追放されて良かったと君たちにこう伝えよう〜冒険者パーティーを追放された後、迷宮の絵を趣味で描いていただけなのに成り上がるのが止まらない〜

神は賽を振らないと言うが、裏を返せば人生というのはサイコロの連続だ。

何が言いたいかというと、人間誰しも運が悪い時もあれば、いい時もあるという単純な話。

もちろん、良いことが連続で続くこともあれば悪い目ばかりが出てしまう時もある。
中には良い目をだすことなく人生を終える不運な人もいれば。
悪い目をだすことなくその生涯を閉じる幸運な人間もいるだろう。

でも結局、自分がどんな目を出すのかはサイコロを振るまでは決してわからない。

自分の人生が最悪なのか最高なのかは……終わってみるまでわからないのだ。

ーーー

「フリーク。あんたをパーティーから追放するわ、ここでお別れよ」

幼馴染でありパーティーのリーダーでもあるセレナが突然僕にそう言ったのは、町の外が一面緑に包まれ始めたそんな春真っ盛りの朝だった。

「え? つ、追放って言ったの今?」

「そうよ、聞こえなかったのかしら? この家と当面の生活費は残してあげるから、あとは勝手にすればいいわ」

「な、なんで急に? い、今までみんな一緒にやってきたのに? 十年間も頑張って、やっとここまで来れたのに?」

「そうね、今までご苦労様。でもこれからは私達だけでやっていくわ」

僕たちは【銀の風】と呼ばれる冒険者のパーティーであり、各地に存在する迷宮の攻略を専門に行っている。

聖剣士のセレナをリーダーに、弓兵のボレアス、魔術師のメルトラ、僧兵のミノス、そして荷物持ちの僕、フリークの五人で構成されている。

このパーティーは全員が同じ村の出身で、十年をかけて王国一の冒険者と言われるほどまで成長をした。

先日ようやく攻略不可能と言われたガルガンチュアの迷宮を攻略して、目標だった史上三組目のオリハルコン級冒険者に昇級……冒険者として今までみんなで頑張ってきた苦労がようやく報われる。そんな矢先の出来事だった。

「た、確かに戦闘ができるみんなと違って、僕はみんなの荷物を運んで管理するだけの仕事だったけれど……荷物持ちも大事な仕事だってみんな言ってくれてたでしょ?なのになんで?」

あまりにも唐突すぎるし納得もできない。

うまく言葉にできなかったが、少しでもそんな思いを伝えようと僕は思いつく限りの言葉を並べるが、今度は弓兵のボレアスがセレナの前に出て大きな深呼吸をした後に怖い顔を作る。

「それは……お前が計算もできないし、難しい言葉も理解ができないからですよ。そういう人間がいるとみんな迷惑するっつー話です。だから追放って話になったってわけですよ」

その言葉に何かが崩れるような音が聞こえた気がした。

確かに僕はみんなより少し頭が悪い。

数字や文字を見るとぐにゃぐにゃ動いてしまって読むことができず、難しい言葉や長い説明を聞くと途中で考えが止まってしまう病気だ。

両親はそんな僕の病気を直そうと医術師に見せてくれたけれど、生まれつきのものでそれは一生治らないものだと説明をされた。

おかげで僕は村でもずっといじめられていたが……でも、そんなこと今更だ。

「な、なんでそんなこと今更いうの? 頭の良し悪しなんて関係ないってパーティーに誘ってくれたのはボレアスでしょ?」

「それはその、そうなんですがねぇ……」

僕の言葉にボレアスは一瞬表情を歪めると、今度はメルトラが諭すように僕の肩を叩く。

「確かに、冒険者として今までなら大丈夫でした。ですがこれから私達がなるのはオリハルコン級の冒険者。貴族や王からの依頼を受けることも増えるでしょうし、貴族の集会や元老院の助力も得られます。荷物持ち、という役割の人間は貴方でなくても良くなるのですよフリークさん」

「で、でも。僕は普通の人より体力があるよ! みんなも知ってるでしょ?今までだってそれでみんなの荷物を運んできたんだ。そうでしょミノス‼︎」

一人部屋の隅でこちらの様子を伺っているミノスに僕はそう助けを求める。
ミノスは僕たちの中で一番の年長者で、喧嘩の仲裁とかもしてくれる落ち着いた人だ。
僕は縋るような思いで助けを求めるが。

「じゃがのぉ、お前さんは剣術も弓術も扱えんからのぉ? おまけに作法も覚えられぬ上に奇行も多い。もし王の前で粗相などされたら我ら全員の首は簡単にとぶ……せっかくここまできてそんな終わり方、我らはごめん被るんじゃ。王や元老院の助力が得られるなら作法も戦闘も訓練された兵士を荷物持ちとして雇えるだろうしの。まぁだから、お前さんはもう不要なんじゃよ」

最後の頼みの綱であったミノスにはっきりと不要だと言われ、めまいと吐き気が僕を襲う。

「嘘だよね……お願い、冗談だって言ってよ。なんで今更そんなこと言うのさ……。村で僕を馬鹿にしないでくれたのは君たちだけだったのに。【頭の悪さなんて気にしちゃだめだって……自分でも気づかないような凄いところを一緒に見つけて、みんなを見返させてあげる】って、そう言ってくれたのはセレナなのに、どうして今更そんなこと言うんだよ……君たちがいなきゃ、僕はまた一人ぼっちなのに。ねぇセレナ? どうして?」

努力してもかえられない事実だけならばまだ耐えられた。
だけど、努力して手に入れたものすら全て否定されて、僕は視界が歪む。
ただ悲しくてぽたぽたと涙が溢れる。

「っ───約束を守れなかったことは謝るわ。でも、これ以上貴方と一緒にいると迷惑になるのよ……だから私たちのことは忘れて、貴方はここで新しい人生を見つけなさい」

「っ……」

セレナは冷たくそう言い放つと、僕に背を向けて拠点にしていたギルドハウスを出て行く。
それに続くように残りの三人もギルドハウスを後にし……広い広い部屋に、僕一人だけが取り残された。

泣いても始まらないのはわかっている。
だけど、その日は一日中僕はそこから動くことができず、ただただ泣き続けることしか出来なかったのであった。
次の日は一日落ち込んで。
その次の日は塞ぎ込んで。

