「お父さん、私が生贄になるわ。」
「つき!?」
「私は織田家の人間だもの。水神様だって、満足してくれるでしょ?」
するとときは、立ち上がって私を抱きしめた。
「ああ、つき。ありがとう。本当にありがとう。」
この一言で、私は生贄になった。
そして翌日。
私は嫁入り衣装を着て、水神様の池に向かった。
驚いたのは、はやてだった。
「どうして……つきが生贄に?」
はやては、村の人々に抑え込まれた。
「つき!つき!」
私はにこっと笑うと、はやてを振り切って、生贄の列に並んだ。
「では、出立!」
嫁入り道具と一緒に、私達は一歩一歩、水神様の池に近づいて行く。
そして昼頃、水神様の池は見えて来た。
大きな池。
あやかしが住んでいても、全く違和感のない澄み切った水。
これからここが、私の住む場所になるんだ。
震える身体に、そう言い聞かせた。
「まさか、用意した花嫁衣裳が、こんな時に使われるなんて。」
お父さんは、涙を堪えながら、私を抱きしめた。
「お父さん。私が水神様に嫁いでも、たまには遊びに来てね。」
「ああ。必ず会いに来るよ。」
私は一向に背中を向けた。
涙が溢れる。
怖い。
私は今から池に入って、死の世界に向かわないといけないのだ。
身体が震える。
そして神主様のお祈りが終わった。
「では、つき殿。行ってらっしゃいませ。」
「行ってらっしゃいませ。」
私は、池の中に足を踏み入れた。
一歩前に進む度に、足が冷たくなっていく。
ああ、これで私の人生、終わりなんだ。
そして頭の先まで、水に浸かった。
しばらくすると、息ができなくなって、苦しくなった。
沈んで行く身体。
もう涙しか出ない。
苦しい。
誰か助けて!
その時水の底に、ぽーっと光が見えた。
何?あれは?
どんどん意識を失っていく。
もし、あれが水神様のお屋敷ならいいな。
そう思うと、どこか恐怖も無くなってきた。
ああ、お願い。水神様。
私の命と引き換えに、村を救って。
気づいたら、目に天井が飛び込んできた。
「ここは……」
周りを見て見ると、大きな部屋の真ん中にある布団で、私は寝ていたらしい。
「ああ、気が付きましたね。」
声のする方に顔を向けると、明るい水色の着物を着た女の人が、私の顔を覗いていた。
「あの……」
「無理しない方がいいわ。まだこの世界に、慣れていないからね。」
長い髪を一つに束ねたその人は、親しみのある顔をしていた。
「この世界?」
すると女の人は、ニコッと笑った。
「水神様の住む世界よ。」
「水神様!?」
私は思わず大きな声を出してしまった。
「そうよ。あなたもこの湖に、身を投げた者でしょう?」
「あなたもって……」
「そう。私もかつてはそうだったわ。」
すると女の人は、立ち上がった。
「今、るか様を呼んで来るから、待っていてね。」
「るか様?」
「水神様のお名前よ。」
そう言って女の人は、部屋を出て行った。
水神様……
水神様って、名前あるんだ。
しかも”るか”って、聞いた事もないような名前。
しばらくして、襖が開いた。
「あっ、」
さっきの女の人だと思ったけれど、見ると薄い水色の髪をした人が来た。
「目が覚めたか。」
何だろう。
着ている物、物腰、その絹のような水色の髪で、この人は人間の形をした何かだと思った。
「あなたは……」
「我が名は、るか。この湖を守っている神だ。」
「水神様!?」
驚きのあまり、布団を頭の上から被ってしまった。
この人が、水神様!
