喪失魔法使いの最強賢者 ~裏切られた元勇者は、俺だけ使える最強魔法で暗躍する〜

 転生してから12年が経った。

 今生での俺の名前は、レクター・ブラウゼル。

 以前に父が言っていたように、前世の「レクター・ヴィレンス」から名前を拝借したらしい。やや恥ずかしくはあるものの、混乱しなくて済むのは助かるところだ。

 ここまでの12年間、俺は何不自由なく過ごしてきた。

 まあ、父が医者だからな。
 過去に何度も患者を助けてきた手腕から、多くの人たちに感謝されているらしい。

 それもあって、家も「屋敷」と言えるほどに大きく……俺はそこそこ裕福な暮らしを満喫していた。

 ひとつだけ面倒な点があるとすれば――

「レクター! そっちにボールいったなのー!」

「はいはい」

 昼下がり。帝都の公園にて。
 木にもたれかかっている俺に、勢いよくボールが飛び込んできた。

 俺は難なくそれを片手で受け止めると、
「おい、返すぞ」
 と言ってボールを投げ返す。

「わわっと! ありがとなのー!」

 そう言ってはにかむのは、同じく12歳の少女……レナス・カーフェ。

 いわゆる近所に住むトモダチってやつだ。
 たしか《特別な才能》を持っているらしいが……詳しいことは知らない。

 どうでもいいからな。
 率直に言って、好きでこんなのと関わり合っているわけではない。

 人と関わるのは前世で懲りたわけだし、できるなら部屋に引きこもっていたいところだ。

 だが、今生の母はなかなかの教育ママだった。

 ずっと部屋に引きこもる俺を見かねて、強制的にトモダチと遊ばせてくるのである。

 俺も正直嫌なのだが、従っておかないと家族会議になってこれまた面倒くさい。

 だから渋々、こうやってトモダチと遊んでいる(・・・・・)わけだ。公園の隅っこでな。

「ったくよー。レクターはめちゃくちゃ運動できるんだし、一緒に遊ぼうぜ?」

 そう言ってくるのは、これまた同い年のバルフ・ガードン。

 12歳にしては体格が良く、このまま順当に成長すれば騎士にもなれそうな少年だ。

 レナス。
 バルフ。
 そして俺。

 他にも数名いるが、ほぼ毎日このメンツで遊んでいた。

 前世の俺は修行に明け暮れるばかりだったので、よくわからないが――

 これくらいの年齢の子どもは、みな毎日のようにトモダチと遊ぶらしい。
 よく飽きないなと思うが、レナスもバルフも本当に楽しそうだからな。
 そういうものなのだろう。

 ――とまあ、こんな感じで俺は全然気分が乗らないので、こうして木影で休んでいるわけだ。

「俺は遠慮しとくよ。見てるだけで楽しいんだ」

「げっ、マジで? 見てるだけじゃつまんなくね?」

「そうでもないさ。風に当たりながら昼寝をする……悪くない感覚だぞ」

 俺がそう言うと、レナスがはぁぁぁああと、盛大なため息をついた。

「すごーい。レクター、お父さんみたいなこと言ってる……」

 そう言いながら含み笑いを浮かべるレナス。

「ふん。そういうおまえも、12歳の割にはずいぶん大人びている気がするが?」

「えぇ? 私知らなーい」

 あざとくウィンクするレナス。

 こういう仕草も12歳とは思えないのだが……

「まあ、俺のことは気にしなくていい。二人はまた適当に遊ん――」

 ドクン……!
 突如にして心臓の鼓動が高鳴り、俺は顔をしかめた。

「おいレクター? どうした?」

「いや……気にするな。なんでもない」

 ――いまのは……気のせいじゃないな。

 かなり大きな魔物の気配……

 しかもこれ、だいぶ近いところにいるんじゃないか……?

 勇者レクターとしての実力は、現世においても忠実に引き継がれている。この索敵能力も、そのひとつというわけだ。
 おかげで、他の人では気づきえない気配さえも感じ取ることができる。

 ……まあ、感じ取れたところでなんだって話ではあるが。

 ブオーン、ブオーン、ブオーン……!

 それから数秒遅れて、帝都中に警報音が鳴り始めた。

 そこかしこの街頭から、甲高い音が響き続ける。

『付近に危険な魔物が現れました。付近に危険な魔物が現れました。都民の方は、ただちに屋内に避難するか、物陰に身を隠してください』

「わわっ……!」

「危険な魔物だって……⁉」

 目を丸くして飛び上がるレナスとバルフ。

 まあ、そりゃ驚くよな。

 ここは皇族の住まう帝都だし、安全対策は充分に取られているはずだ。近隣の魔物はたとえゴブリンであっても倒し尽くされているはずだし、定期的に冒険者が見回りに出ているはず。

 そんな状況下で危険な魔物が現れるということ自体が、まさしくイレギュラー。

 魔物が突如ここらに転移してきたか、もしくは突然変異を起こしたか……

 とにもかくにも、そうそう起こりえないことなのは間違いない。俺とても、12年生きてきて初めての経験だ。

「わ、わぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!」
「逃げろ、早く!」

 当然というべきか、帝都は大混乱の様相を呈していた。

 悲鳴をあげる者、逃げ惑う者……そして、強張った表情で外に向かう戦士たち。

 まさに帝都サクセンドリアは、俺の見たことのない混沌に陥っていた。

「わ、わわわわわわわわ、どうしようなの……!」

 真っ赤な顔でパニクるレナス。

 まあ、仕方ないよな。大人でさえパニクっている事態を、12歳の子どもが冷静に受け止めきれるはずもない。

 そしてそれは――好奇心旺盛なバルフも同様だった。

「すっげぇ……危険な魔物だってよ、おまえたち!」

 目をキラキラさせながらそう言うバルフ。

 さながら嵐の訪れがワクワクするような心境だろうか。なかなか起きないトラブルなだけに、非常事態であることが実感できないんだろう。

 その気持ちはわからなくはない。

 だが。

「……やめておけ。大人たちがあんなに慌ててるんだ。間違っても見に行ったりするなよ」

「そうはいってもさぁ。ねぇ」
 そこでバルフはちらりとレナスを見る。
「知ってんだろ? 俺の夢は冒険者! ベイリフ様のように強い男になって、好きな人を守るのが夢なんだっ!」

