例えば、女子高生が行きたいと思う場所ランキングなるものがあるとして、トップにランクインするのは、間違いなく可愛い店とかおしゃれな場所だと思う。
例えば、デパートにある可愛い服とかアクセサリーが売ってる店とか、小洒落たカフェがそれだ。そういう場所で写真を撮って、インスタグラムにアップしたりするのが普通だと思う。
百歩譲って、ファストフードまで許そう。
清野は芸能人とはいえ、まだ高校生なのでお金を湯水のように使えない可能性がある。だからお腹が空いてもポテトとドリンクで腹を満たすなんて庶民的な考えに至るかもしれない。
それに、放課後の陽キャのたまり場といえばファストフード店が定番だ。
だけど──僕が清野につれて来られたのは、駅前にある牛丼屋だった。
牛丼。丼ぶりご飯の上に肉汁たっぷりの牛肉が載せられたアレ。
別に牛丼屋を批判するわけじゃない。
僕も牛丼屋は好きだし、よく食べている。
だけど、芸能活動をやっているような女子高生が、放課後に牛丼屋に直行するか?
「あ、あの、ちょっと待って」
もしかして店を間違えたのかと思った僕は、意気揚々と牛丼屋に入ろうとしていた清野を呼び止めた。
「ここ、牛丼屋だけど……」
「え? そうだよ?」
それが何か? と首をかしげる清野。
なるほど。
どうやら間違いではなく、ここが目的地らしい。
「い、今から食べるの? 牛丼?」
「うん。学校終わってから、たまに来るんだよね。みどりと一緒だと、牛丼じゃなくてマックになっちゃうけど。牛丼屋入るのハズいとか言われてさ」
でしょうね。いくら清野と一緒とはいえ、一緒に牛丼屋に入るのにためらう気持ちはわかる気がする。
「でも、ここの牛丼すごく美味しいんだよ? 知ってる?」
「そりゃあ、まぁ……」
だって全国チェーン店だし。
なんなら、週イチペースで食べてるし。
でもまぁ、ちょっと驚いたけど、本人が食べたいというのなら別にいいか。丁度、僕も小腹が空いてきたしな。
などと考えながら、清野と店の中に入る。
「……あ」
しかし、店に入って早々に、僕は究極の二択を迫られることになった。
カウンター席に行くべきか、テーブル席に行くべきか。
テーブル席に行けば向かい合って座ることになり、僕が食べているところを清野に見られることになる。
それは恥ずかしいので、できるなら避けたい。
だけど、カウンター席に行けば肩を並べて座ることになる。椅子の感覚が狭いので、もしかすると肩が触れ合ってしまうかもしれない。
それはそれで、やっぱり恥ずかしい。
ぐぬぬ……これはどっちに行くのが正解なんだ!?
「テーブル席に行こ?」
「あ、うん」
悩んでいた自分が馬鹿らしく思うくらいに、清野はあっさりとテーブル席をチョイスした。
実に慣れている。
これが陽キャ女王の余裕か。
どうせどっかの男と一緒に来ることも多いんだろうな。ああ、いやだいやだ。これだから陽キャ・リア充は嫌になる。
というか、そもそもだけど、なんで僕は清野と牛丼屋に入っているんだ?
確か清野のことを知るために一緒に下校することになったハズだけど、こんなところで何がわかるというのか。
清野が好きな牛丼のメニューとか?
そんなものがわかっても、キャラデザに活かせる気が全くしないんだけど。
「東小薗くんは何にするの?」
席に着いて早速メニューを手にした清野が尋ねてきた。
「え? あ、う、えと……4種チーズ牛丼……とか」
「あ、美味しそう。東小薗くんっぽいチョイスだね」
……おい、ちょっと待て。
僕っぽいチョイスってどういう意味だ。
チーズ牛丼を頼んでそうな顔とでも言いたいのか。
お前、ここでファイティングするか?
うまいんだから良いだろ別に。
「き、清野さんは決まってる?」
「あ〜、うん、そうだね」
「じゃあ、店員さん呼ぶよ?」
「あ、まって。えーと……うん。オッケー」
清野がメニューをガン見しながら、指でオーケーサインを出した。
そこまで真剣に悩まなくてもいいのに。
どれを頼んでもそこそこ美味しいよ。多分。
そんなことを考えながら、テーブルに設置されているはずの「呼び出しピンポン」を探したが、どこにもなかった。
瞬間、嫌な汗が出てくる。
この牛丼チェーン店には呼び出し用のピンポンがあるはずなのに、なぜ無い。駅前店に来るのははじめてだが、まさかピンポンが無いバージョンの店なのか?
これはマズイことになった。
カウンター席なら店員が気づいて注文を聞きに来るかもしれないが、生憎、僕たちがいるのはカウンターから少し離れたテーブル席なのだ。
つまり、声を出して店員を呼ぶ必要がある。
公衆の面前で大声を出すの? 僕が?
声を張り上げるだけでも恥ずかしいのに、声が裏返ったらどうするんだ。
頼む清野、お前が呼んでくれ──などと心の中で念じながらじっと清野の顔を見たが、そんな思いが伝わるわけはなく。
というか、近くでマジマジと見ると清野の顔はすごくリアルだった。
リアルという表現が適切ではないことはわかっているんだけど、すごくリアルなのだ。
造形がしっかりしているというか、現実離れしてる整い方をしてるというか。
まぁ、何ていうか、僕が関わってはいけないくらいに可愛い。
「……どしたの?」
「あ」
気がついたら、清野がメニューの影から視線だけを僕に向けていた。
僕は光の速さで目をそらす。
「べ、べべ、別に……何も」
「あ、わかった。私が食べたいやつを当てたいんでしょ?」
「……は?」
「わかる。そういう所から相手を知っていくのって、定番だよね」
そうなの?
てか、一緒に下校することになった主旨、忘れてなかったのか。
安心した!
「じゃあ、ここで東小薗くんにクイズです。私が食べたいメニューはな〜んだ?」
清野はメニューの端から顔を覗かせるように、可愛らしく小首をかしげる。
「あ、え、え、えーっと……」
「制限時間は5秒です」
「早いな!?」
せめて10秒くらいにしろよ……と心の中でツッコミながら、僕は頭をフル回転させる。
女子がどんな牛丼を好むかなんて知らないけど、清野が牛丼屋を推してる理由ならなんとなくわかる。
駅前には牛丼屋以外にもマックやミスドがあるけど、あえて牛丼屋をチョイスしているのは「がっつり食べたいから」だ。
清野は発育が良い。
背は高いし、その……胸も大きい。
先日、ネットの情報を調べたところ、清野はDカップあるらしい。
高校1年のくせに、実にけしからん大きさだ。
その巨乳を維持する必要があるのだから、がっつり栄養を補給する必要があるのだろう。とするならば、頼むのはがっつりメニュー系だ。
「明太マヨ牛丼だろ」
「惜しい! 明太マヨ牛丼のギガ盛りでした〜」
「……」
いやいや、ちょっと待て。
量まで当てなくちゃダメなのかよ。なにそのルール。無理ゲーだろそれ。
てか、食いすぎじゃないか?
ギガ盛りって確か、大盛りの上だよな?
流石にギガ盛りは栄養過多だと思うんだけど、モデルやってるのに体重とか気にしなくて大丈夫なのか?
