聞こえる俺と素直クールな君

「最近白石さんとよくしゃべってるみたいだな、早川」
『青春してるなあ、こいついい奴なのに、すぐ人に壁をつくるから心配してたけど、ほっとした』

 おいおい相田よ、なんで俺をそんな温かい目で見るんだ。俺は相田が相変わらず塔のように積まれた弁当を食べているのを眺めつつ、購買部で買ったパンを頬張る。

「いや、ソシャゲで推しキャラがいるみたいだから、その推しキャラのイベントの手伝いをしているだけだよ」
「そっかあ」
『早川、ソシャゲ以外に興味がなかったのに、ソシャゲを通して青春はじめたのか、本当によかったなあ』

 だからその温かい眼差し辞めてくれないかな!? なんて。心が読めることを白状しないといけないから言えないけど。
 俺は「いやいやいや」と手を振る。

「白石さんはたしかに無茶苦茶いい子だよ。ただ、お付き合いっていうのは可哀想だと思ったよ」
「どういうことだ?」
「んー……知らない人にしょっちゅう告白されてて、本気で困るみたいだった。俺が安全圏みたいになってるところで、俺がそういう目で見ているって思ったら、白石さんも困るだろ」
「そうか? 白石さんの言うことはいちいちもっともだけど、早川と白石さんに告白した連中は全然違うと思うぞ?」
「なんて??」

 まあ……モテモテキングで、やろうと思えばハーレム主人公展開可能な相田が、弁当を受け取る以外のことは一切やらないし、誰も選ばないと公言しているんだから、そりゃモテモテの白石さんの気持ちだってわかるよなあとは理解するが。
 俺と白石さんに寄ってきた連中が違うっていうのは……考えてみたけれど、白石さんに告白した連中は、皆いわゆるリア充という奴みたいだった。自分がフラれると考えてないような、キラキラした主人公みたいな連中。
 そりゃ俺とは違うわあ。そう思ってへこんだら、相田はキョトンとした顔で、弁当をひとつ空にして、他の弁当を開きはじめた。

「なんか勘違いしてるっぽいから言うけど。白石さんだって、知らない人から告白されて、はいもいいえも言えないじゃないか。それでいて、フラれたら必然的に悪者にされる。男子は自分をフッた相手に対してそんなにやっかみの声は上げないけど、普通に陰口は流すしな。女子の場合は友達同士で徒党を組んで『どうしてフッたのか説明を求める』って言いに来たりする。どっちもフッたほうが悪者になって、何度も知らない相手の悪者を演じる羽目になったら嫌だろ」
『白石さんも苦労するよなあ。まあ、早川は白石さんの傷口を抉るような真似はしないと思うけどな』

 だから、お前の俺に対する信頼値はいったいなによ????
 でもまあ、それは理解した。白石さんは本気で告白されて困っていたんだから、それをモテキングの相田に説明されて、より納得した。でもなあ。
 これって俺、なにかすることってあるのか? 俺はパンを食べ終えてから聞く。

「でもこういうのってさ、俺なんかできるのか? 白石さんに対して、なんにもできないと思うけど」
「それこそ、いきなり告白なんかせず、普通に仲良くしてればいいだろ。それだけで救われる気持ちってあるもんだから」
『頑張れ、早川』
「そっかあ……」

 そんなの陰キャにはいくらなんでも荷が重くないか。
 そう思っていたけれど、意外なところから流れ弾が飛んできた。

****

「はい、じゃんけんで負けたから、この原稿を早川くんと白石さんに印刷所まで届けに行ってもらいたいと思います!」

 文芸部は文化祭に向けて、文芸誌をつくる。
 だるんだるんで普段はソシャゲの周回しかしてないような部だけれど、不思議と締切破りはいない。

「だって、こっち終わらせないと自分の原稿終わらないし!」
『イベントと部活の原稿だったら、イベントの原稿の完成度を高めたくない!?』
「宿題は早く終わらせるタイプです」
『次のイベントの担当、推しなんだよ。徹夜するには課題は邪魔』

 ……などなど、あまりにもオタクあるあるが流れ込んでくるのに、俺は頭が痛くなってきていた。

「ちなみにネットで送るっていうのは……」
「あ、無理。デジタルとアナログ混合原稿だから、どちらかに合わせるとなったらアナログ。特に絵は自分でデジタルに変換するよりも、印刷所に任せたほうが綺麗な線が出るから」
「さようですか……」

 地図を持たせてもらい、印刷したかなり思い原稿の束を抱えて、俺と白石さんは印刷所へと向かうことになった。
 ただの部活動の一環だし、ふたりっきりで歩いたことはいくらでもあるけれど。白石さんはうきうきしているのが聞こえる声からもわかる。

『知らない場所は楽しいな、この辺りひとりだったら全然来ない』
「あー……もしかして白石さんは、印刷所に行くのは初めて?
「そういう早川くんは?」
「さっさと高校入学決めたせいで、卒業文集係になったから、印刷所まで原稿届けに行ったことがある」
「すごいね」
『すごいね』
「いやいや、ただ届けに行っただけだから。ところで、白石さんは部誌になに描いたの? 推しキャラ?」
「うん! 四ページマンガ描いたよ。マンガは初めて描いたけど楽しかった」
『推しができると、マンガも描けるんだなあ』

 そうにこにこ笑って言う白石さんに、俺も釣られて笑う。
 俺はマンガ描けないし、だからと言って小説も書けないから、意味がわかると怖い話を二行ずつまとめただけの代物だった。きちんと創作している白石さんは偉い。
 しかし推しキャラってことは、ソシャゲのキャラを描いたのか。

「この間からやってるソシャゲの?」
「うん。可愛かったから、一生懸命調べて描いたの」
「えっ、読みたい。原稿見られるかな」
「駄目、印刷できたら真っ先に見せてあげるから。あっ、あそこ?」

 だんだん印刷所が見えてきた。
 この辺りの学校や会社をターゲットとしている印刷所は、今日も冊子をつくりたい人たちで賑わっていた。
 俺たちが学校の名前を出し、原稿を渡すと、受付の人が「それじゃあ、印刷が終わり次第宅配便で送りますからね」と言ってくれた。
 さっきまで紙束が重かったのに、今は荷物もなくて軽々だ。帰りにふたりでコンビニにより、アイスを買った。

