蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~

「仲間も皆持ってるんだ。あとで雪弥にも一つあげるよ」
「それは嬉しいね。で、撃ったことはあるの?」
「あるよ。まだ人間に試したことはないけどね」

 常盤は笑みを歪ませた。向かい合う雪弥は邪気のない表情を浮かべ、彼の手にある銃をしげしげと眺めている。しかし、その横顔は見慣れた物を見下ろすように、どこか冷ややかだった。

「……なんか雪弥、変じゃね?」

 修一は、隣の友人に聞こえる声量でこっそり呟いた。二回目となる私服姿の雪弥をまじまじと見て、やはり理由は分からないが違和感がある、というような顔で眉を顰める。親しさの窺える二人の様子を眺めていた暁也も、考えるように間を置いて「俺もそう思う」と小さな声で相槌を打った。

 雪弥はこちらも見ず、常盤の意見や考えに賛同するようにも聞こえる言葉を返し、話し続けていた。まるで知らない転入生がそこに立っているようにも感じる。

 そもそも、常盤が渡した麻薬を、彼は本当に試したのか?

 嘘を吐いているようにも見えないくらい自然体だったから、暁也と修一は、真っ向からそれを否定できず困惑した。この状況が理解出来ない。雪弥自身に問いただそうにも、いつものように話しかけられない疎外感を覚えていた。

「雪弥、俺は残虐非道の悪党になるのが夢なんだ」

 右手の銃を持ち上げ、常盤が嬉しそうに切り出した。早口になりかけた語尾を緩め、自身を落ち着かせるように二、三度慌ただしく呼吸を繰り返すと乾いた唇を舐める。

「冷酷で残忍な人間は、残虐な行為を賢く楽しむべきだろ? 押し付けられるルールも法律も、悪行を楽しむ特権を持っている俺たちを止めることなんて出来ないよ。俺は酒も麻薬も女もやってるけど、それだけじゃ物足りない。お前と同じ高みに立ちたいんだ」

 何もかもぶち壊すくらいの事をやって、自分の手でも人間を殺めてみたい、と常盤は銃に目を落とした。

 そのとき、その隙にとばかりに、雪弥が目だけをちらりと向けてきた。

 その眼差しは含みがあるようでもあり、こちらの様子や動きをただチェックしているという感じでもあって、心情や思考といったことを読み取ることは出来なかった。何しろ、彼はずっときょとんとした無害な表情をしていて、常盤と犯罪の話をしていることが不思議なくらい落ち着いていたからだ。

 暁也と修一が訝しむ中、雪弥の視線がそのまま常盤へと戻る。


「あの二人は殺さないの?」


 唐突に、常盤の話しを遮るように雪弥がそう尋ねた。
 他人事のように実にあっさりとした様子で告げられた言葉は、まるでなんでもない内容を語るように軽く、暁也は「は」と唖然と口を開けてしまった。修一も「え」と、鳥が喉を詰まらせたような声を上げて目を丸くする。

 いきなり問われた常盤自身も、不意を突かれたような表情を浮かべた。

「えっと、その、暁也は殺すなって言われてるんだ」
「ふうん。じゃあもう一人は?」

 せっかく銃を持っているのに、と雪弥は無害な表情で小首を傾げる。

「その銃で殺してみたくないの? 人間に試したこと、ないんでしょう?」

 幼い声色にも聞こえるあどけなさで言ってあと、彼が顔をほころばせた。まるでそれを誘うように常盤を覗きこむ瞳は、無垢を感じさせるほどあどけない。

 言葉を失う暁也と修一の前で、常盤が全身を震わせた。持っている銃を見下ろすと、口元をにやぁっとつり上げ、それから目の前の彼へと視線を戻して口を開いた。

「……雪弥、お前最高だよ。ははっ、あははははははははは!」

 狂った高笑いが静寂を破った。空気が一変し、禍々しい狂気が場に満ちた。

 まさか雪弥がそんなひどいことを口にするはずがない、と疑うように観察していた修一が、常盤の絶叫するような笑い声を聞いて飛び上がった。暁也も肌で異常性を感じ取り、思わず反射的に息を止めてしまう。

