『え?私を曲に...?』
突然ぱてまとやむがkeyを曲のモデルにしたいと言い出した。
『そう、あんたが適役!!』
『やむと話し合って決めたことなのだよ~』
そう言って2人はそそくさと作業に取り掛かり始めた。
『どうして?私なんかを曲にしても何もないよ?』
『何も無かったら任命しないでしょ。あんたしか出来ないのよ、この曲のモデルは。』
『まぁ実際、言い出しっぺはやむなのだよ。』
『ちょ、ぱてま!!』
2人が考えていることが分からない。私なんか曲にしても何も楽しくないはず、私はつまらない人間だから...。
『それじゃ、私は諸事情で一度抜けるのだよ~』
ぱてまがオフになり、やむと2人きりになった。
『ねぇ、どうして?私が曲のモデルだなんて...』
『...私、あんたのことずっと見てた。ネットでずっと見てた。すっごく羨ましかったの、私は載せた曲にコメントがつくだけで喜べるのにあんたはそんなの当たり前の世界で。住んでる世界が違う、ってあんたを勝手に嫌ってた。』
やむのその声は震えていた。私は服をぎゅっと握り聞いていた。
『でも違った。あんたは人との差を感じたり、人気や他者の評価で人の価値を決めつけない人間なんだって確信した。人として、あんたを尊敬してるの。』
『あんたがどんなに自分に自信がなくても、低く低く自分を見てしまう性格でもあんたは凄い!!私が保証する、あんたは周りを強くさせてくれるの。だから私は、keyを選んだ。』
名前を呼ばれてドキリとする。そういえば、初めてかもしれない。
『私も2人と出会って自分の知らないことを知れたよ。だからこんな私で良ければ。お願いします。』
まるで告白みたいだと2人で笑った。慣れない会話に戸惑う中で私は確実に自分を見つけていた。
今日は作業が連日と続いたので一日休もうということでお休み。学校も長期休暇へと入り、私は完全に暇を持て余した。里穂としょっちゅうメッセージを送り合うものの、やはりどうしても暇を持て余す。
「(お菓子食べたいな...)」
1階に自分から降りたのは何週間ぶりだろう。ご飯は母が部屋まで持ってきてくれていたし、何か必要な用事もなかったため部屋に篭もりっぱなしだった。でも、自ら何かしようとすることが増えたのはこの何週間かで起きた出来事達のお陰だろう。
1階では母がテーブルで何かを見ていた。私は後ろから盗み見、目を凝らした。それは私の成長過程が綴られたアルバムだった。
「あら、純恋!!やだもういたなら言ってよもう~」
だから、声が出ないんだってば。と思いながら呆れ目で母を見つめる。
「何か食べたいの?あ、今3時だからお菓子?」
こくりと頷くと母は"ふふふと笑って準備し始めた。用意しているものはテーブルから見ただけでは分からない。興味本位でアルバムをめくると、最近の私の学校生活の様子の写真もあった。
「(全部私の...?)」
知らなかった、母がこうして私のアルバムを少しずつ作っていたこと。
「純恋って名前、純恋は気に入ってる?」
こくりと頷く。可愛いし、この名前のおかげで初めの自己紹介は失敗したことがない。名前のおかげで第一印象が良かったのもしょっちゅうだ。
「"純"粋に"恋"って書いて純恋。恋するっていうのは、ただ恋い焦がれるってだけじゃなくて魅力を感じるっていう意味も込められてるの。見たもの、思ったこと、全てに純粋に魅力を感じて欲しい。感情の豊かな子に育って欲しいっていう意味が込められててるの。」
初めて知った。小学生の時、宿題で名前の由来を聞かなくちゃいけない授業があった。母に理由を尋ねるのが面倒で、誤魔化して適当に書いて提出した。今、それを酷く後悔している。
「純恋はその通りに育ってくれたよ。私が手を施さなくても1人で立派に育って、仲間に恵まれてるのも知ってる。見たもの全てに感動して、感情持って本当に素敵な女の子に育ってる。だから、純恋なら大丈夫だってお母さんは信じてる。」
私は、母親の偉大さを知らなかった。あたたかく見守る母親を私は今も、この先も誇りに思う。
『key、歌詞案いくつか浮かんだ?』
『AメロからBメロの形の検討はついたよ。サビが凝りたいからまだ優先しないでおきたいな。』
歌詞にだけ集中しての作業ということで、ぱてまは休暇をとっている。やむと2人きりで着々とストーリーを膨らませる。やむの声はいつも以上に真剣で、私も集中して作業に挑む。
『ふーん、結構いいね。大まかにAメロBメロはこれで仮終了、あとはサビか。』
『どうも思いつかなくて...』
入れたい言葉がない訳では無い。その言葉をどう歌に表現すればいいのか分からない。
『この歌はkeyの歌なんだから、keyが好きなように振っていいのよ?』
『うん、やむならどういう歌詞をつけるの?』
『私ならこのメロディに劈くような雄叫びを文面にして、明るいメロディの裏に怖い意味を...』
忘れてた、相手はやむだ。
『ありがとう、参考にする。』
とだけ送って、今日はもう切り上げることにした。明日で仕上げたいということで私も明日に持ち越しさせてもらうことに。やむは見たいアニメがあるとすぐにボイスチャットを抜けてしまった。私もその後をすぐ追うようにボイスチャットを抜けた。
ブランケットを羽織ってカーテンを開き、夜の匂いを感じながらゆっくりとベランダへと降りる。心做しか街の灯りが前よりも鮮やかに見える気がする。夏でも夜は冷えるようで、ブランケットを羽織っていても首元が寒い。手を擦りほぅと息を吐く。