「だめだ……起きよう」

ベッドを出たのは一週間が経過してからだった。

一週間もぐっすり眠れば多少は辛さを克服できるかも……なんて淡い期待はむしろ事態を悪化させるだけだった。

眠っても眠っても悲しい気持ちは収まる様子はないし、むしろ瞼を閉じるたびにパーティーを追放された時の思い出や楽しかった思い出が交互に思い出されて辛さが増すばかり。

しまいには、今まで記憶の隅にしまっていた辛かった思い出までもが夢の中に顔を覗かせるようになる始末。

このままでは気がおかしくなりそうだから、ベットから這い出すように逃げ出したのだ。

もちろん、ベッドから這い出したからと言って状況が好転するわけじゃない。
悪夢にうなされることはなくなったが……夢で思い出が甦らなくとも、ギルドハウスの中は楽しい思い出が多すぎて、それを失ってしまったという思いが募るばかり。

新しい人生を見つけるには、僕にとってここでの生活が大きすぎるのだ。

「……文字が読めるようになったら、またみんな僕を連れてってくれるかな」

思い切ってみんなが残していった本棚の本を手に取り開いてみる。


しかし、それも無駄な努力であった。

本を開いた瞬間、綺麗に整列した文章達が魔法に掛けられたかのように動き出し、回転し、捻れ出す。

頑張って読み解こうと目をこらして単語を拾おうとするが……次第に気分が悪くなり、本を閉じてしまう。

「やっぱりダメか」

昔かかった医術師がいうには、僕は生まれつき文字や数字が動いて見えてしまう病気らしく、直す方法は無いという。

「……ギルドにでも行こう」

夢と現実……双方に打ちのめされるのはもう嫌だ。

仕事に没頭すれば、その間だけは辛いことを忘れられるかもしれない。
そんな期待を抱えるように、僕はいつも通り自分の装備を整えてギルドへ向かったのであった。



「悪いがフリーク、お前に任せられる仕事はないな。他を当たれ」

だが結局、そんな期待もギルドマスターのダストにあっさりと打ち砕かれた。

「なんで……何か仕事はあるでしょダスト? 僕だってセレナ達と一緒にガルガンチュアの迷宮を攻略した一員だよ?」

そうギルドマスターに僕は訴えかけるが、ダストはため息を漏らして僕の肩を叩く。

「あのなぁフリーク。セレナ達のパーティーにいて勘違いをしちまってるみてぇだから教えてやるが、計算もできない、文字も書けない、おまけに武器も扱えない馬鹿のお前を、雇いたいなんて危篤な冒険者はいねーんだよ」

バカって言葉は嫌いだ……何も出来ない、誰にも期待されてない。そんな人間なんだって言われているようで気分が悪くなる。

「わかってるよ、でもそれなら一人でできる仕事を……」

「読み書きもできねーんじゃ依頼書を読むこともできねーだろうが。そんな奴を派遣したなんてことになったら、ギルドマスターである俺の信用にも関わる。わかったら仕事の邪魔だ、とっとと消えろこのウスノロ!」

「うぁっ‼︎?」

受付前でダストに突き飛ばされ、僕は冒険者ギルドの床に倒れる。

『やだ、なにあれ』

『知らないのか? セレナの所にいた、間抜けのフリークだよ』

『あぁ、あれが例の能無し君ね……本当に頭の悪そうな顔してる』

そんな僕の姿を見て、冒険者ギルドにいた冒険者達からクスクスと笑い声が聞こえてくる。

今までなんともなかった僕を貶す言葉や嘲笑が、今日だけは何故か耐え切れないほど痛い。

「うぅ……ううぅぅ……うぅ」

ぐちゃぐちゃな心のまま僕は逃げ出すように冒険者ギルドをでる。
だけど、街に出ても心の痛みは治らない。
それどころか。

『やだ何あの人。変なうめき声あげて、歩き方も変だし……気持ち悪い』

『見窄らしい格好で、こんな昼間から街をふらつくなよ汚ねぇな』

『こらっ……見ちゃだめよ‼︎ 変な人だから‼︎』

次から次へと……今まで聞こえてこなかった言葉がすれ違う人たちから聞こえてくる。

昔と同じ……村の人たちに言われた言葉と何一つ変わらない、僕をバカにする言葉。

そんな言葉を聞いて……僕はどうしてこんなに胸が痛いのかに気づく。

【頭が悪いことなんて気にする必要ないわ……私が貴方が自分でも気付いていないような凄いところ一緒に探して、みんなを見返させてあげるから】

そう言って励ましてくれる人が、僕にはもういないのだ。
雨が降っている……そう気付いたのはすっかりずぶ濡れになった後だった。

何度か突き飛ばされたのか、それとも躓いて転んだのか。
僕はすっかり泥だらけで、大きな橋の上でぼうっと川を眺めていた。

「……このまま飛び降りたら。もう辛い思いをしなくていいのかな?」

泳げない僕ならきっとあっという間に溺れ死ぬだろう。

僕が明日水死体として見つかったら、セレナ達は後悔するだろうか。
パーティーを追放したことを悔やんで、僕のことをずっと覚えててくれるだろうか。

水面を雨粒が叩くたびにできる波紋はまるで僕を呼んでいるようで。
目を閉じて僕はその呼び声従うように体の力を抜く。
と。

「そんな所にいるとお風邪を召されますぞ、お若いの」

ふと声をかけられて僕は振り返ると、灰色のローブに身を包んだ老人が僕に傘をさしてくれた。

この町では見たことがない人だ。

「……えと、あなたは? この町では見ない人だけど?」

「あぁ、ワシはサイモン。この近くで鉄屑を売って生活しとるジジイでな。最近ここに越して来たんじゃよ……まぁ、わしの事はいい。こんな雨の日に傘も刺さずにぼうっとして如何なされたかな? お若いの」

「えと……その……僕、えっと」

状況を説明しようとしてみたが、考えがまとまらず言葉が詰まる。

またバカにされる。

そう思うとさらに言葉が出ず、頭がどんどんこんがらがっていく。

あぁ……もう嫌だ。

自分への嫌悪感に思わず僕はぎゅっと目を瞑る。

だが。

「色々と大変なようじゃな、お若いの……一旦うちに来るといい。大したことができるわけでもないがそうさの、話しを聞いてあげることぐらいはできるじゃろうて」

「……僕の話を聞いても笑わない? うまく話せないし、頭も悪いから頭にくるかも」

「こんなボロボロの服に穴だらけの靴でどうして誰かを笑えようか。見ての通りワシだって人のことを笑えるような生活は送っとらん。じゃから安心してついてきなさい……とって食ったりなんぞせんから」