 もはや正気ではないのだと悟らされ、頭の片隅にあった、同級生が人を殺すはずがないという楽観視も吹き飛んだ。どこで狂ってしまったのか。もしかしたら、薬物で頭の中を溶かされたのかもしれないが……説得は不可能だということだけは分かった。

 銃や違法薬物を扱い、人を攫うことも平気でやってのける大人たちと行動している。彼らの仲間に加わっているのも常盤自身の意思であり、学園で起こっているらしい大きな事件についても、彼が自分から動いて深いところまで関わってしまっているのかもしれない。

 もう、彼は引き返すことが出来ないのだ。

「……そのうち、本当に人を殺すかもしれないな」
 
 暁也は苦々しく呟いた。修一は「俺はバカだからよく分かんないけど……かなりまずい、感じがする……」と唾を呑み込んだ。


 常盤はひとしきり笑ったあと、携帯電話で時刻を確認した。肩をすくめると「もう一人の方については、あとで考えるよ」と冷静さを装った。
「実は相手方が早めに到着しているんだ。先に見せてあげるよ。大量のヘロインはきっと壮観だと思う」

 そのあとに人間だって取引されるんだ、と常盤は続ける。

 そのとき、あるところへ視線を移した修一の表情から、ふっと驚きがかき消えた。小首を傾げ「あれ?」と控えめに出された声は、室内に満ちる重圧をすっかり忘れてしまっている。

「……なぁ、暁也」

 常盤がヘロインがしまわれている旧地下倉庫について語る中、修一が服をつまんで引っ張った。調子が狂うようなマイペースさのおかげで、少し呼吸が楽になった暁也は、緊張を漂わせながらも「なんだよ」と答える。

 修一は雪弥を凝視したまま、内緒話をするように暁也に頭を近づけた。

「…………雪弥ってさ、もう少し身長なかったっけ?」
「は? お前、いきなり何言って――」
「昼間に雪弥と喋ってんの見た時、常盤って華奢なんだなって思ってたんだけど」

 でも俺は常盤をあまり知らないし、と修一は少し自信がなくなったように語尾を弱くした。ひとまず見てくれと促された暁也は、訝って二人の方へ人を戻したところで――それに気付いて息を呑んだ。


 一緒に校内を出歩くようになってから、暁也は長身の自分より、雪弥の背丈の方が高いことを知っていた。雪弥は確かに細身であったが、意外と鍛えられたたくましい身体を持っていたのである。

 昨年までは同じクラスであったし、校内でたまに見掛けることもあったので、常盤の身長が低いとは把握していた。


 それなのに、目の前にいる今の雪弥は、向かい合う常盤とあまり変わらない背丈をしていた。いや、よくよく見てみると、なんだかずいぶんと細く幼い体系をしているような気もする。

 改めてその姿の違和感を認めると、いよいよ全くの別人に見えてきた。細い身体は無駄な肉が一つもないほど鍛えられているが、顔から下だけを見ると、放送室にいる三人よりも年下の少年がそこに立っていると錯覚してしまう。

 一度その事実に気付いてしまうと、自分たちよりも小さいことは明らかで疑いようがなかった。どうして雪弥の身長が低くなったのか分からないし、逆にいえば、どうして雪弥と同じ顔をしているのか、とまで考えてしまって、暁也と修一は声も出なくなった。

 常盤が話しを続ける最中、ふと、目の前の雪弥がこちらへ視線を滑らせてきた。

 一体何がどうなっているんだという訴えを察したのか、雪弥が何かを伝えるかのように、ゆっくりとその黒い瞳で視線の先を誘導した。疑問を覚えて彼と同じ方向へ目を向けた暁也と修一は、口から出そうになった叫びを慌てて喉に押しとどめた。

 彼らの前にいる雪弥は、金具がついた黒いブーツを履いていた。靴底がひどく分厚い、身長を底上げするタイプの物である。
 その手の靴をいくつか知っていた暁也は、呆気に取られた。