「でも、ちょっとビックリした」
清野がテーブルに頬杖を付いて、じっとこちらを見る。
僕の視線は、自然と泳ぎまくる。
「ビ、ビックリって、なな、何が?」
「ギガ盛りは外れちゃったけど、メニューを当てられるなんて思わなかった。なんでわかったの?」
「え? あ、そ、その……どうして清野さんが牛丼屋を好きなのかって理由から推測したというか……」
「へぇ? なんで私は牛丼屋が好きだって思ったの?」
「がっつり食べたいから」
「おお、正解。じゃあ、どうしてがっつり食べたいんでしょうか?」
「……それは、ええと……む、胸……じゃなくて、腹が減りやすい……体質だから、とか……」
頑張って言葉を濁すことに成功した。
さすがに巨乳を維持するためとかキモいことは言えない。
「すごいすごい。よくわかったね。そうなんだよ。私ってすぐお腹が空いちゃってさ。お昼もママに作ってもらってるお弁当だけじゃ足りなくて、購買部でパンも買ってるんだよね」
「いつも昼休み始まるとダッシュで教室を飛び出してるけど、購買に行ってたのか」
「そうそう。そうなの」
うんうんと頷く清野だったが、「ん?」と何かに気づいて頬を緩ませた。
「私が昼休みにガンダしてるの良く知ってるね。私のこと、見すぎじゃない?」
「……ヴォ」
うごごごご。
余計なことを言ってしまった。悶絶しすぎて死んでしまいそうだ。
「お昼といえば、東小薗くんは毎日カロリーメイトで済ませてるんだよね?」
「ま、毎日じゃない。弁当を作って持ってくることもある」
夕食の残りとか、朝食を余計に作ったときだけだけど。
そのときは、こっそりマルチメディア室で食べている。
「え? 作る?」
清野が首をかしげた。
「もしかして自分でお弁当作ってるの?」
「うん。実は姉とふたり暮らしなんだ。だから、僕がいつも作ってる」
「えっ、ホントに!? すごいじゃん!」
「そっ、そ、そんなこと、ない」
「あるよ! だって、毎朝早起きしてご飯作るなんて私には無理だもん! 君パン観るだけでタイムオーバーだよ!?」
ああ、確か清野は毎日5回君パン観てるんだっけ。
君パンのために早起きしてるなら弁当くらい作れると思うけど。
清野が感慨深そうに続ける。
「イラストもすごくうまいし、料理もできる……東小薗くんって、思ってたよりずっと大人だったんだね」
その発言にドキッとしてしまった。
大人だ……なんて言われるのははじめてだ。
背は小さいし童顔なので、中学生と間違われることも多い。そんな僕を大人だなんて。
つい口元がほころんでしまった。
僕のことをわかってくれているみたいで、少しだけ嬉しかった。
「清野さんは……」
「ん?」
「あ、いや、なんでもない」
僕は口から出かけていた言葉を飲み込んだ。
──清野は思ってたより、子供っぽかった。
そんなキモいこと言えるわけがないし、失礼すぎるだろ。
清野に「なになに? 何を言いかけたの? 言ってよ?」と詰め寄られてしまったので、僕は慌ててカウンターに立っていた店員を呼んだ。
案の定、ひどく声が裏返って死にたくなった。
クソ。全部清野のせいだ。
清野の食欲は、本当にハンパなかった。
僕が頼んだ並盛の「4種のチーズ牛丼」を食べ終わる前に、ギガ盛りの明太マヨ牛丼を食べ終わったのだ。
メニューを確認したところ、ギガ盛りは並盛の3杯の量があるらしい。
涼しい顔でペロッと平らげていたけど、そのスリムな体のどこに並盛の3倍のメシが入っているのか。
さらに驚いたことに、「シメで唐揚げ頼もうかな?」とか言っていた。
こいつの満腹中枢はどうなってるんだ。
このままチンタラ食べてたら、清野のエンゲル係数がヤバいことになりそうだったので急いで牛丼を掻き込んで、お店を後にした。
そんなに長い時間いた感じではなかったのだけど、外はすっかり暗くなっていた。僕は姉と二人暮らしなので門限はないけれど、清野は大丈夫なのだろうか。
「き、清野さんは時間とか大丈夫?」
「ん、そろそろ帰らないとだけど……もう一箇所行きたいところがあるんだよね。良いかな?」
「え? う、うん、僕は良いけど」
でも、どこに行くんだろう。
時間があまりないってことは、長居する場所じゃないと思うけど。
変にドキドキしつつ、僕は清野の後を付いていく。
やがて清野は、とある店の前で足を止めた。
「……ここって」
「そ、本屋」
到着したのは、牛丼屋から5分ほど歩いた所にある小さな書店だった。
僕もたまにこの書店に立ち寄ることがある。大きさの割に品揃えが良くて、大抵の書籍は取り扱っているのだ。
「私、本屋って大好きなんだよね。何ていうか……意外な出会いがあるからさ」
「……意外な出会い?」
「そ。たまに知らない面白そうな本とばったり出会えることがあるじゃない? 毎回ってわけじゃないけど、2、3回に1回くらいは胸キュンな出会いがあるから、つい行っちゃうんだよね」
それはわかる気がする。
僕もこの書店に立ち寄るときは、何か面白そうな本は無いか漠然と考えているときだ。
漫画やラノベの新刊を買うときはネットを利用して、清野が言う「出会い」を求めてるときはリアルの書店を利用するようにしている。
多分、清野も同じなのだろう。
書店に入った僕たちの足は、自然と漫画コーナーに向かった。
清野も漫画を読むんだ……と思ったけど、清野も僕と同じオタクだった。
「あ、これ、『ロデオン』の作者の新作じゃない?」
清野が新刊コーナーに平積みされていた本を手に取った。
ロデオンというのは、半年前にアニメ化もされたダークファンタジーの漫画で、グロテスクな表現も多く、男性を中心に人気を博している。
なるほど。清野はそういう系もイケる口か。
「それ読んだよ。意外と良かった」
「ホント? どこが良かった?」
「え?」
「私にどこがエモキュンだったか、簡潔にプレゼンしてください。周りに迷惑になっちゃうから小声でね? はいどうぞ」
「……え? は? え?」
いきなり無茶振りするな。そんなの急に答えられるわけ無いだろ。
……と思ったけど、ここで語れなければオタクとして失格な気がしてしまった。
いいだろう。エモキュンなところをお前に教えてやる。
「ええと、その漫画は『主人公のリーマンが隣に住んでる女子高生とご飯を食べる』ってだけの『日常系』の漫画なんだけど、まず、本当にロデオンの作者が描いたのかって思うくらいに路線が違くて。ゆるい感じがすごく癒やされるんだ」
「ふむふむ……」
真剣な眼差しで頷く清野。
そんなふうに真面目に聞かれると、なんだか恥ずかしい。
「それで、一緒にご飯を食べる家族が欲しかった女子高生と、体を壊して食生活を見直さなければいけなかったリーマンの利害が一致して食卓を囲むことになるんだけど、お互いに一歩一歩あゆみ寄って行く感じが良くって」
「ほうほう」
「あと、絵はもちろん最高なんだけど、キャラクターも最高でね。とにかく全部が美しすぎて目が幸せになるっていうか」
「あ〜ね。それはなんとなくわかる。表紙の主人公のシコみがすでにやばいもん。この少し病んでる感じが推せる」
「……」
清野の口から出た「シコみ」という言葉に、妙にドキドキとしてしまった。
「ありがとう東小薗くん。すごい面白そうだから買ってみる。読んだら私も感想言うね」
「……う、うん」
安心した。どうやらプレゼンはうまくいったらしい。
新刊コーナーに並んである本を眺めながら、清野が続けざまに尋ねてきた。
「東小薗くんって、本は読むほう?」
僕は一瞬、返答をためらってしまった。
本は読んでいることは読んでいるのだけれど、あまり一般女子が好まないものだったからだ。
だけど、相手がオタクであることを思い出し、正直に答えることにした。
「漫画とかラノベとかは結構読んでるかな」
「へぇ、ラノベも読んでるんだ。今は何を読んでるの?」
「今読んでるのは──」
そうして僕たちはラノベコーナーに行って、お互いに読んでいるラノベを推し合った。
どうやら清野はラブコメが好きらしい。
アニメ化された王道のラブコメから、WEB小説が書籍化したものまで幅広く読んでいた。清野に勧められたものの中で、いくつか面白そうな作品があったので僕も買うことにした。
それらか僕たちは、雑誌コーナーに向かった。
「あ」
清野が足を止め、雑誌を手に取った。
「どっじゃ〜ん」
妙な効果音を添えて清野が見せてきたのは、とあるファッション誌の特集ページだった。
そこに書かれていたのは「イケてる女子の部屋着特集」なるコーナーで、可愛い服を着た女性がこちらにほほえみかけている。
なんだか見覚えがある顔だけど──。
「……あ、そ、それって」
「そ、私。だいぶ前に撮影したやつだけどね」
随分と雰囲気が違うけど、そこに写っていたのは間違いなく清野だった。
全面にファスナーがついている大きめのグレーのジップアップパーカー。その下にピンクのタンクトップシャツと、ショートパンツ。
制服のときと違って、何ていうか……大人のオーラがやばい。
「どう?」
「ど、ど、どうって?」
「感想ちょうだい?」
手を耳に当てて小首をかしげ、僕の返事を待つ清野。
瞬間湯沸かし器のように顔が熱くなり、体中から汗が吹き出した。
「い……い、良いと思う……けど」
「……え、それだけ?」
「あ、う、ええと……そ、それだけ……じゃなくて」
「ん」
「か……かわ、可愛……い……です」
「えへへ、ありがとう」
清野が少しだけ頬を赤く染めて満足そうに微笑む。一方の僕の顔は、きっと爆発するかと思うくらいに真っ赤になっているに違いない。
クソォォッ! 何なんだこれは!
本人を前に「可愛い」なんてアホみたいなセリフを!
完全に罰ゲームじゃないか!