「……うん」

優しい表情でそう促すサイモンに小さく頷き、僕はふらふらとした足取りのまま、導かれるように街の路地裏へと進むのであった。



裏路地を抜けていくとそこには小さくボロボロな建物があり、サイモンはそこに僕を案内すると、暖炉に火をつけてその前に僕を座らせ毛布をかけてくれた。

「あったかい……」

「狭くて快適とは程遠いじゃろうが、ずぶ濡れよりはましだろうて。お若いの、スープはお好きかな?」

「ありがとう」

少しかけたカップを受け取り口をつけると、体が芯から温まるような気がして。
僕はパーティーを追放されてから何も口に入れていなかったことを思い出す。

「草ばかりでうまかないじゃろうが……」

「ううん……美味しいよ。今まで食べた料理の中で一番だ」

「……それはそれは。こんなもんでよろしけりゃいくらでもある。遠慮せずじゃんじゃんお食べなさい」

「うん。ありがとうサイモン」

「このぐらい、礼には及ばんよ。 それで? お前さんはどうしてあんなところで濡れ鼠になっとったんじゃ?」

「それが……」

僕は今までのことをサイモンに話した。
辿々しく、要領も悪く。 何度か同じ話を繰り返したかもしれない。
辛くて、しばらく黙ってしまったこともあった。

だけど、サイモンは黙って聞いていてくれた。

どれぐらい時間が経っただろう。
濡れた服も乾き始めているところを見ると、長い時間話し込んでいたらしい。
全てを話し終えると、サイモンは静かに目を閉じて。

「それは辛かったのぉ……ずぶ濡れにもなるわい」

笑うでも、バカにするでもなくそう静かに言ってくれた。
ほんの少しだけだが、ぐちゃぐちゃだった心がほぐれたような気がした。
「サイモンは僕のことバカにしないんだね」

「そうさな、さっきも言った通りワシも人を笑えるほどまともな生活は送っとらんし……何よりあんたがバカかどうかなぞまだ分かりゃせんからな」

煙を燻らせながらサイモンはそういうと、ゆっくりと煙を鼻から出す。

「どういうこと?」

「本当のバカと言うのは、一を聞いて十を知った気になる様な者のことを言う。ワシはなお若いの、あんたのことはなぁんも知らん。聞いた話もあんたが体験したことを聞いただけじゃ。全てが本当かもしれんし、そうではないかもしれんじゃろう?」

「嘘をついてるかもってこと? 僕が」

「さぁの、じゃがお前さんのいうことが全て正しいなんて、出会ったばかりのワシがどうして判断できる?お前を捨てたっちゅう仲間が何を考えてたのかもお前さんの話だけじゃ検討もできんからな」

「……そっか。それもそうだよね」

サイモンの言葉に僕は納得をし、服が乾いたのでサイモンの方に向き直る。
髭を蓄えてボロボロの椅子に座る老人は、僕よりも背が小さいのにとても大きくみえた。

「お若いの、あんたは素直じゃな。短慮は愚かじゃが素直さは美徳じゃ。きっとその性格は人生を良い方向に運んでくれるじゃろうて」

微笑みながらそう言ってくれるサイモンに、僕は一瞬嬉しくなるが。
同時に心の中にセレナたちに捨てられた時の言葉が思い起こされる。

「どうだろう……どれだけ人生が良い方向に向かっても、その度に僕はこの頭の悪さで全てが台無しになっちゃうんだよ……きっとこれからずっと。この頭の病気は治らないんだって医術師の人に言われたし。僕は幸せにはなれないんだよ」

「ふむ、お若いの。一つ勘違いをしておるの」

「勘違い?」

「うむ。人生が幸せか不幸か……そんなもの頭の良し悪しじゃ決まらん。むしろ頭が良い奴の方があれこれ難しい問題や世界の現実なんかを目の当たりにして、不幸になる奴の方が多いんじゃぞ?」

「そ、そうなの?」

「あぁ、じゃからといってお前さんが幸せになれるというわけじゃないがな。自分が幸せになるのか、不幸になるのか知るものなんぞこの世に一人としておらんのじゃよ。人生とはサイコロの様なもの、終わってみるまでどうなるかなんぞ誰にも分からん」

「うぅん……難しいね」

「あぁ、もしかしたら神様なら分かるかもしれんがな。神は賽を振らないと言うし……じゃが反対に、ワシらの人生はサイコロの連続というわけじゃ」

「???」

サイモンが何を言おうとしているのかがわからず僕は首を傾げると、サイモンは僕の頭を優しく撫でてくれる。
いつか両親がそうしてくれたように、その手はとても暖かく優しかった。

「まぁ何が言いたいのかというと、人生は最後まで何が起こるか分からんということじゃ。このままお前さんの人生は悪いことばかりかもしれんし、大逆転があるかもしれん……振り続けることを辞めなければ、チャンスは訪れ続けるはずじゃ」

「それは、働き続けるってこと?」

「いいや、もっと単純な話じゃ……生き続ける。それだけでよい」

生き続ける。

少し前ならば何も苦に感じないことだった言葉が、重石のようにずしんとのしかかってきたような感覚に襲われる。

「なんだか、今の僕にはそれすらも難しく思えるよ。仕事もできないし、それどころか夜ぐっすり眠ることもできそうにないし」

そう、今ではただ生きていると言うだけでとても大変なことのように感じてしまう。

まるで自分がとてつもなくどうしようもない人間になってしまったかのようで、情けなさで押しつぶされてしまいそうだ。

だが。

「そうさな……今はただ生きる、と言うだけでも辛かろう。であれば先ずは趣味を見つけなさい」

「趣味?」

「お若いの、好きなことはあるか?」

「好きなことって?」

「なんでもよい……歌だったり、料理だったり、やってて夢中になれることならなんでもな」

「それなら……小さな頃、絵を描くのが好きだったよ。文字や数字と違って、風景や人の顔はぐにゃぐにゃって動かないし、忘れないでずっと頭に残ってくれるから。それが楽しくて小さな頃は色んなものを描いたよ……」

