『私だ』
「あ、父さん? 僕、雪弥ですけど」
『待っていたぞ。もう少し早めに掛けられなかったのか?』
「ごめん、その、ちょっと忙しかったもんだから……」

 他の言い訳が思いつかず、雪弥は思わず苦笑した。

 無愛想な口調は蒼緋蔵家当主の特徴である。言葉は上からでぶっきらぼうな印象があるが、その声色はどこか柔らかい。

 電話から聞こえる父の声は、少し疲れているようだった。仕事疲れや、次期当主とその周りの配役選出の気疲れに加え、紗奈恵の子供である自分を心配している事を雪弥は知っていた。だから強くそれを感じる時、毎回こう言わずにはいられなかった。


「父さん、僕は大丈夫だから、心配しないで」


 その言葉が、何の役にも立たない事は理解していた。心配しないでと言っても、雪弥の仕事内容を薄々勘付いている彼は心配してしまうのだ。一人の息子として心配してもらえる事は嬉しかったが、それで彼の寿命が縮まってしまうような心労は、出来れば感じて欲しくないとも思っていた。

 蒼緋蔵家当主は、約二十近くも年が離れている妻と結婚し、今では六十歳を過ぎている。兄弟がなく従兄弟に五十代、四十代の男が数人いたが本家には招かれていなかった。

 彼らも他の蒼緋蔵家親族と同様、雪弥や紗奈恵を強く妬んでいたが、それでも身の程知らずと知って権力を握ろうとする事はしなかった。蒼緋蔵では血筋によるものがあるらしく、全員が若い時期当主を押している状況だった。

 性悪く業が深い人間が蒼緋蔵分家には多かったが、彼らは揃って雪弥の兄を高く評価した。雪弥たち世代の従兄弟では、一番若い大人でも三十歳を過ぎているのだが、誰もが自分よりも若い雪弥の兄に忠誠を尽くしていた。切れすぎる頭に屈服したのかと、雪弥は首を傾げるばかりである。

『雪弥、蒼慶(そうけい)のことなんだが……』

 父の口から長男の名が出て、雪弥は前回父が語っていた、蒼緋蔵家の次期役職選を思い起こした。まず脳裏に浮かんだのは、次期当主が本物の当主となる日が決まったという可能性である。

 蒼緋蔵家の長男は、名を蒼慶といった。東洋人にしてはすらっとした長身に、はっきりとした顔立ちをした男である。冷静沈着で世の策略家にも劣らない頭脳を持っており、名に「蒼」という家名の一部をもらい、幼少期から次期当主としての教育を受けていた。

 黙って座っていると、物語に出てくる西洋貴族や王子を思わせる男だ。顔立ちと堂々とした態度、洗練された物腰や頭脳に女たちはときめいたが、彼が背負う圧倒的な雰囲気に軽々しく声を掛ける者はいなかった。

 蒼慶は幼くして、自分が動かずとも部下に指示して物事を運ぶことを知っていた。彼は生まれながらにして、天性の策略家である。彼が引き継いだ当主の無愛想は更に箔が掛かり、その上亜希子の強い気性まで備わっているものだから大変だった。

 次期当主として日々着々と権力を固めつつある蒼慶は、今年二十八歳を迎える前に最年少議員として国会に進出していた。蒼緋蔵家親族は大絶賛で応援したが、そこには母と父の反対意見を彼自身が押し通して「反論意見なし」とした困った話もある。