「きょうだい」という言葉の削除が、私の「辞書編纂」初仕事であった。
「きょうだい」とは、親を同じくする間柄。昔の日本では当たり前だったが、少子高齢化が進みきった2200年の日本においては死語と化したのだ。ゆえに、我が社が編纂する『みんなの日用国語辞典』からは削除する運びとなった。
私、天乃川貴光は、天乃川出版の編集員で、7代目社長「候補」である。天乃川出版は家族経営の小さな出版社であるが、デジタルが当たり前となった今、「紙の温かみを伝える」を社訓に、粘り強く書籍を出版する出版社である。
さて、私が社長「候補」である所以は、私が6代目社長天乃川貴志の息子だからである。我が社は家族経営であるゆえ、初代由貴子、2代目貴次、3代目貴代美、4代目瑞貴、5代目沙貴、そして6代目の父と、みな親子で継いできた。「天乃川」という特異な苗字と、その名の「貴」の字とともに会社を受け継いできたわけである。これが社長継承権のあるの所以だ。
そして、「候補」である所以は私が未婚だからである。後継といえば、たいてい長男であるが、我が社の場合、たとえば2代目貴次は次男であるため、必ずしも長男というわけではない。我が社の社長は70歳で引退し、後継は「先代が70歳のときに結婚している子から選ぶ」ということになっている。
由貴子が残した直筆の「引き継ぎ虎の巻」によると、引退する歳を定めたのは「元気なうちに引き継いで、子の経営ぶりを温かい目で見守るため」。結婚している子から選ぶとしたのは「生涯独身では後継が居なくなり、会社が絶えてしまうから」だそうだ。
実際、由貴子の長男貴一は生涯独身を貫き、もし貴一に社長を継いでいたら今の天乃川出版はなかったのである。
しかし「きょうだい」が死語となった今、「社長の子」という継承権を満たす者は、たいてい一人のため、自然と長男、長女が継ぐ流れとなっている。
さて、話を戻そう。私は父が現在60歳なので、あと10年後に結婚していれば、晴れて7代目に就任となる。ちなみに「きょうだい」は当然いない。私自身はまだ25歳の駆け出し編集員なので、まずは仕事を覚え、ときに遊び、結婚はまだいいかな、という感じなのである。
本来ならば「まだいいかな」で良いのだが、そうはいかない、我が社創立以来の緊急事態が私を、我が家を、我が社をおそってきたのである。
父と母に呼び出されたのは1月7日火曜日の午後2時10分頃だった。なぜ曜日も時間も事細かく覚えているかといえば、私にとってそれだけ大事だったからである。
勤めて3年目だが、仕事中に「自宅に帰れ」とは一度も言われたことがなかった。呼び出されたのは私と編集長の佐藤史歩さんだった。
「今日の商談で、何か大きな仕事が入ったのかしらね?」
「いや、うちの小説がカミホン大賞をとることになったとか、でしょうか?」
佐藤さんと私と、お互い「次期社長候補」と「大先輩」という、ちょっと距離がある感じで、きっと「いいこと」が、何か仕事中でも伝えたいとても大きなことが起きたんだろうと予想しながら、自動運転のタクシーを走らせた。
自宅に着くと、青いトレーナーを着た父と目を赤くした母が正座をして待っていた。今日は2人で商談に出かけると聞いていたので、父の服装も母の表情も、非常に違和感があった。
「2人とも仕事中のところ、すまない。大事な話が3つある。」
私たちが着くなり、両親は茶も出さずに話を始めた。
「1つ目、私は君たちに嘘をついた。今日出かけたのは商談ではなく病院だ。」
父が「病院」と言った時点で、佐藤さんは「えっ」と口に手を当てやや涙目になってきた。佐藤さんはまだ30代だが、非常に「読める」編集者だ。佐藤さんが読んだ事実は、子を産み育てながら編集者としての力を強くしてきた佐藤さんでも、耐え難いことらしかった。
「2つ目、病院には検査結果を聞きに行った。病名はすい臓がん。ステージ4。すでに手術不能だ。」
「死」というものを目の前に感じた。父が死んでしまう。まだ60歳なのに。医学が発展し、たいていのがんは治り共存していける社会となったが、すい臓は別のままだった。父の死を感じた私は、さすがにとぼけてはいられなかった。手が震え、足のしびれを感じなくなり、頭の中には「がん」という言葉がこだましていた。
「3つ目、私の病気の10年生存率は5%未満だ。私は70歳まで生きられない可能性が非常に高い。」
父の死を感じ、大切な社長の大病を前に、私たちは現実に引き戻されつつあった。「70歳まで生きられない可能性が高い」ということが、我が社では何を意味するか。そこにいち早く気づいたのはやはり佐藤さんだった。