恥ずかしさで死にかけてしまった僕は、その羞恥心を紛らわすために清野に尋ねた。
「……そ、それ、買うの?」
「うん。こういう雑誌はあんまり買わないんだけど、自分が出てるときは買うようにしてるんだ」
「き、記念に?」
「ん〜、そういうんじゃなくて、チェックするためかな」
清野はパラパラと雑誌をめくりながら続ける。
「もっとこういう撮られ方をすればよかったな〜って反省したり、一緒に撮影したモデルさんの写真を見て勉強したりとかさ。時間を置いて見返すといろいろと気づく事があるんだよね」
ギョッとしてしまったのは、身に覚えがある話だったからだ。
そんな僕を見て、清野が尋ねる。
「どうしたの?」
「あ、い、いや。イラストでも似たようなことがあるから驚いたっていうか……似てるなって」
「似てる?」
「う、うん。例えば、夜描いたイラストを朝見返すと、塗り残しとかデッサンが崩れているところとか見つけられるんだ。だから、そういうチェックは朝にやるようにしてる」
「そうなんだ。本当に似てるね。じゃあ、私たち、似た者同士ってことかな?」
「……」
少し恥ずかしそうに微笑む清野。返す言葉をなくしてしまったのは、そんな彼女の仕草に悶絶したからというわけではない。
はっきり言って意外だった。清野がそこまで本気でモデルという仕事に取り組んでいるとは思わなかった。
てっきり優れた容姿に生まれたことにあぐらをかいて、適当にやっているんだろうと高をくくっていた。
それが陽キャという「強い人間」として生まれた者の「特権」だと思っていた。
だけど──違っていた。
清野も僕と同じだった。
改めて、清野という人間のことを何も知らなかったのだと痛感した。
「あ、あの……清野さんは、芸能人をやってるときの自分と、アニメとかゲームを語ってるときの自分、どっちが好きなの?」
つい、そんなことを清野に尋ねてみた。
彼女は悩む素振りも見せず即答する。
「どっちも好きかな」
「え?」
つい、キョトンとしてしまった。
「意外だった?」
「う、うん。てっきり自分の素顔が出せる後者が好きなのかと思ってた」
「どっちも同じくらい好きだよ。だって、清楚キャラを演じてる自分も、アニメ語ってる自分も、どっちも大切な私だもん」
その言葉に、はっと気付かされた気がした。
芸能人の清野も、オタクの清野も自分自身。
そこに優劣なんてなく、同じくらいに好き。
僕には到底無理な考え方だけど……そう考えられるのが清野という人間なのか。
「どっちも、清野……か」
「そ。どっちも可愛いラムりんだよ」
自分で可愛いとか言うなよ。
いや、実際に可愛いんだけどさ。
というか、普通の女子がそんな事を言ったら「何勘違いしてんだコイツ」ってなるけど、清野だとそう思わないからズルい。
三星の言葉じゃないけど、マジで無敵だろ。
やっぱりコイツは陽キャの女王で、僕とは相容れない人種。
だけどと、僕は清野をチラリと見て思う。
なんだか少しだけ、清野のことがわかった気がする。
これなら──彼女らしいキャラクターが描けるかもしれない。
人生ではじめて異性との下校イベントを終えた翌日。
僕はこれまた生まれてはじめて一睡もせずに学校に来ていた。
と言っても、清野との下校イベントで胸キュンドキドキして夜も眠れなかったというわけではない。
帰宅して早々に部屋にこもり、清野のVtuberキャラクターのデザインに没頭していたからだ。
昨晩は夕食も食べず、姉には「今日はコンビニか出前を頼んで」と伝えた。
おかげで姉から「部屋で如何わしいことでもしているんじゃないか」と、不審……というか、好奇の目で見られてしまった。
時折り部屋のドアの向こうから姉の「部屋で何をしてるの? お姉ちゃんが手伝おうか? ハァハァ」なんて興奮した声が聞こえてきたけどガン無視した。
そんな感じで夜通しイラストを描き続けて、10体以上のキャラを作ったのだけれど、一昨日までと違ってすごく手応えを感じていた。
きっと「清野らしさ」がなんとなく理解できたからだろう。
「おはよう東小薗く──て、どど、どうしたの!? まるで夢の中でサキュバスに精気を吸い取られた後の抜け殻系男子みたいな顔になってるけど!?」
「……」
早朝の昇降口。
下駄箱の影から現れた清野が、まるで事前に準備していたかのような説明口調で言った。
まさか僕のことを待っていたのか!? ──とか思ったけど、すぐに乗富や三星を待っていたんだと気づき、軽く死にたくなった。
しかし、瞬時にサキュバスなんて例えが出てくるって、やっぱりオタクだな。
抜け殻系男子って言葉ははじめて聞いたけど。
「昨日って何かアニメあったっけ? あっ、もしかして『族長』の配信? 本当に精気吸われちゃった系?」
「そういうわけじゃない」
淫魔系Vtuberの族長は「夜な夜な配信で男子リスナーの精力を吸い取っている」という設定だけど、んなわけないだろ。
そもそも昨日の配信は観てないし。
清野が目を輝かせながら尋ねてくる。
「昨日の族長配信ってどうだった? 実は配信が始まるのを正座待機してたんだけど、寝落ちしちゃったんだよね。あ……でも、後でアーカイブ観るつもりだから、感想はネタバレ無しでお願いします」
こいつ……昨日の漫画プレゼンに続いて無茶振りしてきやがって!
族長配信は観てないし、観ていたとしても完徹状態の僕にそんな難易度が高い感想を考えられるわけないだろ。
などと考えながらぼーっとしてたら、本気で心配になったのか清野が不安げな表情で顔を覗き込んできた。
「……ねぇ、本当に大丈夫?」
「あ……だ、大丈夫。寝てないだけだから」
「寝てないって、ホントに朝まで族長の配信観てたの?」
「違うよ。昨日、家に帰ってからキャラデザをやってたんだ」
「……えっ!? うそっ!?」
ギョッと目を見張る清野。
「まさかキャラデザって、私の!?」
「そ、そう」
「私のキャラ、徹夜で描いてくれてたの!?」
「う、うん。そう……だけど」
そう返すと、清野はなぜかシュンと肩を落とした。
「ど、どうしたの?」
「ごめん。昨日一緒に帰ろうって言ったのは、別にキャラを早く描けって急かしてたわけじゃないんだ。なんだか悩んでるみたいだったから、手助けになればいいなって──」
「あ、いやいやいやいや、違う違う。徹夜しちゃったのはそういう理由じゃなくて、描きはじめたら止まらなくなっただけなんだ。誰に急かされたってわけじゃなく、ただ、好きでやっちゃったっていうか……」
慌てて返すと、清野がちらりと上目遣いで僕を見た。
「そう、なの?」
「う、うん。だから清野さんは気にしなくていいから」
「……それなら、よかった」
清野がほっと安堵したように微笑む。
その笑顔に心がざわついてしまった。
クソ。何を必死にフォローしてんだよ。それに、誤解がとけたからって安堵なんかして。こんなやつ、どうでもいいだろ。
いや、どうでもよくはないけどさ。
……あれ? どうでもよくないの? どっちだっけ?
寝不足で頭が回ってないから、よくわからん!