「冒険者……だって……?」

「ああ! ここで逃げるのは男の恥! そうは思わないか?」

「…………」

 ――なるほど。

 うすうす感づいていたが、こいつはレナスのことが好きだ。

 だから女の子の前でかっこつけたいという思いも、多少あるのだろう。

 その気持ちは、たしかにわからなくもないが。

「……やめておけ。わかるだろ? 大人たちの戦いに、子どもが混じったら迷惑だ。そういうのをかっこいいとは言わん」

「…………」
 俺の発言に、バルフは不満そうに唇を尖らせると。
「……はっ、わかってるよ。言ってみただけだって」

「…………」

 嘘だな。

 本当はわかってない。

 だけど……これ以上の追及は無意味だ。言ったところで絶対に理解されないし、そもそもバルフを守る義理は俺にない。

 命を賭けて誰かを守ったところで……最後には裏切られるのだから。

「ま、そういうことだ。俺は言ったからな。おまえたちもまっすぐに家に帰れよ」

 それだけ言って、俺は身を翻し、自宅へと向かうのだった。

「あ! レクター、待って!」

 後ろで呼びかけてくるレナスの声を、無視して。



 あれから3時間。

 警報音はいまも鳴りやまないままだ。
 帝都には《凄腕》の剣士やら魔術師がいるはずだから、そんなに苦戦するわけないと踏んでいたが……

 肌に感じる魔物の気配は、いまだ克明に感じられる。

 まさかとは思うが、苦戦しているのだろうか……? 
 たしかにそこそこ強い魔物であることは間違いないが、そんなに時間のかかる相手でもないはず……

 たかだか10年で、人間の戦闘力はここまで落ちてしまったのか?

「くっ……! まだ戦いは終わらないのか……!」

 父がカーテンの隙間から外を眺め、悪態をつく。

「あなた……。落ち着いて」
 そんな父を、母が優しい声で慰めた。
「きっと大丈夫よ。帝都にはベイリフ様がいるんだし、なんとかしてくれるわ」

「……いや。いまベイリフ様は帝都にいない。たしか国外へ慰安旅行に出ていたはずだ」

「え……」

「だから大変な事態なんだ。もしかしたら、敵はこのタイミングを狙っていたのかもしれない……」

「そ、そんな……」
 言葉を失ったのか、その場で立ち尽くす母。
「でも……さすがに大丈夫よね? 帝都には戦力がいっぱい集まってるはずだし……万が一にも魔物がここまでくる可能性は……」

「わからない。こんな非常事態、文字通り初めてだからね……」

「そんな……」

 両親の会話を、俺は読書をしつつ聞き流していた。

 やはり両親から見ても、これは異常きわまる事態らしい。

 まあ、そりゃそうだよな。
 繰り返しにはなるが、帝都に大型の魔物が現れることは極めて稀。さらに警報が3時間も鳴り続けているとなると……不安になるのも無理はない。

「ふぅ……」

 だが……かといって俺には関係のないことだ。
 勇者レクターだった頃であれば、自身の安全を(なげう)ってでも飛び出していたかもしれない。それがあまりに馬鹿馬鹿しい行為だということは、いまの俺ならわかる。

「レ、レクター。おまえは怖くないのか……?」

 そんなふうに考えていると、父がそう訊ねてきた。

 子どもらしからぬ俺の反応に、驚きを隠せない様子だな。

「別に……。慌てたところで、俺にできることなんてたかが知れてますからね」

「そ、それはそうかもしれないが……」

 たとえ時間がかかったとしても、大人たちがなんとか魔物を倒してくれるはずだからな。

 余計なことをせず、なにもせず。
 このまま静かに生きていくほうが、はるかに賢い選択といえるだろう。

「それじゃあ、父上、母上。俺はこれで寝ます。おやすみなさい」

「あ、ああ……」

 父が戸惑いつつも返事をした、その瞬間。

「レクター! レクターっ!」

 突如、玄関のドアが激しく叩かれた。

 この声は――まさか。

 父もなんとなく事情を察したのだろう。俺に目配せをすると、小走りで玄関に向かった。そのままドア越しに、声の主へ話しかける。

「君は……レナスちゃんかな? レクターの友達の……」

「はい! レクター君に会わせてくださいなのっ……!」

 さっきまでのほほんとしていたはずのレナスの声は、だいぶと切羽詰まっていた。

 ドア越しでも、涙に濡れているのが伝わってくる。

「…………」

 父は数秒だけ迷っていたようだが、結局は開けることにしたようだ。

 本当は自分の家に帰ってほしいところだろうが――この非常事態だからな。

 ひとりで帝都をうろつかせるほうが危険と判断したのだろう。

「レクターっ!」

 そうして家に入ってきたレナスは、やはり大泣きしていた。

 無我夢中で走ってきたのか、額は汗でびっしょり濡れているし――しかも片足の靴がない。よっぽどのことがあったんだろうな。

 ……まあ、内容はだいたい想像がつくが。

「バルフ君が……バルフ君が、魔物に走っていって、そそそそ、それで……っ!」

 やっぱりな……

 嫌な予感はしていたが、本当に魔物に突撃していくとは。

「…………」

 だが、それでも冷静さを失わない父はさすが医者というべきか。

 しばらく考え込む仕草をすると、目線をレナスの高さに合わせて言う。

「レナスちゃん。落ち着いて、ゆっくり深呼吸をしてごらん。それから、ゆっくりと……なにが起きたか話してもらえるかな」

「すぅ、はー」

 父の呼びかけもあり、レナスはだいぶ落ち着きを取り戻した。

 こういうときの対応はさすが医者……というべきか。

「よし、落ち着いたね。いい子だ」
 父は優しげに微笑むと、レナスの両肩に手を置き――表情を改める。
「本当は部屋に入ってゆっくり話してほしいところだけど……そうもいかないみたいだ。ゆっくりでいい。バルフ君のこと、もう一回話してくれないかい?」

