二番街のチャイナタウンに着いたのは深夜の2時過ぎだった。街が所々赤く燃えていて、まるで市街戦のような様子だった。道端には制服を着た警官が数名倒れている。志貴はバイクを止めて、赤く燃え上がるジャングルの中へと入っていった。
チャイナタウンの中を進んでいくと、燃えている場所が少なっていって、段々薄暗くなっていった。ここのチャイナタウンは特に酒場や風俗店が多く、人が普段住んでいる住居が見当たらなかった。人気のない街を歩き回り、橙色の屋根の大きな中華料理店の角を曲がると、大きな通りに出た。すると、角の直ぐ側にベージュのトレンチコートを着た若い男の姿が見えた。男が振り返り、志貴に銃を向けた。志貴も懐から素早く銃を抜いたが、相手の顔が分かると銃を下に向けた。
「義和か?」
「志貴!おまえどうしてここに?」
「そんなことより先に、この状況を説明してくれ」
「分からんが、部下が数人やられた。部下を殺したのは、恐らく今この街を騒がせてる殺人鬼。若しくはその一味といったところだろう。ここは危ない。今直ぐ離れろ」
「いや、それが出来ないんだ。昨日おまえと会った時俺と一緒にいた依頼人。覚えてるだろ?彼女がこの街にいるんだ。早く連れ出さないと。それに義和。おまえも部下を殺されて孤立した状態なんだろ?彼女を見つけるまでの間、一緒に行動しよう」
「分かった。一緒に出るぞ」
頷くと一緒に通りを出た。すると右の方向、何やら通りを歩く人影が目に入る。志貴たちはゆっくりと近づいていった。
志貴たちと人影との距離が10mぐらいになると、街灯の灯りで人影の正体が分かった。牡丹などの花柄で彩られた白のチャイナドレス。長くてきれいな髪。相手も志貴たちに気づいて振り返る。すると、そこには愛玲の姿が見えた。
「おいっ、いたぞ!」
義和は声を上げる。志貴たちが愛玲のそばに近づき5m手前まで来た瞬間、愛玲は額を銃弾で撃ち抜かれる。そして今度は義和が頭を撃ち抜かれて、アスファルトに倒れた。
「義和!義和っ!!」
志貴は銃弾で倒れた義和に、寄り添う形でしゃがみ込む。即死だった。後頭部を撃ち抜かれ、顔を地面へと叩きつけた状態だった。周囲には割れた眼鏡のレンズが散らばって、赤く淀んだ血の沼ができていた。
志貴は涙を流しながら、振り返り銃を構えた。銃口の向かう先には、街灯の上に立つ胡蝶の姿があった。胡蝶は意地悪く笑うと、何だかスッキリした表情を見せる。
「やっとこいつを殺せたわ。横腹を撃たれたあの傷、ホント痛かったのよね。これでスッキリした。次はあんたね、修羅」
志貴は怒りの感情を抑えながら、涙を袖で拭った。そして、胡蝶に尋ねる。
「義和を殺したのは分かるのが、でもなぜ愛玲を殺した?生かしたまま連れて行くんじゃなかったのか?」
「へぇ~、泣いていたから、もっと感情的になるのかと思った。そこのクソ眼鏡とは、随分仲よさげに見えたから。……いいわ。理由を話してあげる。わたしが所属する組織のアジトが次々と襲撃されたのよ。それで調べてみたら、襲撃される前日まで組織が経営する店で働いていることが分かってね。アジトは他の街にもあったんだけど、他の街の店でも働いていたことが確認できた。本当は殺さず捕らえろってことだったけど、組織ももう潮時ね。面倒くさくなったから、殺したのよ。もしかしたらアジトを襲ったのが彼女かもって思ったけど、こんな簡単に殺されるようじゃ違ったようね」
志貴は街を見渡し、そして空を見上げた。すると、いろいろな人との記憶が蘇ってきた。人の暖かさに触れた感触が、再び志貴の身体を包み込み、志貴は心の中宇宙を駆け巡りながら思いに馳せた。そして、再び胡蝶に尋ねる。
「今事件を起こしてるのは、おまえなのか?」
