僕が過去に戻ったのは、 きっと教師だったから

 八月二十四日、十二歳の誕生日がやってきた。本来なら二十七歳になるのだが、現実に戻れてはいない。だが今となっては、このタイミングで戻りたいとも思えなかった。

 よく映画や漫画では、自分の誕生日なんかに強制的に元の世界に戻されてしまう。僕は昨日、それが少しだけ怖くて眠れなかった。しかし、朝起きても普段と変わったところはない。十一歳が十二歳になっただけのことだった。

 その日の夜に、家族で僕の誕生日会を開いてくれた。
「愛斗、誕生日おめでとう!」
 ケーキの上には蝋燭が一二本刺さっていた。それらの蝋燭の火を一度で吹き消して、拍手が起こる。僕は正直、照れくさかったが悪い気はしなかった。みんなが笑顔で溢れていたので、すごく心地のいいものになった。

 すると、優香が後ろに手を回し、僕の方へ近づく。
「お兄ちゃん、お誕生日おめでとう。」
 僕の前に差し出されたのは、一つのスケッチブックだった。
「中見てもいい?」
「うん!」
 そのスケッチブックを開くと、中には十五枚ほどの絵が挟まっていた。その絵のほとんどに、優香と僕の絵が描かれていた。一枚一枚丁寧にページをめくる。
「ありがとう。とっても嬉しいよ」

 最後のページには、僕と優香だけでなく、美来が描かれていた。もちろん絵の横には「ミク」の名前が入っていた。

「これは、この前の?」
「そうだよ、お兄ちゃんを笑顔にさせてくれた人でしょ」
 少し違う気もするが、僕は素直に頷く。
 それを聞いた両親が、すぐに揶揄からかってきた。
「愛斗の好きな子?」
「と・も・だ・ちね。」
 僕がそういうと、みんなが一斉に笑った。
「愛斗、女の子は守ってあげないとダメだぞ」
 父は今日もほろ酔いだ。
「守ってもらったことないよねー」
 母と優香は顔を揃えて笑っていた。

 美来は僕が守らなくたって大丈夫だ。彼女は他の生徒よりも早熟で、自分で考えられる。そんなことを心の中で呟く。

 両親には、バスケットボールを買ってもらった。僕がバスケをしていることを知っていたのは不思議だったが、素直に受け取った。

 改めて、僕は過去に戻れて幸せだと思った。子供の時は、これが当たり前だと思っていたが、今では感謝に思う気持ちでいっぱいだった。
 社会に出て働くことを平気で成し遂げる父に、家の家事を全て一人で担っている母。僕は一度経験したからこそ、その大変さを知っている。

 この状態を途切れさせてはいけない。今年で、この輝いていた幼少期を終わらせてはいけない。
 いよいよ夏休みが終わり、二学期が始まる。僕がこちらの時代に来てから、早くも半年が経とうとしていた。

 登校した初日、夏休みに立てた計画を「やりたくない」と言いにきた子は一人もいなかった。まだ全体に伝わってないのかもしれないが、クラスのみんなが不満を抱え、どうにかしたいという気持ちは伝わった。ここは僕らが先陣を斬っていくしかない。

 誕生日の次の日、男達で集まった。メンバーは、拓哉に理樹と孝彦、それに加えて、拓哉と同じサッカーチームに所属している鹿島航(かしまわたる)の計五人だ。
 一度目の六年次の時、航とは遊んだことがほとんどなかった。それでも今回の計画に賛同してくれたのは、夏休みに関わったことと、拓哉が後押ししてくれたからだろう。

 この五人で最初、先生を怒らせてやるのだ。僕らが先頭に立てば、教室中が勇気を出してくれるだろう。

 僕らの初陣は至ってシンプルだった。五人揃って怒られにいく。ただそれだけでいい。空き教室に呼ばれるときに、五人で行けば、生徒達もそこまで恐怖しないだろう。石神と一対一で対峙すれば、子供の彼らは耐えられない。僕と一緒に行けば守ってあげられる。

「宿題持ってきて」
 石神が後ろから回すように指示する。後ろの席の子が、前の席の子へ、プリントやノートを送る。その間に僕ら五人は先生の元へ行った。
「先生、宿題忘れました。」
 僕に続いて、他の四人も石神に伝える。石神は教師用の椅子にもたれかかっている。僕ら五人を見渡し、一人一人顔を確認した。そうして立ち上がると、僕らを退け、他の生徒達に向かって話す。

「他に忘れた人いる?」
 誰も手を上げなかった。二、三人くらい追加で乗って来てくれるかと思ったけど、まだみんな怖いようだ。前に出てきた四人も、不安な表情をしている。
「お前またか」
 先生は僕を観察しているようだった。
「じゃあ、全員来い」
 予定通り、五人揃って空き教室へ連れていかれた。もしも別々だった場合はあんまり意味がなくなってしまう。

 二回目の六年生になってから、ここへ来るのは四回目だ。僕はどちらかというと少ない方だし、あんまり怒鳴られたりはしていない。拓哉達は、勇気を出してくれてはいるが、怯えている。