「そんなに好きだったのに、何故今は描いていないんじゃ?」



「お父さんにやめろって言われたから、自分ではよく分からないけど、僕の描く絵はとっても不気味で人を不安にさせるんだって……まるで、悪魔が乗り移ってるみたいだって」

「大袈裟な話じゃな」

「字が読めない病気だったから、それもあったのかも。 結局、村の人が気味悪がってるから辞めろって……お父さんに辞めさせられたんだよね。みんなに迷惑がかかるって……だから、それ以降はずっと絵を描いていないんだけど」

「ふむ……そうか、ならこれからは、描くものが思いつかなくなるまでずっと絵を描いてみるといい」

思いついた趣味を上げると、サイモンはそんな意外なことを言ってきた。

「ずっと? 仕事もしないで?」

「仕事なんぞせんでいいわい。そもそも仕事をさせてもらえないんじゃろ?」

「そうだけど……みんなに迷惑がかかるかも」

「みんなって誰じゃ? お前さんは今一人なんじゃろ? 誰に気を使う必要があるんじゃ」

「あ、そっか」

サイモンにそう言われて、僕は改めてそんな当たり前のことを思い出す。

「他人の事なんてもう気にする必要はないんじゃよ。 お前さんに必要なのは先ずは嫌なことを忘れられる時間じゃ……まずは飽きるまでやりたいことをやりなさい。仕事もお金も後回し。今はやりたいことだけやればいいさ。騙されたと思ってやってみなさいな」

お説教をするように、だけどどこか優しいサイモンの言葉に僕は肩が軽くなったように感じる。

「…………うん、わかった。 好きにやってみるよ」

「よろしい……あぁそうだ、絵を描くならそうじゃな、これをやろう」

そう言うと、サイモンは乱雑にものが積まれたテーブルから、少し高級そうな木の箱を取り出すと僕に手渡してくる。

「これは?」

「絵を描く用の筆じゃよ……どっかの誰かからの貰い物じゃが、ワシには絵心というものがなくてな、捨てるにも捨てられんで困ってたんじゃ」

「貰って良いの?」

「あぁ、ここで眠っとるよりはこの筆も幸せじゃろう……もう描くものが無くなって、それでも悪夢を見る様ならその時はまたここに来るといい」

サイモンの言葉に僕は少しだけ頑張って考える。
どうせ冒険者としての仕事は望めないしやることもない……それなら。

「ありがとうサイモン」

何もしないで塞ぎ込んでいるより、サイモンの言った通りにしてどうなるかを確かめて見た方がいいだろう。

そう結論を出して僕は貰った筆を抱きしめる。

「ふっふっふ……お前さんはやはりバカではないの……話を鵜呑みにするだけじゃなくちゃんと自分で試そうとする。検討を祈っとるぞ、お若いの」

「うん‼︎」

難しい言葉も、気の利いた言葉も言えなかったけれど。
できる限りの感謝の気持ちをサイモンに送って、急いでサイモンの家を出る。

気がつけば雨はすっかり上がっていて、空には虹もかかっている。

「……何を描こうかな」

冒険をしてきた様々な場所の光景を思い浮かべながら、僕は駆け足でギルドハウスまで戻るのであった。


「えぇと、確かこのへんに」

家に戻った僕は、少し前の記憶を頼りに物置に入る。

本来ここは仲間たちと冒険に使用する装備品のスペアや、冒険で手に入れたお宝や金貨を保管しておく金庫などをしまっている武器庫兼宝物庫なのだが、弓兵のボレアスや僧兵のミノスが酔っ払った勢いで買ってきた変なものがスペースのほとんどを占めてしまっているため、セレナとメルトラが皮肉を込めて物置と呼んでいたため、僕もそう呼んでいる。

みんなが出て行ってから物置小屋に入るのは初めてだったが、ものが持ち出された様子もなく、金庫を開けてみると冒険で集めた宝石や金貨は手をつけられることなくそのままであった。

「……みんな、ほとんど何も持ち出さなかったんだ」

ボレアス達が買ったガラクタならばまだ残っているだろうと思っていたけれど、金貨も武器も置きっぱなしにしていくのは予想外だった。

僕は追放をされた身だし、何よりここにあるもののほとんどは、セレナ達が命の危機を乗り越えて自分たちの力で勝ち得たものばかり。

ただの荷物持ちとしてついていっただけの僕に残しておく必要はないし、当然持ち出されてしまっていると思っていたのだが。

「オリハルコン級冒険者って……そんなに儲かるのかな?」

ふと疑問に思ったが、思えば王様からの支援を受けられると言っていたし。
きっと十年間必死の思いでかき集めた財宝や武器が端金に思えてしまうほど莫大な報酬や支援が受けられるようになるから全てを置いて行ったのだろう。

少しだけ寂しいような気もしたが……それでもそのおかげでしばらくは働かなくても飢え死にすることはなさそうだ。

これで、ひとまずはお金を気にせず絵に没頭できる。

そう思案して僕は宝物庫から金貨を数枚取り出すと、今度はガラクタの中を改めて漁る。

「お……やっぱりあった」

目当てのものはすぐにみつかった。

油絵用に使用される絵の具と、画材道具一式。
四年ほど前に酔っ払ったミノスが酒のつまみと勘違いして買ってきたものであり、絵の具のチューブのいくつかには小さく歯形が付いている。

本人曰く絵の具が小魚に見えたとのことらしいが、あの時ばかりは絵の具を食べようとするミノスに怒ったセレナが、全員に一ヶ月の禁酒命令を出したのだった。

「……ふふっ。一番ショックを受けてたのはミノスじゃなくてメルトラだったけれど。面白かったな、あの時は」

クスクスと思い出し笑いをして僕は画材道具道具袋に詰め込み、今度は壁に立てかけてある木材と、ガラクタ入れに布のシーツを取り出し、組み合わせて簡単な画架(イーゼル)とキャンバスを作る。

