ツルギくんとカガミさんには開拓団のテントに戻ってもらった。
……ということにして近くに待機してもらっている。あの子らは想像以上に耳が良く、そして機転が利く。船で交流しておいて本当に良かった。
で、それはさておき、僕はマリアロンドさんと二人きりになった。彼女は話をしたいと言ったものの、中々話が出ない。うんうん唸ったまま、十分近く過ぎ去ろうとしていた。
「えーと、もしかして、結婚のお話だったとします?」
「い、言うな。いや、確かにそうなんだが」
顔を赤らめてマリアロンドさんが咳払いをする。
「……周囲の連中がうるさいのだ。ミレットに先を越されて良いのか、と」
「あー」
「そうでなくとも、さっさと結婚相手を見つけろだの、跡継ぎを作れだの、うるさい連中が多くて多くて本当に困る。オレがどれだけ一族の将来を考えていると思っているんだ。それを横から愚痴愚痴と……」
あっ、相当ストレスが溜まってるご様子だ。
「あー、うん、結婚についてあれこれ言われるの嫌ですよね、わかります。闇雲に結婚しようとしても失敗することはよくある話ですし、自分が責任ある立場であれば周囲のことだって心配になります。「誰でもいいからさっさとしろ」みたいに無責任なことを言われたら困ります」
「そうだろう!?」
マリアロンドさんが俄然盛り上がってきた。
「そもそもだ。あのミレットだって似たような立場だろうに。こっちに対抗したいがために自分の結婚まで利用しようとする。信じられん」
そこはまあ、政略結婚が当たり前の貴族や王族からしたら珍しくない感覚ではあるんだが、マリアロンドさんはそこに忌避感を覚えるのだろう。マリアロンドさんの気持ちもミレットさんの考えもよく理解できる。
ただ現状、僕としてはミレットさんの勢いに流される訳にはいかないのでマリアロンドさんの考えの方に寄り添っている。
「正直、レーア族の人々を差し置いてバルディエ銃士団と友誼を交わそうとは思っていませんよ。僕がどちらか一方に肩入れをすれば、一時的にメリットはあったとしても将来的には良くない。それは分かるでしょう?」
「お前がこちらに肩入れしてくれるのであれば少々のことは目を瞑るが?」
「あら」
「冗談だ。ただそう思わない者も多いがな。困ったことに」
ミレットさん……バルディエ銃士団の思惑に乗らないからといって、レーア族に全面的に味方するという訳にもいかない。そこを族長たるマリアロンドさんが理解してくれているのはとてもありがたかった。
が、少しばかり妙でもある。
「……マリアロンドさんはいいんですか?」
このまま座視していては、ミレットさんは確実に新たな手立てを打ってくる。レーア族を出し抜くために。彼女にはそういうハングリーさがある。彼女の持つ野心は本物だ。自分たちの平和のためには手段を選ばないだろう。
「いいとは?」
マリアロンドさんがきょとんとした顔で聞き返した。
「たとえば、そうですね……一緒に狩りに行くとか、お食事に行くとか。このへんにレストランがないのは残念ですが、僕自身、料理は得意なんです、任せて下さい」
ミレットさんが僕との距離を詰めれば詰めるほど既成事実化が進んでしまう。やがてバルディエ銃士団も開拓民も「あいつら結婚するんだな」という目で見てくる。ただ婚約を申し込みましたというだけではなく、状況の積み重ねが将来を変えてしまう。
であるならば、僕はマリアロンドさんとも仲良くしなければいけない。健全なお付き合いをして、「僕はこの島にいる人と例外なく仲良くしますよ」としなければいけない。
「なっ!」
だが、マリアロンドさんがひどく驚いた。
「あ、ダメですか?」
「そ、そういう交際をしたいのであれば、な、何と言うか、て、手順を踏むべきだ……! まずは手紙のやり取りをするとか……。狩りだって外泊になるし、早い、早すぎる!」
「あ、あのー」
しまった。
思った以上に、マリアロンドさんは生真面目な乙女であった。
牽制のためのデートをしませんかなど、世間の汚泥に塗れた提案をしてしまった自分が恥ずかしい。
「ごめんなさい、マリアロンドさん。軽々と口にするべき話ではありませんでした」
「そ、そうか?」
「ただ、何もしなければバルディエ銃士団が僕らの開拓団に来てより良い条件を提示したり、魅力的な食料や資源などを出してくれたりすることでしょう。そうなるとレーア族の皆さんも対抗しなければならない。お互いに貢物合戦になったら疲弊するばかりです。そうならないために、僕とマリアロンドさんはいつでも気軽に話ができるようになっておかないとまずいんです」
その言葉にマリアロンドさんはきょとんとして、そしてすぐにぶすっとした顔になった。
「……そういう意味か、まったく。オレのような女を口説くとは趣味が悪いと思った」
「あ、いや、マリアロンドさんが魅力的ではないとか、そういう話じゃないです。ていうかマリアロンドさんはお綺麗です。素敵です。立ち振舞いは麗らかですし髪も凄く綺麗ですし」
「だ、だからそういう話に持っていくな!」
「すみません」
「い、いや、不快というわけではない。た、確かにオレも、交際や結婚は考えるべきところではある。オレが結婚相手を探すとしたら、その、お前しかいないというのは頭ではわかっているのだ。ミレットと同じくな」
そう、そこが問題だ。
この島を出ない限り、あらゆる選択が狭められる。生活の質を向上させることはできても、人間の少なさ、出会いの少なさだけはどうにもならない。
「オレは子供なんだ。族長とか、戦争とか、結婚とか、本当はそんなのどうだっていい」
マリアロンドさんが、純朴な少年のようにはにかむ。
彼女は凛として美しく、そして強く、だがその中身はとてもシンプルだ。何気ない微笑みにどきりとしてしまうほどに。
「どうだっていい?」
「ああ。オレは仲間と一緒に楽しく暮らしていればそれで満足だ。槍を持って名誉をかけて戦うのも嫌とは言わん。ただ……つらいし面倒さ。それが、幸せに暮らすために必要だからそうしているだけだ」
「それは……」
「だからこの島にいることも、本当はそんなに不満じゃない。ま、生活が整うまではどうなるかと思ったがな。失望したか?」
「尊敬しますよ」
僕はマリアロンドさんが漏らした思わぬ弱音に、感動していた。
ミレットさんが僕と同じ野心を抱いているとするならば、マリアロンドさんは僕と同じ欲望を持っている。
周囲にどんな風に見られるかなんて、どうでもいい。
日々の当たり前の喜び。朝起きて、仲間や家族と共に食事を取り、そして当たり前に仕事をする。晴耕雨読というほどのんびりしていなくてもいい。ただ、誰かを押しのけ、戦い、あるいは騙し合い、心を削る。そんな王族として、国を憂う者として戦うのは、面倒くさかった。衣食住が足りていない人から見れば恵まれたものだったかもしれない。
「尊敬? 嘘をつけ」
「僕は国から追放されたんです」
「ああ、知っている」
「こんなこと言ったら怒られると思うんですけどね。実は追放されてちょっとラッキーだなって思ってたんです」
その言葉に、マリアロンドさんは驚きの表情を浮かべた。
「……奴隷になったのに、か?」
「ええ。国のために、王のために戦争をするよりも、数百人の飯の心配をしてる方が気楽ですよ。楽しいこともあります。甘い物や酒を作るって目標もできましたし」
「酒か。できたら分けてくれ」
「楽しみでしょう? 僕は平和に、楽しく暮らせるなら、それが一番なんです。巨万の富があっても、誰も彼も平伏させるほどの権力がなくても、当たり前に日々を暮らせないならば虚しいものです」
「王子様は権力に未練はないようだな」
皮肉めいた口調だが、意外そうな顔でもなかった。
僕もマリアロンドさんも、口元に微笑みを浮かべている。
何となく空気が柔らかくなったところで、マリアロンドさんは唐突に話を切り出した。
「ところで、これは内緒の話なんだが」
「はい」
「レーア族が戦場で傭兵働きするのは、それが一番目的地に近道だったからなんだ。故郷の地に」
「レーア族の故郷ですか」
「すでに忘れ去られた話で審議も不確かなことだが……オレたちレーア族は、古代王国の末裔なんだ」
「古代王国の末裔?」
……んん?
何か最近似たような話を聞きましたよ?