「なんのアイス買ったの?」
「ソーダキャンディー。早川くんは?」
「梨味のキャンディー」
「えっ!? 売ってた!?」
「ラスト一本だった」
「食べたい食べたい食べたい食べたい!」
「えー……でも間接キスは、いろいろとこう、駄目だろ……」

 そんな陰キャと白石さんを間接キスさせる訳には……。俺がドギマギしていたら、俺がビニールを剥いたばかりの梨味キャンディーをそのままシャクッと音を立てて囓ってしまった。結構噛みつかれたあとを、俺は呆然と眺める。

「ええっと……」
「近所だったら梨味、全然売ってなかったんだあ。久々の梨味おいしい……あっ、早川くんもソーダキャンディーどうぞー」

 そう言って白石さんはビニールを剥いてソーダキャンディーを見せてくれた。
 言ってるんだからいいじゃん。あと本気で裏表ないからからかってもいないじゃん。そう思うものの。
 いや、陰キャがそれで調子に乗ったら、いろいろとこう、駄目だろという気持ちのほうが強い。

「お、れは……結構です。梨味キャンディー、おいしいな、ははっ」
「どうしてカタコト?」
「ホント、だいじょぶだから。うん」

 俺が必死で首振り人形になっていて、白石さんは首を捻っていたものの、すぐに「食べちゃうよー」と言いながらソーダキャンディーを食べはじめてしまった。
 俺は必死で白石さんと間接キスしないように場所を選んで囓り、残りは溶けてコンクリートに染み込んでしまうのを眺めていた。
 ……うん、陰キャは調子に乗ったらいけない。

『なんで?』
「へっ?」
「なんでもないよ?」

 一瞬白石さんから声が聞こえたけれど、白石さんがソーダキャンディーを一生懸命食べるものだから、どういう意味か聞きそびれてしまった。
 白石さんと部活で印刷所に出かけてから数週間。
 中間テストを終えたある日、俺たちはげんなりしながらペットボトルに画材を携えてのろのろと歩いていた。
 日差しが強い。ペットボトルのお茶一本だけで足りるのかなと思う程度には、暑い。

「なにも課外授業、この時期にやる必要ってあるのかね」
「そうか? まだ梅雨じゃないし、真夏にやるよりはマシだと思うぞ」
「真面目ー」
「別にそんなんじゃないけど」

 相田は相変わらず優等生なこと言うなあと思いつつ、俺はげんなりとしながら溜息をつく。
 課外授業っていうのはなんてことはない。写生大会だ。
 美術を選択科目に取っていない生徒も強制参加のこの課外授業は、好きな科目に出席日数を加算してくれるということで、さぼり気味の生徒にも概ね好評だったものの、ほとんどの生徒は絵を描くのがそこまで好きじゃない。
 かくなる俺も、見る専門だしなあ。
 で、この手の自由に場所取りして作業する授業になると。
 俺は周りから感じるプレッシャーと声に、内心「げ」となっていた。

『早川どけ。隣に座るから』
 『相田くんって絵はどんな感じなんだろう?』
  『差し入れとかしたら、株が上がらないかな』
   『いっそのこと相田くんと早川くんが並んでるとこ模写させてもらえないだろうか』

 なんか混ざってる気がするけれど、相田の隣を狙って女子が互いを牽制し合っていて、おそろしいことこの上ない。当の相田は『建物描くの苦手だから、植物ばっかのところとかないかなあ』と写生しやすいもの探してきょろきょろと視線をさまよわせているというのに。
 俺もまあ、あんまり建物を上手く描く自信はないしなあと、植物だらけな場所を探していると。

『カリカリカリ、カリカリカリ』

 いつもの独特の擬音が聞こえてきて、振り返る。
 既に何人かは写生大会のために座って作業を開始していたけれど、その中には白石さんもいた。
 俺は相田に手を挙げる。

「あー、すまん。ちょっとあっちで絵を描いてきていい?」

 俺が相田にそう言うと、途端に相田は破顔する。だからなんなの、その反応。

「おう、行ってこい行ってこい」
『頑張れ頑張れ』

 だからそのむやみやたらと明るい応援やめろ、とは相変わらず言えない俺は、絵を描いている白石さんのスケッチブックを覗き込んだ。
 鉛筆で細かく描かれたそれは、かなり上手い。そういえば、前もソシャゲのキャラを一発で可愛く描いていたから、見たものをそのまんま描くのが得意なんだろうなあと思う。

「すごいな、写真みたいだ」

 俺が素直に言うと、鉛筆で描いていた白石さんは「あっ」と顔を上げる。

「こっちで絵を描くの?」
「おう。俺もそんなに絵が上手くないけど、やるだけはやっておこうかと」
「ええ? どんな絵を描くの?」
「無茶苦茶上手い白石さんに見せるの恥ずかしいよ。あ、ちゃんと水摂ってる?」

 まだ夏じゃないのに充分夏日みたいな日だから、水分摂ってないとまずいだろうと思って言うと、白石さんは「この下書き終わったら飲むよ」と教えてくれた。
 俺は隣に座って鉛筆を取り出して、ガリガリと描きはじめる。
 俺の絵が上手くないのは、謙遜でもなんでもなく本当に話だ。とりあえず下書きで形だけガリカリと書いたら、白石さんほど細かく下書きも描いてないけど、そのまんま絵の具を水で溶かして塗りはじめた。
 俺がさっさと筆を動かしはじめたのを見て、白石さんは俺の絵をまじまじと眺めはじめる……あれ、なんで?

