県大会を見に行ってから、私と近藤くんの関係は少し変わったように思う。
 近藤くんはインターハイの稽古もあるのに、朝と夕方の水やりは手伝ってくれるようになったのだ。
 さすがに近藤くんは部活のない日じゃなかったら家に送ってくれないけれど、ときどき一緒に帰って、私がスーパーやドラッグストアで買い出しするのに付き合ってくれるようになった。
 買い物に一緒に行くたびに、私は買い出しメモを見ながら籠にひょいひょいと物を入れていくのを、近藤くんは驚いた顔をして見てくる。

「お前……普段からこんなことやってんのか?」
「ええっと、うん」

 夏場はどうしてもなんでもかんでも傷みやすいから、まとめ買いしても傷んで駄目になってしまうことが多い。だからこまめに買い足していくしかないんだけど、近藤くんは本気でそういう買い出しがわからなかったらしい。
 私が一生懸命100円引きシールの貼られているパンや牛乳、セールになっているお肉を選んでいるのを、驚いた顔で見ていた。

「これで学校行けてるのか?」
「行ってるじゃない。うちは親が共働きだから、どうしても平日の家事は私に回ってきちゃうからさ」
「はー……」
「別に土日は暇だから、そこまで驚かなくっても」
「なんというか、佐久馬ってすごいな」

 そう近藤くんがしみじみと言うので、私はキョトンとしてしまった。

「どうして?」
「いや、うちは親父は警察で働いてるし、じいさんも警察学校で剣道やってるから、男は剣道やるっていうので全部回ってんだよな。お袋がこんなに買ってるとか、思ってもなかったわ」
「うーんと」

 私は逆に、近藤くんに全部悟らせないで家事全般をこなしているお母様のほうがすごいんじゃ、と思った。だって運動したあとの男の人って、恐ろしいくらいに食べるし、エンゲル係数は全然馬鹿にならないんじゃ、とわかってしまうから。
 ないものねだりと言ってしまえばそれまでだけど、人のすごいところや自分の家のすごいところなんて、他人から見ないと案外わかんないもんだよね。

「近藤くんも試合や稽古があるから難しいかもしれないけど、たまにはお母さんのスーパーの買い出しに付き合って、重いものを持ってあげたらいいんじゃない?」
「……そんな簡単なことでいいのか?」
「うーんと。私はときどき近藤くんが私の買い物袋を持ってくれているので、助かってます。お米と野菜と牛乳が切れたときは、ひとりで泣きそうになりながら袋を持ってたから、ひとつでも持ってくれたら嬉しいし、多分近藤くんのお母さんもそう思うんじゃないかな」
「ふーん、そっか」

 実際私は近藤くんが自転車に荷物を積んでくれるおかげで、泣きそうになりながら買い物をしなくっても済んでいるし、充分助かっている。
 ふたりでそうしゃべりながら帰っていると、着信音が響いた。私のスマホじゃない。ちらっと見ると、近藤くんが「ワリィ」と言ってからスポーツバッグからスマホを取り出した。

「もしもし……えっ、ごめん、もう一度言って」

 なにか話しはじめたのに、私はきょとんとする。重い荷物は全部近藤くんの自転車の籠に入れさせてもらっているし、私がここで聞いてていい内容なのかな。そう思って待っていたら、「じゃあな」と言ってからスマホを消した。

「どうかしたの?」
「うーん……なんか部の備品買って来てって言われたんだよ。明後日でいいらしいけど」
「備品って?」

 剣道部の備品ってなんなんだろうなと、私は暢気に思っていたら、近藤くんは「面倒くせぇ……」とガリガリと頭を引っ掻きながら教えてくれた。

「ラインテープ。ほら、この間の試合のときも床に貼ってただろ? あれ」
「へえ……あれってわざわざ貼り替えるものだったんだ」
「長いこと貼ってたら床がベタベタになるから、定期的に貼り替えてんだよ。それを買ってこいって。あとスポドリの粉末」
「ふーん」

