「だ、大丈夫!?」
先生が倒れこんだクエンの元へと駆け寄る。
俺はそれを横目にしながら、カスミを鞘へと戻す。
「背中を斬られたんだ、相当な深手…………あれ、傷がない……?」
先生は不思議そうにクエンの背中を探るが、打撲以外の怪我が見当たらないようだった。
「あぁ、それ峰打ちだよ。刃の方では斬ってないから安心して」
「峰打ち……あの戦いの中でそこまで……」
「こんな勝負で死なれちゃ目覚め悪いしね」
と俺は笑う。
ま、クエンからすればここでサクッと俺に殺されて死ぬより、家畜に負けたという事実を背負って生きていく方が何倍も苦しいだろうからな。
これで少しせいせいした。
『いい性格してるね、ホロウ』
カスミに言われたくねえよ。
「ホロウ!」
駆け寄ってきたのは、アラン兄さんだ。
アラン兄さんはクエンをチラッと見て息を飲む。
「ホロウ……まさか剣術だけでここまで……正直僕は夢を見てるんじゃないかと……」
「いやいや、現実だって。頬つねろうか?」
「いや、それには及ばないが。……そうか。まさかホロウの剣術がこれほどの腕前になっているとは。剣術の才能がずば抜けているとは思っていたが、まさか魔術師相手に……。僕は王都でさえこんな剣術を扱う人を見た事がないよ」
アラン兄さんは、顎に手を当て考えこむように唸る。
その目は未だに信じられないと言う様子だ。
「確かに剣聖ヴェルティア様や他にも剣術のエキスパートは沢山いる……だが、魔術を使わないでとなると話は変わってくる。……それにしても、クエンは学生の中でもかなりの魔術師だ。まだ二年だがそう簡単にやられる奴じゃない。それを剣――刀だけで……」
アラン兄さんは、確かに俺の勝利を喜んではいるが、それよりも魔術に剣術で対抗するだけでなくまさに勝利してしまうとはと、そのことに驚きを隠せないようだ。
「――何をした」
父さんが、恨みの籠った声で背後から話しかけてくる。
「父さん」
その圧は相変わらずだが、この目は初めてだ。
困惑、怒り、憎悪…………様々な向けられたことのない感情が渦巻いている。
「クエンの魔術はそう簡単に破れるものではない。ましてただの剣術ごときで」
「これが俺の修行の成果ですよ、父さん。俺はもう家畜でもなんでもない、魔術師を倒せる一人前の剣士だ」
「…………」
父さんの顔は明らかに苛立っており、今にも激昂しそうな雰囲気だった。
しかし、俺はもう覚悟を決めていた。もう怖いものはない。
父さんは少し顔をピクピクと引きつらせた後、諦めたかのように深くため息をつく。
「……家畜との約束とはいえ、約束は約束だ。明日から剣術の師をつけてやる。せいぜい家畜としてこの家で生きるがいい」
「その必要はないよ」
「何?」
「俺はこの家を出ていく」
「何だと……!」
父さんの目が見開かれる。その顔は怒りで僅かに紅潮している。
あの鉄仮面が感情を顔に出すのは初めて見る。
思い通りにならないのがむかつくだろ?
それも家畜だと思っていた奴がだ。
そして俺の発言に、アラン兄さんが声を荒げる。
「お、おいホロウ、何を言っているんだ!? 剣術の師を付けてくれるんだぞ、そんな折角追い出されなくて済むのに自分から出ていくって……何考えてるんだ!?」
「もともと決めてた事さ。この家に俺の居場所はない――というかこの家が嫌いだ」
「ホロウ!?」
「そりゃそうでしょ。それに、剣術の師がこようがいずれまたこういう事態になることは目に見えてるしね。父さんは根本的に魔術師ではない人間を嫌ってるからさ、幾らお互い歩み寄ったって無駄だよ。だったら、ここにいる意味なんてない。俺を縛り付けるだけの牢獄だ」
「でも、一人でどうやって……」
「俺にはこいつがあるから」
そう言って、俺は腰にぶら下げたカスミにトントンと拳で触れる。
「剣で生きていくか」
「あぁ」
「……下らん。剣術などで戦いが上手くいくものか。ただの家畜だ、一人になってもすぐに野垂れ死ぬだけだ」
「へえ、だったらそこで眠っているクエン兄さんはどうなんですか? たかが剣術師に敗れて気絶している魔術師なんて、家畜以下……ですか?」
父さんの顔が歪む。
「……口だけは達者になったようだな」
「出ていくのを邪魔するって言うなら」
俺はそっとカスミに手を触れる。
「真剣で相手しますけど?」
「…………」
その俺の動きに、父さんは僅かに身体を震わせゴクリと唾を飲む。