『素敵な色……すごい』

 あまりにも素直な誉め言葉に、思わず俺はどっと頬に熱を持った。
 いや、ただ色を塗っただけで褒めるってなに。そもそも褒める要素がどこに……。
 俺がペタペタと塗りはじめると、ペットボトルのお茶を飲みつつ、白石さんはなおも俺を凝視してくる。たまりかねて「どうしたかな?」と尋ねると「あ、ごめん」と返してきた。

「本当にすごいね、早川くん。色が綺麗」
「色が綺麗って……色なんて、絵の具を水で溶いたら、皆同じ色を出せるんじゃあ……」
「ううん、混ぜれば混ぜるほど色って濁るから。色って三色以上混ぜないで塗るのがセオリーなんだけれど、早川くんはそれ以上混ぜても綺麗な色を出せるからすごいなと思って」
「え……それってそんな高度なことだったの?」
「うん」

 これだけ絵を描くのが上手い子が言うんだったら本当のことなんだろうけれど、色をつくるのが上手くっても、実際の絵がこれじゃあなあ……。
 小学生よりはマシだとは思うけれど、とてもじゃないけれど高校生の描いた絵には見えないそれが、俺の顔面に広がっている。
 一方白石さんもようやく筆を取って下書きを塗りはじめたけれど、その様子はおかしかった。
 彼女はどうにか絵を塗ろうとしているものの、彼女が色を塗ると、あれだけ上手かった下書きの線がどんどんと死んでいくように、立体感が消えてぺったんこな絵になっていく。
 白石さんは泣きそうな顔をして、その絵に筆を動かしていた。

「あの、白石さん……?」
「わたし……色を塗るの下手だから……絵を描くのは好き。線を描くのも好き……でも色を塗るのはいくら練習しても苦手」
「なるほどなあ……」

 あれだけ絵が上手い子がどうして美術部に入らずに文芸部に入ったんだろうとは思っていたけれど。美術部に入ったら、彼女の欠点はすぐにばれるし、美大卒の先生にボロクソに言われるのが目に見えている……うちの美術の先生は、絵に関してはあまりにもスパルタが過ぎて、選択科目を選ぶ際に他学年から注意勧告が来たくらいだから、選ばれし人たち以外は美術を選択していない。
 ふと声が聞こえてきた。

『情けないところ、早川くんには見せたくなかったなあ……』

 いや、いやいやいや。
 苦手な部分があるのは当たり前だし、そんなところで遠慮しなくっても。
 俺はどう言ったもんかなと思いながら、ふと思いついた。

「じゃあ俺が白石さん用に絵の具を溶くっていうのは? 俺はただ絵の具を溶いただけだし、これなら俺が代わりにやったとかいう反則にもならないと思うけど」
「え? でも……早川くんの絵は?」
「俺、どっちみちちゃんと描いてないから、もうちょっとで終わるから、残り時間は白石さんに絵の具を溶くよ」
「えっと……うん」

 実際に俺は形だけわかればいいやと、外郭しか描いてないから、筆をたっぷりと動かして全部塗ったら、それでおしまいだ。
 残りは「どの部分の色が欲しいの?」と、白石さんの絵の具チューブを借りて絵の具を白石さんのパレットに溶きはじめる。

「えっと……じゃああそこの桜の樹」
「了解」

 俺が茶色に少しだけ緑色を混ぜると、それを取って白石さんは色を塗りはじめた。俺は絵の具を溶いただけだというのに、白石さんの絵は見る見る見違えたように綺麗になっていく。
 俺はペットボトルを傾けながら、白石さんが綺麗に絵を塗っていくのを眺めていた。
 書きあがった絵は、制限時間を思えばかなり綺麗な出来栄えだった。俺は「ヒュー」と口笛を吹く。

「すごいな、白石さん。本当に」
「え……そうかな?」
『早川くんが絵の具を溶いてくれなかったらこんな綺麗な絵は描けなかった。ありがとう』

 その反応がいちいちむず痒い。それぞれ出来上がった絵を、向こうにいる先生たちに提出しながら言う。

「俺は白石さんみたいにすごい絵は描けないよ。これは白石さんの実力だ」
「そんなことないよ」
『早川くんは、すごいよ』

 そうしっかりと力説され、とうとう俺は顔を火照らせて、目を逸らしてしまった。
 ……いや、今のはずるいだろ。フツメンが勝手に美少女の誉め言葉を聞いて勘違いすることほど恥ずかしいことはないのに。
 絵を提出してから、こちらに生暖かい声が聞こえたけれど、スルーした。

『なんでマイナスイオン様と仲良くしてんだ?』
 『あいつ誰? どこのクラス?』
  『マイナスイオン様が、笑ってる……だと?』

 そういえば。そこでようやく俺は気が付いた。
 心の声が聞こえているから、白石さんは淡白な表情をしているだけで素直な子だとは知っていたけれど、彼女が素直に感情を表に出していたことに、今更ながら気が付いた。
 彼女が笑うと、朝顔の花が開いたように華やぎ、儚く思えるんだ。
 同じクラスの白石さん。
 ボブカットの髪はキューティクルつやつやで、長い睫毛はソシャゲのスチルみたいにバチバチに長い。全体的に黒猫みたいな印象の彼女は、学校の中でもダントツの美少女だと思うけれど、今まで誰とも付き合ったという噂がない。
 掃除当番で中庭の掃除をしていると、「話ってなに?」という声を耳にし、思わず隠れてしまった。
 中庭の椿の木の近くで、背が高い先輩と一緒に、小柄な白石さんが見えた。
 たしかあの先輩は、テニス部の主将だったと思う……あの人が苦手なのは、同じ図書委員だけれど、大会の練習とか遠征とかで、すぐに図書館の当番を押し付けられるからだ。実際にテニス部はうちの県じゃ強豪らしいけれど、女遊びも激しいからSNSに書かれるような真似はすんなと警告が流れている。
 そんな人に捕まって、白石さんは大丈夫なんだろうか。そう思ってハラハラして見ていたら、テニス部の主将が口を開いた。

「君のことが好きなんだ。今度の大会、見に来てくれないかな?」
「どうして?」
「えっ? だから、君のことが好きで……」
「好きだと大会に見に行かないといけないんですか?」

 白石さんの口調には抑揚がない。多分だけれど、テニス部の主将に興味もないのだろう。
 主将は顔を真っ赤にして、「こんの……っ!」と彼女に手を挙げようとした。
 あっ、まずい……!
 僕はおろおろとして、持っていた箒を落としてガッチャンという音を立てた……いろいろとやらかしている主将だけれど、SNSに誹謗中傷を書かれるのは避けたいだろう。ぎょっとしたあと、舌打ちをしてその場に白石さんを置き去りにしていった。
 白石さんはいつもの抑揚のない表情で、主将を見送っていた。

「あ、あの……白石さん、大丈夫だった?」
「ありがとう。でも大丈夫」

 彼女は淡々と言う。
 感情が乏し過ぎて、彼女が怒っているのか悲しんでいるのかわからなかった。
 そのままさっさと彼女が去っていったのを、僕は見送った。
 余計なことしたんだろうか。僕は彼女の態度に首を捻りながら、落とした箒を拾い上げた。

