「初めて会った時から可愛くて目を引いた。こんな綺麗な目をした人と、いつか仲良くなれたらいいなって漠然と思ってた。でもその内話せば話すほど、奈々美が一人でとんでもないもの抱えてるって知って。俺が助けてやりたいって思った。俺が守ってやりたいって思った」
「龍之介くん……」
「記憶が戻った日、一番に俺に助けを求めてくれたことが、嬉しかった。奈々美を救いたいって、助けたいって思ってたから。不謹慎かもしれないけど、すげぇ嬉しかった」
大きな背中に腕を回そうとすると、ピクリと反応してすぐにもっとキツく抱きしめられる。
逃げられるとでも思っているのだろうか。捕まえたとばかりに。離さないとばかりに力強い腕。
「だからこれからも一番近くで、奈々美の隣で。奈々美のこと、守らせてほしい。支えさせてほしい。何かあったら一番に駆けつけたいし、何もなくてもずっと一緒にいたい。……ダメ、かな」
初めて聞いた、その気持ち。
龍之介くんの想いが、痛いくらいに私の胸を締め付ける。
普段、そんなに自分の気持ちを言葉にする人じゃないはずなのに。
頑張って言葉を選んで伝えてくれているのがわかって、それが嬉しくてたまらない。
「ダメじゃない。ダメなんかじゃない。絶対」
……ねぇ、龍之介くん。
私もね、嬉しかったんだよ?
助けてって言った時、一番に駆けつけてくれたこと。
何も聞かずに、私の気持ちを尊重して大切にしてくれたこと。
私がつらい時に、いつも隣にいてくれること。
龍之介くんの存在が、どれほど私の心の支えになっていたか。
龍之介くんの大きな手で頭を撫でてもらえれば自然と笑顔になる。
抱きしめてもらえば安心して胸がきゅんとなる。
その優しい笑顔を見ると、苦しいくらいに胸が高鳴る。
龍之介くんと一緒にいると、息がしやすいんだ。
「……龍之介くん。……私も、龍之介くんが好き」
今度こそ背中に手を回す。
「龍之介くんにたくさん励ましてもらって、たくさん助けてもらって。甘やかしてもらって、頼りにさせてもらって。一番苦しい時に龍之介くんが助けてくれて、そばにいてくれて。私本当に嬉しかった」
「……うん」
「私も、龍之介くんとずっと一緒にいたい。いさせてください。どうしようもないくらい、私も龍之介くんが好き。大好き」
頼りないかもしれないけど、私も龍之介くんを支えたい。
手を繋いで、笑い合って。
ずっと隣で、一緒に歩いていきたい。
「いいのか?俺と付き合ってくれる?」
「うん」
「付き合ったら、毎日こうやって抱きしめるけど。……嫌じゃない?」
耳元で囁くような声に、私からもギュッと抱きつく。
「うん。むしろたりない。もっとして?」
「っ……じゃあ、これは?」
そっと重なった唇。この間の私を落ち着かせるためのキスとは違う、甘くて優しいキス。
触れるだけですぐに離れた龍之介くんの首に手を回して、私からも下手くそなキスをする。
「……嫌じゃないし、もっとしてほしい」
自分からこんなことを言うなんて恥ずかしくてたまらないのに、龍之介くんとのキスはそれ以上に愛と幸せに溢れていた。
少し震えた唇が、龍之介くんも緊張しているんだとわかって、それもまた愛おしさが溢れる。
好き。大好き。
離れて、目が合って、どちらからともなく微笑んで、もう一度甘いキスをして。
……あぁ、幸せだ。
「……私、生きてて良かった」
「ん?」
「あの時、運良く助かって良かった。美優ちゃんと龍之介くんに出会えて良かった」
苦しかった。つらかった。
劣等感ばかり感じて人生を諦めた。
それを乗り越えたと言えるのかは自分ではわからないけれど、これだけは言える。
生きてさえいれば、何度でもやり直せる。
そして今生きているからこそ、私はこうして幸せを噛み締めている。
こんなに幸せでいいのだろうか。現実なのだろうか。まだ夢の中なんじゃないか。