「ま、そんなことを言われても信じがたいとは思うが」
「いや、信憑性はありますよ。【魔獣狩り】という特殊なクラスを持っているんですから」
【魔獣狩り】というクラスの存在を、僕はよく知っている。
このクラスはその名の通り、魔獣、そして魔獣を率いる【テイマー】をメタれるレアクラスなのだから。ただ単に強いというだけではない。様々な条件が揃い、真の実力を発揮すれば、防御に徹した僕とエーデルさえも危ういかもしれない。
が、これは秘密だ。ローレンディア王国の、もはや王族さえ足を踏み入れることの稀な書庫の奥の奥のそのまた奥に保管されていた古文書で得た知識である。そこに【魔獣狩り】というクラスはどういうもので、どのように対策すべきかなどの研究結果が残されていた。
どうやら古代王国時代にも今と同様【テイマー】がやたら強い時期があったらしく、そこで【魔獣狩り】というクラスが生まれて対抗したらしい。
今のマリアロンドさんがそうした事実を知っているかは少々怪しい。古代王国の末裔である、ということに若干半信半疑のようだし。
「マリアロンドさんも、失われた古代王国の地を求めているのですか?」
「そうだな、見つけられたらいいと思っている。戦場を求めて流浪する生活にも飽きた。この島から出られるようにもしたい……だが」
マリアロンドさんが意味深に言葉を切った。
「だが?」
「ここも、そんなに悪くないんじゃないか?」
その言葉に、僕にじんわりとした温かいものが広がる。
この人と話せて良かった。
「良い土地にしたいですね」
「……ただ、ここで落ち着くためには解決しなければいけないものがある。相談がある」
マリアロンドさんが、重々しい表情で僕に言った。
「相談?」
「ついてきてくれ」
マリアロンドさんが僕を案内した先は、寝所であった。
そこには十人の男女が寝ている。
いや、寝かされていると言った方が適切だろう。
意識を失っているというほどではないが、全員顔色が良くない。
「感染る病気ではないと思う。この子ら以外に同じ病気が出た人間はいない」
「いつからこうした状態に?」
「嵐の後だ」
「治癒魔法の使い手は?」
「彼女だ。……彼女を中心とした治療班全員が病に倒れた」
マリアロンドさんが、寝ている女性を指さした。
おそらく三十絡みといったところの、痩せた女性であった。この五人の中ではもっともつらそうで、見るからに顔が青い。
ところでこの世界において、病気の脅威は地球より小さい。
魔法があるからだ。
何か体に異物を入れてしまった時の対処は解毒魔法で何とかなる。強力な毒であっても、強力な解毒があれば何とかなるというパワーゲームである。
病気も同様で、病原菌やウイルスが感染した部位に治癒の魔法をかけることで回復してしまう。肺炎なども肺を治癒する魔法で何とかなってしまう。寄生虫だって、寄生した生物を殺す魔法さえある。
例外はガンくらいのものだ。回復魔法をかけると却って進行してしまうので、ガンはもはやどうしようもない死病とされている。
また例外ではない治せる病気だとしても、どうしようもない状況はある。
たとえば、回復や解毒の魔法を使える者がいない時。
「うっ……族長、入ってはいけません……。感染るかもしれないんです」
その時、十人のうちの一人が目を覚まし、体を起こそうとした。
「すぐに出る。無理をせず休んでいろ」
「いえ……。私が回復したらすぐに治します」
「わかった。それまで無理をするな」
マリアロンドさんの言葉に、寝かされてる女性が気丈に微笑む。
だがいかにもつらそうな状況だ。おそらく僕らがいると彼女たちも休めまいと思い、再び元の場所へと戻る。
そして、マリアロンドさんと向き合って事実を告げた。
「……正直、僕の手には余ります」
「そうか……」
マリアロンドさんは、落胆を隠さなかった。
ちょっとした怪我や船酔い程度はともかく、本格的な病気の治療となると流石に力不足だ。申し訳ない。
「流石に僕のスキル程度では、あのような熱病は治せません。船員たちの中に病気治療ができる者かいないか聞いてみますが……」
「難しいだろうな」
「はい。一番確実なのは……」
「言うな、わかっている」
バルディエ銃士団に頼る。
それこそがもっとも正解だろう。
傭兵団は総じて腕の良い医者を抱えている。雇われた軍団が「補給や治療は任せろ」と言っても額面通りに信用するわけにはいかないからだ。敗戦濃厚となれば傭兵などよりも自軍を優先するし、あるいは最初から反故にするつもりの口約束ということもある。だから傭兵団は、回復魔法や解毒魔法の使い手を大事にする。
「本人たちは、単純な水あたりだろうと言っている。実際、症状としてもその程度のものだ」
「川の水でも飲んだんですか?」
「ああ。川を越えようとした時に何人か溺れかかって、救助しようとして飲んでしまった。たまたま近くにいたのが治療班でな……」
なるほど、それなら説明がつく。
だが水あたりと言ってもそれが軽いか重いかなどはわからない。
アニサキスみたいな寄生虫が悪さをしている可能性だってあるのだ。
今のところそこまで重篤ではなさそうだし快方に向かう可能性の方が高いとは思うが、族長たるマリアロンドさんがそれに期待して良いかどうかはまた別の話だ。
「マリアロンドさん。やはりバルディエ銃士団のところに行きましょう」
「しかし……」
当然、マリアロンドさんは難色を示した。
まあさっき殴り込みに行ったところに平気な顔をして戻りましょう、というのは流石に面の皮が相当厚くないと無理だろう。
こういう展開を予期していたならそもそも殴り込みをするなという話でもあるが、僕の身柄をバルディエ銃士団が押さえるのもまた非常にまずい。集団で襲いかからず、マリアロンドさんが単身で助けに来てくれたあたりが妥協ラインだったのだろう。
大丈夫、それで正解ですよ。
完全に関係が決裂してなきゃどうとでもなる。
「なにも、平身低頭で頭を下げてお願いに行きましょうというのではないんです。条件を聞き、相手が欲しがりそうなものををふっかけ、交渉をすれば良いのです」
悪態。
それはきっと彼女の武器だ。
こうした交渉の場においては特技や特徴というものを超え、一種の威力をはらんでいる。
「へーえ、わたくしからの求婚を断って逃げるという恥辱を与えておいて、別の女のために頭を下げる、という訳ですわね」
先ほど来た時の歓迎ムードはどこへやら、バルディエ銃士団のテントは怒りと敵意に満ちていた。
鉛玉を一発も打たれることなくミレットさんに対面できたことは幸いだが、かといって彼らが銃を手放して迎えてくれたわけではない。
ミレットさんは部屋の中央で椅子にかけ、足を組んで肘をつき、魅惑の微笑みをその美しい顔に湛えている。
背中には痛いくらいに彼女の側近の視線を感じる。
流石にマリアロンドさんも気圧されたのか、反論しかけて黙った。
いつ鉛玉が飛んできてもおかしくはない。
「縄を持ち出して縛ろうとするのは愛の証明だったのですか?」
「ええ、もちろんでしてよ。気が変わって受け入れてくれるというのでしたら、考えないこともありませんわ」
ほほう?
意外と交渉の余地はありそうだ。
「解毒や治癒の専門家はおります。数多の戦場で損耗を防いだ熟練の者です。きっとお役に立つことでしょう」
その言葉に、マリアロンドさんの陰鬱な顔がほんの少し明るくなった。
が、ミレットさんは鋭い目で僕とマリアロンドさんを睨んだ。
「ですが、そんな甘い顔を見せるのが二度あるとは思わないことですわね。話を持ち帰るなどというぬるいことを言うなら」
ばぁん、とミレットさんは指で鉄砲の真似をする。
冗談でも何でもなく、撃つつもりだろう。レーア族が弱っているチャンスだ。回復の使い手と族長を全員殺せば、もはやレーア族は組織としての体さえ保てない。むしろこうした交渉の余地を示してくれているだけ優しいとさえ言える。
「では僕が結婚をすれば、ミレットさんは治癒魔法スキルを持った人の支援を約束してくださると?」
「そういうことよ、王子様。旦那様と呼んだ方が良いかしら?」
「ドキドキするのでそこはもうちょっと待ってください」
「待たされるのは苦手ですの。導火線の火が火薬に辿り着いてしまうわ」
「それは揺れる乙女心を詩的に表現したものであって物理的にその通りになるわけじゃありませんよね?」
「詩は自分で綴るより、いただく方が好きですわね。あなたは愛の詩を綴ってはくれませんの?」
だがそれは本当に優しさなのだろうか。
「作詞に必要なのは豊かな感受性と、人や自然を見つめる観察眼です」
「ふうん?」
「少々不思議でした。状況としてはレーア族の方が切羽詰まっているのに、ミレットさんの方が迅速果断です」
「マリアロンド。あなた今、のろまって言われたのと同じですわよ」
「貴様……!」
言葉尻で相手を煽るのやめてほしい。
が、これは余裕の演出であり、話の矛先をずらそうとしている。
「僕を一刻も早く抑える必要があった」
「ええ。あなたはこの島では必要不可欠。迎えようとするのは当たり前でしてよ。そしてあなたもわたくしか、あるいはマリアロンドか、どちらかが必要なはず」
「はい。僕らだけでは開拓団キャンプを守ることも、潤沢な食料も得ることはできません」
「けどそれは、わたくしたちかレーア族のどちらか一方であれば良いはず。むしろ、両方のバランスを取り続ける方が苦労するのではありませんの?」