 例のごとく、真ん中には椅子が六つ並べられた。集団面接のように五人が横一列に座らされ、目の前には一つの椅子が置いてある。
 石神は、ふらふらと近づき、その椅子に勢いよく座る。これも威圧するための下準備なのか。

「はい。言い訳は?」
 貧乏ゆすりをしながら、石神は聞く。
 まずは僕が答えよう。
「面倒くさかったからです!」
 石神はいつものように、僕を見ている。他の四人は、突拍子もない発言に、驚きを隠せないでいた。
「上田はいいよ。他は?」
 やはり完全に取り合ってもらえない。すると、隣に座った理樹も勇気を出してくれた。
「右に同じです!」
 理樹は無理をして笑う。
 石神は、僕らを見渡し考え込んでいた。集団で歯向かってこられるのは、初めての体験なんだろう。
 石神は数分間黙り込み、そうして苦笑しながら言い放った。

「上田に言われたな。お前ら」

 どういうわけか、僕が仕組んでいることがバレてしまったらしい。誰かが報告したのか。それとも従順だった生徒が、いきなり歯向かってきた事を不思議に思ったのか。そうなら仕方がない。

 周りのみんなは、「面倒くさかっただけですよ」「まなとは関係ない」と庇ってくれている。すると、石神は不敵な笑みを浮かべながら全員に言った。
「じゃ、上田以外戻っていいよ」

 石神に一泡吹かせようと思ったが、今回は難しそうだ。だが、拓哉達は石神が怒鳴らなかったことに驚いていた。それだけでも今回は収穫だ。

 僕だけが残ることになり、みんなに戻るように促す。理樹と拓哉は僕を心配し、最後まで残ろうとしたが、首を振り教室から出ていくように促した。
 彼らが教室から出て行った後、石神はカーテンを閉める。時間はお昼前だったため、教室は明るく、カーテンの隙間から、日差しが入り込んでいた。

 すると、あろうことか石神は、ポケットから煙草を取り出し、この場で吸い始めた。

 その姿を見て、僕は気が動転してしまった。
「な、なにをしてるんですか先生、教室で煙草なんて」
 異様な空間に、煙が舞っていた。
 石神は僕をじっくりと見ながら話をする。
「上田、新学期からお前は何を考えているんだ」
 冷静な石神を初めて見た気がした。石神はいつも怒鳴っていて、生徒の意見なんか聞かないと思っていた。
「別に何も考えてないですよ」
「いや、嘘だな。何か企んでるだろ」
 石神は口角をあげる。不思議なものを見るような目で、じっと僕を見つめていた。

「先生が嫌いなだけです」
 答えにはなっていないが、そう言った。
「どこが嫌いなんだ?」
 石神は質問する。その無頓着な石神の発言に激怒した。
「どこが…、生徒にひどいことをして、教員の立場を悪用しているところです。生徒達はみんな怯えています!」
 先生は笑いなが、再度聞いてくる。
「どこが怯えているんだ?」

 この時の僕は冷静を欠いていた。この人は何を言っているんだ。自分のクラスの現状すら把握できていないのか。生徒達が石神に怯えているのは、側から見たら誰だってわかる。

「みんな、泣いているじゃないですか。あなたがストレス発散のために、生徒に当たって、その被害を受けている」

 激昂した僕は大声で石神に叫んでいた。だが石神は、しっかりと聞いているが笑ったままだった。
「ストレス発散か…、上田、俺が暴力を振るったことがあるか?」
「暴力なんて関係ありません。生徒が怖がっているのが何よりも証拠です」

 すると、吸っていた煙草を、ポケット灰皿に捨て、下を向いたままの石神は、低い声で言った。

「怖いのは必要なんだよ」

 それは奇しくも、美来と同じ発言だった。
 確かに、生徒を指導するときに、多少恐怖心を煽ることは重要かもしれない。だが人を殺める恐怖が必要な理由がどうしてもわからなかった。

「僕にはあなたの恐怖が必要だと思えません」
「そうか…」
 そう言って僕は、煙の充満した教室から飛び出した。
 教室に戻ると、クラスのみんなが心配して待っていてくれた。拓哉達は、先ほど呼び出された時に起こった出来事をクラスのみんなに嬉しそうに話している。

「まなとすごいんだよ。あの石神に立ち向かってさ。俺ら何も怒られなかったよ。本当にあいつは弱いものいじめだったんだ」

 理樹はクラス中に大声で伝える。クラスのみんなも、笑顔が溢れ、勇気を持ってくれたように見える。

 僕が石神を否定した理由は言うまでもない。人が死ぬからだ。将来生徒が死ぬ。だからこのやり方は間違っている。単純だった。
 だが、今日の石神は明らかにいつもと違った。生徒の前で煙草を吸うのも、僕を見て笑っているのも、今まで見たことがない。

 一体石神は何を考えているのだろう。

「まなと、まなと」
「う、うん?」
 拓哉を含めたクラスが、僕の方を見ている。
「これから、俺らも頑張るよ」
 全員の目が希望に溢れている。新学期に教室に入った時とは違う色の目をしていた。
「そうだね…」
 さっきの石神の態度に戸惑ったが、僕の中ですべきことは変わらなかった。

