろう、「違うの」と片手を胸の前で振った。

「最近の柏木さん、すごく話しやすいからうれしいなって思って。あ、前が話しにくかったわけじゃないからね」
「そう、かな」

 なんだか急に恥ずかしくなり、そこから会話を交わすことなく教室に入る。
 自分の席へ直行すると、待ち構えていたのだろう、日葵が「ねえ」と体ごとうしろを向いた。
 大雅が風邪で休むという報告かもしれない。

「大雅からLINEが来てさ、風邪引いて休みみたい」
「うん」
「え、知ってたの?」

 つい当たり前のようにうなずいてしまった。

「知らない。ごめん、ねぼけててちゃんと聞いてなかった。風邪なんだね」

 しどろもどろに訂正すると、日葵は大雅の席のあたりに視線を向けた。

「大雅って今、ひとり暮らしの状態なんだって。家族はあとで引っ越してくるって言ってた」
「へえ……」
「昔から大雅って体弱かったよね」
「そうなんだ」
「幼稚園で遠足とか行った翌日は、たいてい寝こんでたよ。日常と違う変化があると、体調が悪くなっちゃうみたい。転入したてで疲れが出たのかもね」

 妹の知登世ちゃんが来るからから大丈夫だよ、と言いそうになる口を閉じた。
 あれは小説のなかの話だ。
 このあと、小説のなかで日葵役の茉莉は私にお見舞いに行くように進言するという流れだ。
 身構えていると、隣の席で寝ていた優太がムクッと顔をあげた。

「ビタミン系の飲み物と、エナジー系の炭酸飲料、あとはお弁当だって」

 ぶっきらぼうに言うと、大きなあくびをしている。

「なに、優太にも連絡来てたんだ?」

 日葵の問いに優太は眠そうな目で「ん」と答えた。

「俺は部活あるから、日葵が行くって伝えておいた。あとは頼む」
「なんであたしなのよ」
「しょうがねーじゃん。だって、悠花は大雅のこと覚えてないんだから」

 え、私が行くんじゃないの?
 驚きのあまり声の出ない私に、優太はやわらかくほほ笑んだ。

「覚えてないのにお見舞いに行くのはキツいだろうしさ」
「ちょっと待ってよ。悠花、大雅のことマジで覚えてないの?」

 日葵が思いっきり首をかしげた。

「あ、うん。覚えてないの」
「全然?」

 日葵が問い詰めるように顔を近づけたのでうなずく。

「全然、ちっとも、まったく」

 小説とは前後しているけれど、たまに会話がシンクロしている。
 呆れたような顔の日葵がうなずいた。

「じゃあ放課後、ふたりでお見舞いに行くことにしよう。きっと会えば少しずつ思い出せるはず」

 ふたりで……。そうだよね、そのほうがいいかもしれない。

 答えるよりも早く、
「後藤さん」
 兼澤くんが日葵に声をかけた。

 兼澤くんとはまだしゃべったことはないし、こんなに近くで見るのも初めてのこと。
 長めの前髪にメガネのせいでどんな表情なのかよくわからない。

「どうかした?」
「あの……この間言ってた漫画なんだけど、全巻手に入ったから」

 メガネをかけ直しながら言う兼澤くんに、日葵は紙袋を見やったあとパチンと拝むように手を合わせた。

「ごめん。漫画の話は学校ではナシってことで」
「あ……でも」

 兼澤くんが手にしている紙袋にはおそらくその漫画が入っているのだろう。

「別にヘンな意味じゃないんだけど、学校ではテニスに燃えているキャラでいたいの。それに漫画は電子で読むから大丈夫なんだ」
「そう」
「うん、ありがとうね」

 自分の席に戻っていく兼澤くんがかわいそうに思え、日葵に声をかけたくなった。
 けれど、日葵はもう私に背を向けてしまっている。
 結局なにも言えないまま、机とにらめっこをした。

「今のはねえよ」

 優太の声に顔をあげた。

「うるさいな。優太には関係ないでしょ」
「関係なくねえよ。カネゴンがかわいそうだろ」

 そういうあだ名を優太につけられているところが逆にかわいそうになる。

「うるさいな。放っておいてよ」

 席を立つ日葵に声をかけられなかった。
 優太も舌打ちを残してどこかへ行ってしまった。

 こんな展開は小説にはなかった。
 といっても、あの小説は短いし、日常の細かなところまで記載するのは難しいだろう。

 まあ……日葵は恋愛が苦手だって公言しているから、男子との接点も作りたくないのかも。
 私だってそうだ。あの小説の主人公みたいに、もっと大雅に近寄りたいのに勇気が出ない。
 大雅を心配する気持ちがないわけじゃないけれど、ひとりでお見舞いに行くのを避けられてよかった、と思う自分がいる。

 私の発言や行動でいろいろと変化しているんだろうな……。
 なんだか、小説の主人公を裏切っているような気がした。