 普段からペットボトル飲んでるなと思ってたら、皆でスポーツドリンクの粉末を溶かして飲んでいたのか。でもそりゃそうだよね。真夏に剣道場に胴着姿で稽古してたら、いくら戸を全開に開けてたとしても、暑いもんは暑い。
 もうすぐインターハイなんだしねえと、私は勝手に頷いて、ふと気付く。
 明後日は土曜日だ。親がふたりとも揃って家にいるから、私も自由が利く。

「買い物に付き合おうか?」
「えっ」

 あからさまにうろたえた声を上げた近藤くんに、私はきょとんとする。
 単純に、私は買い物用クーポンをスマホにいっぱい取ってるから、それ使って買ったら、部費を使うにしても安く上がるんじゃないかと思っただけだったんだけど。
 私がわかってない顔をしている中、近藤くんは「お前、ほんっとうそういう奴だよな」と言って、ぷいっとそっぽを向いて歩き出してしまった。最近は私に気を遣ってかゆっくり歩いていたのに、ズカズカと歩いて行ってしまうものだから、私は小走りで追いかけるしかない。

「あの、なんでっ!?」
「お前なあ、なんでいっつもそうなんだよ!」
「あの、私近藤くんを怒らせるようなこと言った!?」
「言ってねえ知らねえ」

 ふたりでギャーギャー言い合いながら、ようやく私は気が付いた。
 学校が休みなときに出会う。前は剣道部の皆に顧問の鬼瓦先生が一緒だったから、そんな意識はこれっぽっちもなかったけれど。
 ふたりっきりで会うんだったらデートだ。
 遅れて、私の顔が熱を持った。

****

 買い物に行く約束をした日。
 SNSで最近流行りの服をチェックする。
 前は剣道部の試合だからと、あんまり服のことは意識していなかったけれど、今回は違う。
 剣道部の買い出しなんだから、それっぽく言い訳できるように。でも普段着てるようなラフ過ぎる格好は絶対に駄目でしょ。
 夏場は量販店で買ったTシャツに、量販店で買ったジーンズというごくごくありふれた格好をしているけれど、それで出かけたらあまりにもデートっぽくない。これじゃ近所のスーパーに買い出しの格好と変わらない。
 いや、デートじゃないんだから、デートっぽい格好しなくってもいいのかな。買い出しの格好でも充分という心の声も聞こえるけれど、それじゃ嫌と乙女心が許さない。
 ……いやいやちょっと待って。そもそも私は近藤くんとデートをしたいの? したくないの?
 そもそも、これをデートとは思っていないんじゃ、近藤くんは……。普段の言動を考えれば充分にありえそうだ。でも。
 一緒に買い出しに行こうと言ったときの近藤くんの反応を見れば、むしろ気付かなかった私のほうが悪いんじゃとも思えてくる。いやいや、そっちのほうが自意識過剰過ぎる気もするし。うーん、どうなんだろう、これ?
 考えれば考えるほど訳がわからなくなり、結局は買ってもらったガウチョパンツに量販店のちょっとだけ高めなTシャツという、いつもよりもちょっとだけおしゃれという無難な格好になってしまった。
 これ、いいのかな。私はそれを洗面所の鏡の前でくるくると回って見つめる。
 本当だったら化粧とかすればいいんだろうけれど、私は化粧道具なんて持ってない。せめてもと持ち歩いているリップグロスだけ塗る。汗対策として、花の匂いのするデオトラントパウダーを全身にふりかけてから、私は待ち合わせの場所に出かけていった。
 買い出しに出かけるスポーツ用品店の入っているショッピングモール前。私はそこへ自転車を走らせていたら、チリンチリンとベルが鳴って、何気なく振り返る。

「よっ、今から行くのか?」

 近藤くんだった。有名スポーツメーカーのロゴの入ったTシャツにジャージ素材のハーフパンツ。大きなスニーカーは靴底が少し丸まっている。私服の近藤くんも本当に近藤くんだなと、私は思わず笑ってしまった。