「そういうことになるのかな。この街の組織のアジトをやられたから、敵対組織の拠点を幾つかね。後は警察との小競り合いで、いろいろ殺ったかな」
志貴は冷静なまま胡蝶を睨む。
「おまえは義和の仇だ。それとこの街の脅威。この街に住む人たちの害悪だ。だから、おまえをここで止める」
志貴の言葉に胡蝶が高笑いした。
「ハハハッ!わたしを止めるって?今までわたしに手も足も出なかった男が、よくそんなセリフを言えるわね!」
胡蝶に嘲笑れようが、志貴は冷静なまま真剣な表情で話を続ける。
「確かにそうだな。ホント、助けられてばかりだ。でも、助けられてばかりもいかない。今まで俺を助けてくれたみんなが、今度は窮地に立たされている。そう、今度は俺が助ける番だ。それともう1つ。俺は殺される気は毛頭ない。生きてみんなのところへ帰るんだ。……さぁ、どうした?俺を殺すんだろ?かかってこいよ。こっちはもう準備ができてるんだぜ」
志貴の言葉に胡蝶がニヤッと笑った。
「いいわ。だったら、お望みどおり殺してやる!」
志貴は直ぐ様銃を撃つ。しかし胡蝶は上に飛んで弾を避ける。志貴は胡蝶の飛んだ方向に銃を向けようとした。その瞬間短刀が飛んできて、志貴は後ろに下がりながら避ける。アスファルトに3本の短刀が刺さる。
胡蝶は両手から小さな緑の炎を作って投げつける。炎が大きな蝶の形に化けて志貴に襲いかかる。志貴は躱そうとするが、大きな蝶の羽に肩を掠ってしまう。志貴の瞳には羽織っていたコートの生地が焼けただれる様子が確認出来た。この様子から殺傷能力が低いと分析して、胡蝶が生み出した緑色の炎の蝶の攻撃も避けながら、胡蝶本体の動きにも気を付けていた。
胡蝶はアスファルトに着地して、腰に下げていた瓢箪を手に持って、何やら口に含む。そして頬を大きく膨らませ、大きな炎を志貴に向かって吐き出した。
志貴は炎を左右に跳びながら躱していく。胡蝶はそれを追いかける。志貴は後ろに下がりながら、ビルが並ぶ地域へと誘い込む。志貴は胡蝶が火を吹いたその瞬間に、炎の蝶の姿が消えたことを見逃さなかった。
胡蝶は瓢箪の中身が無くなると、腰に下げていた大陸製の一振りを抜いて、志貴に斬りかかる。志貴は右袖から素早くサバイバルナイフを取り出して攻撃を防ぐ。志貴は不敵な笑みを浮かべながら、今までの戦いで分かったことを胡蝶に話す。
「おまえ、確かに強いが、その力も万能では無いようだな。攻撃力の高い力、若しくは他の能力を使ってる間は、おまえお得意の分身を作り出せない。そうだろ?もしそうでないなら、俺はもうとっくにやられてる」
志貴の言ったことが図星だったようで、胡蝶は不気味な笑みを浮かべる。
「だったらお得意の分身を使ってあんたを殺してあげるわ」
胡蝶が剣を握っている手に力を入れる。サバイバルナイフの刃が折れそうになり、志貴は後ろへと跳ぶ。ナイフの刃が折れて、志貴は後ろへと走る。しかしまるでデジャブのように、十字路に差し掛かってしまった。胡蝶は分身を作って、4つのビルの屋上から志貴に銃口を向ける。
「フフフッ、この展開、前にもどこかで。……あんたの死に場所は、こういうところが似合ってそうね。わたしも殺し屋らしく銃で殺してあげる」
志貴はどれが本体なのか考える。殺し合いとは本当に刹那的だ。一瞬の判断が生死を決める。胡蝶がニヤッと笑う。
「じゃあ、殺すね。サヨナラ……」
胡蝶が引き金を引く瞬間、志貴はビルの窓ガラスを見る。そして、暗い夜の中銃声が鳴り響く。
志貴は左斜め後ろに立っていた胡蝶を撃った。胡蝶は胸を撃たれて、十字路に倒れた。他の分身が緑の炎に変わって、そして消えた。志貴は撃たれる寸前窓ガラスを見た時、1体だけしか見えなかった。志貴は胡蝶がガラスや鏡に分身を映し出せないことに、ぎりぎりのところで気づいた。
