ローレンディア王国の王子は多い。

 タクトが十三男であり、リーネは八女だ。

 国王カーネージには正室、側室、その他多数の妾がおり、総勢三十人ほどの血を分けた子供らがいる。

 そして次代の王にもっとも近いと言われているのが長男のバイアンである。

 戦狼ブラッドウルフを使役し、一対一の戦いに限定するのであればカーネージ王さえも凌ぐと言われる猛者である。

 そのバイアンが、負けた。

 突然、属国の多くが反旗(はんき)を翻し、ローレンディア王国と敵対する国々と連合したのだ。

 その中心にいるのがガレアード聖王国の王子、アルゼス。カーネージ王に忠誠を誓い、王女リーネを嫁としてもらった男であった。カーネージの義息子であり、タクトやバイアンにとっては義兄弟にあたる人物だ。その男がバイアンと戦い勝利したことは、ローレンディア王国に衝撃をもたらした。

「あの筋肉野郎が負けちまうとはな。まったく困ったことになっちまった」

 ローレンディア王国第四王子ウィーズリーは、言葉とは裏腹に嬉しそうにくっくと笑った。

 痩せてはいるが、緩みとはまるで無縁の引き締まった体つき。肉食獣……というより、海に棲む巨大生物のような危うげな目つき。頭の左半分を剃り込み、右半分の赤髪を伸ばした奇怪な髪型。王子というよりは、侠客(きょうかく)といった風格の持ち主である。

 そして周囲にいる腹心たちも、王子に侍る者としては似つかわしくない野卑な笑みを浮かべる。

「不思議じゃありませんぜ。突撃しか脳のねえやつで、鳥の魔獣も魚の魔獣も馬鹿にしておりやした」

「まったくだ」

 げらげらと部屋に笑いが響き渡る。

 ここは、ローレンディア王国、ウィーズリー王子直属の青鱗(せいりん)騎士団(きしだん)が所持する砦だ。

 港町からやや外れた海岸線に位置するが、決して街から追い出されているわけではない。むしろ街の人々を寄せつけないためにある。騎士団専用の港、そして停泊する何艘もの船。物見台や灯台。防衛のための巨大なバリスタ。

 どれも威風堂々(いふうどうどう)たるものだが、どれも青鱗騎士団団長ウィーズリーにとってはさして重要ではない。

 ウィーズリー王子、そして青鱗騎士団にとってもっとも重要なのは、彼らが使役する海棲型の魔獣たちだ。魔獣たちが寝泊まりする檻や、海辺の遊び場兼訓練場の方が、施設としてよほど大事であった。

 青鱗騎士団にとっての主戦場は、海だ。

 陸において誰が勝った、誰が負けたなどという話は興味の外だ。仮にローレンディア王国が敗北しようと、自分らは関係なく海で勝ち続けるという自負があった。むしろ幅を利かせている人間が減るのは好ましいとさえ思っていた。

「そ、そんなことが……」

 ウィーズリーの対面に、みすぼらしい中年の男が怯えて縮こまっていた。

 そして話を聞いて顔を青くし、今にもむせび泣きそうな有様だ。

「ま、タクトの脱走ごときに構ってるヒマはねえと思うぜ。おめえも当てが外れちまったんじゃねえか? せっかく命からがら逃げおおせたって言うのによぉ。元、青鱗騎士団一等騎士レナン……いや、今は奴隷船長ダブラっつった方がいいのか?」

「ひ、ひいい……」

 みすぼらしい男の正体、それは航行中の奴隷船においてバルディエ銃士団とレーア族に倒された船長ダブラであった。

 ミレットとマリアロンドの攻撃に晒されて子飼いの魔獣クラーケンもろとも吹き飛ばされ、海の藻屑となった……はずであった。だが、クラーケンはダメージを負いながらも主人を守り、そして帰巣本能に任せてとある場所を目指した。