「そ、それで、描いてきたキャラなんだけど」
混乱してきた頭をリセットさせようと、僕は話をキャラデザの件に戻した。
「昼休みにマルチメディア室で確認してもらってもいいかな? ここでスマホ画面で見てもらってもいいんだけど、パソコンの画面でちゃんと確認して欲しいし……それに、周りの目もあるし」
ちらりと横目で周囲を見る。
登校してきた生徒たちが物珍しそうに僕たちを見ていた。
ここで長話をするのは良くない。それに、下手をしたら周りにVtuberのことがバレてしまうかもしれないし。
「そうだね、わかった。ありがとう。じゃあ楽しみにしとくね」
清野が嬉しそうな顔でうなずく。
そんな彼女が、ふと思い出したように続けた。
「あ、そうだ。これ東小薗くんにあげる」
清野がバッグの中から取り出したのは、小さなチロルチョコだった。
「……え、何でチョコ?」
「チョコってカフェインが含まれてるらしくて、眠気覚ましに良いんだよ。私もよく食べてるんだ」
「あ、ありがとう。でも、どうしてチョコを持ってるの?」
「え?」
「だって、昨日は夜ふかししてないんだよね?」
族長配信を待ってる間に寝落ちしたって言ってたし。
不思議に思っていると、清野は気まずそうに目を泳がせ始めた。
「あ〜、それは、ね」
「……?」
「べ、別にお腹空いた時のためにチョコを常備してるとか、そんなんじゃないからね?」
恥ずかしそうに頬を赤らめる清野。
あ〜、そういうことね。小腹対策用のチョコか。
「これはたまたま持ってたの。だから食い意地が張ってるとか思わないでね?」
「わ、わかった」
と言いつつも、つい冷めた視線を投げつけてしまう僕。
今更感がハンパない。
昨日、ドヤ顔で「お昼も弁当だけじゃ足りないんだよね」とか言ってたくせに。
というか、昨日あんなに僕の前でガツガツ牛丼食ってたくせに、チョコを常備してることを恥ずかしがるって、基準どこだよ。
昨日、多少こいつのことは理解できたと思ったけど……やっぱりよくわからん。
+++
ようやく午前の授業が終わった。
なんとか睡魔地獄を乗り越えることができたけれど、授業の内容は全く頭に入ってこなかった。
特に2時限目の現代社会がやばかった。つまらない授業と相まって、教師が念仏みたいな喋り方なのだ。
しかし、だからといって居眠りをするわけにはいかなかった。
授業態度如何によって、昼休みにマルチメディア室を使えなくなってしまう。
あそこはすべての生徒が利用できるわけではなく、担任に許可をもらえた生徒だけが使える特別な場所なのだ。
まぁ、僕の成績はクラス上位に入っているので大丈夫だとは思うけど、許可が降りなくなってから焦っても遅い。
というわけで、今日も無事に担任の増山先生から許可がもらえたので、約束通り清野とマルチメディア室にやってきた。
「……よし」
教室に誰もいないことを確認して、清野と中に入る。
いつもの席についた僕は、ポケットからイラストが入ったUSBメモリを取り出した。
「とりあえず10体描いてみたんだ」
「じゅ、10体!?」
隣りの席に着いた清野が、目を丸くした。
「10キャラも描いてくれたの!?」
「あ、いや、描いたけど10体全部を確認してもらうってわけじゃなくて、その中から一番良いと思うものを見てもらおうかと思ってる」
「あ、そうなんだ。でも、普通に10体全部見たいけど……」
「……え? ホント? じゃあ、それは後で」
てっきり、ドン引きされたのかと思ったけど勘違いだったか。
僕はパソコンに挿したUSBメモリから、1枚のイラストを取り出す。
画面に写ったのは、黒の髪に青のメッシュが入ったボブカットの女の子だった。
衣装は白と青を基調とした、学生服をアレンジしたデザイン。
顔は少し目尻が下がっていて可愛い印象だが、スクエア型のメガネをつけているので真面目な雰囲気がある。
このキャラが10体描いた中でイチオシのキャラだった。
「これって」
「う、うん。清野さんの雰囲気をそのままキャラクターにしてみたんだ。普段はおとなしいけどゲーム・アニメのことになると情熱的になる、みたいな設定のキャラなんだけど……」
僕がデザインしたのは、意外性のかけらもないストレートに清野のイメージを表現した「清楚キャラ」だった。
「で、でも、清楚キャラにしたのにはちゃんと理由があるんだ。昨日、清野さんと一緒に帰ってわかったんだ。清楚キャラを演じている芸能人の清野さんと、オタク活動をしている清野さん……そのどっちも清野さんを語る上で大切な要素だって。『清楚だけどオタク』っていうギャップが、清野さんの魅力なんだ。だから、それをそのままキャラクターで表現した」
褐色系や小悪魔系など色々描いてみたけど、一番「これだ」と思ったキャラがこの子だった。
結果的に原点に戻ったって感じだけど、必然性を感じて戻った原点には、すごく説得力があった。
清野の分身を担ってもらうのは、この子しかいないと思った。
「えと……人ってギャップに魅力を感じるものだと思ってるんだ。普通だったら絶対にありえない組み合わせ……例えば、ギャルなのにオタクに優しいとか、不良なのに喧嘩が苦手だとか、不真面目なのにマナーやルールに厳しいとか……だから、『清楚なのにオタク』っていうことをストレートに表現するのが、やっぱり一番いいと思う……んだけど……ええと」
言葉が尻すぼみになってしまったのは、清野の表情が強張ったままだったからだ。
何も言葉を発しようとしない清野の目は、じっとモニタのイラストを見ている。
見ている、というより睨みつけているという表現が正しいかもしれない。
その横顔に一抹の不安を覚えてしまう。
もしかして……気に入ってもらえなかったのだろうか。
清野は先日、「かすみたんみたいなデザインがいいかも」と言っていた。
それに、その前は「もぐらたんや族長みたいなデザインも捨てがたい」とも言っていた。
今回出したキャラデザは、それらとは大きく逸するもの。
清野の見た目そのままのイメージ……いわば、清野の事務所が彼女に課している「清楚系」なのだ。
静まり返ったマルチメディア室に、パソコンの冷却ファンの音だけが響く。
これは他のデザインも見てもらったほうが良いか。
そう思って、別のイラストを開こうとしたときだった。
「……て」
ぽつり、と清野の口から声が漏れた。
「て、て……てぇてぇ!」
「っ!?」
マルチメディア室に清野の奇声がこだました。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って東小薗くん! 何この子、メチャカワなんだけど! えと、あの、何だろう! 尊すぎてしんどいのにうまく言葉に表現できなくてしんどい!」
清野はパソコンのモニタを食らいつこうと言わんばかりの勢いで両手でつかみ、マジマジとイラストを吟味しはじめる。
「待って待って! 顔も可愛いし、衣装も可愛いし、この前髪パッツンがたまらん! 無理無理無理! だめだつらい! 好きすぎるっ! てか、描き込みすごすぎない!? イヤリングとかネックレスとか小物まできっちり描いてるし……それになにこれ、後ろ姿まであるんですけど! そこまで描く必要ある!?」
「う、後ろ姿は見せる機会がないから必要無いといえば無いんだけど……デザインをするためには必要かなと……」
「すご! 東小薗くんのこだわり&ラブみ強い! 私のバイブスが鬼なんだけど!」
「あ、ありがとう。そ、そこまで大絶賛してくれるなんて、僕も嬉しい……」
「や、や、ホント最&高だよ! 清楚キャラにしてくれた理由も納得だもん! そうだよね! 確かにかすみたんもギャップ萌えだもんね! わかりみ強い!」
そして清野はくるっとこちらを振り向いたかと思うと──突然、僕に抱きついてきた。
「ホントにありがとうっ! 私にピッタリの最っ高のキャラだよ! すごく嬉しいっ!」
「……」
あれ、なんで僕、清野に抱きしめられてルンダ?
寝不足で頭の処理能力が旧型のパソコン並に遅くなっている僕には到底理解できない状況だった。
状況が処理しきれなくなった僕の頭は、自然と体に与えられている刺激に全神経を集中させる。
刺激。
つまり僕の胸部に当たっている、清野のふくよかなふたつのソレの感触に。
「やっぱり東小薗くんは天才すぎるっ!」
ムニュ。
「私の性癖をピンポイントで突いてくるなんて、すごすぎるでしょ! 感謝! これは圧倒的感謝!」
ムニュ。ムニュ。
さっきから清野が何か言ってるぽいけど、全く耳に入ってこないな。
うん、このまま幸せの奔流に飲み込まれていこう──と思ったけど、清野はあっさりと僕から離れて再びモニタに食いついた。
ああ、なんだよ畜生。
「あ〜、何回見てもてぇてぇすぎる。早くこの子になりたい……」
「あ、チョット待って、この子はこれでまだ完成じゃなくて……ここからさらに詰めていく予定だから」
そう補足すると、清野は首がもげるかと思うくらいに深々と頷いた。
「わかった! それじゃあ、私は何をすればいいかな?」
「え? ええと、べ、別に清野さんは何も……」
「あ、そうだ! とりあえずお礼をしなきゃね! いくら課金すればいい?」
いや、課金とか言うな。
妙に生々しいから。
「お、お金はいらないよ。この一件で僕も色々と勉強させてもらったし、何ていうか……絵描きとして成長できた気がするんだ。だ、だから、お礼はそれだけで十分っていうか」
「は!? ダメだよ! 成果物にはちゃんとした報酬がないと! そんなのプロじゃないよ!」
「……」
僕はプロのイラストレーターじゃないんだけど、とは心の中で返す。
「とにかく、何かお礼をさせてもらわないと私の気がすまないし、爆発しかけてる私の胸が沈静化しないっ!」
「……胸」
そう言われて、僕の視線は自然と清野の胸に吸い寄せられてしまう。
あれがさっき僕の体に密着していたブツか。
なるほど。ネットにあったDカップという情報は真実だな。
……じゃなくて!
「わ、わかったよ。じゃあ……今度ご飯でもおごってくれれば、それでいいから……」
妙な罪悪感に駆られた僕は慌てて返す。
奢ってと言っても、昼に購買部の焼きそばパンでも買ってくれればそれでいい。
──と、その程度に思っていたのだが。
「オッケ! わかった! じゃあ、今日の放課後ね!」
「……は? 放課後?」
「そ! 早速、キャラ誕生祝いを兼ねて、ご飯に行こうよ!」
「あ、いや、ごめん。僕が言った『奢って』って、そういう重い感じのヤツじゃなくてもっと軽めの」
「心配しないで。今日は牛丼屋じゃなくて、ちゃんとした所にいくから」
ニッコリと眩しいほどの笑顔を覗かせて、サムズアップする清野。
だからそういうことを言ってるんじゃなくてだな。
あ、お前、何スマホでさっそく店を検索しようとしてるんだ!
