"わたし"が死んで、"私"が生まれた日。




「カウンセリングって、なんかこう……想像してたのと違ってびっくりした」


「カウンセリングって一口に言ってもいろいろあるからね。今日は初対面だったから、会話の中から奈々美ちゃんの性格とか話し方とか、そういうのを見てたんじゃないかな」


「あ、そういうこと?」


「私はそういうの専門じゃないからなんとも言えないけど、カウンセリングって患者の話を聞くことがメインだから、話したくなるような信頼関係が大切なんじゃないかな?まずは仲良くなることが第一なんだと思うよ」


「なるほど……」



確かに、信頼関係がなければ自分のことなんて話そうとも思わないだろう。


納得して頷いているうちに、病室にたどり着いた。



「おかえり奈々美ちゃん」


「ただいま。……あ、龍之介くん」


「おぉ、なんか久しぶりだな」


「本当だね」



そこには美優ちゃんと喋っている龍之介くんの姿があった。


ここのところずっと夏期講習で忙しかったらしく、ここには来ていなかった。


心なしか美優ちゃんも嬉しそうだ。



「じゃあ美優ちゃん、リハビリ行こうか」


「はーい。じゃあ二人とも、行ってくるね」


「行ってらっしゃい」



入れ違いにリハビリに向かう美優ちゃんを見送り、私は龍之介くんと二人になる。




「検査?」


「……カウンセリングに行ってきたの」


「カウンセリング?」



頷いて、ここ数日の出来事を話す。


引き出しにしまってあるノートを開き、いつだかと同じように龍之介くんに見せた。


実はあれから、毎日のように夢を見ていた。


それは決まって私らしき少女が、両親であろう男女に手を伸ばしては、空を切って置いて行かれてしまい泣き続けるというもの。



「結構しんどい夢でね、起きた時に泣いてる日もあるんだ」



朝起きると、目尻に涙が滲んでいることがある。


現に今朝もそうだった。


龍之介くんはノートのページをめくり、全て読み終わったのかそれを閉じた。



「この夢がもし、本当に奈々美の記憶なんだとしたら……さ。奈々美、そんなつらい記憶を本当に思い出したいのか?」


「え?」


「これ、どう考えてもいい思い出なんかじゃないだろ。夢で見るってことは、きっと脳裏に焼き付いてるんだ。それほど奈々美がショックを受けたことなんだと思う。もしかしたらそれ以上つらい記憶があるかもしれないのに。それでも、思い出したい?」



東海林先生と立花さんと同じ意見。


それほど、龍之介くんは私を心配してくれている。


視線を合わせると、とても切なそうな顔をしていた。




私は龍之介くんからノートを受け取り、パラパラとページを捲る。



「……思い出したいよ」


「……っ奈々美」


「だって、怖いから。何も知らないことの方が、私は怖いから」



ノートに、ポタリと雫が落ちた。


それは次第に一つ、二つ、とシミを作っていく。



「確かに、つらい記憶ばっかりかもしれない。苦しくて、忘れたい記憶ばっかりかもしれない。……だけど、それだけじゃないはずでしょ?家族との大切な記憶も、友達との大切な記憶も。たくさんあるはず。もしその中に幸せな記憶が一つでもあるのなら、私はそれを諦めたくない。ちゃんと思い出したいよ」