「純恋!!」
突然私を呼ぶ声が聞こえ、当たりを見回す。下を見ると、玄関先に里穂の姿があった。
「ねぇ、今から少し遊ばない?」
コソッと口元に当てて話す里穂が無邪気で私も嬉しくて、すぐに玄関へと向かった。
コンビニで肉まんを二つ買って、家の離れにある橋の下で2人で座り込み話をすることにした。里穂は熱い肉まんを食べようとして、私に語りかけた。
「前言ってた曲、はどうなの?」
首を振り、意見がまだまとまらないという風に少し残念がってみた。里穂は私が新しい場所でのことを心配してくれているようだ。
「私もしてたんだ、結構前に。作曲。」
思わず食べていた肉まんを吐き出しそうになる。知らなかった、里穂が作曲をしていたなんて。
「ちょ、大丈夫?はいティッシュ。」
咳き込みながらティッシュを受け取る。その話聞かせてと言わんばかりにキラキラした目で里穂を見つめる。
「あぁ作曲って、そんな大したものじゃないの。溜まった気持ちをぶつけるところが欲しくて、辿り着いた...みたいな?」
溜まった気持ちをぶつける...気持ちをぶつけるって言葉、なんかかっこいい。
「純恋のことがあってから私も思い出したの。純恋に話してなんて言ったけど、私だって純恋に言えないことあった。」
里穂は肉まんの袋を閉じて話すことに集中した。
「うちのお父さん、今まで純恋には単身赴任だって言ってたけど本当は離婚したの。中一の時に。」
耳を疑った、そんなこと思ってもなかったし里穂にそんな重大なことが起きていることを気づいていなかった。単身赴任だと言われたことも忘れかけていた。
「親友でも、言えないことあるよね。分かってあげられなくてごめん。」
精一杯に"そんなことない"と横に首を振る。
「でも、だからこそ1人で我慢することが辛いからこそ純恋には1人で我慢しないで欲しいの。溜め込まないで欲しい、全部打ち明けて欲しい。」
ぱてまややむに出会って、声を失って初めて気づいた。私は周りに支えられて生きている。たくさんの人が私のことを見守ってくれている。当たり前であって、当たり前じゃないこの幸せが改めて私はわかった。私も、里穂にはたくさん私に感情をぶつけて欲しい。もっとたくさん話して欲しい、私とずっと親友でいて欲しい。
「...ゎ...も」
「純恋?」
「ゎた...し...も」
「里穂に...我慢...して欲しくない...」
だからこれは、私のリスタートだ。新しい私になるための、出発地点。
「純恋、声が...!!」
「...やった...やったぁ...」
「純恋、純恋!!」
自分の事のように喜ぶ里穂が強く私を抱きしめて、私も抱き締め返す。今までの中で一番綺麗な涙が零れた。
母も父もぱてまもやむも皆喜んでくれて、私は再び声を取り戻した。少し声に違和感はあるものの、私の私だけの声だった。
「え、私をメンバーに!?」
「うん、里穂が私と一緒に歌詞考えて欲しい!!今日だけだから!!」
ということで、里穂も交えて最後の作曲活動をしたいとぱてまとやむに懇願すると...
『ふん、好きにすれば!』
『もちろん大歓迎なのだよ~』
とあっさり。2人とも色々あったが、良い信頼関係を築けたと思う。メンバーは4人になり、4人で最後の作曲活動をすることに。
『サビ、あと少しね。何か入れたい言葉はある?』
やむが尋ねると、里穂がすかさず『あの...』と提案した。
『keyって、鍵って意味だよね。もしかして、何か意味があったんじゃないのかなって。』
『意味...』
ずっと孤独な気がして、本当の自分が分からなかった。本当の自分だと思っても、それを証明してくれる人はいない。だから私は私を好きになれなかった。我慢して、理想になるために悩んで悩んで悩み倒しての日々。
平凡で、中途半端でつまらなくて。周りに流されてしまいそうになるのに、目立ってみたい気持ちもある。そんな私を、私は心底嫌ってた。だから、そんな自分に鍵をかけるためにつけた名前、key。
でも、今となっては違う。違う意味なんだ。
『...本当は、鍵をかけて自分をしまい込むためにつけた名前だった。でも、今は違うの。』
『今は、誰かがかけてしまった鍵を解き放ってあげる誰かの心を開く鍵になりたい。そんな思いを込めて、key。』
誰かのために、誰かの心を開いてあげたい。今まで私が皆に支えてもらったように。
『いいじゃない、keyらしい。』
『...うん』
『オールOKなのだよ~』
歌詞が自然と思い浮かぶ。私は思いのままに自分を書き綴った。
『できた...!!』
『あとは歌うだけなのだよ~』
歌...。もう何ヶ月も歌っていない私には、普通だったことなのに出来なくなってしまった。歌うのが、怖い。
『keyのチャンネルから、生配信が無難かしら。今予告して、7時頃...とか』
『でも私、歌えるかな...』
『何言ってるの、keyは今まで通り歌うだけだよ。』と里穂が背中をぽんと叩く。
私にはまだ戸惑いがあった。
今日の7時、生配信でkeyとしてお披露目配信することになった。予約投稿するとSNSやネットニュースはkeyの配信のことで持ち切りで、どこを見てもkeyの話題で溢れかえる。期待がかかればかかるほど、私はプレッシャーが比例するように押し寄せる。心臓の音が鳴り止まない。
「大丈夫、傍で私も着いてるし声でサムネはイラストを使うから。」
確かに、そう、そうだけど...