 どんだけ小さいんだ、とうっかり場違いな感想を抱いてしまう。

 すると「雪弥」が、ネタバラしはしたよ、と言わんばかりに笑んで、ゆっくりと唇前に人差し指を運んで「しぃ」という形を作った。その黒い瞳は、どこか残酷でありながら悪戯っ子のように楽しげだ。

「…………厚底でも、あいつより低いッ」

 修一がうっかり口に出してしまい、常盤が話しを切って怪訝そうに眉を寄せた。彼は「あいつ何言ってんだろうね」と疑問の声を上げて銃を触り、雪弥がとぼけたように「さぁ」と答える。

「じゃあ、今すぐ二人は殺さないんだね」

 先程と同じ口調で雪弥は尋ねた。確認するような口調だとも気付かないまま、常盤が「そうだよ」と言って「雪弥も取引を見たいだろう?」と急かせる。

 自分たちが人質扱であるらしいことを改めて自己解釈し、暁也と修一は、一先ず今すぐに殺されるような事はないらしいと互いの目で語り合った。しかし、今は攫われてきた理由についてよりも、新たに発覚した事実に緊張は強まっていくばかりだった。

 雪弥の顔をしているこいつは、いったい誰だ? 

 確かに別人だと考えれば、常盤と犯罪じみたやりとりをして、まるであまり交流がない人間のようにこちらを注目しないのも頷ける――ような気はする。しかし、そもそも、顔を全く同じにするなんて、そんな馬鹿なことはありえないと思うのだ。


「午後十時五十八分」


 不意に、雪弥の顔をした少年が耳に手をあてたかと思うと、誰に言う訳でもなく時刻を口にした。疑問を覚えた常盤に微笑みかけたかと思うと、彼は後ろ手で扉を全開にし、そのまま床を蹴って一つ飛びで廊下へと後退した。

 そのとき、一組の靴音が廊下の奥から響き渡った。

 聞き慣れないその足音は、シューズから発せられるものではなく、固い革靴の底がカツンとあたるものだった。

 常盤は、雪弥に対して「どうしたの」と言葉を掛ける余裕もなく、身を強張らせて銃の安全装置を外した。低い声色で「富川学長か? 藤村さんか?」と呟くが、その緊張した面持ちは別の想定に身を構えているようだった。

 放送室の中から、廊下に佇んだ「雪弥」が恭しく一礼する様子が見えた。彼は片方の手を胸に当て、頭を下げる。


 近づいてきた足音が、放送室前で止まった。

 薄暗い視界に溶け込む黒いその人物が、開かれた扉を塞ぐようにゆっくりとこちらを振り返ったとき、室内にいた三人は同時に驚愕した。


 そこに立ったのは、一人の青年だった。引き締まった身体にきっちりと黒スーツを着込み、六月という季節感もなく黒のロングコートに身を包んでいる姿が、背に受けている月明かりに照らし出されている。

 色素の薄い柔らかな髪は、その月明かりにブルーともグレーとも分からない色を放っていた。小奇麗な顔にかかる髪先から覗く碧眼は、凍えるほど明るく澄んでいて、月明かりの逆光があるせいか、発光して鈍い光を宿しているようにも見えた。

 その青年は、三人の少年が知っている「本田雪弥」の顔をしていた。
 放送室の出入り口に立った青年の顔を目に留めた瞬間、常盤がわけも分からないといった様子でじりじりと後退した。警戒心から反射的に銃を構えるが、それに対して反応を返す人間はいなかった。

 暁也と修一は、異様な空気を纏った雪弥に釘付けになっていた。漆黒に身を包んだ青年は無表情で、銃を向けられても眉一つ動かさないでいる。

 革靴がこちらに向かって床を一歩踏みしめたとき、常盤が「お前何なんだよ!」と狼狽した声を上げ、その足がピタリと止まった。死神のような黒に覆われた人間に恐怖を覚えたのか、常盤は助けを求めるように廊下に立つ少年の雪弥を見る。

 暁也は、修一を庇うように後ずさった。青年が再び足を動かせたことに気付いて、そこへ視線を戻した常盤が、後ずさりながら上ずった声を発した。

「お前いったいッ――」
「常盤聡史、リスト対象者として処分する」

 続く質問を遮るように発せられた青年の声は、彼らが知る雪弥のものだった。処分という単語に慄いた常盤が、恐怖にかられたかのように反射的に銃の引き金を置いた指に力入れる。