「――もういい、好きにしろ。別にこちらはお前を引き留める気はサラサラない。どこへでも行くといい」
そう言って父さんは俺に背を向け屋敷へと帰っていく。
その背中が余りに小さく見えて、俺は小さくガッツポーズをする。
これで清々した。
ようやく俺は自由になれる。剣術で生きて、成り上がってやる。
◇ ◇ ◇
「うっし、こんなもんか」
俺は小さな鞄に、必要なものをまとめる。
我ながら、自分の所有物がこんな小さな入れ物で事足りることに驚愕したが、まあこうして出ていくとなると身軽でいい。
俺は普段のラフな格好に、訓練の時に付ける胸当てと籠手を装着する。
「いよいよだね、ホロウ。私は嬉しいよ。あのクソ親父から離れられてさ」
そう言いながら、カスミは後ろから俺の首に腕を回しもたれ掛かる。
「予定より早まったけどな。それに、あの父さんの憔悴した顔見たか? はっ、いい気味だったよ。自分の信じた魔術を教え込んだ息子が、家畜呼ばわりしていた剣士にやられるんだ、さぞ悔しくて昨日は寝れなかっただろうな」
「ふふふ、ナイスホロウ! すかっとしたわ。完全にホロウにビビってたしね」
と、カスミはシシシと笑う。
「この家で清算すべき面倒ごとはすべて終わったという事ね」
「そうだな。ありがとな、カスミ。カスミのおかげだよ」
「ううん。ホロウの実力よ。これからは自分の好きなように生きていけるね、ホロウ」
「あぁ。だから、これからもよろしくなカスミ」
「こちらこそ、よろしくねマスター」
「……マスターは止めろ」
「ありゃ?」
家の正門前。
当然と言えば当然だが、父さんとクエンの姿は見えない。
「ホロウ君」
セーラ先生が寂しそうに俺を見る。
「先生。お世話になりました。先生に教わらなかったら、俺は今頃こんな胸を張って剣の道を進めなかったよ」
「よしてよ、全て君の努力だよ。君の実力にも気付けなかったしね。……まあ少しは私から吸収してくれていると嬉しいよ。まさか魔術に勝てる剣術とは……世界は広いわね」
そうしみじみとセーラ先生は頷く。
「私はもうこの家のお役御免となりそうだ」
「えっ、それって俺のせいじゃ……」
「はは、違うよ。ホロウ君がいなくなれば私の受け持つ生徒はこの家にいなくなるからね、いずれ私がここを卒業するのは決まってたことだ。それが少し早まっただけ」
セーラ先生は笑う。
「私はきっと王都でまた別の職に就くことになるだろうから、何かあったらいつでも訪ねてね。そして旅の話を聞かせて」
そう言って、セーラ先生は俺に握手を求める。
俺はそれを強く握り返す。
「ありがとうございます、先生。またいつか、会いましょう」
「えぇ。……それじゃあ。旅の無事を祈ってるよ」
そう言ってセーラ先生は踵を返し、屋敷へと帰っていく。
そして――。
「アラン兄さん」
「……まだ僕は心配だ。一人で生きていけるのか」
「まだそんな」
「そりゃそうさ、今までは僕が守らなきゃと思っていた弟がこんなにたくましく育っているんだ。……僕の過保護なやり方は間違っていたのかな」
「そんなことないよ。アラン兄さんのおかげでここまで挫けないで来れたんだ。本当助かったよ」
「ホロウ……」
アラン兄さんは眉を八の字にして俺を見る。
俺を心配しているときの顔だ。
「別に僕の家で良かったら一緒に暮らしても――」
「だめだめ、俺はそんなつもりはないよ。この剣術の力を試したいんだ。もっと冒険の出来る世界へ飛び出していかないと」
「そう言うだろうと思ったよ。お前は昔からなんでも挑戦したがる奴だったからな。目の前で魔術に勝てると言う事を見せつけられたんだ、今更反対はしないさ」
「ありがとう」
「元気でな、ホロウ。僕も王都に居る。困ったらいつでも訪ねて来いよ。僕達は兄弟だ、また必ず会おう」
そう言って、俺とアラン兄さんは軽くハグを交わす。
「――じゃあ、行ってくるね」
「気を付けてな。お前の名前が、王都まで聞こえてくるのを楽しみにしてるぞ」
そうして、俺は屋敷を出た。
俺を家畜と呼んだこの家。
牢獄の様に自由のない、息苦しい海の底のような、そんな仄暗い場所。
だが飼われていたことには変わりはない。そこから俺は自立するんだ。
追い出されたんじゃない。勝ち取って、自らの意思で出ていくんだ。
一人で……いや、カスミと一緒に、剣士として生きていく。
「楽しみだなあ、カスミ! 一暴れしてやろうぜ!」
『うん! がんばろうね、ホロウ!』
こうして俺は、ヴァーミリア家を追放――もとい、独り立ちしたのだった。
