──双方で婚姻の意向の確認が取れると、ツクミが婚礼までの流れを説明した。
あやかしと人間の婚礼は、各々の一族のしきたりに則って進められるものだ。鵺の場合は、婚礼の日を待たずに、ひと月後には紗代は荘宕家に住まいを移すことになるという。
「鵺は新月の夜に、お相手を迎えに行くのが習わしです。お迎えにあがってから婚礼の日までは、紗代様には荘宕家本宅の離れにお住まいになっていただきます。そこで、鵺の生活に慣れていただきます」
(同じあやかしでも、初子の婚約者の鬼の一族とは、ずいぶん違う)
鬼の一族は婚約期間が長く、人間の花嫁には三年間の花嫁修業が課される。初子も学校であやかしの歴史や文化についてを学んでおり、それも花嫁修業の一環として数えられるが、あと二年の期間が残っている。初子が鬼牙に嫁ぐのは、卒業後の予定だった。
(わたしのほうが先に、この家を出ることになるなんて……)
思いもよらなかったことが立て続けに起こって、まだ現実のことだと実感できない。
「失礼いたします。荘宕家の荷車がご到着ですが……」
「荷車?」
「はい……」
客間の障子越しに伝える使用人の戸惑いが伝わってくる。
「突然のことでご迷惑かとは存じますが、紗代様は荘宕家の大切な花嫁ですので、心ばかりですが玄夜様から贈らせていただきたい品をお持ちしております。どうぞ、紗代様にお納めいただけましたら。よろしければ、荷運び人に紗代様のお部屋まで運ばせますが」
「それはそれは。ありがたく頂戴することにいたしましょう。せっかくですから、拝見いたしましょうかな。そのほうが紗代の喜んだ顔もお見せできましょう」
父がツクミの提案をやんわりと断ったのは、紗代の部屋が他人に見せられないからだ。
紗代の部屋は、昔物置として使われていた三畳に満たない板の間で、家具もぼろぼろの行李に傾いた文机と、薄い布団があるだけ。
父は「大事な娘」と言った手前、そんな暮らしを強いてきたことは隠す必要がある。
揃って客間を出ると、荷車から降ろされた荷物が、廊下に所狭しと並べられていた。
こっくりした色味の桑の鏡台に、蒔絵の化粧道具一式。長持の金具は草花を象り、細部まで意匠を凝らした一級品。それが四つも並べられ、ほかにも裁縫箱や盥類などが次々と運び入れられている。
「こ、これは……」
これは、嫁入り道具だ。
普通は嫁側で用意して嫁ぐ家に持参するもので、相手から贈られるようなものではない。
それも、並みの嫁入り道具ではない。
これだけのものを運んできたのだから、さぞ人目を引いたのだろう。加地木家の門前には近隣の人たちが集まり、ちょっとした人だかりができているほどだった。
「悪いが、新しいものを用意する時間がなく、母の形見の花嫁道具を持ってきた。しばらく母の古で許してくれ」
「お母さまの……? そんな大切なものをいただくわけには……」
「使ってくれ。母も喜んでくれたはずだ──あなたが嫌でなければ、だが」
「嫌だなんて……わたしには、もったいなくて……」
嫁入り道具は、母親から娘に受け継がれるものだ。もちろん背景にはすべての新調が難しいという経済的事情もあるが、紗代だって、ほんの幼い頃には、母親の鏡台や着物はいずれ自分のものになるのだと憧れを抱いた。
荘宕家には娘がおらず譲り先がなかったのかもしれないが、たとえ息子で嫁入り道具を必要としなかったとしても、玄夜にとっても大切なもののはずだった。
恐縮する紗代に、玄夜は優しく声をかける。
「あなたが快適に暮らせるようにしたい。長持に詰めた布団は新しいものだ。着物はツクミが選んだ。あなたには少し仕立てが大きいかもしれないが、しばらく辛抱してくれ」
「こちらの長持には、玄夜様がお選びになった着物が入っております。紗代様にきっとお似合いだとおっしゃって」
「おい……」
ツクミの捕捉に玄夜がたじろぐが、否定もしなかった。
(こんなにしていただいて……どうしたら……)
無能者の自分には、釣り合わない。
どうするべきかと父を窺うと、父は今にも舌なめずりしそうな顔で、並んだ道具を見分していた。
「こちらは、荘宕家の大奥様の形見でございます。どれも大奥様が大切にされていた品ばかり。玄夜様が紗代様にお使いいただくようにと、はるばる運んでまいりました」
「それは……コホン。さすが、どれも素晴らしい品ばかりですな。しかし紗代は……初子と同じ部屋を使っておりまして。そうだ、このお品は、東の部屋に運んでもらおう。私の物は書斎へ運びなさい。紗代は今日から、東の部屋で寝起きするといい。──そこのお前、ご案内しなさい」
「はい、旦那様。こちらへどうぞ」
使用人の誘導で、荷物がどんどん東の部屋へと運び込まれていく。そこは父が趣味の蔵書を保管していた部屋で、じゅうぶんな広さがある。
荷運びを見守りながら、玄夜は静かに紗代の隣に立った。
「本当なら、今すぐにでも荘宕に連れて帰りたいのだが……。どうか、ひと月、あなたはそのままでいてくれ」
「え……? それは、どういう……」
どういう意味なのか、玄夜は答えのかわりに微笑みを残して帰っていった。