 その後は、石神に反発する生徒が増え、教室は徐々に明るくなっていった。 
 それに相反するように、石神はほとんどクラスに口を出すことは無くなった。 

 なんの冗談かわからなかったが、今では怒られている生徒はほとんどいない。生徒達も元々、そこまで怒られるようなことをしていないし、本来の小学校の形に戻っていった。

 最初の計画だった「石神を辞職させる」ことはできないかもしれない。現に反発する生徒が増えたが、石神は学校を休まずに来ている。
 何を考えているのかわからなかった。一学期とは打って変わり、怒鳴り声をほとんど聞いていない。この石神の変化は何を表しているのだろう。

 もう一つ、気になることがあった。なぜ美来は石神を肯定しているのだろう。

 怖いのが必要だと言い、生徒が大人じゃないと言い切った。それに優香がいじめられる未来を予知した。

 もしかしたら美来は…

 そんなはずないと思ったが、愚行が頭を掠めていった。

 ここ数週間、そんな美来についてずっと考えていた。
 今日は体育でバスケットボールが行われたが、楽しむことができなかった。
 もう一度人生をやり直している僕は、当然一回目の六年生の頃よりも、バスケットボールが上手くなっていた。この後の人生で経験した多くの記憶は、僕の中にそのまま残っている。筋力や身長は小学生のものだが、判断やボールの扱いは、未来の僕のままである。

 そうなると、クラスメイトにちやほやされるのは必然だった。女の子は、自分達が休憩している時に、僕に向かって黄色い声援で応援してくれる。まあ、小学生に騒がれても、そう言った気持ちにはならないのだけど。

 この時も、石神と美来のことが頭の中で蠢いていた。
「先生、足痛いんで見学します」
 ステージの端に座っている石神に伝えた。こちらに振り向くことも、返事をすることもなく、ただ、生徒たちのプレーを遠目から見ている。
 そのまま、反対のステージの端へ向かう。

 そこには美来が先に座っていた。美来と少し話がしたくて、見学をしたのだ。
「サボりですか」
 今回は僕から話しかけた。
「愛斗君…」
 美来はいつもより元気がなかった。
「あ、ごめんね、もしかして本当に体調悪い?」
「ううん、サボりだよ」
 笑顔をこちらに向ける。
 美来には一つ聞きたいことがあった。それは、美来が石神をどう思っているかということだ。
これまで美来は、石神を肯定しているような素振りをすることがあった。なぜ小学生の彼女が石神を肯定するのだろうか。僕はその真意を知りたかった。
「美来は石神先生のことどう思う」
 すると、予想していたこととは別のことを口にした。

「初めて美来って呼んでくれたね」

 笑顔をこちらに向けている。そうだったか。あんまり気にしたことがなかった。
「そうだったっけ」
「いつもは美来さんって言うでしょ」

 教師だった頃、どの生徒に対しても敬称で呼んでいた。生徒達に違いを生み出すのはあまり良いことではないと思ったからだ。
 最初に美来に話しかけた時、彼女を友達というより、一人の生徒として見ていた。拓哉や理樹は、あの頃から友達だったが、美来は二度目の六年生から仲良くなった。気恥ずかしいことだが、今は美来のことを友達として見ているのかもしれない。

「ましだと思う」
 唐突に美来は言った。
「まし?」
「うん、石神先生はましだと思うよ」
「まし」と言うからには、対象があるのだろうか。誰と比較しているのかはわからなかった。
「誰に比べてましなの?」
「この学校の先生」
 美来は真剣な眼差しで言った。

 生徒を泣かせて、嫌われている先生がまし。生徒を二人も殺す先生がまし。どこを比べているのかわからない。

「じゃ、石神先生はどこが他の先生と比べて優ってるの?」
 石神にあって、他の教師にないものを知りたかった。
 美来は深く考え、何かを思い出すように言った。

見えないことを自覚している所(・・・・・・・・・・・・・・)

 ああ、それは僕にも心当たりがあった。
 あっという間に夏も終わり、僕らは「合唱祭」に向けて準備が始まった。合唱祭は、十一月の最初の週に開催され、各クラスが歌いたいものを選択し、選んだ曲を歌う。二ヶ月弱の間、生徒達は自発的に練習し、クラスが一丸となって取り組んでいく。学校側の意図としては、団結力の向上や、数々の引き起こる障害や壁を、クラス全体で乗り越えてもらうことである。指揮者や伴奏者、パート分けなど、音楽の先生と相談しながら自分達で行っていく。生徒達にもやりがいのある、楽しいイベントだ。勤めていた学校でも、似たようなイベントがあったが、教師の立場からも、それはすごく感動的なものになっていた。

 僕はこの年の合唱祭を、ほとんど覚えていない。

「さぼったら怒られる」という気持ちだけが、僕らを突き動かしていたのだと思う。
 だが、今回は良いものになりそうな予感がする。石神の恐怖が軽減され、生徒達が自発的にこの合唱祭に向けて行動するようになった。伴奏者にも立候補する生徒が三人もいて、何を歌うかの話し合いも弾んだ。