志貴はゆっくりと胡蝶の下へと近づいた。胡蝶は大の字に倒れ、とても苦しそうな様子だ。志貴は胡蝶のそばにゆっくりと近付いた。
「どうして?」
「殺し合いとは本当に一瞬の出来事だ。僅かな隙が命取りになる。おまえは確かに俺より強い。強い力を持ってる。でも俺たちの後をつけてたあの時に、おまえは姿を見せず真っ先に俺を殺すべきだったんだ。確かに俺はおまえのような異能の力を持ち合わせていない。だからこそ、おまえは俺たちの前に姿を現した。自分が負けるはずが無いと思って。でもその過信こそが命取りなんだ。確かにおまえは強い。でも命の駆け引きが一瞬であることを、おまえはしっかりと理解するべきだった。この世に完璧なものは存在しない。だからこそ、弱点は必ずあるとね。おまえの場合、鏡やガラスにまでは分身を映し出すことが出来ないことが決定的な弱点だ。だからこそ、おまえは俺に撃たれて今倒れている。そう、この僅かな過信こそがおまえの敗因だ」
「フフフッ、あんたを徹底的に追い込んで殺せたと思ったのに、逆に説教される立場になるとはね。はぁ〜、あんたの言う通り、確かに油断してたかも。殺し屋修羅って通り名のわりに、正直あまり大したことないなと思ってたから。でもそうね、今だから思うのだけれど、そうやってわたしのように油断している相手の僅かな隙を決して見逃さないから、あんたは殺し屋修羅として闇の世界の人間からも恐れられてたんでしょうね。ホント、わたしの完敗ね……ゴホッゴホッ!」
胡蝶は一層苦しそうな表情になって血を吐いた。志貴は地面に膝を付けると胡蝶の手首から脈を測った。
「何するつもり?」
「今からおまえを助けようとしているんだ。医者や看護師でも無い俺がやるから心許ないが、おまえは生きなければならない。そして、罪を償うんだ」
志貴のこの言葉を聞いて、胡蝶は隠し持っていた銃を手に持って志貴に向けた。
「ふざけないで。それとこんなに見事に胸を撃たれてちゃ、わたしはもう助からないよ。それにもしわたしが助かるのだとしても、刑務所に行くのはやだね。わたしのような異能の犯罪者にはどうせ人権なんて無いだろうし、モルモットにされることなんて分かってる。だったら、自分の命なんだから自分でケリをつけるわ」
胡蝶は自分のこめかみに銃口を向けた。
「おいっ、やめろ!!」
志貴が胡蝶から銃を取り上げようとするその瞬間、大きな銃声が鳴り響く。胡蝶は自身の頭を撃ち抜きあの世へと旅立った。
亡骸となった胡蝶を見下ろす志貴。近づいてくる複数の足音が聞こえてきたため、後ろを振り返る。弥生、月光の娼婦2人、そして義和の亡骸を抱きかかえたスミレの姿が見えた。弥生はうずくまった胡蝶の姿が目に入ると口を開く。
「殺ったのかい?」
「あぁ、殺すつもりで戦わなければ、こっちがやられてた。駆けつけてくれて、ありがとう。スミレさんもありがとう……義和を、義和をここまで運んできてくれて」
「志貴ちゃん……」
スミレは悲しい顔を浮かべながら志貴を見る。弥生は志貴にお構いなしに、話を続ける。
「この坊やが倒れてたところに、もう1人死体があったんだが、もしかしてあれが愛玲なのかい?」
志貴が首を縦に振ると、弥生が苦い顔をした。そして、言いにくそうにまた話を続ける。今度は独り言のように。
「あんたが前チンピラから助けてくれた、あの娘がね、麻衣がね死んだんだよ。流れ弾が当たっちまった。チッ、何でだろうね?人が死ぬと何でこんなに悲しくなっちまうのは……」
志貴は言葉が見つからなかった。右手で目元を覆う弥生を見ると、とても胸が苦しくなった。