「これでよし」

手先が器用な方でもないためお世辞にもしっかりとした出来とはいえないが、どうせ自分一人のためのものだし気にすることはない。

「さて、と。後は描く場所だけど」

家の中で描いてもいいが、思い出が多すぎる家の中では上手く絵に集中ができなくなってしまうかもしれない。

「となると外か……」

少し目を閉じて、自分が昼寝をした場所で居心地が良さそうな場所を考える。

「……そう言えば、街の東に小さな湖があったな」

あそこなら誰もこないし、絵を描く用の水をくむ手間も省けるからそこがいいだろう。
確か湖には鯉とかワカサギがいたはずだから、お腹がすいたら魚を釣って食べればいいから街に戻る必要もない。

「よーし、描くぞぉ〜」

自分でも驚くほどの良案に僕は口元を綻ばせ、キャンバスとバッグ。そして同じくガラクタ入れに何本も立てかけてある釣竿を手に取って湖へとむかい、到着するとすぐに見様見真似でパレットに絵の具を落とし、その日は思うままに絵を描いた。

久しぶりの絵で不安はあったが、その不安を打ち消すように筆はどんどん進んでいった。

────キャンバスに僕が描くものだが。

一晩悩んだ結果、今まで冒険をしてきた迷宮の風景に決めた。

薄暗くて薄気味悪いそんな場所の光景で、昔だったら間違いなくお父さんに怒られていただろう。

でも。

誰も欲しがらず、誰も褒めてくれないだろうけれども関係ない。
誰がなんと言おうとここだけが、僕が一番楽しい時間を過ごせた場所だから。

「…………うん」

仲間(辛い思い出)の姿は描かず、迷宮の絵だけを描き続ける。

サイモンの言った通り、描いている間は辛いことを忘れられた。

それから僕は雨の日も風の日も……ただひたすらに迷宮の絵を描き続けるのだった。


「随分と変わった絵を描くんだな、あんた」

絵を描き始めて二ヶ月がすぎた春の終わり。
筆や絵の具の使い方にも小慣れてきて、三枚目の絵の仕上げに取り掛かっている最中に僕は初めて声をかけられる。

戸惑いながら振り返ると、そこには荷物を抱えた革鎧姿の男性が立っていた。

冒険者なのだろう。腰には剣を差しており、りんごを齧りながら物珍しそうに絵の具を乾かしている絵や、仕上げに差し掛かっている絵を興味深そうに眺めている。
街で見たことがないから、おそらくは他の町から迷宮に挑戦しにやってきたのだろう。

「えっと」

「おっと、声かけちゃまずかったか?」

「いや……別にいいけれど」

「なら良かった。これって全部迷宮の絵か? 絵描きさんよ」

安心したように男は口元を緩めると、今度はそんなことを質問してくる。
思えば人とまともに会話をしたのは久しぶりだったため、僕は筆を置いて休憩も兼ねてその人と話をすることにした。

「そっちの乾かしているのはこの街にあるラプラスの迷宮。それでこれは、僕達が最後に攻略したガルガンチュアの迷宮だよ……あと、絵描きさんじゃなくて僕はフリーク……これでも一応冒険者さ」

「ガルガンチュアの迷宮にフリーク……っつーともしかしてあの、銀の風のメンバーの?」

「えと、まぁ」

元だけど……と言おうとしたところで、男はいきなり僕の手をとる。

「やっぱりそうか‼︎ ここを拠点にしてたって聞いてたから運が良ければ会えるかもって思ってたけど、まさかこんなに早く会えるとはな‼︎ いやぁ、今日はついてるぜぇ〜‼︎ それで、他のメンバーはどこにいんだ? 近くにいるのか?」

瞳を輝かせて興奮気味にそう聞いてくる男の手を僕は振り解く。

「……もういない。みんなオリハルコン級冒険者として王都に行っちゃったよ」

「あーそっかそっか。そりゃそうだよな。史上三組目、三十年ぶりのオリハルコン級冒険者
だもんな、王様も自分の側に置いておきたいよなやっぱ……ってあれ? そうすると、フリークはここで何してんだ? 銀の風のメンバーなんだろ?」

「元(・)銀の風メンバーだよ。元々は荷物もちだったんだけど、頭が悪くて作法も知らないから、一緒にいると迷惑になるって追い出されたんだ」

隠してもしょうがないため僕は正直にそう言うと、男は一瞬固まった後。

「……あー。悪い……なんか悪いこと聞いちまったみたいだな」

手を離してバツが悪そうな表情をしてそういった。
バカにされると思って身構えていたが、謝られるのは意外な反応だった。

「ううん。知らなかったんだし気にしないで……僕ももう気にしてないから」

少し強がって嘘をついてみたが。少しだけ胸がズキと痛んだ。

「そか。それならいいんだが……。あーそうだ、この絵いくらだ? 一枚買うよ」

話題を変えるためか、それともお詫びのつもりか男は不意にそんなことを聞いてきた。

困ったな、趣味で描いてただけだから値段なんて当然決めていない。

「趣味で描いてるだけだから、値段とかは決めてないんだ。もし欲しいなら好きなのを勝手に持っていっていいよ」

「いやいや、あんたの絵は多少不気味だが趣味というにはできが良すぎるぜ。こんなのタダでもらったなんて言ったら、俺が泥棒扱いされちまうよ」

「でも、計算とかよく分からないから……」

「あーそうか……だったらこの指輪と交換っていうのはどうだ?」

そういうと男はポケットから指輪を取り出すと、自分の指にはめる。

と、不意に男の顔が一瞬歪んで僕の顔に変わった。

「わぁ……すごい。 もしかして魔法の指輪?」

「あぁ、顔弄りの指輪っていう魔法のアイテムでな。顔しか変えられないが、こんなのでも質屋にでも売ればそれなりの値がつく。なんだかんだ便利だし、フェアな取引なはずだぜ」

指輪を外して元の顔に戻った男はウインクをしながら指輪を差し出す。
趣味で描いた絵で報酬を取るのはなんだか申し訳ない気もしたが。

正直な話、色々な顔に化けられる指輪というのは楽しそうだ。

「わかった。そう言ってくれるなら指輪と交換ってことで」

「うっし契約成立だ……それじゃ、この街にあるラプラスの迷宮の絵を貰っていいか?」

「うん。ちょっと待ってて、持ち運びしやすいように木枠から外して丸めるから」

「悪いな、手を止めさせちまって」

「報酬を貰ったんだ。これぐらいするよ」

「そうか……いい奴だなあんた。絵も上手いし」

「ありがとう。これでもう少しだけ頭が良ければ良かったんだけどね」

少し自嘲を込めて僕はそう言うと。

「あー、なんだ。 出会ったばかりの俺が言うセリフじゃねーけどよ、そんなに自分を卑下するもんじゃないぜ? 荷物持ちだったとはいえ、ガルガンチュアの迷宮を攻略したのは事実なんだ。 おまけにこんなすごい絵が描けるんだし。人生頭の良さだけじゃないさ……もっと自分に自信持っていいと思うぜ?」

