僕は空っぽで、君は透明

「おお〜懐かしい音楽が流れてるじゃないか」

 立夏と清涼は、駄菓子屋内に流れている音楽に耳を澄ましていた。きっと、あの頃の情景が頭に浮かんでいるに違いない。

「立夏。お前、ギター役やってたっけ?」

「そうよ。私、未だに練習してるし」

 立夏はエアギターをやって見せる。

「あははは。相当上手くなったよな。小さいころめちゃくちゃライブごっこにハマってみんなで楽器買ったのが懐かしいわ。俺なんてドラムセット買ったんだぜ? またみんなで演奏してみたいよな」

 清涼は流れてる音楽を聴きながら、遠い目をしていた。

 かつて、幼馴染のメンツで演奏した時のことを思い出している。

 そんな彼らの様子を見ていた花火が口を開く。

「太陽くんもそのライブごっこに参加していたんですか?」

「ん? ああ、そうだよ。今はちょっと避けられちゃってるみたいなんだけど、昔は仲よかったんだぜ」

 清涼は駄菓子屋の外に座っている太陽の方を見ながら呟く。

「太陽はベース担当だったんだ。相当練習してたみたいだからね。小学校頃はめちゃくちゃ上手だったんだよ。私たちの中では一番だったよ!」

 太陽について語る立夏は少しだけ嬉しそうにしていた。

 そんな彼らの話を聞いていた花火は、ある一つの疑問を持った。

 それは、ボーカルは誰がやっていたんだろう。という些細な問題だ。

「ボーカルの方は誰だったんですか?」

 花火がそう口にした途端、一瞬だけ凍てついた空気が流れる。だが、清涼がすぐさま明るく笑ってを見せた。

 顎に手を当て、少し考えてから彼は説明した。

「そいつは今、遠くに行っちまったんだよ。だから今はボーカル不在なわけだわ」

「あ、思いついた!」

 清涼がそう言った時、立花が唐突に手を叩いた。そして、花火の肩を掴む。

「花火ちゃん! 歌を歌ってよ!」

「え!? 私がですか?」

「うん! 私がギターで、太陽がベース、そんで清涼がドラムで花火ちゃんがボーカルだ! それでもう一度バンドを組むの! どう? 楽しそうじゃない?」

 立夏は花火の肩を掴んだまま瞳をキラキラと輝かせている。対する花火は、少しだけ不安そうな顔をしていた。

「私なんかで、いいんですか? 歌なんて歌ったことないですよ?」

 そこまで言って、花火は思い出した。先ほどこの駄菓子屋に来た時、太陽が流れている音楽を聴いて懐かしそうな表情をしていたことを。

「そうだよ立夏。花火ちゃんを無理やり誘うことはない。迷惑がかかるだろ」

「え〜。やっぱそうか〜」

 清涼に止められて、立夏はがくりと肩を落とす。その時だ。

「大丈夫ですよ。私、やってみたいです。上手に歌えるかどうかは分かりませんが、やるだけでも、やらせてください」

 力強く、花火が宣言した。

 やれることは全部やろうと決めてこの世界に来た。

 全ては変わるために、後悔をしないために、今ではもう、顔も思い出すことのできない人に言われたから。

 絶対に楽しむと、心に決めている。

「ほんとに!?」

「大丈夫なのか? 無理しなくていいんだよ」

 心配する立夏と清涼を前に、花火はこくんと頷いた。

「大丈夫です。ですけど、私が超音痴だったら皆さんに迷惑をかけてしまうので、一応チェックしてください」

 後頭部に手を当てて、苦笑いしながら花火は言う。

「オッケーよ。じゃあ私の後に続いて歌ってみて」

「いくよ」と前置きしてから、立夏が歌い始める。

 立夏の歌声は、とても聞き取りやすく、聞いていて心地の良い部類に入るだろう。彼女は歌い終わると、後に続いてと言わんばかりに花火に向かってウインクした。

 それを見て、花火はこくりと頷く。

 立花の真似をするように、花火は歌った。

 鈴の音のように美しい歌声が、駄菓子屋の中に響き渡った。その歌声を聞いていた立夏と清涼は一瞬だけ息を飲んでしまった。

 気がついた時には二人とも拍手をしていた。

「すっげえ。めちゃくちゃうまいじゃんか」

「うん。びっくりしちゃったわ。プロかと思った」

 二人に賞賛されて、花火は照れ臭そうに頬をかく。こんな風に誰に褒められたことは、あまりない経験だった。それこそ、記憶の片隅にあるあの人に褒められたくらいかもしれない。

「いえいえ、そんなに上手じゃないですよ。でも嬉しいです」

「じゃ、あとは太陽を誘ったらいいわけだな!」

「一緒にやってくれたらいいんだけどね」

 太陽というワードに立花が悲しそうに肩を落とす。きっと、彼らは太陽と昔のような関係に戻りたいのだろうなと、花火は思った。

 そんな彼らを見ていて、どうして太陽にはこんなにも優しい友達がいるのに、仲良くしようとせずに、あまつさえ家に来たのに無視しようと思ったのか、花火には分からなかった。

