「はかり、買おうと思ってたんだよな」
陽太は、スチール棚に並んでいたデジタルはかりに目を止めた。
「『わけあり、200円』って書いてある…… いくつか傷があるか。まあ、使えればいいや」
ここは商店街のリサイクルショップである。
所狭しと日用品が並んでいる。
奥のショーケースには、ブランド物の時計や財布、アクセサリーがある。
質屋と併設された、いわゆる質流れの品物を主に扱っている。
「お願いします」
レジにはかりを差し出すと、お金を払った。
リュックにしまい、単4電池をコンビニで買って帰った。
東 陽太 は27歳。独身で一人暮らしである。
雑居ビルの一角を借りて住んでいる。
部屋はキッチン兼、リビング兼、居間兼、寝室のいわゆるワンルームで、風呂とトイレはユニットバス。
洗濯物が干せる小さなベランダがある。
「さてと。昼飯にするか…… 最近食べすぎで、午後に眠くなるから、はかりでご飯の量をきちんと測ろう」
ウインナーを茹でる。
炒めるよりも、茹でた方が油を使わないし、塩分も抜けるので健康にいい。
簡単なサラダも作った。
いつも自炊しているので、深く考えずに作ってしまう。
そして早速はかりに電池を入れると、茶碗を置いて電源を入れた。
「ん? 20グラム…… おかしいな。0合わせできないぞ」
ごはんを茶碗に少しずつ盛る。
「やっぱりこのはかり、壊れてるな。20グラムから動かないや。わけありったって、使えないんじゃ話にならないな…… はあ。200円損した」
結局、目見当でごはんをよそって、キッチンに立ったまま昼食を済ませた。
「一人暮らしだから、ついキッチンで食べちゃうんだよね…… 」
陽太は食べ終わると、すぐに食器を洗って籠に収める。
部屋は毎日掃除機をかけて、風呂もトイレも頻繁に拭いているのであまり汚れがない。
「ユニットだと、風呂に入りながら掃除できるから便利だな」
こう思って、今の最低限のスペースしかない物件に決めた。
快適さよりも機能性を重視する性格から、あまり余分なものを買わず、部屋にはパソコンと小さな折り畳みテーブル、そしてスチール棚が2脚、洗濯機があるのみだ。
「しかし、こんな不良品『わけあり』じゃなくて『ジャンク品』と書くべきだよな」
200円とはいえ、損した気分がいつまでも抜けなかった。
ピンポーン!
ドアホンが鳴った。
「陽太。お菓子作ってきたの。一緒に食べましょう」
「おっ。ありがとう。どうぞ」
「おじゃましま~す」
新田 由衣 26歳。1年ほど前から付き合っている。
始めは喫茶店や商店街を歩いたりしていたが、お互い出不精なので、陽太の部屋でくつろぐことが多くなった。
「相変わらず綺麗な部屋ね。彼女としては、働き甲斐がないわ」
「物がないだけさ」
「あっ。はかりがある! ちょっと測らせて」
「それさぁ。俺の憂鬱の原因なんだよ」
「どうしたの? 」
「午前中リサイクルショップに行って、200円で買ったんだけどさ、壊れてやんの」
「そうなの?」
由衣は電源ボタンを押し、持ってきたクッキーを置いてみた。
「40グラム…… そんなわけないよね」
見た目で200グラムはあると思われる。
「やっぱりね。ほら。滅茶苦茶なんだよ」
がっかりした顔で、ため息をついた。
「まあいいや。お湯沸かすよ」
「私がやるから座っててちょうだい」
そう言って、紅茶を淹れてくれた。
「良い香りだね。今日はオレンジペコにしてみたけどいいかな」
「もちろん。ありがとう」
紅茶やコーヒーにはこだわりがあって、いつもコーヒー豆や茶葉を数種類置いてある。
「じゃあ。いただきます」
由衣は自分のノートパソコンを取り出して開いた。
2人は、各々パソコンをいじってゲームを始めた。
『ラインクラフト』という、広大なバーチャル空間で、家を建てて暮らしたり、ゾンビや動物を倒してアイテムを手に入れたりして楽しむゲームである。
このような目的を自分で決めるゲームを『サンドボックス』と呼ぶ。
砂場遊びのように、自由度が高くて創造的な活動ができるのである。
またプログラミング教育にも効果があるとされ、文部科学省が5年前から小学校を対象に実験的に取り入れている。
売り上げも伝説的なパズルゲームである『テトラス』を抜いて世界1位になった。
