目を覚ますと北山先生が側にいてくれた。
「大丈夫ですか?」
「すみません、また、私、先生にご迷惑を……」
と言いかけたその時、私の手を引き寄せ、北山先生は私を抱きしめた。
「先生?」
「ずっとここにいればいい」
北山先生にそう言われて、しばらく見つめあった、しかし私はすぐに目を逸らした。
これ以上先生に頼ることは出来ない、先生の気持ちに答えられない、自分の気持ちに嘘はつけないから。
私の病状は安定していた。
念のため血液検査を受けるため、私の血液を東京の北山総合病院へ送った。
結果は時間がかかるとのことで、落ち着かない日々を過ごすこととなった。
そんなある日、北山先生を訪ねて来た人がいた。
その人は錑だった。
「久しぶり、健志、元気だったか」
「錑、どうしたんだ」
「先生、この患者さ……」
と言いかけて錑の姿が目に止まった。
「みゆ、具合大丈夫か」
私は咄嗟にその場を離れるために診療所を飛び出した。
「みゆ、待って!」
錑は私の後を追って来た。
そしてあっと言う間に追いつかれ手を掴まれた。
「みゆ、話を聞いてくれ」
「離してください」
錑は慌てて手を離した、健志から過呼吸の事を聞いていたからだ。
「健志から聞いたんだが、俺の元に戻らないって本当か?」
私はしばらく黙って下を向いていた。
そこへ北山先生が二人の間に割って入った。
「立木さんは東京には戻らない、錑一人で帰ってくれ」
その時錑は私に自分の気持ちを伝えた。
「みゆ、俺と一緒に東京へ帰ろう」
錑は私にむけて手を差し出した。
この手を取れば錑と一緒にいられる、でも私の存在は錑の負担になる。
私は錑から視線を外し北山先生の背中に隠れた。
錑は目を伏せて手を下ろした。
そして私に背を向けて、北山先生に「みゆを頼む」そう言い残してその場を去った。
診療所に待機していたゆかりさんは、一人で戻ってきた錑に声をかけた。
「なんで立木さんを連れてこなかったの?」
「しょうがねえだろ、俺はふられたんだから」
「錑、本気で言ってるの?」
「みゆは自分の事より、俺のことを考える女なんだ、だから自分が我慢してでも、俺を優先する、今、みゆは俺と一緒にいる事を望んでいない」
「そんなこと言ってたら、健志に取られるわよ」
錑は黙ったままだった。
錑はわかっていた、北山先生が私に好意を抱いていることを……
「女はいつでも側にいてくれる人を好きになるのよ」
「ゆかり、帰るぞ」
「もう私の忠告無視?」
二人は島を離れた。
北山先生と診療所に戻って来た私に、北山先生はこう言った。
「みゆちゃんって呼んでいいかな?」
その意味する事がどう言う事か分かったが、私は答えられずにいた。
北山先生は将来北山総合病院医院長になる人だから、これ以上は深入り出来ないと思った。
「みゆちゃん、僕のことゆっくりでいいから、まずは体調を戻す事を最優先しよう」
「先生」
何故か北山先生の側に居ると気持ちが落ち着く自分がいた。
東京に戻った錑は仕事に打ち込んだ。
しかし、眠れない日々が続き、食欲もなくなってきた。
頭痛がひどく、体調不良の日々が続いた。
「ゆかり、安定剤くれ」
「どうしたの?」
「眠れないんだ、頭痛もひどい」
「ちゃんと食事してる?」
「食欲が無いからしてねえ」
「駄目じゃない、ご飯食べないと」
錑はゆかりさんに安定剤を貰って様子を見ることにした。
ある日秘書室の高城さんが慌てた様子でゆかりさんの元へやってきた。
「社長の所在が分からなくなったんですが、何か聞いてませんか?」
「どうしたんですか?」
「今朝お迎えに伺ったところ、マンションにいらっしゃらなくて、スマホも電源が切ってあります」
「わかりました、心当たり連絡取ってみます」
その頃錑は与那国島に向かっていた。
俺はどうしても諦められなかった。
みゆをこのまま健志の元においておいたら、ゆかりの言う通り、健志のものになってしまうと心配が脳裏を掠めた。
でも無理矢理東京に連れ帰るわけにはいかないと思い、何か手立てはないかと悩んでいた。
とにかくみゆの側に行こう、そして初めからアタックすると言う考えに至った。
私は受付で仕事をしていると、診療所のドアが開いた。
「北山先生いますか?」
そこにいたのは錑だった。
私は錑の姿に戸惑いを感じた。
あの時、錑の差し伸べられた手を取らなかった事は、後悔はしていない。
でも、簡単に忘れられる人ではない。
北山先生は優しい人、でも恋愛対象ではないとはっきりわかった。
錑を思いながら生きていく道を選び始めていた矢先だった。
「少しお待ち下さい」
心臓がバクバク音を立てて、呼吸が苦しくなった。
あの決心はどこへ行ったの?