 今まで誰にも必要とされず、孤独に苦しんでいた彼女だからこそ、差し伸べてくれる手を振り払おうとする太陽の考えが、理解できなかった。

 こんな質問は良くないと分かっている。急すぎて驚かれるのも十分承知だ。それでも、花火は聞かずにはいられなかった。

「あの……太陽くんは、どうしてあまり人と関わろうとしないんでしょうか?」

 清涼と立夏の視線が、花火に集まる。先ほどのように一瞬の間があってから、清涼が口を開いた。

「それは太陽に直接聞いた方がいいかな。予想はできてるけど、確信は持ててないから。ただ、俺達が太陽をしつこく誘う理由は答えられるかな。多分、太陽の原因と同じだと思うから」

 一度大きく息を吸ってから、清涼は続ける。

「さっきも言ったけど、昔、大切な人が遠くに行っちまったんだ。それで、俺達は後悔した。もっと大切にしとけば良かったってな。だから決めたんだ。もう後悔はしたくない。今いる友達は全力で愛するってさ。失うのはもう嫌だ。だから絶対に手放したくない。いなくなって欲しくない。だから、俺達は太陽を誘うんだ」

 それを聞いて、ああ、太陽くんはとてもいい友達を持ったんだなと、花火は思った。それと同時に、とても羨ましいとも思う。

 清涼は頬をかきながら、居心地悪そうにしていた。

「なんだか辛気くさい雰囲気になっちまったな。ほら、駄菓子選ぼうぜ!」

 清涼は花火の背中をぽんと叩いてから店のさらに奥へと入って行った。
 ベンチに座りながら、僕はなぜ立夏や清涼が僕に構い続けるのかを考えていた。

 僕はあからさまに彼らを避けている筈だ。それなのに、彼らは僕を気にかけてくれている。

 普通に考えて、とてもいいやつなのは間違い無いだろう。じゃ無ければ、僕みたいなやつはすぐに嫌われてしまうだろうから。

 誘うのにあれだけ緊張しているのだ。断られたら傷つくはずなのに、それでも、彼らは辞めようとしない。

 そんな風に思考の海に溺れていると、どこかで聞いたことのあるメロディーが駄菓子屋の中から聞こえてきた。

 これは立夏の歌声だろうか。店の中でいったい何をやっているんだろうと思って、僕は立ち上がった。

 今度のは青井花火の歌声だろうか。鈴を鳴らしたかのような、透き通った美しい歌声をしていた。

 昔みんなでやった、ライブごっこを思い出すな。

 どうしても気になってしまったので、入り口の陰から中を覗いてみると、青井花火が賞賛されていた。

 清涼や立夏が褒めたくなるのも分かる。葉月の歌声とはタイプが違うが、青井花火もとても綺麗な歌声を持っていたからだ。

「じゃ、あとは太陽を誘ったらいいわけだな!」

「一緒にやってくれたらいいんだけどね」

 清涼と立夏は、そんなことを言っていた。僕を誘うとは、いったいどういうことだろうか。

 一瞬お墓まいりのことかとも思ったが、立夏が『やってくれたら』という言い回しを使っている時点で違うはずだ。どこかに行くという選択肢はない。

 きっと、清涼と立夏が、駄菓子屋の音楽を聴いて昔を懐かしんでライブごっこをやったことを思い出したんだろう。

 僕だって思い出したんだ。彼らが思い出さないわけがない。

 きっとそれで「青井花火に一緒にバンドでも組まない?」とでも言って誘ったんだな。それで、僕も一緒にやって欲しいと思っているんだ。

 生憎だが、僕にそんなつもりはない。

「あの……いきなりで悪いんですけど、太陽くんは、どうしてあまり人と関わろうとしないんでしょうか?」

 唐突に、青井花火が彼らにそんな質問をぶつけた。心臓が飛び跳ねたのかと疑うほど、一瞬で鼓動が早まった。

 本当にびっくりした。どうしたらいきなりそんな質問が出てくるのだろうか。

 清涼の答えを聞いて、僕は胸が締め付けられるのが分かった。

 痛いな、とても痛い。

 僕は葉月が死んで、失うのが怖いと心の扉を閉ざした。

 対する清涼と立夏は失いたくないから、そばにいて欲しいから、必死で明るく振る舞って、みんなの輪の中心にいた。少しでも、一緒にいたいからだ。

 そして、僕のことも本当に大事に思ってくれているんだろうな。嘘なんかじゃなく、本気で。

 同じ事がきっかけでも、考え方次第で歩む道は大きく変わっていくものだと思った。

 僕の選んだ道は間違っていたのだろうか。

 立夏と清涼のそんな思いを知って、少なからず僕は嫌な気持ちにはならなかった。むしろ、何かが満たされているような感じすらする。

 こんな僕でも彼らの守るべき友人の中に入っていることが、嬉しいと感じてしまっている。

 嬉しいと感じていることが、狂おしいほどに怖い。あれだけ徹底して避け続けていたっていうのに、少し油断したらこれだ。だからこそ、避け続けていたというのに。

 自分では誘いを断っておいて、喜びを感じているなんて勝手なやつだと思う。

 この状況で、彼らにバンドをやろうと誘われて、僕は断れるだろうか。 

 正直言って、分からないな。

 彼らとバンドを組んだら、苦しくて仕方なくなることもあるだろう。

 それでも少し、彼らの選んだ道を知っておくのも悪くないと思えた。

 青井花火と出会って、彼女に触れて、僕は急激に昔に近づいている気がする。

 少し前なら、こんな気持ちにはならなかった。

