そして、尊は本州にある賢太郎の会社にスーツで出向き、説明をあれこれ聞いた上で、内定をもらった。
両親や恋人は本州に行くことに驚いてはいたが、彼が仕事を見つけてきたことがなによりだと喜んでくれた。
それからしばらく、尊は就職活動をする学生を脇目に、あとは卒業を待つだけだと安心しきっていた。
ところが、そうは人生甘くなかった。
ある日、彼の内定は一本の電話でかき消された。
「……尊、すまない」
携帯電話の向こうの賢太郎は、ひどく落ち込んでいた。
「実はな……社員が会社の金を持ち逃げして、新入社員を入れるどころじゃなくなったんだ」
目の前が真っ暗になった。絶句している彼の耳には、ひたすら謝る賢太郎の声が虚しく響いていた。
しばらくぼうっとしていたが、我にかえって、わざと明るく振る舞う。
「いや、大丈夫ですよ! 俺、きっとまた仕事見つけてみせますから。それより、先輩のほうは大丈夫ですか?」
「あぁ、すまない。当分は慌ただしいと思う。本当にすまない」
電話を切った後、尊はその場にへたりこんでしまった。
「そりゃないよ、先輩。もう、卒業式は間近だぜ?」
思わず独りごちると、全身から力が抜けていった。そしてしばらくは、そこから身動き一つとれずにいたのだった。
やがて、のろのろと立ち上がった彼はコンビニに足を運んだ。棚にあるありったけの求人情報誌と賃貸情報誌、それに真新しい履歴書を手にレジへ向かう。
レジを打つバイトの女の子が不憫そうな目で自分を見ている気がして、逃げるように店を出た足取りが鉛のように重い。
「志望動機、なんて書こう」
コンビニからの帰り道、思わず独り言が漏れた。
志望動機? そんなの金に決まってる。明日の飯を得るため。来月の家賃を払うため。みんな、偉そうに履歴書に色々書いてるけど、本当はそうじゃないの?
そんな自暴自棄な声が、脳裏に木霊する。
世の中、結局は金だ。金がなければ、何も出来ない。そう思った途端、第二の故郷と感じていた札幌が、急にそっぽを向いている気がした。住む家も定期収入も失うなんて、思ってもいなかったのだ。
札幌の街は夜に染まり、どこかから夕餉の匂いが漂っている。犬が遠吠えし、イルミネーションで煌めく家々が続いていた。
ご飯にありつける家がある人も、犬も、自分より優れた存在に思える。しまいには、イルミネーションに電気代を払うなら自分にくれないかななどと、馬鹿げた考えまで浮かんでくる。
通り過ぎる人々はおろか犬ですら、妬ましく見える自分に嫌気がさした。
鼻をすすり、自分の情けなさに背を丸める。こんな姿を恋人に見せたとき、それでも一緒にいてくれるだろうか。
思わず立ち止まり、携帯電話をジーンズのポケットから取り出す。だが、待ち受け画面に映る恋人の笑顔があまりにも眩しく、そっとポケットに戻してしまった。
それから彼は『惨め』という言葉の意味を痛いほど思い知ることになった。
内定がなくなったことを両親や恋人に言い出せず、重苦しい時間だけが過ぎていった。
寝る前の布団の中やバイトからの帰り道に、携帯電話を握りしめながら『連絡しなきゃ』と、幾度も迷った。
しかし、そのたびに就職を喜んでくれた顔が思い出されて、彼の胸を苦しめた。恋人は遠距離恋愛になるにもかかわらず祝福してくれたし、両親にもこれからは恩返しできるかもしれないと、誇らしくさえ思っていた。
その上、バイトも卒業と同時に辞めることになっていた。送別会の準備も着々とすすんでいるらしい。今更『やっぱりまだ働きます』とは言い出せない雰囲気になっていた。
最悪なことに、アパートも引き払うことになっていた。大家にだけはすぐに事情を話して契約を続けられないか頼み込んでみたものの、答えは「No」だった。もう次の契約者が決まっているから、予定通り退去してもらわないと困ると言われてしまった。
この先どうしようと考えるたび、背中に冷たいものが走る。脳裏に浮かぶのは『やばい。やばい。やばい』という言葉の羅列だけ。明日の生活も保障されない焦燥感というものを、彼は初めて知ったのだ。
思い切って、何社か当たってみたが、すぐ採用が決まるほど甘くはなかった。
というより、尊自身が甘過ぎたのだろう。ろくに就職活動もせずにいた彼は、なんの準備もしていたなかったのだ。一般常識やマナーもおぼつかない上に、面接で思うように話せもしないのにうまくアピールできるとは到底思えなかった。
そして卒業が間近に迫った頃、彼はとうとう両親と恋人に打ち明けた。
その結果は今、実家にいる事実が全てだ。呆れ果てた恋人は別れを告げ、去っていった。両親は『なんでもっと早く言わないの』だの『これからどうするの』だの喚いていたが、最後にはとりあえず実家に戻るよう言ってくれたのだった。
挫折とはいえないかもしれない。彼は苦労して就職活動の果てに採用を勝ち取った訳ではないのだから。
だが、『とんだ甘ちゃんだ』と思いながら、それでも惨めだったのだ。