 それこそがここ、青鱗騎士団の砦であった。

「物資を横流しして、ツラぁごまかして逃げた野郎を連れもどしてくれたクラーケンには感謝しねえとなぁ。いやいや忠義者だぜ」

「はっ……はい……仰る通りで……!」



「……で、お前はどう何だ? 忠義者なのか? 裏切り者なのか? どっちだ?」

 ウィーズリーの側近が、ダブラの首に刃物を当てた。

 それだけでダブラの心は折れた。

 ウィーズリーは魔獣を愛し、尊重する。

 自分の魔獣だけではなく、手下の飼う魔獣も愛し、甲斐甲斐(かいがい)しく世話をする。

 だが、人間には厳しい。

 戦争となれば残虐で、周辺の海では海賊などよりもよほど恐れられている。いや、他国の領地や港であれば良心の呵責(かしゃく)なく獲物とみなすために、海賊との違いなどない。そして海賊さえもウィーズリーの獲物だ。歯向かうものは騎士だろうが賊だろうが苛烈に戦い、自分の手で拷問することさえも厭わない。

 それゆえに荒くれ者たちや海賊まがいの騎士からの信頼は厚い。

「しかしお前、俺の弟を運んでたんだよな? あいつが何かやったんか? それとクラーケンをどうやって呼び寄せた? 隠してる財産は? 横流しした相手は誰だ? 仲間はいるのか?」

「ひっ、ひい……!」

「ひいひい言ってんじゃねえ、さっさと喋りやがれこのクソ野郎が!」

 しばらくウィーズリーにいたぶられたダブラは、ありったけの情報を吐き出した。

 どこか自分が助かるに足る情報はないかと必死に計算をしながら。

 そして、とある情報を話した時にウィーズリーの態度が変わった。

「【調停者】……? タクトの野郎がそう言ったのか?」

「へ、へえ! そしたら突然、バルディエ銃士団とレーア族がやたらと強化されて、クラーケンを一撃で倒しちまいやした……!」

「やるじゃねえかあの野郎。ナヨナヨしくさって好みじゃなかったが、確かに賢いやつだった。バイアンの野郎よりは警戒しとくべきだったな……おい、お前ら! タクトの部下だった文官を締め上げてこい! それとレアクラスの情報も調べろ!」

「へぇ、構いやせんが……全員ですか?」

 側近が曖昧にうなずいた。

「察しの悪い奴だな馬鹿野郎。聖王国の反乱。ありゃたぶんリーネが裏を引いてる」

「でしょうな」

 側近が、ウィーズリーの言葉にうなずいた。

「ついでに言えば、タクトが外交官どもと裏切らねえように調整してたんだよ。けどタクトがいなくなったからリーネも旦那を止める理由がなくなった。むしろ自分から旦那をけしかけた可能性もある……が、それだけじゃ説明がつかねえ」

「相当な強化がされてるそうですが……それがタクト王子の差し金だと?」

「かもしれねえ」

「いやしかし、タクト王子が追放されたのは一か月以上前ですよ。バフを与えるにしたって普通は効果時間が切れるでしょう」

「そうとも限らねえ。【調停者】ってクラスはおそらく交渉を得意とするレアクラスだ。条件や誓約をつけることで強い契約を結ぶ【テイマー】と似てるんだろう。となれば永続的なバフが発動するのも、アルゼスの野郎がバイアンに勝つのも、どっちにも説明がつく。違うか?」

「あ……!」

 側近が話を飲み込み、顔色を変えた。

「じゃあ、あの反ローレンディアの連合の首謀者は、タクト王子……? こりゃ早く陛下に知らせねえと!」

「待て待て待て、そう焦るな」

「いやしかし王子。バイアン王子が死んで、次の王座は誰か争ってるところなんでしょう? さっさとこの情報を教えて功績を上げた方が……」

「功績を上げる前に、多すぎるんだよ王子も王女も。つーか親父だって年甲斐もなく張り切りすぎだ。痛い目見た方がいいんだよ。……いいか、お前ら。ここからの話は誰にも漏らすんじゃねえぞ。騎士団以外の誰かに聞かれたら殺せ」