嬉しさも、幸せも。慣れていないから戸惑ってしまう自分がいる。
「俺も。奈々美に出会えて良かった。奈々美が生きててくれて良かった」
でも、確かに繋がれた手を見れば、これが夢ではないことくらい、私でもわかる。
「……ありがとう、龍之介くん」
手にした幸せをもう決して離さないように、お互いの指を絡ませた。
*****
「……はよ」
「おはよう龍之介くん」
「まさか同じクラスになるなんてな」
「ね。私もびっくり。今度はクラスメイトとしても、よろしくね」
「あぁ」
新年度が始まった四月。
予想通り出席日数が足りずに進級できなかった私は、龍之介くんと一緒にもう一度ニ年生の教室の扉を開ける。
クラス表が外に張り出されていたため知ってはいたものの、まさか龍之介くんと同じクラスになるとは思っていなかった。
思いもよらぬ嬉しいできごとに他のクラスメイトからちらほら聞こえてくる"あの人留年したらしいよ"なんて声はあまり気にならない。
それよりも新しい一年に向けてのワクワクが優っていた。
「あ、あの」
「?はい」
「私、同じクラスの千代田 愛美って言います。隣の席なのでよろしくお願いします」
教室の席に座ると、左隣から話しかけてきた可愛らしいクラスメイト。
艶々の黒いふわふわのロングヘアと奥二重のうるうるとした目はトイプードルのように愛らしく、小さくぽってりとした唇がとても魅力的な女の子。
子犬系女子、愛美ちゃん。名前まで可愛い。
「愛美ちゃん、よろしくね。私は桐ヶ谷 奈々美。同じクラスなんだから敬語いらないよ」
「でも……」
「歳なんて関係ないでしょ?私、恥ずかしながら全然友達いないから仲良くしてくれると嬉しいな」
「……うん。よろしくね、奈々美ちゃん」
新年度早々新しくできた友達に微笑むと、その様子を側で見ていた龍之介くんが
「良かったな」
と笑ってくれる。
「……あれ?乙坂くんだよね?もしかして、乙坂くんの彼女さんって……」
龍之介くんを見て驚いたように私と見比べる愛美ちゃん。すぐに私たちの首元を見た愛美ちゃんが気が付いたように頷いた。
二人で顔を見合わせて、笑う。
「うん。そうなの。龍之介くんは私の彼氏」
お互いの首にかかるネックレスの先にかかっているのは、龍之介くんが最近始めたバイト代で買ってくれたペアリング。
いつでも持ち歩けるように、とネックレスにして龍之介くんがプレゼントしてくれたのだ。
いつ調べたのか、ちょうど私の誕生日プレゼントも兼ねたサプライズで、本当に嬉しかったのを思い出す。
「どーも。俺のこと知ってるみたいだけど、乙坂 龍之介です。まぁ、適当に呼んで」
「乙坂くんは人気者だもん。知ってるよ。よろしくね。私は千代田 愛美です。私のことも適当に呼んでください」
「千代田ね、おっけ」
最近知った。龍之介くんは、女子生徒にとても人気がある。
そりゃあそうだ。こんなにかっこよくて、ちょっと口は悪いけど妹想いで優しくて。人気が無いわけがない。
学校でもよく女の子たちに話しかけられており、新年度が始まる前は学年が違ったためひたすら女の子たちに焼きもちを焼いてしまってもやもやしていた。
けれど、これも最近気が付いた。
龍之介くんは私と美優ちゃん以外の女の子のことは、必ず苗字で呼ぶ。
些細なことだけれど、龍之介くんは出会った当初から私のことを"奈々美"と呼んでくれる。
それだけのことで自分のことをちゃんと"彼女"として特別に想ってくれているのがわかって、そんなことがすごく嬉しくて、もやもやや焼きもちなんてどこかに飛んでいってしまった。
同時に、いつから私のことを好きでいてくれていたのかも気になるものの、龍之介くんはそれだけは全然教えてくれない。
でも、今が幸せだから気にしない。