 歌う曲は、実行委員がくじ引きで公平に決める。その前にクラスでの意見をまとめなくてはならない。小学生なら、多数決で決まると思ったが、意外にも全会一致で一つの曲に絞られた。

『平和の鐘』

 毎年、六年生が選び、優勝している曲だった。この学校では、六年生が「平和の鐘」を歌い、合唱祭を盛り上げるという暗黙の了解があった。そのため、他の学年の生徒は、六年生が歌うものだと思い、毎年遠慮している。だが、おそらく一組も「平和の鐘」を選ぶため、くじ引きで外れた方は、違う曲を選ばなくてはならない。

 幸運にも、僕らのクラスの実行委員が、くじ引きで「平和の鐘」を勝ち取り、優勝候補となった。皮肉にも今のクラスに、とても合っている選曲だと思ってしまった。

 この曲は、戦争や争いを無くすという願いが込められた歌だった。どうしても、石神の支配から脱却した僕らのための歌に思えてしまう。

 楽曲も決まり、伴奏者と指揮者を決める。伴奏者は早い段階で立候補を集め、この頃には毎日のように練習をしていた。僕のクラスは、ピアノを習っている子が三人もいた。逆に隣のクラスでは、伴奏者の立候補はなく、今は先生がやるか議論しているらしい。

 実行委員の中村葉月(なかむらはづき)加藤光輝(かとうこうき)が、教卓の前に立ち合唱祭のためのクラス会議を進行していく。黒板には、『曲』、『指揮者』、『伴奏者』と書かれており、指揮者と伴奏者の下は空欄だった。

「伴奏者どうするの?」
「明日、林先生がオーディションで決めるって」
 林先生は音楽の先生で、伴奏者や指揮者にアドバイスをする。当日は、自分が審査員にもなるのだが、学校全体を平等に指導してくれる。 
 この時間、石神はいつものように、俺には関係ないといった態度で、椅子にもたれている。
今では教師というよりは、監視カメラのような存在になってしまっていた。

「今日は指揮者を決めよう。立候補いますか?」
 葉月がクラスに呼びかける。すると、拓哉が天井に向かって一直線に手を挙げる。
「はい!まなとがいいと思います」
 一瞬固まってしまったが、拓哉に反論する。
「ふざけんな、拓也がやれよ!」
 教室中が笑いに包まれた。
「私もまなとくんがいいと思います」
 学級委員の真美が立ち上がると、それに吊られて、他の生徒も次々に僕を指名した。当然断れる雰囲気でもなく、クラスのみんなに承諾することになった。

 実は前回の六年生の時も、指揮は僕がやった。そのときは、ジャンケンで負けたとかだった気がするが、よく覚えていない。合唱祭での指揮の経験は二度目になるので、なんとなくだが、指揮のノウハウは覚えている。

 この日は指揮者だけが決定し、明日の伴奏者が決まり次第、練習を開始することになった。
 指揮者の役割としては、当日よりもむしろ、練習段階で重要になる。実行委員と協力して、クラスをまとめていく。今のクラスの団結力なら、問題はないだろう。

 こうして会議が終わり、僕は今年も指揮者をやることになった。
 その日の帰りの会で、久しぶりに石神に名前を呼ばれた。

「上田。指揮やるなら、林先生に申請してきて。あと、これからは全部林先生に聞いて」
「はーい」

 本当に石神は変わった。生徒たちを怒鳴っていた教師が、今では地蔵のような態度で生徒と接している。たまに生徒に声をかけると思うと、それは事務的な内容がほとんどだった。

 放課後、石神に言われた通り、職員室へ向かった。林先生は自分の席に座り、合唱祭に向けて、忙しそうに仕事をしている。

「すみません、六年二組の上田愛斗です。指揮者の申請できました」
「あ、上田くんがやるの?わかった。じゃ、頑張ってちょうだいね」

 林先生は、二十代の女性の先生だ。高学年の男子の中には、林先生を崇拝している人も存在する。もちろん理樹もその一人だった。

 退出する時に職員室全体を見渡した。一番端の隅っこに石神の姿がある。他の先生達を寄せ付けず、一人で座り、コーヒーを飲んでいた。
 僕も教員時代、どちらかというと孤立していた方だけど、周りからはあんなふうに見られていたのかと思うとゾッとした。

 石神を遠目から見ていると、僕が見ていることに気づき、ゆっくりと近づいて来た。その場から急いで立ち去ろうとしたが、石神の目が動くなと訴えかけてくる。その場で静止し、近づいてくる石神を待った。

 そのまま石神は僕の横を通り過ぎる。一瞬何だったのかわからなかったが、耳元で石神が一言だけ呟いて行った。

矢印は消せない(・・・・・・・)