 室内の奥で暁也たちが「ここで撃つのかよ!」と身を強張らせた瞬間、視線の先で、立っていた残像線をのこして常盤が目の前から消えていた。


 発砲音は上がらなかった。何故なら常盤が引き金に指を掛けた瞬間、雪弥はその銃口を素早く左手で切り落としていたからだ。そして、驚異的な速さで彼の顔を右手で掴むと、二人の少年からは見えない放送室扉の横の壁に、容赦なく常盤の後頭部を叩きつけていた。

 それは、呆気ないほど一瞬に終わった『処分』だった。

 強度の強い壁に打ち付けられ、常盤の頭蓋骨は嫌な音を立てて砕けていた。原型をほとんど失った頭部が、壁と雪弥の白い指先で弾けて、粉砕した骨と噴き出した血肉が薄暗い壁を勢いよく染め上げる。

 大量の血を浴びた常盤の身体が、頭部に雪弥の手をめりこませたままぴくぴくと痙攣した。華奢な身体から溢れ続ける潜血は、窓がしめきられた廊下だけでなく、すぐそばの狭い包装室内にもむせるような生温かい匂いを充満させた。

 常盤の死亡を直接目撃したわけではないが、開いた扉から見えた血飛沫の一部と、映画で見るような人体が潰れる音、そして独特の死の匂いと、――なにより常盤の声がピタリと聞こえなくなった静けさから、行われたであろう事の一連を想像するのは容易だった。

 未だに続く血飛沫の一端を前に、修一が膝をついて、耐えきれず胃液を吐き出した。暁也は呼吸を止めることで嘔吐感を堪え、瞬きもしないで硬直していた。
 雪弥は、放送室から聞こえてくる吐瀉音を聞きながら、赤く染まった手を無造作に引き離した。強い力で押し潰れた顔は原型を失い、ほとんど頭部を失った常盤の身体が、飛び出した眼球と脳を露わにしたままずるりと床に滑り落ちる。


「下がれ」
「御意」

 雪弥の顔をした少年が、少女の声色を低くしたような声で答えて姿を消した。廊下から人の気配が消えると、雪弥は赤く染まった右手で携帯電話を取り出して耳に当てた。

「夜が降りる」

 瞬間、校舎全体が震えた。振動する空気に叩かれるように、外に面している窓ガラスがいっせいに鳴り響いて――一瞬の後にぴたりと鳴り止む。

 携帯電話をコートの内側にしまって、声も出ない二人の少年が座りこんだままでいる放送室に耳を澄ませた。「話しかけるのは返って負担を掛ける、か……」と呟き、急きょ用意させたスーツケースを見やる。

「……使う事はないかもしれないな…………」

 もしかしたら、彼らはしばらく、放送室から外に出てくる事もないかもしれない。ならば、ここまま通り過ぎてさよならをしよう、と、誰に言う訳でもなく口の中に囁きを落として、雪弥は血に染まった手をコートの外ポケットに入れて歩き出した。


 暁也は、身体を動かせることが出来なかった。

 開いた扉の向こうの廊下を、ダークスーツとブラックコートに身を包んだ大人にしか見えない雪弥が通り過ぎて行くのも、呼び止められなかった。


 修一の嗚咽にようやく気付き、守らなくてはと、暁也は自身を奮い立たせて渇いた喉を濡らした。あいつは雪弥なんかじゃない、学園に集まっている人間すべてが敵だと思えばいい……そう考えると今の状況だろうと動ける気がした。

 しかし、そう身構えた途端、暁也は自分の決意がすぐに崩壊するのを感じて、その顔をくしゃりと歪めた。

            ※※※

 結局そのまま通り過ぎる事が出来なかった雪弥は、手についた血を拭い落し、すぐに引き返してきてしまった。暁也が珍しく泣きそうな顔をしているのを見て、血飛沫は見えてしまったのだろうな、と心の中で謝りながら放送室に入る。

