幸い、腕の傷口は開いてはいなかった。
念のために消毒をしてもらい、アディに渡された化膿止めを飲んで休んだ。そのおかげか、今のところ三度目の発熱は避けられている。夜が明けた後、食事を終えて小屋を出たのは、空気の冷たさが寒くない程度までにやわらいだ頃だった。
……だが実のところ、昨夜はほとんど眠れなかった。ようやくうつらうつらしたのが明け方で、それでも熟睡できるまでには至らなかった。
故に、歩きながらも時々、フィリカは強烈な眠気に襲われそうになる。しかし今は、悠長に眠いと感じていられる余裕はなかった。
『すまない、忘れてくれ』
そう言われたことが、最初は不思議でならなかった。謝られる理由が本当に分からなかったのだ。
抱きしめられた時も口づけられた時も、一瞬たりとも嫌とは思わなかった──だから避けなかった。
よく考えてみれば、むしろそれが一番不思議なのだ。あんなことがあった直後なら、自分はいつも以上に男性に対して警戒をしただろうと思う。近付かれることすら恐れて当然のはずだった。
──どうして、避けなかったのか。
明確に説明できる理由は今でも思いつかない……ただ、拒絶しようとは考えなかった。そうとしか言いようのない心境だった。そのこと自体については今も、後悔はしていない。
けれどその思いを、彼が謝罪の言葉を口にした時にすぐ伝えなかったことは、悔やまれてならない。
アディは、忘れてほしいとまで言った──ということは、彼はあの時の行動を、それほど後悔しているのだ。
自分で達した結論に、予想以上に心を打ちのめされた。呼吸できないほどの息苦しさを感じる。
再び抱き寄せられた時のことも、フィリカにしてみれば無意識の動作だった。彼の力が強くて息が詰まってしまったから、ほんの少し身体の隙間を空けたかっただけに過ぎない。
だがアディは、それを抵抗と受け取った。
頭では、彼がそう思った理由が推測できないわけではない。そもそも、危うい目に遭ったばかりの女に対し、ああいう真似をしたことを後ろめたく思うのは、まともな男性なら当然だろうとも思う。
アディが、どういう思いに動かされてあの行動に出たのか……大方は慰めの延長なのだろうと思う。彼とて男だから、下心が全くなかったとは言えないかも知れないが、そう考えはしても、何故だか嫌悪感は起こらなかった。