場所が悪いのだろうか。これまで澄美子と出かけた場所と言えば、美術館や博物館などの施設、公園、この店のような高級料理店が続いている。それらのセッティングはすべて彼女だ。口調は物柔らかなのだが、なぜか澄美子の提案には、うなずかなくてはならない空気が強かった。そして実際、提案に有無を言えない気分にさせられる。
自分の普段の行動範囲と違う所ばかりだから、気後れが先に立つのだろうか。そんな気もしないではない。
「あの、澄美子さん」
「はい」
デザートが出た段階で、尚隆は思いきって切り出した。
「次に会う時に行く場所は、任せてもらってもいいですか」
「え」
澄美子は目を丸くした。
思ってもいなかったことを聞かされた、というふうにも見える。だがすぐにその表情を消し、にこりとまた微笑んだ。
「もちろん、かまいません。広野さんの行きたい所に連れていってくだされば」
何の含みもない口調で澄美子は言った。
その、あまりにも何気ない調子に、じわりと感じた違和感を尚隆は打ち消した。
……そうして、次の週末。
土曜日が半日出勤のシフトだという澄美子に合わせ、日曜日に会う約束をした。
尚隆が立てたプランは、といっても込み入ったものや高尚なものが思いつけるはずはなく、「映画を観に行って喫茶店でお茶、その後居酒屋で夕食がてら飲む」という、学生時代から変わらないパターン。非常にありきたりだ。
しかし、そういう、尚隆にとっての「ありきたり」の状況に澄美子がなじむ──なじめるかどうか。そこが重要なポイントだと思ったから、あえて使い古したプランを選んだ。
ただし映画に関してはつい気を使ってしまい、洋画の、落ち着いたストーリーの(であると思われる)恋愛ものを選んだ。
「こういうの普段観ないんですけど、興味深かったです」
観賞後の澄美子はそう言った。立ち寄った近くの喫茶店では、しばし映画の感想で盛り上がった──と言うべきか。
「あの場面で、男性がああいう行動をとるのはちょっと納得いきませんけど。女性が止めているのだし、危険な場所に行くのは人情に反すると思いますわ。そうでしょう?」
「まあ、あれは戦争時代の設定だから……男は戦地に行くのが当然と思われていた時代でしょうし、行かなければ世間に白い目で見られていたんじゃないかな」
「それがおかしいんです。愛し合っている二人を引き裂くなんて、いくら世間だろうと国だろうと、許されるべきじゃありませんわ。ねえ、そう思いません?」
「……ええまあ、そうかもしれませんね」
でしょう、と意気込む澄美子はちょっと珍しくて、端から見るなら「美人が頬を赤くして熱心に喋る姿は見ものだ」で済むと思うが、会話の相手としては感じるのはそれだけではなかった。
非の打ち所がない、完璧な女性と思える澄美子の唯一とも言えそうな、かつ大きな問題。
当人はきっと無意識であるに違いない。だが明らかに、彼女には「人を従わせなければ気が済まない」性質がある。
尚隆の提案に目を丸くしたのも、熱の入った会話で必ずこちらの同意を求めるのも、その表れだと感じた。おそらく、自分の言う通りに人が動くことに慣れていて、そうではない状況は落ち着かないのだろう。
たぶん、両親も周りの人間も、澄美子が可愛いあまりに、彼女の要求には百パーセントに近い割合で応じてきたのだ。澄美子自身、ポテンシャルが非常に高く何でもできる女性だから、意に沿わない、希望に反する事例には、これまでほぼ出会わなかったのかもしれない。
「広野さん、聞いてらっしゃいます?」
「え、ああ、聞いてますよ」
「本当に、監督の見識はどうなっているのかって、直接聞いてみたいくらいですわ。メール送ろうかしら。アドレスご存じありません?」
「いやさすがに……それは知らないですね」
話が長くなり時間が経ってきたのと、少し気分を変える目的とで、通りかかった店員に「すみません、ホットコーヒーとレモンティーひとつずつ」とお変わりを頼んだ。
するとすかさず「まあ」と目を見開き、澄美子は言った。
「私、次はミルクティーにしようかと思ってましたのに。頼む時はおっしゃってくださいな。
すみません、レモンティーはミルクに変更してください」
「ああ、失礼しました」
「そもそも男性って、思いこみが強すぎるところがあると思うんです、先ほどの広野さんみたいに。私がレモンティーを飲んでるからって、お代わりも同じだとお思いだったでしょう。そうとは限らないんですよ」
余計なことをしてしまった。澄美子に言質を与えてしまったうかつさに歯噛みする。尚隆のそんな後悔には気づかないふうで、澄美子はさらに話を続けた。
「だいたい、あの男性も、女性の話をちゃんと聞かないからあんなことになって──」
……結局、話が終わったのはそれから1時間半後、午後6時に近かった。
