国家警察の本部にある宿舎の一室、オルフェはベッドの上で仰向けに寝転んでいた。部屋には必要最低限のものしか置いておらず、きれいに整頓されている。娯楽品は一切なくて、生活感が全く感じられない場所だ。
 天井を見つめる目はとても虚ろだ。何かに希望を抱くなど到底考えられないようなほど、その瞳は青く霞んでいた。部屋全体がモノクロになって、この場所だけ時が止まっているように見える。
 本部に戻ってから半日近くこの状態が続いていたが、時計が正午を回ったのと同時に呼び出しのアラームが鳴った。オルフェはベッドからゆっくりと起き上がると、壁と同じ白い受話器を握った。(オルフェは人工知能で動いている。しかしハッキングによる遠隔操作の防止策として、ネットへ接続できないように作られている。そのため、ネットを経由した暗号通信はできない。これは国家警察が保有する他のアンドロイドも同様。携帯端末・無線での連絡も任務以外では使用できず、普段の連絡・呼び出しは旧式の電話を使っている。)
「オルフェ、仕事だ。急いで長官室へ来てくれ。大切な用件だ」
「分かりました」
 電話を切ると、白のTシャツと黒のパンツの上にいつもの戦闘服を着た。身だしなみを一切整えることはせずに、ゆっくりとドアを開けて部屋を出た。
 10分ほどして長官室に着くと、生身の警官のように一瞬もためらうことなく、部屋の中へと入っていった。中に入ると、机の上に肘を置き手を組んでいる長官の姿が目に入る。オールバックで眼鏡を掛けていて、痩せ型の体型だ。黒のスーツと黒とシルバーが混じったレジメンタルのタイを絞めている姿は、如何にもお堅い人間だと言ってるかのようだ。
「お待たせしました、ウェズルニック長官」
「腰をかけたまえ。オルフェ君」
 ウェズルニックの机の前には、彼が座っているものと同じ椅子が置かれている。オルフェは腰掛けると、ウェズルニックの黒い瞳に視線を向けた。
「オルフェ君、君がこの部屋に来たのは初めてだったね。どうだね、感想は?」
 室内には高級な家具が置かれている。どれもかなりの年月を経過させた天然の木で作られたものばかりだ。ソファや資料を保管している大きな本棚を見ると、警察関係者の部屋と言うよりも大学教授の書斎のような外観だ。
「きれいなお部屋ですね。で、大事な用件とは?」
「あぁ、そうだった。では、これを見てくれ」
 ウェズルニックは机の上に1枚の写真を置いた。写真には若い女性の姿が写っていた。長くきれいな黒髪で、唇は薄く格好の良い形をしていて、少し切れ長の目、そしてオルフェと同じくブルーグレーの瞳。きれいな女性だが、どこか鋭い印象を与える。
「きれいな女性だろ?」
「えぇ、とても。それで、この女性がどうしたのです?」
「実はな、火星のアンドロイド居住区から逃げ出したガイノイドなんだ。輸送船に紛れ込んでアストロメリアに向かったという情報が、火星の捜査当局から送られてきた。今回は生け捕りにする必要はない。射殺だ」
「生かす必要はないと?それはなぜですか?」
「火星のアンドロイドも、君と同じくネットへ接続できないように作られている。つまり、外部からハッキングによる遠隔操作ができないようになっているってことだ。恐らくバグによるものだろう。しかし犯罪の可能性が少ないとはいえ、民間人に被害が及ぶ可能性もある。それに、最近妙な動きを見せる秘密結社の影も見え隠れするしな」
「昨日捕まえた男の件ですね」
「まぁ、あの男が秘密結社と関りがあるのかどうかは分からない。だが、事が起こる前に対策を打つほうがいいだろ?そのための射殺だ」
 今まですらすら言葉を返していたオルフェだったが、判断に迷ったのか会話がここで一瞬途切れてしまう。
「どうした?アンドロイドの君でも、同胞を殺すことは心が痛くなるのかな?」
「いえ、分かりました。では、任務に入ります」
「分かった。それと左手の交換も済ませておけ」
「分かりました」
 オルフェは立ち上がると敬礼をした。そして、ウェズルニックのほうを振り返ることなく、真っ直ぐ部屋を出て行った。
 長官室を出た後、科学技術部の実験室で左手の交換を済ませると、一度宿舎に戻った。相変わらず殺風景な部屋の中は、カーテンの隙間から零れる微かな光が射し込むだけで、暖かみが少しも感じられない。ベッドの近くにあるクローゼットの中から黒の革ジャンを取り出すと、戦闘服の上に羽織った。革ジャンを着たその姿は、まるでハーレーを乗りこなすライダーのようだ。オルフェは鏡で自分の服装を確かめることなく、そのまま部屋を後にした。
 宿舎を出て本部を抜けると、いつも外に出る時に目に入る高層ビルの姿があった。国家警察の本部は、アストロメリアの中心のアストリアスにある。アストリアスは宙に浮いた天空都市で、巨大なエレベーターを使って行き来できるようになっている。
 アストリアスは本部の警官が多く巡回しているため、港に隣接している工場地帯と移民街を調べろとの命令を受けていた。この工場地帯も移民街と同じく監視カメラが少ないため、オルフェのようなアンドロイドを捜査に向かわせることが好まれる。オルフェは寄り道をせずに、エレベーターで下の街に降りると、一番近くにある部署から軍用車を借りて、工場地帯へと向かった。
 車を走らせている間、オルフェは過去の記憶を頭の中で巡らせていた。正確には記憶ではなくて、記録といったほうが正しいのかもしれない。事件の手がかりを追うためには、過去の記録が必須だ。自分の体内にある人工知能が、過去に見聞きしたことを分析することによって、その後どのような行動を取るべきなのか判断できるようになっている。過去の記録の中には、この前犯人を捕らえた後に悪態をついてきた若い警官2人の姿や、左手を交換する時に行った科学技術部の実験室の光景も含まれている。もちろん普通の人間なら、嫌味を言われることに不快感を抱くだろう。況して、科学技術部主任のシュナイダーのような男から身体を弄られるなんて、アンドロイドでなければとても耐えられないはずだ。シュナイダーはジェルで後ろになでつけた金髪に、彫の深い端正な顔立ち、きれいな青い瞳の持ち主なのだが、女性を魅了する人物とは到底言えない。どこか不気味で、そしてオルフェ以上に人間らしくない人物だ。(シュナイダーはアンドロイドではなく、ちゃんとした人間。)部品を交換する時も、全く表情を変えない。この光景は誰が見ても寒気がするだろう。しかし、どんなに嫌な光景が記録に残ろうと、何かの破損が無い限り、人と違って半永久的に記録を保持出来るからこそ、判断能力が速く直ぐ様行動出来る利点がある。そういった記録に当てられながらも、オルフェは動揺することなく正確な運転で先を進んでいた。
 車を走らせてから30分ほど経つと、高層ビルなどの建物の姿がなくなって、煤で汚れた建物が並ぶ工場地帯が見えてきた。工場地帯のほうに目を向けると、同じアストロメリアなのに異様な光景が目に入る。煙突から出る煙によって、辺りが黒い闇に包まれている状態だ。この景色を濁った瞳に焼き付けながら、工場地帯へと入っていった。