「おじさん達がさっきから言っている支柱、という物は知らないけど、『主』には俺がいたから、あの機械に入れられても身体が残ったんじゃないか、とも思うんです」
「どういう事だい?」
スウェンが比較的優しく訊くと、少年は少し考えてから、「実は」と続けて話した。
「あの変な機械は、『宿主』に反応するんじゃないかな、と思ったんです。『主』のご友人様は、『宿主』としての資質は持ち合わせていなかったし、機械から出て来られた人間を見る限り、皆誰かの『宿主』のようでしたから」
「えぇっと、君の言う『夢人』と『宿主』が、そもそも何なのか、念の為に訊いてもいいかい? 理解は出来ない可能性の方が高いけれど……」
スウェンの戸惑いと困惑を見て取ると、少年が、自分の常識との相違に遅れて気付いたように、どこか呆れたように怪訝な表情を浮かべた。
「あなた達は、一体どこから来たんですか? ここへ来られた人間なのだから、俺はてっきり知っているものと思っていました」
少年はやや愚痴ったが、ログに睨まれると、渋々身ぶり手ぶりを交えて説明し始めた。
「そのぉ、『宿主』とは、力を持った『夢』を育てる事が出来る生物の事です。『宿主』が育てた夢を守るのが『夢人』で、俺達は大きな力の意思によって生まれ、一人で一つずつの『夢』を見守り、導く役割を担っています」
「だから、ハッキリさせろって。つまりお前らは。何の為に存在しているんだ?」
理解する努力を投げ出したログが、仏頂面で腕を組んでそう告げた。セイジに関しては、質問も思いつかないほど困惑した表情で黙りこんでいた。
「だから、俺達『夢人』は、『生み出された夢』を守るんですよ。『主』の力や才能によっては、サポートに入る『夢人』の役割も異なって来るけれど……基本的に、守る事に変わりはないんです」
少年は一旦言葉を切ると、一同を見渡した。理解されていない事を悟ると、頭を抱えて眉根を寄せた。
「……うーん、例えば、大きな木があるとします。木には大きな『力』が宿っていて、その枝先に花を咲かせて実らせる事でエネルギーを消費し、自身の力が世界の理を曲げてしまわないようになっているんです」
身ぶり手ぶりを交えて、少年は、どうにか伝わるよう言葉を噛み砕こうと、悩ましげな表情で言葉を続けた。
「でも、大きな木に宿る力は強大だから、伸びた枝先に触れる事が出来る生物にも、強い影響を与えてしまいます。過去を視たり、未来を知ったり、相手の心に入り込んで、思考を変えてしまったり――でも枝先の実は、触れている生物の中でしか育たなくて、俺達は『その実』が健やかに育つよう見守るんです」
少年は例え話で上手く説明してくれたつもりらしいが、理解が及ばない話である事に変わりはなく、場にはしばし重い沈黙が漂った。
ログは早々に苛立ち始めており、眉間の皺は最悪だった。スウェンは何とか理解に追いつけているようだが、セイジの方は本能的な何かでおおよそを把握したのか、三人の中で唯一、緊迫感のない、のんびりとした表情で考え込んでいた。
少年が一息ついたところで、エルは質問してみた。
「つまり、あなた達は一人一人意思を持っている、『夢』の中の住人って事でいいのか?」
「まぁ、そうだね。簡単に言うと『夢』の世界に住んでいる人って事なのかな……」
少年は、『夢人』としての存在意義について説く事を諦めたように、肩を落としつつ、話を続けた。
「力を持つ『夢人』ほど、『宿主』が作り上げた世界のルールに縛られるらしいけど、俺は生まれたばかりだから、自分の存在意義と『理』しか知らないし、自分の思い通りに『夢』を操る初歩的な事も出来ないし」
そこで、少年は思い出したように「そうだ」と相槌を打った。
「『夢人』には二つあって、俺みたいに守り導くモノは『夢守』と呼ばれていて、何も生まれない『夢』の住人もいて、彼らは、俺達とは全く違う役割を持って動き、俺達とは決して会う事が出来ない場所にいるんです」
