決して嫌われてはいないけれど、好かれもしない中間層。カーストで言うところの二軍。そこにわたしは所属していた。
今日も教室でひとりにされないがために、教室の隅に固まって口を開く。
「本屋大賞一位の作家、今日新刊発売だったよね」
「そうなんだ! チェックしなきゃ」
「じゃあ、帰り本屋行こうよ。せっかくだし、駅前の大きいジュンク堂はどう?」
わたしの発言に、待ってましたとばかりに二人は乗っかった。近くに一軍のギャル集団がいるから、少し声は抑え気味に。
おとなしめな子と認識されているこの二人とわたしで、教室での居場所は形成されていた。趣味は全員読書。本当に読書が好きなのかは、正直怪しい。この二人から熱っぽく本の話をされたことはなかった。
だけどこの際、本当の趣味なんてどうでもいい。読書という共通点だけで、わたしたちは繋がっているのだから。
「それいいね、賛成!」
ひとりじゃない、ぼっちじゃない、教室の底辺じゃない──そう思うためだけに、わたしたちは三人で不毛な時間を過ごしている。
ちらり、と黒板の窓側にいる葉山くんを見やった。
葉山くんは教室の喧騒なんてどこ吹く風で、じっと真剣に本を読んでいる。時折はらり、とページをめくる手が美しい。そこだけ空気が澄んでいるような錯覚に陥る。
「おーい、つづりちゃん? どうしたの、黒板のほうなんか見て」
「あっ、ごめんね。この前の化学が赤点スレスレだったから、何とかしなきゃって思っただけ」
黒髪おさげに赤縁メガネ、一重の和風美人といった『いかにも地味』な短川作歌ちゃんが不審げな目線をわたしに向けている。
一瞬焦ったものの作歌ちゃんはもとより興味がなかったのか、「ふぅん」とひとこと言うとスルーした。あまり他人に干渉しないのが、このグループのいいところだ。ギャル集団なら目線の先をとやかく言われ、次の日には根も葉もない噂が広がっていること請け合いである。
「あたしも化学ピンチかも。文系志望だからどうってことはないんだけど、赤点取ったらまずいよねぇ」
やはり黒髪をボブカットにした有野綾子ちゃんが照れ臭そうに言う。この子は顔立ちが華やかで一軍にいてもおかしくはないが、常におどおどしている上に前髪もスカートも長いから、野暮ったい印象を受ける。
自分磨きすればいいのに。新学期とかで化けたら、すぐ一軍入りできるでしょ。運動部のエースとかが「有野さんってかわいいよな」と大々的に言うようになれば、綾子ちゃんはすぐに教室の姫ポジションを獲得できる。
そうすれば、このグループはわたしと作歌ちゃんだけになってしまうな。二人グループは底辺の仲間入りだ。今でも綾子ちゃんの容姿で二軍に留まっているようなのに。
そんな一瞬で消えてしまうようなものに、どうしてわたしは縋っているのだろう。
「とりあえず、テスト前は化学の先生に課題聞いてみるかぁ。内申点も上がるかもしれないし」
「いいね、三人で質問いこうよ」
作歌ちゃんの言葉に、わたしは適当に乗っかる。実際に決行されることはないから、気軽に頷けるのだ。
「それじゃあ、そろそろ休み時間終わるし席戻るね」
「また次の休み時間にね」
「ばいばーい」
息苦しくなって、半ば強引ながら引き上げる。二人も同じなのか、誰ひとり「まだ三分あるよ」なんて言わなかった。
斜め前の席にいる葉山くんは変わらぬペースでページをめくっていた。ぺら、ぺら、という軽い音が心のもやを晴らしてゆく。ページが進むたびに、世界は順調に時を重ねているんだなぁ、としみじみ思う。この息苦しい時間にも終わりが来ると、本に告げられているようで。
内容云々よりも、わたしはこうやって本を味わうのが好きだった。
昼休みはあと二分半。小説の世界に浸るには短い時間だが、気にせずに、静かに文章を読む。人より少し遅いスピードで、人より少しだけ大きな世界を見る。教室なんてどうでもいいじゃないか。もっと美麗な世界がここにはある。
サァ。窓から柔らかく爽やかな五月の風が吹き込んだ。単行本の左上が風になびき、ハタハタと音を立てる。ふと目線を上げると、葉山くんのちょっとだけ長い髪が風に遊ばれていた。
こういう穏やかな時間がずっと続けばいいのにな。
「休み時間に本読むって、暗いよね」
グサッと、心臓に刃物を突き立てられたような感覚が走る。うららかな光に包まれた教室が、一気に暗くジメジメしたものに変わった。視界に映る文字は希望を見せてくれるような瑞々しさを失い、無味乾燥とした現実的なものになる。
声の主をそれとなく伺うと、準一軍──一軍の取り巻きや一軍の成り損ない──グループの長、宇野山がわたしをチラチラ見ながらささやいていた。悪口ばかり言っている人だ。能力だけじゃなく性格もいい一軍から、性格の悪さゆえ距離を置かれていることにも気づかない哀れな人。
