時代のパラダイムが、複雑さ、多様性だといわれている


 大衆文化とマスコミが徐々に衰退し、ライフスタイルが個別化、多様化している。
 例えばターゲティング広告があげられる。
 自分が好きなものを、検索履歴や登録しているサービスから割り出し、最適化された広告が表示されるシステムである。
 自分の趣味趣向に合わせて、先回りしてサービスが提供されることは便利だが、今まで興味がなかった情報を発見する機会が失われる。
 このようなデメリットを宿命的にもっているニッチ文化に囲まれていると、他者とのコミュニケーションが下手になるのではないかと心配になる。
 昭和の人間はテレビ番組について翌朝話すのが習慣だったが、最近は共通の話題をみんなで話すよりも、その場でYouTubeを見たりする。
 隣にいる人が、どんな生活をしているのかを知ることが、大きな驚きをもたらすことは今も昔も変わらないが、すぐ隣にいる人が 思いもよらない動画を見て笑っているという具合に個別化がさらに進んでいるのである。
 子どものとき、それほど親しくない人や、上級生の家に招待されてよく遊んだものだった。
 そんなとき、新鮮な驚きをもって家の中を見まわしたものである。
 ある人は押し入れでファミコンをしていた。
 これだけで充分に驚愕の事実である。
 ドラえもんか。