戸惑う私の頬をバチンと両手で里穂が挟み叩いた。
「...里穂?」
「ばか!!あれだけ気合い入ってたくせに水の泡にしたいのか!!」
「ち、違うよ私は...!!!!」
歌いたい、歌を届けたいけど...
「あれだけの期待に応えられる自信が...」
「あれだけ期待があるのは、それだけ純恋に能力があるからでしょ!!純恋の歌を聴きたいってただ純粋に待ってるの、皆純恋の歌を待ってる!!」
私の歌...私が歌う...
「...歌」
「だから歌って、純恋。画面の向こうで待ってる何百万人の...世界中の人達に歌を届けて。私も聴きたい。」
歌う、歌ってみせる。私はkey、皆の心の鍵を開いてみせる。
「...カウントダウンいくよ、3.2.1...」
赤いスイッチがはいり、配信が始まる。世界中が、今私に注目してる。
「...急にいなくなって、心配をかけてごめんなさい。keyです。私はこの何ヶ月の間大事なものを失いました。毎日不安で、取り戻したくてどうしようもなくて、とても辛い日々でした。でも、私の周りで支えてくれた仲間達が私に教えてくれました。この世界は、希望に満ち溢れてる。世界は私が思うほど、捨てたもんじゃない!!私が皆に救ってもらったように、私があなた達の心の鍵を開きます。聞いてください━━━━━━━」
ただひたすらに、私の思いを本当の自分を届けたい。私を見て、私を感じて、私に夢中になって、もっと...もっと...!!!!
『今更戻ってきてなんのつもりだよwwwww』
『またお嬢様気取りでチヤホヤされたいのか?』
「(またあのコメントが...!!)」
アンチのコメントが止まらない、それどころか増えていく...どんどん目にも止まらない勢いで増えていく...!!!!だめ...やめて!!!!
『歌え、key。歌い続けて。』
突然見えた一つのコメント。それが送られた途端、アンチのコメントが止まった。
「(Mira...!?)」
私の憧れのシンガー、Miraだった。
「(うそ、本物のMira...!?)」と里穂も驚きの表情。
『あなたは1人じゃない、あなたの歌で希望を与えて。』
たった一言で物凄い気合いが入り、歌に感情が篭もる。すごい、Miraさんありがとう...!!歌いたい、嬉しいの、すごく嬉しい...!!!!
『なんか歌い方変わった?ちょっと好きかも』
『なんか中毒性ある、あ、いい意味でな』
歌い終わった頃には止まらないいいねとコメントで一種の社会現象が起きていた。急上昇1位となり、全世界がkeyに釘付けになった。
「ありがとう、皆...。Miraさんも、コメントしてくれている皆も本当にありがとう。そして、私を支えてくれた皆、大好き。みんなみんなだーいすき!!!!」
keyはこの瞬間から永遠の歌姫となった。
3年後、純恋と里穂は同じ大学へと進みキャンパスライフを送っていた。ぱてまとやむは2人で作曲ユニットを組みkeyの歌を手掛けたということもあり大成功を果たす、今ではテレビにも紹介される大人気作曲家となった。今でもたまに連絡をとり作曲の手助けをしている。
Miraは突如ネットから姿を消し、「自分磨きをしに行く」と言い残し完全に消えた。keyに影響を受けたのでは?という説が出回っているが本当のところはMira本人しか分からない。
「純恋このあとどーする?」
「あーごめんこのあと事務所行かなきゃ」
「さーすが世界的シンガー!私とはレベルが違いますな~」
「明日はオフだからカフェ行こうね!!」
「あ、純恋ちょい待ち!!」
手渡されたのはCD。きょとんとした顔で里穂の方を向く。
「私が作曲した曲。今度歌ってよ。」
「...うん!!!!」
keyはあの配信をきっかけに本格的にシンガーとして活動を始め、事務所へも所属した。たくさんの人の心を開き鍵を開けたkeyを、誰もが愛し誰もが魅了した。本当の自分"という問いを楽しく考えながら、これからもkeyは歌い続ける。