「そうはいきませんよ。一方が滅んでしまったら和睦の契約がなくなってしまいます。今、ミレットさんに付与されている強化が消えてなくなってしまいますよ」
それこそが和睦の力だ。
無制限な戦闘行為を禁じ平和をもたらす。
そのかわりに力を与える。
この告死島で強力な魔獣を物ともせず蹴散らすことができるのは、和睦の加護が大きく役立っているからのはずだ。
「そんな物騒なこと、するはずがないじゃありませんの」
はぁやれやれとミレットさんは大仰に肩をすくめた。
うっそだー、などと言うのはやめておいた。
「出しゃばることなく慎ましく暮らしてもらえるのであれば、何の文句もありませんわ」
「なるほど、それがお前の望みか。発言権もなく、ただ片隅で縮こまっていろと」
「それが平和であり秩序というものよ」
マリアロンドさんが睨むが、ミレットさんは涼し気な顔でせせら笑う。
「なるほど、一理あります。強力な二大勢力が競い合うよりは、勝敗を決してしまった方が平和がもたらされる……という考えも確かにあるでしょう」
「お前……」
マリアロンドさんがショックを受けたような顔で僕を見る。
が、まだ話は終わってないのだ。ちょっと待ってて。
「ですが、今回のような無理をしないとバルディエ銃士団の方が逆に下の身分になっている可能性もある。違いますか?」
「何の話かしら?」
「鉄」
僕の唐突な呟きに、ミレットさんが訝しげな顔をした。
「鉛。硝石。硫黄。炉。薪。鍛治場。図面。木型あるいは金型。切削工具」
指折り数える内に、ミレットさんの顔色が変わった。
「当たりました?」
「何で知っているのよ」
戦国時代を舞台にした歴史ドラマで火縄銃のことが解説されていたのと、現代地球における製造業の知識でだいたい推測しました。とは流石に言えないのでごまかす。
「銃に興味があって調べたことがあるんです。錬金術とは結構相性が良さそうだったので。それに……僕がマリアロンドさんに確保された時、一発も銃弾が飛び込んでこなくて刃物だけで応戦していましたよね。節約しているのかな、と」
銃というのは消耗品だ。
弾丸や火薬だけではない。少なくとも「告死島から出るまでの十三年」という期間で考えた時、銃本体だって消耗品であると言える。材料を調達し、製作できる環境を整えなければならない。
おそらく、スキルの力で銃を複製することはできるだろう。だがそれもいつかは先細りになる。剣士であれば剣の訓練をしなければスキルも錆びる。僕もスキルを使わずに錬金術や化学実験をしないといけない。
そしてバルディエ銃士団のリーダーたるミレットさんのメインのクラスは【銃鍛冶師】と【銃士】。おそらくミレットさんは、傭兵として集団戦法を鍛え上げるため、前者の方に重きを置いている。
「今言った中で足りていないのは、硫黄か硝石あたりではありませんか?」
しかし【銃鍛冶師】は戦闘系クラスではなく生産系クラスだ。だと言うのに、バリバリに戦闘系クラスでまとまったレーア族と対を成せるほどに戦闘力が高い。器用さでは格段にバルディエ銃士団の方が上と言える。
が、それは潤沢な資源があってこそだ。湯水の如く銃弾が使えるからこその優位性だ。それが失われた孤島においては、むしろレーア族の方が組織として強靭なのだ。しかも銃を作らなければ【銃鍛冶師】としての能力やスキルは錆び、そして団の活動自体がますます危うくなってしまう。
ミレットさんはおそらくそれに気づいていたからこそ、迅速果断に行動した。
「それだけじゃありませんわ。あなたの交渉力がこちらに牙を向くのは嫌なのよ。あ、褒めてるわよ?」
ミレットさんがウインクした。
何ともチャーミングな敗北宣言であった。
ここで僕は、話の矛先を変えた。
マリアロンドさんを説得するターンだ。
「僕はなにもレーア族のためだけにここに来たわけではありません。ここで恩を売るのがお互いに利益となるはずです。マリアロンドさんも、窮地を助けられたとあれば認めざるをえませんでしょう。僕が物資をバルディエ銃士団に補給することを」
「む……」
「バルディエ銃士団は、器用ですよ。おそらく銃の製造や使用で起きる病気……肺に粉塵が溜まったり、眼病になったりした時の対策として、治癒魔法スキルの熟練者がいるはずです。鍛治系のスキルを持ってる人もいるでしょう」
消耗品は銃だけではない。
槍や剣もまたいずれ損耗していくことだろう。
僕は糸や生地を生み出したり、塩などを作り出したりするのは得意だが、鉄を加工するとなると話は別だ。鉄に火入れをして硬くしたり、ある程度形状を変えたりする程度ならともかく、〝〟実用的な製品を作る〟までには至らない。そこはクラス【鍛冶師】や【研師】などの出番である。
お互いに補うことができるはずだ。
「では改めて、話し合いをしましょうか」
僕の言葉に、二人共仲良く苦笑を浮かべるのだった。
ローレンディア王国の王子は多い。
タクトが十三男であり、リーネは八女だ。
国王カーネージには正室、側室、その他多数の妾がおり、総勢三十人ほどの血を分けた子供らがいる。
そして次代の王にもっとも近いと言われているのが長男のバイアンである。
戦狼ブラッドウルフを使役し、一対一の戦いに限定するのであればカーネージ王さえも凌ぐと言われる猛者である。
そのバイアンが、負けた。
突然、属国の多くが反旗を翻し、ローレンディア王国と敵対する国々と連合したのだ。
その中心にいるのがガレアード聖王国の王子、アルゼス。カーネージ王に忠誠を誓い、王女リーネを嫁としてもらった男であった。カーネージの義息子であり、タクトやバイアンにとっては義兄弟にあたる人物だ。その男がバイアンと戦い勝利したことは、ローレンディア王国に衝撃をもたらした。
「あの筋肉野郎が負けちまうとはな。まったく困ったことになっちまった」
ローレンディア王国第四王子ウィーズリーは、言葉とは裏腹に嬉しそうにくっくと笑った。
痩せてはいるが、緩みとはまるで無縁の引き締まった体つき。肉食獣……というより、海に棲む巨大生物のような危うげな目つき。頭の左半分を剃り込み、右半分の赤髪を伸ばした奇怪な髪型。王子というよりは、侠客といった風格の持ち主である。
そして周囲にいる腹心たちも、王子に侍る者としては似つかわしくない野卑な笑みを浮かべる。
「不思議じゃありませんぜ。突撃しか脳のねえやつで、鳥の魔獣も魚の魔獣も馬鹿にしておりやした」
「まったくだ」
げらげらと部屋に笑いが響き渡る。
ここは、ローレンディア王国、ウィーズリー王子直属の青鱗騎士団が所持する砦だ。
港町からやや外れた海岸線に位置するが、決して街から追い出されているわけではない。むしろ街の人々を寄せつけないためにある。騎士団専用の港、そして停泊する何艘もの船。物見台や灯台。防衛のための巨大なバリスタ。
どれも威風堂々たるものだが、どれも青鱗騎士団団長ウィーズリーにとってはさして重要ではない。
ウィーズリー王子、そして青鱗騎士団にとってもっとも重要なのは、彼らが使役する海棲型の魔獣たちだ。魔獣たちが寝泊まりする檻や、海辺の遊び場兼訓練場の方が、施設としてよほど大事であった。
青鱗騎士団にとっての主戦場は、海だ。
陸において誰が勝った、誰が負けたなどという話は興味の外だ。仮にローレンディア王国が敗北しようと、自分らは関係なく海で勝ち続けるという自負があった。むしろ幅を利かせている人間が減るのは好ましいとさえ思っていた。
「そ、そんなことが……」
ウィーズリーの対面に、みすぼらしい中年の男が怯えて縮こまっていた。
そして話を聞いて顔を青くし、今にもむせび泣きそうな有様だ。
「ま、タクトの脱走ごときに構ってるヒマはねえと思うぜ。おめえも当てが外れちまったんじゃねえか? せっかく命からがら逃げおおせたって言うのによぉ。元、青鱗騎士団一等騎士レナン……いや、今は奴隷船長ダブラっつった方がいいのか?」
「ひ、ひいい……」
みすぼらしい男の正体、それは航行中の奴隷船においてバルディエ銃士団とレーア族に倒された船長ダブラであった。
ミレットとマリアロンドの攻撃に晒されて子飼いの魔獣クラーケンもろとも吹き飛ばされ、海の藻屑となった……はずであった。だが、クラーケンはダメージを負いながらも主人を守り、そして帰巣本能に任せてとある場所を目指した。
それこそがここ、青鱗騎士団の砦であった。
「物資を横流しして、ツラぁごまかして逃げた野郎を連れもどしてくれたクラーケンには感謝しねえとなぁ。いやいや忠義者だぜ」
「はっ……はい……仰る通りで……!」
「……で、お前はどう何だ? 忠義者なのか? 裏切り者なのか? どっちだ?」
ウィーズリーの側近が、ダブラの首に刃物を当てた。
それだけでダブラの心は折れた。
ウィーズリーは魔獣を愛し、尊重する。
自分の魔獣だけではなく、手下の飼う魔獣も愛し、甲斐甲斐しく世話をする。
だが、人間には厳しい。
戦争となれば残虐で、周辺の海では海賊などよりもよほど恐れられている。いや、他国の領地や港であれば良心の呵責なく獲物とみなすために、海賊との違いなどない。そして海賊さえもウィーズリーの獲物だ。歯向かうものは騎士だろうが賊だろうが苛烈に戦い、自分の手で拷問することさえも厭わない。
それゆえに荒くれ者たちや海賊まがいの騎士からの信頼は厚い。
「しかしお前、俺の弟を運んでたんだよな? あいつが何かやったんか? それとクラーケンをどうやって呼び寄せた? 隠してる財産は? 横流しした相手は誰だ? 仲間はいるのか?」
「ひっ、ひい……!」
「ひいひい言ってんじゃねえ、さっさと喋りやがれこのクソ野郎が!」