 酷いショック状態で荒い呼吸を繰り返す修一の前で片膝を折ると、血の跡がない左手で彼の背中をさすった。修一は余裕がないせいか、こちらの動きに対して拒絶するような怯えは見えなかった。

「可哀そうに。……君たちが学園に来ないよう計らったのに、どうして言うことを聞いて大人しくしていられなかったの?」

 宥めるような声で、雪弥はそう問い掛けた。しかし、それは回答を求めていない、どこか諦めが交じった独り言のようでもあった。

「過呼吸になってしまうから、ゆっくり息を吐き出して」

 発作に似た荒い呼吸のまま、修一がどうにか応えるように頷き返した。
 しばらくもしないうちに彼の呼吸が少し落ち着いて、顔色に生気が戻ったことを確認してから、雪弥はゆっくりと立ち上がった。

「さて、どうしたものかなぁ」

 そう独り言を呟き、部下の一人が残していった荷物へ視線を滑らせる。入口に立て掛けられたその黒いスーツケースを手に取ったところで、雪弥はふっと思い出して「暁也」と名を呼んで振り返った。

 暁也は反射的に身を強張らせてしまい、そうやってしまったあとに後悔した。こちらを気遣ったのだろうと察して、雪弥は困ったような笑みを浮かべた。

「ここは、これから戦場になる。この部屋の外には『さっきまで君たちと話していた生徒』の死体があって……今以上のものを見せないためにも、二人には屋上へ避難してもらう。いいね?」

 殺してしたのは自分であり、すぐそこに死体もある。そうきちんと伝えたうえで、雪弥は言い聞かせるようにそう告げた。

 暁也は、精いっぱいの強がりで怪訝そうな顔を作ったが、握りしめた拳は無意識に震えていた。知らない世界に放りだされたような自分の恐怖感が煩わしく、しっかりしろよと叱責するように舌打ちした後、「わけ分かんねぇよ」と喉から絞り出した。

「……お前、高校生には見えねぇし」
「今年で二十四になるよ」

 即答され、暁也はまじまじと雪弥を見た。修一がよろりと立ち上がり、廊下に広がる赤から目をそらすように口元を拭う中、彼は続けて問い掛ける。

「…………一体、何が起こってんのか俺たちに説明してくれねぇか。常盤が取引のことを言ってた。それに……お前は、俺たちの知っている雪弥なのか?」
「名字は違うけれど、僕は確かに、君たちと五日間を過ごした雪弥だよ」

 雪弥は、それだけ答えて口を閉ざした。高校生だという事も年齢も何もかも嘘で、そのうえ彼らの同級生を殺したのだ。取り繕うような言葉も、言い訳も必要ないだろうと判断していた。

 生きる世界が違う。

 彼らもそれを知って、きっとここでお別れしてくれるだろう。

 そう考えて、元々自分には必要のないスーツケースに目を落としたとき、「雪弥は雪弥じゃん」と修一が頬に涙の痕を残したままそう言った。

「俺、何が起こったか分からないけどさ……困ったように笑う顔も、優しいとこも雪弥のまんまだって思う。お前は俺の友だちの、雪弥のまんまだよな?」

 そのままの、僕――

 問われて、雪弥はふっと唇を開きかけた。しかし、彼はどんな言葉が出てこようとしていたのかも分からずに、よく分からなくなって沈黙した。

 そのとき、ようやく雪弥の碧眼に気付いた修一が、緊張をすっ飛ばした表情を見せた。いつもの空気を読まないのんびりとした様子で、「あれ? なんでブルー」と言い掛けた彼の口を、暁也が素早く塞いだ。
 どうやら修一のおかげで、暁也は普段の気力と調子を取り戻しつつあるようだ。話をややこしくしないためだろうと察して、雪弥は賢くて強い子だと、わずかに頬を緩めた。修一からも、必死に問題と向き合おうとしている姿勢が窺える。

 悠長にしている時間はないのも確かだ。

 既に学園は封鎖されてしまったのだから、『檻』の存在に気付いた敵も動き出してくる。雪弥は思案しながら、少年たちに向き直った。

「白鴎学園は完全に封鎖された。何者も終わるまで敷地内から出ることは許されない。君たちが入ってしまったのは計算外だけど、僕は集まった犯罪者を一掃するために、ここにいる」