てか、少しは僕の話を聞いてくれっ!
ああもう、なんなんだよこいつは!
「あのさ」
「ん?」
「清野さんが言ってた『ちゃんとした所』って、ここであってるんだよね?」
「あってるけど?」
学校が終わって清野に連れてこられたのは、昨日行った牛丼屋と道路を挟んだ斜向かいにあるファミレスだった。
毎度毎度のことなので、一応、断っておくけどファミレスは好きだ。
良心的な価格でうまい和洋中の料理が食べられるファミレスは庶民の味方であり、神だと思う。
僕だって晩ごはんを作りたくないときは、姉に「フレンチに行こうぜ」と言って(騙して)ファミレスに行くことがある。
だけど「ちゃんとした店か」と問われると、正直、首を捻らざるを得ない。
だってさ〜、芸能人に「ちゃんとした店に行こう」なんて言われたら、僕なんかが到底行けない店を想像しちゃうよね?
……あ、でも、昨日の牛丼屋と比べるとゆっくりできるし、メニューも多いし、ちゃんとしてると言えばちゃんとしてるか?
ダメだわからん。寝不足で全然頭が回らない。
本当なら早く家に帰って寝たいところだけど、今更帰るなんて言えないしな。
まぁ、言った所で帰してもらえなさそうだけど。
店内に入るとすぐに店員に窓際の席に案内された。向かい合って座ってから、とりあえずドリンクバーを注文する。
この眠気をどうにかしないと、寝ぼけてとんでもないことを言ってしまいそうだ。
一方の清野は、青豆と卵の温サラダ、リブステーキのライスセットに、ミートスパゲティ……さらにチョコレートケーキを頼んだ。
さすが清野。今日もハイペースで見てるだけで胸焼けしそうだ。
席を立った僕は、ドリンクコーナーへと向かう。
自分用のコーラとコーヒー、それに清野のオレンジジュースを入れて席に戻る。
ふと足を止めてしまったのは、近くのテーブルに座っている男がちらちらと清野のことを見ていたからだ。
「……なぁ、あれって清野有朱じゃね?」
清野を見ていた男が、別の男に耳打ちした。
それを聞いて、男がちらっと横目で清野を見る。
「いやいや、他人の空似だろ」
「でも、清野有朱ってこの近くの高校に通ってるって噂だぞ?」
「マジで? じゃあ本物なのか?」
「かもしれん。別人にしてもメチャクチャ可愛いし、ちょっと声をかけてこようかな」
「……っ!?」
男が立ち上がろうとした瞬間、僕は男を遮るように慌てて席に戻った。
背後から「何あいつ、もしかして彼氏か?」とか「いや、絶対ありえねぇだろ。陰キャっぽいし。弟じゃね?」みたいな声が聞こえてくる。
クソ、陽キャ共め。好き勝手言いやがって。
清野に弟がいたとして、こんな陰キャっぽい感じなわけないだろ。
とはいえ、だ。僕のことを弟だと勘違いしてくれるのはある意味ありがたい。変な噂が立ったらコトだからな。
というか、何で僕が清野のことでこんな気を揉む必要があるんだよ。クソッ。
清野はそんな僕の苦労も知らずに、さきほど彼女のスマホに送ったキャライラストを幸せそうに眺めていた。
僕はそっと彼女の前にオレンジジュースを差し出す。
「あ、あの、これ……」
「……え、嘘!? 飲み物持ってきてくれたの!? ごめんね、ありがとう」
「い、いや、別にいいんだけど……それよりも、さ」
僕はそっと身を乗り出して清野に尋ねる。
「ほ、本当にいいの?」
「ん? もちろんなんでも頼んで良いよ。ここは私が奢るから」
「いや、そういうことじゃなくて……」
僕は周りに話し声が聞こえないように、小声で続ける。
「清野さんって、芸能人じゃない? こんなところで僕なんかとご飯を食べてたらマズいんじゃない? だって、周りの目とかあるし……」
「あ。そっちか。ん〜……大丈夫でしょ。マネージャの蒲田さんからは止められてないし」
あっけらかんと答える清野。
「そ、そんな適当な感じでいいの? 週刊誌にスッパ抜きされたりしない?」
「え? 何? 私と週刊誌にスッパ抜きされるようなこと、したいの?」
「……そっ」
清野に想定外のセリフを返され、わかりやすく固まってしまった。
「そそそ、そんなこと、したいわけ……なな、ないだろっ!」
「東小薗くん、声が大きい」
清野が、楽しそうに口元を緩める。
「とにかく大丈夫だよ。私はただ、学校の帰りに友達とご飯を食べてるだけだし」
「と、友達……?」
僕と清野は友達なのか?
いつ友達になろうなんて言葉を交わしたっけ?
え? 何? もしかして友達って、こんなふうに成り行きでなれるものなの?
──いいや待て、と僕は自分に言い聞かせる。
これは罠の可能性がある。
コイツは、僕の天敵たる陽キャの女王なのだ。
ここで気を許したとたん、「え、何? もしかして友達って言葉、本気にしちゃったの? うわ、キモ〜い」とか言われるに違いない!
ここは心を鬼にして、「お前と友達なわけがないだろ」と言い返して──。
「ん?」
気がついたら、清野がフォークに一口サイズにカットしたケーキを刺してこちらに差し出していた。
「……え、何?」
「ちょっと食べる?」
「いや……別に」
「でも、今、すっごい物欲しそうな顔でケーキをガン見してなかった?」
いや、ガン見してたのはケーキじゃなくてお前だよ。
なんてキモいことは言えるわけがないけど。
「ほら、遠慮しなくていいから」
「だ、だだ、だからいいって。僕は別に、お腹なんて空いてないし──」
と言った瞬間、僕のお腹がぎゅるぎゅると鳴った。
ああもう、僕の腹の虫!
昨日から満足に食べてないとはいえ、少しは空気を読めよっ!
「あ、あの、こ、これは……その……」
「まったくもう、仕方ないなぁ。あ〜んしてあげるから」
「……ファッ!?」
ちょっと待て、あ〜んって何だよ!?
もしかして、清野が僕にあ〜んしてくれるの!?
いやいや、何で!? どういうきっかけでそうなった!?
や、別に嬉しいだなんてこれっぽっちも思ってないけど、動揺してしまうだろ!
「あ〜んイベントって、ラブコメの定番だよね。私、こういうのに憧れてたんだ」
「あ、あ、憧れるのはいいけど、相手は選んだほうが……いいと思う……けど」
「選んでるよ」
「……へ?」
清野は恥じらうように頬をあからめ、スッと視線をそらした。
「私は誰にでもこんなことするような女じゃない。あなただけが特別なんだよ?」
瞬間、周りから音が消えたような気がした。
──あなただけが、特別。
静寂の中で、その清野の声だけが妙に輪郭を持つ。
「あ、あの……それって、どど、どういう……」
「……っていうセリフが、今度出演するドラマのセリフであってね」
ぶぉおおおおおおっ!
光の速さでテーブルに突っ伏す僕。
何だよお前もう! もうお前何だよ!
急にこんなところでセリフの練習するんじゃない!
めちゃくちゃドキッとして、死ぬかと思っただろボケ!
まぁ、僕のこと「あなた」だなんて言う時点で気づけって話だけどさ!
「とにかく。はい、あ〜ん」
「……あ、あ〜ん」
眠気と悶絶で頭がショートしてしまった僕は、言われるがままに口を開けてしまった。
甘くてクリーミーなショートケーキの味が口の中に広がった瞬間、やってしまったことに気づく。
「どう?」
「お、美味しい……です」
「ホント? じゃあ私も食べちゃお」
「……っ!?」
え、ウソ。まさか、そのフォークで食べるの?
などと困惑する僕をよそに、清野は僕の口の中に入ったフォークでケーキをぱくりと頬張った。
「ん〜、おいしいっ!」
「……」
清野が嬉しそうに体を小刻みに震わせる。
そんな彼女を、複雑な心境で見る僕。
あの、それって、間接キスってやつだよね?
それも、唇どころではない、なかなかにディープなやつ。
いいの? ここまでやっちゃって、本当に平気なの?
ねぇ教えて! マネージャーの蒲田さん!