しばらくウィーズリーにいたぶられたダブラは、ありったけの情報を吐き出した。
どこか自分が助かるに足る情報はないかと必死に計算をしながら。
そして、とある情報を話した時にウィーズリーの態度が変わった。
「【調停者】……? タクトの野郎がそう言ったのか?」
「へ、へえ! そしたら突然、バルディエ銃士団とレーア族がやたらと強化されて、クラーケンを一撃で倒しちまいやした……!」
「やるじゃねえかあの野郎。ナヨナヨしくさって好みじゃなかったが、確かに賢いやつだった。バイアンの野郎よりは警戒しとくべきだったな……おい、お前ら! タクトの部下だった文官を締め上げてこい! それとレアクラスの情報も調べろ!」
「へぇ、構いやせんが……全員ですか?」
側近が曖昧にうなずいた。
「察しの悪い奴だな馬鹿野郎。聖王国の反乱。ありゃたぶんリーネが裏を引いてる」
「でしょうな」
側近が、ウィーズリーの言葉にうなずいた。
「ついでに言えば、タクトが外交官どもと裏切らねえように調整してたんだよ。けどタクトがいなくなったからリーネも旦那を止める理由がなくなった。むしろ自分から旦那をけしかけた可能性もある……が、それだけじゃ説明がつかねえ」
「相当な強化がされてるそうですが……それがタクト王子の差し金だと?」
「かもしれねえ」
「いやしかし、タクト王子が追放されたのは一か月以上前ですよ。バフを与えるにしたって普通は効果時間が切れるでしょう」
「そうとも限らねえ。【調停者】ってクラスはおそらく交渉を得意とするレアクラスだ。条件や誓約をつけることで強い契約を結ぶ【テイマー】と似てるんだろう。となれば永続的なバフが発動するのも、アルゼスの野郎がバイアンに勝つのも、どっちにも説明がつく。違うか?」
「あ……!」
側近が話を飲み込み、顔色を変えた。
「じゃあ、あの反ローレンディアの連合の首謀者は、タクト王子……? こりゃ早く陛下に知らせねえと!」
「待て待て待て、そう焦るな」
「いやしかし王子。バイアン王子が死んで、次の王座は誰か争ってるところなんでしょう? さっさとこの情報を教えて功績を上げた方が……」
「功績を上げる前に、多すぎるんだよ王子も王女も。つーか親父だって年甲斐もなく張り切りすぎだ。痛い目見た方がいいんだよ。……いいか、お前ら。ここからの話は誰にも漏らすんじゃねえぞ。騎士団以外の誰かに聞かれたら殺せ」
ウィーズリーは顎に手を当て、にやりと笑う。
側近たちの全員に緊張が走った。
だが、次に放たれたウィーズリーの言葉に、側近たちの表情が一変した。
「反ローレンディア連合にはもうちょっと頑張ってもらおうじゃねえか。俺ぁ陸の土地にはあんまり興味はねえが、他の連中が王になるのも、反ローレンディアが幅を利かせて舐められるのもゴメンだ。ここらで国盗りといこうや」
「おおお!」
「やるしかねえな!」
「ウィーズリー王子万歳!」
側近たちが快哉をあげた。
自分らが支える王子の決意、それは自分自身の栄達を意味する。
そうでなくとも彼らは、ウィーズリーの立身出世を望んでいる。海の魔獣を使役する【テイマー】は、ローレンディア本国においては決して主役にはなれない。
「このままの流れなら反ローレンディアは親父に勝つだろうさ。そのタイミングで俺たちぁタクトを叩いて、反ローレンディアのバフを消す。反ローレンディアと親父さえいなけりゃ俺たちの陸上戦力で十分に勝算はある。うまく行ったら王都はこっちに遷都だ」
ローレンディアの戦争において、海の魔獣は主役にはなれない。この大陸における主戦場は陸だという、ごくごく単純な理由だ。
だが、海の魔獣は陸の魔獣よりも大きくそして強力だ。
その強さが評価されないことにウィーズリーは我慢がならなかった。
そして自分の配下たちも、強さを持ちながらも自分のいた国や騎士団からはじき出された鼻つまみ者ややくざ者、あぶれ者ばかりである。
血気盛んで、残酷で、横暴でありながらも、彼には「自分の魔獣、自分の身内は見捨てない」という美学があった。
それゆえに側近たちはウィーズリーの野心を是とし、心の中であらためて忠誠を誓った。
そして、この部屋にいる間抜けな裏切り者のようにはなるまいと恐怖を抱いた。
「……で、ダブラ。タクトはどこに行きやがった? 大陸の開拓地にゃ行ってねえようだが」
「へ、へえ。あの辺りですと……海流に飲み込まれて告死島に行った可能性が高いかと」
「告死島……。なるほどな。あそこなら追手はこねえ。運がいいやつだ。開拓地とは別の意味で手を出せねえ……普通ならな」
ウィーズリーの言葉に、側近たちが邪悪な笑みを浮かべた。
告死島は十数年に一度だけ海流が変化し、船での行き来が可能となる。それ以外の時期に船で行こうとしても海流に阻まれ、あるいは嵐に巻き込まれて海の藻屑になるだけである。
だが、ウィーズリーたちはわざわざ海上を航行する必要などはない。クラーケンのように海の底を移動する魔獣や、海流など物ともせずに荒波を突き破る魔獣を数多く使役しているのだ。それらの魔獣に自分らを運ばせる手段も、彼らは当然持っていた。
「それじゃ方針が決まったところで作戦開始……って言いてえところだがよぉ。おめえら俺を舐めてんのか!」
今まで嬉しそうに野心を語っていたウィーズリーが、突然表情を変えた。
怒りと殺気が込められた罵声に、全員が緊張と困惑を抱く。
「な、何かご不満が……?」
側近がおずおずと尋ねるが、ウィーズリーは「そんなこともわからねえのか馬鹿がよ」と舌打ちをする。
「俺ぁ騎士団以外の人間に知られたらブッ殺せっつったよな! 俺の目の前で間抜け面晒してるやつが生きてんのはどういうことだって聞いてんだよ!」
「へ……?」
奴隷船長ダブラが、困惑しながら呟いた。
「しかもだ。こいつは禁を破った。モノと金を奪うのはいい。どんどんやれ。だが人を奪って奴隷にすることだけぁ禁止したよな。その時の処罰は何だ? 忘れたのかこのボンクラどもが! てめえらの方が死にてえのか!」
ダブラは、ウィーズリーの罵声が自分の死刑宣告と飲み込む間もなく、側近が抜き放った剣によって速やかに首を絶たれた。
大成功した。
と、思う。
ただスキルでお互いを押さえつけるような契約ではなく、お互いに何を欲し、何を差し出せるのかを話し合った。そしてこの告死島で生きていくためには協調が必要なのだという意識を共有できた。バルディエ銃士団とレーア族が形だけ和睦していた時に比べて、格段に前進したと言えるだろう。
だが、たくさんの宿題ができてしまった。条件が詰めきれていないところもある。考慮から漏れている部分もあるだろう。
だが契約において一番の問題は「結局相手を信用できるかどうか」に尽きる。
ああ、もちろんそれはミレットさんとマリアロンドさんの間に横たわるものではない。あの二人はなんだかんだでお互いを信用している。実力のほどを認めているし、あからさまな嘘はつかないと見ている。
それに、お互いが若い女性でありながら組織の長であるという、似たような境遇なのだ。口に出すところはないが、悩みに共感するところはあるだろう。
何より、僕は二人と胸襟を開いて話ができたと思う。二人は……というより僕らは、闇雲な勢力拡大や過大な栄誉や金銭を求めているわけではない。ただ、安住の地を求めたいだけだ。
そしてこの告死島を開拓して戦争とは無縁の平和な土地を作ることに、異論はない。話し合いが成功したのも、それに寄るところが大きい。
だがその周囲の側近たちが納得するか、相手方を信用できるかは、また別の話だ。少しずつ、日常生活を送りながらも、軋轢が出ないようにトラブルを潰していかなければならない。
「何とも損なお仕事やなぁ」
「自分でもそう思う時はありますね」
「あてには逆立ちしたって無理ですわな。こうやって空を眺めてるのが一番」
「それはそれで才能が要ると思うんですけどね」
今、僕はフォルティエさんの観測所の櫓の上にいた。
誰も見られないので昼寝にはもってこいである。エーデルも心地良いのか、珍しく僕とフォルティエさん二人分が寝っ転がれるよう羊毛をばふんと展開してくれた。
ついでに言うと、この子は意外に口が固い。また観測所は神聖な魔力が立ち込めていて、ツルギくんとカガミさんのスキルも聞きにくいようだ。秘密の話をするにはもってこいであった。
「しかし旦那はんも悪いお人やなぁ」
「そう?」
「旦那はんだけ外とやり取りできるなんて知ったら、ミレットはんもマリアロンドはんも怒るんちゃいます?」
「怒るでしょうね。ただこればっかりは制限も大きいですし、やり取りする相手も限定されます。いつでも気軽に使えるならば暴露もできるんですけどね」
「まあ確かに、知らん方が平和ではありますけども」
「で、来た?」
フォルティエさんがにやりと笑い、櫓に置いてある犬小屋よりも小さな小屋の扉を開けた。
くるっぽう、とシュールな鳴き声と共に、僕の懐にやってくる。
「よーし、いい子ですよ……。今日もちゃんと届けてくれましたね。えらいぞ」
栗粉や豆を挽いたものを餌として与えると、鳩は嬉しそうについばむ。
これは、リーネ姉さんの秘蔵の伝書鳩である。
ごく普通の伝書鳩に見えるが、体力や隠密性、そして正確さにおいては通常の鳩の数倍はある。何より、普通の伝書鳩は帰巣本能に従って自分の巣や家に帰るだけだが、この鳩は天候魔法の使う信号魔法を利用して様々な場所へと手紙を運ぶことができる。僕が天候観測所を作った理由の一つでもある。
