突然の求婚宣言に面食らってしまった紗代に代わって、ツクミが使用人に声をかけ、父に取り次がれて、彼らは客間に通された。

 しかし、用意されたお茶はツクミと父と紗代の三人分だけで、なぜか玄夜の前にはお茶が出されなかった。紗代は慌てて自分の分を彼の前にそっと差し出す。

「ありがとう」

 気を悪くした様子もなく、玄夜が優しい声でそう言うので紗代はほっとした。

 妖の怪学校で鬼牙と一緒にいたのだ。彼もあやかしの一族で、鬼牙の友人なのだろう。加地木の粗相は、「そういう家で育った娘」として初子の恥になってしまう。万が一にも、初子の縁談に影響があってはならない。

「荘宕家は、(ぬえ)というあやかしの一族です。玄夜様はこの春に荘宕家の当主になられました。此度は御息女の紗代様を、ぜひに荘宕家にもらい受けたくお願いに参りました」
「ほう、鵺の本家の……。しかし、紗代とはどこでお会いになられたのでしょう。この娘は、ほとんど家から出ておりませんが」

「昨日、妖の怪で会った」
「──先日、初子様の通われている妖の怪学校でお見掛けしたのです」

 不思議なことに、父に話すのはツクミばかりで、玄夜が言ったことまでツクミはわざわざ復唱する。

(どうして? みんなには、姿も見えず、声も届かないというの……?)

 そう考えると、彼が紗代に尋ねたことも、お茶が出ないことも、初子が彼を頭数に入れなかったことにも合点がいくが、そんなことがあり得るのだろうか。

「不思議だろうが、これも鵺の力の一部だ」

 よほど困惑をあらわにしてしまっていたのか、玄夜が気を利かせて紗代に説明してくれる。

「俺の声は、あなたの御父君には届いていないし、この姿も見えてはいない。面を外せばここにいることは伝わるが……。この姿を認識できる者は、ほとんどいない」

 にわかには信じがたいけれど、それが事実なのだろう。
 だとすると、どうして紗代には彼の姿が見え、声が聞こえるのか。

「あなたが特別なんだ」

(特別……)

 そんなふうに言われたことは、これまでの人生で一度もなかった。
 さんざん無能者として扱われてきた自分に特別な力があるとは思えない。
 けれど、もし。自分にも特別なものがあったのなら、それがどんなに些細なものだったとしても、少し嬉しい。

「玄夜様はその体質ゆえ、伴侶としてお迎えできる方は限られております。紗代様さえよろしければ、ぜひに荘宕家にお迎えしたく」
「なるほど……」

 父がチラリと紗代を窺う。
 あやかしの一族からの縁談を断る家など、ありはしない。

 それも、ただでさえ嫁ぎ先のあてもない紗代のような無能者を欲しいと言ってくれるのだ。父とて、すでに紗代を嫁がせるつもりでいるはずだ。だからこの一瞥は、お前はどうだ、と問う意図ではない。いかに好条件を引き出そうかと、値踏みしているのだろう。

「恥を忍んで申し上げますが……初子と違って、紗代には能力がありません。ですから、あやかしや能力についての理解や知識もなく、社交教養も必要ないと教育していないのです。そのぶん家事は叩き込みましたが……当主の奥方が務まるかどうか。ご迷惑をおかけするやもしれません」
「まったく問題ない」

 即答だった。
 あまりにも即時に答えが出されたため、紗代のほうが心配になるほどに。

「能力など必要ない。あなたに、嫁にきてほしい」

 お面の向こうから強い視線で射抜かれて、紗代はどうしていいかわからなくなる。

(どうして、そんなに……)

「鵺の一族にとっては、能力の有無は問題ではありません。鵺の本来の姿が見える方は、今となっては、あやかしでも多くはありません。紗代様はまさしく、特別な御方。そのため玄夜様は、どうしても紗代様に、と」

 鵺の事情は、少しずつわかってきた。
 確かに、夫となる相手の姿が見えない、声が聞こえないでは、夫婦になるのは難しいだろう。
 紗代は偶然、鵺の一族が求める花嫁の条件を満たしていたわけだ。

「さようですか。いやはや、光栄なことで……ですが紗代には、ゆくゆく我ら夫婦の面倒を見てもらうつもりでいたもので……それに、大事な娘がいなくなるのは寂しいものです」

 玄夜がうなずくと、ツクミが上質な和紙を取り出し、父のほうへと静かに滑らせる。

 受け取った和紙を広げた父は、内容を一読するとこぼれんばかりに目を瞠り、これまでの思わせぶりな態度を一転させて相好を崩した。
 内容を知らされるまでもなく、よほどの好条件を提示されたのだとわかる態度だ。

「これは参りましたな。これほどまでに娘を願ってくださるなど、紗代は果報者だ。ふつつかな娘ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「あなたは、どうだろうか」

 玄夜はわざわざ、決定権のない紗代にも尋ねてくれる。

(お優しい方なのね……)

 問われるまでもなく、紗代の答えは決まっている。

「謹んでお受けいたします」

 深く頭を下げていた紗代は、このとき玄夜が安堵したように口元をほころばせていたことを知らない。