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 わたしが応援団のほうに戻ったら、沙羅ちゃんと絵美ちゃんが出迎えてくれた。

「どうだった? 蝉川くん、また余計なこと言わなかった?」
「い、言われてないよ。蝉川くん、本当になにもなかったんだよ?」
「でも。泉ちゃん顔が真っ赤だから」

 沙羅ちゃんにそう指摘されてしまい、わたしは思わず頬に手を当てる。

「……ううん、ただ、格好よかったから」

 そうぼそぼそと言うと、沙羅ちゃんと絵美ちゃんは顔を見合わせてしまった。
 沙羅ちゃんが渋い顔をする中、絵美ちゃんはにやにやと笑っている。

「ほうほう、惚れた弱みって奴だねえ。若いねえ」
「え、絵美ちゃんっ! 本当に、わたしの心配し過ぎだったから……次の試合、楽しみなんだ」
「ふうん……まあ、たしかに今回はうちの学校とも上手い具合に噛み合うチーム編成だから、蝉川も活躍するんじゃないかなあ。うーん、私も今の内にヒーローインタビューしたほうがいいかな? あー、でも今行ったらチームのやる気に水を差しちゃうもんなあ」

 絵美ちゃんがすっかりと新聞記者顔負けの新聞部の顔になってしまっている中でも、わたしの顔の火照りは抑えることができずにいた。
 わたしがぽっぽと顔を火照らせている中、沙羅ちゃんはやんわりと言う。

「と、とにかく、私たちも早く席に戻ろう。次の対戦校もすごいところみたいだし、応援頑張らないと」
「頑張るのは選手なんだけれど、そうだねえ」

 沙羅ちゃんと絵美ちゃんがそう言っている間に、応援団の人が皆に声をかけているのが目に入った。

「それじゃあ、次の試合が入りますので入場しまーす! 応援の声出しお願いします!」

 日がさっきよりも高くなり、空もつるりとした青空で、雲ひとつ見当たらない。そんな炎天下の中試合なのだから、きっと選手は大変だ。
 わたしたちもペットボトル片手に応援しないとと、応援団の諸注意を聞きながら、再びグラウンドの観客席へと向かったのだ。
 席に着いてから、絵美ちゃんはメモ帳に目を通す。

「次の学校はうちとも相性がいいね。攻撃特化のチームだから、余計にボールとボールの繋ぎが重要になる。それこそ蝉川のポジションが一番重要になるね……ええっと、泉と沙羅はサッカーのルールどこまでわかってるんだっけ?」
「ええっと……点を取るのがストライカーで、攻撃に入るのがフォワード、守備がディフェンス、ボールを中継するのがミッドフィルダーで、ゴールを守っているのが、ゴールキーパーだっけ……?」

 サッカーの場合は、ゴールに点を入れる人、ゴールを守る人が目立ってしまうから、サッカーファンじゃなかったらどうしても中継点のほうにまで視界が入らない。
 でも蝉川くんのポジションはその中継点なのだから、どうしても視界で追いかけてしまうし、そのおかげでサッカーを見る目も変わったように思える。
 わたしがごにょごにょと言っていると、絵美ちゃんはしみじみと「愛だねえ」と茶化す。
 一方沙羅ちゃんはルールを全部把握している訳じゃないから、きょとんとして言う。

「ええっと……うちの学校、防御特化のチームは不得手で、どうして攻撃特化のチームには強いの? 普通、攻撃特化のチームの場合のほうが、強敵そうだし、防御特化のチームのほうが、ボールさえ取ってしまったらなんとかなりそうだと思うんだけど……?」
「うーんと。どう説明すればいいかな。防御特化のチームの場合、それぞれの選手にマークが付いてしまって、動きが分断されてしまって、ゴールまでボールが回せないんだけど……そうだねえ。例えば野外炊飯で薪を燃やす場合って、薪に直接火を付けないよね?」

 絵美ちゃんはどうにかサッカーのわからない沙羅ちゃんにも説明しようと、たとえ話に苦戦している。一応学校の合宿で何回かは体験しているから、そっちのほうはわかったので、沙羅ちゃんは「うん、そうだね」と頷いた。

「それって、薪に直接火を付けても、火が広がらないからなんだよね。だから先に火を広げるために、新聞紙だったり小枝だったりを加えないといけない。でも新聞紙も小枝もすぐに燃え尽きてしまうから、長いこと火は保てない。点を取るとなったら、敵陣地を突破して、ゴールポスト前でストライカーにボールを回さなかったら点を入れられない。うちの学校は機動力中心だから、攻撃的なチームの場合は翻弄できるけれど、それぞれの動きを分断されちゃうのには弱いんだよ。いくらストライカーだけすごくってもそれだけじゃ点が取れない、キーパーやディフェンスだけじゃそもそも点は入れられない、ミッドフィルダーはその間を繋がないといけないポジションなんだよね」
「ああ……だから分断されないようにしないといけなかったんだ」
「うん、そういうこと。でも今回はチーム編成も変わらないと思うよ。まあ……試合って、今までの練習だけじゃなくって、いろんな要素が絡んでくるから、ひとつの要素だけ拾ってこうだって一概には言えないんだけどね」

 そうこう言っている間に、選手が入場してきた。上から見下ろすけれど、その中にはたしかに蝉川くんもいた。手を振っても見えないだろうから、代わりに首にかけたタオルをぎゅっと握りしめる。
 勝って欲しいなんてプレッシャーをかけることはできないけれど、負けないで欲しい。
 手を組んで祈っている間に、ホイッスルが鳴り響いた。
 分厚い歓声と一緒に、試合がはじまったのだ。