「でも、あの娘は幸せだった。だって、あんたを助けに行くって、真っ先に飛び出していったのがあの娘だから。自分の生き方を貫き通して、そして死んでったんだ」
弥生は目元から手を離すと、深く深呼吸した。そして感情的な部分を押し殺すと、志貴に目を向けた。
「……あんたに伝えなければならないことがある」
志貴が頷くと弥生は枯れた声で続ける。
「ついさっき、ウチのPCにメールが届いてね。今日の朝5時に、一番街にある海岸沿いの日本庭園にあんた1人だけで来てくれって内容だった。そうすれば、今起こってる事件の発端と真相を教えてやるってね。どこから送られてきたのか、念入りに調べてみたけど駄目だった。かなりのやり手だよ」
「分かった。1人で行く」
スミレが心配そうな表情で声を上げる。
「志貴ちゃん、駄目!明らかに罠よ。1人で行っては駄目。行くんだったら、みんなで一緒に……」
志貴は首を横に振る。そして優しい顔をみんなに向けながら、ゆっくり語りかける。
「ありがとう。この気持ちだけ受け取っておくよ。でも、1人で行く。みんなを巻き込んでしまっておいて、勝手な言い草だとは思ってる。でも、今まで起こってきた出来事全て自分の過去と少なからず関わりのあることばかりだ。そして俺を呼び出そうとしている人物は、俺の過去をよく知ってる。分かるんだ。恐らく、相手も1人だ。だから、1人で行かせてくれ。過去の自分とケリをつけるためにも」
スミレが再び引き留めようとするが、弥生が右腕を横に広げ、スミレを止める。弥生はいつもどおりのハスキーな声で、志貴に声をかける。
「分かった。1人で行っておいで。でも、死んじゃ駄目だよ。そしたら、あんたを待ってるあの娘が悲しんじゃうから」
志貴は優しく微笑む。
「分かってる。そのためにも、銃の弾を分けてもらえないか。もう残ってないんだ」
志貴は弥生から弾を受け取ると、ふらつきながら夜の荒れた街の中へと消えていった。
チャイナタウンの中を進んでいくと、燃えている場所が少なっていって、段々薄暗くなっていった。ここのチャイナタウンは特に酒場や風俗店が多く、人が普段住んでいる住居が見当たらなかった。人気のない街を歩き回り、橙色の屋根の大きな中華料理店の角を曲がると、大きな通りに出た。すると、角の直ぐ側にベージュのトレンチコートを着た若い男の姿が見えた。男が振り返り、志貴に銃を向けた。志貴も懐から素早く銃を抜いたが、相手の顔が分かると銃を下に向けた。
「義和か?」
「志貴!おまえどうしてここに?」
「そんなことより先に、この状況を説明してくれ」
「分からんが、部下が数人やられた。部下を殺したのは、恐らく今この街を騒がせてる殺人鬼。若しくはその一味といったところだろう。ここは危ない。今直ぐ離れろ」
「いや、それが出来ないんだ。昨日おまえと会った時俺と一緒にいた依頼人。覚えてるだろ?彼女がこの街にいるんだ。早く連れ出さないと。それに義和。おまえも部下を殺されて孤立した状態なんだろ?彼女を見つけるまでの間、一緒に行動しよう」
「分かった。一緒に出るぞ」
頷くと一緒に通りを出た。すると右の方向、何やら通りを歩く人影が目に入る。志貴たちはゆっくりと近づいていった。
志貴たちと人影との距離が10mぐらいになると、街灯の灯りで人影の正体が分かった。牡丹などの花柄で彩られた白のチャイナドレス。長くてきれいな髪。相手も志貴たちに気づいて振り返る。すると、そこには愛玲の姿が見えた。
「おいっ、いたぞ!」
義和は声を上げる。志貴たちが愛玲のそばに近づき5m手前まで来た瞬間、愛玲は額を銃弾で撃ち抜かれる。そして今度は義和が頭を撃ち抜かれて、アスファルトに倒れた。