 ウィーズリーは顎に手を当て、にやりと笑う。

 側近たちの全員に緊張が走った。

 だが、次に放たれたウィーズリーの言葉に、側近たちの表情が一変した。

「反ローレンディア連合にはもうちょっと頑張ってもらおうじゃねえか。俺ぁ陸の土地にはあんまり興味はねえが、他の連中が王になるのも、反ローレンディアが幅を利かせて舐められるのもゴメンだ。ここらで国盗りといこうや」

「おおお!」

「やるしかねえな!」

「ウィーズリー王子万歳!」

 側近たちが快哉をあげた。

 自分らが支える王子の決意、それは自分自身の栄達を意味する。

 そうでなくとも彼らは、ウィーズリーの立身出世を望んでいる。海の魔獣を使役する【テイマー】は、ローレンディア本国においては決して主役にはなれない。

「このままの流れなら反ローレンディアは親父に勝つだろうさ。そのタイミングで俺たちぁタクトを叩いて、反ローレンディアのバフを消す。反ローレンディアと親父さえいなけりゃ俺たちの陸上戦力で十分に勝算はある。うまく行ったら王都はこっちに遷都だ」

 ローレンディアの戦争において、海の魔獣は主役にはなれない。この大陸における主戦場は陸だという、ごくごく単純な理由だ。

 だが、海の魔獣は陸の魔獣よりも大きくそして強力だ。

 その強さが評価されないことにウィーズリーは我慢がならなかった。

 そして自分の配下たちも、強さを持ちながらも自分のいた国や騎士団からはじき出された鼻つまみ者ややくざ者、あぶれ者ばかりである。

 血気盛んで、残酷で、横暴でありながらも、彼には「自分の魔獣、自分の身内は見捨てない」という美学があった。

 それゆえに側近たちはウィーズリーの野心を是とし、心の中であらためて忠誠を誓った。

 そして、この部屋にいる間抜けな裏切り者のようにはなるまいと恐怖を抱いた。

「……で、ダブラ。タクトはどこに行きやがった? 大陸の開拓地にゃ行ってねえようだが」

「へ、へえ。あの辺りですと……海流に飲み込まれて告死島に行った可能性が高いかと」

「告死島……。なるほどな。あそこなら追手はこねえ。運がいいやつだ。開拓地とは別の意味で手を出せねえ……普通ならな」

 ウィーズリーの言葉に、側近たちが邪悪な笑みを浮かべた。

 告死島は十数年に一度だけ海流が変化し、船での行き来が可能となる。それ以外の時期に船で行こうとしても海流に阻まれ、あるいは嵐に巻き込まれて海の藻屑になるだけである。

 だが、ウィーズリーたちはわざわざ海上を航行する必要などはない。クラーケンのように海の底を移動する魔獣や、海流など物ともせずに荒波を突き破る魔獣を数多く使役しているのだ。それらの魔獣に自分らを運ばせる手段も、彼らは当然持っていた。

「それじゃ方針が決まったところで作戦開始……って言いてえところだがよぉ。おめえら俺を舐めてんのか!」

 今まで嬉しそうに野心を語っていたウィーズリーが、突然表情を変えた。

 怒りと殺気が込められた罵声に、全員が緊張と困惑を抱く。

「な、何かご不満が……?」

 側近がおずおずと尋ねるが、ウィーズリーは「そんなこともわからねえのか馬鹿がよ」と舌打ちをする。

「俺ぁ騎士団以外の人間に知られたらブッ殺せっつったよな! 俺の目の前で間抜け面晒してるやつが生きてんのはどういうことだって聞いてんだよ!」

「へ……?」

 奴隷船長ダブラが、困惑しながら呟いた。

「しかもだ。こいつは禁を破った。モノと金を奪うのはいい。どんどんやれ。だが人を奪って奴隷にすることだけぁ禁止したよな。その時の処罰は何だ? 忘れたのかこのボンクラどもが! てめえらの方が死にてえのか!」



 ダブラは、ウィーズリーの罵声が自分の死刑宣告と飲み込む間もなく、側近が抜き放った剣によって速やかに首を絶たれた。