「ねぇ、シンガーのkeyって知ってる?」
突如ネットに現れた謎多き歌姫「key」。
現実離れした黄金色のシルクのように透き通る髪と白い肌。白銀の瞳を持つ誰もが目を奪われる美貌を持つ。様々なジャンルの楽曲をカバーする彼女は動画サイトの総再生回数100万を2週間であっという間に越え、今では日本中の誰もが注目するトップシンガーである。
「でも情報とか年齢とか一切公開してなくて本当に謎なんだよね。配信とか一度もしたことないし。」
そんな謎に包まれた歌姫の正体は...
「ミステリアスな女性って惹かれるとか言うじゃん?」
田舎の平凡な女子高生、中世古純恋である。
勿論、自分の正体が日本全体を虜にする噂の歌姫だということは秘密。家族にもこれからできるかもしれない恋人にも言わないつもりである。
友人の藤岡里穂が「はぁー?」と呆れ目で笑う。
「えーなにそれどこ情報だしー笑笑」
「まぁkeyみたいに魅力的な女になれば、里穂も彼氏の一人や二人...」
「二人はいらないから!!怒」
平凡、それ以外何もないただの高校生。きっとはなから見たらそうとしか見えない。

『でも情報とか一切公開してなくて本当に謎なんだよね。配信とか一度もしたことないし...』
「本当、鍵なんて自分に名前つけて。期待して。自分を隠して何が楽しいんだろう。」
独り言を他人事のように自分に向かって呟く純恋。
その瞳からは、向かい合うパソコンの光に照らされたキラリと光る情が流れていた。
学校が楽しくないとか、何か悩みがあるとかそんなんじゃない。ただ、何か足りない。他者から見た誰かの瞳に夜景が写るように、私の目にも何か煌めく物が映っているのだろうか。ベランダから見えるのは雰囲気の欠けらも無い光り方をする電波塔と数軒の家の窓から漏れ出る電気だけ。浸ろうにも浸れない、逃避しようにも向き合うしかない平凡過ぎる日々。何もかもがどうしようもなくて、どうだっていい。「死にたい」とか「消えたい」とかいう感情さえ生まれなくなった私こそ、無関心というものであるのだろう。温い風に煽られて寒さを覚え、そそくさと足早にベランダから室内へ戻った。

これを始めたのも、足りない「何か」を補いたかったからだった。
「...私も大変だなぁ。」
自分を他者目線から褒めたり、見守るのが好き。自分を慰めて「可愛い、可愛い」ってする時間はお風呂でお湯が体全部に浸かっているくらい幸せになれる、気がする。
高校入学と同時に買ってもらったPCを慣れた手つきで開いて真っ先に見たのは動画サイトのコメント欄。第二の私、『key』へのコメントが画面いっぱいに表示される。
『相変わらずうますぎ!!』
『keyみたいに歌えたらどんなに楽しいんだろうな~』
『今回も楽しみにしてました!!いつもありがとうございます!!』
頬杖をついてだらだらと流し見していく。これは一種のファンレターだと思っている。どれだけ多くても自分に宛てられた分のコメントは全て目を通す。
『思いが歌に乗ってます...!!素敵✨』
「思いか...」
歌を歌う時の私は、どんな感情?...わからない、気づくと歌ってて気づくと歌い終わってる。それって、思いなの?思いって...何?
「んー、やめやめ。いちいち考えててもキリないっての。第一、ずっと探しても未だにその答えなんて見つかってないんだから。」
いつか私の答えを出してくれる人が現れるかもしれない。心の中で、誰かが‪本当の私への鍵を開いてくれるかもしれない。呆れ気味にそうは言っても心のどこかで期待している。
「...え...?」
ふと、目に映ったコメント。
『在り来りな歌い方すぎてつまんな。話題の歌姫って言っても所詮こんなもんかよ。』
『正直女子高生シンガーを肩書きにしただけって感じがするなぁ。個性が少しも感じられない。』
『二番煎じ乙』
いわゆるアンチコメント。今までの投稿でもいくつかあったけれど、全て無視していた。それ以上に評価のいいコメントが多かったから。
でも、今回は違う。
「なんで...なんでどこを探してもアンチがこんなにたくさん...!!」
『誰かの真似だろ』
『らしさがないよな』
スライドしてもスライドしても、出てくるのは批判ばかり。でも手が止まらない。頭が見たくないと拒んでも、手が見ることをやめさせてくれない。きっとそれも私自身が...
「嫌...嫌あぁ!!!!」
激しい頭痛と吐き気で私は倒れ込んだ。これはなにかの悪い夢だと頭に叩き込みながら。
『個性が少しも感じられない。』
『らしさがないよな』
「私...だって...わかってる...私らしさ...って...何...」
気絶する前に目に映ったのは、間違えて再生してしまった私の憧れのシンガーの歌だった。
「...れ...純恋!!」
私を呼ぶ声が聞こえる。体の感覚が戻りハッと目を覚ます。母の涙が私の頬を伝う。
「よかった純恋...すっごく心配したんだから...!!」
ごめんね、お母さん。私、どのくらい眠ってたの?
「もうそろそろお父さんが来るからね。お父さん仕事無理やり終わらせて病院向かってるって。」
それは本当にごめんなさい...お父さんに謝らなきゃだね。
「...純恋?」
え?どうしてそんな目で私を見るの?お母さんこそ大丈夫...?顔が真っ青...
「ねぇ純恋、あなたどうして喋らないの...?」
...え?

