余命宣告とはずいぶんドラマチックなものだと思った。
 ありきたりな、深夜に流れていそうなドラマの一話目に、主人公が突然余命を宣告される。そして、死ぬまでの短い期間をどう過ごすか悩み始める。
 たいていのドラマだったら、恋が始まるのだろう。そうでもしないと話に盛り上がりがないから。
 私と言えばどうだろう。
 今日の午後五時過ぎに、主治医から残り時間のいかに少ないかを語られてからもう三時間たったが、いまだに何も急ぐ気が起きなかった。
 私はいつも、死とはそう遠くない場所にあるように感じていた。
 今日の宣告は、その漠然とした直感が確信に変わったに過ぎない。
 病院のベッドに横たわったまま、天井のシミを見つめる。
 明日、主治医の先生と話し合って、これからの方針を決める。
 治療を試して少しでも寿命を延ばすのか、それとも治療は諦めて好きなことをして生きるのか。最近はホスピスなんて選択肢もあるらしい。
 「とにかくは、じっくり悩んで欲しい。それから、何かしたいことがあれば早めにね…」
 申し訳なさそうな顔で先生はそう言った。
 私は、どう生きればいいのだろうか。
 ドラマの様な展開を思い描いてみるが、それは違う世界のことのように思えた。
 生きたいとも思うが、チューブにつながれて寝たきりのまま生きるのは、あまり嬉しくない。
 できれば、苦しまないうちに短く太く生きたい。
 天井のシミを見るのも飽きて、私は窓の外を見る。
 三月の空はもう暗く、遠くに月が見えた。
 「人間ってやつ、負けるようにはできちゃいない」
 ヘミングウェイの『老人と海』の言葉だ。
 どうして今、その言葉が思い浮かんだのかは分からない。
 もしかしたら、彼の、あの海の似合う『老人』のように生きたいと、心のどこかで思ったからかも知れない。
 それなら、どこか海にでも出かけようか。
 小さな船に乗って、当てもないように水平線をめがけて、ただただ進み続けてみようか。
 それが人生の終わりなら、素晴らしいだろう。
 私は目を閉じて、見たことも無いメキシコの海のことを思った。
 いつの間にか眠りに落ちてしまったが、ライオンの夢を見ることはなかった。


 目覚めは、いつもよりずっと早かった。
 時計を見れば、まだ午前三時半であることがわかる。こんなに早く起きたのは初めてだった。
 昨日の夜、ずっと考え事をしていたせいであろうか。
 もう一度寝る気にはならなかった。
 何をするわけでもなく、読みかけの本に目を向ける。
 カフカの『変身』。
 もう三分の二ほど読み終えている。
 読んでいるときはいつも、自分が蟲になったらどうだろう、と考える。
 親が怖がるだろうから、グレーゴルと同じようにベッドの下に隠れるだろう。私には仕事に行く心配がないから、蟲になっても生活リズムはあまり変わらないかもしれない。グレーテのような世話をしてくれる人がいるかだけが心配だ。
 本に手を伸ばそうとして、ふと、透明になってしまった自分の右手の端が見えてしまった。
 「硝子病」
 三年前に初めて発見された奇病で、世界でまだ四例しか確認されていない。つまり、私が世界で五番目の発症者だ。
 身体が端から次第に動かなくなり、その動かない部分が硝子のように透明になることから、このけったいな名前が付けられた。ちなみに、この四人のうち、発病から半年以上生きていた人はいない。
 感染経路も原因も分かっていないのが、奇病と呼ばれるゆえんだ。
 つい先日、私は右手の薬指が動かないのに気が付いた。
 普段はあまり使わない指だから、気付いてもさほど焦らなかった。そのときにはまだ、私の指は透明でもなかったし、突き指でもしたのだろうと考えた。
 母に言って、近くの病院に行った。
 検査を待っている間、暇だったのでスマホを触っていた。薬指が動かなくてもあまり不便でないことが、少し面白かった。
 名前が呼ばれたとき、ふと自分の手を見てギョッとした。
 薬指が透けていたからだ。
 母に伝えようと思ったが、言葉が出て来なかったので、そのまま診察室に向かった。
 透明になってしまった指を見て、誰もが言葉を失った。
 状況を飲み込むのに一分ほどかかった。
 やっとのことで、先生が「硝子病」とつぶやいた。あまりに小さい声だったので、私も母も聞き取ることが出来なかった。
 母が首をかしげると、先生は我に返ったように診察室から出て行ってしまった。
 口を閉じることを忘れた母と待っていると、先生は駆け足で戻ってきて、「ここじゃ何とも言えないので、大きな病院へ移ってもいます」とだけ言うと、またどこかへ行ってしまった。
 看護師さんに紹介されて、その日のうちに県立病院へと移動した。