ともあれ、頭の中で思い描いていたことがうまく運んでいるという確かな実感があった。
それが、粉々に打ち砕かれた。
「あっちゃあ……これはまずい……」
「ど、どうしはったん?」
フォルティエさんが珍しく慌てて心配してくれた。
いや、珍しいのは僕だろう。常に僕は余裕ある表情を意識してきた。船が難破しそうになっても、嵐が来ても、あるいは求婚されても、それが顔に出ないようにしてきたつもりだ。
だが、こればかりは少々ショックだ。
フォルティエさん以外に見せられる顔ではない。
「ローレンディアが戦争で負けて、領土をかなり取られたようです。いや、奪った土地ですから取り戻されたと言うべきか」
「あらまあ……でも今は遠くの出来事ですさかい、こっちには関係ないんとちゃいます?」
「それが、どうやら親父殿が引退する雰囲気を出してます。次期王と目されていたバイアン王子も倒されて、王位を巡る水面下での戦いが本格化しそうです。加えて、僕が色々と水面下で進めていたことも露見したっぽく……」
「つまるところ?」
「兄弟の中で一番やばい人が、僕を殺しにやってきます」
フォルティエがきょとんとして尋ね返した。
「でも、頼れる姉さん方がおりますやろ。ああ、あてのことちゃいますよ。あては戦いなんてからっきし」
「いや、流石にこれに巻き込むのは申し訳ないと言いますか……」
今まで僕らが対応してきたトラブルとは訳が違う。
こればかりは僕自身のプライベートな問題であり、脅威度も段違いに高い。
「はぁ。なにを悩んでるのか知りまへんが、とにかく相談した方がええんちゃいます? 黙ってるのが一番良くないですやろ」
えいえいとフォルティエさんが僕のほっぺたをつつく。
伝書鳩も真似をして僕をつつく。
くちばしが微妙に痛い。
その痛さは、迫りくる現実を直視しなさいと叱ってくるようだった。
フォルティエさんの助言に従い、緊急首脳会談を行うことにした。
と言っても、開拓団側のテント内に椅子とテーブルを並べただけの簡素な会議室で、お茶と菓子を摘まみながら喋るという大変アットホームなものなのだが。
ちなみにお茶はタンポポ茶だ。タンポポの根をよく洗って乾燥させて煮出すことででき上がる。味わいはコーヒーのような感じだ。カフェインはないので妊婦やお子様でも安心である。
お茶請けは木の実クッキー。栗や胡桃、その他、山で採れた雑穀をあく抜きして粉にしたものを硬く焼き上げたものだ。自然な甘味は美味しいのだがそろそろ精製した砂糖の甘味が欲しい。
「聖王国が中心となって反ローレンディア連合を結成。その流れは分かるが、まさかバイアン王子を倒すほどだとはな……」
「アルゼス王子が中心となっているという話でしたわね? 彼のクラスは騎士の上位クラス、鉄騎兵。あれでバイアン王子を撃破するとは驚きですわね……」
ミレットさんもマリアロンドさんも、戦争の情勢や大陸における実力者の名前は把握しているらしく、僕が端的に伝えただけで状況の異常さがすぐに伝わったようだ。そして、当然の疑問が出てきた。
「今まで誰も倒せなかったバイアン王子とその魔獣を、戦闘力で劣るはずのアルゼス王子が倒した。何か裏があるな」
「反ローレンディア連合が結ばれたのも気になりますわね。確かにローレンディアに辛酸を舐めさせられてきた国ばかりではありますが、彼ら同士での諍いや戦争もあったはず。裏切りや内部崩壊を防ぐなにかがあった……と見るべきですわ」
そして疑惑の目の矛先は、僕であった。
勘のいいお姉さんは好きですか。僕は好きです。
「いや、まあ、ご想像の通りです。とはいえ成り行きに任せた結果でもありますが」
「これだけの世界的な陰謀を、成り行きで?」
ミレットさんが「マジか」みたいな顔をしている。
「まず僕の王子……元王子としての立場から言うと、親父殿が大陸を平定するならするで構いませんでした。誰かが勝者になったならば、その後の平和を保つのは後進の仕事。そこで僕や文官たちが力を発揮して平和な国造りができるのであれば、それもまた良しかなと」
「だが、そうはならなかった」
マリアロンドさんが重々しく言葉を放つ。
僕は静かにうなずいた。
「結果として僕は冷遇されました。それだけなら良かったのですが、文官軽視、奪った土地の安堵に興味を持つ者は少なく、次の報奨となる土地や恩賞を求め、次なる王座が誰かに腐心する。はっきり言ってこれはまずいな、と。親父殿が勝ちを続けても、十年後、二十年後はどうなるか怪しい。だったらもう、義兄にこの大陸の平和をお任せした方が良いかと思いまして」
「思いまして、で国家情勢を左右するの怖いのですけれど」
「言葉が軽い。もっと重々しく言ってくれ」
あ、本気でドン引きされてる。
ちょっと傷つくんですけど。
「ともかく、わたくしたちと同じように各国の重鎮に和睦の調印をさせた……という訳ですわね。よくもまあ取りまとめられましたわね……」
「僕がやったのは契約書の用意とスキル発動くらいですね。具体的に交渉を取りまとめたのはリーネ姉さんとアルゼス義兄さんの力ですし」
調印したのは義兄アルゼスの他に、大燕帝国第一皇子燕火眼、ヴェスピオ連合国盟主ゴルドバン、サグメナ公国首相ルイード、魔導王国ヴェラード女王ヴィネシャム。
性別、年齢、民族や文化がまったく違い、しかもこれまで何度か戦争をしたこともある国の首脳同士をまとめるのは凄まじく大変であった。
僕が担当したのはルイード首相とヴィネシャム女王だけだったが、二人とも「まあこのままローレンディアに支配されるのはつらいな」「同盟内で裏切りを心配しなくていいのは助かる」という危機感とメリットをすぐに共有できたので、相当スムーズに話がまとまった。
だが燕火眼とゴルドバンは非常に険悪だった。隣接する国同士で領土問題や賠償問題など様々な事情や軋轢があり、王族や重鎮以上にお互いに国民感情が非常に悪い。ここを水面下で取りまとめたリーネ姉さんの交渉力はちょっとおかしい。怖い。
リーネ姉さんは明晰であるだけではなく、実のところとんでもない人たらしだ。ローレンディアの文化に染まりきってリーネ姉さんに敵対しなくて本当良かった。彼女には幼少期に地球由来の知識をぽんぽん与えていたのだが、今になって思うと怪物を育てていたようなものだと思う。
「ま、ともあれローレンディアは今までより相当規模を小さくするでしょう。均衡状態による平和が数十年……うまく行けば百年以上続きます」
「それはお前が生きている限り、という話だろう?」
「あ、わかります?」
「契約を保証する人間やスキルが失われたら効力は消える」
「ええ。ですので追放されて開拓地に送られることは、実は都合が良かったんです。大陸からはあまりに遠すぎて暗殺者さえ簡単に送り込めませんから。そして紆余曲折あって、開拓地ではなくこの島にいる訳です」
バフというものは、付与した術者の力に大きく依存する。
戦う者と付与する者に別れて協力することで、一人一人が個別に戦うことでは得られない大きな力を持つことができるが、逆に言えば狙うべき弱点というものが誰にでも分かる。僕が和睦スキルで用意した契約書に調印しても、発動タイミングは僕が「決して狙われない安全な場所にいること」という条件がついていた。
非常に皮肉な話だが、親父殿がローレンディアの未来を思って僕を追放したことが、逆に自分自身とローレンディアを追い詰めてしまった。
「ともあれ、種明かしはそんなところです。それじゃ次の議題に…‥‥」
「待った。大事なことを話していませんわよ。その手紙、どうやって手に入れたんですの? まさか時空操作や瞬間移動のような神霊じみたスキルを持っているわけではないでしょう?」
時空操作とは、この世界に降り立った神々のみが使えたと言われるスキルだ。
当然、人間の身で使うことはできないし、実例を見たものなど生きている人間はいないだろう。
だが、存在そのものを疑う者は少ない。劣化版のスキルならば普通の人間でも使えるからだ。
それは、アイテムボックスやウェポンボックスだ。
「そんな高度なスキルではありませんよ。【テイマー】の応用です」
「……まさか、伝書鳩のように魔獣に運ばせたのか?」
伝書鳩そのものですけどね。
ただの鳩と思わないのも道理ではある。海を横断して告死島に辿り着くなど、強靭な鳥の魔獣でもない限り不可能と思うだろう。だが実際は知力体力隠密性能を鍛え上げた、ただの鳩である。
というか、手紙を送る以外のこともおそらく可能だ。野良の鳩やカラスかと思いきや姉さんの放ったスパイだという可能性はある。様々な国際情勢を把握して交渉を有利に進めたり、僕に迫っている危機を察知できたりするのは、そういう能力がないと説明できない。
今回のウィーズリー王子の件も、ただ来るという情報のみならず、大雑把な魔獣の数やウィーズリー王子の得意技など、喉から手が出るほどに欲しい情報が手紙に書かれていた。
しかし手紙の情報はともかく、伝書鳩の性能については話せない。
フォルティエさんのように秘密を共有するコンサルタントではなく彼女らは同盟相手だし、姉さんの力を提供できる訳でもない。何より姉さんの立場が危うくなる可能性もある。
「すみません。言えません。ただ僕の都合で便利に何度も使えるものではない……とだけ言わせてください。可能だったらもっといろんな情報のやりとりを密にしていますが、そういう訳にもいかないんです」
「まあ……そんな便利な通信網があるならお高いのでしょうしね」
「それもありますし、海の警戒網が格段に上がりました」