「義和!義和っ!!」
志貴は銃弾で倒れた義和に、寄り添う形でしゃがみ込む。即死だった。後頭部を撃ち抜かれ、顔を地面へと叩きつけた状態だった。周囲には割れた眼鏡のレンズが散らばって、赤く淀んだ血の沼ができていた。
志貴は涙を流しながら、振り返り銃を構えた。銃口の向かう先には、街灯の上に立つ胡蝶の姿があった。胡蝶は意地悪く笑うと、何だかスッキリした表情を見せる。
「やっとこいつを殺せたわ。横腹を撃たれたあの傷、ホント痛かったのよね。これでスッキリした。次はあんたね、修羅」
志貴は怒りの感情を抑えながら、涙を袖で拭った。そして、胡蝶に尋ねる。
「義和を殺したのは分かるのが、でもなぜ愛玲を殺した?生かしたまま連れて行くんじゃなかったのか?」
「へぇ~、泣いていたから、もっと感情的になるのかと思った。そこのクソ眼鏡とは、随分仲よさげに見えたから。……いいわ。理由を話してあげる。わたしが所属する組織のアジトが次々と襲撃されたのよ。それで調べてみたら、襲撃される前日まで組織が経営する店で働いていることが分かってね。アジトは他の街にもあったんだけど、他の街の店でも働いていたことが確認できた。本当は殺さず捕らえろってことだったけど、組織ももう潮時ね。面倒くさくなったから、殺したのよ。もしかしたらアジトを襲ったのが彼女かもって思ったけど、こんな簡単に殺されるようじゃ違ったようね」
志貴は街を見渡し、そして空を見上げた。すると、いろいろな人との記憶が蘇ってきた。人の暖かさに触れた感触が、再び志貴の身体を包み込み、志貴は心の中宇宙を駆け巡りながら思いに馳せた。そして、再び胡蝶に尋ねる。
「今事件を起こしてるのは、おまえなのか?」
「そういうことになるのかな。この街の組織のアジトをやられたから、敵対組織の拠点を幾つかね。後は警察との小競り合いで、いろいろ殺ったかな」
志貴は冷静なまま胡蝶を睨む。
「おまえは義和の仇だ。それとこの街の脅威。この街に住む人たちの害悪だ。だから、おまえをここで止める」
志貴の言葉に胡蝶が高笑いした。
「ハハハッ!わたしを止めるって?今までわたしに手も足も出なかった男が、よくそんなセリフを言えるわね!」
胡蝶に嘲笑れようが、志貴は冷静なまま真剣な表情で話を続ける。
「確かにそうだな。ホント、助けられてばかりだ。でも、助けられてばかりもいかない。今まで俺を助けてくれたみんなが、今度は窮地に立たされている。そう、今度は俺が助ける番だ。それともう1つ。俺は殺される気は毛頭ない。生きてみんなのところへ帰るんだ。……さぁ、どうした?俺を殺すんだろ?かかってこいよ。こっちはもう準備ができてるんだぜ」
志貴の言葉に胡蝶がニヤッと笑った。
「いいわ。だったら、お望みどおり殺してやる!」
志貴は直ぐ様銃を撃つ。しかし胡蝶は上に飛んで弾を避ける。志貴は胡蝶の飛んだ方向に銃を向けようとした。その瞬間短刀が飛んできて、志貴は後ろに下がりながら避ける。アスファルトに3本の短刀が刺さる。
胡蝶は両手から小さな緑の炎を作って投げつける。炎が大きな蝶の形に化けて志貴に襲いかかる。志貴は躱そうとするが、大きな蝶の羽に肩を掠ってしまう。志貴の瞳には羽織っていたコートの生地が焼けただれる様子が確認出来た。この様子から殺傷能力が低いと分析して、胡蝶が生み出した緑色の炎の蝶の攻撃も避けながら、胡蝶本体の動きにも気を付けていた。
胡蝶はアスファルトに着地して、腰に下げていた瓢箪を手に持って、何やら口に含む。そして頬を大きく膨らませ、大きな炎を志貴に向かって吐き出した。