 彼女から感じる葉月らしさがどことなく葉月と一緒に居るという気にさせているのだろうか。

 青井花火は葉月と似ているはずなのに、不思議と嫌な気持ちにはならない。

 まるで、自分の中で青井花火を葉月の代役にしてしまっているかのようだ。なんだかそれは凄く気持ち悪いことのような気がした。

 しばらくしてから、清涼達が戻って来た。

 そのまま、僕達は青井花火を連れて街の散策へと出かけた。
 街の散策は無事に終わった。

 僕達の通っている高校だったり、駅の場所だったり、近所のスーパーや昔遊んでいた公園なんかを一通り回ってから、僕達は別れた。

 青井花火は、その間中、ずっと楽しそうにしていた。高校に着いた時には「ここが皆さんの通ってる高校ですかー」と羨ましそうに校舎を見上げていた。スーパーに行く時には、お使いを頼まれた時に忘れないように、簡易的な地図を作っていた。公園に入った時には、その公園で遊んでいた小学生に混ざって遊具ではしゃいでいた。

 この街を散策している間に、青井花火のことが少しだけ分かった気がする。

 そんな僕と青井花火は今、家で姉さんの帰りを待ってる。

「羨ましいです。太陽くんには素敵な友達がいるじゃないですか」

 彼らとは友達なんかじゃないと言おうと思ったが、どうしても、言葉にすることができなかった。

「そうだよな。僕には少しもったいないくらいだよ。あいつらの気持ちに応えられないのに」

 軽く微笑みながら、皮肉めいたことしか言えない。

「そんなことないですよ。太陽くんは今日、しっかり彼らの気持ちに応えてあげたじゃないですか」

 青井花火が、身体を前にずいっと突き出して言う。

 そうだ。結局僕は彼らからのバンドの誘いを断らなかった。

 今まで徹底して関わり合いを断ち切ろうとしていたのに、青井花火に出会った途端これだ。

 参加の決め手としては、やはり清涼の言葉が大きかったし、何よりも青井花火がそれに大きな喜びを感じていそうだったからだ。

「でもな。まさか文化祭の出し物としてステージに出演することになるなんてな」

「はい。とても緊張しますね。でも私、一度もこういう経験したことがなかったんで、楽しみです」

 立夏と清涼はとても卑怯だったな。僕をバンドに誘ってから、文化祭の話をするなんてさ。

 僕の学校の文化祭は少し変わっていて、夏休みの最中に文化祭が行われる。

 文化祭のイベントの一つとして、有志で募ったバンド達によるフェスのようなものが行われる。それなりに規模の大きなフェスで、学校の軽音楽部はもちろん、他校だったり売れてないインディーズのバンドだったりを呼んだりするんだ。

 後は、ごく稀に僕達みたいに即席のバンドも出たりする。でも、大体他のバンドはガチだから、それなりに赤っ恥をかくこともありそうだ。

 でもそのフェスに目をつけた清涼と立夏が花火を入れて出演しようと言い出したんだ。

 なんだか青井花火も気合が入ってしまったようで、断れるような雰囲気ではなかった。

 それに、もしもそのフェスが成功したら、彼女の『喜び』の感情だって溜まるかもしれない。

 その後僕達はまたバンドの話もしたいから近いうちに集まろうという約束をして、今に至る。

 今では押入れの奥にしまってあるベースを思い出す。埃だらけの思い出と共に心の奥底に押し込んだベースだ。

 それでも、今はそれに立ち向かえるような気がする。

 とはいえ、学校であまり目立ちたくないのもまた事実だ。空気のような存在でいるのには変わりない。だから、当日は私服に覆面かなんかをかぶろうと思ってる。

 たったの一日でどれだけ変わっているんだって話だ。だからこそ、今まで立夏と清涼を避けていたというのに。もう、気を許してしまった。

 そんな風に考え込んでいると、ジリリリリと家に備え付けてある電話のベルが鳴った。

 座っている位置的に、青井花火の方が電話に近かったためか、彼女は自分が気を利かせて電話に出るべきかどうか悩んでいるようだった。あたふたと身体を動かしている。

「僕が出るよ」

 青井花火が我が家にいることを知っている人間なんてほとんどいないだろうし、余計な混乱を招くよりは僕が出た方がいい。

 受話器を取って耳に当てると、聞き慣れた声が聞こえてきた。

「もしもし。太陽くんのお宅でしょうか?」

 声の主は立夏だった。彼女が電話をかけてくるなんて珍しい。いったい何の用だろうか。

「あー立夏か。もしもし。僕だよ。太陽だけど、どうしたの?」

 僕が立夏と口にすると、近くで聞いていた青井花火が瞳を輝かせた。

「あのさ、バンドのこともあるし、花火ちゃんとももっと仲良くなりたいから、明日みんなで海に遊びに行きたいなぁーって思ってるんだけど、来れない?」

 海と聞いて昔みんなで遊んだことを思い出した。葉月の飛ばされた帽子を追いかけたり、海で水をかけあったりした記憶が、脳内を覆い尽くした。

「海……か……」

 立夏も、昔みたいにワイワイやりたいということだろう。彼女達だって、青井花火に葉月の面影を見ているはずだから。

 僕は少しだけ悩んだ。このまま海に行ってしまえば、僕はもう引き返せない。僕はもうかなり青井花火を好きになっている。立夏と清涼のことも、今まで距離を取っていた反発が跳ね返ってきたのか、今日の交流でかなり心を許してしまった。