そこで、スウェンが、興味を含んだ目を少年に戻した。
「なんだか妙な存在だなぁ、『夢人』って。君達の知識やルールは、本能的に完成されているから、誰にも教わらなくても良い仕様なんだね?」
「仕様? どうだろう、長く時を過ごさないと、この大きな世界の『理』を全てこの身に思い出させるのは、無理なんだと思いますけど、今俺に出来るのは、『主』の『夢』の行く末を見守って、この世界で過ごす事だけだから――」
少年は、ふと言葉を途切れさせた。唐突に胸に手をあてると、ぼんやりとした眼で黙りこんでしまった。
仮想空間は、人が見る『夢』を基盤に造られている。マルクが知る由もなかった仮想空間として成り得る人間の条件が、その人間の夢に、一人の夢人が住んでいる事だとは予想外の話だ。
まるでファンタジーであり、壮大な空想物語を聞かされているようだった。
これまで通って来たセキュリティー・エリアにも、彼のような夢人はいたのだろうか。もしかしたら、彼らとどこかで擦れ違ったかもしれないし、言葉を交わしたかもしれないなと、エルはそんな事を思った。
少年が、エルに向かってぎこちなく笑い掛けた。エル達のこれまでの経緯を知らない少年は、「外の人間にとっては、色々と分からない事だらけかもしれないけど」と、乾いた声を上げた。
「こっちの世界にもルールがあって、きっと、もっと色々と複雑なんだ。でも確実に言える事は、『主』が死んでしまったのに、それでも俺とこの世界がそのまま続いている事は異常なんだよ……俺は痛いのも、怖いのも嫌だし、どうしたらいいか分からないんだ」
その様子を見たスウェンが、思案するようにこ尋ねた。
「もし、君の言う『主』がその命を終えたら、君とこの世界は、本来はどうなるはずだったんだい?」
「――『主』が死ねば、この世界はなくなる。俺は『主』の魂と心を『死に抱かれる者の夢』を辿って導いた後、この世界を作りだしている『夢の核』を持って『理』に還る……それが、俺が知っている筋書です」
そう答えた少年の瞳に、再び涙が浮かんだ。スウェンは、彼の向かい側で腕を組んで考え込んだ。
クロエが一度欠伸をもらし、ログがそれを横目に見て、「呑気な猫だな」と姿勢を楽に空を仰いだ。
しばらくした後、スウェンが一人肯いた。
「――じゃあ、この世界がまだあるから、君は『主』を連れて逃げ回っている訳だね?」
「うん。『主』の心がまだ鼓動しているのを、この身に感じるんだ。そうじゃなければ、俺はもう『ここ』にはいないはずだから」
少年は深く肯いたが、スウェンはやりきれないように、そっと目を細めた。
「生命としての活動が停止してしまっているのであれば、可哀そうだけれど、それは既に死んでいるんだよ。生まれながら世界の『理』というもの知っているのなら、そこに生命がない事ぐらい、君には分かっているはずだろう?」
少年は、スウェンの言葉に一切反論しなかった。こちら側の事情を知らないにしても、『主』が殺されてしまった事実は受けとめているらしい。
エルは、少年が静かに俯いて、胸元のシャツを握りしめる様子を神妙な気持ちで見つめていた。
「……死んでしまったのであれば、旅立とうとしていない彼のこの『心』も、いつか旅立ちを俺に知らせるのかな。彼は、それはそれは美しい『夢』を持っていて、俺は、この世界が大好きだった――」
悔しさを隠しもせず、少年は、声を押し殺して泣き始めた。袖口で何度も涙を拭うが、大粒の涙は次から次へと溢れ出て、どんどん彼の膝の上を濡らしていった。
セイジが、戸惑うような視線をスウェンに向けた。スウェンは横顔だけで受け取めて、小さく手を上げて応えた。
「――可哀そうだけど、僕らにもやるべき事がある。僕らは、この世界に連れ去られた人間の女の子を助けなければならないんだ。その為に僕らは、この世界で『君の主の身体』を探している」