蔑んでいるのに、どこか羨ましがっている自分もいた。
周りからどう思われてるか気にしなかったら、気づかなかったら、わたしはずっと穏やかな時間を過ごすことができるのに──。
彼女は悪口を言ってスッキリしたのか、イキイキした表情で何か喋っている。
ぺらり。同じく休み時間に本を読んでいる葉山くんは、本に没頭しているせいかいつもの様子でページをめくっている。
わたしはとてもそんなことはできなかった。彼がページをめくるのとほぼ同時に本を閉じる。
その瞬間、図ったようにチャイムが鳴った。
ぺらり。彼は先生が遅れていることをいいことに、またページを進める。彼が今見ている世界は、どこにあるのだろう。本の世界しか見ていないのか、それとも実は現実を見据えているのか。
聞きたいけれど、声は出ない。男子と用事もなく雑談していいのは一軍だけ、という暗黙のルールがある。それを破ってしまったら最悪ビッチ扱いだ。もし一軍か準一軍の狙っている男子なら、無視が始まってもおかしくない。
適当に教科書へ目を通す。この授業に合わせて古文だ。千年以上前にも文章に癒しを求めた人、生きがいを見出した人がいると思えば不思議だ。同時に、勇気も湧いてくる。千年以上前からわたしと同じような人が、何人も存在したのだと、仲間がいたのだと嬉しくなる。
こんな話、作歌ちゃんや綾子ちゃんには話せない。小学生のとき同じく読書好きだという人に話したら、次の日から何となく距離を置かれたことがあるからだ。
『つづりちゃんって、変だよね』
そう陰口を叩かれていたことは、今でも一瞬前のことのように覚えている。
わたしは地味で、ただ読書が好きな女の子でいなければならない。そうじゃないと、また変だと爪弾きにされてしまう。
先生が到着したと同時に、葉山くんは本を閉じた。竹のしおりが美しい。読んでいる本は鎌倉時代に書かれた後深草院二条の『とはずがたり』か。和風の柄とよく似合っている。わたしもその本が好きだ。
もしかしたら、葉山くんもわたしと同じ理由で古文が好きなのかな。同じ理由じゃなくても、わかってくれるかな。
彼と話したくてうずうずする。
本当は今流行っている小説よりも、古典が好きだ。それを言うと『気取ってる』と思われるから言わないけれど。
古文は嫌で面倒臭い教科。それが常識のこの場所で、涼やかに古典作品を読む葉山くん。
わたしはそんなどこにも属さない彼に、どうしようもなく惹かれていた。
今日も教室でひとりにされないがために、教室の隅に固まって口を開く。
「本屋大賞一位の作家、今日新刊発売だったよね」
「そうなんだ! チェックしなきゃ」
「じゃあ、帰り本屋行こうよ。せっかくだし、駅前の大きいジュンク堂はどう?」
わたしの発言に、待ってましたとばかりに二人は乗っかった。近くに一軍のギャル集団がいるから、少し声は抑え気味に。
おとなしめな子と認識されているこの二人とわたしで、教室での居場所は形成されていた。趣味は全員読書。本当に読書が好きなのかは、正直怪しい。この二人から熱っぽく本の話をされたことはなかった。
だけどこの際、本当の趣味なんてどうでもいい。読書という共通点だけで、わたしたちは繋がっているのだから。
「それいいね、賛成!」
ひとりじゃない、ぼっちじゃない、教室の底辺じゃない──そう思うためだけに、わたしたちは三人で不毛な時間を過ごしている。
ちらり、と黒板の窓側にいる葉山くんを見やった。
葉山くんは教室の喧騒なんてどこ吹く風で、じっと真剣に本を読んでいる。時折はらり、とページをめくる手が美しい。そこだけ空気が澄んでいるような錯覚に陥る。
「おーい、つづりちゃん? どうしたの、黒板のほうなんか見て」
「あっ、ごめんね。この前の化学が赤点スレスレだったから、何とかしなきゃって思っただけ」
黒髪おさげに赤縁メガネ、一重の和風美人といった『いかにも地味』な短川作歌ちゃんが不審げな目線をわたしに向けている。
一瞬焦ったものの作歌ちゃんはもとより興味がなかったのか、「ふぅん」とひとこと言うとスルーした。あまり他人に干渉しないのが、このグループのいいところだ。ギャル集団なら目線の先をとやかく言われ、次の日には根も葉もない噂が広がっていること請け合いである。
「あたしも化学ピンチかも。文系志望だからどうってことはないんだけど、赤点取ったらまずいよねぇ」
やはり黒髪をボブカットにした有野綾子ちゃんが照れ臭そうに言う。この子は顔立ちが華やかで一軍にいてもおかしくはないが、常におどおどしている上に前髪もスカートも長いから、野暮ったい印象を受ける。
自分磨きすればいいのに。新学期とかで化けたら、すぐ一軍入りできるでしょ。運動部のエースとかが「有野さんってかわいいよな」と大々的に言うようになれば、綾子ちゃんはすぐに教室の姫ポジションを獲得できる。