全てを思い出した時に、東海林先生の言う通り、私は受け止め切れないかもしれない。


思い出したことを、酷く後悔するかもしれない。


だからって、それを恐れていては何も始まらないから。



「……ごめん、奈々美。俺が無神経だった」



ポンと頭を撫でる手に、必死で首を横に振って否定する。



「力になるって言ったのは俺なのにな。本当ごめん」


「……っ、龍之介くんが謝る必要無いよ。私の方がごめんね。心配してくれてるのに強情で」


「気にすんな。奈々美は悪くない」



龍之介くんはそのまま私の頭を撫でてくれて、次第にその温かさに泣き始めた私の体をそっと引き寄せて、ふわりと抱きしめてくれた。


静かに涙を流す私が落ち着くまで、ずっと寄り添ってくれていた。




*****


「あれ?奈々美ちゃん、どうしたの?なんかあった?」



美優ちゃんがリハビリから戻ってくる前、私たちは自然と身体を離していた。


その頃には私の涙も落ち着いていて、龍之介くんが濡らしたハンカチを渡してくれて、それを目に当てていた。


ネイビーのハンカチは、どうやら龍之介くんのものらしい。


あんまりそういうものを持ち歩くタイプには見えなかったから、ちょっと意外だった。



「目がかゆかったみたいで擦って真っ赤になってたから冷やせってハンカチ貸してんの」



龍之介くんの頭の回転が本当に速い。


私が答える前にそれとなく話題を逸らしてくれる。



「あー、わかる!私もちょっと擦っただけで真っ赤になるよー。お兄ちゃんその度にハンカチ貸してくれるもんね」


「お前が持ち歩かないからだろ?」


「だって朝持つの忘れちゃうんだもん」


「……お前、学校のトイレでどうやって手拭いてんだよ」


「え?なにー?聞こえなーい」


「……はぁ」



わざとらしい美優ちゃんに、龍之介くんは大きくため息を吐く。


それを見て、美優ちゃんは面白そうに笑っていた。




「そういえば美優、これ。頼まれてたやつ」


「あ、ありがとう」


「受験すんのは勝手だけど、うち結構偏差値高いからな?ちゃんと勉強しないと受からねぇよ?」


「わかってるよ。でもどうしてもここの陸上部に入りたいんだもん。大会出れなかったからもう推薦も無理だろうし。勉強頑張るしかないから」



龍之介くんから渡された冊子を、美優ちゃはパラパラと捲る。どうやら龍之介くんが通っている高校のパンフレットらしい。


部活動紹介のページなのだろうか、「いいよねぇ……」と食い入るように見つめる姿に思わず微笑む。


龍之介くんはそんな姿を呆れたように腕を組んで見つめていた。



「どうせ時間あるんだから入院してる間に少し勉強すればいいんじゃないか?明日教科書持ってきてやろうか」


「本当!?ありがとお兄ちゃん。ついでに勉強のお供にキャンディとチョコレートもお願い!」



キラキラした目を向けた美優ちゃんに、龍之介くんは「はぁ?」と眉間に皺を寄せた。



「……それは却下。参考書とワークとルーズリーフなら持ってきてやる」


「……ケチ」


「馬鹿かお前は。そんなんじゃ落ちるぞ。ちゃんと勉強しろ」


「はーい」



美優ちゃんは不貞腐れたような声を出したけれど、その後も楽しそうにしばらくパンフレットを見つめていて。




「そうだ!奈々美ちゃんって勉強できる!?私に勉強教えてよ!お兄ちゃんじゃすぐキレるから嫌だし」


「おいコラ、どういう意味だ」


「そういうところだよ!お兄ちゃんに勉強教わったらすぐ喧嘩になるんだもん」


「お前の理解力が悪いからだろ?」


「お兄ちゃんの教え方が下手なんですー」


「じゃあ自分でやれ」


「それができないから奈々美ちゃんにお願いしてるのー!」



二人の言い合いを聞きながら、そういえば私は勉強はどの程度できるのだろうかと疑問に思う。


まぁでも、一応高校生なわけだし。


中学生の勉強くらい、見られるんじゃないだろうか。


ちらりと見ると、龍之介くんが困ったような顔で「引き受けなくていいから」と首を振る。


しかし美優ちゃんは「奈々美ちゃん!お願い!」と頭を下げてくる。



「……私、そんなに勉強得意な方じゃないと思うんだけど……」


「うん!わかるところだけでいいから!」


「……」



そこまで懇願されてしまうと、なかなか断りにくくて。