「ねぇねぇ、東小薗くん」
食前のケーキをまたたく間に平らげた清野が、フォークでくるくるとパスタを巻きながら尋ねてきた。
「次はどうする?」
「……つ、次!?」
つい、飲んでいたコーラーを吹き出しそうになってしまった。
まさかこいつ、さらに過激なことをやるつもりか──と思ったけど、全然違っていた。
「ほら、Vtuber活動を始めるには、あのぎゃんきゃわイラストを動かさないとだめでしょ? イラストが完成した次はどうしよう?」
「……あっ」
そこで僕はハッと気づいた。
そうだ。あ〜んのこと……じゃなくて、イラストのことばかり考えていたけど、清野に頼まれたのは「ママになって」だった。
つまり、イラストを描くだけじゃなくイラストを清野の動きに合わせてアニメーションさせる必要があるのだ。
以前に少しだけやり方を調べたことがあるけど、確か専用のアプリを使ってイラストを動かすんだっけ。
「ええと……多分、次はイラストを2Dアニメーション化させる必要があると思うんだけど……」
「アニメーション化?」
「2Dのイラストを3Dみたいに動かすんだ。清野さんが右を向いたらキャラも右を向く……みたいに動きをつける必要がある」
「あ〜、なるほど。てことは配信するときに体に何か機械を付けたりするのかな?」
「確か今はweb用のカメラを使ってトラッキングしてるはずだと思うけど」
「トラ? キ?」
「webカメラに映る清野さんの実際の動きとイラストの動きを連動させるってこと」
「…………あ〜、そういうことね。完全に理解した」
うんうん、と頷く清野。
ベタベタだけど、これ絶対わかってないだろ。
僕は嘆息まじりで続ける。
「やり方は多分それであってると思うけど、あんまり詳しくないから調べないと」
「え? もしかして、東小薗くんもやったことがない作業?」
「うん。僕も実際にやるのははじめてかな」
経験はないけど、一発ポンでできる作業ではないということは想像できる。
イラストの動かす部分を分解して、手作業でひとつひとつ動きを付けていく必要があった気がする。
髪の毛ひとつにしても、前髪を一房づつバラバラにしないといけないし、事前準備のイラストの分解作業だけでも結構な作業になりそうだ。
しかし、すごく面白そうではある。
「ん?」
ふと、清野が心底失敗したといいたげに、しょげこんでいることに気づく。
「ど、どど、どうしたの?」
「私……てっきりイラストが出来たら、あとは簡単かなって思ってたんだ。でも、東小薗くんでも経験がない作業があったなんて……」
「あ、いや、まぁ」
「もし面倒だったら、断ってくれて全然大丈夫だからね?」
清野がズイッと体を乗り出してくる。
「あとは私がなんとかやってみるから。あ、もちろんイラストを描いてくれた分のお礼はするし──」
「いやいや、何言ってるんだよ。もちろん最後まで手伝うに決まってるだろ」
思わず清野の話を遮ってしまった。
清野が言葉を飲み込んで、目を丸くする。
それを見て、僕はまたキモいことを言ったことに気づいた。
「あ、ええと、その、ち、違うんだ。何ていうか……僕が描いたイラストが実際に動いて、清野さんの分身になるところまで見届けたいっていうか……乗りかかった船だし、最後まで付き合わせて欲しい……っていうか」
「ホ、ホントに?」
「う、うん」
「やってくれるの!?」
「うん、やる。逆にここでやめるのは気持ち悪いし」
「……ありがとうっ! 東小薗くんっ!」
「へっ……!?」
またしても抱きついてこようとした清野だったが、テーブルの反対側にいるのでそれは叶わず、代わりに両手をギュッと握ってきた。
「え、ちょ、清野さん!?」
「わ、私っ、イラストは全っ然協力できなかったけど、パソコンだったら使えるし、色々やるからっ! とりあえず……ええと、ネットで色々調べてみる!」
「わ、わわ、わかったから!」
僕は慌てて清野の手を振りほどく。
そして、僕は心を落ち着けようとドリンクをぐいっと煽った。
炭酸ガッツリのコーラだということを忘れて。
「……ブグっ!?」
喉が殺人的な痛みが走って、危うく清野の顔に吹き出すところだったが、なんとかそれだけは我慢した。
「ちょ、東小薗くん!? 大丈夫!?」
「ゲホッ……ご、ごめん。平気……ありがとう」
本当は色々と大丈夫じゃないけど。
慌てて手拭きを渡してくれた清野の優しさが、何だか辛い。
クソ、一体何をしてんだ僕は。やらかしすぎだろ。
「あ、あの、僕もお姉ちゃんに色々と聞いてみる……から」
コーラが漏れ出しかけている口を吹きながらそう続けた。
やり方をネットで調べてもいいけど、姉に聞いたほうが早いかもしれない。なにせ姉は、猫田もぐらのママなのだ。
「あ、そうだ、東小薗くんのお姉さん、プロのイラストレーターだったよね。確かにプロだったら色々知ってるかもしれないねっ!」
清野の目がキラキラと輝く。
それを見て、一抹の不安を覚えてしまう。
まさか「お姉さんに会わせて」とか言わないよな?
言っとくけど、どんなにお願いされても絶対に会わせないぞ? 身内としてあの姉に会わせるのは恥ずかしすぎるし。
胡乱な目で清野を見る僕をよそに、清野は何度も頷きながら続ける。
「……うん、うん、なんだか行けそうな気がしてきた! よしっ! 楽しみにしててね! 東小薗くんが言ってくれてた『私の魅力』……一番近い場所でみせてあげるから!」
「……っ!?」
その言葉で、僕はハッと思い出す。
そう言えば、昼間に徹夜のテンションでとんでもなく恥ずかしいことを言わなかったか?
ギャップがあるのが清野さんの魅力だ──とかなんとか。
うごごごご……!
それは、うごごごごすぎる発言だぞ。
やっぱり徹夜なんてやるもんじゃない。今日はいつも以上にやらかしすぎている。
ああ、もう嫌だ! 今すぐ穴の中に埋められたい!
そして、未来永劫そこで暮らしたい!
「それじゃあ改めて、これからもよろしくね……ママ?」
「は、はい……こちらこそ、よろしくおねがいします」
清野が差し出してきたコップに、僕は恐る恐る自分のコップを当てた。
そうして僕は、引き続き清野のVtuber活動を手伝うことになったのだった。
見なくてもいいのに見てしまって、予想通りに見たくもないものが待っていて嫌な気分になる。
そういう経験をしたことがある人は多いだろう。
何を隠そう、僕はしょっちゅう経験している。
陽キャどものウェーイで溢れかえっているSNSとか、僕が描いたイラストをディスってるヤツのSNSを見ては鬱々とした気分になる。
嫌な気分になるなら、見なければいいのにと我ながら思う。
前にこの心理は一体どこから来るのかと疑問に思って調べてみたけど、どうやら「何かに対して怒りたい」という欲求があるから、らしい。
現実世界で嫌なことがあって、直接不満をぶつけたいけどそういうわけにもいかず、手軽な怒れる相手を見つけているのだとか。
ディスられているみたいで軽く死にたくなったけど、激しく納得してしまった。
人は生きていると何かしらの不満を抱えてしまう。だからその不満を発散させるために、怒ってもいい相手を必死に探している。
今、こうして学校の登校時間にコンビニに立ち寄って、清野が載っている雑誌を見ているのも同じだ。
僕は怒りたいのだ。
なんでコイツはこうも可愛いのか。
なんでこうもけしからんおっぱいをしているのか。
それなのにオタクでアニメ好きでVtuberをやりたいとか、実に腹ただしい。
「……そろそろ制作を進めないとな」
清野に改めてVtuber活動を手伝うことを宣言してから、すでに3日が経った。
あれから細部を詰めてキャライラストは完成したけど、それ以外の部分はまだ何も進んでいない。
一応、髪の毛や衣装など各パーツを分解してはいるけど、やり方があっているのかはわからない。
今日あたり、時間を取ってじっくり調べてみるか。
そういえば、清野も調べてみるって言ってたな。何か有用な情報はなかったか確認してみよう。
そう考えた僕は、お昼ごはん用のパンが入っている買い物カゴの中に雑誌を入れた。
言っておくが、この雑誌を買うのは必要なことなのだ。
これは僕の中に溜まった怒りを発散させる、いわば配管の安全弁。
断じて可愛い清野の写真でナニを致そうとか、そういう下世話なことを考えているわけではない。決して!