「うん。てっきり私のほうが早いと思ったんだけど」
「いや、あちぃだろ。暑いとすぐ熱中症になって倒れんだよなあ」
「ああ……」

 近藤くんの言葉に私は納得した。
 この人は口が悪いだけで、優しいんだろうな。それとも、私がいいように取り過ぎてるんだろうか。ふたりで自転車を走らせながら、ショッピングモールの駐輪場に自転車を停めると、目的のスポーツ用品店に入った。
 スポーツのことは私にはちんぷんかんぷんだったけれど、近藤くんは楽しげにあれこれと見て回っている。私はわからないなりに、ちらちらとスポーツウェアを眺めていた。

「あっ、これお前にいいんじゃねえか?」
「はい?」

 結構高いなあとゴルフウェアを眺めていたところで、近藤くんが声を弾ませてなにかを持ってくる。持ってきたのは大量の軍手だった。って、なんで!?

「もうすぐ園芸部も夏の作業やんだろ。そのときに持ってたらどうだ?」
「えっ? そうなの?」
「おーい、しっかりしろ、園芸部。なんで俺のほうが園芸部のスケジュールに詳しいんだよ」

 そりゃ、園芸部を仕切っているのが実質剣道部の顧問だからだよとは、本人もわかっていることだろうから言えなかった。
 私が大量の軍手……本当にセールしているみたいで、10個をセットで破格なお値段となってる……を持たされながら首を捻っていたら、近藤くんがガリガリと頭を引っ掻いた。

「園芸部って、文化祭で配るために、苗を育てるんだってさ。で、育てるのがちょうど今頃って奴。重労働だし部員が全然来ねえから、剣道部の一年も駆り出されて作業すんだよ。これでわかったか?」
「う、うん……わかった。でもあれ? 園芸部って、秋の文化祭のとき、私ひとりで準備すればいいの?」

 そもそもやる気のない顧問に、見たことない先輩たちという体たらくで、どうして部として残っているのかわからないという部だ。なにを展示するのかだって、ほとんど知らない。せいぜい私が展示用の桑の実ジャムをつくったくらいだ。
 それで、近藤くんは「そこもかよ」と呆れたような顔をしてみせた。

「園芸部、いっつも幽霊部員ばっかりだけど、三人四人はなんとか普通に来てるから文化祭の準備もそれなりにはできるんだってさ。今年みたいにアクティブ部員がひとりしかいないほうが珍しいって、うちの顧問が言ってた」
「そうだよね。私もあんまり活動ない部じゃないと入れなかったんだけど」
「その割には結構部に顔出してるほうだと思うけどなあ、佐久馬は。まあ、そんな訳だから、文化祭は園芸部と剣道部で合同でやるんだとさ。剣道部も、大会のせいであんまり大がかりな準備はできないから、園芸部の出し物に便乗するというか、顧問がやりたいことやる」

 だろうね。鬼瓦先生の謎の園芸愛を思い返し、私は頷いた。
 とりあえず近藤くんの目的の品に、私は軍手を買って、出て行った。あとはクーポンを持っているドラッグストアに行けば買い物は終わりなんだけど。ふたりでドラッグストアへの道へ向かっていると。
 ピコンピコンと音楽ゲームの音に、私は思わず音の方角を見る。

「佐久馬?」
「いや、ときどき遊んでいる音楽ゲームに、新曲入ってるなあと」

 あんまり友達と遊べないから、土日に憂さ晴らしにひとりでゲームセンターに行って、音楽ゲームをすることはよくある。お小遣いが足りて、テスト前限定だけれど。
 近藤くんはそれをひょいと見る。私はそれに「わっ」と言った。