「はい……わかりました」
 レナスはそう言って、ぽつりぽつりと事の経緯を話し始めた。
「えっと……さっきレクターと別れたあと、バルフ君が《やっぱり魔物を見にいきたい》って言ったんです。それで……」

「行ったんだね? 大人たちのいるほうへ」

「はい……」

 申し訳なさそうに、しゅんとうつむくレナス。

 いつもはこんなに健気な様子ではないが……さすがに狼狽しているんだろうな。

「はぁ……」

 その話を聞いて、俺は思わず額に手をあてがった。

 嫌な予感はしていたが、まさか本当に行ってしまうとは。
 同じ男として、好奇心が掻き立てられる気持ちはわからなくもないが……

 今回ばかりは、相手が悪すぎる。

 いかに熟練の剣士といえど、強敵を前に、子どもを守りながら戦うのは至難の技だ。

 そこに子どもが考えなしに突っ込んでいったらどうなるか――

 想像したくもない。

「ふむ……」
 父はあくまで冷静さを保ったまま呟くと、改めてレナスに視線を向けた。
「さっきの様子を見る限りだと、まだ続きがありそうだけど……。なにか伝えきれてないことがあったら、それも教えてくれないかい?」

「は、はい……」
 レナスは肩を震わせながら頷き、そして続ける。
「私、バルフ君を止めようと思って。途中まで追いかけていったんです。そ、そ、そしたら……もう、すごい有様で……」

「すごい有様……?」

「は、はい……。大人たちは、もう、ほとんど息をしてなくて……えっと……」

「そうか、わかった。それ以上は言わなくていい」
 険しい表情で頷く父。
「そこに……バルフ君が突撃してしまったというわけだね?」

「いえ……。バルフ君もさすがにやばいと思ったみたいで、逃げようとしたんです。そしたら、バルフ君だけが魔物の手に捕まってしまって、それで……」

「そうか……」

 父の表情は変わらず険しいままだ。
 12年もの間この家庭で育ってきたが、父のこんな暗い表情は見たことがない。

 おそらく、悟っているんだろう――

 もう、どうしようもないということが。

「お願い……! レクターっ……!」
 そしてなぜか、レナスは俺を見て懇願してきた。
「バルフ君を助けて……! このままじゃ私、バルフ君を見殺しに……!」

 なるほど。
 それで救いを求めるために、この家までやってきたわけか。

「おいおい、なにを言うんだレナスちゃん」

 父が苦笑まじりの声を発した。

「大人でも勝てない魔物だぞ? レクターに勝てるわけがないじゃないか」

「そう……なんですけど、なんだか不思議な感じがするんです」

「不思議な感じ……だって?」

「はい。なぜか、レクターならあの魔物にも勝てるような……」

 おいおい、勘弁してくれよ。
 レナスお得意の《直感》ってやつか?

 彼女はどういうわけか直感力に優れており、探し物をぴたりと見つけたり、迷子の居場所を言い当ててみせたり――謎の異能に優れている。

 その直感が、俺ならこの事態を解決できるはずだと……

 そう告げているわけだ。

「…………」

 そして悔しいことに、その直感は決して間違っていない。

 俺は前世のステータスをそのまま受け継いで転生したからな。気配を探るに、(くだん)の魔物も、前世の基準でいえばそこまで恐れるに足りない。

 それだけでも充分すぎる状況ではあるが――

 加えて、いまの俺は不正の力を手に入れた。

 面倒なので全容はまだわかりきっていないが、そのひとつが魔法。前世ではまったく使えなかった魔法が、転生しただけで使えるようになった。

 まさにあのベイリフと同じ――不正の力というわけだ。

 だから、俺なら例の魔物さえ倒せる自信はある。

 だが――

「馬鹿を言うな。そんなことできるわけないだろ。いくらおまえの直感でも、今回ばかりは外れだな」

「で……でも……!」

「レナスちゃん。こればっかりはレクターの言う通りだ。私としても、大事な息子を戦場に行かせたくはない」

 そのように諭す父は、本当に評判の良い医者なんだろうと思わせるほどに優しい表情をしていた。

「……けど、私たちとしてもこのまま手をこまねいているつもりはない。各所に連絡を取って、できる限りバルフ君を助けられるように働きかけてみるさ」

「は……はい。ありがとう……ございます……」

「うん。ごめんね、レナスちゃん。こういうとき、私たち一般人は待つことしかできないんだ」

「いえ……。とんでもないです……。ありがとうございました……」



 その後、レナスはとぼとぼと自宅に帰っていった。

 父が止めようとしたが、レナスの家はごく近いところにある。レナスも父と母と過ごしたいだろうし、無理に言って止めることはしなかった。



 レナスが帰ったことで、自宅はようやく静けさを取り戻した。

「ふぅ……」

 俺は大きく息をつきながら、自室のベッドにダイブする。

 ――お願い……! レクターっ……!
 ――バルフ君を助けて……! 