◆ ◇ ◆
あやかしと人間の婚礼は、各々の一族のしきたりに則って進められるものだ。鵺の場合は、婚礼の日を待たずに、ひと月後には紗代は荘宕家に住まいを移すことになるという。
「鵺は新月の夜に、お相手を迎えに行くのが習わしです。お迎えにあがってから婚礼の日までは、紗代様には荘宕家本宅の離れにお住まいになっていただきます。そこで、鵺の生活に慣れていただきます」
(同じあやかしでも、初子の婚約者の鬼の一族とは、ずいぶん違う)
鬼の一族は婚約期間が長く、人間の花嫁には三年間の花嫁修業が課される。初子も学校であやかしの歴史や文化についてを学んでおり、それも花嫁修業の一環として数えられるが、あと二年の期間が残っている。初子が鬼牙に嫁ぐのは、卒業後の予定だった。
(わたしのほうが先に、この家を出ることになるなんて……)
思いもよらなかったことが立て続けに起こって、まだ現実のことだと実感できない。
「失礼いたします。荘宕家の荷車がご到着ですが……」
「荷車?」
「はい……」
客間の障子越しに伝える使用人の戸惑いが伝わってくる。
「突然のことでご迷惑かとは存じますが、紗代様は荘宕家の大切な花嫁ですので、心ばかりですが玄夜様から贈らせていただきたい品をお持ちしております。どうぞ、紗代様にお納めいただけましたら。よろしければ、荷運び人に紗代様のお部屋まで運ばせますが」
「それはそれは。ありがたく頂戴することにいたしましょう。せっかくですから、拝見いたしましょうかな。そのほうが紗代の喜んだ顔もお見せできましょう」
父がツクミの提案をやんわりと断ったのは、紗代の部屋が他人に見せられないからだ。
紗代の部屋は、昔物置として使われていた三畳に満たない板の間で、家具もぼろぼろの行李に傾いた文机と、薄い布団があるだけ。
父は「大事な娘」と言った手前、そんな暮らしを強いてきたことは隠す必要がある。
揃って客間を出ると、荷車から降ろされた荷物が、廊下に所狭しと並べられていた。
こっくりした色味の桑の鏡台に、蒔絵の化粧道具一式。長持の金具は草花を象り、細部まで意匠を凝らした一級品。それが四つも並べられ、ほかにも裁縫箱や盥類などが次々と運び入れられている。
「こ、これは……」
これは、嫁入り道具だ。
普通は嫁側で用意して嫁ぐ家に持参するもので、相手から贈られるようなものではない。
それも、並みの嫁入り道具ではない。
これだけのものを運んできたのだから、さぞ人目を引いたのだろう。加地木家の門前には近隣の人たちが集まり、ちょっとした人だかりができているほどだった。
「悪いが、新しいものを用意する時間がなく、母の形見の花嫁道具を持ってきた。しばらく母の古で許してくれ」
「お母さまの……? そんな大切なものをいただくわけには……」
「使ってくれ。母も喜んでくれたはずだ──あなたが嫌でなければ、だが」
「嫌だなんて……わたしには、もったいなくて……」
嫁入り道具は、母親から娘に受け継がれるものだ。もちろん背景にはすべての新調が難しいという経済的事情もあるが、紗代だって、ほんの幼い頃には、母親の鏡台や着物はいずれ自分のものになるのだと憧れを抱いた。
荘宕家には娘がおらず譲り先がなかったのかもしれないが、たとえ息子で嫁入り道具を必要としなかったとしても、玄夜にとっても大切なもののはずだった。
恐縮する紗代に、玄夜は優しく声をかける。
「あなたが快適に暮らせるようにしたい。長持に詰めた布団は新しいものだ。着物はツクミが選んだ。あなたには少し仕立てが大きいかもしれないが、しばらく辛抱してくれ」
「こちらの長持には、玄夜様がお選びになった着物が入っております。紗代様にきっとお似合いだとおっしゃって」
「おい……」
ツクミの捕捉に玄夜がたじろぐが、否定もしなかった。
(こんなにしていただいて……どうしたら……)
無能者の自分には、釣り合わない。
どうするべきかと父を窺うと、父は今にも舌なめずりしそうな顔で、並んだ道具を見分していた。
「こちらは、荘宕家の大奥様の形見でございます。どれも大奥様が大切にされていた品ばかり。玄夜様が紗代様にお使いいただくようにと、はるばる運んでまいりました」
「それは……コホン。さすが、どれも素晴らしい品ばかりですな。しかし紗代は……初子と同じ部屋を使っておりまして。そうだ、このお品は、東の部屋に運んでもらおう。私の物は書斎へ運びなさい。紗代は今日から、東の部屋で寝起きするといい。──そこのお前、ご案内しなさい」
「はい、旦那様。こちらへどうぞ」
使用人の誘導で、荷物がどんどん東の部屋へと運び込まれていく。そこは父が趣味の蔵書を保管していた部屋で、じゅうぶんな広さがある。
荷運びを見守りながら、玄夜は静かに紗代の隣に立った。
「本当なら、今すぐにでも荘宕に連れて帰りたいのだが……。どうか、ひと月、あなたはそのままでいてくれ」
「え……? それは、どういう……」
どういう意味なのか、玄夜は答えのかわりに微笑みを残して帰っていった。
◆ ◇ ◆