「...ぁ.........はぁっ...」
自分でも、リハビリを始めた。喉から、お腹から、口から声を出すことだけに集中して精一杯の息を吐く。何度やっても駄目で、諦めてまた布団へと潜り込んだ。もしこのまま、ずっと声が出せないままだったら...
「(すごいコメント数...)」
通常1つの動画にはついても100前後のコメントしかつかないが、最後に投稿した動画のコメント数は1000を越えていた。そのほとんどがkeyを心配をしてのコメントだった。
『keyどうしちゃったの!?また歌聴かせて!!』
『いつまでも待ってるよ』
こうして応援してくれている人たちの後ろで、きっとアンチは私をざまぁみろと笑ってる。それを思うと、憎たらしさと悔しさでどうにかなってしまいそうだ。拳を打ち付け、涙を流す。あれから涙を流すのは何度目だろう。
取り戻したい。私の声、私だけの歌。私にしか出せない、私だけの...
「純恋、里穂ちゃんが来てるわよ。」
里穂?どうして...?
「純恋久しぶり、風邪治った?...って、風邪じゃないのはもう知ってるけど。」
来ちゃだめ、里穂にまで嫌われたら私...!!!!目を覆う、里穂を拒むように。
「声、出ないんだってね。おばさんから聞いたよ。」
もうそれ以上聞きたくない。綺麗なまま、私の汚いところを見たら里穂はきっと...
「純恋、あんたバカなの!?」
里穂は激しく私の肩を揺さぶった。里穂の目からは涙がこぼれ落ちていた。
「私ってそんなに純恋に信用ない!?そんなに頼りない!?あんたは私の何なの!!!!」
「...!!!!」
そうか、里穂も同じ気持ちだったんだ。自分が心を許せる一番の存在、親友。
「なんでも話して、なんでも伝えて!!!!私達、ずっとそうしてきたじゃない!!」
あぁ...里穂はあったかいな...里穂はいつもそうだったな。いつもいつも私を守ってくれたな。
『中世古さん真面目過ぎてつまんない』
『ふん!!あんた達は純恋のいいところ知らないでしょ、私は純恋の親友だから純恋のいいところいっぱい知ってるもん!!』
『...里穂』
隣にいるのは、いつも里穂だった。
「だめだよ純恋、自分が自分を嫌っちゃだめ。認めてあげなくちゃ、"大丈夫、あなたはここにいるよ"って。」
優しく私を抱き締める里穂は、大きくてあたたかくて懐かしかった。全て話そう、ちゃんと自分とも、里穂とも向き合おう。そう決めた。
あれから3時間ほど経った。全て打ち明けた、自分の正体、アンチのこと、声。私は里穂のルーズリーフを借りて、筆談する。里穂は時々冗談も混じえながら、楽しく会話してくれた。
「すごい、純恋がkeyだったなんて...」
『騙してごめん。』
「いやいや!!親友がそんなすごい人だなんて超嬉しいよ!!!!」
「とりあえず、純恋は純恋のやりたいことをしな。keyとしての純恋も、現実の純恋もどっちも本当の自分だよ。学校ももうすぐ終業式だし、心配しないで。」
『私、自分が分からないの。本当の自分って何?どうしたら、里穂みたいに強くなれる?』
「私は強くないよ笑、強さって自信あってこそじゃない?自分が好きだったり、特技があるから輝こうとすることが出来る。だから、やりたいことをすればいいと思ったの。実際、本当の自分は理想とは違うからね。でも、私は歌ってる時の純恋が一番純恋っぽいと思ったかなぁ...?」
ぎこちなく筆談が終わると、里穂は私の肩をぽんと叩いて「味方だからね」。
そう言って里穂は手を振って私の部屋を出た。
里穂に言われた言葉を噛み締めて、私はパソコンを開く。カタカタと慣れた手つきで文字を打ち迷いもなく送信した。
『お久しぶりです。作曲のご協力の件、まだ枠は空いておりますでしょうか。』
ぱてまと無事成立し、作曲活動をすることになった。
ぱてまに今までの状況を詳しくはなし、私の声のことを尋ねそれでも作曲活動に参加させてくれるのかと問う。
『いつか声が戻ったら歌ってくれればいいのだよ。』と快く了承してくれた。参加する旨を伝えると、ぱてまは大喜びして歓迎し、私は少し照れくささが残った。
ぱてま曰く、「思いの籠った歌」を作りたいらしく、私は歌詞作りの手伝いをして欲しいのだそう。私なんかが手伝わなくともぱてまの作る曲を聞く限り、全て思いが籠っていると思うが...