二十歳をこえても母親に「いつまで寝てるの」などと起こされるような朝は、なおさらそう思うのだった。
両親や恋人は本州に行くことに驚いてはいたが、彼が仕事を見つけてきたことがなによりだと喜んでくれた。
それからしばらく、尊は就職活動をする学生を脇目に、あとは卒業を待つだけだと安心しきっていた。
ところが、そうは人生甘くなかった。
ある日、彼の内定は一本の電話でかき消された。
「……尊、すまない」
携帯電話の向こうの賢太郎は、ひどく落ち込んでいた。
「実はな……社員が会社の金を持ち逃げして、新入社員を入れるどころじゃなくなったんだ」
目の前が真っ暗になった。絶句している彼の耳には、ひたすら謝る賢太郎の声が虚しく響いていた。
しばらくぼうっとしていたが、我にかえって、わざと明るく振る舞う。
「いや、大丈夫ですよ! 俺、きっとまた仕事見つけてみせますから。それより、先輩のほうは大丈夫ですか?」
「あぁ、すまない。当分は慌ただしいと思う。本当にすまない」
電話を切った後、尊はその場にへたりこんでしまった。
「そりゃないよ、先輩。もう、卒業式は間近だぜ?」
思わず独りごちると、全身から力が抜けていった。そしてしばらくは、そこから身動き一つとれずにいたのだった。
やがて、のろのろと立ち上がった彼はコンビニに足を運んだ。棚にあるありったけの求人情報誌と賃貸情報誌、それに真新しい履歴書を手にレジへ向かう。
レジを打つバイトの女の子が不憫そうな目で自分を見ている気がして、逃げるように店を出た足取りが鉛のように重い。
「志望動機、なんて書こう」
コンビニからの帰り道、思わず独り言が漏れた。
志望動機? そんなの金に決まってる。明日の飯を得るため。来月の家賃を払うため。みんな、偉そうに履歴書に色々書いてるけど、本当はそうじゃないの?
そんな自暴自棄な声が、脳裏に木霊する。
世の中、結局は金だ。金がなければ、何も出来ない。そう思った途端、第二の故郷と感じていた札幌が、急にそっぽを向いている気がした。住む家も定期収入も失うなんて、思ってもいなかったのだ。
札幌の街は夜に染まり、どこかから夕餉の匂いが漂っている。犬が遠吠えし、イルミネーションで煌めく家々が続いていた。
ご飯にありつける家がある人も、犬も、自分より優れた存在に思える。しまいには、イルミネーションに電気代を払うなら自分にくれないかななどと、馬鹿げた考えまで浮かんでくる。
通り過ぎる人々はおろか犬ですら、妬ましく見える自分に嫌気がさした。
鼻をすすり、自分の情けなさに背を丸める。こんな姿を恋人に見せたとき、それでも一緒にいてくれるだろうか。
思わず立ち止まり、携帯電話をジーンズのポケットから取り出す。だが、待ち受け画面に映る恋人の笑顔があまりにも眩しく、そっとポケットに戻してしまった。
それから彼は『惨め』という言葉の意味を痛いほど思い知ることになった。
内定がなくなったことを両親や恋人に言い出せず、重苦しい時間だけが過ぎていった。
寝る前の布団の中やバイトからの帰り道に、携帯電話を握りしめながら『連絡しなきゃ』と、幾度も迷った。
しかし、そのたびに就職を喜んでくれた顔が思い出されて、彼の胸を苦しめた。恋人は遠距離恋愛になるにもかかわらず祝福してくれたし、両親にもこれからは恩返しできるかもしれないと、誇らしくさえ思っていた。
その上、バイトも卒業と同時に辞めることになっていた。送別会の準備も着々とすすんでいるらしい。今更『やっぱりまだ働きます』とは言い出せない雰囲気になっていた。
最悪なことに、アパートも引き払うことになっていた。大家にだけはすぐに事情を話して契約を続けられないか頼み込んでみたものの、答えは「No」だった。もう次の契約者が決まっているから、予定通り退去してもらわないと困ると言われてしまった。
この先どうしようと考えるたび、背中に冷たいものが走る。脳裏に浮かぶのは『やばい。やばい。やばい』という言葉の羅列だけ。明日の生活も保障されない焦燥感というものを、彼は初めて知ったのだ。
思い切って、何社か当たってみたが、すぐ採用が決まるほど甘くはなかった。
というより、尊自身が甘過ぎたのだろう。ろくに就職活動もせずにいた彼は、なんの準備もしていたなかったのだ。一般常識やマナーもおぼつかない上に、面接で思うように話せもしないのにうまくアピールできるとは到底思えなかった。
そして卒業が間近に迫った頃、彼はとうとう両親と恋人に打ち明けた。
その結果は今、実家にいる事実が全てだ。呆れ果てた恋人は別れを告げ、去っていった。両親は『なんでもっと早く言わないの』だの『これからどうするの』だの喚いていたが、最後にはとりあえず実家に戻るよう言ってくれたのだった。
挫折とはいえないかもしれない。彼は苦労して就職活動の果てに採用を勝ち取った訳ではないのだから。
だが、『とんだ甘ちゃんだ』と思いながら、それでも惨めだったのだ。
二十歳をこえても母親に「いつまで寝てるの」などと起こされるような朝は、なおさらそう思うのだった。