「失声症...ですね。ストレスや精神への過度な苦痛により起こりえます。」
失声症...?声が出ない、私の声が届かないの?私の声、返してよ...!!
「娘は治りますか?」
「人によって症状が違い、治るまでの時間も違います。今は何とも言えません。」
「そんな...」
じゃあ私の...もう1人の私、keyはどうなるの...?
「ーーーーっ!!!!」
ドタバタと地団駄を踏んで無理やり声を出そうとする。喉が私の喉じゃないみたい、声の出し方を知っているはずなのに思うように声が出せない。
「っ...!!!!...っっ!!!!」
「純恋、落ち着いて純恋!!!!」
誰にも聞こえないか細い息を吐きながら、号泣する私を母は優しく抱きしめた。私の声を返して、私のたった一つの宝物を、返して。

翌日経っても、声は出なかった。病院からは「心をリラックスさせろ」と命令が出た。例えそれが今の一番の策だとしても、私が欲しいのは声。今すぐに私の声が戻ってきて欲しい。
「...」
見えない何かが私の首を絞めている。心做しか息苦しさを感じる。咳払いをしてみたり、試行錯誤してみたり。何をしても出てくるのは溜息だけ。
『らしさがないよな』
「...!!」
見えない何か。顔の知らない誰か。きっとそれは、私のことを快く思っていないあの人達だ。どこかで私のことを悪く言って、どこかで私を蹴飛ばして無責任にあることないことを駄弁る。
静かにパソコンを開いて動画サイトにアクセスした。相変わらずフォロワーは右肩上がりで、再生回数もどんどん伸びている。
止まった私の心は置いていかれたまま。
「純恋、学校におやすみの連絡入れたから今日はゆっくり休みなさい。明日からのことは純恋が好きに決めていいから。」
こくりと静かに頷くと、母は無理に笑顔を繕って寝室を後にした。今まで学校を休んだことなんてなかったから、里穂は驚くだろうな。
毛布にくるまったまま起き上がりスマホを開く。こういう時、SNSを見たり呟いたりするのが若い人の暇つぶしなんだろうけど、私はあいにくSNSに興味が湧かずアイコンはまだ初期のまま状態である。一応keyとしてのアカウントはあるものの、ほぼ情報を発信せずアカウントを知る人も少ないためフォロワーもマイナーな調べ尽くしたファンしかいない。アプリを最後に開いたのはいつだったろう。
動画サイトを見ると、出てくるのはkeyのカバー曲ばかり。気づいてなかったけれどかなり私は自分に酔っていたみたい。おすすめの関連動画が全て私なのはよっぽどだと思う。
コメント欄は相変わらずのアンチ。もう失うものは失ったから無心で見ている。それに追加して頻繁に動画投稿をしていた私が動画をあげなくなり心配するファンが増えてきている。
『keyどうしたの?そろそろkeyの歌が聴きたいよ』
『key動画投稿してー!!』
声が出ない以上、私があげられる動画はない。謝罪動画だって、声がないとあげられないしあげる柄でもない。動画を閉じてもう一度眠りにつこうとすると一本の動画が目につく。
「(あ...Miraの新曲がアップされてる。)」
Miraは私が憧れるシンガー。私と同じ高校生で、顔や年齢以外の情報は一切公開していない。思えば私がこの活動を始めたのは、Miraの影響が大半だったかもしれない。

『Mira?』
『そうそう!!今超話題のシンガー!!』
里穂に強制的に見せられた動画はサムネ画像が静止画のカバー曲動画。イラストは真っ白な空間で鏡が置かれ、青髪にポニーテールの女の子が鏡に手を伸ばしている。なんとも神秘的なイラスト。
『Miraって、"鏡"って意味が込められてるんだって。鏡の中の自分と現実の自分は逆に映るでしょ?シンガーのMiraは"Miraの中の人"の理想の姿、つまり鏡なの。』
優しいのにどこか力のある歌い方、歌に感情をのせてどこまでも届きそうな歌声。私は一瞬でMiraの虜になった。

Miraには味方がいる分、敵も多い。それでも負けずに歌い続けて皆に笑顔で歌を届ける。それに比べて私は...

