【完全擬態】
物質を変化させる形態と性質を模倣する、ミュウのスキル。本物のミスリルの剣は、俺の鞘に収まっている。偽物の剣が、その正体を明かす。
「これで、チェックメイトだ」
【聖女】
対象を『守護』する布を召喚するスキル。その拘束力は、一度とらえた相手を完全に拘束して絶対に逃がさない。
「おわあああーーーーッ⁉」
弾いたと思った剣が、アランの目の前で布に変わる。それは勢いのまま剣にまとわりつき、アランの身体を侵食する。接触さえできればいいのだ。だが普通に斬りかかっては避けられてしまう。アランに剣をどうにかして弾かせる。そのために投げる、正確に、無軌道に、しかしアランがそうせざるをえないように。それが、俺の立てた戦術だ。
「フギャーーーッッッ‼」
剣神アランは、かつてのネコたちよろしく、聖なる布によって『おくるみ』にされた。勝負は、ついた。
「ふう、思ったよりも、ずっと手こずった」
「まったくだ。だがアランには少し懲りてもらわねば困る」
「おい卑怯じゃぞ! ヴァージニアがアドバイス送るニャんてインチキだ!」
「事前に幻影をけしかけて、姑息にも手の内を探っていた剣神さまが、誰の何がどう卑怯だと仰るのか、私には実に興味深い」
アランは布にくるまれたまま、黙って目をそらした。ああ、やっぱり卑怯だという自覚はあったんだなこのじいさん。だがこのままにしてはおくまい。
「とりあえず、三発もらった分は、返させてもらうとしようか」
「ニャ、ニャにをする気だ! ニャんだその手は!」
「なあに、ちょっとモフモフナデナデ、するだけですよ」
「あっ、あっ……アッーーーーーーー‼」
***
手合わせのあと、俺たちは改めて、アランと向き合った。
「召されるかと思ったわい」
「至高のモフモフでした」
まあこれに関しては、俺の勝利報酬ということで。
「さて、おぬしらには謝らんといかんの。谷のもんが迷惑をかけたようじゃ」
「迷惑をかけたのは君だ、アラン。今回の騒動の大半は、君が引き継ぎを怠ったことに起因している」
「そんニャんわし知らんもん! 死んじゃったもんは仕方ニャいと思いますぅー」
アランとヴァージニアのやりとりは、別れを前にした者たちとは思えないほど、軽薄で、あたたかなものだった。
「さて、まずはシュリ。おぬしはまだいろいろ足りん。その足りんところはミッケが補ってくれよう。ミッケの足りんところは、おぬしが補ってやれ。すまんかったニャ」
「じいちゃん……」
短いながらも、厳格な、親としての言葉だ。
「それと若人。おぬしはもっと年長者を敬え」
「……敬うべきところは」
少なくとも、まったく敬っていないわけでは、ない。参考にしちゃいけない部分もかなり多いように見受けられるが。
「んむ、それでよい。間違ってもわしのようなクズにはニャるんじゃニャいぞ」
「クズの自覚はあったんですね、やっぱり」
「やっぱりってニャんじゃい!」
そして最後にアランが向き合ったのは。
「して、ヴァージニアよ」
「なにかね。私はもう君と話すようなことはなにもないと思うのだが」
ヴァージニアは、アランと目を合わせようとはしなかった。だがそれで良いと、アランは笑顔でうなずく。
「ありがとよ」
「…………‼」
「その一言が伝えられんまま、ずいぶん歳を重ねてしもうた。ヴァージニア、おぬしはわしらの英雄じゃった」
アランはひげをなでならが続ける。
「じゃからのう。肩肘張っとらんで、次代の連中に任せたらええんじゃ。おぬしは英雄ではニャく、ひとりの『ヴァージニア・エル=ポワレ』として生きりゃあええ。わしはそうした」
ヴァージニアは、アランのほうを見ずに、黙って小さくうなずいた。偏屈な大魔術師には、それが精いっぱいの受け答えだったのかもしれない。
アランはそれでも満足そうに、ニッと笑ってみせると、俺たちみんなの顔を見回した。
「いやあ、久々に楽しかったんじゃが、名残(ニャゴリ)惜しいのう。ガーティーやロマネが待っとるでニャ。老いぼれはここらへんで退散じゃ」
どこからともなく、風が吹いた。
「それじゃ、さいニャら」
「待っ……!」
ヴァージニアがなにかを伝えようと手を伸ばす。しかしその指が、アランに触れることはなかった。アランの体は、ヴァージニアの涙とともに、光の粒となって、吹き抜ける風にとけていった。