 こんな性格だからこそ、僕は今まで徹底してきたというのに。

 そこで僕は視線をチラッと青井花火の方へと移した。

 彼女は僕のこぼした海という言葉に反応して「海? もしかして海に行くんですか!?」と、分かりやすく嬉しそうにはしゃいでいる。

「私、誰かと一緒に行動するの、今日が初めてでした。友達と一緒に海で遊んだり、線香花火をやったりするの、夢だったんです」

 彼女はゆったりと身体を揺らしながら、ふふっとだらしなく頬を緩めている。

 そうだ。僕は彼女の『喜び』を溜めなければならない。彼女を無事に他の医療が発展した世界に送り届けることができれば、彼女を病気から救えれば、失わなくて済むんだ。

 青井花火の喜びを満たすためにも、断るわけにはいかない。

 僕は自分に言い聞かせるように頷いてから、口を開いた。

「分かった。行くよ。何時に集まる?」

 僕がそう言うと、立夏は電話ごしでも分かるくらいに嬉しそうにしていた。

「わあ! ほんと!? やった! じゃあ明日の一時にいつもの場所ね、覚えてる?」

 いつもの場所とは、僕達が幼い頃集まっていた場所のことだ。

「もちろん覚えてるよ。分かった。明日は楽しみにしてるよ」

「うん!」

「じゃあまた」

 受話器を置いて、青井花火の方を向く。

「明日の一時からみんなで海に行くことになったよ」

 僕がそう言うと、青井花火は手を上げて喜んだ。

「やった。あの時、清涼くん達のお誘いを断らなくて良かったです」

 ここで言うお誘いとは、バンドのことではなく、散策について行ってもいいか? ということだろう。

「太陽くんの心が、少しでも開けばいいなって思ったんですよ。だから、バンドを組んでくれて、海に行くって言ってくれて、嬉しいです」

 青井花火の屈託のない笑顔を見て、僕の中の何かが満たされていくのを感じた。

 辞めて欲しい。そんな風に笑われては、本当に、彼女を失った時に立ち直れなくなってしまう。
 ガチャリという音と同時に、電話が切れた。

 打水立夏はスマートフォンを耳から離し、小さくガッツポーズをした。

「やった!」

 控えめに喜ぼうと思ったものの、身体の底から溢れ出る感情を抑えきれず彼女はベッドにダイブした。

「明日は太陽とお出かけだ」
 
 厳密にはお出かけではないが、そんな些細なことは立花にはどうでもよかった。ただ太陽と再び一緒に遊べる。その事実が、どうしようもないくらいの嬉しい。体の内側からふつふつと湧き上がってくる感情が、全身を心地よく叩いていた。

 興奮のあまり立夏はベッドの上でタオルケットを巻き込みながらグルグルと転がり回る。

 しばらくしてから彼女は動きを止め、枕元に置いてあったクマのぬいぐるみを抱き抱えてスマートフォンを操作した。SNSアプリを開き、友人に電話をかける。電話の相手はすぐに出た。

「あ、もしもし! 清涼?」

「お、随分と上機嫌じゃんか。もしかして、成功したのか?」

 聞き慣れた爽やかな声。清涼も、声のトーンが上がっている。きっと、喜んでくれているのだろう。

 立夏は再び口元を緩ませた。

「そうなんだよ! 明日来てくれるって! ちょっとびっくりしちゃったよ!」

「そりゃ良かったな! 長年想ってきた甲斐があったんじゃないか?」

「うん! そうなんだよ!」

 そう言われ、立夏は笑顔を弾けさせた。

 彼女は、小学生の頃から太陽に好意を寄せていた。思い返せば、自分はなんて単純な女なんだろうかと立夏は苦笑してしまう。それでも、好きになってしまったものは仕方ない。今でこそああなってしまったが、昔の彼が見せる優しさに、彼女は惹かれていた。

 太陽に避けられるようになってから、今度は自分が太陽に優しくするべきなんだと、そう思うようになった。

 本来の人懐っこい彼に、自分が大好きだった彼に戻ってもらうためにも。

「ここまで頑張ってこれたのも、清涼のおかげだよ! ありがとう!」

「……」

 立花の言葉に、清涼は一瞬だけ言葉に詰まった。だが、そんな清涼の些細な変化に、立花は気が付かなかった。恐らく、いつもなら気付くことができた変化なのだろう。だが、今はあまりにも嬉しくて周りが見えていなかった。

「明日楽しみにしてるから!」

 清涼の気持ちに気が付かず、立花は元気よく叫んだ。

「俺も楽しみにしてるよ。じゃあな!」

「うん! じゃあね!」

 そう言って、立花は電話を切った。

 電話が終わった後、彼女は持っていたスマートフォンを放り投げ、抱き抱えていたぬいぐるみをじっと見つめてから、もう一度、強く抱きしめた。
 立夏との電話が終わり、長月清涼は微かなため息をついた。