「……あっ」
と、足早にレジに向かおうとしたとき、背後から声がした。
振り向いた瞬間、ギョッとしてしまう。
菓子パンコーナーに、清野(本物)が立っていたからだ。
「あ〜!」
そんな清野は、面白いものを見つけたと言いたげにニヤニヤしながら、しゃなりしゃなりと寄ってきた。
「おはよ、東小薗くん」
「お、おはよう」
「むむ、朝から買い食いはいかんぞ〜?」
「……」
どう反応すればいいのか、軽く混乱してしまった。
多分、最後のセリフは担任の増山先生のマネだろうけど、壊滅的に似てない。
そんな清野が続ける。
「……あ、今、そっちだって! って思ったでしょ」
「い、いや」
「どっじゃ〜ん。残念でした。私は買い食いじゃありませ〜ん」
などとほざきながら、清野はいちごクリームを挟んだケーキみたいなパンをこれみよがしに見せてくる。
いや、なにが残念でしたなのかが全くわからんのだが。
「それ、買い食いじゃないの?」
「……え? どう見ても違うでしょ」
「それ、いつ食べるつもりなの?」
「ん〜……これから?」
「さいですか」
やっぱりただの買い食いじゃないか。本当に何言ってんだこいつ。
てか、朝からハードなもの食べますね。
「あれ? その雑誌……」
と、清野の視線がカゴの中の雑誌に落ちる。
ぶわっと背中に汗が吹き出てきた。
「こっ、これは、あの、ええと……お姉ちゃんに頼まれて」
とか言い訳をしていると、清野がカゴから雑誌を取り出してパラパラとページめくりはじめた。
「あっ、これは」
そしてとあるページで手を止めて、わざとらしくこちらに見せてくる。
「むむむっ……この子、可愛いモデルさんだな!」
「……」
どうやら自分が出ていることをアピールしたいらしい。
清野が出てるから買おうとしてるんだけど──などと本当のことは言えるわけがなく。
「そ、それって清野さん……なの?」
「えへへ、わかっちゃった? そうだよ。今度出演するドラマ特集でインタビューされた記事も載ってるんだ」
ドヤる清野は「記事、読んでよ」と、そっと僕に雑誌を手渡してくる。
ドラマってあれか。この前ファミレスでいきなりセリフの練習したやつか。
「そういえば撮影って、まだなの?」
「もうすぐクランクインだよ」
「……? クランクイン?」
「あ、撮影が始まるってこと」
おお、専門用語なんか使って、なんだか業界人っぽいな。
いや、実際に清野は業界人なんだけどさ。
「だからマネージャの蒲田さんから『節制しろ』って言われてて、渋々従ってるんだよね」
「……へぇ」
そうかそうか。
片手にケーキみたいなパンを持ってるヤツが言うセリフじゃないけどな。
「それでね、私、気づいたの。蒲田さんが節制しろって言うのは、私が太っちゃったら撮影に影響が出ちゃうからでしょ?」
「多分、そうだね」
「でもさ、私が太ってるかどうかなんて比較対象がなきゃわからないじゃない?」
「まぁ、そうかもしれない」
「だったら一緒にドラマに出演する北岸あかねちゃんとか、里原舞ちゃんをご飯に誘って私と同じものを食べてもらったら、私が太ったことにはならないよね?」
「うん、まぁ、そうな…………え?」
つい賛同しかけてしまった。
一体どういうことだ。全く意味がわからん。
全員デブになったらデブが基準になるから、自分が太ったことにならないって言いたいのか?
ああ、なるほど。なるほどなるほど。
こいつ、やっぱりアホだ。
「ねぇ、これって大発見じゃない? 私天才かもって思ったもん」
「ある意味天才だとは思う」
「あ、東小薗くんもそう思う? へへ、照れるなぁ」
「思うけど、やらないほうがいいよ」
「……え? なんで?」
「絶対マネージャさんに怒られるし、誰も得しないから」
「……?」
清野が激しく首を捻っていると、彼女の後ろから背の小さな女子が近づいてきた。
ショートヘアで小動物っぽい雰囲気の女子。僕たちのクラスメイトであり、清野の親友でもある乗富みどりだ。
「ラムりん、おっす〜」
「……あ、みどり、おはよ〜。あれ? 今日は朝練なかったんだっけ?」
「ん、試合前だからね〜。てか、朝からヤバいもん食おうとしてんね?」
「こ、これはお昼ごはんなの!」
さらっと嘘ついたなこいつ。さっきこれから食べるって言ってたじゃないか。
「まぁ、いいや。早く学校行こうよ」
「うん! ……あ、チョット待って」
乗冨とレジに向かおうとしていた清野は、すすっと僕に顔を近づけてくる。
いきなり何!? とのけぞってしまった僕の耳元で清野がささやく。
「昨日、Vtuberのやり方について色々調べてみたんだ。だから……お昼休みに話そ?」
「あ、う、うん。わわ、わかった」
なんとかそう返せたが、ヤバいくらいに僕の心臓がバクバクいっていた。
いきなりキスされるかと思った。
いや、そんなわけはないんだけどさ! てか、確かにVtuberの件はバレないようにしないといけないけどさ、もうちょっとやり方があるだろ!
「それじゃあ、学校でね」
小さく手を振って、清野がレジで会計をすませて乗冨と出ていった。
去り際に僕と目があった乗富が、清野に「珍しい人と話してたけど、なにかあったの?」と尋ねていた。
不思議に思って当然だ。
Vtuberの件がなければ、こうしてコンビニの中で顔をあわせても話しかけられることすらなかったはずなのだ。
でも、こんな関係が続くのも、清野のキャラができるまで。
それが終われば、今までの関係にもどる。
同じ教室で、授業を受けるだけの関係に──。
「……」
瞬間、なんだか経験したことのないモヤモヤが胸中に渦巻いた。
何だこれは。
もしかして、こういう関係が終わるのを残念だとか思ってるのか?
「……いやいや、ありえないから」
バカか僕は。なんで残念とか思う必要がある。
姉以外のオタク仲間がいるのは嬉しいけど、一緒にいると疲れるし、ハチャメチャなことにつきあわされるし、迷惑極まりない。
むしろ、元の関係に戻ったらせいせいするはずだろ。
僕はそう自分に言い聞かせつつ、清野に渡された雑誌を握りしめてレジへと向かうのだった。
「え? スマホアプリ?」
清野との密会の場になりつつある、昼休みのマルチメディア室。
彼女の口から放たれた「スマホアプリ」の言葉に、僕は首をかしげてしまった。
「……って、携帯のアプリってことだよね?」
「そう。昨日ちょっと調べてインストールしてみたんだけど、スマホのアプリをつかって3Dキャラを動かせるらしいんだ。ほら、これ」
清野に見せてもらったのは、「Vcast」なるアプリだった。
さくっとネットで調べたところ、「Vcast」はスマホだけでお手軽にVtuber配信ができるアプリらしい。配信中は端末のカメラを使って顔の動きを認識して、アバターキャラを動かすことができるっぽい。
だけれど、アバターはオリジナルキャラを使うことができず、アプリで用意されているパーツを使って作るしかないようだ。
「ん〜……これって、用意された既存のキャラしか使えないみたいだね」
「既存のキャラ?」
「あらかじめアプリ内にあるキャラクターってこと。パーツを組み合わせて自分のアバターを作ることはできるんだけど、オリジナルイラストを使ってキャラを作ることはできないみたい」
「そっか……じゃあ、『黒神ラムリー』はこのアプリじゃ動かせないってことか」
「そうそう。だから──」
そこまで言いかけて、清野が妙な名前を口走った気がして彼女を見た。
「……ごめん。今、なんて言った?」
「え? あ、黒神ラムリー? 東小薗くんが描いてくれた子の名前だよ。『黒執事』の黒に『推しが尊すぎて失神する』の神で『黒神ラムリー』なんだけど……どう? 可愛いでしょ?」
「あ、ええと、うん」
例えが独特すぎて把握するのにすごく時間がかかってしまった。黒の例えはまだいいけど、神が意味不明すぎる。神様の神で良いだろ、そこ。
「すごく良いとは思うけど……大丈夫? バレたりしない?」
黒神ラムリーのラムリーって清野のファーストネームだよな? 名前をそのまま使って大丈夫なのか?