「と、いうことは、社長、引退をお早めになるおつもりですか?」
「そうだな。『元気なうちに引き継げるように』が初代からのおしえだからな。できれば今すぐにでも引き継ぎたい、というのが本音なのだが…。」
父は大病の告知を受けたにもかかわらず、いたって冷静な社長であった。どうしたら会社を守れるか、それだけを考えていた。
「順当にいけば、7代目は貴光さんですが、貴光さんは、独身ですので、まだ後継にはなれませんね。」
佐藤さんは我が社のおきても我が家族の状況も理解して、何が問題なのかを見抜く力があった。当の私は、問題の渦中にいることさえ理解できず、未だに父の病を嘆いていた。
我が社の社長になれるのは「社長の子」かつ「既婚者」。「社長の子」を満たすのは私ただ1人だが、私は「既婚者」という条件を満たしていない。
「そこでだ。7代目を、私は貴光か佐藤さん、どちらかに譲りたいと思う。」
「みっちゃん、あんた本気で考えてるの?」
夜、母と2人で例の後継問題について話すことになった。ある程度の冷静さを取り戻した私が、母に聞かされた話はこうだ。
父はまだ60歳だが、おおよそ半年後の7月7日に引退する。その時点で私が結婚していれば、私が7代目に、結婚していなければ佐藤さんが7代目に就任する。6代目天乃川出版社社長としては「結婚した」私に継がせたいが、父としては結婚を急かすことはしたくない。ただ、会社をつぶす訳にはいかないので、私が結婚していない場合には、編集者として優秀で既婚者でもある佐藤さんに継がせたい、とのことだ。
さらに、だ。私が7代目に就任した場合、社名は変わらず「天乃川出版社」とするが、佐藤さんが7代目に就任する場合は社名を「佐藤出版社」に変更する、ということだ。
佐藤出版社になる、ということは天乃川出版社の歴史が途絶えるということだ。私は次期社長候補から、普通の平社員になるということだ。
「みっちゃんが結婚出来なかったら、天乃川が途絶えるのよ! 『佐藤出版社』なんて、どこにでもある名前じゃない。しっかりしてちょうだい!」
天乃川の名に誇りを持っているのは、母の方だった。私は天乃川を守るためにあと半年で結婚しなくてはならない。「まだいいかな」ではいられなくなったのだ。
「きょうだい」とは、親を同じくする間柄。昔の日本では当たり前だったが、少子高齢化が進みきった2200年の日本においては死語と化したのだ。ゆえに、我が社が編纂する『みんなの日用国語辞典』からは削除する運びとなった。
私、天乃川貴光は、天乃川出版の編集員で、7代目社長「候補」である。天乃川出版は家族経営の小さな出版社であるが、デジタルが当たり前となった今、「紙の温かみを伝える」を社訓に、粘り強く書籍を出版する出版社である。
さて、私が社長「候補」である所以は、私が6代目社長天乃川貴志の息子だからである。我が社は家族経営であるゆえ、初代由貴子、2代目貴次、3代目貴代美、4代目瑞貴、5代目沙貴、そして6代目の父と、みな親子で継いできた。「天乃川」という特異な苗字と、その名の「貴」の字とともに会社を受け継いできたわけである。これが社長継承権のあるの所以だ。
そして、「候補」である所以は私が未婚だからである。後継といえば、たいてい長男であるが、我が社の場合、たとえば2代目貴次は次男であるため、必ずしも長男というわけではない。我が社の社長は70歳で引退し、後継は「先代が70歳のときに結婚している子から選ぶ」ということになっている。
由貴子が残した直筆の「引き継ぎ虎の巻」によると、引退する歳を定めたのは「元気なうちに引き継いで、子の経営ぶりを温かい目で見守るため」。結婚している子から選ぶとしたのは「生涯独身では後継が居なくなり、会社が絶えてしまうから」だそうだ。
実際、由貴子の長男貴一は生涯独身を貫き、もし貴一に社長を継いでいたら今の天乃川出版はなかったのである。
しかし「きょうだい」が死語となった今、「社長の子」という継承権を満たす者は、たいてい一人のため、自然と長男、長女が継ぐ流れとなっている。
さて、話を戻そう。私は父が現在60歳なので、あと10年後に結婚していれば、晴れて7代目に就任となる。ちなみに「きょうだい」は当然いない。私自身はまだ25歳の駆け出し編集員なので、まずは仕事を覚え、ときに遊び、結婚はまだいいかな、という感じなのである。
本来ならば「まだいいかな」で良いのだが、そうはいかない、我が社創立以来の緊急事態が私を、我が家を、我が社をおそってきたのである。