「いったい俺はいつまで頑張ればいいんだよ」

 小さく呟くとスマートフォンを持っていた手がだらんと下がる。

 立花が喜んでいたから、電話している間だけでも明るく取り繕うとした。最初はうまくいっていた自信がある。でも、話している間にどうしても苦しくなってしまった。

 脱力した清涼はそのままベッドに倒れこんだ。

 立夏が太陽のことを想っているのは、随分前から知っている。

 立夏の幸せを願っているのは当然なのだが、その願いとは裏腹に、彼の胸の奥には棘が深く深く突き刺さっていた。

 自分の中にひどい矛盾が生じているのが、痛いくらいに分かる。

「俺だって頑張ってんだよなあ。少しくらい俺の方に振り向いてくれたっていいんじゃねえのか?」

 言っていて、なんて自分勝手なことを思っているんだろうと呆れてしまった。

 馬鹿みたいだ。

 どす黒い影が自分を覆い尽くしているような気分だった。

 清涼は立夏のことが好きだった。どうしようもないくらい、彼女のことが好きで好きで仕方なかった。内気だった清涼を引っ張り出してくれたからだ。だから、少しでも振り向いてもらえるように、少しでも彼女の視界に入れるように、努力してきた。彼女に好かれようと運動も得意になって、勉強も頑張ってきた。それなのに、彼女は太陽しか見ていない。

「どうして太陽なんだろうな」

 呟いて、清涼はハッとした。そんなことを考えてはいけないと自分に言い聞かせる。

 清涼が太陽を大事に思う気持ちも、本物だからだ。

 葉月を亡くして以降、彼は全力で今ある物を、今いる人を、大切にしていこうと決心した。

 そう思っているからこそ、立夏を想う気持ちと太陽と昔のように戻りたいという気持ちの間に、清涼は挟まれて、苦しんでいる。

 握りしめていたスマートフォンをぼんやりと眺めていると、脳内に立夏の顔が浮かんでくる。

 だが、彼女を思っていると苦しくなるのも事実だ。だから、無理やり頭を振って立花を脳内から振り払った。

 そして、逃げるようにゆっくりと瞳を閉じた。瞼の裏に星空を思い浮かべる。
 立夏との電話が終わった後、僕達は特に喋ることもなく、姉さんの帰りを待っていた。

 朝ほどの気まずさは無くなったのだが、親密度が深まった分この沈黙が逆に気まずい。

 その気まずさは青井花火も感じているようで、さっきからソワソワと身体を動かしたり、頬をぽりぽりとかいたりしている。

 その沈黙に耐えかねた僕は、彼女に質問してみることにした。

「あの、答えられたらでいいんだけどさ、平行世界に行くっていうその腕時計、なんか他の機能があったりしないの?」

 質問を投げかけてから気がついた。

 朝はあんなに仲良くなりたくなかったのに、今では沈黙に気まずさを感じるようになるなんて思ってもみなかった。僕の心の中の空っぽはどうやら、彼女によって満たされ始めているようだ。

 青井花火は質問を受けてから一瞬だけ考える素振りを見せる。

「太陽くんにだったら話しても大丈夫でしょう」

 彼女は人指し指を立てて話し始めた。

「実は私の世界にあるテクノロジーには、平行世界に行く以外の技術もあるんです。それが、時間遡行です」

 時間遡行と聞いて、僕の中の何かが反応した。

 時間遡行――いわゆるところ、タイムトラベルというやつだ。

 もしかして、それを使えば葉月を救えるのかもしれない。タイムスリップすれば、葉月の事故を未然に防げる可能性はある。

 そこまで考えて、その可能性を振り払った。恐らく、それをするには青井花火のエネルギーを使わなければいけないのだろう。彼女には時間がない。そんなことをするわけにはいかない。

「まあでも、これにも難しい点があるんですよ。使用者の世界では時間遡行ができないんです。例えば私が住んでいた世界をXの世界とします。そして、私はXの世界では時間遡行ができない。私が時間遡行できるのは私にとっての平行世界であるAの世界だったりBの世界だったりってことになるんです。だから、私は私の世界で時間遡行をして過去の私に病気にならないよう干渉できないんですよね」