「平気だよ。だって見た目は東小薗くんの尊すぎるイラストだもん。それに、疑われても私が否定すればいいだけだし」
「……まぁ、清野さんが大丈夫って言うならいいけど」
不安を拭いきれないのは、多分、清野が天然だからだ。
知り合いから「Vtuberの黒神ラムリーって、清野じゃない?」とか聞かれたら、「私だけど私じゃないよ」とか答えそうで怖い。
そんな清野が、僕の心配を笑い飛ばすかのようなニコニコ顔で尋ねてくる。
「それよりさ、このアプリじゃラムりんを動かせないとすると、何を使えばいいのかな?」
「一般的なのは、『Make2D』ってアプリみたいなんだけど……あ、これだ」
パソコンの画面に、以前僕が調べたMake2Dのサイトを出した。
Make2DはVtuber御用達のソフトウェアだ。
調べたところ、イラストをモーフィング……つまり、変形させることによって自由に動かすことができるらしい。
大手のVtuber事務所では2Dイラストを元に3D化させているけれど、相応のコストがかかってしまうし原画の雰囲気が損なわれてしまう可能性もある。
なのでイラストをそのままグリグリと動かせるMake2Dが多くのVtuberに親しまれているというわけだ。
「このアプリを使ってイラストをアニメーションさせないといけないんだけど……あ、なるほど……レイヤー分けして、アートメッシュを紐付けてから動かしてるのか……あ、へぇ、目は細かくパス変形させて閉じてる絵を作るんだな……」
サイトには作り方について事細かく説明が書いてあった。
解説サイトを見たり解説動画を観たりしないとだめかなと思ったけど、公式サイトの情報が充実しすぎてここで完結できてしまいそうだ。
おまけに公式がHowto動画まで用意してある。
これは神対応だな、と思って動画をクリックしようとしたとき、清野がじっと僕のことを見ていることに気づいた。
あ、ヤバ。
つい清野がいることを忘れて熱中してた。
「……ご、ごめん。ええと、とにかくこのアプリを使えばいけそうなんだけど、有料みたいなんだよね」
「有料? アプリを使うのにお金がかかるってこと?」
「う、うん。月額サブスク型のサービスっぽい」
「そっか」
「やっぱり有料はキツイよね?」
「え? 全然いいけど?」
あっさりと了承する清野。
「い、良いの?」
「だってラムりんを動かすのに必要なものなんでしょ? お金はそういうところに使わなきゃね」
なんだかすごく大人っぽい意見だ。
Make2Dはこのパソコンに入っている動画編集ソフトよりは安いけど、それでも普通の高校生にはおいそれと手が出せるものではない。
それをあっさり了承するなんて、さすがは稼いでいる芸能人だな。
「……あ」
と、そこで僕はとある問題に気づく。
「あの……ちなみにだけど、清野さんの家にパソコンってあるの?」
「パソコン? ノーパソがあるよ。ちょっと型が古いけど」
「なるほど。古いノートPCでも配信っていけるのかな……」
僕が危惧したのは、機材の問題だった。
最悪、Make2Dでの制作は僕の自宅にあるパソコンを使うにしても、配信には別のパソコンが必要になる。
それに、配信をするだけならそこまでハイスペックなものは必要ないだろうけど、「ゲーム配信」をするとなると、高性能のゲーミングPCが欲しいところだ。
「あ、パソコンの件だったら心配しないでいいよ。近々ゲーミングPCを買うつもりだから」
「……え?」
まるで「ちょっとヘアゴム切らしちゃったから、100円ショップで買うわ」くらいの軽い雰囲気で清野がさらっと言った。
「う、うそ!? 清野さん、ゲーミングPC買うの!?」
僕の憧れであるゲーミングPCを!?
ゲーミングPCは安くても家庭用ゲーム機の倍以上の値段がするので、バイトをしていない僕には高嶺の花なのだ。
それをあっさり買うなんて……うらやましすぎる。
一体どこの店のヤツを買うんだろう。やっぱりグラボとか最新のものを積んだハイスペックのやつ買うのかな。
ああ、いいなぁ。
──などと、羨望心を抱いていたら、清野の顔が赤くなっていることに気づく。
「……」
どうしたんだろう? 何かヤバいことを言っちゃったか?
「あの、東小薗くん?」
「はい?」
「ちょっと近いかも」
「……っ!?」
そこで僕は興奮するあまり、清野に抱きつかんとばかりに身を乗り出していたことに気づいた。
光の速さで身を引いて、土下座をするレベルで頭を下げる。
「ご、ごごご、ごめん! ゲーミングPCって聞いて、つい興奮しちゃって……」
「びっくりしたけど、平気だよ。何ていうか……東小薗くんの素顔が見れた感じがして、嬉しいかも」
えへへ、と清野が笑う。
うぐぐぐぐ。
ナイスなフォローをしてくれたけど、これはやっちまった案件だ。
何を興奮してキモいことやってんだよ。ああ、今すぐ死にたい。
「えと、それで、ゲーミングPCの件だけど」
清野がコホンと咳払いをして続ける。
「パソコンを買うのはVtuber配信のためってわけじゃなくて、PCゲームをやりたいからなんだ。ほら、今結構配信者の間で話題になってるFPSの……」
「もしかして、EPEX?」
EPEXは数年前にリリースされた無料FPSだ。
最初は鳴かず飛ばずの人気だったが、数回のアップデートの後、ストリーマーの間で流行りだして、今やFPS界の覇権を握っている。
でも、あれは家庭用ゲーム機でも出来なかったっけ?
「あ、それもやりたいんだけど……エスケープ・フロム・マカロフってやつをやりたいんだよね。知ってる?」
「エスケープ……」
って、確かメチャクチャハードコアなFPSじゃなかったっけ。
ゲーム内マネーで装備を整えて戦う対戦型のFPSなんだけど、やられてしまったら装備を全部失ってしまうとか。
そのドキドキ感がたまらなくて、最近ストリーマーの間で話題になっている。
「……エスケープ・フロム・マカロフをやりたいなんて、ニッチなところを攻めるんだね」
「え、ウソっ!? 何気なく聞いちゃったけどEFM知ってるのっ!? すご! テンション鬼アガりなんだけどっ! もしかして、プレイしたことあるとか!?」
「いや、配信では見たことがあるけど、プレイは……」
「そうなの? じゃあ、私がパソコン買ったら一緒にやろうよ?」
「え? ええと、あ、う、うん」
「やった! それならすぐにでもゲーミングPC買わないとね!」
嬉しそうにパタパタと足をばたつかせる清野。
つい雰囲気で承諾してしまったけど、一緒にゲームしようってことはアレか?
ディスコードとかでボイスチャットしながら、一緒にキャッキャウフフしながらゲームをやろうってことなのか?
陰キャの僕と、陽キャの清野が?
そんなこと……許されるのか!?
「ち、ちなみにどこの店で買う予定なの?」
「あ〜……パソコンショップ? とか?」
「……」
心を落ち着けさせたくて何気なく尋ねてみたけど、意外すぎる返答でさらに混乱してしまった。
もしかして、パソコン関係は無知なのかもしれない。
持ってるパソコンも旧型のノートって言ってたし。
「まぁ、性能とかよくわからなくても、パソコン専門店のサイトに行けばゲーム推奨モデルのBTOパソコンが買えると思うよ」
「BTO?」
「ビルドトゥオーダーの略。受注生産ってこと」
僕はササッとネット検索して、パソコン専門店のサイトを開いた。
こういう専門ショップはゲーミングPCシリーズを用意していて、ゲームの公式推奨スペックをクリアしている「ゲーム推奨モデル」というものがある。
パソコンに詳しくなくても、そのゲーム推奨モデルを買えば大丈夫なのだ。
「……ん〜」
しかし、清野の表情は晴れなかった。
「あ、いまいち解らなかったかな?」
「あ、いや、BTOについてはなんとなくは分かったんだけど、買うなら実際に物を見てみたかなって」
「触ってみたいってこと?」
「うん。やっぱりフィーリングって大事じゃない?」
パソコンとのフィーリングっていうのはよくわからないけど、実物を見たいという気持ちはわかる。
ネットで注文して、届いてみたらパソコンケースがイメージと違っていた……なんて話はたまに聞くし、ゲーミングPCはウン十万もする高額な買い物だから慎重になるのは当然だろう。
それに、最近はBTOパソコンも店頭に並んでいるところがあるから、そういう店に行けば実際に触れるし。
「ねぇ、東小薗くん?」
清野はしばらく考えて、そっと僕に尋ねてきた。
「もしよかったら……なんだけど、一緒に行ってくれないかな?」
「……え?」
「アキバにあるパソコンショップ。今度の土曜日に一緒に見に来てくれると嬉しいんだけど……面倒かな?」
「あ〜、別に良いけど……」
などと口で言ってはいるけれど、むしろ同行させて欲しいくらいだった。
ゲーミングPCを見に行くのは、正直ワクワクする。
姉がイラスト制作で使ってるPCは、僕がパーツを買ってきて組んだものだけど、相当楽しかった記憶がある。
まぁ、今回は組むわけじゃないけど、パーツを選んだりするのは絶対楽しいに決まってる。
「ホント!? 東小薗くんに来てくれると、助かりまくる!」
ぱっと清野の顔が明るくなった。
「ええとね、土曜日は午前に雑誌の撮影があるんだけど、午後からはフリーなんだ! だから、お昼集合とかでもいい?」
「う、うん。大丈夫」
「やったぁ! ありがとう!」
清野は椅子に座ったまま、嬉しそうにくるくると回り始める。
しかし、すぐに買いに行こうなんて、行動力があるなぁ。
いや、この場合は行動力じゃなくて経済力か?
僕も清野とゲームをやるならバイトをしてお金を貯めて、ゲーミングPCを買ったほうがいいかもしれないな。
ゲーミングPCがあればイラスト制作も快適にできるし、清野とPCを見に行くついでに、僕用のPCを下見しておいても──
「……ん?」
と、そこで僕はそのことに気づく。
「清野と……パソコンを見に行く?」
土曜日の午後?
秋葉原に?
ええと、それってつまり──週末デートってことですか?