彼のその言葉に、一瞬手が止まる。
僕を励ましてくれるその言葉が、一瞬だけまだ一緒に冒険をしていた頃のセレナ達と重なって戸惑ってしまったからだ。

「そう……だよね。なんかそういって貰えると、気分が軽くなるよ。ありがとう……えっと」

「ルーディヴァイス。ルードでいいぜ」

「ルード……いい名前だね」

「あぁ、親にもらった自慢の名前だ」

「そっか……あ、そうだ、はいこれ。運びやすいように麻紐で結んでおいたよ」

「おぉ、助かるぜフリーク。ありがとよ」

「ふふっ。どういたしまして」

「さぁてと。それじゃあそろそろ行きますかねぇ。邪魔して悪かったな」

「ううん。指輪ありがとう。大切にするね」

「あぁ、またなフリーク‼︎」

会話がひと段落つき、丸めた絵をルードはカバンに差し込むとそう言って街に向かって歩き始め。

僕もまたキャンバスに向き直る。

と。

「あ、そうだフリーク……」

歩き始めたルードは思い出したように呟くとこちらに向き直り。

「何?」

「この絵のタイトル聞くの忘れてたわ……なんて言うんだ?」

そんなことを聞いてきた。

「タイトルか。特に決めてなかったけど、そうだな……」

大層なタイトルはパッと思い浮かばないし、この際場所をタイトルにしてしまおう。

「3階層 東に30歩、北に15歩、西に10歩……かな」
ルード編


迷宮、こいつは魔物が無限に湧き出す薄暗くてじめじめした最悪の宝石箱だ。

そもそもなんで俺たち冒険者は迷宮に潜るのか? どうして迷宮なんかが生まれたのか?

ことの発端は大体百年前、異世界からこの世界を侵略しにやってきた魔王とこの国との大戦争が始まりだ。

この大戦争、正直なんで勝てたんだってくらい奇跡的な勝利な上に物語としても面白くておすすめなんだが。

長くなるから今回は迷宮誕生の所だけ説明しよう。

国が二つ無くなるほどの大戦争の末、当時のこの国の王、メルディアン:リナルドは、誰よりも強い力と誰よりも強い魔力を持つ魔王を見事打ち倒すことに成功。
魔王の死により世界に平和が訪れ、世界は歓喜の歌声で包まれた。

だが魔王って奴は相当慎重な性格だったのだろう。

しばらくして各地で不自然な遺跡……迷宮が発見され、その最深部にて魔王の魂と古代魔法の起動が確認された。

魔王は倒される前、自分が復活ができるようにあらかじめ各地の魔力が溜まりやすい場所に迷宮を作り上げ、復活を目論んだのである。

このままではいずれ、十分に魔力を吸収した魂が魔王となって復活を果たす。

当然その事態をそのままにしておくことも出来ず、王は迷宮の破壊を試みるも、魔王の魔法により作られた建築物を破壊することは叶わなかった。

メルディアン:リナルド王は苦肉の策として各迷宮で魔力を集め肥大化する魔王の魂を、クリスタルに少しずつ封印して持ち帰るという対処療法を取る方法を考案した。

だがそれも簡単な話じゃない。

当時は戦争が終わったばかり、兵士の数は少ないうえに魔王が迷宮をいくつ作ったのかも不明瞭。

迷宮を一つでも取り残しても、時間をかけすぎても魔王は復活してしまうのだから、とんでもない置き土産を残したものだ。

国中を闇雲に探すには人手も足りず、魔王との戦争で疲弊したのを好機とばかりに、周辺の国が侵略を目論んでいるという噂もあり、兵士を王は手放すことができなかった。

困り果てた王は、やがて魔王の魂に懸賞金をかけ、軍隊とは異なる機関を頼ることになる。

まぁ、前おきは長くなったが、そこで白羽の矢が立ったのが当時遺跡調査や洞窟探索を引き受けていたならず者や半端者、失業者の集団……数だけは多い俺たち冒険者だったってわけだ。

もっとも、冒険者という職業が誰もが憧れる夢の職業になったのはここ数十年の話ではあるが……。

とはいえ、現在世界中に存在する迷宮は全て発見され、半年前に誰も踏破ができなかった最難関の迷宮が攻略されたことにより、魔王復活の脅威からようやく人間は解放されたというわけである。

まぁもっとも、魔王の魂が膨大すぎるのと迷宮最深部までたどり着ける冒険者自体がいつの時代も稀有ということもあり、魔王の魂を完全に消滅させるのにあと何百年かかるのかは予想ができない。

そのため俺たち冒険者は今日も今日とて迷宮探索に勤しむのである。


「ったくあのダストってギルドマスター、いけすかねぇ野郎だぜ」

フリークと別れ、転籍の登録を終えた俺はその足で腕試しも兼ねて迷宮へと足を運んだ。

様子見……というのも勿論あるが、冒険者ギルドで田舎者と馬鹿にされた鬱憤を魔物にでもぶつけて晴らしてやろうと思ったからだ。

「田舎者、田舎者って馬鹿にしやがって。 てめえの出身だって大して変わんねぇど田舎じゃねえかタコ坊主‼︎」

半ば八つ当たりに近い怒号を発しながら、飛びかかってきたオーガの頭を斬り落とし、返す刃で足元から奇襲を仕掛けてきた大蛇バジリスクの首を叩き切る。

ラプラスの迷宮は難易度こそゴールド級の冒険者向けの迷宮だが……迷宮は王都に近ければ近いほど難易度設定が甘くなるという話は本当のようで、特に苦戦することなく魔物たちは俺の八つ当たりの餌食になっていく。