志貴は炎を左右に跳びながら躱していく。胡蝶はそれを追いかける。志貴は後ろに下がりながら、ビルが並ぶ地域へと誘い込む。志貴は胡蝶が火を吹いたその瞬間に、炎の蝶の姿が消えたことを見逃さなかった。
胡蝶は瓢箪の中身が無くなると、腰に下げていた大陸製の一振りを抜いて、志貴に斬りかかる。志貴は右袖から素早くサバイバルナイフを取り出して攻撃を防ぐ。志貴は不敵な笑みを浮かべながら、今までの戦いで分かったことを胡蝶に話す。
「おまえ、確かに強いが、その力も万能では無いようだな。攻撃力の高い力、若しくは他の能力を使ってる間は、おまえお得意の分身を作り出せない。そうだろ?もしそうでないなら、俺はもうとっくにやられてる」
志貴の言ったことが図星だったようで、胡蝶は不気味な笑みを浮かべる。
「だったらお得意の分身を使ってあんたを殺してあげるわ」
胡蝶が剣を握っている手に力を入れる。サバイバルナイフの刃が折れそうになり、志貴は後ろへと跳ぶ。ナイフの刃が折れて、志貴は後ろへと走る。しかしまるでデジャブのように、十字路に差し掛かってしまった。胡蝶は分身を作って、4つのビルの屋上から志貴に銃口を向ける。
「フフフッ、この展開、前にもどこかで。……あんたの死に場所は、こういうところが似合ってそうね。わたしも殺し屋らしく銃で殺してあげる」
志貴はどれが本体なのか考える。殺し合いとは本当に刹那的だ。一瞬の判断が生死を決める。胡蝶がニヤッと笑う。
「じゃあ、殺すね。サヨナラ……」
胡蝶が引き金を引く瞬間、志貴はビルの窓ガラスを見る。そして、暗い夜の中銃声が鳴り響く。
志貴は左斜め後ろに立っていた胡蝶を撃った。胡蝶は胸を撃たれて、十字路に倒れた。他の分身が緑の炎に変わって、そして消えた。志貴は撃たれる寸前窓ガラスを見た時、1体だけしか見えなかった。志貴は胡蝶がガラスや鏡に分身を映し出せないことに、ぎりぎりのところで気づいた。
志貴はゆっくりと胡蝶の下へと近づいた。胡蝶は大の字に倒れ、とても苦しそうな様子だ。志貴は胡蝶のそばにゆっくりと近付いた。
「どうして?」
「殺し合いとは本当に一瞬の出来事だ。僅かな隙が命取りになる。おまえは確かに俺より強い。強い力を持ってる。でも俺たちの後をつけてたあの時に、おまえは姿を見せず真っ先に俺を殺すべきだったんだ。確かに俺はおまえのような異能の力を持ち合わせていない。だからこそ、おまえは俺たちの前に姿を現した。自分が負けるはずが無いと思って。でもその過信こそが命取りなんだ。確かにおまえは強い。でも命の駆け引きが一瞬であることを、おまえはしっかりと理解するべきだった。この世に完璧なものは存在しない。だからこそ、弱点は必ずあるとね。おまえの場合、鏡やガラスにまでは分身を映し出すことが出来ないことが決定的な弱点だ。だからこそ、おまえは俺に撃たれて今倒れている。そう、この僅かな過信こそがおまえの敗因だ」
「フフフッ、あんたを徹底的に追い込んで殺せたと思ったのに、逆に説教される立場になるとはね。はぁ〜、あんたの言う通り、確かに油断してたかも。殺し屋修羅って通り名のわりに、正直あまり大したことないなと思ってたから。でもそうね、今だから思うのだけれど、そうやってわたしのように油断している相手の僅かな隙を決して見逃さないから、あんたは殺し屋修羅として闇の世界の人間からも恐れられてたんでしょうね。ホント、わたしの完敗ね……ゴホッゴホッ!」
胡蝶は一層苦しそうな表情になって血を吐いた。志貴は地面に膝を付けると胡蝶の手首から脈を測った。
「何するつもり?」
「今からおまえを助けようとしているんだ。医者や看護師でも無い俺がやるから心許ないが、おまえは生きなければならない。そして、罪を償うんだ」