2人はバーチャル空間に家を建てて同居している。
「ねえ。クッキー美味しい? 」
ゲームの中で由衣が話しかけてきた。
「美味しいよ。紅茶とよく合うね」
「よかった」
陽太は、ふと はかり を見た。
電源が切れていなかったので、数字が出ている。
「あれ? 50グラムになってる…… 」
由衣が覗き込んできた。
「ホントだね。勝手に数字が変わるのは変だね…… 」
「待てよ。始めは20グラムだった。それが、さっき40グラムになって、今50グラムに…… 何か意味があるのかも知れない」
「陽ちゃんの気分が上がってきたから、数字が上がったんじゃない? なんてね」
陽太は由衣を見た。
「まさかね…… 」
ゲーム画面に目を移すと、赤いブロックがせり出して来るのが見えた。
「あれ? マグマかな…… 」
「大変! 家がマグマに飲み込まれるわ! 」
ライクラ(ラインクラフト)の世界には、マグマが突然噴き出してくることが多い。
人間がマグマに飲み込まれれば、ひとたまりもない。
「土で家を囲むんだ! 」
2人は急いで堤防を築いた。
「ふう。何とかこれで大丈夫だろう…… 」
「ねえ。はかりはどうなった? 」
由衣がまた覗き込む。
数字が30グラムに下がっている。
「マグマに襲われたからかな…… 」
「…… 」
陽太は考えた。
はかりが壊れていて、ただ単に暴走しているだけかもしれない。
だが自分の気持に連動して変わったと、こじつけることも、できなくはない。
「気になるな…… 」
はかりを由衣の傍に置いてみた。
「どうしたの? 」
数字がまた変わった。
「40グラムになった」
「由衣は、今どんな気分? 」
「楽しい気分かな」
これが、気持を点数化しているとしたら、俺より楽しいということになる。
「もっと実験してみたいな…… 」
「それじゃあ、外に出てみない? 」
2人は商店街に繰り出してきた。
「ねえ。一緒に外を歩くのって、久しぶりよね」
「そう言えばそうだね」
陽太は、はかりを取り出した。
人混みに入ると、数字がせわしなく変わっている。
「見てよ。数字が変わってる」
「さっきの話、もしかしたら本当に…… ちょっと貸して」
由衣がはかりを持つと、
「70グラムだって。私ね。久しぶりに陽ちゃんと外出して、幸せな気分なの」
「待ってくれ。その話は夢があって面白いが、そんなことがあるわけないはずだよ…… 」
「そうだけどね…… 」
ちょっとがっかりした顔をした。
ハッとして、陽太ははかりを覗き込んだ。
「40グラムだ」
「なんか。ごめん」
「どっちなのよ…… 」
しばらく歩くと、喫茶店で一休みした。
「ふう。外を歩くのも悪くないね」
「そうね。私はそのはかりが、気になってしょうがないのだけど」
はかりを由衣に渡した。
「やっぱり、幸せを測っている気がするわ」
「うん。そうかもしれないな」
「あれ? 」
「どうした? 」
「0グラムだ…… 」
「え!? どういうことだい? 」
彼女は隣を見た。
スーツ姿の男性が、一人でコーヒーを飲んでいた。
テーブルの一点を見つめ、顔色が真っ青である。
「ねえ。この人の『幸せの重さ』じゃないかしら…… 」
陽太に耳打ちした。
「もし、そうだとしたら心配だな…… 様子を見よう」
しばらくそうしていたが、その男性はスマートフォンを取り出した。
何か操作をして、ポケットにしまった。
そして立ち上がると、コーヒーが乗ったトレイを片付けた。
陽太たちも立ち上がり、トレイを片付けた。
「追いかけよう」
耳打ちをすると、2人は20メートルほど距離を置いて尾行した。
男の足取りは重い。
時々よろけながら、やっと歩いている感じだった。
「様子がおかしいな」
「そうね。こういう時、どうしたら良いのかしら…… 」
「今のところ、はかりの数字が気になって付いて行ってるだけだ。もう少し様子を見るしかないな」
男はデパートに入った。
「どうしよう」
「行くしかないだろ」
エレベーター前で待っていると、乗り込んだ。行先がわからないので2人も一緒に乗る。
幸い買い物客が多くて、ロビー階である1階から乗る人で中がほぼ満員になった。
「これならバレにくいね」