そうすれば、このグループはわたしと作歌ちゃんだけになってしまうな。二人グループは底辺の仲間入りだ。今でも綾子ちゃんの容姿で二軍に留まっているようなのに。
そんな一瞬で消えてしまうようなものに、どうしてわたしは縋っているのだろう。
「とりあえず、テスト前は化学の先生に課題聞いてみるかぁ。内申点も上がるかもしれないし」
「いいね、三人で質問いこうよ」
作歌ちゃんの言葉に、わたしは適当に乗っかる。実際に決行されることはないから、気軽に頷けるのだ。
「それじゃあ、そろそろ休み時間終わるし席戻るね」
「また次の休み時間にね」
「ばいばーい」
息苦しくなって、半ば強引ながら引き上げる。二人も同じなのか、誰ひとり「まだ三分あるよ」なんて言わなかった。
斜め前の席にいる葉山くんは変わらぬペースでページをめくっていた。ぺら、ぺら、という軽い音が心のもやを晴らしてゆく。ページが進むたびに、世界は順調に時を重ねているんだなぁ、としみじみ思う。この息苦しい時間にも終わりが来ると、本に告げられているようで。
内容云々よりも、わたしはこうやって本を味わうのが好きだった。
昼休みはあと二分半。小説の世界に浸るには短い時間だが、気にせずに、静かに文章を読む。人より少し遅いスピードで、人より少しだけ大きな世界を見る。教室なんてどうでもいいじゃないか。もっと美麗な世界がここにはある。
サァ。窓から柔らかく爽やかな五月の風が吹き込んだ。単行本の左上が風になびき、ハタハタと音を立てる。ふと目線を上げると、葉山くんのちょっとだけ長い髪が風に遊ばれていた。
こういう穏やかな時間がずっと続けばいいのにな。
「休み時間に本読むって、暗いよね」
グサッと、心臓に刃物を突き立てられたような感覚が走る。うららかな光に包まれた教室が、一気に暗くジメジメしたものに変わった。視界に映る文字は希望を見せてくれるような瑞々しさを失い、無味乾燥とした現実的なものになる。
声の主をそれとなく伺うと、準一軍──一軍の取り巻きや一軍の成り損ない──グループの長、宇野山がわたしをチラチラ見ながらささやいていた。悪口ばかり言っている人だ。能力だけじゃなく性格もいい一軍から、性格の悪さゆえ距離を置かれていることにも気づかない哀れな人。
蔑んでいるのに、どこか羨ましがっている自分もいた。
周りからどう思われてるか気にしなかったら、気づかなかったら、わたしはずっと穏やかな時間を過ごすことができるのに──。
彼女は悪口を言ってスッキリしたのか、イキイキした表情で何か喋っている。
ぺらり。同じく休み時間に本を読んでいる葉山くんは、本に没頭しているせいかいつもの様子でページをめくっている。
わたしはとてもそんなことはできなかった。彼がページをめくるのとほぼ同時に本を閉じる。
その瞬間、図ったようにチャイムが鳴った。
ぺらり。彼は先生が遅れていることをいいことに、またページを進める。彼が今見ている世界は、どこにあるのだろう。本の世界しか見ていないのか、それとも実は現実を見据えているのか。
聞きたいけれど、声は出ない。男子と用事もなく雑談していいのは一軍だけ、という暗黙のルールがある。それを破ってしまったら最悪ビッチ扱いだ。もし一軍か準一軍の狙っている男子なら、無視が始まってもおかしくない。
適当に教科書へ目を通す。この授業に合わせて古文だ。千年以上前にも文章に癒しを求めた人、生きがいを見出した人がいると思えば不思議だ。同時に、勇気も湧いてくる。千年以上前からわたしと同じような人が、何人も存在したのだと、仲間がいたのだと嬉しくなる。
こんな話、作歌ちゃんや綾子ちゃんには話せない。小学生のとき同じく読書好きだという人に話したら、次の日から何となく距離を置かれたことがあるからだ。
『つづりちゃんって、変だよね』
そう陰口を叩かれていたことは、今でも一瞬前のことのように覚えている。
わたしは地味で、ただ読書が好きな女の子でいなければならない。そうじゃないと、また変だと爪弾きにされてしまう。
先生が到着したと同時に、葉山くんは本を閉じた。竹のしおりが美しい。読んでいる本は鎌倉時代に書かれた後深草院二条の『とはずがたり』か。和風の柄とよく似合っている。わたしもその本が好きだ。
もしかしたら、葉山くんもわたしと同じ理由で古文が好きなのかな。同じ理由じゃなくても、わかってくれるかな。
彼と話したくてうずうずする。
本当は今流行っている小説よりも、古典が好きだ。それを言うと『気取ってる』と思われるから言わないけれど。
古文は嫌で面倒臭い教科。それが常識のこの場所で、涼やかに古典作品を読む葉山くん。
わたしはそんなどこにも属さない彼に、どうしようもなく惹かれていた。