****

 普段から抑揚のない受け答えで、しゃべることも滅多になく、表情を変えることもない白石さんが、どこから来たのか『マイナスイオン様』という愛称で呼ばれるようになったのは、三人ほど告白したという噂が流れてからだった。
 どんなイケメンが告白してもなびかない。フツメン以下ではお呼びでない。全員無表情でばっさばっさとフッていく。
 噂というには悪意が強過ぎるものが、いつの間にやら出回りはじめた。
 実際のところ、彼女にフラれた相手に逆上されて殴られかけているということは、ほとんど知られてないみたいだ。
 大方、SNSで悪評を書かれるより前に、彼女に風評被害が向くようにフラれた相手が仕掛けたんだろう。そのせいで、フラれた相手のファンの女子も混ざり、悪評がどんどんと広がっていた。
 気付けば白石さんは孤立するようになってしまっていたけれど、彼女はマイペースに部活に入って、部室に入り浸るようになってからは、その迷惑な行動も少しだけなりを潜めた。
 彼女の入った文芸部はオタクのたまり場であり、基本的に白石さんに積極的に話しかけるような陽キャはいないけれど、彼女をネタにして遊ぶ陰湿な奴もいなかったから、彼女は比較的安心なようだった。
 そんな中。彼女と仲良く話をしている男子が出るようになった。
 ふたつ隣のクラスの目立たない男子だけれど、なにかと白石さんに気を遣っているようだった。
 彼女は相変わらず表情は乏しいが、彼は彼女がなにを言いたいのかわかるらしい。

「ありがとう」

 冷たい抑揚のない言葉でも、男子はヘラリと笑う。

「いいよいいよ。白石さんがいいんだったら」

 男子はヘラヘラと答える。
 あれだけ冷たい返答だったら、僕は折れそうなのに、あの人すごいな……。
 僕は思わずそれを凝視していたら、白石さんのほうから「あ」と声をかけてくれた。それに僕は「ひっ!」と声を上げる。それに隣にした男子が首を捻る。

「あれ、白石さんの知り合い?」
「うん。同じクラスの……どうかした? ずっとこっちを見ていたけど……」
「えっ! 違う……カ、カレシさんとの付き合いを、別に邪魔するつもりは……」
「えっ? わたしと早川くんは、同じ部なだけだよ?」
「えっ……」

 もし白石さんの暴言だったら……思わずギギギ……と首を早川くんとかいう男子に向けたら、その早川くんもまたにこやかに笑っていた。

「いやあ……白石さんも大変そうだから。もし勝手にそう噂が出てるんだったら、そのまんま出てくれてたほうが……いいかなあと……」
「ええと……それでいいんだったら、いいのかな……?」

 これ以上は僕がどうこう言うことでもないなと、退散した。

「……ありがとう」
「へっ?」

 振り返ると、白石さんは薄く笑っていた。
 今まで本当に抑揚ない表情をしていたっていうのに。
 僕はちらりと隣の早川くんを見る。
 多分、このふたりの関係は今はこのまんまでいいんだろう。
 写生大会で白石さんが提出した絵は、美術部を追い抜いて賞をもらうことになったらしい。
 入賞した白石さんは、困惑の眼差しで校長先生から賞状をもらっているのが印象的だった。

『美術部よりも絵が上手いって……でも上手い』
 『マイナスイオン様、ますますモテるなあ』
  『あの子が苦痛で歪んだ顔するのが見たい』

 白石さんに、羨望も憎悪も、変態的欲求も全部ぶつけられる。あーあー……白石さん大丈夫かな。俺はほんの少し心配になりながらも、日常は続く。
 文化祭は期末テスト明けに行われる。昔は秋にやっていたらしいけれど、高三の受験シーズンを考慮した結果、一学期の内に終わらせてしまおうということになったらしい。
 文芸部もどうにかこの間印刷所に出した本が届き、皆で「おー……」と言いながら捲っている。
 驚いたのは、白石さんの描いた漫画が、思っている以上に面白かったことだ。
 ソシャゲの推しキャラ同士が、仲良く冒険している四ページ漫画。たった四ページでよくもまあ面白い漫画になるもんだと、しきりに感心してしまった。

「本当に白石さん、この手の才能あるなあ……」
「そんなことないよ。それを趣味だからやれるだけだから」
『これくらいなら、わたしより上手い人なんていくらでもいるからなあ』
「謙遜も行き過ぎると結構失礼になると思うよ?」

 俺の指摘に、白石さんはびっくりしたように口を抑える。
 本当に。元々裏表がほぼない子だったけれど、変われば変わるものだなあと思う。
 俺が漫画を繰り返し読んでいると「あのう……早川くん」と白石さんが口を開いた。

『こういうの早川くんが好きかどうかわかんないけど、ひとりで行くのはちょっと怖いし……』

 なんだ、どこか行くのに着いてきて欲しいのか。俺はどう言ったものか迷った挙句「どうかしたか?」と尋ねると、白石さんはビクンッと肩を跳ねさせてから、もじもじもじもじと自身の掌を弄びはじめる。
 文芸部員たちはこちらに視線を向けていた。

『早川すごいな、マイナスイオン様の言葉がわかって……あれだけ冷たい口調で、どうしてそんなに……』
 『もじもじするマイナスイオン様かわゆい。SSR』
  『早川は陽キャではないと信じていたのに……いや、マイナスイオン様の笑顔を引き出せた時点で主人公……主人公にモブは勝てない』

 いや、どんな感想だよ、それ!?
 叫びたくなるのをぐっと堪えていたところで、ようやく白石さんは声を上げた。

「ソシャゲで……コラボカフェするんだって……」
「ふうん……」

 最近だったらアニメでもゲームでもソシャゲでも、コラボカフェっていう世界観をイメージした料理やドリンクを提供する店を展開したりしている。
 あれってピンからキリまであって、一部は超有名IPのコラボカフェにもかかわらずぼったくり料金でグッズ集めを強要させるところもあれば、リーズナブルな値段で満足させ、そもそもIPのコラボカフェだということすら教えないところまである。
 俺や白石さんがやっているソシャゲのコラボカフェは、世界観に沿った作品内の回復アイテムをメニュー展開し、箱推しファンをメインに全員登場グッズを展開するという良心的なコラボカフェをしているらしいけれど。
 でもあれって抽選が大変らしいって聞いてたけど。