先生が倒れこんだクエンの元へと駆け寄る。
俺はそれを横目にしながら、カスミを鞘へと戻す。
「背中を斬られたんだ、相当な深手…………あれ、傷がない……?」
先生は不思議そうにクエンの背中を探るが、打撲以外の怪我が見当たらないようだった。
「あぁ、それ峰打ちだよ。刃の方では斬ってないから安心して」
「峰打ち……あの戦いの中でそこまで……」
「こんな勝負で死なれちゃ目覚め悪いしね」
と俺は笑う。
ま、クエンからすればここでサクッと俺に殺されて死ぬより、家畜に負けたという事実を背負って生きていく方が何倍も苦しいだろうからな。
これで少しせいせいした。
『いい性格してるね、ホロウ』
カスミに言われたくねえよ。
「ホロウ!」
駆け寄ってきたのは、アラン兄さんだ。
アラン兄さんはクエンをチラッと見て息を飲む。
「ホロウ……まさか剣術だけでここまで……正直僕は夢を見てるんじゃないかと……」
「いやいや、現実だって。頬つねろうか?」
「いや、それには及ばないが。……そうか。まさかホロウの剣術がこれほどの腕前になっているとは。剣術の才能がずば抜けているとは思っていたが、まさか魔術師相手に……。僕は王都でさえこんな剣術を扱う人を見た事がないよ」
アラン兄さんは、顎に手を当て考えこむように唸る。
その目は未だに信じられないと言う様子だ。
「確かに剣聖ヴェルティア様や他にも剣術のエキスパートは沢山いる……だが、魔術を使わないでとなると話は変わってくる。……それにしても、クエンは学生の中でもかなりの魔術師だ。まだ二年だがそう簡単にやられる奴じゃない。それを剣――刀だけで……」
アラン兄さんは、確かに俺の勝利を喜んではいるが、それよりも魔術に剣術で対抗するだけでなくまさに勝利してしまうとはと、そのことに驚きを隠せないようだ。
「――何をした」
父さんが、恨みの籠った声で背後から話しかけてくる。
「父さん」
その圧は相変わらずだが、この目は初めてだ。
困惑、怒り、憎悪…………様々な向けられたことのない感情が渦巻いている。
「クエンの魔術はそう簡単に破れるものではない。ましてただの剣術ごときで」
「これが俺の修行の成果ですよ、父さん。俺はもう家畜でもなんでもない、魔術師を倒せる一人前の剣士だ」
「…………」
父さんの顔は明らかに苛立っており、今にも激昂しそうな雰囲気だった。
しかし、俺はもう覚悟を決めていた。もう怖いものはない。
父さんは少し顔をピクピクと引きつらせた後、諦めたかのように深くため息をつく。
「……家畜との約束とはいえ、約束は約束だ。明日から剣術の師をつけてやる。せいぜい家畜としてこの家で生きるがいい」
「その必要はないよ」
「何?」
「俺はこの家を出ていく」
「何だと……!」
父さんの目が見開かれる。その顔は怒りで僅かに紅潮している。
あの鉄仮面が感情を顔に出すのは初めて見る。
思い通りにならないのがむかつくだろ?
それも家畜だと思っていた奴がだ。
そして俺の発言に、アラン兄さんが声を荒げる。
「お、おいホロウ、何を言っているんだ!? 剣術の師を付けてくれるんだぞ、そんな折角追い出されなくて済むのに自分から出ていくって……何考えてるんだ!?」
「もともと決めてた事さ。この家に俺の居場所はない――というかこの家が嫌いだ」
「ホロウ!?」
「そりゃそうでしょ。それに、剣術の師がこようがいずれまたこういう事態になることは目に見えてるしね。父さんは根本的に魔術師ではない人間を嫌ってるからさ、幾らお互い歩み寄ったって無駄だよ。だったら、ここにいる意味なんてない。俺を縛り付けるだけの牢獄だ」
「でも、一人でどうやって……」
「俺にはこいつがあるから」
そう言って、俺は腰にぶら下げたカスミにトントンと拳で触れる。
「剣で生きていくか」
「あぁ」
「……下らん。剣術などで戦いが上手くいくものか。ただの家畜だ、一人になってもすぐに野垂れ死ぬだけだ」
「へえ、だったらそこで眠っているクエン兄さんはどうなんですか? たかが剣術師に敗れて気絶している魔術師なんて、家畜以下……ですか?」
父さんの顔が歪む。
「……口だけは達者になったようだな」
「出ていくのを邪魔するって言うなら」
俺はそっとカスミに手を触れる。
「真剣で相手しますけど?」
「…………」
その俺の動きに、父さんは僅かに身体を震わせゴクリと唾を飲む。
「――もういい、好きにしろ。別にこちらはお前を引き留める気はサラサラない。どこへでも行くといい」