舞うはなびらが、ヴァージニアの髪をなでた。
* * *
気づけば俺たちは、アランの祠の前に倒れていた。ネコたちが心配そうに俺の顔を覗き込む。俺の手には、アランの〈魔石〉が握られていた。
* * *
元の世界に帰ってきた俺たちは、事の顛末をネコ族のみんなに伝えた。最初は半信半疑だったネコ族たちも、俺がアランの様子を包み隠すことなく正直に伝えると、思いのほかすんなりと納得していた。やっぱりあのじいさん、生前もあんな感じだったのか。
シュリも、アランから託された言葉を、ミッケに伝えた。
「そうか、じいさんはそんニャことを」
「……おう。お互いに補いあってけってよ」
「言われるまでもニャい。お前を止められるのは、ワガハイしかいニャいからニャ」
「いちいち一言うるせえニャあ。オマエに文句言えるのも、オレしかいねえだろ」
いがみ合っているようにも見えるが、彼らは彼らで、見た目以上に多くのものを得た。まだ短い付き合いだが、そんな風に思える。
問題は、ヴァージニアだ。こちらに帰ってきてから、ずっとふさぎ込んでいる。俺は彼女に、それとなく尋ねてみる。
「ヴァージニア、まだ気にしてるのか」
彼女は膝をかかえたまま、少しだけ顔を上げる。
「……謝れなかった。私は、ダメだな、こういうのは、苦手なんだ。ちゃんと言わなきゃ、伝わらないのに」
これは重症だ。ちゃんと別れを告げられなかったことを、ずっと悔やんでいるらしい。困りものだ。大迷宮にこもり始めたころも、こんな感じだったのだろうか。だとすれば、その時と今では、大きく違う点がひとつある。ヴァージニアはもう、孤独ではないということだ。
俺はヴァージニアの隣に腰掛けると、今にも消えてなくなりそうなその肩を抱いた。
「そりゃあ、言わなきゃ伝わらないこともあるだろうけどさ。言わなくても伝わる関係だって、あるよ。慰めにはならないかもしれないけど、伝わってるよ、きっと」
我ながら無責任なことを言ったかもしれない。だけど、責任なんて取りようがニャいんだから仕方ニャい。たぶんアランなら、そう言う。だが少なくとも、ヴァージニアの気持ちは、アランに伝わっていた。俺はそう確信している。
だいたい、言いたいことを全部伝えて、満足に別れを迎えるなんて、できるほうが珍しいんだ。彼女もきっと、それをわかっているはずだ。誰よりも頭がいい、偏屈な大魔術師なんだから。そんなことを考えていると。
「…………」
「アラン⁉」
俺たちはふたりして仰天した。目の前に、あの老ネコが立っているではないか。見間違うはずもない、剣神アラン本人だ。
「いや、そんなはずはない……たしかに俺たちの目の前で消えていった。それになにより、あの空間はアランの領域だったからこそ、アランは実体を保てていたわけで……」
「みゅ!」
アランがみゅ、と鳴いた。まさか。
「エルダーリッチ、ゲンキダシテ! ホラ、ボク、アラン!」
思った通り、ミュウの【完全擬態】だ。まあ、見た目はたしかにアランそのものなんだけど……。ミュウも不器用なりに、ヴァージニアを励まそうとしてくれているのだろう。そう思うと、なんだかもう悲しみを通り越して笑えてくる。俺がヴァージニアのほうに目をやると、彼女も同じように、笑いをこらえていた。
「ふっ、デリカシーのないやつだな君は」
「みゅ? デリカシー? ソレ、オイシイ?」
「いや、君には必要のないものだ。ずけずけと踏み込まれるのも、案外悪くない。どこかの誰かさんのようにね」
そう言ってヴァージニアは俺を見る。その節は反省しております。
「じいちゃん⁉」
「ニャぜここに先代族長が⁉」
アランに擬態したミュウを見て、ネコ族たちが騒ぎ始めた。ただただ呆然とする者、涙を流し喜ぶ者もいた。ただ大半は、
「お、おばけだーッ! 出あえ出あえーッ!」
「ついに化けて出やがったニャ、このクソジジイ!」
「さんざんシゴキ倒された恨み、今こそ晴らしちゃりゃあーっ‼」
「みゅ⁉ みゅーっ⁉」
伝説の英雄、剣神とはいったものの、この谷では、やっぱり『じいちゃん』なんだな。そんなネコ族たちの様子を見て、ついに笑いこらえきれなくった俺たちは、ひとしきり腹を抱えて笑った。
* * *
ヴァージニアが本調子を取り戻したところで、ようやく本来の作業に入る。〈魔石〉からのスキル抽出だ。正直、久々にやるので緊張している。しかも絶対に失敗はできない。