 耳打ちで確かにそう言った。
 少し考えたが、その場で答えは出せなかった。

 その後、僕も職員室を出て、自分のクラスに戻った。そこには、どういうわけか美来が一人で座っている。

「なんで残ってるの?」
「愛斗くん、待ってた」

 なぜ待っていてくれたのかはわからなかったが、一緒に帰ることになった。美来の家は学校の目の前にある。一緒に帰ると言っても、校門を出てすぐお別れだ。

 ランドセルを背負い帰宅する。その時も、職員室で石神が言ったことに意識を持ってかれていた。そのせいで、美来のことを気に留めることもなく、気づいたら美来の家の前まで来てしまっていた。

 美来の家に着くと、少し待つように言われた。言われた通り、美来の家の前で待っていると、美来はすぐに家から出てきて、「帰ろ」と言ってきた。

「美来の家ここだよね」
「うん。でも愛斗くん、帰ってないでしょ」
 美来はよくわからないことを言ったが、美来の手には財布が握られていた。
「あ、買い物行くの?」
「そう。愛斗くんの家とスーパー近いでしょ」
「じゃ、一回僕の家に帰って、自転車で行こうよ。荷物乗せられるし」
「いいの?」

 そう言って僕らは帰宅することになった。今日の美来は、いつもより懐っこく感じた。

「ねーね、愛斗くん」
 さっきから美来は何かを僕に言いたがっているが、どうしてか美来は少し躊躇っているようだった。
「美来、なんで待っていてくれたの」
「それは…」
 美来は言いづらいのか、緊張しているようだった。
「愛斗くん、あの、私達って友達?」
 美来は、少し恥ずかしそうに言った。
「当たり前だよ。それを聞くために残ってたの?」
「うん…」

 職員室から六年二組の教室に戻った時、帰りの会からは三十分ほどが経過していた。それを確認するためだけに待っていたと思うと、何だか健気に思えてしまう。

「美来は、大人びてて、他の友達よりも話しやすいと思ってるよ。一緒にいると疲れなくて楽なんだよ」
 本当にそう思っていた。小学六年生と話すのは、友達でも疲れてしまう。言葉を選んで話しているつもりだが、それでも伝わらないことも多々ある。その点美来は、同級生の中で最も話しやすい友達だと思っていた。
「ほんと?」
「ほんと」

 そのあと、美来は僕の顔を見て不安そうな顔をした。まだ信じてくれていないのかもしれない。
「じゃ、僕の家に着いたら、ちょっと待っててよ」
 家に着き、優香に誕生日にもらったスケッチブックを持ち出した。そうして美来に、最後のページに描かれている、僕と優香と美来の三人の絵を見せた。
「優香が誕生日にくれたんだよ。美来が僕を笑顔にしてくれた人だって」
 照れ臭かったが、優香に言われたように言った。
「優香ちゃんは優しいね」
 美来はその絵を見て微笑んでいた。

「それでなんだけど、十一月一日、優香の誕生日なんだ。もしよかったら絵を描いてもらえないか?」
 合唱祭の前日に優香の誕生日があった。僕も優香にもらったように、絵をプレゼントしたかったのだが、絵心が全くなかった。春のスケッチの授業で、美来の絵が素晴らしかった事を思い出し、絵のプレゼントをお願いしようとずっと考えていた。
「もちろん。私でよければ」
 美来の不安そうな表情は無くなっていた。
「よし、決まり。僕は何をあげようかな」

 その日も以前のように買い物に付き合い解散した。
 美来は優香の誕生日前日までに渡すって言ってくれたけど、当日予定がないなら一緒に渡してほしいとお願いした。その方が優香もきっと喜んでくれる。
 伴奏者も決まり、合唱祭に向けて練習が始まった。伴奏者のオーディションでは、かなり揉めたと僕は聞いているが、林先生が公平に審査し、それぞれが納得して決まったとのことだ。

 選ばれたのは、東堂春香(とうどうはるか)という女の子で、選ばれなかった二人は、女子のパートのリーダーになった。

 練習は、光輝と葉月を中心に行われ、最初の方は、パートごとに教室を借り練習をする。パート別と言っても、「ソプラノ」や「アルト」などの本格的なものではなく、基本的には女子と男子で分けられる。男子のパートを歌う時、低くて声が出ないという男の子は、女の子の練習に参加する。僕のクラスにも今年は三人だけそういう子がいた。

 僕は指揮者だったので、両方のパートを交互に行き来し、練習に参加した。伴奏者と息を合わせるためにも、春香と二人で行動し、時には放課後に残って練習をする日もあった。その間、石神は口を出すことはなく、練習中も教室にはほとんどいなかった。合唱祭に向けて、僕らは順調に練習してきたのだが、一週間が経った時、クラスで問題が起こった。

 伴奏者に立候補した二人の女の子が、喧嘩をしたのだ。その時僕は、男子に混ざって練習していて気づかなかったのだが、葉月が、男子が練習している教室に駆け込んできた。

 喧嘩の発端は、女子のパート練習のため、練習用の伴奏者を決める事になり、そこで起こってしまったと葉月が言っていた。
 春香は僕とセットで行動していたので、その時は男子の方で練習に参加していたのだ。