「あれ、白石さんもしかして」
「……行けることになったけど、あれって予約が……ふたり以上じゃないとできなくって……わたしひとりでは行けないから……」
『ひとりでファンを探して行くのは怖い。助けて。お願い』

 なるほどなあ……。
 俺たちの会話を聞いていた文芸部員はと言うと。

『お土産! 金はカンパで出すからお土産!』
 『畜生、リア充爆発しろ!』
  『推しがついにリア充の仲間入りかあ……拝む……』

 なんか本当に好き勝手言われてるなあ。
 少し考えて、溜息をついた。

「俺、そういうところの作法って知らないけど、なにすんの?」
「ご、ご飯食べるだけだと思うから……多分。あの、一緒に行って、くれませんか?」
「俺でよかったら」

 途端に白石さんは頬をポポポポポと真っ赤に染め上げた。

「ありがとうございます!」
「お? おお……うん」

 やたらめったら嬉しそうな白石さんに、俺も釣られてニコニコしていて、ようやく気付く。
 ……ん、前の印刷所に制服で行ったんじゃなくって、これ、普通にデートじゃないのか?
 デートって、リア充のものではなかったのか?
 え、俺ってこれ。どうしたらいいの?
 ようやくことの重大さに気が付いて、冷や汗を流した。

****

【おお、すごいな白石さんとデートって!】
【デートじゃねえし! 聖地巡礼だし! コラボカフェとかって初めて行くから、どうすりゃいいのかわかんねえけど】

 他に聞ける相手もいないから、必然的に俺は相田にメッセージアプリで助けを求めていた。
 相田はスタンプでペタンとサムズアップしたキャラのを押して言う。

【あまりにも普段着って感じじゃなかったら、女子はそこまで怒らないぞ】
【普段着じゃない服ってなに? 制服? 世の中の人、なに着て歩いてるの……】
【これっておしゃれな雑誌とかサイト見ても、背丈とか年齢とかで全然参考にならないから言うけど、服はあんまり着崩れてない奴……できれば新品の服を着て、匂いにさえ気を付けてれば大丈夫】
【匂いってなに? オーデコロンとか付ければいいの?】
【というか、早川は普通に毎日風呂に入って体洗ってシャンプーもしてるだろ? それに加えてドラッグストアでデトランスでも買って脇と首の裏に塗っておけば大丈夫だろ】
【でとらんすってなに】
【制汗剤って言えばわかるか? スポーツやってると汗がすごい噴き出て着替えるときに制服に貼り付いて鬱陶しいから、スポーツ前にそれを振っておくんだよ】

 俺の無知っぷりに、相田はすかさずフォローをくれる。持つべきものはリア充の友人か。
 最後に相田はしみじみと言った。

【なんというか嬉しいなあ】

 その言葉にはて、と思う。

【なにが?】
【白石さんは早川のいいところに気付いて。早川は人を偏見の目で見ないから、楽なんだよな】

 偏見もなにも、嘘がないのが聞こえているしなあ。

【そりゃどうも】
【デート頑張れ】
【これ、果たしてデートのカテゴリーに入れても大丈夫????】

 心は読めているはずなのに、それでもその先の行動の意図までは、白石さんはちっとも読ませてくれない。
 俺はひとまず一番新しいTシャツに、一番くたびれていないジーンズ、比較的綺麗なスニーカーを履いて、当日挑むことにしたのだ。

****

 スポーツショップのロゴも入ってない、至ってシンプルなデザインのTシャツだし、むやみに陰キャっぽくはないと思う。
 制汗剤だけは困り果ててドラッグストアの店員さんに聞いたら、何故か温かい眼差しで見られて居たたまれなかったけれど、どうにか無臭の制汗剤を振っておいた。
 さて、白石さんはどこだろう。
 待ち合わせ場所は時計の大きい広場だけれど、ここはデートの待ち合わせがかなり多く、ひとりで買い物に行くときはなるべく通りたくない場所だった。

【あと十分で依頼者が来る】
 【ガチ恋勢の同伴は荷が重い……早く済ませたい】
  【楽しみ過ぎて、一時間前についてしまった……こんなところで時間潰せることもないし、どうしよう】

 幾人かが業者の人みたいな中でも、本当にデートの待ち合わせの人もいて、白石さんも変な人に捕まる前にこっちが回収しないとなあと、彼女がいないか探していると。
 人のシャツの背中をくいくい引っ張る感触に気が付いた。

「えっと?」
「早川くん、お待たせ」
「あ……」

 思わず見とれてしまった。
 麦わら帽子をかぶり、ロングワンピースを着て、肩掛け鞄を斜め掛けしている白石さん。
 日頃から見る小柄で華奢な姿が、私服姿になった途端に愛玩さもプラスされたように見える。
 はっきり言って、滅茶苦茶可愛い。

「か、かわっ……」
「かわ?」
「きゃわいいねっ……噛んだ」

 陽キャのような噛み方をして、はずい。俺がオタオタとしている中、白石さんは華奢な体を揺らして笑いはじめた。

「あははははははは……!!」

 思いっきり笑い飛ばされてしまい、いたたまれなくなったものの。
 彼女はきっと悪気なんてないし、むしろこんな弾けるような笑い顔を拝めたのは悪いことではないと思う。
 俺は少しだけ肩を竦めてから、一緒に笑いはじめた。
 それじゃあ行こうか、コラボカフェ。
 コラボカフェはソシャゲに合わせたカラーリングで統一されていた。
 てっきりソシャゲとのコラボなんだから、もっとキャラの立体パネルを置いて記念撮影できるようにしたり、キャラのプリントをした布地やらポスターやらをペタペタ貼り付けているのかと思ったのに、思いのほか普通の喫茶店っぽい印象だ。
 でもくれるコースターはきちんとソシャゲのキャラのをくれるようだ。
 店員さんに注文すると、コースターをくれる。俺には白石さんの推しキャラ。白石さんには俺の推しキャラ……おそらく店員さんは気を遣って女性客に男性キャラ、男性客に女性キャラを宛がってくれたんだろうけど、逆なんだよなあ。
 とりあえずハンバーグセットに紅茶のセットが届き、店員さんが去ったのを見計らってから、コースターを交換する。