志貴のこの言葉を聞いて、胡蝶は隠し持っていた銃を手に持って志貴に向けた。
「ふざけないで。それとこんなに見事に胸を撃たれてちゃ、わたしはもう助からないよ。それにもしわたしが助かるのだとしても、刑務所に行くのはやだね。わたしのような異能の犯罪者にはどうせ人権なんて無いだろうし、モルモットにされることなんて分かってる。だったら、自分の命なんだから自分でケリをつけるわ」
胡蝶は自分のこめかみに銃口を向けた。
「おいっ、やめろ!!」
志貴が胡蝶から銃を取り上げようとするその瞬間、大きな銃声が鳴り響く。胡蝶は自身の頭を撃ち抜きあの世へと旅立った。
亡骸となった胡蝶を見下ろす志貴。近づいてくる複数の足音が聞こえてきたため、後ろを振り返る。弥生、月光の娼婦2人、そして義和の亡骸を抱きかかえたスミレの姿が見えた。弥生はうずくまった胡蝶の姿が目に入ると口を開く。
「殺ったのかい?」
「あぁ、殺すつもりで戦わなければ、こっちがやられてた。駆けつけてくれて、ありがとう。スミレさんもありがとう……義和を、義和をここまで運んできてくれて」
「志貴ちゃん……」
スミレは悲しい顔を浮かべながら志貴を見る。弥生は志貴にお構いなしに、話を続ける。
「この坊やが倒れてたところに、もう1人死体があったんだが、もしかしてあれが愛玲なのかい?」
志貴が首を縦に振ると、弥生が苦い顔をした。そして、言いにくそうにまた話を続ける。今度は独り言のように。
「あんたが前チンピラから助けてくれた、あの娘がね、麻衣がね死んだんだよ。流れ弾が当たっちまった。チッ、何でだろうね?人が死ぬと何でこんなに悲しくなっちまうのは……」
志貴は言葉が見つからなかった。右手で目元を覆う弥生を見ると、とても胸が苦しくなった。
「でも、あの娘は幸せだった。だって、あんたを助けに行くって、真っ先に飛び出していったのがあの娘だから。自分の生き方を貫き通して、そして死んでったんだ」
弥生は目元から手を離すと、深く深呼吸した。そして感情的な部分を押し殺すと、志貴に目を向けた。
「……あんたに伝えなければならないことがある」
志貴が頷くと弥生は枯れた声で続ける。
「ついさっき、ウチのPCにメールが届いてね。今日の朝5時に、一番街にある海岸沿いの日本庭園にあんた1人だけで来てくれって内容だった。そうすれば、今起こってる事件の発端と真相を教えてやるってね。どこから送られてきたのか、念入りに調べてみたけど駄目だった。かなりのやり手だよ」
「分かった。1人で行く」
スミレが心配そうな表情で声を上げる。
「志貴ちゃん、駄目!明らかに罠よ。1人で行っては駄目。行くんだったら、みんなで一緒に……」
志貴は首を横に振る。そして優しい顔をみんなに向けながら、ゆっくり語りかける。
「ありがとう。この気持ちだけ受け取っておくよ。でも、1人で行く。みんなを巻き込んでしまっておいて、勝手な言い草だとは思ってる。でも、今まで起こってきた出来事全て自分の過去と少なからず関わりのあることばかりだ。そして俺を呼び出そうとしている人物は、俺の過去をよく知ってる。分かるんだ。恐らく、相手も1人だ。だから、1人で行かせてくれ。過去の自分とケリをつけるためにも」
スミレが再び引き留めようとするが、弥生が右腕を横に広げ、スミレを止める。弥生はいつもどおりのハスキーな声で、志貴に声をかける。
「分かった。1人で行っておいで。でも、死んじゃ駄目だよ。そしたら、あんたを待ってるあの娘が悲しんじゃうから」
志貴は優しく微笑む。
「分かってる。そのためにも、銃の弾を分けてもらえないか。もう残ってないんだ」
志貴は弥生から弾を受け取ると、ふらつきながら夜の荒れた街の中へと消えていった。