「警戒網?」
僕の言葉に、マリアロンドさんが不穏なものを察知したようだ。
「……ここからが本題です。前置きが長くてすみません」
「本題? 大陸の事情を共有できたのは助かるが、あまり関係ないだろう。まだまだ我々はここから出られないし、大陸側も容易にこちらには来られまい」
「こちらから出ることは難しくとも、敵がこちらに来ることはできるんです。僕が反ローレンディア同盟の要であることが、兄のウィーズリー王子にバレました」
その言葉に、二人がひどく顔をしかめた。
「あの海賊王子か」
「一番嫌な名前が出てきましたわね……」
ウィーズリー王子。
海の仕事をする者で彼の名を知らない者はいないだろう。ローレンディア以外の海に面している国すべてで蛇蝎のごとく嫌われている。
長兄バイアンを筆頭に、他の王子は何だかんだで戦場の名誉や体面を気にして、苛烈な戦争を好んでも一線を越えた非道には至らないことが多い。まあ、戦争以外にあまり興味がなくて戦勝後の交渉でキツすぎる条件をつけたりぼったくりすぎたり無自覚な非道はやらかしがちだが。
そんな王子たちがいる中で、ウィーズリー王子の行動原理はヤクザそのものだ。外国の商船は躊躇なく襲う。ローレンディアの船であれば海の魔獣から助けたりもするが、そのかわり積荷と金と人員を奪ったりもする。魔獣の訓練と称して、子飼いの海の魔獣を連れて外国の港に喧嘩をふっかけたりもする。
そして、そんな荒っぽさがありながらも実に計算高い。略奪をする時の引き際は鮮やかで、問題を起こすと厄介になる豪商の船はあえて狙わず護衛料を徴収するのみ。法的な問題や素行の悪さが指摘されても、金と暴力をちらつかせつつ言葉巧みに切り抜けてきた。
だがもっとも恐ろしいのは、海上戦力という意味では大陸最強と言って良いことだ。マリアロンドさんとミレットさんが二人がかりで倒したクラーケンの軍団を組織している。その他にもデスシャークなどの強力な海の魔獣を数多く使役している。
ここが大陸ではなくもっと小さな島国や群島であったとしたら、ウィーズリーは名実共に最強であっただろう。
「……無理ね。確かにわたくしたちは強くなりました。個々の強さで負けるとは言いませんが、物量はウィーズリー王子が圧倒的に上でしょう」
「そうだな」
ミレットさんもマリアロンドさんも、やれやれと溜め息をつく。
「拠点を移そう。このまま島の内陸側を探索すべきだ」
「馬鹿ね。奥に行けば行くほど強い魔獣が出るのをお忘れ? わたくしたちでも勝てない魔獣が出る可能性だって低くはないですのよ。わたくしやあなたでしたら生き残ることができても、非戦闘員がついていけるはずないじゃありませんの」
「だったらお前こそ建設的なことを考えろ!」
「籠城ですわね。海を跨いでの遠征なら時間も資源も限られるはずでしてよ」
「籠城? 城や砦をこれから作るというのか? 石も鉄も満足に手に入らないんだぞ。木材しかないのだから火を放たれたら一巻の終わりではないか」
「それをこれから考えれば良い話ですわ!」
僕そっちのけで二人は喧々諤々の議論を始めた。
一方がアイディアを出せば、一方が舌鋒鋭く不備を指摘する。
僕そっちのけで議論に夢中だが、どうしても言わなければいけないことがあった。
「ええと……一応言っておきますが、ウィーズリーの狙いは僕だけですよ。僕を差し出せば丸く収まる可能性もあります」
「あ?」
「は?」
その言葉に、二人がきょとんとした。
マリアロンドさんはやれやれと露骨に肩をすくめ、ミレットさんは嘲笑の笑みを浮かべる。
「オレは傭兵だ。売り物は暴力。戦況は見極めるし敗戦濃厚となれば雇い主に撤退を進言するとも。だが最初から裏切って逃げるつもりの者は傭兵ではない。ただの臆病者だ」
「あなたを差し出せばわたくしたちは助かる? あの悪名高い海賊王子がそんな行儀良いとお思いかしら? わたくしたちやレーア族はもちろん、スキル持ちの平民や星見教団の巫女までいるんですわよ。舌なめずりして全員奴隷にしようと目論むに決まってるでしょう?」
「そもそもここは、オレたちが開拓した土地、オレたちの領土なのだぞ。そこに襲いかかってくるならば全力で迎え撃つのが礼儀というものだ」
「あらマリアロンド、珍しく気が合いますわね」
……まいったな。
どうやら二人共、引く気はないようだ。
「奴隷船から逃げて以来の付き合いじゃないか。あまり寂しいことを言うな。ごちゃごちゃしたことを考える前にもっと素直になれ」
「こういう時はあなたの愛しい婚約者を頼っておきなさい。海賊を倒した後に、海が見えるレストランでプロポーズしてくれたらそれで十分ですわ」
半分冗談で、そんなことを言われた。
顔が赤くなる。恥ずかしい。
「何か……ありがとうございます」
「珍しく照れているじゃないか、少年」
「動じない普段の王子よりも、そっちの方が年相応でしてよ。まだまだお子様ね」
「いえ、その……」
二人共、僕が動揺するのを見て仲良くくっくと笑っている。
いや、艶めいたことを言われたのが恥ずかしいというより、嬉しい。
恥ずかしいのは、僕自身が損得勘定ばかりで彼女たちと話をしていたことだ。
交渉以外の話をあまりしてこなかった。
いや、日常生活の当たり前の会話でさえ交渉のように捉えていた。
それは決して悪いことではなかったと思う。みんな余裕がなかった。自分はみんなの利益を代弁しなければならず、それはここにいる二人も同じだ。意図的に敵対を避け、利益を掲げて「仲良くしましょう」と主張した。
だから「ごちゃごちゃと考えるな」と言われたのは、虚を突かれたような気分だった。
「あたくしの魅力に今更気づいたなら、態度で示してくれてもよろしくてよ」
「少年はお前のあざとさなど承知してるだろうよ」
もちろん、恋愛感情や恋人として扱ってくれたなどと思っているわけじゃない。だが、部族や組織の長が、友情や仁義といったもので重要な決断をするはずがないと、心の中で思っていた気がする。
「魅力的ですよ。お二人共、そこらの舞踏会でさえ目にすることはできないでしょう」
「この女と並べられるのは不快ですけど、ま、良いでしょう」
「こっちの台詞だ」
二人の皮肉や悪口の応酬も、出会った頃のような殺伐さが薄れてきた。
いろいろあったが、ここまで来られて良かった。
「……マリアロンドさん。ミレットさん。助けてください」
「ああ」
「よろしくてよ」
「つきましては、ちょっとしたアイディアがあるのですが」
その言葉に、二人はきょとんとした。
だが具体的な話を進めるうちに、二人は何とも嫌そうな顔を浮かべた。
申し訳ないが、助けに応じてくれた以上はできる限りのことをやってもらう。
僕の思いついた作戦は、感情的な話はともかく、絶対に有効であると言えるものだ。
「……やっぱりあなた、性格が悪いわね」
「まったくだ」
二人共、渋面を浮かべていた。
無茶な注文をまたしてしまったな。
「すみません、性分なので」
二週間後のことだった。
海がざわついている。
空模様以外の理由で近海で何かが起きており、フォルティエさんは慌てふためいていた。
「めっ……ちゃめちゃ、気持ち悪いです。おえっ」
「すみません、もうちょっと頑張ってください」
ここは告死島のとある山端に急遽建設した、第二観測所だ。
と言っても、最初に作った観測所と同じく、お祭りで作られる櫓のような簡素なものである。物見台といった方が適切だろう。
そこでフォルティエが目を回していた。
星見教団の教徒や巫女は、人為的なスキルや魔法によって天変地異を起こされるのを嫌う。通常とは違う動きのため非常に読みにくく、外してしまうことが多い。それをあえて捉えようとするのは非常に難しい。
門外漢にはわかりにくいが、現実に起きた事象が理論や予測から外れていて〝気持ち悪い〟という感覚を覚えるらしい。プログラマーみたいだな。
だがしかし、これが意味するものは気持ち悪いだけではすまない話だ。数百人の命がかかっているので、申し訳ないが頑張ってもらう。
「あー気分悪。低気圧よりひどいですわほんまに」
「で、実際どうなってる感じですか?」
「海の魔獣が寄せ集まって、何かやらしい儀式してる感じですわ。あーもう、先の予測がごちゃごちゃになるし頭がぐわんぐわんするし、ほんっとやめてほしいんやけど……」
「その儀式は何を呼び寄せますか?」
「……台風と津波。このままだと三日後に島に上陸しますわ。先に津波が来て、半日くらいして嵐が島を斜めにぶつかってくる感じかと」
「一番嫌な当て方してきますね。手慣れてる」
我が悪辣なる兄ウィーズリー王子のやり方は、非常にシンプルな思考だ。
彼とその部下たちは、海の魔獣を使役している。彼らが陸で戦うためにはどうすれば良いか。
海にしてしまえば良い。
ニ十メートルの高さの荒波を海岸にぶつけ、間髪入れずに大雨と暴風を流し込む。そうすれば数日間は砂浜は海底となる。クラーケンなどの軟体動物型の魔獣は縦横無尽に活躍できるだろう。もちろんそれでも高さの制限はあるが、海岸そのものにダメージを与えられる時点で威力は凄まじい。ここがキャンプではなく整備された港町であったならば、この一当てで一巻の終わりだっただろう。
流石にここまで乱暴で豪快な戦術を取るのは告死島が無人島で僕ら以外に住民がいないからだろうけど、あえて言わせてほしい。
「あいつ頭おかしいんじゃねえの?」
「おや、珍しく口が悪うなっとります」
「悪くもなりますよ。あーあー、めちゃくちゃですよこれ……」