「すごい! 本当にもらえた! キャラが多いから、当たるかどうかわからなかったんだけど!」
「そうなの? てっきり推しを教えたらそれをくれるのかと思っていたけど」
「違うよ、完全にランダム……でもコラボカフェなんてチケットが全然取れないから、何回も行ける自信なんてなかったなあ……本当にありがとう、早川くん」
「いやいや。俺は全然そのつもりはなかったんだけど。でもそれぞれ推しがもらえてよかったな。それにこれ、結構美味いし」

 ソシャゲ内イベントで存在していた、手作りハンバーグをつくるために騒動を巻き起こすというイベント内で完成したハンバーグ。
 てっきりファミレスっぽい冷凍食品を手作り品に見せかけているのかと思っていたけれど、味は思っている以上に本格的だ。野菜が細かくごろごろ入っているし、肉もジューシー。ソースも結構美味いし、添えている野菜も全部美味い。
 美味い美味いと連呼して食べていたら、白石さんも一生懸命ハンバーグセットを食べているのが見えた。
 食べ方がやたらと小さく、ちびちびと食べている。小柄な白石さんは、もしかしたら小食なのかもしれない。

「白石さん、それ全部食べきれるか?」

 俺がなにげなく聞いてみると、白石さんは「ぴゃっ!」と跳ねた。何故跳ねる。
 そのあと、小さく首を横に振った。

「食べきれるよ……ただ、食べるのが遅いだけ」
「そっか。ごめん、急かすつもりはなかったんだ。そっかそっか」
「……このハンバーグおいしくって。食べ終えるのがもったいないなと、いつもよりゆっくり食べてた」
「あっ、それは思った。これ美味いなあ」
「……もし、これと似たようなハンバーグつくれたら、食べてくれる?」
『玉ねぎは多分みじん切りにしたものを生で入れているんだと思う……刻みまくって原型が無くなっているけれど、香りがするから多分セロリも入ってる。人参も……それを蒸し焼きにしてるんだろうなあ……前のイベントに出てきた手作りハンバーグ想定だったら、材料はこれで合ってると思うけど』

 俺はそれを聞いて目をパチパチさせてしまった。料理を食べても大概は「美味いなあ」「美味くないなあ」で終わらせてしまう俺は、材料まで考えてなかった。
 というより。

「白石さん、料理できるのか? すごいな。俺、夢中で食べててつくってみようとか全然思わなかったから」
「ハ、ハンバーグは、野菜刻んじゃったらあとは混ぜるだけで簡単だから……ソシャゲ内のシナリオで材料は出てたし、実物も見て食べたから、つくれるかなと……」
「でもすごいよ」
「ほ、褒め過ぎ……」

 とうとう白石さんは顔を真っ赤に染めて紅茶に逃げてしまった。紅茶もしっかりと味が出ているのに、不思議と渋くない。綺麗な水色の紅茶だった。
 ふたりでお腹いっぱい食べたあと、アニメショップに出かける。アニメショップは最近はソシャゲに力を入れている店舗が多く、俺たちの応援しているソシャゲもしっかりグッズ展開されていた。
 あんまりそういうのを集める趣味はないけれど、新規のイラストを見るのは好きなため、クリアファイルくらいだったら邪魔にならないだろうと購入する。
 俺が買い物している間、白石さんがフラリといなくなっていた。まさか迷子か?

「白石さん?」
「あ、ごめん。ちょっと見てて……」

 本棚と本棚の間から、ぴょんぴょんと飛んでみせてくれたので、場所はわかった。普段アニメやソシャゲのノベライズやコミカライズのコーナーにはいるけれど、普段入り込まない場所にいたから驚いた。
 そこはイラストや漫画の技巧講座の本がたくさん並んでいた。少し離れた場所にはアナログ画材も置いてある。最近はデジタル全盛期で、全部の作業をスマホやタッチパネルで済ませてしまう人もいるらしいけれど、白石さんはもっぱらアナログ派だった。

「画材? 本? なんか買うの?」
「えっと……前に文芸誌つくったのが楽しかったから、今度は自分で本をつくろうかなと思って……本の作り方とか載ってないかなと思って……」
「本って……もしかして同人誌のこと?」

 白石さんは小さく頷いた。
 そっか、白石さんの絵だったら充分同人誌にしても映えるしなあ。
 一緒にコラボカフェに行った結果、インスピレーションが生まれたんだったら、そりゃすごいことだ。

「印刷所のサイトに載ってないのかな、同人誌の作り方って。多分部長にも言ったら印刷所への原稿の出し方も教えてくれると思う。ただ、白石さんはアナログで綺麗な絵を描くんだから、アナログ原稿を取り扱ってくれるところに出さないと駄目かも」

 学校の文芸誌とか取り扱っているところだったらいざ知らず、今はもっぱらデジタルに移行しているんだから、せっかくの上手い白石さんの絵を潰すような真似はしたくないよなあと思う。
 俺が言った言葉に、白石さんはますます目を輝かせた。

「す、すごいね、本当に早川くんは! うん、頑張る! ハンバーグつくるのも、同人誌つくるのも、頑張る!」
「ええ? 俺はただ、耳年魔なだけで、別にすごくもなんとも……」
「でもすごいよ、早川くんは」

 そう言って白石さんはにこにこと笑い、振り返った。
 そのこちらを見上げる様に、ドキリとする。

「人の知りたいことも、困っていることも、全部アドバイスをくれて、励ましてくれる。本当にすごいよ、早川くんは」
「いや……あ……」

 そうあまりにも素直に口にする白石さんに、俺は言葉を失ってしまった。
 いや、違うだろ。俺の場合、ただ白石さんの声が聞こえるだけ。それに沿って、アドバイスをしているだけ。別に欲しい言葉を絶妙なタイミングで渡したらすごいとか善人とか思うかもしれないけど、こんなのタネを明かしたらただのペテン師だろ。
 俺が口をふがふがとさせている中、白石さんはきょとんとして、こちらを覗き見てきた。

「早川くん?」
「いや……ああ……うん。俺は、白石さんが思うような人間じゃ、ないよ?」
「ええ? 皆、自分の理想と現実は違うでしょ? そうじゃないの?」
「ええっと?」

 いきなり哲学的なことを言われ、俺は唖然として白石さんを見ると、白石さんはカゴを持ってきて、せっせと画材を入れはじめた。
 同人誌用用紙、墨汁、ペン軸、ペン先、スクリーントーン。どれもこれも、アナログ原稿の道具だ。
 それを入れながら、白石さんは続ける。