 さっきの先生から事情を聴いていたのか、受付の人に私の名前を伝えると、順番を待たずに診察室に入れられた。
 この先生も驚いたようだったが、必死に顔に出さないようにしているのが分かった。
 先生は「いつから、こうなっていたの?」ときいた。
 私は「動かなくなったのは、たぶん、今日の四時くらいで、透明になったのは、四時半くらいだと思います…」と答えた。
 私もなるべく冷静を保とうと思っていた。できたかどうかは分からないけど。
 先生は私の手を、じっくりと観察すると、観念したように口を開いた。
 「これは…おそらく、硝子病と呼ばれるものです」
 「ガラス?」
 「ええ。前例が四つしかないので詳しいことは何もわかっていません。ただ…」
 先生は口を閉ざした。
 嫌な予感がした。病院で先生が言い辛いことなんてだいたい予想できる。
 母は今にも泣きそうな顔で先生を見た。
 三十秒ほど、先生は沈黙を守ったが、ついには諦めて口を開いた。
 「この病気は、発病から次第に体が動かなくなり、動かなくなった部分から透明になっていくんです。だから硝子病と呼ばれていて…その、今まで確認された四つの事例では…発病から半年以内に…その…亡くなってしまっています…」
 母は倒れそうになるのを必死で食い止めて、「でも…生きる可能性もあるんですよね?」と大声で叫んだ。
 「ええ…」先生は苦しそうな声で言った。
 「なら…」母は私と先生を交互にみた。
 「僕も、治療法を探してみます。しかし…」
 先生はちらりと私の目を見た。私は、なんとなく、その視線の意味を理解した。
 「これからの治療について、また詳しく話し合いましょう」
 先生は引きつった笑顔を見せた。
 その後、母の質問攻めに困る先生を見ているうちに、入院が決まっていた。何を喋っていたか、全く思い出せない。たぶん、私は動揺していたのだろう。
 「今日はこのくらいで…」
 七時をさす時計を見て、先生がそう言うと、母は静かにうなずいた。
 その後、看護師さんに連れられて、私はこの部屋に来た。四畳半ほどの部屋で、ベッドが一つとその横に小さな机があった。
 荷物は明日、母がまとめてきて持って来てくれると言った。
 去り際に、母は私を強く抱きしめた。
 私は左手で母の背中をさすった。
 私はベッドから起き上がり、右手を眺める。
 今や、透明でないのは親指だけだった。
 最長で半年生きられると仮定しても、最期のほうはほとんど体が動かなくなっているだろう。先生の言った「早めに」の意味はこうことかと気付いた。
 ふと、この硝子になってしまった部分を割ってしまうとどうなるのかが気になった。
 痛いのだろうか。
 左手の指で、右手の小指をはじいてみる。
 振動が硝子の部分を伝わって脳まで届く。だが、小指には何も感じない。感覚が無くなってしまっていることは理解できた。
 壊しても、くっつければ大丈夫な気がした。そもそも、動かないのだから壊してしまった方が軽くなって楽かもしれない。
 硝子の部分と普通の部分で重さに差はないのだが、見た目が重そうなので違和感が大きい。
 とは言え、壊すのはまだ怖い。
 今日の内に看護師さんに言って、何か布で保護してもらおう。
 窓の外はまだ暗く、月は建物の影にいるのか見えない。
 「何かしたいこと…」
 無意識に声に出していた。
 やりたいことを頭に思い浮かべる。
 読み切れていない本はすべて読んでおきたい。ピアスを開けてみたい。髪も染めてみたい。緑と青で半分ずつがいい。スイーツ食べ放題に行ってみたい。猫カフェに行ってみたい。ハリネズミカフェもあると聞いたことがある。他の動物のカフェもあるのかも知れない。水族館や動物園にも行きたい…
 思わず笑ってしまった。
 たくさん思いつくのに、どれもちっぽけで、少ない時間を本当にそんなことに使うのかと問われれば、自信をもってうなずくことは出来ない。
 自分の世界の小ささに呆れてしまう。
 治療はどうなるのだろうか。
 先生はできる限りのことはしてくれそうだが、良くなるとも限らないし、あまり魅力的な選択ではないだろう。余命宣告なんてものをされた時点で、長く生きたいなんて思いはどこかへ行ってしまっている。
 親がどう思っているかが不安だ。
 それは、明日ゆっくり話し合えばいいだろう。
 そういえば、実例の少ない病気ならば研究対象にはならないのだろうか。アニメに出てくるような闇の施設に入れられるようなことは無くても、写真とかDNAを取ったりしそうだが、この基本的人権の尊重された社会では、本人の同意なしでは研究も進まないのかも知れない。
 私なら喜んで同意するだろうが、私のほかに硝子になってしまった四人はどう思ったのだろうか。