「きっちり避難しといて助かりましたなぁ。恐ろし恐ろし」
ウィーズリー王子が襲来するとわかって、僕らはすぐに行動を開始した。
それは、避難と訓練だ。
避難訓練ではない。
本番の避難と、戦闘のための訓練である。
「おいタクト。どうなんだ?」
「そうよ! どうなのよ!」
ツルギくんとカガミさんが僕を問い詰める。別に二人は焦ってる訳でも怒っている訳でもないと最近ようやく分かった。単にせっかちなだけなのだ。
「予定通りですよ。これから来る嵐については、前に来た時よりも楽に対処できるでしょう。以前の嵐のおかげで地すべりのなさそうなところは把握できましたしね。お二人は何か異常を感じたりしました?」
「ない。鳥がちょっと多いくらいか」
「海の魔獣が近づく感じはしないわね」
「よし、予定通りです」
避難は滞りなく進んだ。
ウィーズリー王子の子飼いの魔獣の数を予測し、そこから津波の到達する高さを予測し、避難先を設定。ミレットさんとマリアロンドさんが主体となって、避難先の山岳部の魔獣を掃討。そして船長代理を中心にキャンプを設営という流れだ。
津波の到達を見届けた後、僕はフォルティエさんたちと共に新たなキャンプに戻った。
山に住む魔獣に立ち去ってもらい、木を伐採するというSDGsに喧嘩を売るような開拓をしてしまったが、こればかりは生存競争なので許してほしい。
「おせーよリーダー! 助けてくれ!」
帰ってくるなり、船長代理のエリックさんが悲鳴をあげていた。
「どうしました?」
「エーデルがご機嫌斜めだ。糸を出してくれねえ」
「あらまあ」
木を伐採して作った広場の中央で、エーデルがでんと座っている。
その周囲に綺麗所の女や綺麗所の男がエーデルの毛を梳いたり、水や草を与えたりとご機嫌を取っている。
「どうしましたエーデル。疲れましたか?」
「めぇ!」
「あー。働きすぎだから適度にみんな休憩しろ、と」
「めぇ」
「それであなたが王様気分で休んでどうするんですか。その姿を見習えと?」
「めえ!」
えっへんと胸を張るようにエーデルがうなずいた。
確かに、エーデルの言う通りでもある。これ以上気を揉んでも仕方ない。計画が滞りなく進んでいるのであれば、プラスアルファを求める気持ちはよく分かる。相手は自然災害を操る、海で最強の男だ。どれだけ準備しても、足りないかもしれないという不安に駆られる。
前に嵐に遭遇した時、事態の危険度を察知したのはおそらく僕とフォルティエさんくらいのものだった。元船員たちはある程度危機感を共有してくれたが、どちらかというと〝僕が倒れるとまずい〟という危機感の方が大きかっただろう。陸上で嵐に遭うという事態をリアルに想像できた人は少ない。
だが今回は、元船員たちのような海の人間たちであれば誰でも知る恐ろしい嵐、一度経験した嵐、そしてウィーズリー王子という恐怖のネームバリュー。全員が疲労を無視してでも積極的になる理由はいくらでも揃っている。
「今回は僕以外が働きすぎですね。一時間休憩を入れて、そこから気を引き締めてやりましょう」
「で、でも……大丈夫かしら?」
おずおずと質問したのはラーベさんだ。エーデルはラーベさんに毛を刈ってもらったり梳いてもらったりするのが好きらしく、よく懐いている。ラーベさんもエーデルの毛のみならずエーデルそのものも嫌いではないのか、よく面倒を見てくれていた。僕が忙しい時にいちゃいちゃして大変ずるい。
「ここは地盤がしっかりしていて地すべりが起きないことは確認できています。前回の嵐の痕跡もまるでないですし山そのものの保水力が非常に高いので、テント設営もそこまで過剰にやらずとも大丈夫です。安心して」
「そ、そう?」
「むしろいつも通りにしましょう。明日の本番も、この調子ならまったく問題ありません」
そこに、船長代理が不安そうな声で尋ねた。
「大丈夫なんだな? ウィーズリー王子は半端じゃねえ。海では百戦百勝の化け物だ」
「ええ。これが海上であったならば僕もお手上げですよ。しかしここはすでに僕らのホームグラウンド。死地に足を踏み入れるのは彼らです」
自分で言っておいてなんだが、流石にこれは大言壮語である。
正直ちょっと博打だ。だが勝算がないというのも嘘だし自信はある。今更そういう不確定要素を言っても仕方がないのだ。できるだけの不安要素は潰した。もはや全員、自分のコンディションを整える方が大事だ。
「よ、よし……! 頼んだぜ……!」
「ところで、バルディエ銃士団とレーア族はどうですか?」
「あー……うん、まあ、大丈夫だろうよ」
「問題がありますと言わんばかりの表情で言われても」
僕の言葉に、エリックさんが肩をすくめた。
「タクトよ。そりゃ、あいつらに連携して戦えって言うお前さんが無茶だぜ。最初からわかってんだろ?」
「ええ。でもそれこそが絶大な力を発揮します」
「だったらちょっと殴り合いが起きるくらいは計算のうちだろ。多少の揉めごとの範囲内って意味なら『まあ大丈夫』としか言えねえんだよ。失敗してどうしようもねえとか、やる気がねえとか、そういうのはねえな。あいつらに負けてらんねえって感じの喧嘩だから大丈夫と思うぜ」
今、バルディエ銃士団とレーア族は、作戦の要となる必殺技を訓練してもらっている。
テント設営は非戦闘員に任せて、最後の調整中だ。もはやあれこれと言うこともあるまい。
「良かった。じゃ、安心ですね。こっちは枕を高くして寝ましょう。明日のために」
そして、決戦は刻一刻と近づいてきていた。
◆
暴風。
高波。
豪雨。
ウィーズリー王子の必勝の策に打ち勝った者は誰一人としていない。
それはただ単に環境を利用しているだけではない。ウィーズリー王子はテイマースキルを持つ部下たちを完全に掌握し、そして部下のテイマーを通して海の魔獣たちに一糸乱れぬ行動をさせるという確かな実力に裏打ちされたものだからだ。
今、告死島の近海に、百匹のクラーケンが集合している。それ以外にも、一時的な飛行を可能として陸上生物からも恐れられる大鮫、デスシャークが十匹。絶対の防御力を誇る巨大亀、フォートレスタートルが五匹。テイマー以外の千の兵も、魔獣に牽引された船の上に控えている。魔獣の強力さを考えれば、一都市どころか一国に戦争を仕掛けることのできる凶悪な布陣である。
今、ウィーズリー王子はフォートレスタートルの甲羅の上に築いた陣地の椅子にかけ、油断なく告死島を睨みつけていた。
「そろそろ攻めるか」
「戦争になるほどの戦力が残ってるとも思えやせんが。あのおしゃべりの腑抜け、タクト王子でしょう?」
「かろうじて戦えるのはレーア族とバルディエ銃士団だけって話ですぜ。クラーケン一匹倒すのに苦労する程度の腕前じゃ、恐れるこたぁねえでしょう」
「銃とかいう珍妙な武器を使ってるようじゃたかが知れてますぜ」
「レーア族も槍を突くばっかりで能なしって話だ」
側近たちが嘲笑する。
だがそれにウィーズリー王子は鉄拳と叱責を与えた。
「馬鹿野郎! 相手を舐めてかかるんじゃねえ!」
「へ、へいっ! すいやせん!」
「腑抜けかもしれねえが隠し玉は持ってるかもしれねえ。あのレーア族とバルディエ銃士団もいる。いいか、遊ぼうと思うんじゃねえ。本気でやれ。野郎ども! 進軍開始だ!」
ウィーズリー王子の声が海原に響き渡り、兵士たちもそれに応えるように蛮声を上げた。
海の魔獣たちが大地を蹂躙すべく海を征く。
津波と豪雨によって浜辺は完全に水没しており、平原であった場所には大きな川が生まれ、わずかに残った大地も湿地と化している。水分が充満し、クラーケンやデスシャーク、フォートレスタートルが告死島を蹂躙する……かに見えた。
「グロロロロロ……!」
「ゴアアアー!!」
その時、島の奥の方から思いもよらぬ咆哮が鳴り響いた。
木をなぎ倒し、土煙を上げ、怒涛の勢いで何かが近づいてくる。
「なっ……キングオックスだと……!」
「イビルプラントの群れだ! どうなってやがる!?」
「くそっ、応戦しろ!」
島の内部から湧き出た魔獣が、次々と海の魔獣に襲いかかってくる。
「もしかして、島の魔獣を刺激しちまったんじゃ……。告死島の魔獣はやたら強いって噂ですし……」
「馬鹿野郎! 今までこんなことはなかっただろうが! 大体、魔獣の巣や住処ごと流したならこっちに反撃する余裕なんざあるはずねえだろう!」
「あっ」
ウィーズリー王子の言葉に、側近がすぐに我に返った。
側近が冷静に考えをまとめる前に、ウィーズリー王子がすぐに予測を立て始める。
「……そう。事前に魔獣を手懐けて避難させた奴がいるんだ。そうでもねえと考えられねえ」
「し、しかし、テイマースキルじゃそう何匹も使役できるもんじゃありやせんぜ」
「からくりはどうでもいい。とにかく陸の魔獣ごときに負けてんじゃねえ。前線を立て直すぞ」
「へいっ!」
ウィーズリー王子が冷静に指示を飛ばす。
そもそもウィーズリー王子はこの島に長居する気はなかった。目標を達成したらすぐさま帰投するつもりだったのだ。
この作戦は電撃的に勝利を挙げることに意味がある。最初に魔獣どもの魔力を大胆に消費させて、上陸してからの攻撃の時間を短くすることこそ肝心であった。力を出し惜しみして長期戦にもつれ込んだ時、補給の限られているウィーズリー王子側が不利になりかねない。
だが、上陸してから三十分ほど経ったが、未だに作戦目標を達成できていない。魔獣同士の戦いに膠着状態が訪れた。
「まさか、読んでやがったのか……? 攻めてくることだけじゃねえ。こっちの情報が」
