「わたし、責められたから一応ごめんごめんって謝ってるけど、本当はなんでこんな理不尽な目に遭ってるのかわからないんだよね」

 海の家で焼きそばをすすりながら、何でもない話をするように話す。晴翔も深刻な表情なんて一切浮かべずに「そういうことってあるよね」と同調してくれた。
 朝の絶望が嘘のようだ。自分のしでかしたことについて、こんなにも開き直れるなんて。
 クラスメイトに聞かれたら、また叱られちゃうなぁ。なんて思いながらしゃべる。

「わたし、めっちゃ勉強できるの」
「おお、それはそれは」

 不登校の理由を話しているというのに、晴翔はまったくお気楽そうだ。ハフハフとたこ焼きを食べて「うまっ」とつぶやく。その軽さが、わたしには心地いい。みんな深刻に捉えすぎなのだ。

 海の広さが、わたしの世界の矮小さを物語っている。

「それで数学の先生から『あんまり勉強が得意じゃない子に解きかたを教えてあげて』って言われたの。場合によっては休み時間返上でやらなきゃいけないのに。お前がやれって感じだよ」
「うわぁ、その時点で理不尽だね」

 初めて晴翔が顔をしかめる。教室での理不尽な出来事を思い出してしまったのだとしたら、申し訳ない。

「事件が起きた日も補習のアシスタントとして駆り出されてたんだけど」
「ふむふむ。あ、たこ焼き1個食べていいよ」
「マジで? ありがとう」

 たこ焼きを食べてから、話を再開する。ちなみにたこ焼きは専門店がやっているのか、トロトロしていてかなり美味しかった。

「ひとりだけ、全然できない子がいてね。数学だけじゃなくて全科目が苦手科目なギャル」
「ああ」

 話の行き先を悟ったのか、晴翔は悲嘆の声を上げる。やっとわかってくれる人が現れた、と安心して結論を述べた。

「夜の七時まで根気よく教えてたんだけど、全然わかってくれなくて。どこがわかってないのかわからないみたいだったから、遡っていったら中学生の範囲になっちゃったの。そのとき『あたしはこんなにバカじゃない!』って泣いちゃって」
「あらら」

 ドンマイ、と晴翔はわたしの頭を撫でた。優しい手つきに、何だか涙が出てくる。
 寄り添ってほしい。その願いが、果たされた。

「補習の現場は騒然。数学の教師も別の問題児を教えてたから、そこでやっと問題点に気づいたって感じだったね。先生はちゃんと理解してくれたら嫌われてもいいってスタンスの人も多いけど、わたしは嫌われたくないし。先生にすら嫌われたくないから、こうやって引き受けちゃったわけで」

 晴翔は神妙な顔つきで頷いてくれた。さっきまでたこ焼きに夢中だったくせに、この。
 憎めない後輩に笑いかけながら、続きを話す。

「同じクラスの人も多くて、前からわたしを『偉そうに』って嫌ってた人も多いから、すぐにわたしを罵りだしてさぁ。お前の教えかたが下手なせいで、ちょっとテストの点が高いから調子に乗りやがってって。他のクラスの人まで乗ってきて、もう補修は地獄。先に帰らされたけど、次の日登校したらクラスメイトの全員がわたしの悪口を言ってるか黙ってる状況。すぐ十人くらいに取り囲まれて、学級委員長まで『お前が悪い』『謝ろう』ってわたしを詰ってきたから──」
 一拍置いて、わたしは続けた。

「逃げたの。登校して、五分も経たないうちに」

 すぅっと、深呼吸する。バクバクと鳴る心臓がうるさい。
 晴翔は何も言わず、わたしの手をさすっていた。じんわりと伝わる体温が、恐怖を和らげる。晴翔がいてくれてよかった、と心の底から思った。

「そこから怖くて、学校から逃げ続けてるの。学校がある日は毎日行こうと頑張ってるけど、心のどこかでは『もう学校に行けないんだろうな』って思ってた。最近は通信制高校について調べたりもしてたくらい」

 お母さんには事情を話していないから、ただサボっているだけだと思われている。だから毎日行けと催促されるし、晩にはどうして行かなかったと詰られる。まるであの日のように。

 それでもひとりに詰められるのと、十人に『謝れ』と呪文のように言われるのは訳が違った。何度やられても、あの恐怖には慣れるものではない。

「晴翔と出会わなかったら、そうなってたんだと思う」

 まっすぐに、晴翔と目を合わせた。
 どう足掻いても現実は変わらなくて、学校を出ることにした晴翔。わたしは現実を変えて学校で過ごすことができる。

「現実を変えるために、賭けてみるよ」

 強く、わたしは宣言した。『変えられる可能性』を求めても手に入らなかった晴翔に報いられるように。
 晴翔はふっと、満足そうに笑った。

「よかった。もし賭けに負けても、そのときは俺がそばにいてあげる」

 名前しかわからないから、そんなことできるはずがないのに。
 けれど、その言葉がわたしの力になった。やってみよう──決意が固くなって、熱を帯びる。

「ありがとう。その言葉、絶対忘れないよ」

 重ねられていた手を、わたしはぎゅっと握る。晴翔は「やめろよ」と恥ずかしそうにはにかんだ。
 眼前には太陽の光を反射して輝く、青い海があった。朝は入水自殺でもするかと闇に満ちていたのに、今は光そのもののように思える。

 きっとこれからわたしは海を見るたびに、晴翔のことを思い出すのだろう。自分も辛い思いをしながら、辛い思いをしている人を救おうとした強い人のことを。

 海瀬という自分の苗字が、いっそう好きになれた。

「ねぇ、急だけどこれから泳がない? 水着とか貸してくれるところあるでしょ」
「本当に急だね。まあでも、いいよ。これまで交際費とかゼロだったから、お小遣いも貯まってるし。メンズとラッシュガード貸してくれないなら、近くの服屋で購入するけど」
「それでいいよ。時間はまだたっぷりあるし」

 思いつきで提案すると、晴翔もノリノリで乗ってくれた。楽しそうに「俺、クロールだったらめっちゃ速いよ」と話す晴翔は、充実した高校生そのものだった。

 そうだ、わたしたちにはたっぷり時間がある。だけどクヨクヨしている時間なんて、一瞬たりともない。

「今日は遊びまくるよ、晴翔」
「もちろん、花葉」

 焼きそばのトレーをゴミ箱に捨てると、砂浜の上をダッシュする。少しでも長く、友達と楽しい時間を過ごせるように。