「皆、思い込みでしか話をしないから。思い込みが思い込みだってわかったら、皆すごく怒るから。それは、すごく怖い。勝手に期待されて、勝手にがっかりされるのは、すごく怖い。早川くんだけだった。わたしがしたことだけを褒めてくれたのは。思い込みじゃなくって、結果で褒めてくれた。それは、すごいことではないの?」

 その言葉に、俺は喉を詰まらせた。
 ……俺は自分の持っている人の声が聞こえるのは、全部ズルだと思っていたし、あまりにもギャップが大き過ぎる人間からは逃げるのが普通だと思っていた。
 単純に白石さんといるのは、裏表がないから楽だった。それだけだったはずなのに。
 そんな褒められるなんて思わなかった。

「あー……ありがとな。そう言われたのは、初めてだわ」
「そう?」
「はい」

 会計に進んだ白石さんを見送りながら、次はどこに行こうと考えた。
 陰キャの俺は、今ものすごく楽しいけれど、女の子とどこに行ったら楽しいのかまではわからない。
 ただ、ふたりでいる時間があと少しだけでもと先延ばしにしたい気持ちだけは、本物だ。
 俺と白石さんはアニメショップを出て、大きな本屋に行って本を探したり、雑貨屋でペンケースを探したりして、そこそこ楽しんでいた。
 白石さんもまた、素直に楽しんでくれているみたいでほっとした……誘ってくれたのは白石さんなんだから、彼女がまず楽しくなくちゃ駄目だろうけれど。映画を見に行くには帰り時間が中途半端だし、今やっている映画はどれもこれもオタク向けな映画ではないんだよな。
 そう思いながら次はどこに行こうと思っていた矢先、ゲームセンターに辿り着いた。
 とは言ってもこの辺り一帯は持ち主がいい加減なのか、ゲーム機が通路以外にところ狭しと並んでいて、ゲームの種類にすら気を遣っていないようだった。
 昔ながらのシューティングゲームから、有名格闘ゲーム、全国のプレイヤーと対戦するタイプのクイズゲーム、いわゆる音ゲーまで、本当に全然種類や客層を考慮せずに、とりあえず好きなゲームを並べてみましたといういい加減なことをしていた。
 一応万人向けゲームとして、プリントシールの機械やUFOキャッチャーも並んでいるから、デートからオタクまでどちら様でもお好きにといういい加減なコンセプトのようだった。

「すごいね……こんなにゲーム機並んでいるとこ初めて見た」
「そうだなあ。最近だったらどこもかしこも万人向けに寄っていたから、ここまでマニアックな並びは久々に見た」
「早川くんはこの手のゲーム得意?」
「んー……どうだろ。あんまり運動神経重視の奴はそこまでは……」
「じゃああれは? 対戦できるし」
「おっ?」

 そこに並んでいたのは、大昔のパズルゲームだった。ゲーム自体はシンプルで今でもプレイヤーが全国に大勢いるはずだけれど、会社があこぎな商売を続けた結果、見事に倒産して版権全部買い上げられてしまったはずだ。
 今は中古屋で当時売られていたソフトが売っているくらいだと思っていたのに、まさか今でも現物のゲーム台が動いているなんてなあと、感心してしまった。

「まだ動いてる奴なんて、初めて見た」
「これ、やっぱり今のリメイクされまくってルールが簡単になっちゃった奴よりも奥深くって好きだよ。それじゃ遊ぼう遊ぼう」
「おう」

 とりあえず俺がコインを投入すると、ゲームが開始された。どんどんパズルが積み上がっていくので、俺はひたすら消していくけれど、白石さんはひたすら積んでいる。
 大規模連鎖狙いかなあ……俺はそれを見ながら自分もパズルを動かす。
 ルールはシンプル。互いの画面にパズルのピースが落ちるから、それを消して相手の妨害をし、相手の画面をピースでいっぱいにしてしまったほうが勝ち。もう消すことが不可能なくらいに画面がピースで埋まってしまったら負けというものだ。
 俺が消していけばいくほど、白石さんのほうに連鎖を阻害していくパズルのピースが落ちていくけれど、白石さんはそれを気にする素振りすらない。

『これとこれとこれ……』

 このゲームは基本的に同じ色を並べれば消えるという特徴がある。特定の色待ちをしていたら、その間にお邪魔ピースが原因で連鎖は阻害されて、新しく連鎖を積み立てなきゃいけないはずなんだけれど、白石さんはそこまで詳しく考えてないみたいだ。
 でもそれだったら、俺はこのまんまお邪魔ピースを送り込んでおけば勝手に自滅するはずだけれど……なんかおかしいな。
 俺がそう首を捻っていたら、白石さんは「来た来た」と言いながら、「えい」とひとつの連鎖を消した。
 途端に、画面いっぱいにこのゲーム内呪文が響き渡る。
 しま……いわゆるまぐれ連鎖狙いか。同じ色を固めておいたら、あとはひとつの連鎖を起こしてしまえば、それに連動して消えてしまう。こんなの俺の聞こえる耳をもってしても止めきれないだろ。

「すごいすごい! 全部消えた! ぜーんぶ!」

 白石さんの大規模まぐれ連鎖のおかげで、俺が止めきれる間もなくお邪魔ピースで埋まってしまい、天井も見えなくなってしまった。これはもう、挽回できない。

【ゲームオーバー!!】

 女性の声が響き、隣でぴょんこぴょんこしている白石さんを余所に、俺はがっくりとうな垂れた。

「勝った勝ったぁ!」
「ああ~っっ負けた! 白石さんすごいじゃん、これ本当にまぐれか?」
「全部まぐれだよぉ。ここに欲しいピースが来たらいいなあと思ってたら、本当に来てくれたから消せただけで。ちまちま早川くんにやられてて全部の連鎖潰されちゃってたら無理だったよぉ」
「そうでもないと思うけどな……俺のお邪魔ピースまで利用して連鎖してたからなあ」

 このパズルゲーム、お邪魔ピースも連鎖に巻き込んで規定回数消去すれば消えるのだ。
 そこまで計算してたんだったら、本当にすごい。
 俺が素直にそう賞賛すると、ようやく白石さんは笑った。