北の街で唯一中級の迷宮を単独で走破ができる俺にとって、バジリスクやオーガ程度は手こずる程のものではない。

「……とはいえ魔物は弱えけど、なんだよこのくそ難解な迷宮はよ……俺のいた街の迷宮の倍ぐらいの広さがあるぞ……こんなことなら、もう少しフリークに迷宮の情報を聞いとくんだった」

魔王の魔力により絶えず生み出される魔物に、薄暗く複雑なこの迷宮。
こんな危険な場所でちんたら地図を作ろうなんて考えるやつは当然いない……。
集中力を途切らせ、油断をしたものから死んでいく……そんな危険な場所で、図面を引きながら歩くなどというのは自殺行為に等しいからだ。

また、仮に作った奴がいたとしても、それを誰かに見せようなどと考える冒険者などもっといない。

冒険者は何度も迷宮に挑戦するなかで死と隣り合わせのトライアンドエラーを繰り返し、やがて自分だけの攻略ルートを確立して魔王の魂を安全に回収できるようになる。迷宮最深部の魔王の魂はいわば冒険者にとっての努力の対価だ。

迷宮の地図を誰かに見せるということは、他人がその努力をせずに報酬だけを手に入れられるようになるということ。

当然、それをよしとする懐の広い冒険者など存在しないし、どんなに仲の良い友人にも迷宮の情報は明かさない。

ただし酔い潰れた時だけ迷宮の情報を漏らす奴は多いため、冒険者は毎晩酒場に集い、酔い潰れて誰かが口を滑らせないかを虎視眈々と狙っているのである。


「だけど……フリークは聞いたら色々と教えてくれそうだな。今は冒険者としては活動してないみたいだし……明日色々聞いてみるか」

そう呟きながら俺は、迷宮二階層の階段を降りていき、三階層へと到着をする。

異様な雰囲気に、二階層とは違った苔むしたじめじめとした場所……。

初めてみる光景のはずなのだが、その光景に俺は見覚えがあった。

「ここが三階層か……本当にフリークの絵そっくりだ」

正確にはフリークの絵が迷宮にそっくりなのだが、そんなことはどうでもいいだろう。

苔の質感、迷宮の薄暗さにじめじめとした絵の具を滲ませたような壁の色。

まるで本物の絵、みたいだ……。

そう思いながら、東にまっすぐと伸びる迷宮の道を見据え。

ふと、思いつく。

「東に30歩……」

コンパスは東を指し、絵のタイトルを思い出しながらちょいと小柄なフリークに合わせて歩幅を狭めて東に30歩。

すると今度は東、南、北の三叉路にたどり着く。

「北に15歩」

次に現れたのは東と西の分かれ道。

「……西に10歩」

そして、到着した場所の前で俺は、フリークの絵を広げてみる。

そこには目前の場所と全く同じ風景が広がっていた。

確かに迷宮というやつは似通った風景が続く。
だがその絵は、積み上げられた煉瓦の配置や壁にできた傷一つ一つ全てが、全く同じに描かれているのである。

「いやいや……偶然だよなこれ」

ただの偶然……一度自分に言い聞かせてみるが。

言葉とは反対に頭はフリークと最初に話した内容を思い返す。

『間違っていないと思うんだけど』

そう、フリークは絵に対して確かに間違っていないと言っていた。
聞いた時は意味が分からず聞き流していたが。

それが、この風景を何一つ間違いなく記憶の通り模写をしたという意味だとしたら?

あいつの頭は文字や数字が見えない代わりに、見た風景や光景を完全に記憶できるんだとしたら?

「……こいつぁ。 とんでもねぇやつと行き合ったか‼︎」

迷宮攻略のことなんて忘れて慌てて踵を返した。

フリークはきっと、俺の人生を輝かせてくれる。

そんな確信を、胸の中に抱きながら。



「頼むフリーク‼︎ 俺に協力してくれ‼︎」

初めて絵が売れた次の日の朝、ルードは金貨の大量につまった袋を持って僕のところにきてそう言った。

「え、そんなに気に入ったの? というかどうしたのそのお金……」

「借りた‼︎ 俺の装備と剣を担保にな‼︎」

「借りた……って、なんでそこまでして。そんなに僕の絵が気に入ったの?」

「気に入ったなんてもんじゃねえよ‼︎ お前の絵がありゃ、俺はすぐに大金持ちさ‼︎ 頼むフリーク‼︎ お前は天才だ‼︎ 俺のために絵を描いてくれ‼︎ このとおりだ‼︎」

「え? えええ、ちょ、ど、どういうこと???」

困惑する僕にルードは迷宮の絵を開く。

「この絵、タイトルの場所に言ってみたんだが、迷宮の風景どころか壁にできた傷の数まで全く同じだった。風景を見て描き移すならまだしも、お前がこの絵を描いたのは迷宮でも何でもない湖の近くだ……つまりお前はこれを、記憶だけを頼りに描いたってことだろ?」

「そ、そうだけど……」

「やっぱりか……なぁ、もしかしてお前一回見たものって忘れないんじゃないか?」

「え、そ、そうだけど。みんなそれが普通なんじゃないの?」

「なんてこった。やっぱり……恩恵保有者(ギフテッドホルダー)か。なんだって銀の風の奴らはこんな天才を捨ててったんだ?」

「ぎ、ギフテッド?」

「ごく稀に産まれてくる神様から特別な力を授かって産まれてくる人間のことだよ……お前の場合、瞬間記憶能力の恩恵保有者(ギフテッドホルダー)だな」

いろいろな単語の出現に、僕は頭がショートしそうになりポカンとする。

「え、えと。ごめん、話が難しくてついていけないんだけど」

「あぁ悪い。つまりお前には普通の人間にはない特別な才能があるってことだ。誰も気付いてなかったみたいだけどな」

「……そ、そうなの? いや、でも僕、本も読めないし、計算だってできないよ?」

「前にも聞いたが、それは頭が悪くて覚えられないんじゃなくて、他に理由があるんじゃないか? 例えば、文字を読もうとすると文字が動いて見えるとか?」

「なんで知ってるの?」

「やっぱり……恩恵保有者(ギフテッドホルダー)の特徴だ。驚異的な能力を持つ代わりに、普通の人間が当たり前に持っているような能力が衰えていたり無くしていたりするんだよ。味覚がなかったり、感情がなかったり……視力が極端に弱かったりって言った具合にな。識字障害、文字が読めなくなるってのもその一つだ」

「そ、そうなんだ……で、でもなんでそんな凄い事なのに、みんな気付いてくれなかったんだろ?」

「フリークの場合は、瞬間記憶能力の代償が識字障害だったってのが原因だろうな。大体瞬間記憶能力者ってのは、本の内容や、数字の羅列を一瞬で記憶するって離れ技をやってのけるからギフテッドホルダーだと認知されるんだが。文字や数字がそもそも読めないんじゃ、ちょっと人の顔を覚えるのや道をおぼえるのが得意なやつ程度の認識で終わっちまう……こうやって絵でも描かないと自分の才能に気付いてもらう機会がないんだよ」

なるほど……と僕は納得してしまう。
親に絵を禁止されてから今まで、僕は銀の風のみんなに絵を見せたことがない。

ルードのいう通り、僕に瞬間記憶能力があったとしても気付かなかったのは無理もない……のかな?