「金はあるの?」
「え?」
「ゲームする金。あ、これはふたりプレイできるんだな」

 ゲーム機に近付くと、さっさとひとり分の硬貨は入れてしまった。

「ほら、やりたいんだろ?」
「う、うん!」

 私も慌てて財布から硬貨を取り出すと、自分の分を入れる。

「これってどうすりゃいいんだ?」

 そう言って不思議そうにゲーム画面を見ているので、私は初心者向けの音楽を探して、それを打ち込んだ。
 たちまちプレイスタートし、軽快な電子音が響きはじめた。

「ええっと、赤いラインわかるかな? あそこに来た規定の色のボタンを叩くの」
「ふうん。あれ、三つとか同時に来たけど」
「三つ同時に押すの。こう!」

 私が手を伸ばして三つ同時に押すのに、近藤くんも「なるほど」と納得しながら押しはじめる。
 この音楽ゲームは割と得意なんだけれど、人に教えながらだとなかなか思い通りのスコアは取れない。対して、初心者モードで初心者向けの音楽だったとはいえど、近藤くんは順調にゲームのコツを掴んでいった。
 最終的にはふたりでピタンピタンと押せるようになったんだから、ゲームってすごい。

「結構肩とか張るなあ、これ」
「力入れ過ぎだよ。もっと力入れなくっても入力できるよ?」
「そんなもんか? でもこういうゲーム、あんまやったことないんだよなあ……佐久馬すっげえわ」
「そんなこと……」
「お前なあ、褒めてもすぐ謙遜するし、怒鳴るとすぐ謝るし。自分のこと卑下し過ぎ。もっと上から目線でも大丈夫だって」

 近藤くんから見たら、そうなんだなあ。私。
 彼はやけに自信満々だし、すぐ文句は言うし人に当たったりするけど、間違ってると判断したことにはちゃんと謝罪する。
 いい人、なんだよなあ……。
 私はそう思いながら、スコアをちらっと見てから「買い物に行く?」と促した。
 デートの作法なんてわからない。もしかしたら、近藤くんからしてみたら、ただ同級生と遊びに来た感覚なのかもしれないけれど。
 この時間が続けばいいなあ……。そう思ったときだった。

「もう、光太ってばいっつもそんなんだから!」

 聞き覚えのある声に、私は固まった。
 私たちの遊んでいた音楽ゲームの裏には、クレーンゲームがある。クレーンゲーム越しに見える女の子の集団には見覚えがある。
 あの子たち、全員天文部だ。ちらっと見た限り、恵美ちゃんがいないのは、彼女は彼氏とデートだからだろう。甲高い声を上げているのは、天文部の中でも特に可愛い同学年の女の子だ。たしか……島谷(しまたに)さん。
 その女の子集団の中で、ひとりだけ男の子が見える。当然か。アクティブな男子の天文部員は篠山くんしかいないはずなんだから。「光太」と呼ばれた彼の顔はここからだと見られないけど、困ったように口を尖らせているような口ぶりだ。

「そうは言ってもさあ。セールなんだし。だから次は量販店な?」
「磨けば光るのにそんなことばっかり言って!」
「ここもうちょっといい服あるでしょ!?」
「お前ら俺の財布にちっとも優しくないなあ!?」
「あっはっはっは。光太郎、お前ほーんと所帯じみてんなっ! いい嫁さんになれるぞ!」
「茶化さないでくださいよ~」

 庶民的で庶民的な反応ばかり示す篠山くんに、女の子たちは当然ながらブーイングする。それを豪快に笑い飛ばしているのは、瀬利先輩だろう。こちらからも黒いTシャツでジーンズっていう普通の格好にも関わらず、スタイルがいいばかりにちらちらと皆が見とれてしまう彼女が見てとれた。
 あまりにも覚えのある光景だ。天文部では、力仕事を篠山くんがやって、その周りを女の子が取り囲んでいるという光景が日常的になっていた。
 女だらけに男がひとり。普通はなにかとやっかまれそうだけれど、瀬利先輩をはじめとして、女子のアクが強過ぎるせいで、誰も表だっては羨ましがらなかった、日常的な光景。
 ……少し前の私は、その中にいたはずだった。
 何度も何度も頭の隅に追いやったのに、今日は本人たちが少し近くにいるせいで、今まで以上にリアルにその光景を思い返してしまう。
 気付いたら、私の体は強ばっていた。
 ……逃げないと。そう思っているのに、体はピクリとも動かない。今の彼は私のことを知らないんだから、素知らぬ顔して通り過ぎればいい。頭ではわかっているのに、クレーンゲーム一台向こうに彼がいるとわかったら、怖くって動けなくなっていた。