「本当に大丈夫ニャのか……?」
「やっぱり、ちょっと心配だニャ」
「大丈夫よ、ソラは世界最強の錬金術師なんだから。安心して見てるといいわ」
リュカたちがフォローしてくれる。おおう、プレッシャーが増していく。俺は覚悟を決めて、アランの〈魔石〉に手をかざした。
《抽出》
『剣神アランの魔石を《抽出》しました』
『剣神アランのスキル【春風駘蕩】を取得しました』
すごく久々に見たなこのメッセージ。さてさてスキルのほうは、と。
【春風駘蕩】:風を自在に操り、心を穏やかにする。
今まで得てきたスキルに比べると、なんだかすごく牧歌的だ。まるで戦いとはまったく無縁なスキルのように思える。逆に言えば、このスキルをあそこまで使いこなしていたアランは、やっぱり尋常な剣士ではなかったということなのだろう。
「《抽出》は成功しました」
俺の声に、ギャラリーからおおーっと歓声があがる。あとはこれを、ヴァージニアいわく、適当な無機物に転写すればいいとのことだが。無機物か、それなら。
《融解》
《精錬》
《構築》
【錬金術】のスキルで、このスキルの母体にふさわしい石像を作る。俺のイメージで作るとどうしても禍々しい形状に仕上がってしまうところだが、今回に限ってはモデルがいるので安心だ。
「みゅ!」
剣神アランの像。谷を見守る象徴として、これ以上のものはないだろう。
「おお、これはニャんと見事ニャ……。タヌキか?」
「シュリ、それはさすがにソラどのに対して失礼だ。これは……えっと、うん。ブタ?」
君ら、俺がモデル見ながら作ってるとこ、見てたよね。俺の造形センスがいまひとつなのは、このさい致し方ない。そこはもう目をつぶってもらおう。つぶれ。
「あとは、こいつにスキルを転写するだけだな」
「ああ、一週間のハードスケジュールだが、ソラならばやりきれるはずだ」
「……え? 一週間かかるの?」
聞いてないなあ。それたぶん最初に言わなきゃいけないやつだなあ。
さて、やることはいたって単純。魔法を封じ込める水晶と同じ要領だ。かつて王国では転移水晶ひとつ作るのに二年を費やしたという。俺が【破壊光線】を応用したレーザー彫刻を用いたことで、大幅に作成期間の短縮に成功したものの。今回転写するのは魔法ではなく、スキルだ。原理はそう変わらないとはいえ、俺にとっては完全に初の試みとなる。
「ちなみにヴァージニア。聞くのが怖いんだけど」
「なにかね」
「邪龍アジ・ダハーカって、あれ、作るのにどれぐらいかかったの?」
「七年と二ヶ月だな」
不死者の時間感覚やべえ。戦艦大和でもその半分以下なんだけど。そんな大力作を一瞬でぶっ壊しちゃって、いまさらながら申し訳ない。
「君のれーざー彫刻技術があれば、【春風駘蕩】と【永久機関】のスキルを石像に刻み込む作業は、一週間まで短縮できると、私は踏んでいる」
「踏んでいるったって、めちゃくちゃ神経を使う精密作業だろ。当然、毎日ちゃんと休憩は挟みながら、無理のないペースでやるんだよな……?」
「……まあ、中断できない作業もあるからな……一週間程度であれば問題ないだろう」
その考え方はブラックを通り越して闇。深淵。アビス。
だが、一度やると言って始めて、多くの者を巻き込みながらここまできた計画だ。いまさらしんどいからやめますなど言えるはずもない。なにより。
「オレたちの谷を、よろしく頼む、ソラ」
「ソラどの、ワレワレも全力でお支えいたします」
「ありがとニャーっ! ソラどのはやっぱり救世主ニャんだニャーっ!」
ネコ族たちから容赦なく浴びせられるこの期待の視線から、逃げることなどできようはずもない。決めろ、覚悟を。
それから地獄の一週間が始まった。
襲いくる強敵の数々、睡魔、飢え、目の疲れ、飽き。
「ソラ、ポーションよ! これでMPを回復して!」
「ごめん、いま手が離せない」
「仕方ない、私が飲ませてやろう」
「おぼっ、おごぼぼぼぼぼぶァ、ばあァ⁉」
次々と倒れていく仲間たち。(疲労で)
「お兄様、どうやらわたくしは、ここまでのようですわ……。あとのことはお願いします……。ああ、あの大空を、もう一度、飛たかっ……ガクッ」
「ソラ……わたしの最後のお願い……聞いてほしい……。『錬金術師VSサメ2』……かならず、完成させて……ガクッ」
ある者は錯乱し、ある者は狂気に呑まれる。(疲労で)