「ありがとう。ああ、そうだ。記念にプリントシール一枚いいかな?」
「ええ、あれ?」

 プリントシールは基本的に男ひとりや男オンリーだと止められる。男だけだと馬鹿なことして機械を壊すかららしい。先人はなにをやっているんだ。
 陰キャの俺は、これに入るのは初めてだった。てっきり証明写真のようになっているのかと思っていたブルーシートの中は、意外と広い上に、仕上げ用のペンタブまでセットされてある。

【それじゃあ、カメラに向かってポーズ!】

 やけに明るいアナウンスのあと、俺はガチガチに固まっている中、白石さんは自然な笑顔を見せた。俺の顔に、カメラを見ていた白石さんが振り返る。

「もうちょっと寄ってもいいよ」
「い、いやあ……これ以上はさすがに……」

 陰キャに陽キャの真似をしろと言われても無理。そんなのは相田に任せてくれ。俺には荷が重い……っっ。
 そう俺がぐるぐる思っている間に、白石さんが俺の腕を取ると、それをぐいっと向けた。またもパシャリと撮られる。
 俺が変顔をしている横で、白石さんの笑顔。笑顔。笑顔。
 麦わら帽からはみ出るボブカットの揺れ具合に、淡泊な彼女が見せる微笑みに、俺はどんどん目を奪われていた。

「はい。終わり。あとはこれを加工するけど、どうしよう?」
「加工?」
「たとえばこうやって、ポンポンとスタンプを押せるんだよ」
「あー……」

 俺はそういうのはわからないけれど、撮った写真にフレーム加工をし、そこにキラキラのエフェクトを足していく中、「早川くんもする?」と進められて、困る。
 もっとごっちゃりするのかと思っていた白石さんのフレーム加工もエフェクトも、俺が手を出したら崩れるような気がする。
 なら文字ならいいのかと、パレットを自分で書き込めるように設定してから、ペンタブを握った。どう書こう。
 困ってから、一文書いた。

【文芸部交流会】

 それを見た白石さんは嬉しそうに、その文字にもキラキラのエフェクトを付けてくれた。
 他に言うことあるだろ、俺も。

『やっぱりいいなあ、早川くんは』

 え?
 俺は「それじゃあ印刷しようね」とプリントボタンを押している白石さんの声が飛び込んできた。

『早川くんは、私の顔だけを見ない』
 『知らない人に好かれるのは怖い。だって誰か知らないから』
  『早川くんは、怖くない』
 『一緒にいて欲しい』

『これ、お守りとして持ってちゃ駄目かなあ……』

 その言葉の羅列に、俺はぎょっとしていた。
 今まで、全部ステルスされていて聞き取れなかった白石さんの言葉が、溢れてくる。
 ……俺は裏表の大き過ぎる女子が怖かった。だって本当にどんな可愛い子も裏ではこんなこと考えてるのかと、幻滅するには充分だった。
 でも。一見クールに見えても白石さんはどこまでも素直で、楽しくて、一緒にいるとほっとする……。

「……好きとか、そんなんじゃ言い切れないんだ」
「えっ? 早川くん?」
 リア充はわからんとずっと思っていた。
 カップルでも腹の中では黒いこと考えているし、打算や妥協を何度も聞いてきて、辟易としていた。
 だから、俺が陽キャの真似をすることは絶対にできないだろうなと思っていたのだけれど。
 俺が学校に行く準備をしていたら、スマホのアプリが反応した。

【おはよう、もう家を出るところ?】

 そのアプリの文面を見て、思わず噴き出す。
 周りの意見を聞いて、客観的に見たら、彼女の言葉は見事なまでに足りないんだ。
 でもそんな言葉を使うのが下手糞な彼女が、一生懸命に俺のことを褒めてくれた。そのいじらしさを見ていたら、好きになってもしょうがないだろ。

【今出るところ。白石さんは?】
【わたしも今から行くところ。じゃあ、いつものところにいるね?】
【すぐ行くから待ってて】

 俺は慌てて制服を着ると、そのままダッシュで走り出した。コンビニ行って昼飯買うのは、白石さん捕まえてからにしよう。
 白石さんは黙っていたらとにかくミステリアスで可愛らしい。
 そのせいか、大学生のナンパだったらまだいい。ときどき変質者に絡まれることがあるから、俺がさっさと行って彼女を捕まえないといけない。
 いつも待ち合わせしているのは、近所の集合住宅の玄関前だ。そこだったら普通の社会人や学生の出入りが活発だから、ナンパや変質者に絡まれることもないからだ。
 やがて、中学生や高校生の登校風景の中、鞄を背負って待っている白石さんがいた。

「おはよう。待ったか?」
「おはよう、早川くん」

 白石さんはこちらに振り返ると、ぱっと明るい顔をしてみせた。
 たしかに白石さんは表情の喜怒哀楽は大きくないけれど、よくよく見ると、空気の緩み方が全然違うんだ。
 俺たちはのんびりと、登校しはじめた。

 俺の人の心が聞こえる力、いつか言ったほうがいいのかな。それを言って、嫌われるのが怖いけど。
 俺がちらっと見ると、白石さんがぷくっと頬を膨らませた……ってなんで?

「早川くん、考え事?」
「ええっと……コンビニでなにを買おうかと思って」
「早川くん、嘘が下手だよぉ」

 そう彼女が言う。俺より一歩先をちょこちょこ歩いてから、振り返る。

「早川くんがなにか隠してることくらい、わたしにだってわかるよ?」
「えっ? ホント、別に……」
「でもそれって、言いたいときに言えばいいんじゃないのかな?」
「……ええ?」
「言いたくないことだって、誰だってあるよ。わたしは、わかりやす過ぎるのかもしれないけれど」

 まあ……白石さんは表情に合ってないだけで、言っていることと考えていることはほぼ一緒だ。

「だから」

 そう言って白石さんは笑う。

「言いたくなったらでいいよ」
「……ありがとう、な」
「いいよ」

 そう言って白石さんは笑った。
 ……本当に、完敗だ。

「……俺は、白石さんでよかったって思うよ」
「うん、わたしも、早川くんでよかったって思う」

 まだ俺たちは付き合い出したばかりで、名前を呼ぶことはもちろんのこと、手を繋ぐことも、キスさえも、まだできていないような中途半端な関係だ。
 でも。
 この空気が心地いい。この距離感が心地いい。ほっとして落ち着く、この居場所を守れたらどんなにいいのかと、そう思わずにはいられない。

<了>

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