 この一週間、主に練習ではカセットテープが使われていた。最初に曲を練習するとき、いきなりピアノと合わせるのは難しい。カセットテープのお手本を聞きながら、自分達の音程を徐々に合わせていく。その段階の練習が終わり、今日からピアノを使って合わせるということになっていたのだが、オーディションに落ちてしまった女の子二人が、練習のための伴奏者を取り合ってしまったのだ。しっかりと最初から、練習の時の伴奏者を決めていなかった僕らの責任だ。

 葉月に連れられ、僕と光輝は、女子が練習している教室に向かった。教室に入ると、伴奏者に落ちてしまった。遠藤里帆(えんどうりほ)久保葵(くぼあおい)が口喧嘩をしていた。

「春香ちゃんいない時は私が弾くって言ったよね」
 里帆は葵に向かって怒っている。
「でも、私も練習したい」
 葵は負けじと言い返していた。

 普段、葵はおっとりとしていて、喧嘩をするような子ではない。今でも石神に怯えている生徒の一人で、我が強い子では決してなかった。しかし、ここではなかなか譲らず、言い合いになってしまっている。逆に里帆は気の強い性格で、いつも明るい子だ。友達も多く、周りが里穂の方へと賛同してしまっている。

 僕はその言い合いに仲裁に入り、交互にやるようにと進めた。最近石神に歯向かい、黙らせたことで、クラスのみんなに一目置かれてしまっていた。それが功を奏し、僕のいうことを素直に聞いてくれた。

 今日のところは、僕は葵にやってもらう事を頼んだ。葵に味方した生徒はいなかったし、彼女がこんなにも本気になっている姿を僕は初めて見たからだ。里帆も「まなとがいうなら」と今日は引いてくれた。

 合唱祭などのイベントでは、生徒たちがぶつかることもある。それを乗り越えて成長できるからこそ、学校側はこういったイベントを用意している。
 石神は、授業以外何もしていない。職員室での出来事以来、僕は石神と話していない。他の生徒も、授業の時以外は全く関わっていないように見える。それでも、授業中は全員が席に座り、真面目に授業を受けていた。今の僕らのクラスには、先生がいないと言っても過言ではないだろう。そのため、喧嘩や揉め事は、自分たちで解決していかなければならなかった。

 今日の練習は丸くおさまり、一日の練習が終わった。放課後の練習は時間が決まっていて、その時間がきたら、生徒達は帰らなくてはならない。二組の生徒は解散し、僕は拓哉と一緒に下校した。

「今日の喧嘩すごかったね、まさか葵があんなに意地張るなんて」
「見てたのかよ」
 拓哉は廊下から覗いていたらしい。
「ちょっとね。けどさ、俺らのクラスって、今まで喧嘩したこととかあんまりなかったからびっくりしたよ」

 確かにそれは僕も感じていた。石神が教室を支配しているとき、僕らのクラスに喧嘩や言い合いはほとんどなかった。どちらかというと、そういったことをしている場合ではないという方が正しい。

『矢印は消せない』

 職員室で石神は確かにそう言っていた。
 石神はこうなることを最初からわかっていたような口ぶりだった。だとすると根本的に全てが間違っている可能性が出てきてしまう。

「まあ、でも生徒が自主的に行動してる今の方が、クラスっぽくて僕は好きだけどね」
「確かに。みんな笑ってるし、解決したから大丈夫か」
 拓哉は嬉しそうに笑っている。僕もそれに合わせて笑ったが、複雑な心境だった。

 この時僕は、自分が行ったことを正当化した。
 その後は何事もなく練習は続いた。里帆も葵も伴奏を交互にやってくれている。僕が女子の方で練習するときも、喧嘩をしているようには見えない。合唱祭まで、僕らは一ヶ月を切っていた。

「そろそろパート別じゃなくて、男女で合わせてみようよ」

 光輝が提案した。僕らは今日、放課後の練習を休みにした。最近では毎日のように残り、習い事や用事がある子を除いて、全員が練習に参加してくれていた。今日は、僕と伴奏者の春香、実行委員の光輝と葉月で、これからの打ち合わせをすることになった。

「いいと思う。男子はみんな、ほぼ完璧だと思うよ」
 僕がいうと、葉月が対抗する。
「女子だってみんなすごく上手だよ、指揮者も伴奏者も男子の方ばっか行くのに!」

 ピアノを弾ける生徒が、男の子の中にはいなった。そのため本格的なパート練習に移行してから、春香と僕は男子の練習に参加する事が多くなっていた。

「ごめんごめん、男子伴奏者いないからさ」
「指揮者は関係ないよね」
 葉月は笑いながら言っていた。
「それで、葵さんと里帆さんは大丈夫なの?」
 春香が心配そうに葉月に聞いた。
「喧嘩とか、この間みたいな言い合いはしてないけど、少し空気が悪いかも」
 葉月は不安そうに言った。
「葵がピアノを弾いてくれてる時、少し間違ったり、ミスをすることがあったんだけど、その時にくすくす笑ったり、ヤジが飛んだりしてて…」