 常盤もその一人だった、と雪弥は声を控えめに続けた。

 次々と思い浮かぶ疑問を口にしようとしていた少年組は、一掃、という言葉の意味を半ば悟ったかのように口をつぐんだ。しばし暁也と見つめ合った後、修一が恐る恐る「それって、常盤みたいに……?」と尋ねてきたので、雪弥は頷き返してみせた。

「詳細を教えることはできないけれど、警察とは違う『専門機関』がこの事件を受け持った。僕はその機関から寄越されて、学生の振りをしていた――。君たちには酷かもしれないけど、でも今度はちゃんと従って欲しい。ここは戦場になる。きっと一番安全なのは屋上だから、大人しくそこで待っていて」

 語り聞かせる雪弥の顔は、どこか幼い子供に諭すようでもあった。

 でも、と修一がうろたえた。思わず言葉が途切れた彼に視線を寄越されて、暁也が前に進み出て代わりに口を開いた。

「つまり、ここで犯罪的な取引が行われようとしているのは事実で、それは親父たちの手にも負えない事件ってことか?」
「そうだね。ここで放っておくと、もっとたくさんの民間人が被害に遭う危険性がある」
「…………というか、お前もしかして、俺たちが立ち聞きしてたの知ってたのか?」

 暁也は、事件についてはこれ以上追及するのを聡くやめ、質問しても問題なさそうだと判断した話題を放り込んだ。思い出すと若干苛立ちも込み上げて、不服そうに腕を組む。

「俺、おかげで二階の窓から脱走したんだけど?」

 自分の家なのに泥棒になった気分だった、と暁也は不満だった。
 それを聞いた修一が、思い出したように「あっ、俺も!」といつもの調子で手を挙げてこう言った。

「家に刑事が来てさ、玄関に立って外に出られなくなったから、下とその下の階のベランダ伝って脱出した」
「お前すげぇな、それって三階からってことだろ?」
「割と簡単だぜ。前までちょくちょくやってたし」

 すっかり自分たちの話しを始めた二人を見て、雪弥は困ったように微笑んだ。 

「うん、ごめんね」

 それ以外の言葉は出て来なかった。刑事を使ってまで家から出すなとは命令していないが、夜狐伝えで、暁也と修一が家にとどまってくれるよう金島本部長に指示したのは確かだ。目の前で常盤を殺してしまったこともあり、雪弥はもう一度「ごめんね」と謝った。

 暁也は「謝んなよ」と視線をそらしかけて、ギクリとした。視界の片隅に映り込んだ廊下に、赤黒い色が浮かんでいる。

 雪弥以外を見ないようにしている修一を見習うように、暁也はすぐ視線を戻した。真っ黒の瞳だった時には違和感を覚えていたが、碧眼だと髪色に対しても不自然さがないなと、改めてまじまじと見つめてしまう。

 そこでようやく、二人が血生臭い現場を見ないようにしているのだと気付いて、雪弥は済まなそうな顔をした。早く場所を移動してもらう方がいいと判断し、スーツケースを開いて見せながら話しを切り出す。

「僕は耳に小型無線マイクをはめている、君たちにトランシーバーを渡しておくから、何かあればこれでやりとりしよう」

 スーツケースには、トランシーバーの他にノートパソコンも入っていた。しかし、暁也と修一はそこに一緒に入っていた黒い装飾銃を見付けて、つい顔を強張らせてしまった。

 二人からやりきれない想いを察知した雪弥は、「やれやれ」と息をついた。護身用にと初心者でも扱える銃を用意したつもりだったが、自衛させるのは難しいらしいと判断する。

 ならば、もしもの場合を考えて、自分が同時に彼らの安全を把握し守れるような線でいこう。雪弥は数秒で考えをまとめると、彼らが素直に従ってくれそうな提案内容に切り替えた。

「――じゃあ、少しだけ僕に協力してもらおうかな。君たちは、敵の位置情報を屋上から伝えるんだ」