「馬鹿馬鹿しい……。どうして俺がそんなことをやんなくちゃいけないんだ……」

 そりゃ、昔の俺だったら絶対に助けたよ。

 たとえ自分が深手を負うことになろうとも、それでも構わなかった。

 誰かの笑顔。誰かの幸せ。
 それを見ることが、俺にとってなによりの幸せだったから。
 他人の笑顔が、俺のなによりの生き甲斐だったから。

 ――へっへっへ、惨めなもんだなぁ勇者よ。ああ、もう勇者じゃなくて、ただのポンコツか。

 ――嫉妬に狂った元勇者め! 消えろ、目障りだ!

 ――消えろ、消えろ、消えろ!


 その末路が、これだ。

 この世界はクソったれだし、人は愚かだ。
 どこに助ける価値があるだろうか?

 馬鹿馬鹿しい。

 余計なことを考えてないで、とっとと寝るのが吉だ。

 事態はひっ迫しているだろうが、帝都にはまだまだ多くの戦闘員がいるはず。帝国軍も出動すればさすがに状況は変わるだろうし、俺が出しゃばる道理はない。

 けど。

 ――そう……なんですけど、なんだか不思議な感じがするんです

 ――なぜか、レクターならあの魔物にも勝てるような……

 ――このままじゃ私、バルフ君を見殺しに……


「くっ…………!」

 脳裏にレナスの声がこびりついて離れない。

 いったいどうしてだ。自分勝手に生きるって、そう決めたのに。

 それに気になるのはそれだけじゃない。

 もし……仮にだが。

 ベイリフが、この10年で人類の弱体化を謀っていたとしたら。
 10年前ではたいしたことのなかった魔物ですら、人間が勝てなくなっていたとしたら。

 サクセンドリア帝国は、いともたやすく火の海に包まれる。

 だから思うのだ。

 ベイリフはわざとこの状況を作り上げたのではないかと。

「は……ははは……」

 思わず乾いた笑みを浮かべてしまう俺。

 バカバカしい考えだ。こんな手間をかけたところで、ベイリフにはなんの得もない。

 けれど……10年前、俺はたしかに見たんだ。

 魔王さながらの、禍々しいオーラを携えたベイリフを。

 仮に……10年前に勝ったのがベイリフではなく、魔王だったとしたら。
 その魔王が、表立って人類を弱体化させていたのだとしたら。

 魔王たちはほとんど犠牲を出すことなく――人類を制圧することができる……

 その状況を作り上げるために、国中の人々が踊らされているとしたら?

「はは……。馬鹿だな、俺も」

 人々を助けるためじゃない。

 俺はあくまで、俺を貶めたあの馬鹿野郎を追及するために。

「いっちょ、行ってみるか……」

 趣味(・・)で用意していた黒仮面とマントを身に着け、俺は窓から外に出るのだった。

  ★

 窓を飛び降りると、近くでレナスがとぼとぼと歩いているのが見て取れた。

 一刻も早く家に帰ればいいものを――よほどショックだったのだろうか。その後ろ姿はどんよりと沈んでいた。

 まあいい。
 これはこれで好都合だ。

「おい、そこの女」

「へ……」

「魔物のいるところに案内しろ。いますぐにだ」

「…………」
 レナスは数秒だけ目を見開くと。
「……レクター、なにやってるの?」

 ちょっとだけ引いた目で俺を見つめてきた。

 おかしいな。
 仮面には変声の魔法をかけてあるはずだし、バレる道理はないはずだが。

「ふむ……。なんのことかわからないな。私は《R》。レクターという名ではない」

「そうなの? その趣味、レクターにそっくりなんだけど」

「だから何度も言わせるな。私は《R》。名はない」

「…………そう」

 とは言いつつも、なぜかバレバレらしいな。

 レナスは思いっきりため息をついた。

「でも、ありがとうなの。魔物を倒してくれるって……決めてくれたのね」

「……フフ、それが私の役目のようだからな」

「それはもういいって……」

 レナスは再びため息をつくと、急に俺の手を握りだした。

「じゃあ、《R》さん。案内します。――ついてきて!」

 聞いた通り、戦場はひどい有様だった。

「くっ……! ここまでとは……!」

「まだ帝国軍は来ないのか……! もうすぐ4時間は経つぞ……!」

「怯むな! 我がAランク冒険者、決して魔物を帝都に入れてはならぬ!」

 帝都近くの森林地帯にて。

 みんな頑張っているようだが、状況は明らかにこちらの劣勢だ。

 そこかしこで意識を失っている大勢の剣士たち。
 いま戦っている剣士や魔術師も、ほとんど満身創痍。

『ククク……ぬるいな。この程度か、人間たちよ』
 対して魔族(・・)のほうは、余裕そうな笑みさえ称えている。
『さあ、猶予はあと3分だ。それでも俺に手も足も出なければ……この子どもの命は遠慮なくいただこう』

「ううう……!」

 そして驚くべきことに、あのバルフが人質として捕らえられてしまったらしい。

 いや。人質というには少々違うか。

 どうやら魔族はゲーム(・・・)を開催しており、一定時間までに力づくでバルフを取り戻せと言っているらしい。そしてそれが叶わなければ、その手でバルフを殺すと――そう言っているのだ。

「あれは……!」 

「ああ。聞いていた通り……最悪の状況だな」

 現在、俺たちは戦場近くの草陰で魔族の様子を窺っていた。

 さすがに考えなしで突撃するのは考え物だからな。
 いったん様子を見ようとのことで、この場所に落ち着いた。

「しかし……驚いたな。まさかおまえまで、その仮面を持っているとは」

「うふふ。すごいでしょー?」

 そう言いながらピースするレナス。

 だが、その声は女の子特有の可愛らしいトーンではなく……俺の仮面と同じく変声魔法によって野太くなっていた。

「なんとなく持っておいたほうがいいかなって感じて……買っておいたんだ♪」

「ほう……? こんなもの、このへんでは売ってなかったはずだがな」

「ふふ、それはお互い様なの♪」

「…………」

 そう。

 どういうわけか、レナスもちょうど俺と同じ仮面を持っていた。
 しかも変声機能までついているので、身分が割れる心配もない。

(しかも、ここにきた途端にこっそり気配を消している……)

 謎の《直感力》といい、妙に大人びた言動といい、本当に不思議な女だ。

 しかも――それだけではない。

「おい、案内したんなら一緒にいる必要はないだろう。とっとと家に帰れ」

「うふふ。大丈夫なの、あなたがいれば大丈夫だってわかる(・・・)から」

「…………」

 この女……本当にさっき自宅(うち)で泣いた子どもと同一人物か?