 あんまりそういうのは良くない。僕が見ている限りでは、そう言ったことはないように見えたが、女子だけになるとそういうこともあるのだろう。

「わかった、これからは一緒に練習して、そういうことがないようにやっていこう。里帆もそれだけピアノをやりたいと思っているだけだと思うから」

 明日から僕らは男女合同で練習することになった。

 音楽室を使える日は限られている。朝、昼休み、放課後、三つの時間が学校で分割される。この学校では音楽室が二つあったので、学校全体の十二クラスが使うとなると、二日に一回の練習が目安だった。それと、毎週金曜日の音楽の授業で練習することができる。

 僕らは明日の放課後に音楽室を使うことになっていた。
 次の日の放課後、音楽室に生徒が集まった。
 伴奏は当然だが春香が行った。今日が最初の合わせにもかかわらず、ものすごい完成度のものになった。歌い終わった後、クラス中が顔を合わせて感動していた。男子も女子も細かい修正は必要なものの、二組の練習に参加していた林先生も絶賛するものとなった。

 その日の練習で、僕は指揮者として全体を見ていたが、葵と里帆が悪い空気になってしまうということはなかった。これからは、男女合同の練習が増えていくので、少しだけ安心した。
 こうして僕らは、三週間後に迫った合唱祭に向けて毎日のように練習していたが、この頃から航を含めた男子六人が練習をサボるようになっていた。

 理樹や孝彦は問題児だが、こういうイベントには熱い男だった。だけど、航は理樹のような熱があるようなタイプではない。全ての物事に対して、身が入っていないような性格だった。

 実行委員の光輝が、放課後に航達が帰ろうとした時に一度声をかけた。その時も、みんな用事があると帰ってしまった。その日の僕らの練習が終わり、一人のクラスメイトが下校中、学校の近くのサッカー場で、用事があると言っていた六人全員が遊んでいるのを発見した。そこで彼らが練習をサボっているということが発覚したのだ。

 今まで「怒られないように」という感情に生徒達は突き動かされ、結果として練習をサボったり、授業を休んだりすることはなかった。今でも石神が見張っている授業では、生徒達は私語をせず、真面目に取り組んでいる。だが、合唱祭の練習に石神は全く関わっていない。そのため、生徒達のサボりや弛みが目立ってきている。

 だが、この合唱祭のイベントは当然強制ではない。高学年の生徒だけが、放課後残って練習することが許可されている。そのため音楽室を使える日は、朝と昼休みが下級生に割り振られ、僕らは放課後に限定されてしまっている。そうなると彼らが帰って遊びたい気持ちはわからなくはない。だからこそクラスメイトとして自主的に参加してもらいたかった。

 僕は光輝と葉月に相談し、今日の放課後の練習を休む事を伝えた。

「航、今日どっかで遊ばない?」
「指揮者がサボるのかよ」
「たまにはいいだろ」
 僕は敵意がないように言った。
「いいぜ」

 そう言って航たちと遊ぶ約束をした。練習がない日に遊んでもよかったが、一緒に練習を休むことで、航達との距離を縮めようという作戦だった。

 その事を昼休みに拓哉にも相談した。正直航とはあまり仲良くない。拓哉なら航の性格を詳しく知っているだろう。

「拓哉、航を練習に来させるにはどうしたらいいと思う?」
「やっぱ航、放課後サボってんだ」
「そうなんだよ。なんとか参加してもらえないか放課後交渉しにいくんだけど…」
 すると拓哉は眉間に皺を寄せ、航のことを語ってくれた。
「航は難しいと思うよ。イーグルで一緒だけど、俺もあんまり仲良くはないんだ。試合に負けた時も、機嫌悪くなるし、団体で何かをする事に向いてないんだよ」
 はっきりと拓哉はそう言った。

 夏休み明け、五人で石神に怒られに行った。最初航のことは、拓哉が誘ったのかと思ったのだが、拓哉が計画を航に話した時に自分から立候補したとのことだった。それだけ航は石神を嫌っていたのだろう。

「いやでも、もう三週間後だよ。少しなら協力してくれると思うけど」
「じゃ、俺も行くよ」

 こうして拓哉も放課後練習を一日だけサボった。クラスから人気のある拓哉の株を下げるのは申し訳なく思ったが、正直一緒に来てもらいたいと思っていたため安心した。


「おーい、航」
「お、拓哉もきたの?」
 僕らは航たちの家の近くにある、サッカー場に集合した。このグラウンドは、土日にイーグルが使用している場所で、自由に使っても大丈夫だと拓哉も航も言っていた。
「今日は何するの?」
「もちろんサッカー!」

 航以外の練習をサボっている子達も、そのグラウンドにやってきた。練習に来ていない六人と、僕と拓哉で今日は八人が集まった。
「今日は二人もキーパーいるじゃん。まなとキーパーでいいでしょ?」
 航が勝手にチームを決めているが、僕はそれを了承した。
「晃、お前もキーパーな」

 毎回放課後の練習をサボるのは六人だ。その中には、学級委員の晃の姿もあった。航が遊んでいると報告が入った時に、六人全員の名前も聞いていた。だが、今日ここに来るまで、晃が航達とサボっているのを信じてはいなかった。