『2人で作るんですか?』
と尋ねると、ぱてまは少し時間を置いて返信してきた。
『実はもう1人メンバーを呼んでいるのだよ。私の古~い友人で作曲友達なのだよ。』
古い...って、ぱてまは一体いくつなのか。
そう言ってぱてまはサーバーのURLを送ってきた。
『3人での作曲はここが活動場所になるのだよ。状況報告をしたり好きに使ってくれて構わないのだよ。』
直ぐにサーバーに入ると、ぱてまと私の他にもう1人メンバーがボイスチャットにオンラインになっていた。興味本位で入ると、大音量のキーボードの音とドラムの音が飛び交っていた。
『...違う...なんか違うのよ...』
と独り言を呟く声は、若い女性らしき声だった。
『やむ、作曲中ごめんなのだよ。新しいメンバーのkeyさんなのだよ。』
とぱてまが声をかける。ここで初めて私はぱてまが女だということを知った。
『はぁ?何それやむ聞いてないんだけど。』
柄の悪そうな話し方にブルっと背筋が震えた。声が出せないので、テキストチャットに『よろしくお願いします』と打つ。
『なんでボイスで喋らないわけ?』
『keyさんは失声症で声が出ないのだよ。でも、治ったら歌唱担当として歌ってもらうつもりなのだよ。』
そう言うとやむはしばらく黙り込んでしまった。その間、私は『やむ』とは『病む』とかけているのかと考えていた。
『...あぁ、keyって今流行りの歌姫とかいうやつね。そっちで活動ができなくなったからこっちで上手いことやって人気を得ようとしてんの?』
思いがけない言葉に目を見開いた。違う、そう言いたいのに声が出ない。急いで否定しようとテキストを打とうとする。
『いちいちテキスト打ってこなくていいから。ぱてま、あんたやっぱ使えない。やっぱ私が歌担探した方がいいわ。』
『ちょ、ちょっとやむ待つのだよ...!!』
ぱてまが止めに入るとやむが限りなく冷たい声で
『さようなら。もう会うことはないと思う。一言だけ言わせてもらうとやむ、あんたみたいなのが一番嫌い。』
そう言って私はサーバーを追い出された。一瞬の出来事に私はぽかんと口を開いてパソコンを見つめていた。
『keyさん、ごめんなのだよ。やむは気難しい性格な面があるのだよ...』
『きっと、話せばわかるのだよ。』
話せばわかる、本当にそうなのだろうか。やむさんが言った事は全て間違いではなかった。むしろ当たり、と思える。
『そっちで活動ができなくなったからこっちで上手いことやって人気を得ようとしてんの?』
結局私は、居場所が欲しいだけなんだ。満たされていたいだけ、弱いだけ。弱さを隠すために、埋もれて満たされるためにただ探しているんだ。
「(なんてずるいんだろう...)」
こうして落ち込んで、悩んで。本当アホらしい。馬鹿みたい、私なんて、私なんて...
気づくと私はスマホを片手に家を飛び出し土砂降りの雨の中、昔よく遊んだ広場へと秘密の抜け道を抜けて来ていた。人は誰もいなくて、こじんまりとしている。草木は生いしげ、手入れもされず忘れ去られた今となっては私くらいしか来る人のいない広場。
『────────!!!!!!」
精一杯に声を出そうと息を吐く。何度も何度も、息が切れても吐き出す。30分くらいしたら、手足が痺れてその場に倒れ込んだ。
「はぁ...はぁ...」
強くなりたい、誰にも負けない私だけの歌を歌いたい。はやく、私になりたい。泥を握りしめて打ち付ける。涙を零した私を、雨は力強く痛めつけるように打ち付ける。
雨の誤タップで再生してしまった動画が流れる。それは、Miraのオリジナル曲だった。
『辛さを強さに 痛みを噛み締めよう そうすればきっと私 もっと輝ける─────』
叫ぶように力強いMiraの歌声が響く。Miraが私に直接訴えているみたい、『起き上がれ』『立ち上がれ』そう言われているみたいで、自然と体が起き上がる。やれることをしよう、後悔のないように。
『ぱてまさん、もう一度サーバーに招待してください。やむさんと話がしたいです。』
『了解なのだよ。』
送られたURLに飛び、サーバーに入る。やむは相変わらずボイスチャットに入り浸っていた。
『やむ、少しkeyの話を聞いて欲しいのだよ。』
『は?何よ、また来たわけ?』