 俺の感情を揺さぶるために、わざと泣き真似でもしたのだろうか。

 まあ、それはそれでいい。
 俺も正直、この女が死のうがどうでもいいからな。

 言ってしまえば同類である。

 ――と。

『カーッハッハッハ!』

 突如、魔族の笑い声が周囲に響き渡った。

『制限時間はあと1分だ! どうだ、早くしないとこのガキの命はないぜ?』

 見たところ、魔族は思った以上に性格の悪い奴みたいだな。

 らしいといえばらしいのだが。

 ちなみに魔族というのは、まあわかりやすくいえば魔物の上位互換だ。知能も戦闘力も魔物より格段に上だし、こうして言葉を喋ることもできる。外見も、額に生えている角以外はそこまで人間と変わらない。

 さらに言えば、魔族のなかでも階級というものが存在する。

 あいつはそのなかでも最下級で、前世であればそれほど苦戦しない相手だったんだけどな。人間の弱体化したこの世界では、あいつでも充分に強敵であるということか。

「大丈夫だよ、《R》さん。避難誘導は私がやる。あなたは魔族さんを叩きのめして」

「避難誘導か。できるのか?」

「もちろん♪ これでも、くぐってきた修羅場の数が違うんです♪」

「…………おまえ、今日だけで本性を現しすぎではないか?」

「本性? なんのことかしらね♪ あなたと私は初対面なのに」

「クク、違いない」

 まあ、こいつの正体はあとでゆっくり教えてもらうとして。
 いまはやるべきことをやるだけだろう。

「それでは、言ってくる。おまえの命がどうなろうが知ったことではないが、互いに頑張ろうではないか」

『残り0分! カッハッハッハ! 残念だったな人間どもよ!』

 赤い目をたぎらせた魔族が、さも愉快そうな笑い声をあげる。

 その目の前には、地面に這いつくばるAランクの冒険者たち。まだ戦いたいという意思はあるようだが、満足に動くことすらできないようだ。

「すまない、少年……。私たちでは、この化け物に一撃当てることさえ叶わなかった……」

「ううう、ぁぁぁぁあああ……!」

 そう泣き叫ぶのはバルフ。
 いつもは気丈な彼だが、この事態はやはり怖いのだろう。裏返った声でひたすらに泣きじゃくっている。

『フ……いい悲鳴だ』
 その泣き声をどう捉えたのか、魔族が愉悦の表情を浮かべる。
『ああ……心地よい……。こんなにも手軽に人間どもを蹂躙できるとは、10年も待った甲斐があったというものよ』


「――ほう。その話、詳しく教えていただこうか」


『なに……⁉』

 魔族が目を見開いた、その瞬間。
 俺は咄嗟に駆け出し、横方向から魔族に急接近した。今生では全力疾走したこともなかったが、身体の動かし方はよく覚えていたようだ。さしたる問題もなく魔族との距離を詰めた俺は、奴の片腕に拘束されたバルフを抱きしめる。

『な……!』

 魔族が驚きの声をあげ、慌てたようにもう一方の腕を振りあげる。
 だが、もう遅い。
 その腕が振り下ろされた頃には、俺は充分な距離をとって着地。バルフの救出は無事に成功した。

「え……? あ、あんたは……」

 俺の腕のなかで、すっかりやつれきったバルフが目を見開く。

「……無事だったか。もう二度と、馬鹿な真似をするんではないぞ」

「え……」

「さあ、じきにここは戦場になる。あの者に従って、すぐに逃げるのだ」

 そう言って俺が手差しをした方向には――レナス・カーフェ。

 正直疑わしかったが、本当に避難誘導するつもりのようだ。片腕をぶんぶん振り回し、大声を張る。

「皆さんはこちらへ! 帝都の教会にお連れします!」

 ……まあ、黒仮面なんか被ってるし、変声機能のせいで野太い声になってるし、怪しさ満点なんだけどな。
 それでも、この状況でどっちを信じるべきかは明白だろう。

「ぞ、増援か……?」
「い、いや、それとも違うような……?」

 かろうじて意識をとりとめていた冒険者たちが口々にそう呟きたてる。

「うふふ、私たちは秘密結社の《月詠(つきよみ)黒影(くろかげ)》。皆さんの安全は私が保証しますから、どうぞご安心ください!」

「は……?」

 おい、あいつはなにを言ってるんだ。
 秘密結社とか、月詠の黒影とか……そんなもん初めて聞いたぞ。

「つ、月詠の黒影……? なんだそれは……?」

「わからんが、考えるのは後だ! いったんずらかるぞ!」

 あーあ……
 よくわからんまま、その名前で覚えられてしまったではないか。秘密結社に月詠の黒影……中二っぽくて、嫌いではないが。

「まあいい……俺は俺で、あいつを倒してやるとするか」

 そして振り返った先には、最下級に位置する魔族。

 黒い鱗で覆われた身体に、赤い目、そして禍々しい存在感を放つ両翼。
上位の魔族は本当に人間と区別がつかないが、こいつは比較的、魔物らしい見た目をしている。それもまた、こいつを最下級と位置付けた理由だ。