スウェンが、少年に伝わるよう言葉を置き変えて、静かな声色で告げた。
すると、少年がゆっくりと視線を上げた。
「……俺の可哀そうな『主』は、ココにいるんだ」
少年は、自身の胸に手をあててそう告げた。
「俺も、どうしたらいいのか分からない」
彼はそう言いながら、たどたどしい手つきで、シャツのボタンを開け始めた。
しばらくして大きく開かれた少年の胸部には、ぽっかりと暗闇が空いていた。首と鎖骨の皮膚は残っているが、胸部中央には大きな穴があった。まるでブラックホールのように開かれた穴の中央には、円錐形の透明なガラス瓶が収まっており、そこには一匹の白い鼠が、その豊かな毛並みを波打たせて眠っていた。
否、ガラス瓶に収められた鼠は死んでいるのだ。
眠っているようにも見えなくはないが、培養液に浸されたその死骸に、生命は感じられなかった。鼠の閉ざされた小さな瞳は筋が入り、開いた口許からは、小さな歯と舌が覗いていた。
「痛くない……?」
エルは、恐る恐る少年に尋ねた。少年は「ううん、ちっとも」首を左右に振って答えた。
「『主』を抱えて無我夢中で走り回っていたら、こうなっていたんだ。主の命が旅立ってしまって、この世界で俺の姿も崩れ始めているみたいだ……本来であれば『死に抱かれる者の夢』まで、俺が導かなくちゃならないらしいんだけど、主は身体だけを置いていってしまったし、どうやってその場所まで行けばいいのか、これからどうすればいいのか、俺にはまだ分からなくて」
「命のないものであれば、ログならその枷を壊す事が出来る」
スウェンが、顎先でログを指名しながら、少年に教えるようにそう言った。
「彼が触れて、力を発動させれば全てが終わる。けれど君の『主』の身体は、そこから消えてしまうだろう」
エルとセイジは、お互い視線を交わしてしまった。少年の様子を見ていると、無理やりそれを実行するような展開は避けたいとも感じていたからだ。
ログはスウェンの指示を待ちように、仏頂面で少年を眺めているだけだった。
「で、でも、俺は主の心がまだ、ココに残っているのを感じるんだ」
「僕は詳しくは知らないけど、この状態ではきっと駄目だと思うよ。君と彼は、この世界に囚われ続けているんじゃないのかな。彼の方は死んでも尚、君の事が心配で心だけが離れられないのかもしれないし……死んでも利用され続けるなんて、あまりにも可哀そうだ」
スウェンはそう言い、歯切れ悪く言葉を切った。ログもセイジも、それぞれの過去を思い出したように、視線をそらしてしまった。
少年は、考え込むように足元を見降ろした。のそのそとシャツのボタンを締め直し、意味もなく砂利を指で払って、ズボンの裾に擦りつけた。
「……このままじゃ駄目なんだろうなって事は、俺も分かっているんだ。だけど、貴方達が言うように『主』の身体が解放されたら、俺は一体どうすればいいのか……まだ何も思い出せなくて」
不安が、少年の声や眼差しから伝わった。未知の世界に存在する不可思議な住人というよりは、まるで人間そのものに見えた。
ズキリ、と頭が痛み、エルの思考は遮られた。
唐突に、エルの脳裏に、まるで砂嵐のような映像の断片が流れた。ブロンドの幼い少女が、豊かな髪を翻してこちらに微笑みかけている。
あなた本当に何も知らないのね。どこから来たの、こっちへいらっしゃいな。あらあら今日は泣きむしさんなのね。私? 私の名前はね……
腕を掴まれ、エルは我に返った。
無意識に手で額を押さえつけていた為、前髪が乱れてしまっていて、ハッとして目を向けた先には、見慣れた仏頂面があった。
「おい、大丈夫か」
ログが見降ろし、そう問いかけて来た。いつの間にか距離を縮めていた彼は、背中を丸めるようにこちらを覗きこんでいる。