正確に、丁寧に文を打つ。待っていてくれることを願ってゆっくりと文を打つ。
『私はずるい人間です。やむさんの言う通りでした。人気も欲しいし、居場所を求めて、誰かに存在を証明して貰えないと生きていけません。』
『だから...成長したいんです。きっと調子にのるな、とか図々しいと思うかも知れません。でも私は今の自分は嫌なんです、変わりたいんです。』
『お願いの仕方を変えます。やむさん、私が作曲活動を手伝わせて頂くので私を自分探しのためにここに置かせてください。』
送信を押し、やむに文章を渡す。黙り込んで返事がない。読んでくれているのだと信じて待つ私に、ぱてまはDMで
『心配しないで、なのだよ。』
とメッセージを送ってくれた。
5分ほど経った。まだ返事がない、でも先程のように作業音が聞こえないから無視されているようにも感じない。やむさんからはどこか里穂と同じ匂いを感じた。言葉一つ一つに気持ちが込められていて、キツい言葉もあたたかい。そう感じた。
もうしばらくすると、やむからひとつのファイルが送られてきた。
『これがやむとぱてまで考えたサビメロ。感想とか何か言いたいことがあるなら私に送って。手抜いたら承知しないから!!』
認めてもらえた、私の思いが伝わった...!!
『やむってば、意地っ張りなのだよ~』
『はぁ?黙りなさいよ作曲ヲタク、口動かすなら手動かしなさいよ!!』
『作曲ヲタクなのはやむも一緒なのだよ~』
仲睦まじく戯れる2人の声を笑顔で聞く。居場所を求めたっていい、認められようとする行為もいずれそれが私の強さとなるのだから。
『やむ、Bメロこれでどうなのだよ?』
『少し明るすぎ。ラスサビまでこの明るさは抑えて。』
私が担当させてもらうのは歌詞付けの助言と歌唱。メロディが完成しないと歌詞に取り掛かれないということで今は2人の作業を黙って聞いている状態。
鉛筆を鼻にかけてバランスをとりながら、私は1人歌詞案を練っていた。
「(希望...光...愛情...?)」
それっぽい言葉を連ねっても、よくある薄っぺらいラブソングくらいしか出来上がらない。これを見ると、作曲家というものの凄さを実感する。
『key、暇ならやむの作曲した曲SNSのプロフから飛んで聴いてみてよ。やむのはぱてまと違って歌詞も入ってるから。』
『むっ!!"違って"ってなんなのだよ~!!』
すんなりと了承してやむのプロフィールから適当に目に止まった動画を再生する。
「(うわっ!?...何これ......)」
不気味な効果音から始まる前奏は蜘蛛が顔を歩いているような気持ち悪さで、胸糞悪いという言葉がピッタリなような気がする。気味の悪い効果音、使われている楽器はまるで全て壊れているよう。不協和音同士が重なっていてその気味悪さは震えが出るほど。
「(抉られるみたいな音...)」
どうしたらこんな不気味な音が出るのだろうか...
『あ、おかえりどうだった?』
『とてもいいと思います。気持ちが込められていたと思います。』
こうとしか言えない...褒め方が分からない。いや、凄いけど。凄いけれども。
寒さを感じヘッドホンを外して布団を取りに向かった。精神どころか身体にまで影響をきたすやむの曲はぱてまとは正反対である。
「(なるほど...これは真逆だから2人で曲を作ったら中和するのかな。)」
と呑気なことを考える。
『本当?よかった、あと少しでデモができるから待ってて。』
やむという名前の伏線回収をできたところで、ぱてまが話しかけてきた。
『key、そろそろ私達のこと呼び捨てにして欲しいのだよ。』
呼び捨て、考えてもなかった。2人は壮大で素晴らしい曲を作る私にとっては天の上の存在だったから。
『そうそう、タメ口とかにもして欲しいのよね。いちいち気使われたくないし。』
少し考えて引き気味に返信する。
『じゃあ、そうさせてもらおうかな。ぱてま、やむ。』
ぱてまとやむが『うん』と返事をして作業を再開した。私はまだやむの曲の副作用が背筋に異常をきたしていた。
「(ぱてまが光、やむが闇...かな)」
3時間ぐらい経っただろうか。やむとぱてまが『はぁ』と息を吐いて終わりの合図を遂げた。
『終わったー!!』
『お疲れ様、やむ。ぱてま。』