『グググ……なんだ貴様は……!』
 その魔族は、憎しみのこもった目で俺を睨みつけていた。
『たかが人間の分際で魔族様に逆らおうなんてな……。そこそこの実力はあるようだが――哀れだな。半端な実力は死を招く』

「フフフ……ハハハ……」
 その発言に、俺は溜らず大笑いを発してしまう。
「ハーッハッハッハッハ! 最下級の魔物が、随分と偉い口を叩くものだな。あまりに滑稽すぎて、笑ってしまったよ」

『な……なんだと⁉』

「そこまで言うのなら見せてやろう。無謀な戦いを挑んでいるのはどちらであるかをな!」

 俺は高らかに笑うと、大仰に両腕を広げる。

 昔は魔法など全然扱えなかったが、いまならわかる。体内に巡る魔力を一か所に集中し、溜まりきったところで放出する。それが魔法を扱うテクニックだ。

 体内の総魔力量も、そして魔法を扱うテクニックも、一朝一夕で高められるものではない。長年の鍛錬があって初めて《一流》と呼ばれるようになるのだ。

 平凡な魔術師が中級魔法を扱うだけでも数年かかるし、上級魔法となると才能もかかわってくる。

 その過程をすっ飛ばして、上級魔法をも一気に使えるようになったのが俺だ。

 これぞまさに転生者……不正力の賜物といえよう。

『ば、ばばばば、馬鹿な……⁉』
 俺の魔力を感じ取ったか、魔族が数歩後退する。
『この反応は……! 失わせた魔法(ロストマジック)が、いったいなぜ……⁉』

 失わせた魔法。
 なるほど、語るに落ちたな。

 やはり人類の衰退には魔族が一枚噛んでいた。そこにベイリフがどう絡んでくるかは不明だが――それだけわかれば充分だろう。

「死ぬがいい、喪失魔法(・・・・)(いち)、エンペラーバースト!」

 喪失魔法が(いち)、エンペラーバースト。

 前世ではただの《上級魔法》だったが、今生ではなぜかロストマジックと呼ばれているっぽいからな。

 ここは中二心を優先して、喪失魔法と呼ぶことにした。

《上級魔法》と言ってしまうと、転生者だとバレる恐れもあるからな。保身の意味でも、余計なことを言わないほうが賢明だろう。

 と。

 魔法を発動した瞬間、天空から一筋の火柱が勢いよく降り注いできた。

 それはまさに異次元の速度。
 信じられる速度でもって、火柱が魔族に襲いかかる。

『くっ……! おのれ……っ!』

 だが、さすがは腐っても魔族。
 翼をはためかせ、すんでのところで火柱を避ける

『フハハハ! 馬鹿め! いくらロストマジックといえど、それだけでこの俺を殺せるものか!』


「――ああ。殺せるさ」

 得意げに飛翔する魔族の頭上(・・)で、俺は高らかに笑ってみせた。

 使用している魔法は、空属性の《浮遊》。
 生まれたばかりの頃、両親の前で披露してみせた魔法だな。

『なっ……⁉』
 魔族は今度こそ、ぎょっとした表情で俺を見上げてきた。
『またもロストマジックを使ってくるとは……! 貴様、いったい何者だ……⁉』

「フフ。なあに簡単なことさ。この世に大事なものは努力でも才能でもない。不正(チート)だということだよ……!」

 俺はそう言うなり、眼下の魔族の頭を右手で掴む。

 そのまま勢いよく地面に落下し、地表に魔族の顔面を押し付けた。

『グ……ガガガガ……!』

 下半身をジタバタさせて暴れる魔族だが、不正の力には遠く及ばない。

 俺の手のひらの下で、ずっと動けないままだ。

『オノレ……あり得ぬ……! この俺が、人間ごときに力で及ばぬなどと……!』

「ふ……そうだな。これも不正の力といえよう」

 前世の俺では、さすがに12歳時点で魔族を翻弄する力はなかったからな。前世の力がそのまま受け継がれて――いや、それ以上の力を手に入れた可能性さえある。

「さあ、魔族よ。答えてもらおうか」

 俺は仮面の内側でニヤリと笑いながら、魔族に問いかけた。

失わせた魔法(ロストマジック)についてと、そしてこのタイミングでおまえが襲撃してきた理由について。洗いざらい、話していただこう」

『ふざけるな! 誰が貴様なぞに……!』

「クク、その威勢がいつまでもつかな?」

 グギギギ、と。

 俺は右手の握力を強め、魔族の頭部をさらに強い力で握りしめる。

『ぐぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ……!』

「おっと、気絶はさせぬぞ。ほれ」

 言いながら、俺は回復魔法を発動。

 意識が飛びかけた魔族の体力を少量だけ回復させ、気絶を防ぐ。

「気を失いたくてもできず……永遠に頭を締め付けられる苦しみ……。クク、気分はどうかな?」

『あ、悪魔め……! 貴様には人の心がないのか!』

「ああ、とうに失ったね」

 それにしても、いまのは魔族のセリフじゃない気がするが……

 まあいい。やることは変わらないのだから。

「さあ、答えるがいい。このまま口を閉ざすのなら、次なる拷問を――」

『わ、わかった……! 喋る! だから……!』

 ようやく懲りたか。
 次の拷問を試してみてもよかったが……残念だ。

 まあ、次の機会でもいいだろう。

「フフ、それでは答えていただこう。まずはロストマジックについて。魔法を衰退させたのはベイリフだと思っていたが……おまえたちも関わっているのか?」

『あ、ああ。というより、俺たちが――が、ががががががっがががっぁ!』

「ぬ……?」

 なんだ。様子がおかしい。

 さっきまでかろうじて理性を保っていたはずの魔族が、突如にして暴れ始めた。白目を剝き、口から泡を吹き、まるでこれは――

「っ…………!」

 ある予感を抱いた俺は、魔族から手を離し、すぐさまバックステップを行う。

 その瞬間。

 ドォォォォォォォォォオン!