 過去に戻ったところで私の病気は防ぎようがないんですよね、と彼女は自嘲気味に笑った。

 彼女の説明を聞いて、僕の中に芽生えた微かな思いは完全に萎んでしまった。まあでも、それで良かった。完全に無理だと言われた方が、諦めがつく。

「そっか……。じゃあつまりは、僕は君の過去の世界にはいけるけど、僕の過去の世界には行けないってことだね」

「そうなりますね」

 そんな会話をしていた矢先のことだ。

「ただいまー! 若者達よ、ちゃんと青春してきたか?」

 玄関の扉が勢いよく開いて、いつもより数倍元気な姉さんが帰ってきた。
 そのあと僕達は夕飯を食べ、今日あった出来事を姉さんに報告した。

 姉さんはそれを聞いてとても喜んでいたし、青井花火の喜びのゲージも二つ目のタンクが溜まって、三つ目のタンクに突入していた。

 夕飯のあと僕達はそれぞれシャワーを浴びて、寝室へと戻っていった。

 青井花火が夕食のあと、何種類もの薬を飲んでいるのを見て、彼女が本当に病気にかかっているということを、再認識させられた。

 明日に備えて早く寝ようと布団に入ったものの、色々と考えてしまい、中々寝付けない。

 気分を変えるために僕は一階へと下りた。

 居間に入ろうと戸を開けると、風に乗ってヤニの匂いが流れてくる。

「姉さん。何回も言ってるけど、窓を開けたまま煙草を吸ったんじゃ意味ないよ。煙が全部部屋に流れてきてる。ほら、それに上で病人が寝てるじゃないか」

 言いながら、僕は冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを取り出し、コップへと注ぐ。

「悪いな。たしかに病人がいるんじゃよくないよな」

 ベランダで煙草を吸っていた姉さんが振り返って言う。姉さんは相変わらずの下着姿で口から煙を吐き出した。

 煙草を灰皿に押しつけた後、空き缶の中へ捨て、部屋へと戻ってくる。

「無事に仲良くなれたようでよかったよ」

 姉さんは椅子を引いて座り、僕に水を一杯頼んだ。

 僕はミネラルウオーターをもう一杯分注いでから姉さんの前に座る。

「さて、今日の感想はどうだった? 悪くなかっただろ」

 姉さんは机に両肘をついており、その上に顎を乗せている。

「はっきり言ってとても楽しかったよ」

「うんうん。そう思ってくれてよかったよ」

 僕の言葉を聞いて、姉さんは何度も頷いて笑顔を見せてくれた。

「でも、青井花火は病気なんだよな。姉さん……僕は怖いんだ。このまま彼女を亡くしてしまったらどうしようって」

 ポツリと、本音が溢れてしまった。胸の奥に溜まっていたわだかまりのようなものが溢れてくる。

「僕は……僕は怖いんだ。また……またあんな風に大切な人が消えていったらどうしようって……そう思うと怖くて怖くて仕方ないんだ」

 目頭が熱くなる。自然と、拳を握る手に力がこもってしまう。堰を切ったように涙が止まらなくなってしまった。

 僕は慌てて目元をつまみ、涙を無理やり止める。でも、涙は止まってくれなかった。

 おかしい。こんなこと言うつもりなんて全くなかったのに。

「立夏と清涼にだって気を許してしまった。彼らだって、いついなくなるか分からないのに。葉月みたいに、急にいなくなっちゃうかもしれないんだ……」

 姉さんは僕の言葉を静かに聞いてくれていた。そして、僕が落ち着くのを待ってから口を開く。

「お前の不安は簡単に分かるって言っちゃいけないものだよ。でもな、これだけは絶対に言えるぞ」

 姉さんは一度ミネラルウォーターに口をつけてから続けた。

「今のままのお前でいることを葉月ちゃんは望んでない」

 姉さんは僕の眼をじっと見つめている。僕は頷いた。僕だって本当は分かっていたんだ。このままじゃいけないってことくらい。でも、怖かった。怖くて怖くて仕方なかったんだ。もう一度あの輝かしい日々を失いたくなかった。またああやって、傷ついて打ちのめされるのが嫌だった。

「私は言ったろ。これがきっかけになってくれればいいって。花火ちゃんはお前が閉じこもってた暗い部屋を開けてくれたんだよ」

 姉さんの声に、より一層力が込められる。

「後はお前がその部屋を出るかそのまま閉じこもるかのどちらかだ。でも、私はお前にはやるべきことがあると思ってる」

 そこで姉さんは一拍開けて続けた。

「太陽。それはなんだと思う?」

 姉さんは首を傾け瞳を細めて僕を見ていた。

 僕がやるべきこと。それは――それは――

「彼女を、救うことだと思う」

 姉さんはにこりと微笑んで僕を見ている。慈悲深い、落ち着いた眼差しだった。

「うん。それが太陽の出した本当の答えだったら、そうするべきだ」

 姉さんはそう言ってからまたミネラルウォーターを一口だけ飲んだ。

「良し。じゃあ、今日の話をもう一度詳しく教えてよ」

 姉さんの最後の笑みはとても無邪気なものだった。
「それじゃあ行ってらっしゃい! 楽しんでくるんだよ!」

 翌日、姉さんは玄関まで僕達を見送りに来てくれた。時刻は十二時半を過ぎようとしている。立夏や清涼達と海に遊びに行くところだ。昨日姉さんと話したように、僕は青井花火を助けるんだ。もう、失わないために、後悔しないために。

「じゃあ行ってくるよ。ほら、えっと……花火、行こう」

 僕は彼女の名前を呼んで手を差し出した。ちょっと照れくさくて、頬をかいてしまう。

「あ、ありがとう……ございます……」

 花火は一瞬だけ眼を見開いたが、すぐに僕の手を握ってくれた。

「気をつけて行っておいで!」

 そんな僕達の様子を姉さんは微笑ましそうに見ている。

 僕は空いている片方の手で姉さんに合図を出してから家を出た。

「うわあ。酷い暑さだね」

 外に出ると、むわっというまとわりつくような熱気と、鋭い日差しに襲われた。

 花火は姉さんに借りた麦わら帽子のポジションが定まらないのか、何回もかぶり直していた。

 だが、かぶり直していたかと思うと、今度は急に帽子を顔の前に持っていって顔を隠してしまう。

「どうしたの?」

 僕が聞いても彼女はかぶりを振るだけで何も言ってくれない。

 まさか、と思う。

 嫌な予感が、背筋を這い上がってきた。

 僕は彼女と初めて会った時のことを思い出した。あの時、彼女は病気の発作に襲われていた。あの時の苦しんでいる花火の様子が、脳内を埋め尽くす。

 もしかしたら、今もそれで苦しんでいるのかもしれない。ちらりと、脳裏にあの日の葉月の姿が浮かんでしまった。

 もう、誰も失いたくない。

「どうした!? どこか痛いのか!? 苦しいのか!?」

 気がついた時には花火の肩を掴んでいた。凄い剣幕になっていたかもしれない。でも、そんなの気にしていられなかった。

「ひゃっ! べ、別にどこか痛いとかそういうわけじゃないんです」

 肩を掴まれた彼女は驚いてビクッと肩を弾ませた。そして、一歩二歩と後ずさると、右手をじっと見つめた。

 良かった。でも、どうしたのだろうか。辛くないなら、なんで顔を隠したのだろう。

 僕が胸を撫で下ろすと同時に、花火は口を開いた。

「ごめんなさい。私、ぼんやりとしか覚えてないんですけど、知っているんです。こんな風に、誰かに名前を呼んでもらったり、手を握ってもらったりしたっていう経験を、あまりしていなくて……だから、その……つい、嬉しくなっちゃいました」