皆で聴こうということになり、画面を共有して楽曲を聴くことになった。
ぱらぱらと光が見えるように星空のような綺麗な音色で奏でるメロディが耳を癒す。まるで、フルートの音色みたい。どこか力強さもあって、自信が溢れ出てくる。"希望"その言葉が似合った。
『素敵だね。』
『でしょ!?ぱてまもやむもめっちゃ頑張ったの、よ~し、いい歌詞つけるわよ!!』
『今日はもう遅いし、明日からにするのだよ~』
時計を見ると、時刻はもう深夜の3時を回っていた。全く気づかなかった。
『あ、本当だ。私お肌荒れちゃうからすぐ寝る、おやすみ!』
と言ってすぐ落ちたやむが一瞬の出来事でまたもや口をぽかんと開いていた。
『...ふぅ、2人が仲良くなってくれたみたいでよかったのだよ。』
『やむとぱてまは、初めからあんなに仲良かったの?』
『いいや、私とやむはkeyとやむ以上にバチバチだったのだよ。』
『お互い作るものも目指すものも正反対、そんな私達が意見を合わせるなんて無理な話だったのだよ。』
『どうやって合わせたの?』
『合わせたんじゃない、合っていることに気づいたのだよ。』
『意見は違えど、目指すものは違えど同じ趣味を持つ仲間。私達は、目標は違っても夢は同じだったのだよ。』
『自分の作った曲が、誰かの心の拠り所になって欲しい。そんな思いは、やむ自身にも私にもあった共通点だったのだよ。それを知れたから私達は分かり合えたのだよ。』
『私、夢が分からないの。自分のしたいこと、やりたいことが曖昧で...』
『そんなの皆一緒なのだよ、"やりたいこと"は普段生活してると急にパッと現れて自分を困らせたり、迷わせたりする。でもそれをやり遂げるとスッキリしたり成し遂げて自分の力になったりしてくれるのだよ。』
ぱてまは、親のような不思議なあたたかさがある。ぱてまの声を聞いていると安心して眠くなるのはどうしてだろう。もう少し、話を聞いていたい。
『ぱてま、最後に教えて。私らしさって何?』
『key...らしさか。難しい質問なのだよ。』
『強いて言うなれば、可能性なのだよ。』
初めての言葉。可能性、可能性って...
『今日はここまで、続きはまた今度なのだよ。』
『え、でも...』
『自分でも答えを探してみるのが一種の新しい楽しみ方なのだよ、おやすみkey。』
そう言ってオフになった。強さ、私らしさ、可能性...色々な言葉が混じって考えが膨らむ。見つけたい、はやく、私らしさを。
『え?私を曲に...?』
突然ぱてまとやむがkeyを曲のモデルにしたいと言い出した。
『そう、あんたが適役!!』
『やむと話し合って決めたことなのだよ~』
そう言って2人はそそくさと作業に取り掛かり始めた。
『どうして?私なんかを曲にしても何もないよ?』
『何も無かったら任命しないでしょ。あんたしか出来ないのよ、この曲のモデルは。』
『まぁ実際、言い出しっぺはやむなのだよ。』
『ちょ、ぱてま!!』
2人が考えていることが分からない。私なんか曲にしても何も楽しくないはず、私はつまらない人間だから...。
『それじゃ、私は諸事情で一度抜けるのだよ~』
ぱてまがオフになり、やむと2人きりになった。
『ねぇ、どうして?私が曲のモデルだなんて...』
『...私、あんたのことずっと見てた。ネットでずっと見てた。すっごく羨ましかったの、私は載せた曲にコメントがつくだけで喜べるのにあんたはそんなの当たり前の世界で。住んでる世界が違う、ってあんたを勝手に嫌ってた。』
やむのその声は震えていた。私は服をぎゅっと握り聞いていた。
『でも違った。あんたは人との差を感じたり、人気や他者の評価で人の価値を決めつけない人間なんだって確信した。人として、あんたを尊敬してるの。』
『あんたがどんなに自分に自信がなくても、低く低く自分を見てしまう性格でもあんたは凄い!!私が保証する、あんたは周りを強くさせてくれるの。だから私は、keyを選んだ。』
名前を呼ばれてドキリとする。そういえば、初めてかもしれない。
『私も2人と出会って自分の知らないことを知れたよ。だからこんな私で良ければ。お願いします。』
まるで告白みたいだと2人で笑った。慣れない会話に戸惑う中で私は確実に自分を見つけていた。