 全身が硝子になった姿が想像できた。
 いつかは、私も一つの硝子の彫刻になる。
 それなら、格好のいいポーズをとる練習をしないといけないな。
 
 
 いつの間にか寝ていたらしい。目が覚めると、太陽の光が部屋の中で飽和していた。
 「○○ちゃん、おはよう」
 聞きなれた母の声だった。
 「おはよう」
 声は少し擦れていたが、寝起きだから仕方がない。起き上がって、寝ぼけた目で部屋を見渡すと、母は扉の横に小さな丸椅子を置いて座っていた。
 「十時くらいに先生が来てくれるって」
 何か返事をしようと思ったが、言葉が出てこなかったので、ほとんど声にならないまま「ふーん」とだけ答えた。
 右手を見ると、変に五本の指を曲げた状態で動かせなくなってしまっているのが分かった。
 母はそれを見て、ゴキブリを見つけたときくらい顔をひきつらせたが、二秒もしないうちにいつもの表情に戻っていた。よく見れば、少し緊張が残っている。私に心配させないように、母なりにいつもの表情でいようとしていたのだろう。
 母は少しだけ目をそらし「春になってきたね」と話題を変えた。
 改めて窓の外を見ると、桜のつぼみが膨らんでいた。
 「桜も、もうすぐ咲きそうだね」
 私がそう言って笑うと、母の表情は少し和らいだ。
 私は右手を掛け布団に隠し、「花見に行かないと」と言うと、「お団子が食べたいだけじゃないの?」と母は笑う。
 麗らかな春の日の典型のような空間だった。透明な右手を除けば、だが。
 「○○ちゃん。病気のこと…どうする?」
 着替えを終えた頃、母がそう切り出した。
 私としては、どうにか母とその話をするのは避けたいと思っていたのだが、母の泣きそうな顔を見るとそうはいかないようだった。
 「お母さんは、どう思う?」私は窓の外の桜を見ながら言った。
 母は気まずい沈黙をほんの数秒作った。
 「私は、○○ちゃんの意思を尊重したいと思うの…」母は俯きながら言った。
 「だからね、お母さんのことは気にせず、自分の意思で、その、治療のこととかは決めて欲しいの…」
 母の声は途切れ途切れで小さく、聞き取りにくかったが、その根底にある優しさが、胸を痛く締め付けた。
 「私は…」
 母の優しさに応えたかった。
 心から、親孝行をしたいと思った。
 そう考えるなら、私は治療に専念する道を選ぶだろう。そして、少しでも長い時間を親と過ごすのだ。
 今の自分にできる、最高の親孝行はそれだけだ。
 だが、それは自分の意思とはかけ離れたことであった。母の「自分の意思で」と言う言葉を、その優しさを無下にするような気もした。
 「自分の意思で」
 息を吸う。
 「私は、長生きしたいとは、思わない、かなあ」
 母の顔は見れなかった。
 何を言われるか、怖くて仕方がなかった。
 言葉を発するのに、こんなにも緊張したのは初めてだった。
 「そう」
 母はいつもの声でそう言った。
 「○○ちゃんがそう思うなら…」
 母の声はいたって穏やかだった。
 だが、見えてしまったその気の毒そうな表情に、罪悪感を覚えずにはいられなかった。
 
 
 母の言うとおり、十時くらいに先生が部屋のドアをノックした。
 母が椅子を出し、先生は礼を言ってそれに座る。
 先生は話を切り出すタイミングをうかがいながら、雑談に花を咲かせた。
 「今年は桜が早いですね」とか「近くに、おいしい団子屋さんがあるんですよ」とか。
 私は、その団子屋さんが気になったが、母はそうでなかったらしい。
 会話だけ聞けば、それは心地よい春の日なのだが、得体のしれない緊張感を取り除くことは出来ていなかった。
 取り繕ったような空間で、布団の下に隠した硝子の手が嫌にうずくようだった。
 「それで、○○さんの病気についてですが」先生は何気ない風に装って、そう言った。
 母の顔が硬くなる。
 私は母の手を左手でそっと握った。
 「まずは、本人の意思を確認しておきたいですね」先生は私の顔を見て言う。「治療に専念するか、そうでないか。どちらにせよ、僕たちは患者さんの意思を尊重します」
 先生は真剣な顔だった。
 母は私の顔をちらりと見て、頷いた。
 「私は、治療に専念したいとは思いません」絞れるだけの勇気を絞って、私はそう言った。
 「そう、ですか」先生は少しだけ、目を細めた。
 そして、先生は私と母に一部ずつ、硝子病についての資料を渡した。
 母は無言で資料を読み始めたので、私も資料に目を通した。
 難しい言葉が多かったけれど、要約するとこうなる。
 『一人目は、右足の小指から。約三か月。
 二人目は、右足のひざから。約一か月半。
 三人目は、左手の手首から。約五か月。