10月の少し肌寒い日だった。
総合葬祭式場『ローズホール』は住宅街の中にある。栗林透子の葬儀が、ここの3階のホールで行われることとなった。
弔問客は皆秋物のコートを手にしながら記帳をしてホールへ入っていく。受付に立っているのは透子の母の栗林渚だ。

買ったばかりのダークスーツの隆典はホールに入ると、祭壇の前にある棺の中の透子の顔を覗いた。目元がだいぶやつれていた。俺も死ぬ時はこうなるのかと隆典は不安になった。

「外崎君だね」
透子の父の栗林勝之が隆典に声をかけた。隆典は慌てて勝之にお辞儀をした。勝之の手には中に本が入れられた紙袋がある。
「この度は、ご愁傷様です」
「今日は来てくれて、ありがとう。透子も喜んでいると思う」
「ありがとうございます」
「本当は、延命の治療とかをさせてあげたいと思うこともあったんだがね。透子はそれを望まなかったから、どうしようもなかったよ」
疲れ切ってしまったのか、実感がないのか、勝之は全く涙を見せない。
「でも、栗林はずっとやりたかった仕事をしたくて、今それができて幸せだと前に言っていました」

「……そうでしたか。そう言えば、小さい頃のあの子はテレビのお笑い芸人や、アニメのギャグを真似るのがすごく好きだったんですよ」

意外だ。死んだ後でも透子に驚かされるとは。
「でもね、小学校の頃の担任の教師にひどく叱られてしまってね。その上、私と妻も呼び出されて親子共々説教だった」
「ひどい先生もいたもんですね」
「ああ。勉強さえできればいい。学校の先生はそう思ってるんだ。それだけじゃない。効率が良ければいい。要領よく生きればいい。世の中はそれでいっぱいだ。嫌だけどね、そういう考え方、僕も妻も」
「栗林は成績優秀だったから、まさか、お父さんお母さんがそんな考えの持ち主だったとは思わなかったです。まさか、反抗期だから、逆に成績優秀な人間になってしまったんですかね」
隆典がこう言うと勝之は苦笑した。
「どうだろうね。でもあの教師のせいで、人前でギャグとか不真面目なことは一切やらなくなったよ」
「僕みたいに怒られても怒られても懲りずにギャグやるのも問題ですよ」
隆典は思ったままのことを言った。
勝之は笑って、
「それもそうだね。でも透子に小さい頃からよく聞かせてた話があるんだ。あるところに、効率よく生きて勝ち組になることばかり考えている男がいた。効率ばかり考えた結果、男は便所の中でご飯を食べるようになった。でもある日、ご飯を食べてる最中に便器の中にご飯を落としてしまったんだ。外崎君、この男はこの時、どうしたと思う?」
「後悔したんですか」

「違うんだ。ああこれで、ご飯を食べる手間が省けてより効率的になったと喜んだんだ。それ以来、男はご飯は作っても全部トイレの便器の中に落とすようになったんだ」

勝之の話を聞いて隆典は苦笑した。同時に、なぜ、生前彼女が自分の鼻毛の写真をブログに上げるなどのくだらないことに時間を費やしたのか、わかった気がした。

「くだらないことをいらないと言って切り捨て続けると、いつかとんでもないことになる。世の中は必ずメチャクチャになる。僕は透子にそう教え続けたんだ」
「でも、教え続けた結果、うちの会社に勤めることになったんですけど、それはよかったんですか」
「反対なんてしないよ。むしろ公務員になりたいなんて言ったら勘当だ。親子の縁を切ったよ」勝之は笑った。
「それはそれで問題だと思いますが」
隆典は再び苦笑した。なんという親だ。

「そうだ、君に見せたいものがあるんだ」
勝之はそう言うと手にしていた紙袋から、1冊の本を取り出して見せた。日記帳だ。
「透子の日記帳だ。亡くなる直前の9月のものなんだ。読んでごらん、すごくおかしいから」
すごくおかしいとは一体どう言うことだ? 
隆典は勝之の言葉を不思議に思いながらページをめくった。



「9月20日 隆典ありがとう ち○こ」

「9月21日 隆典ありがとう ま○こ」

「9月22日 隆典ありがとう う○こ」



1日ごとに感謝の言葉と共にち○こ、ま○こ、う○こという単語がローテーションしている。それも、亡くなる日の直前まで。なんという女だ。
「最期に書き残すであろう言葉をこんな単語にするなよ」
「面白いだろう」
勝之は笑っている。涙を見せないのは疲れ切っているからではない。
笑いすぎて出す以外の涙を、透子が望まないからだろう。なんというオチだ。
隆典は再び棺の中の透子の顔を見た。棺の中の彼女は笑っている気がした。