こ、怖いよ~。
「そんなに怯えるでない。」
すると私の上に、何かが覆いかぶさった。
何だろう。
そっと布団から外を見ると、覆いかぶさっているのは、水神様だった。
「えええーっ!!」
「今更そんなに驚くものでもないだろう。」
「驚きます!」
私は慌てて、布団を出た。
そんな私の腕を、水神様は掴んだ。
「どうして逃げる?そなたは、我の妻になるのであろう?」
「妻⁉」
「嫁入り衣装で、湖に身を投げたではないか。我は、そなたを受け入れた。だから、この屋敷に招き入れたのだ。」
「そんな……」
嫁入りって、本当に水神様の奥さんになる事だったの?
そんな事があるなんて……
私は生きているの?死んでいるの?
困った私を見て、水神様は立ち上がった。
「おまえがどう思うと、今夜結婚式を挙げる。その覚悟でいろ。」
そう言って、水神様は部屋を出て行った。
「結婚式……」
突然降って湧いたその話に、私は茫然とした。
夜になり、屋敷に灯りがポツポツと灯り始める。
それを見て、ここが湖の中でも、異世界に繋がっているのだと感じた。
「お待たせしました。」
先程の女の人が、また部屋の中に入って来た。
「お衣装、乾いてよかった。」
女の人の手には、私が湖に身を投げる時に着ていた嫁入り衣装があった。
「さあ、これに着替えて。」
女の人は、衣装を広げた。
「そう言えば、まだ名前も聞いてなかったね。」
「……つきと言います。」
「そう。家は農家?」
「いえ、一応豪族と呼ばれる家で。」
「やだ。もしかして織田家?」
女の人は、すごく驚いていた。
「だから、こんなに立派な花嫁衣裳を用意できたのね。」
私が着て来た花嫁衣裳は、豪華な物だったらしい。
「私の時は、粗末でね。」
「私の時は?」
私の質問にも、女の人は笑顔で答えてくれた。
「私も、生贄の1人なのよ。」
驚いて声も出なかった。
「生贄になった者の中には、るか様に気に入られて、この屋敷に招き入れられた人達もいるの。私達みたいにね。」
胸が締め付けられる。
「あの人……水神様は、私を妻にすると言ったけれど、他にも奥方達はいらっしゃるの?」
「いいえ。昔はいたと言うけれど、私が来てからは、奥方はいなかった。だから、久しぶりの結婚だと思うわよ。」
私は女の人に手伝ってもらって、嫁入り衣装に着替えた。
「どうして、私と結婚をしようと思ったのかしら。」
「相当、つきさんの事を気に入ったのでは?はい。お終い。」
そして女の人は、鏡を見せてくれた。
「嫌ね。今から嫁入りする者が、そんな暗い顔するなんて。」
「だって、私あの人の事、知らないもの。」
すると女の人は、ニコッと笑ってくれた。
「大丈夫よ。悪い人ではないわ。」
すると、部屋の襖を誰かが開けた。
「さあ、迎えが来たわ。行きましょう。」
女の人が私の手を取る。
立ち上がった私は、女の人に付き添われ、部屋を出て、廊下を歩いた。
廊下の壁には、湖の中が透けて見えて、綺麗な水面も見えた。
そして見えて来たのは、大広間だった。
そこには、魚の頭をした人達が座っていた。
「ひっ!」
「しー。直に慣れるわよ。」
女の人は、私を連れて、大広間の中央へと進んだ。
そして、座るように言われると、大広間にあの人が現れた。
スーッスーッという衣擦れの音がして、あの人は私の目の前に座った。
「我はるかと申す。そなた、名は?」
「織田つきと申します。」
「名門、織田家の娘か。よい家柄から嫁を貰った。」
そして魚の頭をした人達が、私達にお酒を渡す。
何度見ても奇妙だ。
「では、るか様とつき様の遥かなるご縁をお祈りして、三々九度の盃を。」
始めは、るか様が、お酒を飲む。
その真似をして、私もお酒を飲んだ。
初めての味に、くらくらする。
「では、皆の衆。二人の結婚を祝って、今日は騒げ。」
鯛の頭をした人が、皆を盛り上げる。
でもよく考えてみたら、鯛って湖にいないのでは?
そして周りを見ると、確かに湖にいない魚の頭ばかり。