「……でも、今まで生きてきてこの能力が役に立ったことってあんまりないよ」

迷宮の攻略を手伝って欲しい……と言われても、いままで十年間迷宮の攻略においてこの力が役に立ったことなど一度もない。いまさらどうやって手伝えば良いのだろう。

しかし、ルードは「とんでもねぇ」と一言呟くと。

「お前は迷宮の地図そのものなんだよフリーク。 歩いた場所、見た場所全てがお前の頭の中に全部入ってるなら、俺はこれからどんな迷宮も安全なルートで迷うことなく攻略ができるってことになる‼︎」

「……あぁ、確かに」

銀の風に所属していた時はみんなの後をついていくだけだったが、攻略方法も迷宮内の構造も全て記憶している。

もちろん、最短ルートも、安全なルートも全部映像として記憶されている。

「頼む‼︎ お前のその記憶力で俺に力を分けてくれ‼︎ 報酬はきっちり半分、悪い話じゃないだろ? な?な? 頼む、この通りだ‼︎」


終いには頭を地面に擦り付けて土下座まで始めるルード。

「あぁ……もぅわかった、わかったからルード。頭を上げて」

その気迫に押され、僕はルードに協力をすることにした。
あまりにもルードが必死だったからというのもあるが。

今までずっと探していた、自分でも気付いていない僕の凄いところを初めて見つけてくれた彼との出会いには、僕も特別なものを感じずにはいられなかったからだ。

「本当か‼︎」

「うん、どうせ暇だし……ただ、絵を描くのは趣味だから続けさせてもらうけれどもそれでもいい?」

「もちろん、もちろんだぜフリーク‼︎」

「そう、だったらこれからよろしくね。ルード」


「あ、ああ、こっちこそよろしくなフリーク‼︎ いや、相棒ーー‼︎」

ルードは叫びながら僕に抱きつく。
大袈裟だな……とは思いつつも、悪い気はしなかった。


「それで、迷宮攻略を手伝うっていうけれど、僕は何を手伝えばいいの?」

迷宮攻略を請け負うことは了承したが、迷宮の構造が頭に入っているからといって、実際に迷宮でのサポートはほとんどできないに等しい。

荷物持ちとして迷宮に一緒に潜って道案内をする……というのはできるかもしれないが。
迷宮攻略のギミックだったり仕掛けだったりは僕はほとんど知らない。

「そうだな……階段の場所を教えて欲しいってのがあるがそれは今のところ後回しでいいだろう。 とりあえず今は、迷宮の絵を書いて欲しい。罠とか魔物の巣の絵とかは描けるか?」

「罠? 描けなくはないけれど……言っとくけれど解除の方法とかはわからないよ?」

「罠の種類がわかればいい。今まで一人で冒険者してたんだ、罠の解除とかはお手の物よ。 最悪、罠の場所だけわかれば引っかからないようにすればいいだけだからな」

「ふぅん……でも罠とか魔物の巣の絵なんて何に使うのさ?」

「罠と魔物の巣ってのは、冒険者がやられやすい場所だ。つまり、迷宮で死んだ冒険者たちのお宝が溜まりやすいんだよ」

「……なるほどねぇ。話を聞けば納得だけど、でもそんなに上手くいくのかなぁ?」

「なぁに、任せとけって」

ニヤリと笑って自分の胸を叩くルードの表情は羨ましいぐらいの自信に満ち溢れていた。

────────────それからしばらくして。

半信半疑ではあったが、言葉の通り絵を描いてあげた次の日は必ずと言っていいほどルードは大金を持ち帰ってきた。

いくら魔物の巣の場所や罠の場所がわかったところで、魔物は退治をしなければ宝は手に入らないし、罠も解除をしなければ自分が罠にかかってしまう。

どうやらルードは元々腕のいい冒険者のようであり、そんな彼の実力がこの街で認められるようになるのにそう時間は掛からなかった。


「へっへへ、見ろよ相棒‼︎ ゴールド級通り越して、今日から俺はプラチナ級冒険者だ‼︎」

「おめでとうルード。さすがだね」

「何言ってんだよ相棒‼︎ それもこれも、ぜーんぶお前のおかげだってーの‼︎ ほら、今夜はお祝いだ‼︎ めちゃくちゃいい酒買ってきたからよぉ、今夜はお前んところで飲み明かすぜぇ‼︎」

「別にいいけど……前みたいに酔っ払って窓ガラス割らないようにね」

「ははは、任せとけって相棒‼︎ 俺はもう、田舎もんで貧乏人の俺とは違うのだぁ‼︎」


「はいはい……ふふっ」

気がつけばルードは僕の家に入り浸り状態だったし、酔い潰れたルードを介抱するのも僕の仕事になった。

もちろん悪い気はしない。

ルードは酔っ払うと色々なことを話してくれた。

田舎での貧しい暮らしのこと。
貧しさのせいで妹が遠い村に売られてしまったこと。
両親を病で失ったこと……薬があれば助かったと貧しさを恨んだこと。

冒険者になったのはお金のためで、仲間に裏切られて死にかけて以来迷宮には一人で潜るようにしていること。

仲間に捨てられた僕と自分が重なって見えたこと。

彼のそんな話を聞くうちに、僕もすっかりルードを気に入っていたし、それはルードも同じだったのだろう。

街でルードが人気者になるころ、僕とルードはお互いを親友であると認め合う仲になっていた。