「みゅ、みゅみゅ……ラメェン、タベタイ……」
「あら~、ソラずいぶん肩がこってるね~」
「お願いだから揉まないでね肩とれちゃうから」
「揉むね~」
「お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あッッッッ‼‼‼‼」
そしてあっという間に、短いようで長い、一週間が過ぎ、あとは仕上げの工程を残すのみとなった。
「ソラ、これで最後だ」
「ヴァージニア、も、もう手が……上がらな……」
「私が支えてやる。しっかりしたまえ」
冷たい手が、俺の手を掴む。息がかかるほどの距離で、ヴァージニアが俺の身体を支える。
「そうだ、焦るな。ゆっくりでいい。私に呼吸を合わせるんだ」
「こう、か?」
「そうだ……上手いぞ、ソラ」
パチッ
静電気がはじけるような、小さな音とともに。一週間という時間を費やした『風のアラン像』が完成した。さっそく試運転だ。スターターとして最初の魔力を注ぎ込む。
ヴヴン……
像に刻み込まれたスキル【春風駘蕩】が、発動する。
谷のよどんだ空気が、わずかに揺れたかと思うと、次の瞬間。
「風……だ……」
剣の谷を、一陣の風が駆け抜ける。あたたかく、穏やかな風が、あの花の香りを運んでくる。雲は流れ、漏れた日の光が、谷底を照らす。
「風だ風だ!」
「吹いたーッ!」
ネコたちの歓喜の声とともに、風車たちが一斉に回り始める。まるでこの谷そのものが、息を吹き返したかのように。
「俺たち、やったんだな……」
「ああ、成功だ。お疲れさま」
風に乗って、アランじいちゃんの笑い声が、聞こえたような気がした。
* * *
目を覚ますと、木板の粗末な天井が目に入った。カラカラという、風車の回る音も聞こえる。どうやらあの後、すぐに気を失って、屋敷の一室に運び込まれたらしい。まあ無理もない。一週間ほとんど不眠不休で作業を続けたのだ。いったいどれほど眠り続けていたのかさえもわからない。できることなら、もう少し寝ていたいところだが。
「おはよう、私の英雄」
「うん、おは……おはァ⁉」
粗末な藁に敷かれたシーツ。一人分であろうそれに、俺とヴァージニアは仲良く並んで横になっていた。慌てて起き上がろうとする俺を、ヴァージニアが制した。
「まだ寝ていたまえ。一週間ぶっ続けだったんだ。私ももう、足腰が立たない」
それはなんだか別の意味に聞こえるが、かくいう俺もまだ疲労が色濃く残っている。ここは大人しく横になっていることにしよう。眠れるかどうかは別として。
ヴァージニアと並んで、ぼんやりと天井を見つめる。外からは笑い合うネコたちの声と、風の音が聞こえてくる。ふと、ヴァージニアが俺に話しかけてきた。
「さて、ここでひとつ命題を提示しよう。君はこの剣の谷に生きるネコ族と、人類の混血種に、ワーキャットなるものが存在していることは知っているかね」
相変わらず本題までが長そうな問いかけだ。
「実物は見たことないけど、知識としては」
「よろしい。魔物の中には、ドラゴニュートやウェアウルフといった、人類との混血種が多く存在する。つまり原則的に、人魔の混血は可能なのだ」
いったい何が言いたいのかさっぱりわからない。
「それはまあ、よく聞く話ではあるけど」
「では人の身から魔に転じた者はどうだろうか。例えるなら、夜魔や、アンデッドだ」
ヴァージニアの白い腕がすすっと伸びてきたかと思うと、俺の胸元にかかったシーツをぎゅっと掴む。ちょっと待って。あの、ヴァージニアさん、服はどうされましたか? というかいま気づいたけど、俺の服どこいった?
「待ってくれ、質問の意味がわからない」
「では質問を変えよう。私ことヴァージニア・エル=ポワレは、君も知っての通り、古の大魔術師などというたいそうな肩書きをぶら下げている。だがそれは私が持つ、一側面にすぎないことを、君は教えてくれた」
シーツがすすす、とまくられていく。
「では他の側面はどうだろうか。たとえば君の目から見て、私はいったい何者だろうか」
「し、師匠、です」
「他には?」
「仲間……かな」
ヴァージニアの冷たい身体が俺の肩に触れる。耳に、彼女の吐息を感じる。
「……他には?」
他? 他ってなに? 他にもあるってこと? それともこれから『なる』ってこと? もうシーツはほとんど残っていない。