「堂々としていよう。視線を合わせないように」
男は屋上がある9階まで登った。
考え事をしながら真っ直ぐ歩いている様子なので、2人が後ろにいることに気付かなかった。
屋上へ出た。真っ直ぐに端のフェンスへ向かっている。
「まさか…… 」
「まずいな。よし! 俺に任せてくれ」
陽太は、ズカズカと歩いて行って男の横から話しかけた。
「ちょっと、あんた。大丈夫ですか? 」
男は立ち止まったが、俯いたまま目を合わせなかった。
しばらく間があった。
「どちら様で? 」
か細い声で聞き返した。
「私は 東 陽太 といいます。さっきカフェで見かけて、真っ青な顔をされているし、不幸なオーラを感じて、失礼ながら付いて来たのです」
「不幸なオーラ? へえ。妙なことを言いますね。オカルトですか…… 」
由衣に目くばせをした。
はかりを見せて、説明を始めた。
「私は 新田 由衣 と申します。にわかには信じられないかも知れませんが、このはかりは『幸せの重さ』を測ることができるのです」
「はぁ…… 」
「カフェで、偶然隣に座っていまして、重さが0グラムと表示されて、何か思いつめた様子でしたので陽太と一緒に付いて来ました」
「…… 」
「これから、どうするつもりだったのですか? 」
「はぁ…… 」
大きなため息をついて、2人の方を見た。
「まったく…… 地獄の閻魔にも嫌われたか…… 死のうと思ってたんですよ。そう思って付いて来たんでしょう? 」
少し話し方がしっかりしてきた。
落ち着いた様子だったので、9階フロアの談話スペースへ移動した。
「お話を聞かせていただけませんか。死ぬなんて、尋常ではないです」
席についた男は、またテーブルの一点を見つめた。
自殺を止めることはできたが、顔色は変わらない。
よほどの事情があるはずだ。
「はぁ…… 」
また大きなため息をついた。
テーブルの上には、幸せの重さを測る はかり が置かれている。
依然として0グラムを表示している。
このまま放ってはおけない。
「大垣 睦夫 です。はぁ…… 会社を辞めました。収入が無くなったので、死のうと思ったのです」
「…… 」
今度は2人が言葉を失った。
不景気の煽りで、失業者と自殺者は増えている。
この人も、そんな不幸なサラリーマンの1人なのだ。
どう言葉をかければいいのか思いつかなかった。
「僕は、絵に描いたようなリストラサラリーマンですよ。最後の方は、ほとんど仕事もさせてもらえず、1日中放置されて、気持的にも続けられない状況に追い込まれました」
陽太の方を見ると、薄く笑って続けた。
「短い間でしたけどね、一生懸命働いたんですよ。毎日残業してね。段々周りの社員が辞めていって、自分の仕事量が何倍も増えていきました。それでも頑張ってこなしてきたんです。それで、次は自分の番が回ってきたんですよ…… あなたたちも覚えておくと良い。会社のために命を削っても、殺されるだけなんですよ。仕事に情熱を燃やしても、見返りなんか何一つない。僕はバカでしたね。自分に愛想が尽きました。妻にも、会社を辞めたことを言いだせず、こうして街をふらふらして、夜家に帰るんです。頭がおかしくなりそうですよ! どうです。何か言ってみてくださいよ」
「…… 」
沈黙するしかなかった。
陽太は一生懸命考えたが、かける言葉が見当たらなかった。
自分では役不足で、またこの人が自殺に及ぶのではないかと思われて仕方がなかった。
ヴヴヴ……
不意に陽太のスマホが振動した。
画面を見ると、由衣からSMSが送られていた。
見ると、テーブルの下で悟られないように送ったようだった。
文面は……
「沈黙したら、こちらも沈黙に付き合って。とにかく大垣さんに喋ってもらうのが最善の対応よ。不安な顔を見せちゃダメ」
ちらりと、由衣を見て軽くうなづいた。
しばらくそのまま、黙って座っていた。
どれくらい沈黙していただろうか。
先ほどより、迷いがなくなった分、気が楽だった。
「僕には、昨年結婚したばかりの妻がいます。お腹の中には、子どももいるんです。収入が途絶えたら、どうやっていけばいいんですか…… 出産も育児も、これからたくさんお金がかかるのに。妻は専業主婦なので、自分の収入だけ。1馬力なんですよ」