 そう言うと、彼女はふふっと笑みをこぼした。

「だからその、ニヤニヤと頬が緩んでいるところを見られたくなくて……」

 どうやらそれが原因で、彼女は顔を隠したのだという。なんというか、凄く可愛らしい理由だった。勘違いしてしまったのが、恥ずかしいくらいだ。

「あの日来てくれたのが太陽くんで、太陽くんが助けてくれて、太陽くんに会えて、とっても良かったです」

 この時始めて、花火と葉月が重なって見えなくなった。いや、正確に言えば重ねて見るのを辞めてしまった。一人の女の子として、僕は花火を見ていたんだ。

 そして、本当に失いたくないと思った。それと同時に、気づいてしまう。

 彼女のゲージが溜まったとしても、彼女はこの世界から消えてしまうと。そして、行ってしまったら最後、この世界には戻っては来られない。

 今までは助けられれば良いと思っていた。そうすれば、過去を乗り越えられると思っていたんだ。だけど、こんな気持ちになってしまうなんて。こうなってしまったら、助けるだけじゃだめだ……。これから先も一緒に生きていきたいと、一緒にいたいと思ってしまう。そんな、叶わないことを夢見るようになってしまった。

 どんな結果になろうとも、僕の負けが決まっている。こんな負け試合に、挑むだけ馬鹿らしいかもしれない。

 でも、それでも、こんな風に誰かに必要とされて、感謝されるというのは、悪い気はしなかった。花火は、僕にそれを教えてくれた。

 だから、どうせ離れ離れになってしまうなら、少なくとも彼女の命だけは救いたいと思った。それくらいしか、僕は彼女に残すことができない。

「こちらこそありがとうだよ。僕も会えて良かった。僕で良ければ、これから何度でも呼んであげるさ」

 胸の奥に新たに生まれたもう一つの暗闇を抑えて、僕はもう一度彼女に手を差し出した。

「はい! よろしくお願いします」
 しばらく歩くと、約束の場所が見えてきた。今はもう廃業してしまった海の家の前だ。そこにはもうすでに立夏と清涼が待っていた。彼らは僕達に気づくと手を振ってくる。

「おーい太陽! 花火ちゃん! こっちこっち!」

 立夏はピョンピョン飛び跳ねながら、両手を大きく振っていた。

「ごめん。待たせたね」

「全然大丈夫だよ。俺らも今来たところだからな。それじゃあ行こっか!」

 清涼が僕の手を引いて行く。

 彼らは沢山の遊び道具を持って来ていた。ビーチボールやビーチフラッグス用のフラッグ。スイカ割り用の棒とスイカだったりと、充分に準備してくれていたらしい。

「まあ私達から誘ったから当然っちゃ当然よね」

 そのことについて感謝を伝えると立夏は胸を張って答えていた。

 それから僕達は遊ぶことになった。

「おし、いくぞ!」

 ビーチバレーでは僕と立夏が同じチームになって、清涼と花火が相手チームだった。

 僕は中々清涼の球が取れず、随分と立夏に助けてもらった。花火も花火で立夏の球が取れずに、清涼に迷惑をかけていた。なんだかんだでチームバランスは悪くないものだと思う。

 結果は僅差で僕達のチームが勝った。

「やったよ! 勝てた!! ありがとう太陽!」

 立夏は僕の前で、きゃんきゃんと子犬のようにはしゃいでいた。

「太陽! やったね!!!」

 彼女は僕の方に手を向けて、飛び跳ねながらハイタッチを求めてきた。

「やったな。立夏のおかげだよ。ありがとう!」

 僕もそれに応じて、柄にもなくハイタッチをした。

「いいなあ、お前ら」

 よっぽど勝ちたかったのか。そんな僕達の様子を、清涼が羨ましそうに見ていた。

 次にやったのはビーチフラッグスだ。

 僕と対戦したのは清涼で、花火とは立夏が戦った。

 花火は肌の露出を避けるために丈の長い服を着ていたために大丈夫だったが、立夏はタンクトップにデニムのショートパンツという格好だった。そのため、フラッグを取ろうと飛び込んだところで、下着が見えるか見えないかの際どいラインまでズボンがずれてしまった。

 僕と清涼はお互いに声を漏らし、顔を見合わせた。

 僕達のそんなやりとりを見てていたのか、花火が近づいて来て声を荒らげた。

「今この人たち変な想像してましたよ!」

 僕と清涼が同時に肩をビクッと震わせる。

 見事にフラッグを先に取り、付着した砂を振り払っていた立夏が「なんだって!」と僕達の方を向いた。 

「やっぱり太陽くんはそういうの好きだったんじゃないですか。私のを見た時もそういういやらしい目で見ていたってことですね……」

 胸元を隠しながら叫ぶ花火を見て、どんどん僕の顔が青ざめていくのが分かった。

 きっと初めて透過病を見た時のことを言っているんだろう。

「え、お前らまさか」

 横では清涼が口を開いて驚いていた。

「はあ!? ちょっとそれどういうことなの? 太陽! 私の可愛い花火ちゃんに何したんだよ! 詳しくきかせて!!」

 僕の前では今にもフラッグを折りそうになって顔を赤くして怒っている立夏の姿があった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! それは違うんだって! 誤解なんだよ!」