 僕らは二つのチームに分かれて試合をした。最近では、合唱祭の練習で運動はあまりしていなかったので、目的を忘れ、正直すごく楽しんでしまっていた。球技は大人の僕でもそれなりに楽しかった。確かに放課後こうやって遊んでいたい航の気持ちはすごくわかる。

 一時間ほどぶっ続けでサッカーをし、隅にあるベンチで休憩をとった。
「晃、キーパー上手だね」
「そんなことないよ」
 晃は謙遜しているが、今の試合で失点をしていなかった。
「イーグル誘ってるのに晃、入らねんだよ」
 航がそういうと、晃も飲んでいたペットボトルをベンチに置き、航に返答した。
「だってもう僕たち卒業だよ。今からじゃ間に合わないよ」
「中学はみんな一緒だから、晃もサッカー部な」
 航はそう言って、晃の肩にのし掛かる。だが晃は返事をしなかった。

 拓哉と目を合わせ、僕は本題に入る。
「みんな、放課後は合唱祭の練習出る気ないの?」
 航と一緒にいる子は、痛いところをつかれたと、目を逸らした。
 晃が何かを口にしようとした時、それを遮って航が口を開いた。
「うーん、練習そんなに必要?石神も見張ってねーし、サッカーの方が楽しいじゃん」
 確かにそう思う気持ちはわかる。
「それに、もう優勝したでしょあれなら。最初に合わせた時も完璧だったし、林先生もほめてたじゃん」

 教師の僕が見ても、完成度は高かった。だけど、練習云々というよりも、彼らが来ないことによって、毎回クラスの雰囲気が良くないことの方が問題だった。
『なんで彼らは休んでいるんだ。私たちは頑張っているのに』ということを内心思っている子もいるかもしれない。

「お前ら、クラスで文句言われてるぞ」
 すると、拓哉が横から言った。
「え、まじ?それは嫌だな。まあ、なるべく出るようにするよ」
 意外とあっさり引き受けた。

 その後僕らはもう一度サッカーをした。晃はまたキーパーをやっていて、何度もシュートを止めていた。僕も拓哉に褒められることはあったが、晃を見て愕然とした。長身の体格を活かして柔軟に動いている。才能とはこのことを言うんだと思ってしまう。

 ただ、なんとなくだけど、そこには変な感じがあった。違和感というか、なんというか。

 日が落ち、ボールが見えなくなった頃に、僕らは解散した。

「意外と聞き分けあるじゃん」
「いや、あいつは適当だから、わかんないよ」
 僕もそう思った。言ってしまっては悪いが、空返事でこの場をやり過ごそうとしている様子だった。他の生徒も、そんな航の態度に賛同している。
「あのさ、もしかしてなんだけど…」
 拓哉は言いかけた。
「いや、なんでもない。明日は放課後練習あるし、航たちが帰らないように見張ってよーぜ」

 その時の拓哉は、新学期の始まる前のホームセンターで別れた時と同じ顔をしていた。
 合唱祭まで一週間と一日に迫っていた。優香の誕生日が丁度一週間後にあり、合唱祭はその翌日だ。

 航達は、僕らの予想を覆し、サッカ―をした次の日から練習に参加するようになった。ただ参加したところまでは良かったものの、練習中にふざけたり戯れあったりしていて、クラスからは邪魔者扱いされてしまっている。

「航、邪魔するなら、帰ってよ!」
「うるせーな、お前らが来いっていたんだろ」
「練習しに来いって言ったの」

 真美と航が口喧嘩をしている。

「ていうか、晃、学級委員なのになんでサボってるのよ」
「いや、もう僕達、上手だから練習しなくても大丈夫かなって…」
「いくらやっても足りないわよ。そんなんじゃ優勝一組に持ってかれちゃうよ」
 
 学級委員同士で言い合っている。すると航が横から口を出した。

「晃には俺が来てもらうように言ったんだよ。こいつキーパー上手いからさ」。
「あー、サボってサッカーしてるじゃない。習い事だーとか言ってたクセに」
「やばっ」

 新学期に比べてクラスは見違えるほど明るくなっている。
 相変わらず石神は合唱際には全く口を出さず、全て林先生が担当してくれていた。

 練習では、僕らは本当に完璧だった。少し問題を抱えてはいるが、クラスの雰囲気もいいし、それぞれがそれなりに頑張っている。
 葵と里帆が喧嘩し、航達も練習をサボっていた。だけど、その全てが間違っていると僕は思えない。この合唱祭はそれを証明するチャンスだった。

 練習をギリギリまで行っていると、あっという間に下校の時刻になっていた。優香の誕生日も一週間後に迫っていたので、僕は美来に誕生日プレゼントの絵のことを確認しに行った。

「美来、絵はどう?」
「うん。もうできてるよ」
 美来は帰りの支度をしていたので、一緒に帰ろうと誘った。
「今日も買い物行くの?一緒に帰ろうよ」
「ごめんなさい。今日は急いで帰らないといけなくて。また明日ね」
 そう言って断られてしまった。

 なんだか今日の美来は、いつもよりも険しい顔をしていた。