父と母に呼び出されたのは1月7日火曜日の午後2時10分頃だった。なぜ曜日も時間も事細かく覚えているかといえば、私にとってそれだけ大事だったからである。
勤めて3年目だが、仕事中に「自宅に帰れ」とは一度も言われたことがなかった。呼び出されたのは私と編集長の佐藤史歩さんだった。
「今日の商談で、何か大きな仕事が入ったのかしらね?」
「いや、うちの小説がカミホン大賞をとることになったとか、でしょうか?」
佐藤さんと私と、お互い「次期社長候補」と「大先輩」という、ちょっと距離がある感じで、きっと「いいこと」が、何か仕事中でも伝えたいとても大きなことが起きたんだろうと予想しながら、自動運転のタクシーを走らせた。
自宅に着くと、青いトレーナーを着た父と目を赤くした母が正座をして待っていた。今日は2人で商談に出かけると聞いていたので、父の服装も母の表情も、非常に違和感があった。
「2人とも仕事中のところ、すまない。大事な話が3つある。」
私たちが着くなり、両親は茶も出さずに話を始めた。
「1つ目、私は君たちに嘘をついた。今日出かけたのは商談ではなく病院だ。」
父が「病院」と言った時点で、佐藤さんは「えっ」と口に手を当てやや涙目になってきた。佐藤さんはまだ30代だが、非常に「読める」編集者だ。佐藤さんが読んだ事実は、子を産み育てながら編集者としての力を強くしてきた佐藤さんでも、耐え難いことらしかった。
「2つ目、病院には検査結果を聞きに行った。病名はすい臓がん。ステージ4。すでに手術不能だ。」
「死」というものを目の前に感じた。父が死んでしまう。まだ60歳なのに。医学が発展し、たいていのがんは治り共存していける社会となったが、すい臓は別のままだった。父の死を感じた私は、さすがにとぼけてはいられなかった。手が震え、足のしびれを感じなくなり、頭の中には「がん」という言葉がこだましていた。
「3つ目、私の病気の10年生存率は5%未満だ。私は70歳まで生きられない可能性が非常に高い。」
父の死を感じ、大切な社長の大病を前に、私たちは現実に引き戻されつつあった。「70歳まで生きられない可能性が高い」ということが、我が社では何を意味するか。そこにいち早く気づいたのはやはり佐藤さんだった。
「と、いうことは、社長、引退をお早めになるおつもりですか?」
「そうだな。『元気なうちに引き継げるように』が初代からのおしえだからな。できれば今すぐにでも引き継ぎたい、というのが本音なのだが…。」
父は大病の告知を受けたにもかかわらず、いたって冷静な社長であった。どうしたら会社を守れるか、それだけを考えていた。
「順当にいけば、7代目は貴光さんですが、貴光さんは、独身ですので、まだ後継にはなれませんね。」
佐藤さんは我が社のおきても我が家族の状況も理解して、何が問題なのかを見抜く力があった。当の私は、問題の渦中にいることさえ理解できず、未だに父の病を嘆いていた。
我が社の社長になれるのは「社長の子」かつ「既婚者」。「社長の子」を満たすのは私ただ1人だが、私は「既婚者」という条件を満たしていない。
「そこでだ。7代目を、私は貴光か佐藤さん、どちらかに譲りたいと思う。」
「みっちゃん、あんた本気で考えてるの?」
夜、母と2人で例の後継問題について話すことになった。ある程度の冷静さを取り戻した私が、母に聞かされた話はこうだ。
父はまだ60歳だが、おおよそ半年後の7月7日に引退する。その時点で私が結婚していれば、私が7代目に、結婚していなければ佐藤さんが7代目に就任する。6代目天乃川出版社社長としては「結婚した」私に継がせたいが、父としては結婚を急かすことはしたくない。ただ、会社をつぶす訳にはいかないので、私が結婚していない場合には、編集者として優秀で既婚者でもある佐藤さんに継がせたい、とのことだ。
さらに、だ。私が7代目に就任した場合、社名は変わらず「天乃川出版社」とするが、佐藤さんが7代目に就任する場合は社名を「佐藤出版社」に変更する、ということだ。
佐藤出版社になる、ということは天乃川出版社の歴史が途絶えるということだ。私は次期社長候補から、普通の平社員になるということだ。
「みっちゃんが結婚出来なかったら、天乃川が途絶えるのよ! 『佐藤出版社』なんて、どこにでもある名前じゃない。しっかりしてちょうだい!」
天乃川の名に誇りを持っているのは、母の方だった。私は天乃川を守るためにあと半年で結婚しなくてはならない。「まだいいかな」ではいられなくなったのだ。