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 前回の優勝校に勝ったからと言って、インターハイに来た学校で弱いところなんかいない。
 絵美ちゃんが言っていた通り、試合は一進一退を極まっていた。
 また、PK戦に入ってしまったら、今回は分が悪い。もうさっきの試合が原因で消耗戦を演じてしまったから、うちのチームではPK戦に打ち勝てるだけの地力が残ってないからだ。
 タイマーを見たら、残り時間はたったの3分。その間も、フィールドには恐ろしいスピードでボールが跳んでいっている。うちの学校も相手の学校もボールの奪い合いを繰り返している中、ボールの奪い合いを制したのは。
 蝉川くんだった。
 わたしはとうとうタオルを振り回して、声が枯れるまで応援していた。声援の声が分厚い。わたしの声なんて届かないかもしれないけれど、それでも叫ばずにはいられなかった。

「頑張れ!」「そのままゴール!」
 「行けぇぇぇぇぇ!!」

 残り時間が、着々と刻まれていく。
 試合終了のホイッスルが鳴り響いたとき、わたしはタオルを握りしめたまま、とうとう泣き出してしまっていた。
 皆がフィールドの中央に集まる中、中央に向かう中、ちらっと見慣れた金髪がこちらのほうを見ると、にっという顔を見せたような気がした。
 ここからじゃフィールドにいる選手の表情なんてよくわからない。きっとフィールドからだって、誰がどこにいるのかなんてわからないはずなのに。
 わたしは試合が終わったのを見てから、そろそろと階段を降りて、応援団の人に声をかけた。

「あの、バスの時間までどれくらいですか?」
「あと三十分で出ますよ。お手洗いはそれまでに済ませてくださいね」
「は、はい……!」

 わたしは沙羅ちゃんと絵美ちゃんのほうを見上げると、ふたり揃って握りこぶしをつくって見せた。

「行ってらっしゃい」
「頑張って」
「う、うん……!」

 階段を降りて、そのままグラウンド内部に入ったものの。
 選手はどこにいるんだろう。次の試合の学校とすれ違いながら、わたしはきょろきょろと辺りを見回す。

「あれ、蝉川くんの?」

 そう声をかけてくれたのは、お昼のときに声をかけてくれたマネージャーさんだ。持っているのは大量の乾いたタオルだ。どこかで洗ってたんだろうか。わたしは「手伝いますか?」と言うと、彼女は「これくらいだったら大丈夫」とやんわりと断った。
 ふたりで歩いて行った先は、ちょうど選手の更衣室前だった。

「蝉川くんに用事? バスの時間は大丈夫?」
「だ、いじょうぶです……あの、サッカー部は?」
「元気が余り過ぎて心配。明日もあるんだから、興奮してないでさっさと着替えて宿に戻ってくれるといいんだけど」
「そ、うですか……」

 マネージャーさんはさっさと更衣室に「遊んでないで早く着替えて荷物空けて!」と大声で怒鳴ったところで、ようやく出てきた。
 シャワーを浴びたらしく、さっきサッカー部のほうに顔を出したときよりもすっきりとしたシャンプーの匂いが漂っている。一部は頭がまだ濡れているのを「ちゃんと乾かすの!」と悲鳴を上げながらマネージャーさんが走っていく中、わたしはようやく彼を見つけた。

「あ……!」
「おお、泉! ほら、言っただろ。勝った勝った」

 ピースサインをしてくるものだから、わたしは顔を真っ赤にして、背筋を伸ばす。
 言わないと。ちゃんと、お祝いしないと。言葉がはくはくとなる中、ようやく言葉を絞り出す。

「お、めでとう……レンくん」

 その言葉に、一瞬レンくんは目を丸くした。
 サッカー部員から口笛が響き、マネージャーさんが「茶化さないの!」とスパンとタオルを投げつけるのが耳に入り、居たたまれない。
 ただ、レンくんは顔に満面の笑みを浮かべて、わたしの肩に手を置いた。

「ああ~! やっと言ってくれた! それ、それがもう一度聞きたかったんだよ!」

 そう言ってくしゃくしゃに笑い出すのだから、わたしはただ目を白黒として彼を見ていた。
 わたしが彼のことを忘れていたとき、いったい彼はどんな顔でわたしを見ていたのだろうと、ここに来てやっと思い至った。
 寂しそうな顔をしていたんだろうか。悲しそうな顔をさせてしまったんだろうか。それとも。こんなに毎日毎日、嬉しそうな顔をして、わたしの隣にいてくれたんだろうか。
 ゴミ捨て場で、記憶を取り戻したときに、彼がポロポロと泣いてしまったことを思い出す。
 名前を呼んで、顔を見て、忘れてしまっても、結局はまた好きになる。
 この人には、ずっとこんな顔をしていて欲しいなあと、ついつい思ってしまったんだ。

「これからも、よろしくな。泉」

 そのまま、わたしは抱き締められる。レンくんは大きくないけれど、着替えたばかりのTシャツに顔がぶつかるほどには、身長差がある。
 またも口笛が聞こえる中、わたしは目を白黒とさせながらも、おずおずと彼のTシャツを掴んでいた。

「……うん、レンくん」

 蝉の鳴き声が、ぐわんぐわんとこだましている。
 まだ、わたしたちの夏は終わってはいない。
 わたしたちのまだまだ青い恋は、はじまったばかりだ。

<了>