「……まぁ、私にわかる範囲なら」



条件付きとはいえ、了承してしまった。




「やった!ありがとう!お兄ちゃん、ちゃんと明日持ってきてね!?」


「……わかったよ。でも、奈々美ばっかり頼るなよ。自分でできなきゃ意味ねぇんだから」


「わかってるって!」



美優ちゃんはやる気満々だし、まぁ、どうにかなるだろう。


記憶は無いけれど、勉強面にはあまり関係が無いって確か立花さんが前に言っていた。


担任だという広瀬先生に頼んで、私も自分の勉強をした方がいいかもしれない。


入院前がどうだったかはわからないけれど、このままじゃ出席日数も危ういだろうし。


その日のうちに院内にある公衆電話で、以前聞いていた広瀬先生の番号に電話して事情を説明。



近日中に持ってきてくれることになった。





そしてその翌日。


約束通り、龍之介くんは美優ちゃんの教科書やらノートやらを大量に持ってきた。


そして自分が使っていたという参考書とワークもあり、そこには簡単に暗記できるように赤シートも添えられていた。



「ありがとうお兄ちゃん!」


「あぁ、ちゃんと勉強しろよ」


「もちろん。早速今からやろーっと」



いそいそとテーブルを出して教科書を広げた美優ちゃん。


数日前に学校の友達が届けてくれたらしいプリントも合わせて広げていた。


シャーペンを持つこと五分。



「……わっかんない!」


「早えなオイ!」



美優ちゃんは驚きの速さで降参した。



「だってわかんない!」


「わかんないじゃねーよ、考えろよ」


「考えてもわかんないんだもん!」


「絶対問題文読んでねぇよな!?」


「読んでるよ!」



始まった兄妹喧嘩を横目に、私は龍之介くんが持っていた手作りの英単語帳を奪い、一つずつ目を通していく。



「……activity……動作。advantage、利点。aid……なんだっけ、助ける、だっけ?次が───」



思いの外すらすらと出てくる答え。


一ページ捲る度に「あ、合ってた」と漏らしながら進める。


それを見られていたのか、「奈々美ちゃん!」美優ちゃんが身を乗り出すように私を見てきて。


「奈々美ちゃん!英語教えて!」


「え?」


「ここ!お願い!」


「あぁ、うん。えっと……」



龍之介くんに単語帳を返して、美優ちゃんに示された箇所を和訳していく。


その後も理科や数学など、わかる範囲で美優ちゃんに勉強を教えていく。


どうやら、私はそこそこ勉強ができる方らしい。



「ありがとう奈々美ちゃん!すっごくわかりやすかった!またお願いしてもいいかな?」


「うん。私で良ければ」



新たな収穫を得て、嬉しい気持ちだった。




それから数日間、私と美優ちゃんは勉強に明け暮れた。


というのも、美優ちゃんがあれから張り切って受験に向けて勉強を始めたのだ。


私の学年の問題集を広瀬先生に持ってきてもらったこともあり、二人で黙々と勉強する日々。


龍之介くんも夏期講習で毎日忙しそうだ。


中学生の勉強はどうやら問題なかったらしい私。龍之介くんの学年のものも、英単語しか見ていないけれど大丈夫そうだった。


広瀬先生に持ってきてもらった荷物の中から、今日は数学をやろうと問題集を取り出した。


文字を書くにも慣れてきた左手で鉛筆を持ち、美優ちゃんにもらったルーズリーフに計算式を書き込んでいく。


どうやら数学も問題無さそうだ。特に深く考えなくても、問題文を読むと計算式が頭に浮かんでくる。


もしかしたら、私は日常的に勉強をしているタイプだったのかもしれない。



「奈々美ちゃんに教えてもらってから、私結構勉強好きになってきたかも」


「本当?」


「うん。特に英語なんて今まで全然理解できなくて嫌いだったけど、意味がわかれば結構面白いし」


「そっか。役に立ててるみたいでよかった」



美優ちゃんの意欲に火が付いたからか、龍之介くんも感心しているよう。


リハビリ自体もとても順調で、手はもう痛みもあまり感じなくなってきており、無理しない程度に積極的に動かしていこうと言われている。


鉛筆を右手に持って文字を書いてみたりするものの、まだ少し持った感じに違和感があり、探り探りやっている。


どうやら美優ちゃんも似たようなものらしく、二人で励まし合いながらの日々だ。