神隠し、約束を舞った、恋探り。~二枚目天狗たちの花嫁争奪戦~

 もう一度、彼は悪くないのに謝った那由多さんに、私は首を横に振った。

「ごめんなさい……あの、那由多さんが、悪い訳じゃなくて。あんな高くて寒い所にずっと一人で居たのかと思うと、なんだか辛くなって……心配をかけてしまって、ごめんなさい」

「別に風邪を引いた事は、あいつらが……仕掛けて来たせいで舟から落ちただけだ。聖良さんは、何も悪くない。それに、俺があの場所に居たのは、俺の勝手だ。何も……泣くことはない」

 彼に言われて、私が自分の頬を涙が一筋が滑って行ったことに、ようやく気が付いた。

「どう言って……説明すれば良いのか、わからないけど。私は、那由多さんに辛い思いをして欲しくない。私の事を心配して、傍に居てくれようとしてくれたのは、嬉しかったけど。あんなところになんて、居て欲しくなかったの」

 心の中は、複雑だった。自分の事を思ってくれる、そうした行動は気持ちを感じて嬉しい。けど、彼が何か辛い思いをするのが、嫌だった。

「悪かった……前に俺が言った、恋した人を亡くしたことで。もしかしたら、心配を掛けてしまっているのかもしれないけど、もう……あれは、過去のことだ。五十年も前のことで、確かにその直後から……鋭い刃物で切りつけられているように、胸が痛かった。もし、彼女との約束がなかったら、自死していたかもしれない。だが、今は心の中は穏やかに凪いでいる。だから、そんな俺の事を、必要以上に可哀そうだと思わなくて良い」

 そう言った那由多さんは、彼の言葉の通りに穏やかな表情を浮かべた。黒い目の奥の光は、切なげには思えるものの無理をしている様子でもない。

「……彼女と、どんな約束をしたんですか?」

「あの人は、どんな理由かは俺にはわからないが、薄紫の藤の花が好きだった。だから、かくりよにある美しい藤棚に必ず連れて行くと、約束したんだ。もう、二度と果たされることのない、意味のない約束だ」

 今はもう居ない彼女を思い出すかのように、那由多さんは視線を宙に向けた。

「けど、その女性と約束をしてて……良かったです。もしかしたら、私とこうして那由多さんは出会うことも……なかったかもしれないから」

 それは、本心からの気持ちだった。恋した人を亡くして、もう今では会うことも出来ない。それだけの辛さを彼は、そのたったひとつの約束で乗り越えたのだ。

「俺の、過去は気になる?」

 複雑な表情の那由多さんの質問に、私は首を横に振った。

「ううん。それほどまでに、好きになれた人が居たことは、本当に素敵だと思う。私は、恋をしたことがなかったの……だから、貴登さんが天狗の花嫁にならないかっていう、怪しげな勧誘に、まんまと引っ掛かっちゃって」

 私が冗談混じりにそう言えば、那由多さんは空気を明るくしたいという意図を察してくれたのか、快活に笑った。

「怪しげな勧誘。確かに、そうだ。相模坊さまも、そう仰られていた。聖良さんは、天狗の嫁になることに全く忌避感などもないから、自分たちの魅力を真っ先に理解してもらえるようにすれば良いからと……」

「……いつもは、そうではないんですか?」

 私は、那由多さんの言葉を不思議に思った。和製乙女ゲームのような状況ではあったものの、乙女ゲームとは逆に彼らは私の好感度を上げに来るという、まさに夢のような状況。

「はは。違う。いや、俺は、これが争奪戦初参加なので話に聞いただけなんだが。いつもは、まず花嫁がこのかくりよへ住むことの拒絶を和らげたり、そうして、彼女の心を開くまでに、長い時間を使うと聞いたことがある」

「そうなんだ……」

「そう。貴登は、本当に良い花嫁を、勧誘して来た。今度何か良いものでも買ってやろうかな……」

 何を買うか少し考えている顔になった那由多さんは、腕を組んで首を傾げた。彼は見た目だけ言うと、クールで冷たそうな印象の美形だ。優しそうな人を好む人なら、避けられてしまうかもしれない。

 けれど、そんな彼が可愛らしい仕草をしているのを見れば、心が癒された。

「ね。那由多さん。私を、その藤棚に連れて行って貰えませんか」

 他の事を考えている時に、思わぬことを言われたと思ったのか。那由多さんは、ビクッと身体を震わせて組んでいた腕を下ろした。

「えっ……ああ。良いよ。もちろん。でも、なんで?」

「その前に、私がいなくなっても。ずっと、那由多さんには、生きていて欲しいから」

 彼はあの時に森で会ってからというものの、私に向かう好意を隠さない。好きだって言われている訳でもないから、もしかしたら、とんでもない勘違いでとても痛い子になっているかもしれない。

 でも、別に良かった。彼に生きていて貰えるなら、別に誰にだって痛い子だと言われても構わない。

「いや。聖良さんは、絶対に死なない。俺が死なせないから」

 長い生を生きる天狗やあやかしと違って人は、永遠の命を持ってはいない。私の言葉を聞いてから、強い決意を帯びた目で那由多さんはそう呟いた。

「じゃあ……藤棚を見たら、次の約束をしましょう。約束を果たす度に、次の約束をするの。そうすれば……ずっと」

 私が言葉を続けようとすれば、那由多さんが近付いてきて額にひんやりとした大きな手を当てた。

「……聖良さん。頬が赤い。熱が上がってきているのかもしれない。もう、横になった方が良い」

 那由多さんにそう諭されて、そういえば風邪をひいていたと私はしゅんとして頷いた。

 ふかふかの布団に横になれば、那由多さんは立ち上がった。

「っ……待って! 帰らないで」

「大丈夫。何処にも行かない。茶碗を、片付けるだけ。小天狗も、あれ片付けないと仕事が終われないから」

 気の回る那由多さんは、この部屋の世話をしている小天狗の仕事のことまで心配してくれたようだった。

 引き戸の外に片付けた盆を置き、横になったままで彼の動きを見ていた私に言った。

「……俺が部屋の中に居ても、良いの?」

「聞いてたの?」

 彼の疑問は、小天狗さんに私が言った言葉を、知っているからだと気が付いた。結構時間が経っているはずで、彼がどれだけの長時間窓の外に居たかが、それで理解出来た。

「家族じゃないと、落ち着かないんだろ? 俺は窓の外でも」

「良いの……私がまた起きるまで、居て欲しい」

「……かしこまりました。良く眠って」

 彼は頷いて、座布団の上にまた座った。

 私はずっと自分の部屋に家族以外が居たら、落ち着かないとそう思っていた。でも、那由多さんは、彼が同じ部屋の中に居ると思えばとても安心することが出来た。

「あのね。明日も……会える?」

「もちろん」