レナスが帰ったことで、自宅はようやく静けさを取り戻した。

「ふぅ……」

 俺は大きく息をつきながら、自室のベッドにダイブする。

 ――お願い……! レクターっ……!
 ――バルフ君を助けて……! 

「馬鹿馬鹿しい……。どうして俺がそんなことをやんなくちゃいけないんだ……」

 そりゃ、昔の俺だったら絶対に助けたよ。

 たとえ自分が深手を負うことになろうとも、それでも構わなかった。

 誰かの笑顔。誰かの幸せ。
 それを見ることが、俺にとってなによりの幸せだったから。
 他人の笑顔が、俺のなによりの生き甲斐だったから。

 ――へっへっへ、惨めなもんだなぁ勇者よ。ああ、もう勇者じゃなくて、ただのポンコツか。

 ――嫉妬に狂った元勇者め! 消えろ、目障りだ!

 ――消えろ、消えろ、消えろ!


 その末路が、これだ。

 この世界はクソったれだし、人は愚かだ。
 どこに助ける価値があるだろうか?

 馬鹿馬鹿しい。

 余計なことを考えてないで、とっとと寝るのが吉だ。

 事態はひっ迫しているだろうが、帝都にはまだまだ多くの戦闘員がいるはず。帝国軍も出動すればさすがに状況は変わるだろうし、俺が出しゃばる道理はない。

 けど。

 ――そう……なんですけど、なんだか不思議な感じがするんです

 ――なぜか、レクターならあの魔物にも勝てるような……

 ――このままじゃ私、バルフ君を見殺しに……


「くっ…………!」

 脳裏にレナスの声がこびりついて離れない。

 いったいどうしてだ。自分勝手に生きるって、そう決めたのに。

 それに気になるのはそれだけじゃない。

 もし……仮にだが。

 ベイリフが、この10年で人類の弱体化を謀っていたとしたら。
 10年前ではたいしたことのなかった魔物ですら、人間が勝てなくなっていたとしたら。

 サクセンドリア帝国は、いともたやすく火の海に包まれる。

 だから思うのだ。

 ベイリフはわざとこの状況を作り上げたのではないかと。

「は……ははは……」

 思わず乾いた笑みを浮かべてしまう俺。

 バカバカしい考えだ。こんな手間をかけたところで、ベイリフにはなんの得もない。

 けれど……10年前、俺はたしかに見たんだ。

 魔王さながらの、禍々しいオーラを携えたベイリフを。

 仮に……10年前に勝ったのがベイリフではなく、魔王だったとしたら。
 その魔王が、表立って人類を弱体化させていたのだとしたら。

 魔王たちはほとんど犠牲を出すことなく――人類を制圧することができる……

 その状況を作り上げるために、国中の人々が踊らされているとしたら?

「はは……。馬鹿だな、俺も」

 人々を助けるためじゃない。

 俺はあくまで、俺を貶めたあの馬鹿野郎を追及するために。

「いっちょ、行ってみるか……」

 趣味(・・)で用意していた黒仮面とマントを身に着け、俺は窓から外に出るのだった。

  ★

 窓を飛び降りると、近くでレナスがとぼとぼと歩いているのが見て取れた。

 一刻も早く家に帰ればいいものを――よほどショックだったのだろうか。その後ろ姿はどんよりと沈んでいた。

 まあいい。
 これはこれで好都合だ。

「おい、そこの女」

「へ……」

「魔物のいるところに案内しろ。いますぐにだ」

「…………」
 レナスは数秒だけ目を見開くと。
「……レクター、なにやってるの?」

 ちょっとだけ引いた目で俺を見つめてきた。

 おかしいな。
 仮面には変声の魔法をかけてあるはずだし、バレる道理はないはずだが。

「ふむ……。なんのことかわからないな。私は《R》。レクターという名ではない」

「そうなの? その趣味、レクターにそっくりなんだけど」

「だから何度も言わせるな。私は《R》。名はない」

「…………そう」

 とは言いつつも、なぜかバレバレらしいな。

 レナスは思いっきりため息をついた。

「でも、ありがとうなの。魔物を倒してくれるって……決めてくれたのね」

「……フフ、それが私の役目のようだからな」

「それはもういいって……」

 レナスは再びため息をつくと、急に俺の手を握りだした。

「じゃあ、《R》さん。案内します。――ついてきて!」