大垣は2人を見つめた。
「そういえば、あなたたちはカップルですか? 」
「ええ。まあ。そうとも言いますね。自分でカップルだと言うのは抵抗ありますけど…… 」
由衣が遠慮がちに答えた。
「ああ。すいません。僕は昔から、デリカシーに欠けた、気遣いができない人間なんですよ。だから、会社からも役に立たない人材だと、引導を渡されたんです」
「大変な状況ですね。想像ですけど、会社の経営状態が相当悪いのだと思います。これからもリストラは続くのではありませんか? 」
「…… 」
また沈黙した。
「そうですね。リストラに遭っているのは自分だけではありませんよね…… すみませんでした。ちょっとお話を聞いていただいて、死ぬなんて、早まってしまったと思います。妻にきちんと話をしてみますよ」
由衣は、はかりを大垣に見せた。
「20グラム…… ですか」
「僕が午前中に見た自分の数値と一緒ですよ。僕はそんなに不幸な人間だと思いませんが、時々気が塞ぐこともあります。そんな時には、いつでも相談してください。これも何かの縁だと思います」
大垣の表情が、少し血の気を取り戻していた。
2人は1階出口まで送ると、名刺を手渡した。
「このはかりは、持って行ってください」
陽太が由衣から受け取って、差し出した。
「いやいや。そんな訳には…… 」
笑顔を返して、手に押し付けた。
「僕たちには、必要ないです。大垣さんのような方が、ご自分を客観的に見るために測って活用してください」
去り際に、小さく会釈を返してくれた。
「ふう…… はかりのお陰で人を一人救えたね」
「そうね。きっと大垣さんはもう大丈夫よ。そんな気がするわ」
「SMSをくれて助かったよ。正直どうしようか、こっちも青くなってたんだ…… 」
「私の方が、後ろにいたからね。とっさに厚生労働省のHPで調べたの。メンタル系は、専門家の説明を調べるのが一番だからね」
「俺も、励ましたりして、本人が笑顔を見せても、反対の行動を取ることが多いって聞いてたからさ。『最近元気になったな、と思ったら自殺しました』って話、良くあるらしいんだよ」
「ちょっと疲れちゃった」
陽太の部屋に戻って、またライクラを開いていた。
ヴヴヴ……
「あれ?」
SМSだ。知らない番号だった。
「誰だろう…… 」
内容はこうだった。
「大垣です。
先ほどはありがとうございました。
妻に話したところ、薄々気付いていてどう切り出したらいいか、迷っていたそうです。
毎日顔を合わせているのだから、解っていたと言われました。
本当に、馬鹿なことを考えていたと思いました。
お2人に、妻もぜひご挨拶したいとのことでした。
もし可能であれば、今すぐに伺いたいのですが」
「えっ。今すぐ? 」
ヴヴヴ……
今度は電話だ。
「もしもし。大垣です。先ほどはありがとうございました。お陰様で、妻に話してすっきりしました。お近くにお住まいのようですので、今から伺ってよろしいでしょうか」
「安心しました。では、お待ちしてます…… 」
通話を切った。
「今すぐ来るの? 」
「そうみたい」
ピンポーン!
ドアホンが鳴った。
「こんばんは。大垣です」
「どうぞ」
ドアを開けると、夫婦で入ってきた。
「妻の実憂です。主人を助けていただいたそうで…… 何とお礼を申し上げたら良いのか…… 」
涙をハンカチで拭った。
「お2人に出会わなければ、どうなっていたか…… 本当にありがとうございます」
「これ。僕にはもう必要なくなったようです。お返ししますよ」
100グラムになっていた。
「これから、2人でアルバイトをして当面は何とか凌いでいくことにしました」
「そうですか。良かったです。おなかの赤ちゃんも大事にしてくださいね」
「夜分失礼しました。また改めて、お礼に伺います」
大垣夫婦が帰って行った。
またライクラを始める。
由衣がキッチンに立ち、夕飯の支度を始めた。
しばらくゲームに没頭していたが、ちらりと はかり を見た。
200グラム……
「由衣。人助けをすると、幸せを分けてもらえるみたいだね」
「私も、とっても幸せな気分よ」
「なあ。一緒に暮らさないか? 」
由衣が振り向いて、笑顔を向けた。
「嬉しいわ…… 」
了
この物語はフィクションです