「そうだ。奈々美、美優が最近奈々美に会えてないって嘆いてる」
「あぁー……入学式とかでバタバタしてたもんね。私も美優ちゃんに会いたいなあ」
努力の甲斐あって、無事に美優ちゃんも受験を突破してついこの間この学校に入学したばかり。
新入生の部活動の正式な入部は来週からだけど、数人はすでに仮入部扱いで練習にも参加していて熱が入っているらしい。
美優ちゃんもその一人で、選手としてまた試合に出られるようにまずはトレーニングに勤しんでいるようだ。
どうやら翼くんは別の学校に進学したらしく、あまり会えない日もあるようだが仲良くやっている様子。
お互いリハビリも終わり、それぞれの新しい生活がスタートしていた。
「はーい、ホームルーム始めるぞー。皆席についてー。ほらそこ、初日から教室で遊ばなーい」
ガラガラとドアを開けて入ってきた先生は男の先生。どうやら去年龍之介くんの担任だったようで、持ち上がりらしい。
「えー、また担任深山センセーかよ」
「んだよなんか文句あるか?早く席つけー」
「だってセンセー、奥さんの自慢話と子どもの自慢話ばっかじゃーん」
「いいだろ?可愛いもんは可愛いの」
「いい歳して生徒の前でのろけないでくださーい」
「じゃあちゃんと先生の話を聞いて座ってくださーい」
フレンドリーで優しくて生徒とも仲が良いと評判の深山先生。
すでに盛り上がりを見せる教室の中は、笑い声で溢れていた。
「えーと、今年一年このクラスを受け持つことになりました、深山 修斗です。科目は数学、好きな食べ物は奥さんが作る料理全部、最近の日課は子どもとトランプで大富豪をすることです。よろしく」
「だからのろけんなって」
「うっさい。じゃあまずはクラスも変わったことだし、皆も一人ずつ自己紹介するか」
えぇー!というブーイングが起こる中、楽しそうに進めていく先生に龍之介くんもどうやら呆れてるみたい。
「乙坂 龍之介です。よろしく」
「おいおい乙坂、それだけか?もっとあるだろ。好きな食べ物とか科目とか」
「無いしめんどくさい。以上」
龍之介くんらしい自己紹介。その後も皆個性あふれる自己紹介が続き、ついに私の番が来る。
「……初めまして。桐ヶ谷 奈々美です。知ってると思うけど皆より一つ年上です。でも同い年だと思って仲良くしてくれると嬉しいです。よろしくお願いします」
温かい拍手が聞こえ、顔を上げると廊下側から龍之介くんの笑顔が見える。
愛美ちゃんも「よろしくね」と言ってくれて、緊張がほぐれて頬が緩んだ。
休み時間には愛美ちゃんの友達とも仲良くなることができて、どんどん交友関係が広がっていく。
「ねぇ奈々美ちゃん、新しく駅前にできたスイーツショップで来週からカフェの営業も始まるんだって!初日に行ってみようよ!」
「うんっ、行ってみたい!」
今度からは放課後に友達と遊んだり、大好きな彼氏とデートを楽しんだり。
「奈々美、美優が待ってる。帰るぞ」
「うん。今行く」
遅れてやってきた青春を、全力で楽しんでいきたい。
───あの日死んだのは、臆病で弱くて逃げることすらできないで絶望していた"わたし"だった。
人格が変わったわけではないし、厳密に言えば"わたし"と"私"は同一人物。
だからこそ、今を生きる"私"は、臆病な自分も、弱い自分も受け入れて。
ただ絶望して諦めるだけじゃない。時には立ち向かうことも抗うことも逃げることも覚えて、人を頼って、甘えることも知って。
自分の身体を、自分の命を大切にして、周りの人へ頼りながらも感謝を忘れずに生きていく。
だって私はもう、一人じゃないから。
それを教えてくれたのは、きっと――
「奈々美ちゃーん!」
「美優ちゃん!お待たせ!」
「ほら、行くぞ奈々美」
「うんっ」
──"わたし"が死んで、"私"が生まれた日。
End