 けたたましい轟音をたて、魔族が突然、大爆発を起こした。しかも俺の見間違いでなければ、身体の内部から破裂していたような……

 一歩間違えれば、俺も爆発に巻き込まれていたかもしれない。

「…………」

 俺の目の前に広がるは、文字通りの焼け野原。
 あれだけやかましかった魔族は、一切の姿もない。

 自爆した――というより、自爆させられたのだろう。

「フ……ハハハハ……」
 その光景を見て、俺は乾いた笑いを禁じえなかった。
「情報隠蔽のため、味方に呪いをかけたか……。どうやらこの事件、思ったより俺を楽しませてくれるかもな」


 魔族を倒してから数分後。

「あら。お早い退治ね」

 ふいに、背後から声をかけられた。
 変声機能によって“野太い声”をしているが、振り返らずとも誰かはわかる。

「ふ……君こそタイミングよく戻ってきたじゃないか。それも《直感》の力なのかな」

「うふ。どうかしらね♡」

 改めて身を翻すと、やはりそこにはレナス・カーフェの姿。

 もちろん黒い仮面を被っているので、可愛らしい少女の出で立ちではないけどな。
 この場で姿を晒すと色々と面倒だし、仮面を被ったままなのは賢明な判断だろう。

「しかし、妙だね。わざわざ私に任せなくとも、君なら下位魔族くらい倒せたのでないかね?」

「いやいやー、そうだね。やろうと思えばできるかも」
 そう言いながらレナスは下唇に人差し指をあて……妖艶に笑う。

「でも、レナスのはちょっとエグいから。ちょっと刺激が強すぎるかもしれないの」

「…………」

 幼馴染――レナス・カーフェ。
 以前から妙に大人びた仕草をしているとは思っていたが、これで確信に至ったな。

 この女は――普通の女じゃない。
 妙に研ぎ澄まされた直感力といい、なにかがあるとしか思えないのだ。

「なるほど。先ほど幼馴染の家に行って号泣していたのは……やはり演技だったのかな」

「うふふ、どうかしらね♡ 私、わかんなぁい」

「ふ、喰えない女だ」
 俺は苦笑とともに肩を竦めると、改めてレナスを見つめて言った。
「それで……教えてくれないかね。なぜ自分ではなく、わざわざ《R》に魔族討伐を依頼したのか」

「んー、そうだね。“それが依頼だから”かな?」

「依頼、だと……?」

「うん。《R》の強さを見極めて、魔族を簡単に倒せるようだったら……こう言われてるの。レナスと二人で、魔王(・・)を倒してほしいって」

「ほう……」
 その依頼主の正体も気になるが、俺はもうひとつのほうに気を惹かれた。
「面白いことを言うな。魔王はすでに倒されているのではないか? 10年前、勇者ベリナスの手によって」

「レナス、まどろっこしいこときらーい。あなたも本当はわかってるんでしょ? 魔王は倒されていないってことを」

「…………」

「ううん、本当はもっと厄介なことになってる。あろうことか、ベリナスは魔王の側になっていて……いまでも少しずつ人類を衰えさせてきてる。ほとんどの人間はそれにも気づかないで、ベリナスを聖人のように崇拝してるよね」

「ふむ……そうかもな」

「レナスも“依頼主”のことはよく知らないけど……こんな状況だしね。魔王討伐を依頼する人がいてもおかしくないとは思うよ?」

 なるほどな。

 それ自体は一理ある。

 依頼主とやらの正体は気になるが、ベリナスの裏側を知る人物がいたことにも驚きだ。

 前世でも、今生でも……
 あいつを聖人呼ばわりする人間が多すぎて、いい加減嫌になってきたところである。

「もちろん、依頼主さんもタダであなたに頼むつもりはないそうよ。とりあえず、一生分遊んでくれるお金と、ミューラ地方の一部領地をあなたにあげるって」

「なに……?」

「もちろん、嘘じゃないよ。ほら」

 そう言うなり、なんとレナスはどこからともなくアタッシュケースを取り出した。おそらく空間魔法……異次元空間において、一時的に荷物を預ける魔法だろう。

 そして想像通り、アタッシュケースには大量の紙幣が詰め込まれていた。

「これは前金だって。魔王を倒してくれたら、約束通り一生分のお金を払うみたいよ。どう? 悪くないんじゃない?」

「…………」

 これは驚いた。
 依頼主の正体はいまだ不明だが、仕事を請け負うだけで想像以上のリターンをもらえるらしい。

 ベイリフは転移者だし、本来なら絶対に勝てるわけのない相手だが……
 いまの俺は転生を果たし、文字通り不正の力を手に入れた。
 であれば……レナスの言う通り、悪くない条件かもしれないな。

「もちろん、魔王は手強い相手よ。でも私の直感によれば、魔王を倒せるのは世界であなたひとりしか――」

「よかろう。その話、乗ってやる」

「いないは――え? まさかの即答⁉」

「ああ。自由気ままに生きるために、これほど打ってつけな提案はあるまい。違うか?」

「う、うん……。それはそうかもしれないけど……」
 そしてなぜか、レナスは急に俺に腕を絡める。
「本当はもっと色っぽい条件を出してもよかったんだけどねー。ほら、男の子はみんな好きじゃない?」