そう言って父さんは俺に背を向け屋敷へと帰っていく。
その背中が余りに小さく見えて、俺は小さくガッツポーズをする。
これで清々した。
ようやく俺は自由になれる。剣術で生きて、成り上がってやる。
◇ ◇ ◇
「うっし、こんなもんか」
俺は小さな鞄に、必要なものをまとめる。
我ながら、自分の所有物がこんな小さな入れ物で事足りることに驚愕したが、まあこうして出ていくとなると身軽でいい。
俺は普段のラフな格好に、訓練の時に付ける胸当てと籠手を装着する。
「いよいよだね、ホロウ。私は嬉しいよ。あのクソ親父から離れられてさ」
そう言いながら、カスミは後ろから俺の首に腕を回しもたれ掛かる。
「予定より早まったけどな。それに、あの父さんの憔悴した顔見たか? はっ、いい気味だったよ。自分の信じた魔術を教え込んだ息子が、家畜呼ばわりしていた剣士にやられるんだ、さぞ悔しくて昨日は寝れなかっただろうな」
「ふふふ、ナイスホロウ! すかっとしたわ。完全にホロウにビビってたしね」
と、カスミはシシシと笑う。
「この家で清算すべき面倒ごとはすべて終わったという事ね」
「そうだな。ありがとな、カスミ。カスミのおかげだよ」
「ううん。ホロウの実力よ。これからは自分の好きなように生きていけるね、ホロウ」
「あぁ。だから、これからもよろしくなカスミ」
「こちらこそ、よろしくねマスター」
「……マスターは止めろ」
「ありゃ?」
家の正門前。
当然と言えば当然だが、父さんとクエンの姿は見えない。
「ホロウ君」
セーラ先生が寂しそうに俺を見る。
「先生。お世話になりました。先生に教わらなかったら、俺は今頃こんな胸を張って剣の道を進めなかったよ」
「よしてよ、全て君の努力だよ。君の実力にも気付けなかったしね。……まあ少しは私から吸収してくれていると嬉しいよ。まさか魔術に勝てる剣術とは……世界は広いわね」
そうしみじみとセーラ先生は頷く。
「私はもうこの家のお役御免となりそうだ」
「えっ、それって俺のせいじゃ……」
「はは、違うよ。ホロウ君がいなくなれば私の受け持つ生徒はこの家にいなくなるからね、いずれ私がここを卒業するのは決まってたことだ。それが少し早まっただけ」
セーラ先生は笑う。
「私はきっと王都でまた別の職に就くことになるだろうから、何かあったらいつでも訪ねてね。そして旅の話を聞かせて」
そう言って、セーラ先生は俺に握手を求める。
俺はそれを強く握り返す。
「ありがとうございます、先生。またいつか、会いましょう」
「えぇ。……それじゃあ。旅の無事を祈ってるよ」
そう言ってセーラ先生は踵を返し、屋敷へと帰っていく。
そして――。
「アラン兄さん」
「……まだ僕は心配だ。一人で生きていけるのか」
「まだそんな」
「そりゃそうさ、今までは僕が守らなきゃと思っていた弟がこんなにたくましく育っているんだ。……僕の過保護なやり方は間違っていたのかな」
「そんなことないよ。アラン兄さんのおかげでここまで挫けないで来れたんだ。本当助かったよ」
「ホロウ……」
アラン兄さんは眉を八の字にして俺を見る。
俺を心配しているときの顔だ。
「別に僕の家で良かったら一緒に暮らしても――」
「だめだめ、俺はそんなつもりはないよ。この剣術の力を試したいんだ。もっと冒険の出来る世界へ飛び出していかないと」
「そう言うだろうと思ったよ。お前は昔からなんでも挑戦したがる奴だったからな。目の前で魔術に勝てると言う事を見せつけられたんだ、今更反対はしないさ」
「ありがとう」
「元気でな、ホロウ。僕も王都に居る。困ったらいつでも訪ねて来いよ。僕達は兄弟だ、また必ず会おう」
そう言って、俺とアラン兄さんは軽くハグを交わす。
「――じゃあ、行ってくるね」
「気を付けてな。お前の名前が、王都まで聞こえてくるのを楽しみにしてるぞ」
そうして、俺は屋敷を出た。
俺を家畜と呼んだこの家。
牢獄の様に自由のない、息苦しい海の底のような、そんな仄暗い場所。
だが飼われていたことには変わりはない。そこから俺は自立するんだ。
追い出されたんじゃない。勝ち取って、自らの意思で出ていくんだ。
一人で……いや、カスミと一緒に、剣士として生きていく。
「楽しみだなあ、カスミ! 一暴れしてやろうぜ!」
『うん! がんばろうね、ホロウ!』
こうして俺は、ヴァーミリア家を追放――もとい、独り立ちしたのだった。