「ごめんなさい、私ってば興奮してしまって。喋りすぎてしまいましたね」
つい十数分前までの勢いが嘘のように、澄美子はしとやかに落ち着いた、普段の「お嬢様」の様子に戻っている。
自分の普段の行動範囲と違う所ばかりだから、気後れが先に立つのだろうか。そんな気もしないではない。
「あの、澄美子さん」
「はい」
デザートが出た段階で、尚隆は思いきって切り出した。
「次に会う時に行く場所は、任せてもらってもいいですか」
「え」
澄美子は目を丸くした。
思ってもいなかったことを聞かされた、というふうにも見える。だがすぐにその表情を消し、にこりとまた微笑んだ。
「もちろん、かまいません。広野さんの行きたい所に連れていってくだされば」
何の含みもない口調で澄美子は言った。
その、あまりにも何気ない調子に、じわりと感じた違和感を尚隆は打ち消した。
……そうして、次の週末。
土曜日が半日出勤のシフトだという澄美子に合わせ、日曜日に会う約束をした。
尚隆が立てたプランは、といっても込み入ったものや高尚なものが思いつけるはずはなく、「映画を観に行って喫茶店でお茶、その後居酒屋で夕食がてら飲む」という、学生時代から変わらないパターン。非常にありきたりだ。
しかし、そういう、尚隆にとっての「ありきたり」の状況に澄美子がなじむ──なじめるかどうか。そこが重要なポイントだと思ったから、あえて使い古したプランを選んだ。
ただし映画に関してはつい気を使ってしまい、洋画の、落ち着いたストーリーの(であると思われる)恋愛ものを選んだ。
「こういうの普段観ないんですけど、興味深かったです」
観賞後の澄美子はそう言った。立ち寄った近くの喫茶店では、しばし映画の感想で盛り上がった──と言うべきか。
「あの場面で、男性がああいう行動をとるのはちょっと納得いきませんけど。女性が止めているのだし、危険な場所に行くのは人情に反すると思いますわ。そうでしょう?」
「まあ、あれは戦争時代の設定だから……男は戦地に行くのが当然と思われていた時代でしょうし、行かなければ世間に白い目で見られていたんじゃないかな」
「それがおかしいんです。愛し合っている二人を引き裂くなんて、いくら世間だろうと国だろうと、許されるべきじゃありませんわ。ねえ、そう思いません?」
「……ええまあ、そうかもしれませんね」
でしょう、と意気込む澄美子はちょっと珍しくて、端から見るなら「美人が頬を赤くして熱心に喋る姿は見ものだ」で済むと思うが、会話の相手としては感じるのはそれだけではなかった。
非の打ち所がない、完璧な女性と思える澄美子の唯一とも言えそうな、かつ大きな問題。
当人はきっと無意識であるに違いない。だが明らかに、彼女には「人を従わせなければ気が済まない」性質がある。
尚隆の提案に目を丸くしたのも、熱の入った会話で必ずこちらの同意を求めるのも、その表れだと感じた。おそらく、自分の言う通りに人が動くことに慣れていて、そうではない状況は落ち着かないのだろう。
たぶん、両親も周りの人間も、澄美子が可愛いあまりに、彼女の要求には百パーセントに近い割合で応じてきたのだ。澄美子自身、ポテンシャルが非常に高く何でもできる女性だから、意に沿わない、希望に反する事例には、これまでほぼ出会わなかったのかもしれない。
「広野さん、聞いてらっしゃいます?」
「え、ああ、聞いてますよ」
「本当に、監督の見識はどうなっているのかって、直接聞いてみたいくらいですわ。メール送ろうかしら。アドレスご存じありません?」
「いやさすがに……それは知らないですね」
話が長くなり時間が経ってきたのと、少し気分を変える目的とで、通りかかった店員に「すみません、ホットコーヒーとレモンティーひとつずつ」とお変わりを頼んだ。
するとすかさず「まあ」と目を見開き、澄美子は言った。
「私、次はミルクティーにしようかと思ってましたのに。頼む時はおっしゃってくださいな。
すみません、レモンティーはミルクに変更してください」
「ああ、失礼しました」
「そもそも男性って、思いこみが強すぎるところがあると思うんです、先ほどの広野さんみたいに。私がレモンティーを飲んでるからって、お代わりも同じだとお思いだったでしょう。そうとは限らないんですよ」
余計なことをしてしまった。澄美子に言質を与えてしまったうかつさに歯噛みする。尚隆のそんな後悔には気づかないふうで、澄美子はさらに話を続けた。
「だいたい、あの男性も、女性の話をちゃんと聞かないからあんなことになって──」
……結局、話が終わったのはそれから1時間半後、午後6時に近かった。
「ごめんなさい、私ってば興奮してしまって。喋りすぎてしまいましたね」
つい十数分前までの勢いが嘘のように、澄美子はしとやかに落ち着いた、普段の「お嬢様」の様子に戻っている。