錑の顔を見た瞬間、錑の胸に飛び込みたい衝動に駆られた。
深呼吸をして「先生、あのう、桂木さんがお見えです」と伝えた。
「えっ?錑?」
先生は入り口に向かった。
「錑?どうしたんだ」
「悪いな、ちょっと入院させて貰えないかな」
「顔色すごく悪いぞ」
先生は錑を診察室のベッドに横になるように促した。
「どんな症状なんだ」
「夜眠れない、頭痛と食欲不振で体調が悪いんだ」
「なんで東京の大学病院へ行かなかったんだ」
「一企業の社長が入院って大変なことなんだ、極秘で頼む」
「わかった、まず点滴だな」
錑、具合が悪いなんて、錑の姿に見惚れて全く気づかなかったことに罪悪感を覚えた。
「みゆちゃん、点滴の用意して」
「あ、はい」
この時、錑の表情が変わった。
錑は病室に移り点滴を始めた。
「気分が悪くなったらナースコールをしてください」
「あのう、立木さんは北山の彼女?」
「違います」
「そうなんだ、良かったあ」
錑は安堵の表情を浮かべて私を見つめた。
「し、失礼します」
私は不覚にもドキッとしてしまった。
それからしばらくしてナースコールが鳴った。
「桂木さん、気分が悪くなりましたか?」
「いや、暇なんで話相手になってもらえないかなって思って」
どうしよう、そんな目で見つめられたらドキドキしちゃうよ。
顔が熱ってくるのを感じた。
「だ、駄目です、私仕事中なんで……」
私は急いで病室を飛び出した。
心臓がまだドキドキいってる。
ずるいよ、錑は……
この時錑は思った。
必ずみゆを取り戻すと……
錑が、私のいない人生は考えられないと、強く感じたことなど知るすべはなかった。
その頃、ゆかりさんは北山先生に連絡を入れていた。
「健志、そっちに錑は行ってる?」
「ああ、桂木社長は入院中だよ」
「やっぱり、私のところに来て、眠れないから安定剤くれって、そのあと姿くらましたのよ」
「そうなんだ、点滴してぐっすり眠れるようになったみたいだから安心して」
「迷惑かけてごめんね、多分立木さんに会いに行ったんだと思うけど……」
「そうだな、めっちゃ話しかけてるよ、錑の体調良くなったのは安定剤でも点滴でもなく、みゆちゃんのおかげだな」
「そう、立木さんの体調はどお?血液検査の結果はわかった?」
「まだだよ、でも今のところ落ち着いているよ」
「ねえ?あの二人一緒にいた方がお互いの体調いいのかな?」
「関係ないよ」
北山先生は珍しく声を荒げた。
「私に怒らないでよ」
「別に怒ってないよ」
「立木さんにのめり込まないでね」
北山先生は黙ったまま答えなかった。
「錑のことよろしくね、先生!」
「ああ」
北山先生は不服そうに答えた。
錑は食事を出来るようになった。
「美味い、これ立木さんが作ったの?」
「そうです、良かったですね、食欲出てきて」
「ああ」
「そうだ、前に作ってくれた和食作ってくれよ」
「いいですよ、あの時も美味しいって食べてくれましたよね」
「だってみゆが……いや、立木さんが作る和食は絶品だからな」
私は久しぶりにみゆって呼ばれてドキドキが止まらない。
「後で食器片付けにきます」
私は病室を後にした。
それから私と錑は、たわいもない会話を毎日続けた。
錑は私を東京へ連れて帰ろうとして、手を差し伸べた時ふられたショックから立ち直れずにいた。
しかし、錑にとって私がいない人生は考えられなかった。諦めることは出来ない。
錑は考えた。
私を無理に連れて帰ることは出来ない、それなら初めからやり直そうと思った。
「俺がいないと生きていけない位に惚れさせる」
錑は「お前を取り戻す」と心に誓った。
私は錑の食事を作ることに幸せを感じていた。身の回りの世話も、そして毎日錑の顔を見て話が出来る事がこんなにも嬉しいなんて、改めて感じた。
錑のいない人生は考えられないと思った。
このまま時間が止まってずっと一緒にいられたらと願った。
錑の病室に食事を運ぶと、いつものように「ありがとう」と微笑んでくれた。
「総務部の皆は元気ですか?」
「ああ、頑張ってくれてるよ」
「そうですか、皆に迷惑かけてしまって、心苦しいです」
「俺がもっとみゆに気遣い出来てれば、すまない」
「錑はわる……すみません、桂木さんは悪くないです」
「いいよ、錑で……俺もみゆって呼んでるし」
「でも……」
「みゆ」
錑と私は見つめ合った。
愛し合った時が走馬灯のように脳裏に蘇る。
どちらともなく、二人の距離は近づき、唇があと数センチのところで「みゆちゃん」と北山先生が私を呼ぶ声が聞こえた。
ビクッと身体が反応し、我にかえった。
「はい」と返事をして病室を後にした。
私、今何を……手の震えが止まらない。
「みゆちゃん、どうした?」
私の手の震えに気づいて北山先生は私の手を握ってくれた。
「大丈夫?ごめん、僕がみゆちゃんに頼り過ぎたかな?」
「大丈夫です」
その頃錑も我にかえり自分が何をしようとしていたか考えると、理性を抑えきれない自分にゾッとした。
このままだとみゆを抱きたいと言う衝動に勝てない自分が現れるのも時間の問題と感じた。