「フフ、安心しろ。俺はロリコンではない」

「普通に傷ついたんですけど⁉」
 むー、と不満そうに頬を膨らませるレナス。
「おかしいなぁ。胸も大きいつもりなのに……」

「ああ。おまえは綺麗な女だと思うぞ」

「むー。めちゃくちゃ嘘っぽいんですけど……」

 実際、レナスのそういう女性らしさにバルフも惹かれていたわけだしな。
 他の男児たちもレナスに一目置いていたようだし、魅力的なのは違いないだろう。

 ただ、俺の恋愛遍歴はまさに悲惨そのもの。

 誰かを好きになっても……良いことはひとつもないのだ。

「ぷん、納得いかない。私、あなたに好きになってもらうように頑張りますからね」

「はいはい、勝手にするがいい」

 俺が肩を竦めた、その瞬間。

「着いた! ここだ!」
「あれ……? 魔族がいない……?」

 突如、武装した人間たちが走り寄ってきた。

 よくよく見ると、さっき逃げたはずの冒険者たちも数名混じっている。逃げろと言ったはずだが、増援を呼びに行ったわけか。

「や、やっぱりそうだよ……! 俺、見たんだ!」
 冒険者のひとりが甲高い声で叫んだ。
「空からでっけえ炎の柱が降ってきて……間違いない! あれは10年前に失われたはずの喪失魔法だ!」

「はぁ……? さすがに冗談だろ? ベイリフ様しか使えないはずの魔法だぞ……?」

「でも、現にこうして魔族の気配がないわけだしな……。あながち見間違いとも言い切れん……」

 あーあ、こりゃ面倒なことになったな。

 つい調子に乗って、派手な上級魔法を使ってしまった。
 10年前ならともかく、現世では絶対に目立ってしまうのに。

「ふふ、ご安心ください♡」
 戸惑いの声をあげる冒険者たちに、なぜかレナスが歩み寄った。
「この世の欺瞞(ぎまん)は、この《月詠の黒影》が残らず狩り尽くします。皆さんも、どうか偽物の聖者に騙されぬよう……」

 そして彼女は俺の右手をぎゅっと握ると、空属性の魔法を発動する。

 使用する魔法は《浮遊》。
 現代では喪失魔法と呼ばれているそれを、レナスは普通に使ってみせた。

 やはりこの女……色々と隠していやがるな。

「う、浮いた……⁉」
「あれも喪失魔法か……⁉」

 冒険者たちも目を見開き、すっかり空高く浮かび上がった俺たちを見上げている。

「それでは皆様、ご機嫌よーう♡」

 今度はレナスの空間魔法が発動し――
 俺とレナスは、この場所から転移したのだった。
「ここは……」

「そう♡ ここが私たちの愛の巣ってとこね~」

 下級魔族を倒してから数日後。

 俺はレナスの《転移魔法》に連れられて、まったく見知らぬ土地を訪れていた。

 ――もちろん、依頼主さんもタダであなたに頼むつもりはないそうよ。とりあえず、一生分遊んで暮らせるお金と、ミューラ地方の一部領地をあなたにあげるって――

 そう。

 この場所は《俺のもの》になる領地であり――《R》としての活動拠点にもなる場所だった。

「ふふ。てっきり荒廃した土地でも押し付けられると思っていたが……悪くないではないか」

 地平線まで広がっている草原に、眩しくなるほどの青い空。

 近くには森や川もあるようだし、のんびり過ごすには悪くない場所だろう。

「この地に人は住んでいるのか? 居住地になってもおかしくない場所ではあるが」

「ううん、いないみたい~。ここでひっそり過ごすもよし、人を招いて賑やかにするもよし……。完全にあなたの自由ってことね」

「ふむ……」

 一生分遊んで暮らせる金と、そしてこんなにも豊かな土地。

 随分な大盤振る舞いだよな。

 改めてレナスの言う“依頼主”とやらの正体が気になるが……まあ、いったんは後回しにしていいだろう。レナス自身、“依頼主”のことはよくわかっていないみたいだしな。

「とにもかくにも、《月詠の黒影》の拠点はここ♡ 決定ね♡」

「ふむ。まあ……いいだろう」

 活動の拠点としては悪くない。

 当然のことながら、帝都では目立った行動はできないからな。ベイリフが魔族の手にわたっている以上、軽率な動きが命取りになる可能性さえある。

 それにしても。

「レナス。どうしておまえは……さっきから俺にくっついているのだ?」

「え?」

 彼女は、さっきからずっと……俺の傍を離れないのだ。

 いや。《離れない》というレベルではない。

 腕を絡ませて、ときにはあざとく自分の身体を押し付けて……過剰なくらいに男心を刺激してこようとするのだ。現に同級生(・・・)のバルフだって、レナスにメロメロだったしな。

「そんなの決まってるじゃない♡ 男の人は、みんなこういうのが好きでしょう?」

「そうか。おまえは俺を落とそうとしているわけだな」

「正解♡ そのほうが色々と活動しやすそうだしね~」

「クク、違いあるまい」

 ああ……そうだ。

 良い人ぶる必要なんてない。

 人はみな、どこかしら腹黒い一面を持ち合わせている。

他人の活躍に賛辞を送っている隣人が、心の底では嫉妬の炎を燃やし。

昨日まで親しくしていた恋人でさえ、より素敵な異性に出会った途端、心変わりが始まっていく。

だったら……最初から本音で話していたほうが、気が楽というもの。

「その意味では、俺たちは似ているのかもしれないな」

「へ?」

「自分の本性を晒し出すのではなく、仮面を被って、相手にとって好ましい自分を演じる。俺たちの本音は……どこにあるのだろうな」

「あ…………」

 その瞬間。

 俺を掴むレナスの手が……一瞬だけ、離れた気がした。

 それだけではない。

 妙に大人びている彼女ではあったが、いまこのときだけは――12歳相応の戸惑った顔を浮かべていたのだ。

「ん? どうした」

「ううん、なんでもないの♡」

 そうして再び、俺に腕を絡ませる。

「《R》ってば、とってもかっこいいこと言うのね♡ 惚れ惚れしちゃうわ~」

「…………」

 これは、仮面を被った者同士の。

「……ふ、お褒めにあずかり光栄だ」

 世界を救う物語――になるのかもしれない。

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