そう思った瞬間のことだった。
雷鳴のような音と光が、戦場に響き渡った。
「何だ!?」
ウィーズリー王子が、その音の発生源を探す。
だがそれよりも先に異変が起きた。
クラーケンが、その大きな蛸型の魔物の頭部が、大きな穴を開けられていた。
そして中の墨袋や体液をこぼしながら、どうと倒れる。
おそらくは魔法か何かの遠距離攻撃。
しかし誰もがその正体を掴めずにいた。
「くそっ、あれだけの威力の攻撃だ! 連発はできねえ……」
「第二射、撃てー!」
ウィーズリー王子の期待を裏切るように、凛とした声が響き渡った。
そして今度こそウィーズリー王子は、その音の発生源を突き止めた。
海の魔獣たちが密集する場所から数キロ離れた先にある山間の森。
木々で隠蔽した砦と、砲台が築かれていた。
そこには、今まででは決してありえない光景があった。
レーア族の戦士たちが、バルディエ銃士団によって用意された銃や砲を構えている。
決して手を取り合うことのなかった傭兵団が緻密に連携し、凄まじい火力を生み出している。
ウィーズリー王子の目に映る距離ではなかった。だがそれこそが魔獣たちが倒される原因であると天性の勘で察知し、猛烈な敵意をもって睨みつける。
「あそこだ! てめえら、無様にうろたえてんじゃねえ! 敵を倒すぞ!」
「し、しかし王子! 火力が激しすぎます! 突っ込めません!」
「亀を前に出せ! 他の魔獣は後ろから続け! 白兵戦に持ち込め!」
ウィーズリー王子が叫ぶ。
決して恐れず果敢に立ち向かうウィーズリー王子は強く、しかし、間違っていた。
天候を操るというもっとも強力な作戦が破れた時点で、ウィーズリー王子は去るべきであった。
◆
話は、二週間前に遡る。
リーネ姉さんの伝書鳩の手紙が来た段階で、僕の頭の中には「どうやってウィーズリー王子に勝つか」という絵が描かれていた。
だがそれを達成するためには大きな困難があった。
一つは、テイマースキルではなく、和睦によってこの島の魔獣たちと一つの契約を交わすことだ。
なので、「津波が来て草原も森も被害が及びます」「一緒に侵略者をブッ倒しませんか」という話を、エーデルを通して魔獣たちに伝えてもらった。実はエーデルは魔獣として非常に格が高い。他の魔獣に何か命令や使役をできるような権力や権威を持っているわけではないが、エーデルが「とりあえず話を聞いてくれ」と訴えれば、門前払いすることもできないらしい。
ちなみにテイマー関係でもっとも格が高いのはリーネ姉さんの使役する聖鳥シルバークレインだ。シルバークレインは魔獣以外のそのへんのカラスや鳩でさえも言うことを聞く。よって姉さんは伝書鳩などの通信網を支配する大物フィクサーだったりする。
まあともかく、エーデルによって魔獣たちと話すことができたが、僕自身は交渉が成功するとはあまり思っていなかった。すでにレーア族やバルディエ銃士団は魔獣を狩ってその肉を食べて生活しているのだ。厚かましいお願いにもほどがある。せめて津波の原因は僕らじゃなくて海から攻めてくる人たちですよ、という話さえ理解してもらえるなら御の字だった……が、意外とすんなり話は通った。
魔獣は魔獣同士で戦い、食い、食われる関係にある。僕らがよそ者であるということに反感を示す獣も多かったらしいが、純粋に戦った結果として食ったり食われたりする分には文句も言えないらしい。魔獣たちは「負けた奴が悪い」というハードな世界観で生きている。そのかわり、魔獣の方も遠慮なく人間を襲うつもりのようでもある。平和主義の僕としては思うところもあるがそこは仕方ないだろう。
そして島の魔獣たちは、僕らという新入り移住者よりも、「海の魔獣がこの島に津波や嵐を呼び寄せて襲ってくる」ということに怒りを覚えた様子であった。
告死島の魔獣は、人間とはまた少し違ったナワバリ意識を持っている。海と陸だ。ただ餌を取るために一時的に境界を侵す分には問題にはならないが、群れや軍団が境界を侵して戦争まがいの行為を仕掛けるのはいろいろとまずいらしい。この島の最奥には〝島の主〟とも言うべき凶悪な魔獣がおり、一方でこの近海にも〝海の主〟とでも言うべき凶悪な魔獣がいる。彼らの逆鱗に触れてしまえば島も海も滅茶苦茶になるほどの魔獣同士の戦争が起きてしまうのだそうだ。
と、説明が長くなったが、魔獣には魔獣の理があり、海からやってくる敵には「かかってきやがれこの野郎!」というスタンスなのだ。海から来た敵を撃退するまで、人間と陸の魔獣は戦わないという条約も締結できた。山岳部に一時的に砦を作りたいという申し出もうまく行った。
残る課題は、バルディエ銃士団が武器を作り、レーア族がそれを使用する戦法を確立することだった。
僕は、マリアロンドさんとミレットさんとの打ち合わせ中に、とある話をした。
レアクラス【魔獣狩り】、そしてレアクラス【銃鍛冶師】の真の力について。
「……つまり、こう言いたいわけね。わたくしたちに、あの連中が使う武器を作れ、と」
「そういう訳です」
この二つは、あらゆるスキルを網羅していた古代王国においても最強格の組み合わせと伝えられている。少なくとも、今のこの大陸を支配しようとしている【テイマー】クラスをメタれるはずである。
【魔獣狩り】とはただの戦闘職ではなく、魔獣に対して効果を発揮するクラスだ。
強力なクラスではあるが無敵という訳でもなく、たとえば剣の腕前など、剣技を極めた剣士には至らない。マリアロンドさんが槍を得手としているのはあくまで槍士のクラスも持っているだけの話だ。
本来はあらゆる武器を使用して魔獣を追い詰める集団戦法による狩りこそがクラス魔獣狩りの真骨頂なのだ。ただ、この島において集団戦法をするために欠けているものがある。装備だ。
一方、ミレットさんのクラス【銃鍛冶師】とはその名の通り銃を作るクラスであり、銃を使うクラスではない。ミレットさんはたゆまぬ訓練によって【銃士】に目覚めただけだ。
もちろんそれで十分に強い。だが恐るべき魔獣の軍団を打ち払うには、より効果的な運用をしなければならない。相手はウィーズリー王子率いる最強の海の魔獣。わだかまりを捨てて全力で当たらなければならないと僕は思う。
「嫌ですわ」
ミレットさんは腕を組み、端的に答えた。
「ですよねー」
断る理由も分かる。
銃とはバルディエ銃士団の虎の子の武器だ。簡単に他人に譲ることができるならば傭兵団など組織せず、武器商人として活躍していたことだろう。ミレットさんには、ミレットさんの矜持がある。
「……と、言いたいところですが。いえ、その、今すぐ席とテーブルを蹴り倒して帰りたいところですけれども……!」
ミレットさんが頭を抱えて悩んでいる。
あ、こりゃ大丈夫なやつですね。
「マリアロンドさんはどうですか?」
「正直、こいつらの手を借りるなどごめんだとオレも言いたい。言いたいが……」
マリアロンドさんもまた、顎に手を当てて深く悩む。
全員が悩んでいる。それはつまり、全員の利害は一致しているが感情的に嫌だ、あるいは部下たちを納得させるに一押し足りない、そんなところだろう。
洗剤と野球観戦チケットつけたらうなずいてくれるかな。
「……ウィーズリー王子を倒すまで、でしてよ」
「はい」
「それと例の伝書鳩なんだけど、一回だけでいいから使わせなさい。母に近況を伝えたいの」
「……わかりました。姉と交渉します。伝書鳩とは別の形になるかもしれませんが」
「海の魔獣って鹵獲できるかしら」
「難しいとは思いますが、チャレンジしてみます」
幾つかミレットさんが条件を出していく。
難しいものもあるが、何とかクリアできるだろう。
「それと最後に、指輪が欲しいですわね」
「はい、指輪……指輪!?」
男が女に指輪を贈る。
それは不思議と、地球の文化とこちらの文化で共通するニュアンスを持つ。
つまりはプロポーズである。
「ええ。薬指が寂しくて。おしゃれする暇もありませんわ」
ミレットさんがそう言って自分の薬指を撫でる。その婀娜っぽい仕草から放たれる色気は、何とも重苦しい打ち合わせの空気を一変させようとしてマリアロンドさんから怒られた。
「馬鹿者! 真面目に話をしろ!」
「あら。わたくしは極めて真面目でしてよ? 命をかけた戦いに赴く前に婚約をすることをふざけてると思うのなら、世界中の戦士や兵士を嘲笑することになるわよ? 浪漫のなさもここに極まれり、と言ったところかしら」
「ぐぬぬ……!」
そして完全に言い負かされた。
確かにこれは、至極真面目なお話だ。切り出し方がちょっとアレだっただけで。
「……で、そちらはどうなさるの? ああ、特に条件がないならないで全然構わないのだけど。むしろその方が良いのだけど」
「あるに決まっているだろう!」
そして怒ったマリアロンドさんが条件を並べる。
大体はミレットさんが出したものと似通っていた。
一度でいいから外部と連絡を取れる状態にしたい。その他、生活物資の支援や便宜。
「で……少年。もちろん私にくれるのだろうな」
「ええ。愛を込めて、この世界に一つだけのものを用意しますよ」
島を防衛するという何とも無骨な会議で、僕の結婚という話に発展してしまった。
しかも、こちらから婚約を申し出たのではなく、言わせてしまった。自分のふがいなさが身に染みる。
だがだからこそ僕は決意した。
「共に戦い、勝利しましょう。もしもの時は二人と一緒に死にます。命を預けます。ですけど、そうはさせません」
「期待してるわ、王子様」
「少年。きみに勝利を与えよう」