┈┈┈┈┈メッセージが届きました┈┈┈┈┈
捨て垢とまで化していたSNSのDMにメッセージが届いたらしい。ファンからだろうか。さすがに心配をかけてしまってるならDMくらいは返すべきなのだろうか。相手は『ぱてま』という名前
『はじめましてなのだよ。私はしがない孤独な作曲家、良ければ一緒に曲作りをしよう、なのだよ。』
おかしな語尾、突っ込みどころは色々あるもののまずは曲作りという文字に目がいく私だった。

暇をしていた分、少し会話してみることにした。
『あなたは誰ですか?』
『しがない孤独な作曲家、ぱてまなのだよ。君に曲作りを手伝ってもらいたいのだよ。』
曲作り?私はオリジナル曲を投稿したことは一度もない。音楽に関してはアマチュアで楽器もろくに弾けない。歌だって...
『失礼ですが、誰かと勘違いしていませんか?』
『してないのだよ。私はあなたに協力して欲しいのだよ、key。』
ぱてまと名乗る、突っかかる話し方の作曲家は何度質問しても同じことしか述べない。
『私は曲なんて作ったことないです。お力添え出来かねます。』
『違うのだよ、もちろん作曲において意見や協力はしてもらいたい。でも結果的に私が君に求めているのは私が作った曲を歌って欲しいのだよ。』
歌う...歌う"か。前の私なら、出来たかもしれない。前の私だったら快く了承していたかもしれない。
『ごめんなさい。それはできません。』
『どうしてなのだよ?』
癪に障る話し方で苛立ちが増し、しつこく感じる。私だってどうしてだか分からない。自分がなんでこんなに弱いのか、どうしてここまで無力なのか。自分に問いたい。
『無理なものは無理なんです。』
『わかったのだよ。なら、一度だけ私の曲を聴いて欲しいのだよ。宣伝程度に。』
どこまでも図々しいと頭の中で思いながらプロフィールから動画のURLで飛ぶ。
流れてきたのは静かな海の中のような旋律。題名の横にBGMと書かれている。どうやら歌詞はないようだ。
「(あれ...?)」
キラリと涙が落ちる。優しく包まれるような穏やかな音が一音ずつ私をあたためる。空っぽの心が満たされていくような感覚。溢れ出て涙が止まらない。初めての感覚だった。
目を瞑ると海の底に沈んでいく、体は揺れただひたすらに波に流れを任せている。不思議、沈んでいるのにあたたかい。一分半の短い曲が終わると、またあの作曲家からメッセージが届いていた。
『その曲の題は"眠る海"なのだよ。私の中では結構な自信作だけど...どうだったのだよ?』
「(眠る海...)」
ぱてまに返信する間もなく、私は自然といいねとフォローをクリックしていた。
歌えない私をこの作曲家はどう思うだろう。私の心の中で、「協力する」以外の気持ちはとっくになくなっていた。
その後ぱてまからは
『気が向いたらいつでも連絡してくれなのだよ。』
とだけきていた。心が広い作曲家、らしい。
明くる日も明くる日も、私はぱてまの曲を聴いていた。再生回数はそれぞれの動画でマチマチだったが、どの曲も私にとっては魅力的だった。これを"依存"というのだろうか。
【ピコン】突然スマホが鳴った。
メッセージが届いた音、「里穂」からだった。そういえば何も連絡せず休みっぱなしだから心配してくれているのだろう。
『純恋どうしたの?学校来ないのー?』
さすがに里穂にも、今の状況は話せない。きっと酷く心配するだろうし、家に押し掛けられたら私の秘密がバレる可能性も低くはない。
『風邪気味でさ~、うつさないように休んでる!』
数十秒で返信がくる。この行動からも里穂が私を思ってくれているのが強く伝わってくる。
『それほんと?純恋、聞いても自分のこと何も話してくれないから心配。何かあったら言ってよね。』
勘が鋭いのは、長い付き合いの末だろう。棘の生えた心が癒された気がする。
「(自分のこと...か。)」
私も正直、自分がなんなのか分からないから何も言えない。自分自身がなんのために生きていて、なんのために勉強してなんのために学校に通って...問えば問うほど問題が出てくる。
『ありがとね、里穂!』
スタンプを押して会話を閉じる。里穂はいつでも私の心の支えだ。今回のことを伝えたら、里穂は力になってくれるだろうか、引かずに共に解決策を見つけ出そうとしてくれるだろうか。
なんて、怖くて言い出せもしないくせに。
声の出せないシンガーなんて、それはもうシンガーじゃない。シンガーじゃないなら、私は何...?