 そのまま僕達はとても楽しい時間を過ごした。

 清涼はスイカ割りで何度も何度も空ぶって砂浜を殴りつけていた。水上騎馬戦では僕が無理言って花火と同じチームにしてもらった。だから、運動神経が良い者同士の立花清涼チームには手も足も出ずに大敗してしまった。

 でも、仕方ない。花火の身体は透明に侵食されていて、水に濡れてしまえばそのことが清涼や立夏にバレてしまうからだ。その事情を知らない清涼が彼女を肩車すれば、謝って海の中に落としてしまうリスクがある。

 それだけは避けたかった。だから、僕が細心の注意を払って彼女を肩車する必要があった。ただでさえ運動神経が鈍いのに、それに加えて花火が水に濡れないよう注意しなければならない。

 彼女を肩に乗せた時、彼女の柔らかな太腿に挟まれた。それと同時に、彼女の暖かさが伝わって来た。トクントクンと波打つ命の鼓動に、彼女の生を感じる。この命を絶対に消したくないと心の底から思った。

 本当に、本当に楽しい時間だったと思う。

 今まで逃げて来た分を取り返すかのように、僕は遊んだ。

 それから瞬く間に時間が過ぎ去って行き、すっかり陽が落ちてしまった。

 僕達は四人で小さな円になって手持ち花火を始めた。

 真っ暗な海岸線にポツリと灯火がともる。

 花火はシューっという音を立てながら白い煙を吐き出した。パチパチと赤黄色緑などの様々な彩りの炎が燃えている。

「これが花火ですか。私と同じ名前なのに、綺麗でとても眩しいんですね」

 膝を抱えながら、花火がポツリと呟いた。彼女は瞳を細めながら、自分と同じ名をした美しい炎を見つめていた。彼女の瞳の中に、赤い炎が映る。

「花火ちゃん。これは手持ち花火って言ってね。これの他に、打ち上げ花火ってのがあるんだよ」

 清涼が花火を見ながら呟いた。

「打ち上げ花火はこんなもんじゃないんだよ! もっともっと綺麗なんだ」

 立花も、彼に続けて言う。

「夏休みに入って少ししたら夏祭りがあるんだ。そこでこれの比じゃないくらい大きな打ち上げ花火が打ち上がるんだ」

「もうこーーっんなに大きな花火なんだよ」

 立夏が両手をいっぱいに広げ大きさを表す。

「それはもう、花火ちゃんみたいに綺麗で眩しい打ち上げ花火なんだよ」

 立夏の言葉を聞いて花火は一瞬だけ前を向いた。だが、すぐに顔を下げてしまう。

「ありがとうございます。お世辞であってもそう言ってもらえると嬉しいです」

 パチパチと音を立てる炎に眼を向けたまま、花火は乾いた笑みを浮かべた。

「全然お世辞なんかじゃないんだよ」

 立夏がキャーキャー言いながら、両手を振って花火に彼女自身の魅力を力説していた。

 僕はここで言わなきゃいけないと思った。そう思った時にはもう、口が開いていた。

「僕も本当にそう思うよ。な、清涼もそう思うだろ?」

 一人で言うのは恥ずかしかったので、清涼も巻き込んでしまった。照れ臭くて、視線を海へと向けてしまう。

 その時、清涼の様子が少しだけおかしかった。彼は物憂げな顔で、立夏の方を見ていた。

「ん? あ……ああ! 俺もそう思うよ。自信持ちな!」

 僕達が言ってもしばらくは「そんなことないですよ」とか「お世辞はよしてください」とか言っていたが、しばらくしたら「錯覚かもしれませんが、自信がついてきちゃったかもしれないです……」と膝に頬を埋めながら呟いていた。

 なんだかそんな彼女を見ていると頬が緩くなってしまうな。

 僕の表情の変化に気がついたのか、花火は口を開けてあわあわと震えだした。

 暗くてよく分からないが、きっと顔が真っ赤に染まり上がっているんだろうなと簡単に予想できる。

「じょ、冗談です! チョロい奴だと思わないでください」

 恥ずかしさの頂点に達したのか、花火が僕のことをぽかぽかと叩き始めた。

 そのような感じで、僕はこの海遊びをとても楽しむことができた。

 僕達はその後少しだけライブについて話し合った後に解散することになった。

 みんなが楽しんでくれていたら嬉しいな、なんて昨日までは考えもしなかったようなことを思っている自分に驚く。

 帰り際に立夏が少しだけ暗い顔をしていたように見えたが、何かの間違いだと思う。

 今日遊んで確信した。

 僕は、完全に彼らのことが好きになってしまった。

 それはつまり、もう戻れないところまで来てしまったということだ。

 僕はもう、後に引くことができない。ここからもう、引き返すことができない。

 彼らを失いたくない。この幸せを空っぽにしたくない。だから、僕は絶対に花火を救いたいと思う。