誕生日に、幸福の言葉が書かれたテディ・ベアを送るという発想が、どこから来たのかは覚えていない。

 いつか来る誕生日には、立派なテディ・ベアを買ってあげよう、と父は約束した。うちは立派な家ではないけれど、きっと特別な年に、君に特別なテディ・ベアを贈るから楽しみに待っておいで、と。

 母親は、父の約束を楽しみに待つ我が子に、小さなストラップのテディ・ベアを買ってやった。新しいストラップ人形の友達に、娘が名前をつけて可愛がる姿を喜んだ。

 その子共は、貰った小さなテディ・ベアをストラップとしてではなく、一人の大切な友人としていつも連れ歩いた。ピンクの可愛い鞄を提げて、そこには、いつも小さな友人が顔を出した。


 特別な人に、特別なテディ・ベアを贈ろう。


 そんなCMソングを耳にする事が多い時代だった。恋人の名前が入ったテディ・ベアを男がプレゼントすると、同じように、自分の名前が入ったテディ・ベアを彼女が贈り、微笑みあう恋人同士のはにかむ顔が印象的なCM――。

 テディ・ベアの小さな友達を連れて、幼い女の子は、一人でどこまでも散歩した。小さな足で行ける範囲の街中を歩き回った。

 けれど、ある日、ふとした拍子に迷子になって、母をたくさん心配させてしまった。

 大きな声で助けを求めて泣き続け、ようやく見付けてくれた母が抱きしめても、しばらく涙は止まらなかった。独りぼっちは、たまらなく辛かった。

 散歩が好きになったきっかけは、母と同じ花柄のスカートを履いて、週に二回、父の職場までよく歩いたからだろう。

 保育園の勤務が終わると、父は慌てたように飛び出して来る。今日は一緒に帰れる日なのだから、少しでも早く会って、少しでも長く家族と過ごしたいじゃないか、というのが父の口癖だった。